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4. 積み重なる恋心

「……起きられる?」


 声は脳内に響いた。


 霧の中に緑灰色(セージ・グリーン)が漂う。早朝の森に、雨雲色(フォグ・グレイ)の髪はしっとりしている。


「リロイさま……」


 倒れていたファーニャの無事を知って、どことなく安堵しているような、かつ不愉快なような。


 ーーリロイがいる?! わたしを迎えに来てくれた?

   好き。あっ違う。申し訳ない。


 信じがたいけれど、生きたリロイがここにいる。


「何してたの、森の中で。……これは?」


 彼はファーニャの手にーー正確には手の中にあった茶色のかたまりに触れようとした。開きかけていた手のひらをぎゅっと閉じる。これは未完成で、見られてはいけないもの。とくにリロイには。


 起き上がって、地面に座る。


「野営していたふうには見えない。道も作ってたから迷った感じでもない。まさかブムルーの蜜を採ってただけとは言わないよね?」


 煮詰めてシロップにしたものは、貯蔵庫にたくさんあると伯爵が言っていた。使いたいだけ持って行け、とも。だからファーニャは甘味に飢えていたわけではない。


「すみません」


「言えないって? 何がしたいの、きみは」


 はぁ、とため息が重い。


「昨夜戻ってこないものだから父と母が大騒ぎだ。俺がきみについて行かなかったからだ、って」


「そんなことあるはずありません!」


 力強い否定に、リロイは気圧されたように一瞬動きを止めた。


「当たり前だよ。俺はきみが山にいることも知らなかった。でもきみは仮とはいえスウィーニー家での預かりとなっている」


 まだ、結婚はしていない。まだ、婚約も不安定。とはいえ約束はかろうじて有効。そんな中で、もしファーニャが事故に遭ったとしたら。


「ご迷惑を……おかけしました」


「ほんとうに。俺の責任じゃないことで責められるのはたまったもんじゃない」


 うなだれて、謝罪を繰り返す。

 いやいやでもリロイが迎えに来てくれたのに、何も打ち明けられないことが心苦しい。


 でも、苛立っているだろうに、怒鳴ってこないところが、好き。懲りずに甘酸っぱい感情は湧き上がる。


「こんなとこでぐちぐち言っても仕方ないから、屋敷に帰るよ。父と母にはきみから説明して」


「はい、きちんとお話します」


 目を斜め上に向けて、リロイは訊く。


「怪我は。歩けるの?」


「問題ないです」


 元気だと見せつけるように腕を回す。

 体の心配はしてくれるのか。もし負傷していたら背負ったりしなくてはいけなくて、場合によっては屋敷から人を呼んでくることになるから、その確認かも。


 花束に使われていた包装やリボンを折りたたんで、食料や水を入れていた袋に押し込む。花の残骸である葉っぱや茎は土に還るから放ってもいいだろう。リロイが頭部を引きちぎられたそれらを見てどう思うのか、彼は語らない。あまりファーニャのすることに関わりたくないといった雰囲気だ。


 枝にかけていたエケックを回収すると、リロイが「またきみは……」と言いかけたが、止めた。


 歩きながら、いやなことに気づいてしまった。


 リロイは、スウィーニー家に到着した次の日から、ファーニャのことを名前で呼んでいない。ずっと「きみ」で通している。ファーニャがリロイのことを名前で呼ぶことは咎められていないけれど、拒否されているように感じてしまう。


 彼なりの、ファーニャを受け入れられないという意思表示だ。


 彼の両親に探すよう強制されたから、ファーニャを山に置き去りにすることはないけれど。気まずい空気を早く終わらせたい。だが道が悪いことも加わり、のろのろと屋敷へ進んでいる。


 太陽は登って霧は晴れたけれど、二人の間には見えないもやもやが漂っている。


 ーー背後に、何か来る。


 勘だった。

 腰を捻って、目の前にいたリロイに体当たりするように飛びつく。彼は一歩を大きく踏み出しただけで、持ち直した。倒すつもりでぶつかったのに体幹が強い。


 風を切る音が頭上を掠った。


「っ?!」


 お団子にしていた髪を強く引っ張られて、ファーニャは振り回された。一瞬つま先が浮いて、ブチブチと聞こえる。思いきり近くの木にぶつかり、解けた髪が視界を遮った。


「エルカアバドか!」


 羽を広げた全長は二メートル。太い鉤爪は男の握り拳を覆って余りあるほどの大きさをしている。服を着ていようが、皮膚のやわい人肉など簡単に抉り取る。掴まれたのが髪でよかった。鳥は上へ飛び上がり体勢を整えた。森の暗殺者であるエルカアバドは、極力羽音を起こさずに飛行できる。


