9. ファーニャの敵はリロイの味方
リロイは姉から糾弾を受けていた。
「とにかく外見は完璧にリロイの好みなわけでしょ?」
長女エイリンの問いに末弟は黙する。
姉が三人とも実家に集まってお茶をするでもなく、リロイの腕を掴み足を掴み腰を持ち上げ、部屋の一つにきょうだい仲良く閉じこもったわけだ。
「ファーニャちゃんとは毎日話してる?」
次女タルラが腰を屈め、椅子に座ったリロイと目線を合わせる。座ってはいても、自由になるのは顔くらいのものなのでプイと逸らした。手足は縄で縛り付けられていた。
「ガキ、ですわね」
三女のキンジーがぐりぐりと頭頂部を扇でいたぶる。突き刺さる痛みはあれど、リロイは声を上げなかった。口は自由なのにも関わらず。
「淑女の扱いがなってないのよ」
「しつけたのにね」
「ずっと反抗的でしたもの〜」
三人はぎゅっと集まって、ひそひそ話し合った。終わればキランと緑灰色の目を不穏に輝かせる。
「あの日ファーニャちゃんがどれだけ努力していたのか思い知らせてあげてよ」
エイリンが抵抗のできないリロイのシャツのボタンを外していく。その背後でタルラが女性用のコルセットを広げている。
「なにをっ……?!」
ガタタッ、と椅子の上で暴れる。キンジーのスカートが不自然に揺れた。刹那、菱形に開いたリロイの脚の間、座面にヒールが刺さる。
「暴れるんじゃありませんわぁ」
当たりどころが悪かったらーーヒュンッ、と内にある全ての臓腑が縮こまる。紅の乗った唇が弧を描く。
「リロイちゃん。オンナノコのキモチ、教えてあげる」
ゾゾゾっ、鳥肌はつま先から眉毛も残らず逆立った。
この屋敷に普段いないはずの声を聞きつけて、ファーニャは隙間の空いていた部屋の扉を叩き、「どなたかいらっしゃいますか? 入っていいですか?」と声をかけた。
「「「どうぞ〜」」」と返してくる三人娘のほがらかな声はそうそう忘れられるものではない。
「エイリンさま、タルラさま、キンジーさま!」
三姉妹はぱっと振り向き、淑女のお手本となる笑顔を浮かべる。
「あらぁファーニャちゃん」
「少々お待ちになって? いまこの軟弱者に喝を入れているところなの」
「すぐにお茶にしましょうねぇ。十分後には女五人になってるかも」
椅子の背にまわした腕も、足も縄で縛られているリロイは拷問の最中なのかとも思える。猿ぐつわなどはないから、それよりは穏便だろうけれども、平和的話し合いとも言い切れない。
「リロイさまは、なぜ……?」
彼のシャツの前面は開帳されていた。指でなぞりたくなるような鎖骨はもちろん、くっきりと影をつくる胸筋から腹筋まで丸見えになっている。
そしてなぜかタルラが両手にしているあれは女性用コルセットでは。どんな事情があって、この場にコルセットが持ち込まれたのだろうか。
「きみには関係ないっ!」
歪ませた顔が意味するのは、これでもかという屈辱。
「この後に及んで……」
「リロイにそんなことを言う資格はありませんわ」
「女の……いいえぇ、ファーニャちゃんの敵よねぇ」
「姉さんたち、彼女を部屋から出してよ。言う通りにするから」
一組の緑灰色から光が失われる。
たまらずファーニャは腕を伸ばし、リロイに抱きついた。計算違いだったのは、リロイが座っていたためにちょうどファーニャの胸に彼の頭を抱え込む形になってしまったこと。
「なにがなんだかわかりませんが、どうかリロイさまに無体はおやめくださいっ!」
すぅぅぅーー、とリロイはファーニャの腕の中、長いこと鼻で空気を吸って、最終的に呼吸を止めた。
いまファーニャが彼を離したら、エイリン、タルラ、キンジーは彼によからぬことをする。おおかたそれは昔から続いていて、リロイは抵抗する力が弱い。反抗しても心を折られ続けてきた。
「ファーニャちゃん、酷い扱いを受けてまでどうして馬鹿を庇うの」
「リロイは、かわいいファーニャちゃんにプロポーズしておいて責任も取らない男ですわよ」
「同じ女として許せませんの」
ファーニャはイヤイヤをする。
「リロイさまは悪くありません! 最初に騙したのはわたしです。勘違いされるのはわかってたのに、そのままにして婚約を成立させたのは、わたしなんです」
コルセットをつけた姿で、小心でおしとやかな深窓の令嬢だと思わせた。
「でもリロイさまは、わたしにとって……」
ぎゅっと霧雨色の頭を抱え込む。
「わたしが、はじめて自分から好きになった方なんです……」
