共生への道(1)
ラウルに呼ばれた新堂は、やや緊張の面持ちで書斎のデスク前に立つ。
こんなシーンはこれまでに数回あったが、何度経験しても緊張してしまう新堂。
「呼び出して済まない」
「いえ。特に何もしていませんでしたので」
「まずサラについて、礼を言う。度々の診察と治療に感謝する」
「それでしたらお気になさらず。今や、ユイさんの主治医というよりも、サラさんの主治医になりつつありますね!」
「その事で話がある」
何の話で呼ばれたのか、薄々勘づいていた新堂は口をつぐむ。
――来ると思ったよ。あやふやにしてた俺も何だが?いつの間にか、こんなに時が過ぎてしまっていた…――
「まだ考えは変わらないか?」
以前のような威嚇めいた口調ではなく、どこまでもリラックスした様子でラウルが切り出す。
「そうですね…」
「歯切れの悪い回答だな。即答しないのなら、こちらに望みはあるという事か」
「こうして長居している時点で、そうなんでしょう」
「他人事だな!」
新堂の言い草に、呆れたラウルが鼻で笑う。
「言っておくが、お前との契約は終了している訳ではない」
「はい?」
「私は、ユイと子供を命の危険から守ってほしいと言ったのだから」
「ですからすでに…」
「サラはあの通り体が弱い。今後何が起こるとも限らん。特殊な血液を受け継いでいる事もある。ユイが無茶をしようとするのも気に掛かる。問題山積ではないか。なあドクター?」
「はあ…」
――つまり何だ?あの時点でここに縛り付ける気だったって事か!――
そう気づいた新堂だが、不思議と拒絶の気持ちは生まれなかった。
「先日もユイにせがまれましたよ、血液のストックを作りたいと」
「やはりな。で…」
「もちろん断りましたよ?」
新堂の答えにラウルが満足げに頷く。
「お前達の言い合いは聞きたくはないが、あれが役に立つ事もあると知った」
「何とも言い返す言葉がありませんが…いつも騒々しくて済みません」
「いや。特に不都合はない。子供達も今では納得しているようだし」
「ああそうだ、ヴァシル君の事については、重ねてお詫びを…」
――まさか俺のせいで知恵熱を出すとは!発覚した時は焦った。怒鳴り散らされるのを覚悟したが…――
なぜかそういう事態に陥る事はなかった。未だに不思議でならない事である。
そして今も、ラウルは怒りの片鱗も見せずに言う。「気にしていない」
そしてさらにこう続ける。
「新堂。身勝手な願いだが、今後もこの屋敷にいてほしい」
――あのフォルディスが、身勝手な願いだと!こいつも変わったな…。なら俺も変わったっていいか?――
ある一つの言葉が新堂の頭に浮かぶ。
共生。特性の異なる者同士が同じ場所に住み、争うのではなくお互いの良さを分かち合い、良い影響を与え合って生きて行く事だ。
新堂はこれからのフォルディス一家との共生の道を想像してみた。
真摯なエメラルドグリーンの瞳が向けられて、新堂はまるでその選択を肯定されているような気持ちになる。
「フォルディス家のホームドクターとは言わない。ユイと子供達のホームドクターになってもらいたい」ラウルが畳みかける。
その言葉には答えず、新堂は語った。
「…いつからか、ここでの生活が心地良く感じるようになっているんです。あんなに拒絶していたマフィアの家なのに!」
嫌味の籠められたセリフにも言い返す事なく、ラウルは静かに耳を傾ける。
「あなた方家族を見ていると、不思議と温かい気持ちになる。私も年なんでしょうかね?…ははっ!」
しんみりとした空気を感じて、最後に新堂は笑った。
「私はお前よりも年上だ。言い分は理解できる」対するラウルは真顔だ。
「フォルディスさんも他人事じゃないですか?ご自分の家族なんですから、当たり前ですよ」
「そうだな」ラウルがフっと笑った。
そして続ける。「だがそれでも、ユイと子供達が眩しく感じるのだ。自分とは別の世界にいるように…」
「それは違いますよ。あなたもちゃんと、同じ世界にいます」
「そういうお前もだぞ?新堂」
「いえいえ!私は他人ですから」
「私よりも子供達と溶け込んでいるように思うが?」
「ご冗談を!単にいいように遊ばれているだけです」
ラウルは何も言わずにただ笑った。
――お前はもう、このフォルディス家の一員と言える存在だ――
「一つだけ、私の要望を聞いていただけるのでしたら、このお話、お受けしましょう」新堂が改まって言った。
「要望とは何だ」
