食事を取って
「お嬢様! 体調はいかがですか? ケメナーテに移動が難しいのであれば……」
「……大丈夫よ、タトマ」
――ああ、よく寝た。
ベッドから起き上がった私は侍女の手を借りて、身支度を整え始める。
エルミーヌ・テルセートのチャームポイントは二つ縛りにしたドリルツインテールだけれど、あの髪型は頭が重くて仕方ない。
これからは髪を巻く程度に留めようと決め、彼女に指示を出す。
「髪は整えないで」
「よろしいのですか?」
「ええ。この方が楽だから。移動する」
「お、お嬢様!? ご案内を……!」
「……問題ない。取り戻したから」
言葉足らずな説明に不思議そうな顔をするタトマを置き去りにして、自室を出た。
馴れた手つきで2階に繋がる隠し扉を出現させれば、床のタイルを一部ズラすことで小さな隙間が現れる。
私はそこに身体を滑り込ませ、一つ下の階へ降り立つ。
「お嬢様……!」
「先に行ってる」
今度は右側の壁に隠された小さな穴を見つけて、勢いよく足を突っ込んだ。
その後、ベルクフリートの2階から飛び降りた。
「……っ!」
思ったよりも高さがある。
魔法で勢いを殺していなければ、身体を打ちつけて死んでいたかもしれない。
今のは少しだけ、肝が冷えた。
ドキドキと高鳴る心臓を抑えながら、記憶を頼りに母屋に向けて大地を踏みしめる。
エルミーヌとしては見慣れている領地の風景は、瀬戸留美にとって新鮮味を感じる光景なのよね。
うず高く同じくらいの大きさの石を積み、モルタルで接着された城壁と塔には、石灰石で作られたセメントを塗って見栄えをよくしている。
その横には木製の枠組みに石や粘土、藁などを混ぜ合わせて作られたものを壁に塗った、ハーフティンバー様式で作られた家々が立ち並ぶ。
茶色で統一された瓦屋根がより一層、異国情緒感を醸し出している。
まるでテーマパークに遊びに来ているかのような光景を物珍しそうに見つめながらこれからこの城で暮らしていくのかと思うだけで、気分が高揚していくのを感じた。
――テルセートの名を捨てるつもりであれば、数日以内で出ていかなければならないことは、見ないふりをして……。
本館へは、数分足らず歩けば到着した。
ベルクフリートは、城内に攻め込まれた際に避難塔となる場所だ。
迅速な侵入を防ぐため1階に出入り口は存在しないのだけれど……。
母屋となるこちらは、客人を迎え入れることもあるからでしょうね。
しっかりとメインエントランスに繋がる階段が用意されている。
私はゆっくりとその段差を登り、2階のドアを自ら開け放つと内部へ足を踏み入れた。
「お嬢様!?」
本来であれば、貴族が自ら扉を開けることなどしない。
そばに控える侍女によって開け放たれたドアから、顔を出すべきだから?
姿を見せたのがタトマではないと知った本館の使用人は、なぜ一人でほっつき歩いているのかと目を見張る。
「ごきげんいかが?」
「……へ、平時通りにございます……」
「そう」
自分が思っていた言葉とは異なる返答を耳にした私は、顰めっ面で頭を下げる女性の横を通りすぎる。
エントランスに長居する必要など、公爵令嬢たる私にはないからだ。
この場所で足を踏み入れることが許される場。
それは――奥に繋がる長い廊下の突き当たりにあるケメナーテだけなのよね。
暖炉に火をつければ身体を暖められるこの部屋は、寝室や女性達の居室として主に利用されている。
四角い木製テーブルは食事を取る時だけ部屋の隅から中央に配置し、口や手を拭くためのテーブルクロスを敷く。
本来であればこの準備もタトマがしなければならないことではあるけれど、日本ではすべて自分でやってきたことだ。
テーブルを移動して布を敷くのはわざわざ他人にやってもらうことでもない。
「お嬢様! お、お待たせいたしました……!」
静かに侍女の到着を待ち続けていれば、息を切らしたタトマが姿を見せた。
彼女はすでに用意されていたテーブルセットを呆然と見つめ、固まってしまう。
「食事を持ってきて」
「は、はい! ただ……!」
「こちらにございますよ」
「じ、侍従長!?」
私に命じられたタトマが我に返り食事を取りに戻ろうと踵を返した瞬間、木製の皿とカップを手にした年配の女性が姿を見せた。
眉を顰める侍従長は、後手に回っている彼女に呆れているようだ。
「タトマ……今まで何をしていたのですか。まさか、寝坊などとは……」
「ち、違います! お嬢様の様子がおかしくて……!」
「……病み上がりなのですから、元気いっぱいなわけがないでしょう」
「そ、そうではなく……!」
タトマは必死に侍従長へ報告しようとしているが、彼女は聞く耳を持たなかった。
彼女をひと睨みしてから侍女の横を通りすぎると、テーブルクロスの上に木製のコップに注がれたミルクと、雑穀粥が並べていく。
「いただきます」
準備が終わったことを確認した私はスプーンを使い、スープのようにドロドロとしている冷たいビシソーワズのようなものを口に含む。
日本とは違い、温かい状態で配膳されるのが一般的ではないもの……。
たとえ出来立ての物ではなくても。
口に食事を運べるだけ、ありがたいと思わなければ。
――粗末な食事だこと。
瀬戸留美の生活と比べてしまえば、公爵令嬢の優雅な暮らしも庶民以下にしか思えない。
エルミーヌ・テルセートとしてはこれが当たり前なのだから、 瀬戸留美では受け入れ難いことも受け入れるしかないわよね。
早いところ領城の地理を把握して、公爵家の名を捨てる準備を始めないと。
「ごちそうさまでした」
「お嬢様。食器をお下げいたします」
そう考えた私が食事を終えると、侍従長が空になった食器を回収する。
その後タトマがテーブルクロスと天板を持ち上げて、ケメナーテをあとにした。




