クレマリアの魔法
「……君は……」
「危機を退けただけですよ? 何も悪いことはしていません」
――どう考えたって、何かしているだろう。
あれほど彼女のことを思って声を荒らげていた侍女が急に大人しくなり、踵を返したのだ。
間違いなく魔法を使っている。
命令形の何かだろうか。
作中で、主人公がそうした才能を発揮することはなかった。
彼女のピンチにはいつだって、恋のお相手となるイケメンが駆けつけて解決していたからだ。
「マリア」
「エドさま。知りたいですか?」
「それは……」
「わたしを婚約者にしてくださるなら、打ち明けても構いませんよ」
エドの問いかけであればいつだって笑顔で答えるクレマリアは、交換条件を満たせない限りは話せないと不敵な笑みを浮かべる。
――これは、駄目なやつかも。
私の脳内に表示されるマップには、随分と長い間彼女にまつわるミッションが表示されていた。
『通常ミッション。クレマリア・アイオハルム公爵令嬢を領地に戻せ!』
クレマリアが領地に戻るためにやってきた迎えを、彼女自身が謎の力を使って追い返してしまったのだ。
このままでは、ミッションが失敗してしまう。
今すぐにでも、あの侍女に連れ帰ってもらえるように説得したほうがいいのではないだろうか。
――目を見て心を読めば、心変わりした理由がわかるかもしれない。
脳内マップに表示された侍女を表す人形が、ピコンピコンと点滅しながら領城の出入り口に向かって歩いていく。
私はその様子を確認しながら、身体を抱き上げているディナルドに上目遣いで懇願した。
「降ろして」
「嫌だ」
「今ならまだ、間に合う。あなただって、いつまでもマリアが辺境伯で暮らし続けることをよく思ってはいないでしょ」
「……オレのエルにちょっかいを出すなら、黙ってねぇけど。こいつはエドしか見えてねぇし、どうでもいい」
「戦争になるよ」
「自称勝利の女神が味方なら、そう言う状況になったとしても勝てるだろ」
「能天気すぎる……」
「今さら気づいたのか? 今に始まったことじゃないだろ」
ディナルドは私の足を地面に下ろすどころかより強く抱きしめると、離れるのを嫌がった。
――本当にもう。この男は……!
どうして思い通りにならないのかと苛立ちながら睨みつけていれば、脳内マップにある変化が起きていることに気づく。
「この表示……」
「エル? どうした?」
ディナルドに問いかけられたが、彼に構っている暇などない。
護衛騎士から報告を受けた人が、こちらに進行して来ていることに気づいたからだ。
その人物とは――。
「何事だ!」
モントーネ辺境伯。
ディナルドの父であり、そう遠くない未来に命を落とす領主だ。
私を抱きかかえたまま、息子のディルはやけに芝居がかった口調で頭を垂れた。
「これはこれは、親父殿。ご機嫌麗しゅうございます」
「簡潔に現状を報告しろ」
「アイオハルム公爵家との交渉は決裂しました」
「なんだと?」
「テルセート公爵令息に惚れた本人が、迎えを追い返しちまったんでな。金を受け取り捕虜も開放することなく私腹を肥やしているようじゃ、戦争を仕掛けられたって文句はいえねぇよ」
「どう言うことだ! こちらには、捕虜解放の意思がある! 貴様の我儘で、領民を危機に晒すつもりか!?」
「モントーネ伯、落ち着いてください……。マリアが怖がります……」
「テルセートの息子は黙っていろ……!」
ディナルドの父親は領民の安全を第一に考える、心優しき領主だ。
部下が傷つくよりは自らが最も危険な任務を担当する徹底ぶりで、人望も厚い。
頭に血が上っている辺境伯は、エドの背中に隠れていたクレマリアを引き摺り出すために弟の肩を掴み、彼女の手を引っ張る。
「……なんの権限があって、わたしのエドさまに命じているのですか」
――おそらくそれが、きっかけだったのだろう。
モントーネ辺境伯は、彼女の逆鱗に触れてしまった。
手を掴まれたまま薄暗い瞳でエドの背中から顔を出したクレマリアは、ふた周りは年齢が異なるであろう中年男性に物怖じすることなく淡々と言葉を紡ぎ続ける。
「エドさまは勝利の女神たるこのわたしが愛した男性です。誰よりも尊き方に命じることを許されるのは、聖女エステラムくらいなもの」
「世迷言を……!」
「誰がなんと言おうとも、わたしはエドさまのそばに居続けます。死がふたりを分かつまで。とても素晴らしい言葉です。ふふ……っ」
「う、ぐ……っ。あ、たま、が……!」
「親父?」
クレマリアが薄暗い瞳を讃えて微笑めば、辺境伯が頭を抑えながら苦しそうに呻く。一体何が起こっているのかとディナルドが眉を顰めて父親に呼びかけるが、息子の声は聞こえていないようだった。
どうなっているの?
