前進
ルーマニアにやって来たミサコは、当日から病院に泊り込んでいる。
母親が付いているという安心感と、自分と同じ特殊な血液を持つサラのために、死ぬ訳には行かないという使命感により、ユイの体調は一気に回復している。
ユイの病室で身の回りの雑事を終えたミサコが、ようやく椅子に腰かけた。
そんな母を眺めながら、ユイは心から言う。
「色々ありがとう、お母さん」
「いいのよ。だけど、サラちゃんのお母さん代わりなんて調子のいい事言いながら、そっちは何もしてあげられてないわ。ゴメンなさいね」肩を落とすミサコ。
「保育器とナースがやってくれてるんだからいいのよ。気にしないで。こうして付いててくれるだけで心強いもん!」
「そう言ってくれると来た甲斐があるわね」ようやくミサコが笑った。
「だけど何か不思議~、こんな日が来るとは思ってなかったから」ユイが言う。
「そうね。またあなたの面倒見る事になるとは?」
「ゴメン…でもさ!お母さんの介護は、私がちゃんとするからね」
「あらやだっ!介護だなんて?」
神妙な話題も、最後には笑って終える母娘。ユイの前向きな性格は間違いなくミサコ譲りだ。
「それにしても、ユイは幸せ者ねぇ」
「何をそんなにしみじみと?」
「だ~って、あんなに非の打ち所がないイケメン旦那に加えて、あんなイケメンなスーパードクターまで付いててくれるなんて?羨ましすぎるわよっ」ミサコは力強く娘の肩を叩く。
――前回の時はユイからの反応がなくて寂しかったけど、今はその心配はないわね――
記憶と感情を失っていた時の娘を思い起こして、ミサコは少しだけしんみりする。
「お母さん、痛いってば!何?人の事叩いておいて急に変な顔して」
「嫉妬よ、嫉妬!」
「お母さんだってコルレオーネさんがいるじゃない。それに新堂先生の方は、ずっといてくれる訳じゃないもの」
――私の病気が治ったら行ってしまうわ。今だけよ…――
いつの間にか、新堂が自分の側にいる事が当たり前になっていた。居なくなってしまった時の寂しさを考えるとつらい。
「そうよね、つい力が入っちゃった」
「つまりそれだけ感情籠もってたワケね、さすが元祖面食い~」
「だ~って、私の入院中はあなたしかお見舞いに来てくれなかったし?」
「いいじゃない、カワイイ娘が行ってたんだから」
これに対する答えはなく、ミサコが突如話を変える。
「ちょっと!それよりヴァシル君ったら何?あの子、将来確実に映画スターね!今からサイン貰っとこうかしら…」
急に話が変わってもすぐに応じるユイ。こんな事は慣れっこだ。
「将来どころか、もう今から学校でモテモテよ」
不満顔のユイにミサコが突っ込む。「その感じじゃ、当分子離れできそうにないわね~あなた!」
「まだいいでしょっ」
「双子ちゃんは個性的だけど、負けないくらいイケメンだし。サラちゃんはあなたの幼い頃にそっくり!思い出すわぁ…あの頃の事」遠い目になってミサコが語る。
「うん…」不意にユイのテンションが下がる。
「あらどうかした?」
「その頃のお父さんは、どうだったのかなと思って」
離婚した夫の話題などタブーな気がしたが、ユイは思い切って聞いてみた。父は自分の誕生をあまり喜んでいた記憶がないからだ。
だが、気にした素振りもなくミサコは答えた。
「そりゃ喜んでたわよ?あの時が一番幸せだったんじゃないかしら。あなたが物心つく頃にはもう、あの通り厳しい父親になっていたけれど。まあ、今思えば、立場上仕方のない事だったのかもね」
「立場って、ヤクザの親分って事?」
「そうよ」
「だけど、それ言ったらラウルだって同じ立場よ?どうしてこんなに違うのかしら!」
「まあまあ。あの人が何を考えてたかなんて、私には分からないわ。もういいじゃない。今のあなたのパパはコルレオーネなんだから?」
「そうね。初めからそうなら良かったのに…って、そうなってたら私、生まれてないか」
ミサコは何も答えずにただ笑った。そして時計を見て言う。
「ああ、そろそろ時間ね」
