戦地へ向かう彼は、見送らない
「無理強いして、悪かったな」
何を言うかと思えば……。
少女漫画で描写されていた影のあるディナルドからは想像もつかない台詞が飛び出てきてしまい、驚いてしまった。
彼が私を愛しているのは、今に始まったことではないけれど。
それはあくまで演技なのだ。
内心、なんで言うことを聞かねぇんだと怒り狂っているはずだと私は信じて疑っていない。
目を見て、思考を読み取ってやろうかしら。
そう思い立った私は病み上がりの身体であることもすっかり忘れて、魔法を発動させた。
――どう言うつもり?
その答えは、すぐに読み取れた。
『ま、信じられねぇか……。今のエルは、オレが唯一じゃなくなっちまってる。近づいて嫌われるくらいなら、こんなはずじゃなかったと後悔してくれた方がいいに決まってる』
心を覗いても確信が得られない内容だったのは、こちらを警戒しているかもしれない。
想像していた内容とは異なる思考を確認した私は、ますます困惑する羽目になった。
「病み上がりを戦地に連れて行くわけにはいかねぇ。作戦は、オレとエドの二人だけでやる」
この男は、自分が口にした言葉の意味を理解できていないのだろう。
そうでなければ、頭がおかしいとしか思えないような提案をするはずがない。
弟は今でこそ体調が安定しているけれど、いつ調子を崩すかわからないのよ。
エドを戦地に連れていくなど、絶対にあり得ないことだ。
何かあってからでは遅い。
いくら本人が戦場へ足を運びたがっているとしても、リスクを考えたらその提案を吞むことは私が二人とともに向かうよりもあり得ないことだ。
より一層強く睨みつければ、ディナルドは肩を竦める。
「あちらさんには、勝利の女神さまとやらがついてるからな。黙ってりゃ、痛い目見るぜ」
「私達が自ら行動しなくたっていいじゃない。辺境伯に任せておけばいいでしょ」
「親父は獣人の対処で手いっぱいなんだよ。動ける奴が、率先して動かねぇと……」
辺境伯は戦の最前線だ。
右からは人間に害を成す獣人達が待遇の改善を求めて進軍し、四方八方から領地を奪い取ろうと貴族達が押し寄せる。
ディナルドは物心ついた時から騎士となるべく教育を受け、齢14歳にして防衛戦の指揮を任されるまでに頭角を現していた。
その背景には、血が滲むような努力があるのはエルミーヌの記憶を夢の中で受け継いだ私もよく理解している。
けれど……。
大人には当たり前のことだって、小さな子どもには難しいことは山ほどあるのだ。
彼はそれを理解していない。
無謀としか思えない作戦を今すぐ中止するようにと、私は諭した。
「――私達は、まだ子どもだよ」
「そう心配しなさんな。オレは立派な大人だ。うまくやる。だからエルは、ここで待ってろ」
けれど、日本人として生きてきた私からしてみれば、彼はまだ幼い子どもにしか見えなかったのだ。
こちらの常識では12歳ですでに大人として認定されていたとしても、あちらの常識で14歳は中学生だ。
せめて高校生になってからでないと、自立した大人とは言い表し難いだろう。
「帰ってきたら、たくさん愛してやるから」
だからこそ、12歳の私を子ども扱いして10歳のエドを連れ、戦地へ赴こうとしているディナルドには腹が立った。
テルセート公爵家の跡取りとして溺愛されて育った弟に何かあれば、両親は嘆き悲しむはずだ。
そもそも、彼らに許可を取ったのだろうか?
独断で公爵家の息子を連れ出そうとしているなど、どうかしている。
「じゃあな。オレ達にもしものことがあっても、強く生きろよ」
根性の別れとしか思えない言葉を残すなんて、卑怯だ。
エルミーヌの記憶を追体験した私は、眠る前ほどディナルドのことを嫌っていない。
だからこそ、行かないでと縋りつきたい気持ちでいっぱいになった。
――癇癪を起こす私にどう接すればいいのかわからない両親の代わりに、彼はたくさんの愛を注ぎ込んでくれていたのだ。
たとえその思いがまやかしであったとしても……。
日本人として生きていた時だって、あれほど溺愛されたことはなかったのだから……。簡単に、この思いを捨て去ることなど出来はしない。
ああ、駄目だ。あんなこと、言わなければよかった。
そう後悔している自分がいるなど、気づかなければよかったのに。
頭部から手を離して背を向ける彼の姿を見ながら、静かに涙を流すことなどなかったはずだ――。
エルミーヌ・テルセートとして生きると決めたのなら、彼を呼び止めて一緒にアイオハルム公爵を討ち取ろうと決意するべきだった。
けれど、もしもその覚悟を決めたあと……戦場でとどめを刺せなかった時が問題なのだ。
今よりも、もっと大きな問題となるだろう。
実際、原作では公爵を打ち取れずに揉めている。
それに、私が少女漫画の通りに行動したとしても、まったく同じ光景が繰り広げられる可能性は絶対ではないのだ。
最悪の場合は、全員その場で命を落とすことになる。
中途半端に瀬戸留美の記憶を持っているせいで、どう立ち回ればいいのかわからない。
こんな状態では、ディナルドは私が行くと手を挙げた所で戦場になど連れて行ってはくれないだろう。
――命のやり取りなどロールプレイングゲームくらいでした経験したことがない。
そんな私が着いて行った所で、足手まといになるだけだ。
戦場で無残な死を遂げるくらいなら……。
彼があの男に戦いを挑んでいる間に婚約破棄の手続きを済ませ、公爵家の名を捨てて平民として生きていこう。
彼が自室から出て行ったあと頬を伝う涙を拭った私は、体調を整えるべく再び深い眠りについた。