これじゃまるで、さっきと一緒だわ……。
私は先ほど彼女を迎えに来た侍女を追い返した様子を思い浮かべ、二人の会話を見守った。
「わたしにさえ従ってくだされば、辺境伯は勝利したも同然です。抗うことなく、受け入れたら楽になれますよ」
「あ……くま、め……っ!」
「ふふ。かわいい顔した悪魔。とっても素敵な響きです。神様が聞いたら、罰が当たりそうですね。ああ、もう……当たっていましたか」
「……ああ……そうだ……」
クレマリアが妖艶な笑みを称えた瞬間、辺境伯は頭を手で抑えるのをやめた。
私達の間には、緊張が走る。
子ども達が見守る中ゆっくりと顔を上げた彼の瞳は、先程踵を返して去って行った侍女と同じように瞳孔が開き――クレマリアの方へ身体を向けるとその場で膝をついた。
「数々の無礼をお許しください。アイオハルム公爵令嬢。すべてあなたのご意思のままに」
これに驚いて目を丸くしたのは、息子であるディナルドだ。
ディルは父親が辺境伯として誉れ高き人間であり、よほどのことがない限り目下の人間に頭を下げることなどないと知っていたからだ。
眉を顰めた彼は、クレマリアに低い声で問いかける。
「おい。どうなってやがる」
「こんなところで、手の内を明かすとでも?」
「エド」
「そうだね。兄さん。辺境伯をこのままにはしておけない。マリア。何をしたんだい?」
「エドさまだけは、教えてあげてもいいですよ」
クレマリアは辺境伯を跪かせたまま、エドアーノの耳元でコソコソと何やら囁いている。
その様子を見つめていたディナルドは、私を抱きかかえ直すとさり気なく腰元につけた鞘に手を伸ばす。
「ディル」
――まさか、マリアを叩き斬るつもり?
弟は彼女に好意を抱いているようには見えないけれど、甘んじて受ける姿勢であることは確かだ。
余計な争いを産むべきではないと目線だけで睨みつけて叱りつければ、ディナルドは目元を緩ませた。
「エルが無事なら、手は出さねぇよ」
「わたしは見境なく人を襲う魔獣ではありません!」
「……辺境伯は、元に戻るんだね」
「はい。わたしの命令通りに行動したあとは、自由です」
「……兄さん。あとで説明するから、今は……」
「はいよ」
ディナルドが警戒心を解いたことを確認したクレマリアは、ひらひらと辺境伯に向かって手を振る。
ディルの父親が虚ろな表情のまま護衛騎士を連れて去って行く後ろ姿を見守ったあと、彼は不敵な笑みを浮かべて彼女に切り出した。
「さて、聞かせてもらおうか」
「そうだね。場所を移動しよう」
開けた場所でクレマリアの秘密を曝け出すのはよくないと、エドアーノは考えたのだろう。
私達に場所を移動するように告げると、彼女と腕を絡めて離れないように密着したまま歩き出した。




