悪役令嬢に転生?
「オレ達の結婚を、よく思っていない奴らがいるみたいだぜ」
パチリと目を見開けば、驚くべき光景が広がっていた。
なんと! ミストラルの密約に登場する騎士団長、ディナルド・モントーネが先程まで読んでいた漫画と寸分違わず同じ言葉を紡ぎ出したのだ!
これにはどう反応していいのかわからず、理解に苦しむ。
漫画では彼の婚約者であり公爵令嬢のエルミーヌ・テルセートしかこの部屋には描かれていなかったからである。
――テルセート公爵家のメイドにでも、転生したのかしら……?
そんな二次元の世界にありがちなことが、現実で起きて堪るものか。
これは悪い夢だ。それほど長続きはしないだろう。
トラックの下敷きになって死んだのがショックすぎて、現実逃避をしているだけに決まっている――。
その思考は、数秒立たずに棄却されてしまう。
「エル?」
なぜならば、目の前にいる男がこちらをじっと見つめて悪役令嬢の愛称を呼んだからだ。
私は自分がメイドに転生したことなどすっかり忘れて、部屋をぐるりと見渡す。
白を基調とした20帖ほどの広々とした部屋には、私と彼の二人だけしかいなかった。
――おかしい。
どうして公爵令嬢がいないのに、この男はこちらを見つめて愛称を呼んだのだろう。まさか、聞き間違い?
『エルはどこだ?』
つまり、メイドの私に愛する婚約者はどこだと問いかけているのだ。
そんなこと聞かれたって、知っているはずがない。どうして自分がこの部屋に突っ立っているのかさえも心当たりがないのだから。
「も、申し訳ございません……。お嬢様がどこにいるかについては、私も……」
「なんだって?」
公爵令嬢がどこにいるかなど把握していないので、自分で探してください。
そう伝えるつもりだったのに、彼は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で聞き返してきた。
自分よりも格上の人間に、メイドである私がそんな言葉をストレートに投げかけるわけにはいかないわよね。
そう考え直し、オブラートに包んで声を発する。
「お嬢様の居場所は、存じておりません」
「おいおい。誰の話をしてんだ?」
肩を竦めたディナルドは、質問に答えたはずなのに納得してくれなかった。
――これ以上、どう言えば納得してもらえるの?
さすがは公爵令嬢を罠にかけ、冤罪で処刑した諸悪の根源だ。
性格が最悪すぎる。
不快感を露わにした私は、彼女の名前を口にした。
「エルミーヌ・テルセート公爵令嬢のことです」
「ああ、そうさ。実は双子だったのか?」
「婚約者の名前すらも、忘れてしまったのですね……」
「何言ってんだ? エルはお嬢ちゃんだろ」
「はい?」
今度は私が、彼と同じように驚愕で目を見開く番だった。
この男は、どうやら私がエルミーヌ・テルセート公爵令嬢だと言いたいらしい。
そんなわけがないだろう。
私の名前は瀬戸 留美。
26歳の日本人だ。
私がミストラルの密約に登場する悪役令嬢だなんて、絶対にあり得ない。
「これからって時に、戦力外になられちゃ困るぜ。今回の任務は、エルの協力が必要不可欠なんだ。しっかりしてくれ」
「任務……?」
「もう忘れちまったのかよ。言ったろ。オレ達の結婚を、よく思っていない奴らがいるって。そいつをどうにかしなきゃ、ずっとこのままだぞ」
「婚約者のままってこと?」
「そうだ。オレ達は愛し合ってんのに、夫婦になれないんだぞ。エルだって、耐えられないだろ?」
ディナルドは私が公爵令嬢であると信じて疑っていないようで、当然のように愛称で呼び続ける。
もしも本当に、私がエルミーヌ・テルセート公爵令嬢に転生していたとしよう。
この光景が、死ぬ直前に読んでいた漫画の出来事と地続きであれば――彼の問いかけに頷き、不安そうに問いかけるべきだ。
数分前に読んだばかりなのだから、そのセリフは一言一句違わず覚えている。
けれど、私は知っている。
原作通りの人生を歩めば、六年後に処刑されてしまうと――。
「それの何が、悪いことなの?」
だから私は問いかけた。
純粋無垢に。さっぱり理解できないと、笑顔を浮かべて。
――だって私は、ディナルド・モントーネが嫌いだもの。
この人が彼女を悪の道に引きずり込んだから、公爵令嬢は命を落とすことになるのよ?
