8. リロイの心変わり
告白と結婚の申し込みをするだけして、ファーニャは出て行ってしまった。ユーフォロシーは残され、リロイと向かい合っている。
「まぁ、みっともないまでの激情ですこと。……恥ずかしいですわね?」
動物のように直情的で熱烈な求愛行動だった。あんなにたくましく仁王立ちで告白するより、乙女ならば紳士の肩や腕にちょこんと触れて、下から見上げてするものだ。
「私にはとても真似できませんわ」
ねぇ、と話しかけた男は。
「がばび……」
奇妙な呪文を唱えた。自身に呪いでもかけたのか毛穴から熱い煙を吹き出しそうなほど、リロイは皮膚の色を変えている。
ユーフォロシーと目があって、彼は頭を振った。
「ルサック嬢はなぜこちらにいらしたのですか」
「あらだって、かわいい従妹が心配だったのですもの。ファーニャは、お転婆というだけでは片付けられない子でしょう。行動ばかりが得意で、一族の中では飛び道具とも呼ばれてますわ」
かわいそうなことですけれど、とユーフォロシーは眉を寄せる。
女でも狩りをして一人前な慣習のあるキアギークではともかく、他の領地では武器を振り回して野生生物を狩る女は常識として通用しない。その二つ名の由来のとおり、ファーニャはナイフ投げまでも得意だ。
「それでいままで多くの男性とはご縁がなくて……なのに、出会うなりプロポーズされたとあっては、お互い理解が足りているのかしらと気になって、わたしはこちらまで押しかけてしまいましたの」
お互い一目惚れで婚約をしたと叔母からは聞いていたのに、肝心の彼らは幸せとは言い難い。
「そうです……、本質を理解しないまま婚約を申し込んだのは俺のほうです」
これは、自覚あり?
話していると、理性的に見える。その場の勢いで女性の目の前に簡単に膝をつくようには、まるで見えない。
なんなら猫を被ったユーフォロシーはファーニャよりも女性らしく、愛嬌があっておとなしいのだから、リロイの好みに近しい。容姿も似ていることも含めれば、ユーフォロシーにより傾くところだ。ところが彼は理想の女性を目にしても自分を失わずにいる。顔色も平常を取り戻した。
ファーニャに騙されたことを踏まえて、慎重になっているのか。
「見た目は私たち、似ておりますけれど。ファーニャの本質をどう見てらっしゃいますか?」
「それは、がばび……」
「がばび?」
再度謎の呪文を復唱すると、リロイは咳払いをした。今度は何の効能もない。
「ルサック嬢も狩りがお得意ですか」
狩り? 狩りをがばびと言い間違えたの。
「とんでもございません。そのような恐ろしいこと」
ファーニャとユーフォロシーの違いは狩りをするかしないかだけではないけれど。
しかしあの告白を聞いてもユーフォロシーに乗り換えるような男は願い下げなので馬に縛ってでもファーニャを回収して帰るくらいはしてもいい。
その前にリロイは婚約をどうしたいのか、確かめたいところだけれど。
「スウィーニーさま、袖を見せてくださいませんか?」
袖? と言いつつも、リロイは腕を伸ばした。飾りも何もない両袖にユーフォロシーは目を細める。
「もう結構です。……わかりましたわ、そうなのですね」
気落ちした声音を出すと、リロイは簡単に引っかかった。
「なにか?」
「ファーニャからのプレゼントはお気に召しませんでしたの?」
彼女は好きな人にカフリンクスをあげたと教えてくれた。それが思い人は身につけていないともなれば行方が気になるところ。
「まさか、処分してらっしゃったりなど……」
「捨てたりなんかしてない! ……失礼」
「お手元にあるのならよろしいのです。ファーニャは受け取ってもらえただけで嬉しいと言っておりましたから」
「……他の男と作ったものでも、……捨てるほど俺は人でなしではありませんので」
あら。あらららら? これは、俗にいう嫉妬では。想像以上に、リロイの関心はファーニャに向いているのかもしれない。
「ファーニャから贈られた品、見せていただけませんか?」
「かまいませんが……」
執務室に連れて来られて、ユーフォロシーの目に飛び込んできたのは他の文房具とは雰囲気の違う文鎮だった。硬く冷たい印象の品々の間に、異質な丸くあたたかい薄茶色がある。
「ふふっ」
急に笑ったユーフォロシーを、リロイは胡乱にしている。
「……面白いものがありましたか?」
「ええ。このギョツリソウの入った文鎮、ブムルーの蜜でしょう?」
「はい。彼女が『文鎮にでも使ってくれ』と。あとはこれです」
彼が引き出しから出した箱には、ブムルーの葉が入ったカフリンクスが収められていた。
「ファーニャったら叔父さまに倣ったのですね」
「ヒレヴィック伯爵の真似ごとを?」
「叔父さまは求婚の品を、ブムルーの蜜と自身の魔力から作ったのですって。叔母さまがずっとブローチにして大切になさってますわ。ご覧になりまして?」
五秒ほど考え込んで、リロイは眉を上げた。
「……覚えが、あります」
お見合いの日にも、ヒレヴィック伯爵夫妻はお揃いのアクセサリーを身につけていた。叔父のカフリンクスは見ようと意識しなければ見辛かったかもしれないが、叔母のブローチはいつでも胸元で堂々と目を引く。