「お母さん、また今日ももみくちゃにされるわよ」
「覚悟してるわ」
こんな会話をした矢先に、廊下に響く小さな足音の群れ。そして勢い良く扉が開いた。
「ユイ、ブーニカ、来たよー!」
ミサコはルーマニア語でおばあちゃんを意味する言葉、ブーニカと呼ばれている。
「この子達が日本語を話せて助かったわ。さすがはフォルディス様の息子達、秀才揃いねぇ」
「お母さん、そこは私の息子達って言ってよ?」
楽し気な笑い声が満ち溢れる病室で、ユイはちょっぴり不満気に訴えた。
そこへ澄んだ穏やかな声が響いた。
「おお、今日も賑やかだな」
良く似た二人の顔を交互に見て、ラウルは先に来ていた子供達と良く似た顔で微笑む。
――本当に元気になった、ユイ…。ミサコのお陰だ――
「あ、ラウルも来てくれたのね!入って入って」
開いたままだったドアから顔を出したラウル。その後ろに新堂がいる。
「どうだ、体調は問題ないか?」ラウルが歩み寄りながらユイに尋ねる。
「ええ。すっかり戻ったみたい。傷ももう痛くないし」
「それは良かった。新堂から話があるそうだ」
「分かったわ。ほら、あなた達!ドクターのお話を聞いてくれる?」
ユイの一声で室内はすぐに静かになった。
ラウルに促されて一歩踏み出した新堂が、ユイに軽く笑いかけてから口を開く。
「ユイさんの体調も安定してきましたので、明日、心臓の手術を行う事にします」
「早い方がいい。私は賛成だ」
ラウルの主張に異を唱える者はいない。ユイの心の声が続く。
――大賛成よ!一刻も早く治して、また血液のストックいっぱい作らなきゃ――
こんな理由で急ぎたい者はユイだけである。
「いよいよね、ユイ。あなたなら大丈夫よ」ミサコがユイの肩に手を乗せた。
ミサコの言葉に頷いたユイは新堂に頭を下げる。
「新堂先生、よろしくお願いします」
立て続けに子供達の声が響く。「お願いします!」
言うと同時に一斉に頭を下げる。
「では、同意も得られましたので、早速準備を進めさせていただきます」
退室しようとした新堂に慌てて声を掛けるユイ。
「あっ、ねえ先生?血液のストック、この前の出産で使い切ったって言ってたでしょ?その事だけど…」
――サラの事より、先に自分だった…。また先生に迷惑かけるのかぁ…――
こう思ったユイだったが、思いのほか新堂の表情は明るい。
「それについては心配するな。事前に手配済みだ」
「それってっ、」
――でも先生の血をって事よね…――
ユイの言い分を察した新堂は遮って続ける。「今回は今までと違って、十分準備期間はあったから無理はしてない。だから、心配するなって意味だ」
「そっか、ありがとう…っ」
「おい、泣くなよ?頼むから!」
子供達だけでなく、今はミサコの目もある。新堂は本気で言いつけた。
――女を泣かせるっていうのは、どういう状況にせよいい気はしない、なんて俺が言えた事じゃないが!――
「分かってるわよっ」
「ユイ」ラウルがユイの手を握って名を呼ぶ。
「…ラウル」
「いよいよだな。これを乗り越えれば、これまでの幸せな毎日が戻って来るのだ」
「ええ、早く家に帰りたいわ」
「それから、サラさんは今日で退院になります」割って入って新堂が告げた。
思わぬ発言にユイは新堂を二度見する。
「そうなの?負けたっ!生まれてひと月過ぎたのか。順調に育ってるのね…良かった」
「そうよ。だから次はあなたの番ね」ミサコは透かさずユイを焚きつける。
「お母さん、サラと一緒に家に帰っていいからね」
ユイの申し出に固まるミサコ。
――あらヤダ。娘と孫、どっちか選べなんて究極の選択じゃない?――
ミサコはすぐに答えられない。娘の側に付いていたいという想いと、サラの親代わりを宣言した手前があって答えを出せない。
そんな迷いを察したようにラウルが言った。
「ミサコ。お前はユイに付いていてくれ。サラの事は心配ない」
「まあ、さすがフォルディス様、私の気持ちまで汲んでくださるなんて!ありがとうございます」
