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エメラルドグリーンの誘惑  作者: 氷室ユリ
第六章 揺るがない心
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共生への道(1)

 ラウルに呼ばれた新堂は、やや緊張の面持ちで書斎のデスク前に立つ。

 こんなシーンはこれまでに数回あったが、何度経験しても緊張してしまう新堂。


「呼び出して済まない」

「いえ。特に何もしていませんでしたので」

「まずサラについて、礼を言う。度々の診察と治療に感謝する」

「それでしたらお気になさらず。今や、ユイさんの主治医というよりも、サラさんの主治医になりつつありますね!」

「その事で話がある」


 何の話で呼ばれたのか、薄々勘づいていた新堂は口をつぐむ。

――来ると思ったよ。あやふやにしてた俺も何だが?いつの間にか、こんなに時が過ぎてしまっていた…――


「まだ考えは変わらないか?」

 以前のような威嚇めいた口調ではなく、どこまでもリラックスした様子でラウルが切り出す。

「そうですね…」

「歯切れの悪い回答だな。即答しないのなら、こちらに望みはあるという事か」

「こうして長居している時点で、そうなんでしょう」


「他人事だな!」

 新堂の言い草に、呆れたラウルが鼻で笑う。


「言っておくが、お前との契約は終了している訳ではない」

「はい?」

「私は、ユイと子供を命の危険から守ってほしいと言ったのだから」

「ですからすでに…」

「サラはあの通り体が弱い。今後何が起こるとも限らん。特殊な血液を受け継いでいる事もある。ユイが無茶をしようとするのも気に掛かる。問題山積ではないか。なあドクター?」


