嘘が真実になった瞬間
――六年後。
あれから私は、特に目立った騒動もなく日常を謳歌している。
時折婚約者である私の顔を見にやってくるディルに会うのが楽しみなくらいで、娯楽もないこの世界で過ごすのは退屈だと感じることも多いけれど――平和なのはいいことだ。
ポジティブに考えた私はそろそろ原作が始まる頃だろうかと警戒心を強めながらも、ダラダラとベルクフリートで過ごしていた。
「お嬢様。お耳に入れたいお話が……」
「ラチェット。どうしたの」
ディルに散々近づくなと怒鳴りつけられながらも、ラチェットは私の護衛騎士としてずっとそばにいてくれている。
あれから六年も経てば、ディナルドも会えない間に何かあれば自分で自分を許せなくなると気づいたようで、護衛騎士のことをそれなりに信頼できるようになっているようだ。
裏切られた時のことを考えるだけでも心が痛いので、あまり考えないようにしてはいるけれど……。
彼に発言を求めれば、ラチェットは聞き取りづらい声で私に告げる。
「……が……」
「何。聞こえなかった。もう一回」
「……教会が、お嬢様を保護したいと申し出ているようなのです……!」
「……教会?」
――なんでまた、そんな所が?
思わず聞き返したけれど、ラチェットも理由はよく知らないようだ。
なぜだかよくわからないが、最近頻繁に教会が私を寄越せと言っている。
それを断り続けていたら、大事になった。
王命になるのも時間の問題だと噂になっているらしい。
「もしもの時は、モントーネ辺境伯令息よりお嬢様をお連れするようにとの命令を受けております!」
「そう。私はその時が来たら、抵抗せずにあなたを信じてディルと合流すればいいのね」
「はい! 僭越ながら、モントーネ辺境伯令息の代わりを務めさせていただきます!」
彼は時折暑苦しいと感じることもあるけれど、人柄は悪くない。
ディルを助けようとした時にだって、危険を顧みずに守ってくれたし……信じてもいい人よね?
私はいつでもその瞬間が訪れてもいいように、身構えていたつもりだった。
「エルミーヌ。貴様をディナルドと結婚させることはできなくなった」
ラチェットが一緒にいる時に同行を求められると思っていた私は、父から思わぬ段階で梯子を外されてしまい、うまく状況を飲み込めない。
父親は、私の身柄を金銭と引き換えに教会へ明け渡すと決めたのだろう。
それはわかる。
でも、今までは拒否していてくれたじゃない。
そんな急に態度を変えるなんて、絶対におかしいわ。
「教会で……生涯過ごせ、と……」
「そうだ。エルミーヌ・テルセート。いや……聖女エステラム様」
「……違う……」
「神託が下ったのだ。我が国を導く女神が、たった一人のものになるわけにはいかない。神は神と交わり、子を成すべきなのだ」
「何を仰っているのか、理解しかねます」
私は聖女エステラムから予言を受けたと名を騙っただけ。
その名で呼ばれる理由などないはずなのに……。
血の繋がった娘へ向ける態度とは思えぬ丁寧な口調で、父親は私へ命じる。
「神と神はやはり、惹かれ合う運命だったのだろう。貴様がディナルドとの婚約を破棄したいと申し出た時、望むままにしてやればよかった。そうすれば、もっと早くに……」
「お父様!」
「我が領地に何食わぬ顔で二人の神が滞在していたことを、誇りに思う」
「何を……!」
「ラチェットと、元気で暮らせ」
父親は私が聖女エステラムの転生体だと勘違いしており、神同士で結ばれるべきだと告げた。
なぜこの場面でラチェットの名前が出てくるのだと疑問を抱けば、脳内に表示されていた護衛騎士のアイコンがゆらゆらと揺れて変化する。
『神の化身ラチェット・マストンド』
――神の化身。
それは、聖女エステラムのそばで支え続けた護衛騎士の役職名だ。
彼は献身的な愛を彼女に向けたが、女神は事切れる瞬間まで思いを告げることはなかった。
「教会側は、再び巡り会えたこの奇跡を偶然ではなく必然にするべきだと結論づけた。貴様がディナルドに好意を抱いていることは知っているが、あの男では――」
「……どうして……」
彼は自分が神の化身であることを知っていて、嘘をついたのだろうか?