悪役令嬢に転生しているのが本当だとしたならば、原作通りの未来を歩みたくないと抵抗するのは当然のことでしょう。
私は彼の、操り人形になるつもりはない。
公爵家のエルミーヌ・テルセートとして、悪人に捌きを下す人生を送るのよ!
「あなたと結婚しなくたって、なんの問題もない。一人で生きていけばいいだけのこと」
「オレと婚約破棄したいって? 冗談だろ」
「いいえ。私は本気よ」
原作通りの言葉を、こいつの口から紡ぎ出させるわけにはいかないのだ。
何がなんでもこの場で婚約破棄をしてみせると決意をした私は、彼の顔をじっと見つめた。
ディナルド・モントーネ、16歳。
21歳と言う若さで辺境伯の騎士団長に任命される、若き英雄だ。
ちゃらんぽらんな印象を与える口調に似合わず、剣術の腕はピカイチ。
戦闘時に邪魔とならないよう、茶髪はつねにオールバックでまとめ上げられている。
切れ長が印象的な瞳は、感情が読み取りづらい黒色。
愛し合っていたはずの私から、婚約破棄と言うあり得ない言葉が飛び出てきたからでしょうね。
人当たりのいい笑顔を浮かべていた彼は、突如として表情を変化させた。
――本性を表したわね……。
その表情は、私が最後に見た漫画のワンシーンと遜色ない。
やはりこの男が諸悪の根源なのだと確信し、ゆっくりと後退りする。
「おいおい、なんで警戒するんだ。オレは愛しの婚約者様だろ? まるで、敵みたいな態度を取るじゃねぇか」
「来ないで……!」
「怯えちまって……。そんなエルも、かわいいけどな……」
「――それ以上近づくなら、魔法を使うわ!」
後退りしているうちに、壁際へ追い込まれてしまった。
彼は勝利の笑みを浮かべると、私を壁と自分の間に挟んでこちらの出方を窺っている。
つまり、この状況は壁ドンだ。
少女漫画じゃあるまいし……。
そう愚痴を溢したくなったけれど、私達は元々ミストラルの密約の登場人物だったのだから、おかしなことではないだろう。
最悪の場合は、目潰しをして逃げるしかないか……。
物騒なことを考えながら、子どもの癇癪を宥めるような優しい声で囁く彼を睨みつけた。
「やれるものなら、やってみるといい。エルはオレに、どんな魔法をかけてくれんだ? ん?」
魔法なんか発動できるわけがないと、馬鹿にされている……!
エルミーヌ・テルセートとして生活していたはずの記憶が一切思い出せないこの現状では、魔法を発動させるなど無理しかない話ではあるのだけれど。
ミストラルの密約を読んで、彼女の得意な魔法が心を読むことだと知っていた私は、ディナルドが考えていることを読み取ろうと四苦八苦する。
――漫画の中で彼女は、どうやって魔法を発動していたのかしら……?
作中では主人公の視点で語られることが多かったため、エルミーヌが読み取った他人の感情が描写されることはなかった。
だが、彼女が魔法を発動したのだとわかる場面は、何度か目にしたことがあったのだ。
それを思い出した私は、さっそく実践を試みる。
確か、対象の目を見つめて――。
「――教えて」
その言葉が、合図となった。
『普段と喋り方が違う。魅了魔法か? 人のものに手を出すなんざ、いい度胸をしている奴も居たもんだな。命が惜しくないみてぇだ。さぁ、どうやって料理してやるかね……』
ディナルドは心の中で、物騒なことを考えているようだ。
さすがはいずれ騎士団長として辺境伯の中心人物になる男ね。
変な勘違いをして、このまま突っ走ってしまいそうな危うさがある。
ああ、もちろん、褒めてないわよ?
その誤解を解いてあげたいのは山々だけれど……。
口に出していない思考にツッコミを入れたら、私が魔法を使ったことがバレてしまうじゃない。
この場面を、どうやって切り抜ければいいの……?
『そんなことより、今は様子のおかしいエルを正気に戻すのが先決だ。いつも通りたくさん構ってやれば、すぐにでもかわいい姿が見られるだろ。愛の力は偉大だからな……』
私が戸惑っていると、再び彼の声が聞こえた。
邪なことしか考えていないようだ。
脳内はピンク一色に染まっている。
こいつの頭の中で考えていることを読み取った所で、なんの意味もない。
無駄に魔力を消費してしまったことを悔やみながら、視線を逸らした。