「興味のある依頼が入った際には、出向かせていただく」
「その間にこの家で何か起きたら?」
「その時は…その時に考えます」
「もう長らく現場から離れているだろう。まだ諦めがつかないのか」
「それは、フォルディスさんが簡単にマフィアを辞められないのと同じかと」
「言ってくれる!」またもラウルが笑った。
――以前、この男との会話は不快感しかなかった。だが今は心地いい――
引き続き、穏やかなエメラルドグリーンの瞳が新堂に向けられている。
「分かった、その要望は受け入れよう。お前の責任感に免じて?」
「ありがとうございます。では交渉成立ですね。これでユイさんに、血液のストックを作る必要はないとはっきり言えます」
こう言った新堂の顔には、心からの安堵が浮かんでいた。
――許される限り、おまえの側にいてやるよ――
「感謝する…」ラウルも新堂とよく似た表情で応じる。
――この先、ユイの負担になるものは私が全て排除する――
ラウルは強く心に誓った。
あらゆる点で相反する二人の男が、同じ女をこんなにも愛する光景は、実はこの家では初めてではない。恋多きここフォルディシュティ家では悲恋が多かったが、長い長い歴史の中ではこんなハッピーエンドも生まれている。
そして悲しいかな、愛を注がれる本人達は、ほとんどそれに気づいてはいない。
繰り返される歴史。この様子を代々見守っているのが、意思を持つエメラルドリングなのである。
今日もユイの左手中指で、エメラルドは満足げに高貴な輝きを放つ。
・・・
「ギブ!もう無理!ユイ~、勘弁してぇ!」
「ラドゥ、根を上げるのはまだ早いわよ!」
今日も地下のトレーニングルームでは、ラドゥの居残りトレーニング改めダイエット作戦が行われている。それを見学するダンとサラ。
ヴァシルとシャーバンは日課のメニューをこなし終えて、すでに退室している。
「ラドゥお兄ちゃ~ん、ガンバレ~」
サラの気のない応援が室内に響く。すっかり飽きているのにまだ付き合う律義な妹だ。
「サラ様。もう十分です、お部屋に戻りましょう」
痺れを切らしたダンが声をかけるも、許可は得られず。
「終わるまで見たいの。ダンは戻っていいわよ」
「そうは行きません。でしたら私もお供いたします」
煩わしそうにダンを見やり、サラがため息を付く。
――あのねぇ、むしろ行けって意味なの!察してよ、バカダン!――
こんな心での罵りはどこまでもユイである。
ユイとの違いは、決して顔に出ない事。澄まし顔はラウルから与えられた特権だ。
大人しい子と思われているサラだが、決してそうではない。
僅か3歳にして、気を遣いすぎて子供らしさを失っているだけである。それは赤ん坊の頃、いや、生まれる以前からだ。
心の声とは裏腹なあどけない淡いブラウンの瞳が、ダンからラドゥへと向けられる。
――兄想いのお優しい妹君ではないか…!ラウル様に是非ともご報告しておこう――
幼子にしては美しすぎる横顔を見つめながら、ダンがこんな感想を抱く。
「ユイ、待ってってば…、うわぁ~っ!」
ラドゥの叫び声と同時に、ドスンと床に倒れ込んだちょっぴり肉付きの良い体。
無防備に転がったままのラドゥにユイが近づく。
「ひっ…!」
「隙だらけよ、ラドゥ。これが敵相手だったら完全にやられてるわ」
「もうヘトヘトなんだもん!」
「サラが見ててくれてるのに、いいのかしら?そんなカッコ悪い姿で」
チラリとサラを見てから、ラドゥが起き上がる。
「まだまだっ!ユイにだって隙があるはずっ」
奮起したラドゥがユイに襲い掛かる。
「そうそう、その調子よ!…きゃっ」
一瞬、ラドゥのブルーグリーンの瞳が煌めいた。それに気を取られたユイは、足を払われ体勢を崩す。
突如驚きの展開となり、ダンも目を見開く。
――ヴァシル様もまだユイ様から1本取った事がないのに!?…ああ待て、俺もではないか…おお情けなやっ――
立て直そうとしたところで先を読まれ、ユイは崩れた体勢のまま倒れ込んだ。
「くっ…やられた」
呆然とするユイを前に、ラドゥが騒ぎ立てる。
「今のは?ボクの勝ちでしょ!ねえダン!」
「ええと…正確には一本ではないかと」
「いいのよダン。ラドゥの勝ち。やればできるじゃない。今の気迫シビれたわ、さすが私の息子ね」
「やった~!初めて勝ったぜ!何でこんな時にヴァシ兄とシャーバンはいないんだ?ちぇっ!」
ラドゥは居残り練習を経て、いつの間にか強くなっていた。確実に成長している息子に、ユイは心からの拍手を送る。
