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自分の部屋はどこ?

 ――さて。私の部屋はどこかしら……。


 弟とこれ以上会話をしたくなくて出てきてしまったけれど、エルミーヌとして生きた記憶が欠損している私は、自分の部屋に戻る術がなかった。


 少女漫画で彼女は、中世ドイツの城でよく見られた、ベルクフリートと呼ばれる細長い見張り塔の3階に住んでいたはず。


 ここが何階なのかすら、よくわからないのが問題ね……。


 敵の侵入を防ぐためだろうか。

 窓がほとんど見当たらないので、光が差し込むことなく薄暗い。


 縦長であることから、中世ヨーロッパの城にありがちな長い廊下を歩き続けて迷子になることはないが――。


 逆にいえば、ここには逃げ場がない。


 ――どこかに隠し通路のようなものがあるはずだわ。

 それを探すことから始めないと……。


 私はコツコツと壁を叩き、上に繋がる階段がないかと確認して回る。


 ――どうして、前世の記憶を思い出す前の常識を覚えていないのかしら。

 不便で仕方ないのだけれど。


 頼りになるのは、少女漫画で描写されていたエピソードだけなんて……。

 ハードモードにも程がある。


 この場合は、記憶喪失ってことになるのでしょうね。


 愛する婚約者を奪われた腹いせに主人公をいじめ抜いていたはずの悪役令嬢が、今まで生きてきた記憶を綺麗サッパリ失っていることが公になれば……面倒なことになりそうだ。


 自分がエルミーヌになっていると気づいた時点で、演技するべきだったのかもしれない。


 そう思い返しても、後の祭だ。

 瀬戸留美としての素を出してしまった以上、過去は巻き戻せないもの。

 今さら彼女を演じるのも面倒だし、原作通りの人生を歩むつもりはないのであれば、小細工などせずにこのままで行った方が都はいいわよね。

 そう考えた私は開き直り、態度を改める必要はないと自分に言い聞かせた。


 ――部屋の中に残ったエドアーノに、どうやって自室に戻ればいいかを聞いた方がいいかしら……。


 自城で自分の部屋に戻る方法がわからないと弟に助けを求める姉など、恥ずかしいにも程がある。

 けれど……。


 ――いつまで経っても、ここで無駄な時間を過ごしているわけにはいかない。

 恥もプライドもかなぐり捨てて、記憶喪失になってしまったのだと素直に打ち明けよう。


「お、お嬢様!?」


 そう考えた私が先ほどまで弟や婚約者と話をしていた部屋に戻ろうとすれば、上空の壁に一人だけ通れるくらいの小さな穴が開く。

 外から差し込む眩しい光に耐え兼ねて思わず目を瞑れば、そこから一人の女性が姿を現した。


「ねぇ、あなた。私の部屋が、どこにあるわかる?」

「も、もちろんです。お嬢様。こちらの3階に……」

「……どうやって登ればいいの?」

「た、只今準備いたします!」


 謎の女性が今いる場所が、どうやら3階の部屋みたい。

 つまり、ここは2階ってことね。

 彼女は上空からこちらに向けて縄はしごを下ろし、私に登って来るように告げた。


 ――なるほど。いくら探しても出入り口が見つからないはずだわ。


 見張り塔に敵が攻め込んできた際のことを恐れているのだろう。

 小さな出入り口は、天井のタイルに隠されていた。


「これ、途中で切れたりしないよね……?」

「丈夫な縄ですので、問題ないかと!」


 侍女の後押しを受け、恐る恐るギシギシと足を進めるごとに音が鳴る縄はしごを使って3階に上がる。


 2階と代わり映えしない内装を見ていると、自分がどこにいるかわからなくなってしまいそうだ。


「ありがとう。移動は毎回、隠し通路を使うの?」

「は、はい……! 2階から上は……いつも使っていらっしゃいますよね……?」

「ええ。1階から地上は?」

「1階に出入り口はございませんよ? 2階にある小さな窓から魔法を使い飛び降りるか、はしごを使って登ります。お嬢様……どうして今さらそのようなことをお聞きになるのでしょう……?」


