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エドアーノの魔法


「女連れだと!?」

「舐めたマネしやがって……!」

「やれ!」


 婚約者を抱きかかえたまま戦地に赴くなど、正気とは思えない愚行だ。

 アイオハルム公爵の率いる兵達は我先にとディナルドを攻撃しようとしたが、そう簡単にやられるほど彼も弱くはない。


「やってみろよ。やれるもんなら、な!」


 アイオハルム公爵がディルの利き腕を勘違いしたままだと思い出したのだろう。

 彼は左腕で私を抱きかかえたまま、右手で剣を振る。


 四方八方を敵に囲まれても怯えることなく、余裕さえ感じられる軽快なステップで相手をなぎ倒すディナルドの姿は、惚れ惚れするほど美しい。


 ――そうだ。


 エルミーヌは聖騎士として、彼が戦場で剣を振るう姿を見るのが好きだった。


 誰よりも強いディルが私だけに愛を注いでくれると言う優越感に浸り、抜け出せなくなってしまった彼女は――非業の死を遂げる。


 死してなおも彼の周りをうろついているくらいだ。

 その思いは、並大抵なものではない。


 作中で語られたエルミーヌのように、彼女と同じ熱量でディナルドと愛することはできないと思っていた。

 けれど――こうして彼女とまったく同じ所に好感を抱いてその気になるのであれば、遅かれ早かれ選択を余儀なくされるだろう。


 死んでも彼への思いを貫くか、今まで通り興味を失くしたふりをしたまま乗り切るのかを。


「く……っ!」

「たった一人に、第五小隊が殲滅されただと!?」

「うろたえるな! 我が軍の最終目的は、勝利の女神の奪還だ! 辺境伯令息は囮! 各々任務を全うせよ!」


 ディルの剣捌きに恐れ慄いた兵士達が動きを止めれば、アイオハルム公爵から激が飛ぶ。

 その声がする方向に歩みを進めた彼は、切っ先に付着した血液を勢いよく振り落としながら耳元で合図を送る。


「エル」


 私達の間に、言葉は必要なかった。

 目にも留まらぬ速さで目前までやってきたことに驚きを隠せない様子のアイオハルム公爵と瞳を合わせ、思考を読み取る。


 ――教えて。


 それからのことは、思い出しくもない。


『邪魔が入っただと!? ありえん! やはりあの噂は、本当だったのか……?』


 吐き気を催すほどの悪意が、さざ波のように寄せては返す。

 情報量が多すぎて、溺れてしまいそうだ。


『勝利の女神と対をなす者。聖女エステラムの生まれ変わり! それが、エルミーヌ・テルセートだと言うのならば! 生かしてはおけぬ……!』


 公爵は思考をリアルタイムで盗み見ていることなど知りもせず、私に憎悪を向けてきた。

 純粋な悪意をぶつけられ、ズキズキと頭が痛む。


『この女が生きている限り、我が娘を傀儡として作り上げて完成する絶対政権が遠のいてしまう! この女だけは、我が命を犠牲にしたとしても道連れにしてやる……!』


 ――そうか。

 エルミーヌが命を落とした原因は、アイオハルム公爵のせいだったのか。


 死を覚悟した彼は、自身にある呪いをかけた。

 自らの命を奪ったものを、道連れにする下法。

 彼女はその魔法によって、命を落とすことになったのだろう。


「殺さないで」


 この男だけは、駄目だ。


「生け捕りにしなければ、予言通りになってしまう」


 私達のどちらかが彼の命を奪えば、呪いが発動する。


「何を言っている……!?」


 彼は敵陣の辺境伯令息が抱きかかえる公爵令嬢の言葉に恐れ慄き、怯んだ。


「了解」


 ディルは一瞬の隙を逃すはずもなく、私を抱きかかえ剣を持つ手を入れ替えたあとに喉元へ鋭い切っ先を向けた。


『やはりこの女は……! いや! そんなことはどうでもいい! それよりも、この男だ! ディナルド・モントーネ……死んだはずではなかったのか!?』


 アイオハルム公爵は内心、かなり焦っている。

 彼の思考は目まぐるしく変化し、忙しない。

 覗き見しているだけでも頭が痛くて仕方がないが、情報は引き出せる時に引き出しておいたほうがいいだろう。


 そう考えた私は、もう少しだけ思考を盗むことにした。


『生命力の強い聖騎士はこれだから困る……! あの女に命じなければ! どれほど屈強な戦士であったとしても、魅了から逃れることなど出来はしないのだからな……!』


 クレマリアの魅了さえあればディナルドを退けることなど他愛のないことだと心の中で語る、邪な思いを抱く男の恐ろしい願いにはうんざりだ。

 これ以上こいつの思考を読み取ろうとしたって、無駄な時間を消費するだけだろう。