 二回目の攻撃のために滑空している大鳥は、ファーニャがめまいを抑えて逃げるより速い。


「狙いはエケックだ!」


 いまもファーニャが背中に抱えている。


「あ……」


 短剣を。

 突然視界が暗くなった。

 左耳から右耳まで届く手が頭に被さっている。顔が押し付けられているのは、リロイの胸元だ。ふわりと彼の魔力に包まれる。あたたかい。


 ヒュン、ドスッ……と、重い刃物が振り回される音がした。後頭部にあった圧迫感が消えて、ファーニャが解放されたとき、地面に這いつくばるエルカアバドは頭が遠くに落ちて腹から下が真っ二つに裂けていた。


 それよりもリロイは木の根辺りに目を落としている。金髪の房(バニラ・ブロンド)が落ちて散らばっていた。太陽光も通さない木陰にそこだけ、ファーニャの落とした陽だまりができている。リロイは長剣を仕舞うのも忘れて呆然としていた。


「ごめん。髪が……」


 なぜか襲われたファーニャはけろりとしていて、リロイのほうが青ざめている。手で梳くと、腰まで伸ばしていた髪の一部が肩甲骨まで短くなっていた。毛先は(ちぢ)れている。痛んだ毛先を揃えて切らなければいけないけれど、肩まであれば髪を編むにもまとめるにもじゅうぶんだ。さすがに全部持っていかれて禿げるのは困るけれど、これはちょっとタイミングの悪い散髪だったというだけ。


「いえ、これくらいなんともないです。助けてくださってありがとうございます」


 エルカアバドの脚をまとめて掴んだ。


「クッション一個作れるかな」


 などと羽毛量を計算してみる。


「……ほんとに髪のこと気にしてないの?」


「はい。どうせ伸びますし。切ったのはエルカアバドなのに、リロイさまが謝ることありません」


「そう……そうだけど。というかさっき俺を庇わなかった?」


 これは否定しておいた。危険を察知して庇おうとはしたものの、逆に彼に助けられたのでは格好がつかない。

 ん? あれ、むしろ「助けて」って縋ったほうが印象がよかった……のでは。一般の女の子ってそうかもしれない。


 いやいや、再会時に狩ったグナタッドをお土産にしたのだし、ファーニャの野蛮性を誤魔化したとて気持ち悪いだけだ。諦めよう。


 リロイは考え込んでいる。一晩を山で明かしたファーニャよりも、いまのリロイのほうが具合が悪そうだ。


「早く帰りましょう」


「…………歩けるのなら」


 ずいっと出されたリロイの片手。考えるよりも先にファーニャは「お手」をしていた。繋がれた部分から伝ってきたやわらかいスカーフのような魔力に包まれる。


 怒ってはいない? 怪我や面倒を避けるため?

 彼の行動の意味がファーニャのためでなくとも、ファーニャの心拍数を上げる原因にはなる。


 その後リロイの周囲への警戒は増して、下山するまで剣を納めなかった。猛禽類の餌にもなるエケックを持ち歩いて完全に注意を怠っていたのはファーニャだし、エルカアバドは無音無気配(ステルス)だからリロイが気付けずとも無理はない。


 屋敷に戻れば、夫妻も山周辺や街中まで捜索に出ていたそうで留守だった。使用人が呼び戻してくれた。夫妻は心配したと連呼して帰宅を喜んだ。その横で、


「俺が処理しとく」


 と、リロイはエケックとエルカアバドを引き取って行った。


 ファーニャも髪を切りそろえて風呂に入らないといけない。話は後でとお願いして、部屋に戻った。

 エルカアバドの鉤爪は耳上部を引っ掻いていたらしい。湯浴みをしていて耳に沁みたことで気づいた。これは髪を下ろしていれば隠せる。




 材料の提供者なので、夫妻には計画を包み隠さず話した。リロイの遅い誕生日プレゼントを手作りしたくて、ブムルーの蜜が必要だったこと。夢中になりすぎて時間を忘れていたこと。正直危ないことはあったけれども、ファーニャの不注意のせいであり、リロイは守ってくれたので彼には怒らないでほしい、と。


 聞いている間、二人はファーニャの肩の上で切り揃えられた髪を何度も見ては噛み砕けない豆でも食んでいるような様子だったが、ファーニャがいなくなることこそを懸念していたので戻ってきてくれて嬉しいと告げた。


 話し終わってやっと、胃の存在を思い出した。早い昼といった時間だったけれども食事を取って、眠気に任せるままベッドに入る。




 リロイは、立派だ。嫌いな人間のことも危険があれば守ってくれるのだから。ファーニャなどは攻撃力を上げることばかりを考えてしまいがちだが、リロイは基礎能力が高くて魔力に頼らずとも強い。他人を守るために魔力を使えるのだ。


 彼の温もりを忘れるには、どうすればいいのだろう。お風呂のお湯にも負けない、ふかふかベッドでも上書きされない温もりはいつまでも後を引いている。強引に腕の中に引き込まれたことも、男性に守護の魔力で包まれたことも、はじめてだった。


 あれが守られる、ということ。胸の奥にほわんと火が灯った感覚がした。これは病みつきになる。


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