「こちらをファーニャが作ったとき、コールという男性職人が来たのでしょう。彼は故郷に妻子がおりますわよ」
「はっ……?」
目を点にするところから、リロイは本気で勘付いていなかったらしい。
「公私ともに結婚指輪は外さない方ですけれど」
「……握手した右手しか見てなかった、ので。両手にジャラジャラ着けていたし」
では挨拶して以降、男同士では踏み込む話をしなかったのだろう。しかしファーニャは親しげに平民の男を呼び捨てにするし、コールも彼女に対する礼儀などは免除されているから、あらぬ誤解を生んでしまった。
「見せてくださり感謝しますわ。ファーニャの様子が気になりますので、失礼いたします」
「ああ……」
リロイはじっと、小箱に魅入られていた。
部屋に戻ったファーニャは一人掛けの椅子に横を向いて座っていた。肘掛けに両足をひっかけ、背もたれに頬をつける。行儀が悪くても、狭いところに収まりたくてこうなった。クローゼットの中でさえ広いのだからなんとなく窮屈さを求めた結果が一人掛けの椅子。茫然自失として、荷物をまとめるべきだとわかっているのに、体は動かない。
リロイへの贈り物、文鎮のギョツリソウは釣り糸に絡む魚の形をしていることから「あなたについていきます」、カフリンクスのブムルーの葉は輝く光を模した形をしていることから「大切な思い出」という意味がある。花言葉なんて彼が知らなくとも渡したのは自己満足だ。リロイに寄り添って生きていたかった。大切な思い出をリロイと重ねていきたかった。
従姉の目の前で、リロイに勢いで求婚を口にするなんて失敗した。返事もなく目を逸らされたということは、お断りなのだろう。
ユーフォロシーがそばにいたから。癒し系でかよわい、リロイの理想の女の子が目の前にいれば心変わりもする。いや、リロイはファーニャに気持ちがなかった、あっても一日で消えたのだから心変わりでもない。彼はまっとうに恋をしたのだ。怖くて彼を直視することができず、逃げてきてしまった。
「ファーニャ、私よ。ここにいるの?」
「ユーフォロシー? うん……」
入るわよ、と従姉はファーニャの姿を見てから嘆息した。何か言われる前に、自分から聞き出すほうがまし。
「お話はまとまったの?」
「なんのこと? さっきまでファーニャがあげたっていう文鎮とカフリンクスを見せてもらってたわ」
つん、と額をつつかれて上を向く。ユーフォロシーは少々厳しいものを浮かべていた。
「あと、コールのことしっかり紹介したの?」
なぜいまさらコールの話をされているのだろう。文鎮とカフリンクスを作る手伝いをしてもらったから?
「したよ。子爵家の出です、って身元は保証した」
「奥さまとお子さまがいることは?」
「え? 言ってない、けど、結婚指輪してるじゃない」
存在感のある……いや、コールは指輪をたくさん着けていたからそれらに埋もれてしまっていた?それ以前にリロイはどんな人物がファーニャの近くにいるかなど気にするだろうか。
しないだろう。
「そんなことより、ユーフォロシーの馬車を貸してくれる?」
「どこに行くっていうの?」
「ヒレヴィックの家だよ」
彼女は怪訝にした。
「あんたに貸して、私にどうやって帰れっていうの」
「ユーフォロシーはここに残るんだからいいじゃない」
従姉は目を瞠って、眉を歪めた。
「帰るわよ。なに馬鹿なこと言ってるの」
「だって……リロイさまは……」
「意味不明だわ。婚約を交わしたのはあんたでしょ。それでどうしてあんたが帰って私が残るという話になるの」
「わたしよりも、ユーフォロシーのほうが……」
「ごちゃごちゃうるさいわね。明日の朝、誰かに帰れって言われたら一緒に連れて帰ってあげるわ。それでどう?」
「うん……」
ひとまず了解しておいた。時間をずらしたって、結果は同じなのに。
寝るまでに荷造りの準備をしなければと手伝いを頼んだのだけれど、ユーフォロシーは見向きもしない。その代わり、奥さまに事情を説明した上で、小さいころお泊まりしたときのように一緒のベッドで寝てくれた。
朝食の席には、リロイが先に着いていた。
胸がきゅうと苦しくなり、口がすぼまる。
ファーニャが現れたことでリロイは、はっ、と短く息をついて、目尻を赤くしていた。
彼が視線を外した先、ファーニャの隣にはユーフォロシーが立っている。
「おはよう」
リロイがユーフォロシーに挨拶した。返事をしないので早く返さないのかと彼女を見るも、ファーニャを軽く睨んでくる。
「おはよう」
もう一度、リロイからの挨拶の声。ユーフォロシーは無視している。彼女からの肘鉄を食らって、視界が揺れた。
緑灰色はファーニャに注がれている。
「……よう、ございます」
情けない発音にもリロイは頷いて、次にユーフォロシーと挨拶を交わしてから朝食の席に着いた。
会話はなかった。
出ていけとも、婚約はなしだとも。
なので、無情にもユーフォロシーはファーニャを置いて故郷に帰った。
いや、リロイはファーニャの名前呼べよって話なんですけどね。
ぺにょぺにょのへたれなので。