「はあ…」

――つまり何だ?あの時点でここに縛り付ける気だったって事か!――

 そう気づいた新堂だが、不思議と拒絶の気持ちは生まれなかった。


「先日もユイにせがまれましたよ、血液のストックを作りたいと」

「やはりな。で…」

「もちろん断りましたよ?」

 新堂の答えにラウルが満足げに頷く。

「お前達の言い合いは聞きたくはないが、あれが役に立つ事もあると知った」

「何とも言い返す言葉がありませんが…いつも騒々しくて済みません」

「いや。特に不都合はない。子供達も今では納得しているようだし」


「ああそうだ、ヴァシル君の事については、重ねてお詫びを…」

――まさか俺のせいで知恵熱を出すとは!発覚した時は焦った。怒鳴り散らされるのを覚悟したが…――


 なぜかそういう事態に陥る事はなかった。未だに不思議でならない事である。

 そして今も、ラウルは怒りの片鱗も見せずに言う。「気にしていない」

 そしてさらにこう続ける。

「新堂。身勝手な願いだが、今後もこの屋敷にいてほしい」


――あのフォルディスが、身勝手な願いだと!こいつも変わったな…。なら俺も変わったっていいか?――


 ある一つの言葉が新堂の頭に浮かぶ。

 共生。特性の異なる者同士が同じ場所に住み、争うのではなくお互いの良さを分かち合い、良い影響を与え合って生きて行く事だ。

 新堂はこれからのフォルディス一家との共生の道を想像してみた。


 真摯なエメラルドグリーンの瞳が向けられて、新堂はまるでその選択を肯定されているような気持ちになる。


「フォルディス家のホームドクターとは言わない。ユイと子供達のホームドクターになってもらいたい」ラウルが畳みかける。

 その言葉には答えず、新堂は語った。

「…いつからか、ここでの生活が心地良く感じるようになっているんです。あんなに拒絶していたマフィアの家なのに!」


 嫌味の籠められたセリフにも言い返す事なく、ラウルは静かに耳を傾ける。


「あなた方家族を見ていると、不思議と温かい気持ちになる。私も年なんでしょうかね?…ははっ!」

 しんみりとした空気を感じて、最後に新堂は笑った。

「私はお前よりも年上だ。言い分は理解できる」対するラウルは真顔だ。

「フォルディスさんも他人事じゃないですか?ご自分の家族なんですから、当たり前ですよ」

「そうだな」ラウルがフっと笑った。


 そして続ける。「だがそれでも、ユイと子供達が眩しく感じるのだ。自分とは別の世界にいるように…」

「それは違いますよ。あなたもちゃんと、同じ世界にいます」

「そういうお前もだぞ?新堂」

「いえいえ!私は他人ですから」

「私よりも子供達と溶け込んでいるように思うが?」

「ご冗談を!単にいいように遊ばれているだけです」


 ラウルは何も言わずにただ笑った。

――お前はもう、このフォルディス家の一員と言える存在だ――


「一つだけ、私の要望を聞いていただけるのでしたら、このお話、お受けしましょう」新堂が改まって言った。

「要望とは何だ」

「興味のある依頼が入った際には、出向かせていただく」

「その間にこの家で何か起きたら?」

「その時は…その時に考えます」


「もう長らく現場から離れているだろう。まだ諦めがつかないのか」

「それは、フォルディスさんが簡単にマフィアを辞められないのと同じかと」

「言ってくれる!」またもラウルが笑った。


――以前、この男との会話は不快感しかなかった。だが今は心地いい――

 引き続き、穏やかなエメラルドグリーンの瞳が新堂に向けられている。


「分かった、その要望は受け入れよう。お前の責任感に免じて?」

「ありがとうございます。では交渉成立ですね。これでユイさんに、血液のストックを作る必要はないとはっきり言えます」

 こう言った新堂の顔には、心からの安堵が浮かんでいた。

――許される限り、おまえの側にいてやるよ――


「感謝する…」ラウルも新堂とよく似た表情で応じる。

――この先、ユイの負担になるものは私が全て排除する――

 ラウルは強く心に誓った。


 あらゆる点で相反する二人の男が、同じ女をこんなにも愛する光景は、実はこの家では初めてではない。恋多きここフォルディシュティ家では悲恋が多かったが、長い長い歴史の中ではこんなハッピーエンドも生まれている。