そんなはずはない。
ラチェットは知らないはずだ。
自分がそうであることを認識していれば、ディルの代わりに自分を頼ってくれなど言わないだろう。
ならば、彼も知らないのか。
いや、むしろ。わざわざ教会の話を二人きりの時にしたのは、警戒心を解くためだったのかもしれない。
あの人を信じて頼ったら、ディルと引き離される。
やっとディナルドを信じようと決めたのに。
このままでは、また……。
『緊急ミッション! 〇×〇〇×から逃げ切れ!』
あの人と合流しなければ。
私が強く願えば、脳内マップの上に文字が表示された。
誰から逃げ切ればいいのかは、名前にモザイクがかかっていてうまく読み取れない。
――文字数から見ても、ラチェットで間違いないだろう。
父親と悠長に話をしている場合ではない。
確信を得た私はこれからどうするか、早急に考えなくてはならなくなってしまった。
出入り口は一つだけ。
扉の外にはラチェットが待ち構えているから、正面突破は難しい。
魔法を使ってディルの元へ瞬間移動をするには、遠すぎる。
どうにかして護衛騎士と教会から逃げなればならない私が、一時的に助けを求める相手は――。
「エルミーヌ。これは……」
「……私のことは、放っておいて!」
「な……!」
髪を下ろして過ごすようになってから、滅多に叫ぶなどがなくなったことを覚えていたのだろう。
父が驚きで目を見開いた瞬間を見計らい、私は魔法を使って移動する。
目指す場所は――。
「エド! 匿って!」
「――姉さん?」
「ラチェットと、無理やり結婚させられそうなの……!」
「……え……?」
どうやら、エドの所までは情報が伝わっていないらしい。
急いでエドアーノに説明すれば、弟は神妙な顔で私の逃亡に協力を申し出てくれた。
「教会が姉さんを欲しがっている話は、僕も耳にしていたけど……。マストンドさんが神の化身だなんて話は、聞いたことがないよ」
「クレマリアは……」
「姉さんが聖女エステラムの転生体であることは、すぐにわかったみたいだけど……」
「……そう。あの子は、大丈夫なの」
「マリアなら、心配いらないよ。魅了の力がかなり強いから、誰も手出しはできない。今は辺境伯にいるはずだしね……」
「辺境伯にいるの」
「うん。お母さんのお墓参りに行っているみたいだ。僕も余裕があったら、顔を出すつもりだったんだ。途中まで、一緒に行こうか」
このエピソードは確か、ミストラルの盟約で語られていたはずだ。
母親の墓参りをしている時、偶然通りかかったエドアーノがクレマリアに声をかける。幼い頃に出会った少年とよく似た顔をしているエドを見た主人公は、恋に落ちるのだ。
原作とは異なる出会いをすでに済ませている二人がラブキュンシーンを繰り広げるとは思えないが、予言と称したバッドエンドに向かって着実に私達の人生は進み始めている。
――クレマリアのことはあまり好きではないけど、いじめたりはしていないし……お互いに手を出さなければ、私の死は回避できるよね?
きっと大丈夫だと強く願わなければ、前に進めない。
立ち止まってしまった瞬間に、死んでしまう可能性だってあるのだから――。
弟の部屋からコソコソと人目につかないように細心の注意を払ってベルクフリートを出た私達は、馬小屋へやってきた。
ここにはエドの愛馬が暮らしているからだ。
瞬間移動では距離がありすぎるし、徒歩では時間がかかる。
体力的にも無理だと判断し、黒馬に二人で乗って辺境伯へ向かうと決めた。
『危険!』
エドが愛馬の準備を進めている間、脳内マップが危機を知らせてくる。
何事かと目を凝らせば、ラチェットのアイコンがこちらへ近づいて来ていた。
「エド! ラチェットが……!」
「もう少し……」
「急いで!」
「……少しだけ、時間を稼げる?」
エドアーノは作業を続けながら、私に無理難題をふっかけてくる。
相手は護衛騎士だ。
腕っぷしでは勝てるはずもなく、話術にだって自信はない。
そんな私に、ラチェットの説得ができるのかしら……?
不安で仕方なかったけれど、迷っている暇などない。
私は弟に向かって、しっかりと頷いた。
「……やってみる」
「うん。攻撃してくるようなら、僕が魔法を使うよ」
「お願い」
エドアーノは人前で、自分の魔法を使役したがらないのに……。
無理をさせるかもしれないことを申し訳なく思いながら。
私は脳内マップに表示されている警告音に逆らって、ラチェットを待ち構えた。




