もう、笑わない
「姉さん。もういいの?」
「ディルのほうがマシ」
「ああ……うん。僕もそう思うよ。頑張って」
「エドさま! 酷いです! わたしのほうがずっと素敵で美しく、聞き分けがいい子のはずなのに……!」
「そうやってさり気なく、誰かを下に見ている所があんまり好きになれないんだよね」
「そ、そんなことしてません!」
弟から梯子を外されそうになったクレマリアは、猫を被り直して甘えた声でエドアーノに縋りつく。
心優しき主人公の影など、どこにも見当たらない。
現実世界の人間が二次元キャラとして描かれると美形になるように。
ミストラルの密約では、相当美化されていたのだろう。
それか、私のように別人の魂が入っているか……。
とにかく、どっちでもいいけど。
不快であることには間違いない。
部屋を出た私は、外で待機していた護衛騎士を見つめる。
彼はまさか自分から出て来るとは思わず、驚いているようだった。
「お嬢様?」
「ラチェット。今までありがとう」
「もう、よろしいのですか」
「よくはないけど、あの二人と一緒にいるよりはマシ」
「はっ!」
ラチェットに声をかけてから、場所を移動する。
かなり長い間ベルクフリートに籠城していたから、外に出ると太陽が眩しくて仕方ない。
――焼き殺されてしまいそうね。
薄暗い部屋の中で膝を抱えて泣いているのがお似合いだと、自然界から嘲笑われているかのようだった。
――そんなわけないけど。
瀬戸留美の記憶を思い出してから、夢と現の境界が曖昧になっている。
幻覚のエルミーヌに罵倒されたかと思えば、原作では語られることのない光景を思い出したり、思考をしようとすればPRGの世界地図のようなものが表示され続けて邪魔だし……。
本当に散々だ。
日本で生きた記憶なんて、思い出さなきゃよかった。
「ねぇ、ラチェット」
「はい」
「私が縦ロールでうろついていた時のこと……覚えてる?」
「縦ロール?」
「ここが、くるくると巻かれている髪型」
「ああ……はい。面と向かってお話をしたことはありませんが……」
ちょうどいい。
ディナルドには聞きづらいが、護衛騎士にならば世間話として受け取ってもらえるだろう。
そう考えた私は、話を続ける。
「今と比べて、どう」
「申し上げてよいものか……」
「いいよ。率直な意見を聞かせて」
「人柄が、かなり変化しているかと」
「いいか悪いかなら、どっち」
「私個人の感想で、よいのでしょうか」
「うん」
「でしたら、大変好ましくなりました。以前はモントーネ卿以外と、言葉を交わすことすらありませんでしたので……」
かつてエルミーヌは、ディナルドに絶対的な信頼を寄せていた。
今では彼を遠ざけ、他の人との交流を深めている。
その違いはやはり、傍から見れば異質なものに映るらしい。
「ディナルドにとって私の変化は、悪いことに該当するんだろうね」
「お嬢様……」
ラチェットは何か言いたそうに私を呼ぶと、視線を逸らした。
どうやら、目を合わせて思考を読み取られることを警戒しているようだ。
魔力の無駄遣いをすれば、体調を崩してしまう。
私は彼の視線を追うことはせず、じっと護衛騎士の主張に耳を傾ける。
「聖女エステラムの予言は絶対です。しかし、あれほどまでに強くモントーネ卿を拒絶する必要があるとは思えないのですが……」
「私よりも、ディナルドの意思を優先するの」
「いえ! そんなことは! ただ……」
「何」
言い淀んでいないでさっさと言葉に出せと凄めば、彼は視線を逸しながら私に告げた。
「……お嬢様は、笑わなくなりました。やはりディナルド様にしか、あなたの笑顔は……」
――笑顔、か。
心の底から楽しいと思える経験は、私がエルミーヌ・テルセートとして生きていく限り訪れることはないだろう。
彼女だって、そうだ。
作中で妖艶な笑みを浮かべることはあっても、キラキラと輝く笑顔を浮かべることはなかった。
「……ディルがそばにいたって、もう……笑わない」
「お嬢様……」
私が微笑むのは、死を回避できた時だけだ。
暇を潰してから、ベルクフリートに戻ろう。
そう考えた私はラチェットを伴い、再び1階にやってくる。
牢屋の前で座り込むと、膝を抱えて目を閉じた。




