冴えない
世の中に全く一ミリも面白くない人というのはたぶんあまりいなくて、冴えない人と受け取られる人間はおそらく魅力を発見されていないだけの場合が多いと思う。
ジェニーハイという結構有名な芸能人たちで作られているバンドがあるが、そのなかでもピアノを担当している新垣隆氏の演奏が異常に上手い。見た目は一番冴えないオッサンなのに、演奏に関しては異彩を放っている。プロだから、というのもあるだろうが、それにしても上手い。
新垣氏と言えばだいぶ前に佐村河内守氏のゴーストライターで話題となったが、彼の演奏を聴いて俺の認識は全く変わった。
俺は偶然ジェニーハイを知るまで、彼の魅力を知るに至っていなかった。なので新垣氏とバンドを組もうと思ったジェニーハイのメンバーの慧眼には尊敬の念を抱いている。
さて、人の魅力を確認するためにはコミュニケーションが必要であるが、その多くは会話によって行われる。そして会話の前には外見の判断がある。技術や能力の判定は、たいていの場合その後だ。
この順番を書くとこうなる。
外見→会話→技術や能力
このプロセスが何を表すかというと、その人の技術や能力にたどり着く前に魅力の判定が打ち切られてしまうと、その人は冴えないと判断されてしまうということだ。
これはどちらか一方が悪いわけではなく、コミュニケーションがそもそも難しいものだということを示していると思う。
仮にAという人物が自分の魅力を発信する側だとして、Aがどれだけ周囲に自分のことを知ってもらいたいのか、というところをまず第一に考えなくてはならない。Aが周囲にあまり興味がなく、自分の世界に没頭したい人間であれば、あまり外見に気を使わないかもしれないし会話を面倒に思うかもしれない。そうした人間は客観的には冴えないように見えるかもしれない。
一方で、Bという人間がいたとして、Bは自分を発信するのが好きで、流行りに乗じ、友達を増やしたがり、テンション高く生きていけるなら、ある程度魅力的に見られやすい。
このときどちらの人間に真に価値があるかは分からない。長く付き合って、友人としてより人生を豊かにしてくれるのはどちらなのか、誰にもわからない。だが、第一印象で判断したとき、おそらく多くの人間がBのほうが魅力的に見えると言うはずだ。Aは第一印象で切り捨てられる可能性が高い。Aが他人とよりよい関係を作るためには、切り捨てられてしまう前に自分から魅力を発信していかなければならない。
話を戻すと、人の魅力を知るのは難しい。人を知るのは難しいことなのだ。
コミュニケーションというのがまず面倒だ。自分のレベルが他人より高いとき、低いとき、どちらも苦労する。合わせればいいと思うかもしれないが、他人に合わせるのはストレスの元だ。やはり自分と同等くらいの人間が一番心地がいい。
だがそれだけでは世界が広がっていかないから、自分と違うレベルの人間と関わっていかなければならない。それが難儀だ。
おそらく難儀だと思うこと自体が冴えないのだ。魅力的な人間はそういうことを面倒だとか思わないんだろう。だから他人の魅力を引き出すことにも長ける。
いや、難儀だな。難しいな。コミュニケーション。
だがその難しさを克服しようとする姿勢こそが魅力につながるのだろう。世界を広げる努力こそが魅力の源なのかもしれない。