クレマリアの魅了
私達は見張り塔の最上階――屋上を占拠した。
アイオハルム公爵がクレマリアを取り戻すために攻めてきた際、すぐ対処ができるようにするためだ。
ディナルドは領地境に異常がないか目を光らせながら、エドアーノが語る彼女の魔法について耳を傾ける。
「マリアは、魅了が使えるみたいなんだ」
――そんな話、原作では一言も出てこなかったけど。
私は本当なのかと思わず婚約者に抱きかかえられたまま目を見張ったが、どうやら間違いではないようだ。
私が目を合わせれば相手の考えが読み取れるように、彼女も目を合わせた人間を意のままに操ることができるらしい。
作中で語られることはなかったが……。
もしも意図的に隠されている真実だとしたら?
ディナルドは自らの意志でエルミーヌを裏切ったわけではなく、マリアの魅了に心を奪われた可能性が高まる。
今のクレマリアは、誰がどう見てもエドアーノに夢中だ。
今さらディルを魅了して私から奪い取ろうとすることはないと思いたいけれど……。
絶対にあり得ない、とは言い切れない。
彼女は弟と添い遂げるためならば、手段を選ばないだろう。
主人公と言う存在は、絶対正義だ。
周りから見た時どれほど薄情で非道徳的な行いをしていても許される。
――何も起こらないことを願いながら、警戒を怠らないようにすればいいだけよね。
そう考えた私は、心配そうにこちらを覗き込むディルに小さく頷き返した。
「公爵はその力を使って、世界征服を目論んでいる。マリアはそれを嫌がっているみたいで……」
「あの人の思惑には興味がありません。エドさまとずっと一緒にいたほうがよほど公爵家の令嬢らしい贅沢な暮らしを営めます。ですから、わたしは絶対に戻りませんよ」
クレマリアはぷっくりと不満そうに頬を剥れさせると、エドアーノの言葉に補足説明をする。
捕虜になったと初めて打ち明けられた際にも公爵家であまりいい待遇を受けていなかったと言う話をしかけていたが、よくよく聞いてみれば想像していた以上にかなり酷い扱いを受けていたようだ。
満足な食事を与えられることなく牢屋に幽閉される。
外に出られるのはアイオハルム公爵が戦地に赴いた時だけで、自由に歩き回ることすら許されない。
まるで灰かぶり姫のように虐げられていた彼女が笑顔で過ごせていられるのは、愛する人がそばにいるからなのだろう。
その話を聞いたら、とてもじゃないが彼女を領地に戻そうとは思えなかった。
「あの人はわたしを、娘ではなく都合のいい駒としてしか扱ってくれませんでした。でも……エドさまだけは、人間として扱ってくださいます」
「マリア……」
「辺境伯で楽しい日々を過ごしてしまったら、公爵家になど戻れません。何があっても絶対に、愛する人と一緒にいたいと願ったのです! だから……!」
クレマリアは己の欲望を叶えるために、魅了の力を使い続けると宣言して見せた。
彼女の意思は固く、説得は難しそうだ。
エドが顔も見たくないと彼女を遠ざければ、話は別だけれど……。
心優しき弟は自分に好意を持っている女性へ酷い態度を取ったりはしないはずだ。
「戦争になってもいいのか」
「構いません。わたしは皆さんを導く勝利の女神ですから。負けることなど、絶対にありえません」
ディナルドの問いかけに対して取りつく島もなく断言した彼女は、アイオハルム公爵に付き従う護衛達がどうなろうとも知ったことではないようだ。
クレマリアが誰よりも愛し心配するのは、エドアーノだけ。
それ以外の人間に異常があったとしても、彼女が心配してやる義理はないと切り捨てるのは、果たして弟的にもいいことなのだろうか。
一般的な倫理観を持っていたら、到底許されることだとは思えないけど。
悪いことなのかを決めるのは、私ではない。
それは、弟が決めることだ。
『マリアはこんなにも僕のことを、愛してくれるんだね。嬉しいなぁ』
クレマリアはこうした解答を望んでいる。
けれど……。
エドアーノはやはり、彼女を領地に戻すべきではないかと言う思いが捨てきれないようで――。
「マリア。僕は……」
エドが彼女を説得しようとした瞬間、何かを察知したディルとほぼ同時にクレマリアが辺境伯の東側に視線を向ける。
私とエドアーノは、やや遅れてその方向に目を凝らす。
「やっぱり来たか……」
ディナルドはすぐさま右手で敵襲を告げる鐘を鳴らすと、領地の住民達に危機を告げた。
領民達が籠城戦に備える中、クレマリアはエドアーノの腕に絡みつくと、ディルを見上げて妖艶に微笑む。
「お兄様。腕を折られた時の恨みを、晴らすべき日が来たようです」
「オレはお前の兄じゃねぇんだけど」
「エドさまとわたし、あなたとお姉様が結ばれたなら、義理の兄妹となります。呼び方にはなんら不自然はないかと」
「そうかい」
「ええ。そう言うものです」
アイオハルム公爵率いる軍隊が押し寄せているのに、随分悠長な会話をしている。
――その油断が、命取りにならなければいいけど。
そう考えていると、脳内マップにデカデカと文字が表示された。
『緊急ミッション! アイオハルム公爵に勝利せよ!』
私には残念ながら、戦う力などない。
辺境伯を勝利に導く魔法など、発動できるはずがなかったけれど……。
「エル」
ディナルドは私を抱きかかえたまま、真剣な眼差しとともに重苦しい声で名を呼ぶ。
これから紡ぐ言葉を伝えづらいのか、その瞳は揺れている。
「オレと一緒に、戦ってくれねぇか」
一度目は前世の記憶を思い出したばかりで混乱していたから、断ってしまった。
でも。今は、あの時とは状況が異なる。
今回は、ディナルドだけが犠牲になれば済む問題ではないのだ。
アイオハルム公爵との戦争に負ければ、辺境伯が公爵家の領地になってしまう。
何がなんでも彼らを退けなければならない状況であれば、その申し出を断ることなどできないはずで――。
「私が力になれることは、そう多くはないと思うけど」
「いや。エルにしかできないことがある。あの男は煩悩が多そうだからな……限界が来る前に、切り上げろよ」
「……わかった」
私にしかできないことなど、一つしかない。
渋々小さく頷き返せば、ディナルドはエドアーノと視線を合わせた。
「後方支援、頼んだぜ」
「気をつけて」
「勝利の女神が、お兄様とお姉様に輝きますように」
エドと腕を絡めたクレマリアは、両手を重ね合わせて祈りを捧げると目を閉じる。
さすがは主人公だ。
その姿は、一枚の絵画のように美しい。
瀬戸留美として、少女漫画で描かれたシーンを見ることはできなかったが――まぁ、悪くはない光景だ。
「移動するぞ」
「いつでもどうぞ」
エルミーヌに生まれ変わったせいで素直に喜べず、複雑な思いを抱えながらも、転げ落ちないようにディルの首元へしっかりと抱きつく。
彼は力強く私を支えると、見張り塔から勢いよく飛び降りてその場をあとにする。