近寄ってくる男性といえばファーニャの外見だけを見て、「これなら俺にも従えることができる」と決めつけてくる勘違い野郎ばかり。変態の例ではよだれを垂らしながら、ファーニャを舐めたいと発言する男もいた。さらに酷い例は記憶を封印している。もれなく腕力で対応してきたから大した身体的な被害はなかったけれども、それは一転ファーニャを加害者にもしてしまう行為である。悪い噂のもとにもなった。
彼らはふにゃふにゃ薄っぺらい胴体と向こう側が透けるような厚みのない意志でファーニャを守りたいと言いつつ、ファーニャが彼らより元気に山へ登頂を極めたり刃物を回してみせたり獣を仕留めて血に濡れれば目を回しては倒れる。あれだけ注いでいた熱視線を冷まして褒め言葉を取り消して去っていく。
リロイだってファーニャの容姿を第一に気に入ったとしても。
ファーニャが、リロイを好き。
この一点こそが決定的に重要なのだ。
男たちがよく使っていた文句「一目惚れをした」、その状況に自身も陥って理解する。スウィーニー家の屋敷に来て彼をわずかながら知り、もっと恋心は膨張した。婚約を拒絶されても、緑灰色のやわらかい瞳にはファーニャを気持ち悪がるような軽蔑はなかった。失望であっても……戸惑いの優しさがいつまでもあったから。
「お互いをもっと知った上で、真実リロイさまがわたしを嫌いになったのでない限り……わたしは縋っていたいです」
バジンッ、と弾けた。
ファーニャの指よりも太い縄がぶつ切れている。拘束を解いたリロイは手足を横に広げていた。ファーニャの腰を抱いて立ち上がり、駆け出す。顔を胸の谷間に押しつけたまま。
「リロイさまっ?」
部屋を出る前、エイリン、タルラ、キンジーは穏やかな微笑みを浮かべていた。
暴走したリロイはファーニャの部屋を開けて、ボスンとベッドに膝をついた。とうぜんファーニャは彼の脚の間にいることになる。彼の頭にまわしていた腕を離せばシーツの上に寝転がる。
目隠ししたまま特定の部屋のベッドに倒れ込むなど、彼の生まれ育った屋敷のため間取りは全部屋把握していたからこそできる偉業だ。
上にある顔は朱に染まっている。彼は、ファーニャが抱きしめてからというもの、呼吸を放棄していた。
「リロイさま、息……、してます?」
「ーーーーはっ」
たらり、とリロイの鼻から赤い線が下に伸びた。頭に余分な血を上らせてしまったのだろう。鼻血はあごを伝い、ぽつぽつと直下にあったファーニャの服の上に落ちた。雫を受け止め損ねたリロイの手のひらにも血は溜まる。
「わっごめっ……ごめん! ドレスが、ドレスとかがっ」
血を見たファーニャはポケットからハンカチを出し、リロイの手を拭い鼻に押し当てた。
「縄を引きちぎるなんて無理をなさるから!」
魔力で身体強化をしていない生身で、丈夫な縄を茹でた麺のごとく扱った。どこそこの血管が切れていたっておかしくない。
「これはちがっ! ……違うからね!」
ふんがふんがと布越しに話しつつ、紅の耳はいっこうに冷めやらない。下を向いてばかりでは、血は流れるだけなのではないか。違うとかいう話の噛み合わなさよりも、彼の健康状態のほうが心配だ。
「横になりますか?」
ちょうどよくというかなんというか、ベッドの上にいることだし。
「もうすぐ血は止まる、止めるからきみは動かないで」
などと言うものだから、ファーニャは仰向けで視界のほとんどを占めるリロイを眺めるしかない。丸見えの彼の胸筋の厚みとか、おへそが案外まるいなとか、体勢についてなんて考えないことにする。考えてしまえば、ファーニャまで血を噴出しそう。
五分も経っていないようで、一時間くらいそうしていたような。リロイがハンカチを患部から外しても、もう鼻血が垂れることはなかった。
「ごめん……」
赤黒いシミのついたハンカチを握っている。リロイの顔色は落ち着いたようだ。
「血は洗えば落ちます。目眩などはないですか?」
「……ちょっとクラクラしたけど平気になったよ」
それから、とリロイは焦ったように早口になった。
「きみとはちゃんと話をする時間を儲ける」
「えっ」
その宣言はいますべきこと?
「だから、謝罪はまた改めて」
慎重にファーニャの上から退いて脚を閉じる。ベッドを降りて、そそくさと部屋から出てしまった。
謝罪とは、これいかに。
婚約をいやがっていたというのに、何が彼の考えを改めさせたのか、謎だった。
とりあえず、服の血を洗い流さねば。ファーニャはドレスを脱ぎはじめた。
姉「リロイって2歳ごろまでデベソだったのですわ〜」
うちのヒーローにかっこよさは似合わないす(*´-`)ゴメン