勝利の女神なんて設定は原作にはない
「姉さん?」
――どうして、彼女がここにいるの。
あり得ないと否定して目を擦り、首を振っても彼女はエドの背中から顔を出して不思議そうにこちらを見つめているだけだ。
頬を抓って痛みを感じることでここが本当に現実であるかを確かめようとすれば、背中から抱き竦められ――手首を掴まれてしまった。
「何やってんだ!」
喉元を自分で締めつけ、自害するのではと勘違いしたのかもしれない。
ディナルドはもの凄い剣幕で怒鳴りつけると、肩越しに頭を乗せて耳元で囁く。
「頼むから……居なくならないでくれ……」
私の婚約者様は、どうやら絶賛情緒不安定のようだ。
――情けない所を見せて、同情を引こうとしても無駄なのにね。
気にしないでおこうと決め、彼女をじっと見つめた。
「スカレステ……。誰でしょう……?」
「あなたの家名ではないの」
「いいえ。わたしの名は、クレマリア。アイオハルム公爵家の娘です」
「……公爵の……?」
そんなわけがない。
彼女は確かに作中で、スカレステを名乗っていたはずだ。
身寄りがなく、学園に入学するまでは教会で暮らしていた。
辺境伯と敵対する公爵家の血が流れているなど、あり得ないはずなのに……。
「……お姉様が驚くのも、無理はありません。わたしの存在は長らく秘匿されておりました」
「それはなぜ」
「妾の子は、不吉をもたらすからです」
彼女は公爵家で働いていたメイドから生まれた、婚外子であったそうだ。
つい最近まで教会で暮らしていたようだが、あることがきっかけでアイオハルムの娘を名乗ることになった。
「でも、あの人はわたしに言いました。クレマリアは、公爵家に勝利を運ぶ女神であると」
――戦場で指揮を執るアイオハルム公爵の隣には女神のように美しき紅蓮の髪を持つ少女が控え、祈りを捧げている。
彼女が現れるようになってから、彼らは負け知らず。
破竹の勢いでさまざまな領地を侵略しているのだ。
その噂は、戦場に出ない私達淑女の間でも話題になっていた。
――クレマリアが勝利の女神?
そんな大事な設定があるならば、なぜ作中で語られることがなかったのだろう。そもそもそも、彼女の語る言葉が真実であれば――。
「わたしはあの人に言われるまま、戦場に同行しました。ですが……」
「……マリア、もういいよ」
「エドさま!」
言いづらい何かがあるのだろう。
エドの背中をギュッと握りしめた彼女に、弟が声をかけた。
クレマリアはぱっと表情を明るくすると、満面の笑みを浮かべて嬉しそうにする。
その反応は、作中の主人公とまったく同じだ。
エドアーノはミストラルの密約で、メインヒーローを勤め上げていた。
私の知っている未来には二人が結ばれる様子は描かれていなかったが、読者としては相思相愛であることが一目でわかる反応を見せていたはずだ。
だからこそ、エルミーヌを裏切って二人の仲を邪魔するように彼女のことが好きだと宣言したディナルドの行動には腹が立って仕方なかったのだ。
「お姉様には、わたしから事情をお話したいのです。家族になる方ですから……」
「……家族って、何」
「あー……。なるほど。これか?」
ディナルドは背中から私の胸元に回していた手を外し、左手の小指を指切りするように掲げて見せた。
エドの反応は思わしくなかったが、クレマリアは頬を赤らめて恥ずかしそうにしながら爆弾発言をする。
「わたしは、エドさまをお慕いしておりますので……」
「何やってんだ。敵領地の娘を引っかけてくるとか、正気とは思えねぇ」
「僕が提案したわけじゃないよ。勝手に着いて来ちゃったんだ……」
「勝手に……」
「アイオハルム公爵家の残忍なやり方は好みません。わたしはエドさまと幸福な時を歩みたいのです。そのためでしたら捕虜でもなんでも、構いません。惚れさせればいいだけの、話ですから。ふふ……っ」
――ちょっと待って。
原作と、キャラが違う……。
ミストラルの盟約の主人公は、もっとおどおどとしていて……おとなしい性格をしていたはずだ。
恥ずかしそうにハニカム笑顔が素敵な少女。
こんなふうに、含みのある表情をするような子ではないはずなのに……。
私と同じで……中身が違ったりするのだろうか……。
一抹の不安を抱えながら、エドの反応を確認する。
弟はクレマリアの微笑みに怯えることなく、困ったように頭を抱えていた。
早くも破天荒なお転婆娘に手を焼いているらしい。
日本で当て嵌めれば、まだ小学生なのに。
もう惚れた腫れたの大騒ぎなんて大変だ。
そうエドアーノに同情していれば、私の顔を覗き込んできたディナルドに頬を突かれた。
「何」
「いつまでエドのことばっか気にしているんだ。少しはオレのことも構え」
「甲斐甲斐しく、面倒を見る気はない」
「冷たいこと言うなよ」
「あなたに好かれるのは、迷惑」
「好感度が上がるようなことはしたくないって?」
「まぁ……」
「それは無理だな。諦めろ。今こうして冷たくあしらわれていても、エルのことが好きな気持ちが変化することはない」
――六年後、エドの背に身を隠す主人公へ心変わりする男から永遠の愛を誓われた所で、説得力がなさすぎる。
どれほど冷たくあしらっても愛し続けると発言された以上は、遠慮などいらない。
積極的に塩対応を心がけようと決めた。
「エドさま! お姉様とそちらの殿方は、どのようなご関係なのですか?」
「ああ……二人は婚約者なんだ」
「そうでしたの? 仲睦まじくて、羨ましいです……!」
クレマリアは弟に私達の関係を確認すると、手を叩いてキラキラとした瞳でこちらを見つめてきた。
きっと、自分とエドが婚約した時のことを想像しているのだろう。
現段階では相当エドアーノに入れ込んでいる様子だが、どうして原作では複数人の男をたぶらかしていたのだろう……?
彼女の考えがまったく理解できず、私は警戒を解くことなく弟達を見つめた。




