婚約破棄と安否不明
「エルミーヌが、テルセート公爵にご挨拶申し上げます。突然ですが、お父様。ディナルド・モントーネとの婚約を破棄してください」
私の宣言した言葉が理解できなかったのだろう。
父は眉を顰めると、こちらを睨みつけてきた。
「戯言を……」
「私は本気よ。あの人と結ばれた所で、我がテルセート公爵家に利益はない。愛に溺れて悪行の限りを尽くした悪魔を輩出した家系と馬鹿にされても構わないのなら、このままでもいいけど」
「……悪魔、だと」
「彼と結ばれたなら、私はいずれそう呼ばれる女になる」
「何を根拠に……」
「神のお告げ」
この世界は、宗教戦争真っ只中のドイツとよく似ている。
二つの宗派に別れ、争っているのだ。
我がテルセート家は皇帝に仕え、聖女エステラムを絶対神と崇め信仰しているが、敵対するアイオハルム公爵家は聖女エステラムの化身たる人間の娘を勝利の女神と祀り上げ、彼女こそがこの世界の代弁者と声を上げる。
彼らは言葉だけでは分かり合うことができず、武力行使をするようになった。
私がアイオハルム公爵家の人間であれば、勝利の女神と呼ばれる少女に取り入って後ろ盾になってもらわなければならなかったが……。
テルセート公爵家に生まれたことにより、大した努力もせずに神のお告げをでっち上げることに成功したのだ。
――天は私に、味方しているわ!
気分がよくなり、神妙な顔のまま重苦しい口調で嘘を紡ぎ続けた。
「聖女エステラムが夢の中で教えてくれた。この結婚は、悪縁であると」
「なぜ、貴様に聖女エステラムの祝福が……」
「さぁ? 私に同情してくれたんじゃないの。このまま彼との縁を繋ぎ続けていれば、訪れるのは最悪の結末。抗うことなど、出来はしない」
「ならば、戦争はモントーネ辺境伯の勝利で終わっていなければ辻褄が合わん……」
お父様は低くか細い声で思わぬ言葉を紡いだ。
――戦争?
その単語を耳にしたことで、ディナルドは敵対するアイオハルム公爵の首を不意打ちで打ち取るために私を戦地に引き摺り出すつもりだったことを思い出す。
原作では無事に公爵を倒し、その瞬間をヒロインが初恋の少年と目撃してしまった所から物語がスタートするのだ。
『これは、二人だけの秘密だよ』
一目惚れの相手に耳元で囁かれた主人公は、律儀にその約束を守り続けて6年間を過ごす。
いつかまた、愛しい彼との再会を夢見て。
「モントーネ辺境伯はアイオハルム公爵の戦いに勝利していないの?」
父は固く口を閉じ、押し黙ってしまった。
この反応は間違いない。
原作通りに、話が進まなかったのだろう。
「貴様が知る権利はない」
「婚約者がその戦いに参加しているの。教えて」
「断る。その婚約者と関係を絶ちたいと懇願してきたのは貴様だ」
「……それが聖女エステラムの意思だけど、彼に何かあったなら撤回する」
「神のご意思に背くのか」
「いずれは従うことになる。それが、早いか遅いかだけ」
父は女神のお告げに半信半疑な状態で、私のお願いを聞くつもりはなさそうだ。
――仕方ない。こっちで独自に調べるか……。
お父様に頼ったのが間違いだった。
そう考えた私が踵を返し、ランジェットを連れてその場をあとにしようとした時のことだ。
父は私に、思いがけぬ言葉を告げる。
「――戦争には勝利したが、多くの犠牲者が出た。子どもの浅知恵を採用するから、天罰が下ったのだ」
「そう。ディナルドとエドは……」
「エドは此度の戦争にて大きな戦果を上げた。しかし、モントーネ辺境伯令息は……」
「どうしたの」
「――行方がわからん」
――行方不明?
私の顔から、すぐに表情が抜け落ちた。
ドクドクと心臓が高鳴り、息苦しくなったのは……。
もしもの可能性が、現実のものとなってしまったかもしれないと焦ったからだ。
――だって。そんなはずは。
少女漫画の中では、この戦争で勝利するはず。
あり得ない……。
何度心の中で否定した所で、嘘を嫌い聖女エステラムに忠誠を誓う父が虚偽の報告をするわけがないと頭の中でけたたましい警報音が響いている。
『あなたのせいですわ』
――目を閉じれば、頭の中で原作通りに行動しなかったお前のせいだと私を責めるエルミーヌの幻覚が見えた。
「お嬢様……」
うろたえている私を見かねたランジェットが、苦しそうな声で呼びかけてくる。
彼はどうやら、人の痛みがわかる聖騎士であるらしい。
――近くにこれほど素晴らしい騎士がいたのに、どうして彼女はディナルドしか眼中になかったのだろう。
不思議に思いながらも、拳を握りしめてからゆっくりと瞳を開く。
――動揺しては駄目。
ヒステリックに否定すれば、真実からは遠ざかってしまう。
つねに冷静沈着に。
問題を解決する為には、小さな違和感を見逃さず徹底的に調べ上げることが重要だ。
彼が本当に行方不明になったのであれば、探し出さなくてはならない。
原作通りに事が運ばなくたって、私の人生にはなんの支障もないけれど。
私は彼に死んでほしかったわけじゃない……!
――そこまで考えて、はっとした。
瀬戸留美にとってディナルドは、少女漫画の悪役だ。
大切な人だとは思えないのだから、心を乱す必要などないでしょう?
たとえ彼女の記憶を追体験したとして。
心の奥底では、消しきれなかった恋心が眠っているとしても……。
エルミーヌとして生きようとするから、彼と過ごした日常を思い浮かべてしまって動揺している。
スイッチのオンオフを切り替えるように人格の入れ替えを行えば、私は冷静でいられるはずだ。
「安否不明なの」
「そうだ。忽然と姿を消した」
「敵の手に渡った可能性は」
「そうした話は、現段階ではない」
「どうして言い切れるのか……」
「軍事機密を娘に、ペラペラと話すわけはないだろう。そこまで耄碌はしておらん」
つまり、これ以上父からは情報を引き出すことが難しいと言うことだ。
手がかりらしいものが一切ない状態で、どうしろって言うのよ?
「貴様から婚約破棄を提案しなくとも、すでに息を引き取っている可能性もあるのだ。世迷言など、口にするな」
私が戸惑っている間に、父から高圧的な態度で厳しい言葉が投げかけられる。
それは婚約破棄がしたいと伝えた際のものと矛盾しているような気がして、思わず問いかけてしまった。
「お父様は、ディナルドの生存を願わないのね」
父の顔色は不機嫌そうなまま、変化することがない。
長い沈黙のあと紡がれたのは、想像もしていない単語だった。
「聖女エステラムの予言が事実であれば、娘を悪魔に生まれ変わらせる男なのだろう。オム・ファタールと結婚など、冗談ではない」
――お父様は、でっち上げた予言の言葉を信じたの?
聞き慣れない横文字に困惑していれば、彼はこれ以上話すことはないとばかりに背を向けた。
――これ以上、話を聞くことはできそうにないか……。
「マストンド卿、戻るよ」
「はっ!」
父との会話を諦めラチェットの家名を呼ぶ。
彼はお父様ではなく私の命令に従ってくれるようだ。
自由に使える聖騎士を手に入れられたのなら、だいぶ楽になるかもしれない。
踵を返して礼拝堂を出ようとすれば、後方から重苦しい声が聞こえてきた。