 そして悲しいかな、愛を注がれる本人達は、ほとんどそれに気づいてはいない。

 繰り返される歴史。この様子を代々見守っているのが、意思を持つエメラルドリングなのである。


 今日もユイの左手中指で、エメラルドは満足げに高貴な輝きを放つ。


・・・


「ギブ!もう無理!ユイ~、勘弁してぇ!」

「ラドゥ、根を上げるのはまだ早いわよ!」


 今日も地下のトレーニングルームでは、ラドゥの居残りトレーニング改めダイエット作戦が行われている。それを見学するダンとサラ。

 ヴァシルとシャーバンは日課のメニューをこなし終えて、すでに退室している。


「ラドゥお兄ちゃ~ん、ガンバレ~」

 サラの気のない応援が室内に響く。すっかり飽きているのにまだ付き合う律義な妹だ。

「サラ様。もう十分です、お部屋に戻りましょう」

 痺れを切らしたダンが声をかけるも、許可は得られず。

「終わるまで見たいの。ダンは戻っていいわよ」

「そうは行きません。でしたら私もお供いたします」


 煩わしそうにダンを見やり、サラがため息を付く。

――あのねぇ、むしろ行けって意味なの!察してよ、バカダン!――

 こんな心での罵りはどこまでもユイである。


 ユイとの違いは、決して顔に出ない事。澄まし顔はラウルから与えられた特権だ。

 大人しい子と思われているサラだが、決してそうではない。

 僅か3歳にして、気を遣いすぎて子供らしさを失っているだけである。それは赤ん坊の頃、いや、生まれる以前からだ。

 心の声とは裏腹なあどけない淡いブラウンの瞳が、ダンからラドゥへと向けられる。


――兄想いのお優しい妹君ではないか…!ラウル様に是非ともご報告しておこう――

 幼子にしては美しすぎる横顔を見つめながら、ダンがこんな感想を抱く。


「ユイ、待ってってば…、うわぁ~っ!」

 ラドゥの叫び声と同時に、ドスンと床に倒れ込んだちょっぴり肉付きの良い体。

 無防備に転がったままのラドゥにユイが近づく。

「ひっ…!」

「隙だらけよ、ラドゥ。これが敵相手だったら完全にやられてるわ」

「もうヘトヘトなんだもん!」

「サラが見ててくれてるのに、いいのかしら?そんなカッコ悪い姿で」


 チラリとサラを見てから、ラドゥが起き上がる。

「まだまだっ!ユイにだって隙があるはずっ」

 奮起したラドゥがユイに襲い掛かる。

「そうそう、その調子よ!…きゃっ」

 一瞬、ラドゥのブルーグリーンの瞳が煌めいた。それに気を取られたユイは、足を払われ体勢を崩す。


 突如驚きの展開となり、ダンも目を見開く。

――ヴァシル様もまだユイ様から1本取った事がないのに!?…ああ待て、俺もではないか…おお情けなやっ――


 立て直そうとしたところで先を読まれ、ユイは崩れた体勢のまま倒れ込んだ。

「くっ…やられた」


 呆然とするユイを前に、ラドゥが騒ぎ立てる。

「今のは?ボクの勝ちでしょ!ねえダン!」

「ええと…正確には一本ではないかと」

「いいのよダン。ラドゥの勝ち。やればできるじゃない。今の気迫シビれたわ、さすが私の息子ね」

「やった~!初めて勝ったぜ!何でこんな時にヴァシ兄とシャーバンはいないんだ?ちぇっ!」


 ラドゥは居残り練習を経て、いつの間にか強くなっていた。確実に成長している息子に、ユイは心からの拍手を送る。

「これで証明されたわね。コツコツやれば必ず実を結ぶの。努力がムダになる事は決してないわ。これからも頑張って」

「は~い!」

「じゃ、今日はここまで。お疲れ様」


 お兄ちゃんスゴ~イ、カッコい~、と大袈裟に囃し立てられ、照れまくりながら共にトレーニングルームを後にしたラドゥとサラ。

 だがダンはその場を動こうとしない。


「ダン、どうしたの?サラに付いててあげて」

「はい…。ユイ様、おケガはございませんか?」

「大丈夫よ。少し油断したわ。ラドゥがあそこまで動けるとは。直前まであんなにヘバッてたのに!」

 まだ座り込んでいたユイに手を差し伸べるダン。

「ありがと…。私も年ね~。昔みたいには体が反応してくれないわ!」


「それを言われると、一回り以上年上の自分はどうなるのです?」

「あははっ、それもそうよね!」

 二人は笑い合う。


「サラも鍛えてみようかな…」ポツリと言ったユイ。

 即座にダンが反論する。「それは反対です」

「どうして?私だって昔は病弱だったのよ。鍛えたからこそ今がある」

「ユイ様とサラ様は違いますから」

「何がよ」

「ですから…」


 そこまで言った時、別の声が響いた。

「珍しいな、お前が倒される姿なんて!」


「新堂先生。まさか見てたなんて言わないわよね?」

「いや。ラドゥがはしゃいでたから、何があったのかと見に来た」

「そんなにはしゃいでたの?調子に乗らないといいけど、あの子!」

 ドア横に立ったままの新堂を見てダンが口を開く。

「ちょうどいい、ドクターの見解を伺おうではないか。サラ様のトレーニングについて」

「まさかサラをしごく話か?」

「そのまさかです」


「却下だ」

 この答えに、勝ち誇った顔になるダン。


「で、サラと私は何が違うって?」ダンに不満いっぱいの顔を向けてユイが聞く。

「それもドクターからご説明いただければと」プイと顔を背けてダンが答えた。

「何の話だ?」一方の新堂は首を傾げている。

「では、自分は仕事がありますので、失礼します」


 会釈したスキンヘッドがキラリと光り、腕組み仁王立ちのユイの目を貫く。

――眩しっ…これよこれ!さっきもこれにやられたんだ。ラドゥのは美しいけど!これってまさか技だったりして?――


 新堂はダンの後ろ姿とユイを交互に見て目を瞬いている。

 そんな新堂に、ユイが言う。

「先生があの子の主治医になってくれたと言っても、ずっと甘えている訳には行かないから」

 すでにラウルから、新堂がホームドクターに就任した件は聞いている。


「だから鍛えて強くさせる、か」納得の行った新堂は言った。

「もちろんハードにはやらない。体力を付ける意味でもいいと思うんだけど」

「それ以前の問題だ。お前とサラの違いを知りたいらしいが、本当に分からないのか?」

「…」口籠もるユイ。分かってはいるが、目を瞑りたい心境なのだ。


「…分かってるわよ。健康体の母から生まれたか、そうでないか。元から不完全な体なら、無理に鍛えようとすれば壊れる」

「そういう事だ」

 サラの体は平均よりも小さい。知能は驚くべき成長を続けているのに、内臓も含めた体の方の成長が鈍いのだ。


「できる段階になったら伝える。だからそれまでは俺に任せてほしい」

「分かったわ…」

 唇を噛んで黙り込んだユイに新堂が言う。「また自分を責めてるだろ」

 そしてこれ見よがしに大きなため息を吐いた。

「そんなだからラドゥに負けるんじゃないのか?」

「そうかもね」あっさりと受け入れるユイ。


 思わず距離を詰めて新堂が突っ込む。「おいおい!そこは否定しろよ」

「だって本当だもの。集中力に欠けているのは事実よ。いろんな事考えちゃって…」

「いろんな事って?」

「だから…サラの事。あの子の本当の気持ちなんて誰にも分からない。私は憎まれてるんじゃないかとか…」

「バカな!付き合いきれん。続きはフォルディスさんとしてくれ。俺は行くぞ」


 落ち込むユイを置き去りにして、新堂は振り返りもせずに出て行く。

「バカ野郎、そういう事を俺に言うなよ…」


 新堂は生まれてすぐに捨てられ施設で育った。

 自分は望まれずして生まれたと負の方向に考えるのは自然な事。捨てるくらいならなぜ生んだ?と、親を憎む気持ちも大いに理解できる。

――自分がサラの立場なら、生んでほしくなかったと答えるさ。そんなヤツがどう慰めろと?――


「きっと、フォルディスさんが解決してくれる。見守ろう」

 これは家族の問題。どこまで踏み込むべきか、新堂は弁えている。



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