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2. ファーニャが参りました!

 ファーニャが目を覚ましたときには、すでにリロイは帰ってしまっていた。


 興奮と酸欠で失神するなんて、生まれて初めての経験だった。うっとりする声でのプロポーズだったのに、もったいない。


 結婚式は後にするにしろ、すぐにでも我が家へ迎え入れたい旨の書状を受け取って、ヒレヴィック伯爵は二つ返事を返した。


「婚約してしまえばこっちのものだからな」


 どちらかといえば悪役の台詞だろう。ニヤぁと父の顔が歪む。破棄や解消は簡単にはできない。


 善良で民にも優しいのに、どうして娘が絡めば底意地が悪くなってしまうのだろう。令嬢らしくない娘のせいか。





 約束の日、ファーニャは荷物を乗せた馬車を置き去りに、一人で馬を走らせた。早くリロイに再会したくて待ちきれない。勇みすぎて途中で見かけたグナタッドを三匹ほど狩ってしまった。耳が細長い草食動物で、食用になる。


 畑を過ぎて山を越えて街を通り抜けて。

 領地グルーダよりはるか離れてここはキアギーク、スウィーニー伯爵が治める領地へやってきた。

 屋敷の前に、門番に挟まれるように男がひとり立っている。霧の色をした髪(フォグ・グレイ)はさらりとして、緑灰色の瞳(セージ・グリーン)は穏やかにこちらに向き合う。武装はせずとも兵士に負けず劣らずの体格のリロイだ。


 乗っていた馬の速度を落とす。ファーニャは鞍に仁王立ちになり、リロイ目掛けてぴょんと飛び降りた。


「リロイさま! ファーニャが参りました!」


 彼は目をこれでもかと開いていた。抱きしめはしてくれなかったけれど、受け止めてくれた。


「ファーニャ、嬢……?」


 覚えているお声より若干高い。


「はい!」


「実は双子がいたり?」


 なんでか隠し子を疑われている?


「ヒレヴィック家に娘は一人です。あとは兄が」


「俺がお見合いした、ファーニャ嬢ですか?」


「もちろんです」


 リロイが右に首を傾げれば、ファーニャは左に首を傾げた。彼が待っていてくれていたのは、自分で間違いないはずだけれど。一旦地面に足をつけ、トトト、と後ろに下がる。

 ドレスではないので、腰を折って挨拶し直した。


「ファーニャ・ヒレヴィックです! よろしくお願いします」


 止まった馬の鞍にくくりつけたグナタッドの長い耳を鷲掴み、捧げるように持ち上げる。


「これ、途中で見つけました。よかったら……」


 キアギークでは狩猟も盛んだというから、好き嫌いの分かれにくいものを選んだつもりだ。けれど、その目に浮かぶのは、……?


