夢の中で回想
『ぁ、うー。あー!』
ドレス姿の幼子が、よちよちとおぼつかない足取りで大地を踏みしめている。
その様子を、両親と思われる男女が見守っていた。
『エル、こっちよ』
『……ま、ぁ……!』
『凄いぞ、エル。一人でよくここまで来れたな』
『ぱ……?』
両手を広げる母親の胸元に飛び込んだ幼児は、ママ、パパ、と辿々しい言葉を紡ぎながら嬉しそうにはにかんだ。
幸せな、家族団らんの光景だった。
エドアーノによく似たアイスブルーの髪色をしている、優しい目元が印象的な母と、逞しい体躯と厳格そうに見える鋭い目つきや藍色の髪色が私にそっくりな父。
――公爵家の娘エルミーヌ・テルセートは、両親からたくさんの愛を注がれすくすくと成長する。
『かあさま!』
幸せな日々が崩壊するのは、いつだって一瞬だ。
私の人生は、二年後に弟が生まれたことで雲行きが怪しくなる。
『あー……』
『エド! どうしたの?』
『うー……』
『顔色が悪い……。すぐに医者を!』
エドアーノは身体が弱く、何かと手がかかる幼子だった。
すぐに熱を出し、医者を呼んでは気休めの対症療法でどうにか体調を安定させる。
その繰り返し。
『父さま……』
私に向けて注ぎ込まれていたはずの愛は、すべて弟に吸い取られてしまった。
――あいつさえいなければ。
4歳にして憎悪を募らせたエルミーヌは、問題行動ばかりを起こしてエドアーノよりも自分に注目してもらおうと癇癪を起こし始める。
『母さまはわたくしよりも、エドが好きなの?』
両親が弟の面倒を見ている前で魔法を発動させたのは、5歳の時だ。
貴族の妻は、自ら子どもの面倒を見たりしない。
乳母任せで、時たま顔を出す程度のはずなのに……エドアーノの面倒を付きっ切りで見守る母に納得ができなかったのだ。
目を見て質問すれば、母の本心はすぐに読み取れた。
『エルは普通の子ですもの。乳母に任せておけば、問題ないわ。親離れさせないと……。でも、エドは……』
私に思考を読み取られていることなど知りもしない母親は、遠回しに弟の方が大事だと伝えてしまったのだ。
幼いながらにも賢いエルミーヌは、自分が大切にされていないと知った。
それが恐らく、純粋無垢なままではいられなくなったきっかけだったのだろう。
――テルセート公爵家の娘は、いつも気高く美しくあるべきだわ。
欲しいものが手に入らないなら、奪い取ればいい。
そうして彼女の心は、壊れていく。
『姉さん』
幼少期の献身的な治療のおかげもあり、成長したエドアーノは領城の中を歩き回るくらいであれば問題なく生活できるようになった。
姉と慕われることに関しては、悪い気などしなかった。
エルミーヌは表向きは弟として彼に愛を注ぐ一方で、心の中ではおぞましい悪意を抱えながら日々を過ごす。
――こいつさえいなければ、両親の愛は私にだけ注ぎ込まれ続けたのに。
殺害を企てたことを疑われぬよう、息の根を止めるためにはどうすればいいのだろう?
考え続けている間にも、時間は過ぎ去り――。
そうして、彼が許嫁になった。
『お嬢ちゃん。あんたは……弟に、あんまいい感情を持ってないだろ』
ディナルド・モントーネ。
モントーネ辺境伯の息子である彼は出会って早々、私が弟に向ける感情が純粋な家族愛だけではないことに気づいてしまった。
『そう、物騒な顔はしなさんな。嫉妬心は、身を滅ぼすぜ』
『あなたにわたくしの、何がわかりまして?』
『そりゃ、年の功ってやつだ。裏切られ、居ないものとして扱われた。オレにとって辺境伯は、親父が治める安全な領地ではなかったんだよ』
信頼できないと、彼を遠ざけるのは簡単だったはずなのに……。
私はディナルドの口から語られた言葉を耳にして、親近感が湧いてしまったのだ。
――この人なら、私の孤独と言いようのない怒りや悲しみ。
苦しみでさえも、すべてを理解してもらえるのではないかと――。
『あなたはわたくしよりも、かわいそうですの?』
『どう感じるかは、人に寄るだろ。オレはどっちでも構わないぜ。あんたがそう思うことで心が軽くなるってなら、そうすりゃいい』
『そう……』
不機嫌そうに視線を逸らし、どうするのが正解なのかを考える。
――ずっと、自分が不幸だと思っていた。
ある日突然目の前に現れた、私と同じ苦しみを経験したことがあると打ち明ける異性……。
どんな距離感で接すればいいのかなど、わかるわけがない。
愛に飢えていたエルミーヌは、彼の出方を窺うことにした。
『両親から愛されない苦しみを弟にぶつけるのは、得策とは言えねぇな』
『どうするのが、正しい選択だと思いまして?』
『本来与えられるはずだった愛情を、オレに求めることだ』
――両親は身体の弱い弟に、異常とも呼べるほどの愛を注ぎ込んでいる。
どれほど私が強請っても、その愛情が分け与えられることなどないのなら――。
『いいでしょう。わたくしは、あなたを信じるわ』
『よろしく、お嬢ちゃん。あんたがオレを信じる限り、愛を注ぎ続けると誓う』
そうして私は、ディナルドに差し伸べられた手を取ってしまった。




