3. 山籠り
到着した馬車から荷物を運び出し、ファーニャは客室に落ち着いた。自分のことは自分でできるからと侍女も連れてこなかったため身軽だ。コルセットを締められるのがいやだったから、という理由もあったが、リロイの前では着けていたほうがよかったかもしれない。でもあれだとまともな生活を送れないからいやだ。
嫁姑問題はなさそうなのは安心だが、それよりももっと悪い状況にある。よりにもよって、嫁ぐ夫に嫌われてしまった、ようなのだから。
晩餐用のドレスに着替えながら、背筋だけは伸ばした。
「お部屋に足りないものがあったらなんでもおっしゃってね」
「ありがとうございます」
「屋敷の中も外も好きなように歩いてくれて構わないから」
「嬉しいです。ゆっくり見させてもらいます」
食卓では、スウィーニー夫妻とファーニャばかりが話していた。リロイは黙々とナイフとフォークを動かしている。
なんとかして声をかけねば。
「リロイさまは、先日お誕生日だったのですよね」
お見合いより前の日付けだった。リロイはうっそりと頷く。
「過ぎてしまいましたが、お祝いに欲しいものはありますか?」
「……いらない」
「では、来年は何か考えますね! お好きなお花はありますか?」
「とくには」
夫妻が見守ってくれているが、リロイの拒絶に近い態度は崩れない。質問を無視するほど大人気なくはないけれども、目は合わせてくれないし、一言を引き出すのがやっと。短い返事も曖昧な回答や否定ばかり。それでも返答があるだけで、声を直接聞けるだけで、ファーニャの表情は勝手にゆるむ。
そのうちファーニャの質問責めに嫌気が差したのか、デザートも食べずに部屋に引っ込んでしまった。
「ごめんなさいね、ファーニャさん」
首を横にして、再びファーニャは夫妻との会話に戻った。
「キアギークではブムルーの蜜が特産品でしたよね。少し分けていただいてもいいですか?」
「それならいくらでも。貯蔵庫にもたくさんあるからね」
「在庫にご迷惑はかけません。木から直接採りたいんです。近くにブムルーが生えているところってありますか?」
「それなら、ここから北の山に天然のものが生えている」
「我が家の私有地だから入るのはかまわないけれど野生の獣も多いわよ」
「ご心配なく。わたし、スコグヌくらいなら仕留められますから」
想像上のナイフをスッと振るう動作をすると、夫婦は顔を見合わせていた。
スコグヌというのは、ファーニャの縦に二倍、横に三倍はある雑食の大型猛獣で、肉や内蔵は珍味だが毛皮製品としては高級として扱われる。
「明日北の山に行ってきます」
「なら、リロイに案内をーー」
「いいえ、彼には秘密にしてください。ちょっと考えがあるんです」
朝食の時間はずらされたのか、リロイにおはようを言うことはできなかった。山登りのために丈夫な服に着替え、携帯食料と水も用意する。髪をお団子にまとめ終われば出発した。
北の山に道というものはなく、帰りの道標に草を倒しておいた。森の管理のためか安全な道には木に赤いリボンが結んであったので、できるだけ赤色に沿って進んでいく。
ファーニャも見慣れたブムルーの木は三本ほどあったが、密集してはなかった。私有地だと言っていたし、蜜を作る農園は別にあるのだろう。
ブムルーの幹をざっくりナイフで横に切りつけ、細い筒を刺した。滲み出てきた蜜を引っ掛けた容器に溜めるため放置しておく。茶色がかってはいるが、ほとんど透明の液が流れ出てきた。
今日できるのはここまで。
ファーニャには作りたいものがあった。蜜はひとつめの材料でしかない。来た道を戻りながら、適当に草を刈って道を作っていく。
夕食の席にリロイがいてほっとした。
「外に出てたって? おとなしくするんじゃなかったの」
あちらから話しかけられて、ドキリとする。
「狩りをしていたわけではないです」
「自分がこれから住む土地を知ろうとするのは不思議でもなんでもないだろう」
息子よりもファーニャに加担するディエゴがそう言ってくれて、リロイは黙り込んだ。昨日はうるさくしすぎたかもしれない、とファーニャから話しかけることは控えた。リロイはときおり視線をくれるが、やはり目を合わせてはくれない。
翌日ファーニャは街の花屋を探した。
ぼちぼち開き始めた種々の店から、いろんな匂いがする。目立つのは飲食店だが、煮物の香りがする食堂の隣のパン屋では小麦粉の焼ける香ばしい香りがして、天板の上で生地から溶け出したバターが泡立つ様子まで想像力を掻き立てられた。