 困惑したリロイは、お土産を受け取るどころか額やら頬やらうなじやらを触っている。


「いやだって、姿勢も歩き方も話し方さえ違う……」


「はい。あのときは、コルセットがきつくって」


「コルセットでああなってたの……? はきはきして、馬から飛び降りるようなきみのほうが本性……?」


「はい、狩りもできます」


「狩りって。まさかとは思ったけどそのグナタッドはきみが狩ったの……」


 ブォン! と頭を下げたーーのではなく、霧雨色の頭(フォグ・グレイ)を抱えた。


「深窓の令嬢って聞いていたのに。……詐欺だ……」


 人付き合いが狭いという点では深窓の令嬢と言えなくもない。それでも何か行き違いがある。


 詐欺ーーという単語が、ずぶりと心にのめり込んだ。


 立ち上がったリロイが屋敷の中へ入っていくので、戸惑いつつも後に続く。玄関ではスウィーニー夫妻がいた。


「父さんと母さんは知ってたの!」


 問われた二人は息子よりもファーニャに関心を向けた。


「おお、嫁が来たな」


「いらっしゃい、よく来てくれたわね」


「こんにちは、スウィーニー伯爵さま、奥さま。ファーニャ・ヒレヴィックです。あの、こちら、お嫌いでなければ……」


 獲物を手渡す。

 これからお世話になります、も言いたかったけれどリロイの様子がおかしいので付け足せずにいる。彼のご両親からは歓迎されている雰囲気を感じたものの。


「おやおや丸々としたグナタッドだ」


 この反応でいくと、喜ばれるもので合っていたらしい。


「お土産なんて気を遣わなくていいのに。でもありがとう」


 おい、と息子に剣呑な圧を投げつけられて、伯爵は怪訝にする。


「で、何を知ってるとか知らないとかだったか?」


「この……、ファーニャ嬢の性格のことだよ」


「そりゃ、親同士でしっかり綿密に話し合ったからな。結婚は一大事だ。いい娘が見つかってよかったじゃないか」


「はぁ?!」


 彼の癪に触っているのは、親同士での情報交換なのか、それともファーニャをいい娘だと父親に言われたことか。怖い。確認できるほど図太くはなかった。


 夫人は息子を哀れみながらも、はっきりと指摘する。


「言っておくけど、リロイは女性に夢を見過ぎなのよ。お姉ちゃんたちがいるのにねぇ」


「その姉たちと一緒に育ったせいで! 嫁にするならおしとやかでおっとりしててかよわ〜い、かわいい子がいいって頼んたんだよ」


 彼のお姉さん方にはお会いしてないのでともかく。それはそれは、違う娘が来てしまった。

 伯爵はこめかみあたりのツボを押している。


「お前ほんとにそんな軟弱娘がうちの領でやっていけると思ってるのか」


「俺が守る予定だったの!」


 ええとこれは。

 婚約届とともにもらった説明では、キアギーク領は凶暴な野生生物もわんさかのさばっている土地ということだった。ファーニャは魔力も多く戦う術は身につけているため、大型獣なんかはものともしない。逆にそれが祟って都会では縁談が来なかった。


 騙してしまった……、ことになる。


 顔合わせではコルセットで意識を飛ばしそうになっていたファーニャを、まるっと中身まで見た目通りと信じて気に入っていてくれたのなら、今日やってきた女はとんだ期待はずれだ。


 ここに来るときには浮かれすぎて、二回目の対面であちらからどのような印象を持たれるかなどという気がかりはポポンとお空の彼方。


 それ以前に、見た目と中身の乖離っぷりはさんざん周囲に指摘されてきたために自覚はある。わざと騙そうとしたつもりはなかったけれど、リロイは事前にファーニャの正しい性格について何も知らされていなかったことがいまの会話で露呈した。ヒレヴィック夫妻が把握していようとも、肝心のリロイまで伝わっていなかった。


 思うように動けず、会話もままならなかったファーニャしか見ていないのならーーそれは勘違いする。


「俺が悪いの!? 結婚するのは俺だよ! 好みの子と結婚したい」


 婚約破棄、の四文字が目の裏にちかちか点滅した。好み、そうかコルセットのないファーニャは彼の好みから外れてしまったのか。


 もう、ファーニャはリロイに恋をしてしまったというのに。


「リロイさま、ごめんなさい」


 名前を呼べば彼は振り返る。瞳がファーニャを見るなり逸らされた。目が合った時間が短すぎてそこにある感情は掴みきれなかった。


「でも、どうかわたしをお嫁さんにしてください」


「うぐぅぅぅ……がばびび……」


 口をへの字に曲げて、顔を赤くしている。不思議な呪文は解読できないが、彼は怒ったのだ。


「おしとやかは難しいですけど、できる限りおとなしくします。か弱くはない代わりに病気とかはしません。かわいいかは、主観によるのでわかりません。化粧とかで、リロイさまのご希望に沿う努力をします」


「なんて健気なの、ファーニャさん……」


 奥さまはハンカチを取り出している。そそっと近づきファーニャを抱きしめ、寄る辺となった。

 リロイ、とスウィーニー伯爵が厳しい声を出した。


「出会って一時間でプロポーズまでしたのはお前だぞ」


 よく性格を知りもしない相手に惚れ込んで結婚を申し込んだ。婚約の前にデートを重ねることも、手紙のやりとりをする選択肢もあったのに、リロイはそれらをすっ飛ばした。ファーニャはそれでも構わなかった。


 好きだから。見た目もだし、やさしい人だと思ったのだ。あの霧中の森のような瞳で微笑まれたときに、恋に落ちた。


「ぬぬぬぅ……」


 苦悩している。やがて背中を丸めて結論を出した。


「婚約はしてしまったし、今日追い返すことはしない。ただし俺が無理だと思ったらその時点で婚約はなかったことにする」


 ひとまず、首は繋がったと見ていい、ような。


「それは勝手が過ぎるでしょう」


 婦人が嗜めたが、ファーニャはそれでいいと言った。


「これからお世話になります」


「大丈夫ですよ、この義母(はは)がついてますからね」


義父(ちち)もいるぞ」


「ありがとうございます。でも、リロイさまに認めていただけてませんので、アクサーナさま、ディエゴさまとお呼びしてもいいですか?」


「お義母(かあ)さんと呼ばれたかったわ……」


「お義父(とう)さんと呼ばれたかったな……」


 彼らの娘たちは全員嫁に出たらしく、でかい息子一人はむさ苦しく寂しいと語った。


 夫婦のあたたかい迎え入れに、ファーニャはせいいっぱい笑顔を作る。


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