 侍女はこの城の常識を問いかけたせいで、困惑しているようだった。


 私は彼女の顔をじっと見つめ、見覚えがあることに気づく。


 作中でも、何度か登場していたはずだ。

 特徴に残らぬ地味な顔立ちと茶髪の女性は――。


「タトマ」

「はい。なんでしょう、お嬢様」


 そう。

 タトマ・ヘルメティ男爵令嬢だ。

 主人公に意地悪ばかりをするエルミーヌを止めたいけれど、立場上彼女に盾をつくことができず、いつも怯えてばかりいた少女。


 この侍女は私と同い年で、御学友としての役目も担っていた。

 作中では、小間使い程度にしか思っていなかったみたいだけれど……状況を把握するための説明役としては、もってこいの人間だわ。


「私、記憶がないの」

「はい?」


 思い切って秘密を打ち明ければ、彼女は目を丸くしながら聞き返してきた。

 作中のエルミーヌであれば、無礼者と罵ってから頬を引っ叩いている場面だ。

 瀬戸留美は頭に血が上って、気に食わないことがあるとすぐに怒鳴り散らすタイプではないから。

 暴力を振るったりはしないけど。


 そもそもそんなことを日本でしたら、パワハラやいじめを疑われて大騒ぎになる。

 私は顔色を変えずに、無言で告げる。


「お嬢様、今なんと……」

「記憶喪失になってしまったみたい」

「ええ……っ!?」


 不敬であることも忘れて呆然と呟いたタトマは、素っ頓狂な声をあげた。

 うるさすぎて、鼓膜が破れてしまうかと思ったじゃない。


 耳を塞いで顔を顰めれば、驚きを隠しきれない彼女はさらなる大声で質問してくる。


「モントーネ辺境伯令息は、ご存知なのですか!?」

「辺境伯……。ディナルドのこと? 打ち明けたのは、あなたが初めてよ」

「ああ……! なんと言うことでしょう……!」


 彼女はその場に崩れ落ちると、泣き出してしまう。

 最愛の婚約者よりも先に秘密を打ち明けられてしまったことが、ショックで仕方ないようだ。


 ――タトマに伝えるべきでは、なかったかもしれないわね。


 彼女に付き合うだけ時間の無駄だと判断した私は、右側に見える扉をノックしてから反応がないことを確認して開け放つ。


 そこには、作中で描かれていたエルミーヌの部屋とまったく同じ光景が広がっていた。


 頭上にはきらびやかなシャンデリア。

 壁沿いには木製のチェストとベッドが置かれ、床にはアンティーク調の絨毯が敷かれている。


 何よりも特徴的なのは、目を閉じたエルミーヌによく似た小さな彫刻像だった。


 これはディナルドが彼女を愛するあまり聖母マリアに見立てて彫刻家に作らせたオーダーメイド品であり、原作通りの未来が現実のものとなった際に床へ叩きつけられて粉砕される予定の代物だ。


 漫画の中で描かれていた部屋へ、どうにか足を踏み入れられた。

 ここがこれから、私の部屋になるのね。

 そう安心した私は、ベッドに横たわり目を閉じる。


「お、お嬢様!?」


 ――このベッド、寝心地がすごく悪い……。


 日本のフカフカとしたベッドに慣れ親しんでいた私が、倒れ込むと痛みを感じるほどに硬いベッドで安眠できるだろうか?


 なんだか、カプセルホテルに宿泊している気分だわ。

 貴族のご令嬢なのだから、もっといいベッドで眠れると思ってたのに……。


 一般庶民が家具の量販店で購入したって、ここまで硬いマットレスの上で眠ることはないでしょうね。

 私は散々心の中で文句を言いながら、身体の奥底から湧き上がる吐き気を感じて思わず口元を両手で抑えた。


「う……」

「し、失礼いたします……!」


 なんだか、身体がだるくて息苦しい。

 それから気持ち悪くて、頭がぐるぐると回っていた。

 タトマの手が額に触れると、その冷たさがひんやりとして心地いいと感じて――。


「た、大変……! エルミーヌ様が、高熱を……!」


 パタパタと彼女が走り去る足音を聞きながら、私の意識は途絶えた。

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