「これで証明されたわね。コツコツやれば必ず実を結ぶの。努力がムダになる事は決してないわ。これからも頑張って」
「は~い!」
「じゃ、今日はここまで。お疲れ様」
お兄ちゃんスゴ~イ、カッコい~、と大袈裟に囃し立てられ、照れまくりながら共にトレーニングルームを後にしたラドゥとサラ。
だがダンはその場を動こうとしない。
「ダン、どうしたの?サラに付いててあげて」
「はい…。ユイ様、おケガはございませんか?」
「大丈夫よ。少し油断したわ。ラドゥがあそこまで動けるとは。直前まであんなにヘバッてたのに!」
まだ座り込んでいたユイに手を差し伸べるダン。
「ありがと…。私も年ね~。昔みたいには体が反応してくれないわ!」
「それを言われると、一回り以上年上の自分はどうなるのです?」
「あははっ、それもそうよね!」
二人は笑い合う。
「サラも鍛えてみようかな…」ポツリと言ったユイ。
即座にダンが反論する。「それは反対です」
「どうして?私だって昔は病弱だったのよ。鍛えたからこそ今がある」
「ユイ様とサラ様は違いますから」
「何がよ」
「ですから…」
そこまで言った時、別の声が響いた。
「珍しいな、お前が倒される姿なんて!」
「新堂先生。まさか見てたなんて言わないわよね?」
「いや。ラドゥがはしゃいでたから、何があったのかと見に来た」
「そんなにはしゃいでたの?調子に乗らないといいけど、あの子!」
ドア横に立ったままの新堂を見てダンが口を開く。
「ちょうどいい、ドクターの見解を伺おうではないか。サラ様のトレーニングについて」
「まさかサラをしごく話か?」
「そのまさかです」
「却下だ」
この答えに、勝ち誇った顔になるダン。
「で、サラと私は何が違うって?」ダンに不満いっぱいの顔を向けてユイが聞く。
「それもドクターからご説明いただければと」プイと顔を背けてダンが答えた。
「何の話だ?」一方の新堂は首を傾げている。
「では、自分は仕事がありますので、失礼します」
会釈したスキンヘッドがキラリと光り、腕組み仁王立ちのユイの目を貫く。
――眩しっ…これよこれ!さっきもこれにやられたんだ。ラドゥのは美しいけど!これってまさか技だったりして?――
新堂はダンの後ろ姿とユイを交互に見て目を瞬いている。
そんな新堂に、ユイが言う。
「先生があの子の主治医になってくれたと言っても、ずっと甘えている訳には行かないから」
すでにラウルから、新堂がホームドクターに就任した件は聞いている。
「だから鍛えて強くさせる、か」納得の行った新堂は言った。
「もちろんハードにはやらない。体力を付ける意味でもいいと思うんだけど」
「それ以前の問題だ。お前とサラの違いを知りたいらしいが、本当に分からないのか?」
「…」口籠もるユイ。分かってはいるが、目を瞑りたい心境なのだ。
「…分かってるわよ。健康体の母から生まれたか、そうでないか。元から不完全な体なら、無理に鍛えようとすれば壊れる」
「そういう事だ」
サラの体は平均よりも小さい。知能は驚くべき成長を続けているのに、内臓も含めた体の方の成長が鈍いのだ。
「できる段階になったら伝える。だからそれまでは俺に任せてほしい」
「分かったわ…」
唇を噛んで黙り込んだユイに新堂が言う。「また自分を責めてるだろ」
そしてこれ見よがしに大きなため息を吐いた。
「そんなだからラドゥに負けるんじゃないのか?」
「そうかもね」あっさりと受け入れるユイ。
思わず距離を詰めて新堂が突っ込む。「おいおい!そこは否定しろよ」
「だって本当だもの。集中力に欠けているのは事実よ。いろんな事考えちゃって…」
「いろんな事って?」
「だから…サラの事。あの子の本当の気持ちなんて誰にも分からない。私は憎まれてるんじゃないかとか…」
「バカな!付き合いきれん。続きはフォルディスさんとしてくれ。俺は行くぞ」
落ち込むユイを置き去りにして、新堂は振り返りもせずに出て行く。
「バカ野郎、そういう事を俺に言うなよ…」
新堂は生まれてすぐに捨てられ施設で育った。
自分は望まれずして生まれたと負の方向に考えるのは自然な事。捨てるくらいならなぜ生んだ?と、親を憎む気持ちも大いに理解できる。
――自分がサラの立場なら、生んでほしくなかったと答えるさ。そんなヤツがどう慰めろと?――
「きっと、フォルディスさんが解決してくれる。見守ろう」
これは家族の問題。どこまで踏み込むべきか、新堂は弁えている。




