身体と魂を引き剥がされて
ふわり、ふわりと身体が揺れている。
――今の私は、どうなっているのだろう。
これほどまでに意識を覚醒するのが怖いと感じたことなどない。
私はゆっくりと瞳を開き――愕然とした。
真っ先に認識したのは、ディナルドの頭部だった。
天井から彼を見下しているようなイメージだろうか。
ディルは私の身体を抱きかかえたまま、微動だにしない。
――上からじゃ彼の表情を確認できない。
どうにか正面に回れないだろうかと思考を巡らせていると、その思いに応えるかのように身体がふわふわと移動する。
私はゆっくりと、ディナルドの目の前に降り立った。
『ディル……!』
彼の名前を叫んだつもりなのに、ディルがその呼びかけに応えることはない。
声が聞こえていないようだ。
『ねぇ! どうなっているの!?』
原作ではエルミーヌは処刑されたあと、幽霊になっていた。
その再現であることは間違いないはずなのだが、一つだけ問題がある。
――処刑されていないのに、幽体離脱していることだ。
これがもしも……ディナルドの魔法なら、一体どんな効果があるの?
愛する婚約者の魂と身体を引き剥がして、彼は何がしたいのだろう。
『ディル!』
私の声は彼に届かなかったが、ディルの浮かべている表情はよく見えるようになった。
エルミーヌの身体を抱きしめた彼は――。
「ずっと一緒に居ような」
清々しいほどに晴れやかな笑みを浮かべると、足元に魔法陣を展開した。
――あの紋章……。
モントーネ辺境伯の家紋が刻み込まれた刻印の上に私の身体を横たえたディナルドは、額に口づけを落とす。
それが魔法の発動条件であったらしく、エルミーヌの身体は結界に包まれ保護される。
『私の身体……!』
ディルに触れようとしても、すり抜けてしまう。
ならば自分に手を伸ばせばどうなるか――。
きっと、それを見越して展開したのでしょうね。
魂と身体を一つに戻そうとした私が伸ばした腕は結界に当たり、バチバチと弾け痛みを感じた。
『痛……っ!』
ディナルドに私の声は聞こえないようだったが、結界にぶつかり火花が散る音だけは確認できたようだ。
彼は虚空に向かって、魂だけの存在になった私がいることを明らかに意識しているような優しい口調で言い聞かせた。
「ちゃんと、大人しく見てろ。悪いようにはしねぇから。全部終わったら、ちゃんと戻してやるよ」
ディルは私に優しく諭すと牢獄の鍵をしっかりと施錠し、外に向かって歩き出してしまう。
――エルミーヌの魂が抜けた身体には強固な結界が張り巡らされ、牢獄自体にも物理的な施錠が行われている。
どちらかが一つでも欠けていたら、彼から逃れる術はない。
――そもそも私は、彼から逃げる必要があるのだろうか?
ディルは私を守るために、魂と身体を分離させて一人で決着をつけるつもりだ。
彼はエルミーヌと二人きりで、幸せな人生を歩んでいけるかどうかだけを最優先している。
こうして私の魂と身体を分離させたのは、決戦の場で私を守りきれずにラチェットへ奪われては堪らないと考えたからなのだろう。
――誰でもいい。戦いを止めなければ。
ラチェットと結婚したくはないけど、死んでほしいわけではない。
私は霊体であることの利点を活かし、壁をすり抜けて外へ出る。
「エドさま。いつまで外にいるつもりなのですか?」
「もう少しだけ……」
外ではクレマリアに腕を捕まれ密着する弟が、じっと真剣な眼差しで1階の出入り口を見つめながら仁王立ちしていた。
『エド! 助けて!』
「姉さん?」
私は必死にエドに向かって助けを求める。
弟は私の名前を呼んだけれど……。
認識できているの?
よくわからないまま、必死に訴えかける。
「エドさま? お姉様が、どうかしましたか?」
「ああ、うん。兄さんはやっぱり、魔法を使うことにしたみたいだ」
「では……ここにお姉様が……?」
「うん」
私の姿が見えないクレマリアは、周りを見渡してどこにいるのかと視線を彷徨わせている。
エドアーノはそうした反応を見せてはおらず、空中に漂う私としっかり目を合わせて苦笑いした。
『私が……見えるの……?』
「不安だと思うけど……」
『ディルを止めて!』
やっぱり。
エドはこちらの姿が認識できているようだ。
私は何度も弟に訴えかけたが、いつまで経っても了承の言葉は聞こえてこなかった。
「心配いらないよ。兄さんはうまくやるから」
『うまく……?』
「姉さんはそこで見ていて。今度こそ、失敗なんかしない。必ず、守り抜いてみせる」
『な、なんの話……?』
ディルとエドは私を守ると言うけれど。身体から魂を長い間引き剥がされたら、戻れなくなってしまう。
死んでしまうリスクがあるのに、なぜ彼らはこのままでいろと命令してくるの?
私はさっぱり理解できなかった。
「よぉ。待たせたな、お二人さん。悪いが、エルを頼めるか?」
「……もちろん」
「エドさま……」
「兄さんがあの人を退けるまで、姉さんは僕達が守るよ」
「ああ。頼む」
ディルとエドはそのつもりでも、話の内容を理解していないクレマリアにそのつもりがなさそうなのは、不安材料にはならないのだろうか。
牢獄から地上へ顔を出し、弟カップルと話し終えて別れたディルのあとを追うか、このままエドアーノ達と一緒にいるかはかなり迷った。
「それじゃあ、姉さん……」
『ラチェットを殺すの?』
「命は奪えないだろうけど、それに近いことはするだろうね。興味があるなら、兄さんと一緒に行けばいい。僕とマリアの役目は、姉さんの身体を守ることだから」
「エドさま。わたしだけ仲間外れなんて嫌です!」
「ごめんね。姉さんが、迷っているみたいだったから……」
私の声が聞こえないクレマリアは、エドを独占するなと嫉妬心を剝き出しにする。
今は彼女に付き合っている暇などないのに……!
何年経っても姉妹のように心を通わすことなどできなかった私へ、弟の彼女は厳しい言葉を投げかけた。
「お姉様は、お兄様よりも神の化身を選ぶのですか?」
『そんなつもりは……!』
「兄さんのことが好きな気持ちは、変わっていないみたいだね」
「ここで教会を退けておかなければ、一生二人の仲を邪魔されますよ」
『邪魔って……』
クレマリアはディルをこのまま黙って送り出し、すべてが終わるその時まで見守っていろと告げる。
ディナルドの私に対する恋心は歪んでいるから……。
ラチェットの反応次第では、冷静さを欠いて命を落としてしまう可能性だってあった。彼が死ねば、魔法の効果は薄れる。
元の身体に戻りやすくはなるだろうが、それだけは絶対に避けなければならない。
――エルミーヌ・テルセートの最終目標は、この世界で生き残ること。
そこに愛する人がいなければ、処刑を免れたとしても意味がない――。
『通常ミッション! 元の身体に戻れ!』
脳内マップに表示された文字が、緊急ではないことに違和感を感じながら。
私は決意した。
ここで弟と話し合っても意味はない。
ラチェットとディルの会話を盗み聞きして、互いにどんな思いを抱いているかを知ることを優先するべきだと。
「……行ってらっしゃい。兄さんを選んだこと、後悔しないようにね」
私が無言でその場をあとにすれば、弟は硬い声音で送り出してくれた。
早く、ディナルドの元に向かわなければ。
猛スピードで空を飛ぶと、人間の足で地を駆けるよりも早く彼らの元に辿り着けた。