 私はゆっくりと目を閉じ、アイオハルム公爵の心を覗き見るのをやめた。


「モントーネ辺境伯に告ぐ! 我が娘、クレマリア・アイオハルムの身柄を引き渡せ!」

「断る」

「貴様には聞いていない! 私は、領主と交渉をしているのだ……!」

「残念だったな」


 彼の父に呼びかけた公爵は、鼻で笑い飛ばす辺境伯令息に青筋を立てて激高する。

 だが、二回りは違うであろう男を見ても、ディナルドは怯まなかった。

 それどころか、挑発する余裕すらあるようだ。

 余裕綽々な笑みに、ここが戦場だと言うことを忘れて惚れ惚れしてしまいそうになる気持ちを抑え、私は固い表情でじっとしていることにした。


「あんたが愛する娘さんの魅了で、親父はすっかり正気を失っちまっているもんでな。どれほど叫んだところで、声は届かねぇぞ」

「なんだと……!?」

「――さあ、お父様。あなたに、天の裁きを与えましょう」


 クレマリアが待機している場所は、かなり距離がある。

 声が聞こえるはずもないのだが――なぜか、彼女の言葉はよく響く。


 不安に思いながらもその言葉を耳にしていれば、アイオハルム公爵は彼女に向かって叫ぶ。


「クレマリア! 我に勝利をもたらしてくれ!」

「――わたしが? なぜ、虐げるあなたを勝利に導かなくてはならないのでしょうか。さっぱり理解できません」

「虐げてなどいない!」

「わたしはエドさまを、勝利に導く女神です。あなたを助ける義理はありません」

「クレマリア! 貴様……! 私を裏切るのか!?」

「いいえ。最初から、味方ではありませんでした」

「実の父親に対して、なんと言う口の聞き方をしているのだ!」


 激昂したアイオハルム公爵は、ディナルドが喉元に突きつけた剣から逃れるために腰元の鞘に手を伸ばす。

 だが……。ディルがそれを、黙って見過ごすはずもない。


『危険!』


 そうこうしているうちに、脳内マップは警告を表す赤いランプがチカチカと点滅し始め、私へ逃げるように促してくる。


 ――何がどう危険であるかまで、しっかりとアナウンスして欲しいものだ。


 ディルに抱きかかえられている以上、一人で逃げるわけにはいけない。

 危険を知らせるために首元へより強く腕を回せば、私の婚約者様はしっかり意図を読み取ってくださったようだ。


 不自然にならないように気を配りながらアイオハルム公爵と剣を交えるのをやめて、流れるような動作で後方へ退避した。


「さようなら、お父様」

「私の命が尽きれば……! 貴様らには呪いが降りかかるだろう……!」


 公爵の叫びとともに、彼の周りには不思議なことが起きた。

 まるで時間を巻き戻したかのように――急激に腐食した地面から、包帯で全身を巻かれた人形らしきものが大量に浮かび上がり、彼を襲い始めたのだ。


 ――クレマリアがやったの?


 私は思わず彼女の方へ視線を向けたが、マリアは父親が襲われる姿を蔑んでいるだけで魔法を使っている様子はない。


 ならば、一体誰が――。


「いつ見ても、エゲツねぇな」


 クレマリアに気を取られていたのが、気に食わないのだろう。

 私を抱きかかえていたディナルドは、アイオハルム公爵が襲われる様子を眺めながら低い声で呟いた。


 どうやら彼は、魔法を発動した人物が誰であるかを知っているらしい。


 この口ぶりなら、ディルではないだろう。

 自分で使役しているのであれば、もっと別の感想を抱くはずだ。

 この場にいるのは四人。

 考えられるのは、一人しかいなくて――。


「まさか……」

「ああ。エルは初めて、あいつが魔法を発動した所を見るんだったな。顔と性格に似合わず、すげーことするだろ?」


 凄いなんてものじゃない。数十体も同時に言うことを聞かせるなんて、簡単なことではないはずだ。


 ――病弱なだけだと思っていたのに。

 彼に、こんな力が隠されているなど思いもしなかった。


「ディル……」

「馬に乗って、ちょっくらパフォーマンスをしてから帰るぞ」

「……この馬に……」


 ディナルドが指差したのは、ある人物の魔法によって芦毛から漆黒に染まり、先程までアイオハルム公爵を乗せていた馬だった。


 私達が乗馬をした瞬間に暴れて振り落とされたりしないだろうかと怯えれば、ディルが不敵な笑みを浮かべながらこちらへ手を差し伸べていることに気づく。


 心配する必要はないって、言いたいのかしら?


「一人じゃ乗れないだろ? ちゃんと後ろで、支えてやるから」

「……じゃあ……」


 彼の優しい言葉に後押しされ、私は渋々黒い馬に跨った。

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