魔法の暴走
ディルに抱きかかえられていたときよりも、座高が随分と高い。
黒馬は大人しく、私達が跨っても暴れることはなかった。
素直にディナルドの指示に従い、ゆっくりと辺境伯の領城に向かって歩みを進める。
「エル。少しの間、耳を塞いでいろよ。うるせーから」
「……何が……」
「言ったろ。パフォーマンスだって。いくぞ!」
事前に前置きをした彼は、勢いよく息を吸い込む。
嫌な予感がした私は渋々両耳を塞ぐが、あまり意味はなかったように思う。
なぜならば、それは――。
「アイオハルム公爵は、我がテルセート辺境伯の捕虜になった! 全員、死にたくなければ抵抗をやめろ!」
ディルの声がうるさすぎて、小さな手だけでは防ぎ切れなかったからだ。
アイオハルム公爵の連れて来た護衛騎士たちは、主君の勝利を信じて今まで戦っていたようだけれど――ディナルドの勝利宣言を受けて、彼らはさまざまな反応を見せる。
「公爵が、負けた……?」
「そんなはずはない!」
「どうか、命だけは助けてくれ!」
君主の勝利を信じて疑っていなかったものは項垂れ、事実を受け入れられないものはモントーネ辺境伯の騎士に歯向かい、敗北を受け入れたものは命乞いをした。
『緊急ミッション達成! 緊急回避レベルが1上がった!』
――今日はリズムゲームをしなかったのに、そこのレベルがあがるんだ……。
脳内マップの上に表示されていた警告音はいつの間にか停止し、ミッションのクリア通知が表示された。
意外なスキルのレベルが上がっていることを知った私がなんとも言えない状態で乗馬を続けていれば、やがて思いがけないことが起きる。
『テルセート辺境伯令息……! 絶対に許せない……!』
――誰とも目を合わせていなかったのに、心の声が聞こえたのだ。
ディルを憎悪する、恐ろしい言葉。
それがどこから発されているのか。
探し当てる必要も、なくすぐにわかった。
右前方。
倒れ伏す騎士が、土の上に転がった剣をこちらに投げつけようとしている!
「エル? どうした」
「ディ……」
「あー。問題ねぇよ」
「アイオハルムに勝利を……! ぐはっ!」
慌ててディルへ伝えるために首を動かそうとすれば、彼は左手で剣を引き抜くと軽やかな動作で切っ先を振り回し、武器を人がいない方向へ弾き飛ばして見せた。
モントーネ伯爵領の護衛騎士が、倒れ伏す騎士を気絶させたおかげでそれ以上心の声が聞こえてくることはなかったけれど――。
――あまりよくない状況であることは、確かだ。
目を合わせて祝詞を紡がなければ発動できないはずの魔法が、強い思いに引き寄せられるように発動した。
狸寝入りしていた時に私以外の三人が会話していた際、覚醒がどうのこうのと言っていたのを思い出す。
――聖女エステラムの予言は嘘。
私は少女漫画で得た知識をそう称していただけで、生まれ変わりなどではないのに……。
もしもそれが真実になってしまったら、エルミーヌはどうなってしまうのだろう。
「姉さん?」
これは、誰かに打ち明けたほうがいいのだろうか。
原作で語られることがなかった展開であるからこそ、どこまで相談していいものかと測りかねている。
「お姉様。エドさまが呼んでます」
ミストラルの盟約で、エルミーヌが死んだ理由にかかわることなら真っ先に情報を開示べきだとは理解しているのだが――。
クレマリアはエドを愛しているし、ディルに魅了魔法が使えることを説明している。この状態で彼女がディナルドを幻惑、私の嫉妬心を煽る必要があるとは思えない。
このまま行けば、エルミーヌが嫉妬心に狂ってマリアを加害するようなことはないだろう。
「おい、エル。どうした?」
――婚約者だからと言って、何もかも話す必要が、あるとは思えない。
長い思考の末にそう判断すれば、愛称を呼ばれていることに気づいてはっと声のした方向へ視線を向ける。
いつの間にかディルは黒馬から降りて、私に手を差し伸べていた。
その視線は訝しげで、いつまで馬に乗っているつもりなのかと呆れているようにも見える。
「……ありがとう」
「……魔力の使いすぎか」
差し出された手に触れて馬から降りれば、てっきりそのまま地に足をつけて隣を並んで歩けると思っていたのに……。
ディルはなぜかそのまま私を抱き上げると、額同士をくっつけ熱を測り始めた。
「熱はないみたいだが、顔色が悪い。中に戻るぞ」
「兄さん。僕達は辺境伯の様子を見てくるよ」
「ああ。その女が魅了を使わないように見張っとけ」
「わたしの魔法は、エドさまを守るためにあるのですよ? やたらめったらに発動したりはしません!」
「どうだかな……」
合流したクレマリアやエドと軽口を叩きあったあと、騒ぎを聞きつけて駆けつけてきた護衛騎士にアイオハルム公爵の身柄を引き渡す。
その後ディルは器用に梯子を使って屋上から2階に降りると、ベルクフリートの中に歩みを進めた。
*
――ミストラルの盟約にて。
悪役令嬢のエルミーヌと騎士団長のディナルドは、アイオハルム公爵に勝利した。
彼女は当時12歳。彼は14歳。
つまり、今の私達だ。
子ども達が公爵に勝利した瞬間を見てしまったクレマリアは、謎の少年にその光景を口止めされる。
約束を守り続けたマリアは六年後に再び辺境伯を訪れ、初恋の人に自身の気持ちを伝えるために奮闘するが――。
――瀬戸留美の記憶において、少女漫画は未完で終わっている。
結局誰が初恋の人物であるか明らかになることはなく、疑問だけを残して思わぬ不慮の事故によって人生を終えてしまった。
――あのあと、原作ではどのような物語が展開されたのだろう?
その答えを知る術など、今となってはあるはずがない。
私がエルミーヌ・テルセートとして生まれ変わり、少女漫画とは異なる人生を歩んでいるから――。