ミサコはどさくさに紛れて、ラウルの手をガッシリと握り締める。
「お母さんっ!」
「妬かない妬かない!ね~私の可愛いお孫ちゃん達もそう思うでしょ?」
「もちだよ、ブーニカ」
「そ~そ~!ヤカナイヤカナイ!」
「…アンタ達、意味分かんないで言ってるでしょ」
ユイは複雑な心境で苦笑いするのだった。
こうして翌日、ようやくユイのオペが執り行われた。
付き添うと言い出して聞かない子供達をなだめて学校に行かせ、ラウルとミサコがオペ室の前で待つ。もちろんダンも後方に控えている。
「大丈夫だ、きっとユイは乗り越える」
「ええ、そう信じていますわ」
扉の前で、かれこれ10回はこんなやり取りを繰り返しているラウルとミサコ。
ついに堪り兼ねたダンが二人に促す。
「ラウル様、ミサコ様、別室でお待ちになるようドクターがおっしゃっていましたし、そろそろ移動しませんか?」
「ああ、そうだな。行こう、ミサコ」
「そうですわね…」
最後まで名残惜しくオペ室の閉ざされた扉を振り返りながら、ミサコが頷いた。
「あの時のユイの気持ちが分かるわ…」
「お前の手術の時か」
「ええ。あの時は、あの子一人でこんな時間を過ごしたのね…」
優しくミサコの背に手を当てて、ラウルが気遣う。
「その時も、私がユイの側にいてやりたかった」
「まあ…っ。その言葉だけで十分ですわ、フォルディス様。ユイの事、今まで支えてくれて感謝いたします」涙目になりながらミサコが言う。
そんなミサコに優しい笑みを投げかけてラウルは答えた。
「礼には及ばない。私の方こそ、ユイに出逢えて感謝している。ユイの事は、これから先もずっと守ると誓おう」
「ありがとう、ございます…っ」感極まったミサコは声を詰まらせた。
そんな様子を、これまた感極まったダンが見守る。
――ああ…これぞ親子愛、何と美しい!――
そして4時間が経過した頃、病院側から連絡を受けて再びオペ室の前にやって来ると、ちょうど扉が開いて新堂が姿を見せた。
「新堂先生!ユイは、ユイは!」一番にミサコが尋ねる。
「オペは成功しました。後は回復を待つのみです」新堂は静かに答えた。
「良かった…、ああ!本当に良かった」
この言葉を聞いて崩れ落ちるミサコをラウルが支える。そして新堂に向けて言った。
「ご苦労だった、新堂。ユイに会えるか?」
「場所を移しますので、その間でしたら」
示し合わせたように、オペ室からストレッチャーに乗せられたユイが出て来た。
駆け寄るミサコに続いて、ラウルとダンが覗き込む。
「ユイ、良く頑張ったわね、もう大丈夫よ」
「ユイ。ずっと側にいる。安心しろ」
「ユイ様!ご無事で何よりですっ…」
ユイに次々と温かいコメントが掛けられる。
すぐにユイを乗せたストレッチャーは集中治療室へ入って行った。
ガラス越しに中が見えて、静かに眠るユイが確認できる。ナースが機器を操作してチェックを始めていた。
それを見届けた後、新堂は一同に声を掛ける。
「皆さんも少しお休みください。ユイさんはしばらくは目覚めませんので」
「そうだな。今のうちにお前も休んでくれ、新堂」ラウルがすぐに応じた。
「ありがとうございます」
――ラウル様、ドクターに対してまで、何というお心遣い…、さすがです!――
ダンは尊敬の眼差しをラウルに向ける。
「ダン」
「はっ!」
「子供達にも連絡を入れてやってくれ」
「かしこまりました!」
喜び勇んでダンがその場を離れて行く。
そちらを目で追いながらミサコが言った。
「あの方、いい方ですわね。始めは怖い方かと思ったけれど」
「ダンか?」
「ええ。ユイの事、とっても気にかけてくださっているみたい」ミサコが嬉しそうに言う。
「ユイとダンは、時に私が羨むほどの仲だ」
「…え?」
「いや。何でも」フッと笑ってラウルが首を横に振る。
――周囲の人間全てに、お前の娘は愛されているのだ――
それはとても誇らしい事だ。愛情を注いでくれる対象が多ければ多い程、誇らしい事なのだから。今では心からそう思えるラウルだった。