この地にはいいお店がたくさんある。できるならばリロイに案内してもらいたかったけれど。そうなる未来のために、いま動いているのだから、と鼓舞する。
服飾店を過ぎて花屋の看板が見えた。
リロイの誕生月の花はピンクのアスローブ。アスローブは総じて愛の象徴だが、色によって微妙に意味を変える。基本的にひだのある花びらが幾重にも重なっていて、上品さやしとやかさの代名詞だ。ファーニャからは一番縁遠い。
「贈り物ですか?」
エプロンをつけた店員がにこやかに尋ねた。
「ええと……ちょっと自分で加工してからですが、最終的には相手に渡せればと思っています」
ぽぽっと頬に熱を感じながら手にしていた花の茎を撫でる。
「では、蕾よりは満開のものがよろしいですか?」
「そうですね、ちょうど開いたものがあるといいのですが」
「満開になって裏に引き上げたものを持ってきますね」
バケツを抱えて戻ってきた店員とあれでもないこれでもないと言い合う。
「羨ましいですね。あなたから花をもらえるお相手は」
どうだろう。リロイは喜んで……くれそうにない。でも、ファーニャの想いを伝えたいからやっていることで、報われるなどと期待してはいけない。
失敗を考えて、多めに買った。その他の種類の花をまとめたら、サービスで花束にしてくれた。これをそのままリロイに渡すわけではないが、どれかひとつでも気に入ってもらえればいいな、と両手に抱える。
「その花たちがあなたの力になりますように」
とまで言われれば、笑顔になれた。
花束を抱えて山登りをする。ある程度道を作っていたので、昨日よりも早く目的地に着けた。
「お食事中にごめんね。わたしに分けてちょうだい」
ブムルーに下げた容器の中、蜜に群がっている虫たちをどける。
アスローブの開きかけの蕾をちぎって手のひらに乗せる。木の幹に下げている容器から蜜を掬って、蕾の上から垂らした。魔力を混ぜ込みながら蜜を凝縮させていく。魔力を使った物質硬化の応用だ。蕾はぐんと縮み、それを内包する人工の琥珀は直径三センチほどの球形になった。
他にも製造方法は製作者の個性によりけりだけれど、これもいわゆる魔石だ。試作品第一弾は花が下方に偏りすぎてしまった。歪みは加工して形を整えるにしても、バランスが悪い。琥珀色の玉ができた端から落としこむのでポケットはだんだんと膨らんでいった。ブムルーの葉は六つの頂点を持つ星の形で、寒くなると鮮やかな赤に染まる。デザインとしても見映えがいい。そうして花も葉っぱも魔石の一部になっていった。
草が揺れる。
とっさに短剣を構えると、獣がいた。人間の一歳児と等しい体格だが、牙は長く鋭い。エケック、全体が細長い印象の犬っぽい動物で、黄金色の毛並みをしている。裁縫して防寒の首巻きにしもいいし、広げてラグにもなる。
二匹は威嚇態勢にあった。尻尾の先が黒いのと白いので対になっている。
何もしてこないなら見逃すけれど、あちらはそうでもないみたい。
短剣に魔力をまとわせ、尖らせていく。魔力はもっぱら攻撃にしか使わない。守備と攻撃両方を使いこなす器用さはなく、守ることを捨て攻撃特化に鍛えてきた。その分、戦闘能力は高いと自負している。
「これもお土産になるかな?」
エケックの肉も毛皮も珍しくもなく、どちらにしろリロイは喜んでくれないだろうけれど。知ろうとして訊いても、彼は教えてくれない。何が好きなのか、何を望むのか、知らないまま結婚をしたいと望んだのはファーニャだ。
木の枝から二匹のエケックをぶら下げたのは血抜きをするため。ブムルーの木の下に腰を下ろして、ファーニャは魔石づくりの作業に戻った。
ポケットには各種の花の玉が揃ってきている。出来の精査はあとでするとして、いまは作れるだけ大量生産して技術も磨く。ちょっとずつ、思い通りに作れるようになってきたところだ。
ホーホーと夜鳥の声がして、空を見上げる。
いつの間にか星が出ていた。
「帰らなきゃ……、」
立ちあがろうとして、尻餅をつく。
魔石を作り続けて魔力が底をついた。どっと襲ってくる疲労感に負けて、ファーニャは横たわる。仮眠をとって、魔力が回復したら帰ろう。いまのままでは下山は難しい。
目を閉じれば、色とりどりの花に囲まれたリロイの横顔が浮かんだ。ファーニャが悩みながら選んだ花々は、まとまりがなくとも、すべてに共通した想いがこもっている。
どれが似合うかな。
横顔はセピア色に溶けていく。
木や花の名前などは架空のものです。