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エメラルドグリーンの誘惑  作者: 氷室ユリ
第六章 揺るがない心
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前進

 ルーマニアにやって来たミサコは、当日から病院に泊り込んでいる。

 母親が付いているという安心感と、自分と同じ特殊な血液を持つサラのために、死ぬ訳には行かないという使命感により、ユイの体調は一気に回復している。


 ユイの病室で身の回りの雑事を終えたミサコが、ようやく椅子に腰かけた。

 そんな母を眺めながら、ユイは心から言う。

「色々ありがとう、お母さん」


「いいのよ。だけど、サラちゃんのお母さん代わりなんて調子のいい事言いながら、そっちは何もしてあげられてないわ。ゴメンなさいね」肩を落とすミサコ。

「保育器とナースがやってくれてるんだからいいのよ。気にしないで。こうして付いててくれるだけで心強いもん!」

「そう言ってくれると来た甲斐があるわね」ようやくミサコが笑った。


「だけど何か不思議~、こんな日が来るとは思ってなかったから」ユイが言う。

「そうね。またあなたの面倒見る事になるとは?」

「ゴメン…でもさ!お母さんの介護は、私がちゃんとするからね」

「あらやだっ!介護だなんて?」

 神妙な話題も、最後には笑って終える母娘。ユイの前向きな性格は間違いなくミサコ譲りだ。


「それにしても、ユイは幸せ者ねぇ」

「何をそんなにしみじみと?」

「だ~って、あんなに非の打ち所がないイケメン旦那に加えて、あんなイケメンなスーパードクターまで付いててくれるなんて?羨ましすぎるわよっ」ミサコは力強く娘の肩を叩く。


――前回の時はユイからの反応がなくて寂しかったけど、今はその心配はないわね――

 記憶と感情を失っていた時の娘を思い起こして、ミサコは少しだけしんみりする。


「お母さん、痛いってば!何?人の事叩いておいて急に変な顔して」

「嫉妬よ、嫉妬!」

「お母さんだってコルレオーネさんがいるじゃない。それに新堂先生の方は、ずっといてくれる訳じゃないもの」


――私の病気が治ったら行ってしまうわ。今だけよ…――

 いつの間にか、新堂が自分の側にいる事が当たり前になっていた。居なくなってしまった時の寂しさを考えるとつらい。


「そうよね、つい力が入っちゃった」

「つまりそれだけ感情籠もってたワケね、さすが元祖面食い~」

「だ~って、私の入院中はあなたしかお見舞いに来てくれなかったし?」

「いいじゃない、カワイイ娘が行ってたんだから」


 これに対する答えはなく、ミサコが突如話を変える。

「ちょっと!それよりヴァシル君ったら何?あの子、将来確実に映画スターね!今からサイン貰っとこうかしら…」

 急に話が変わってもすぐに応じるユイ。こんな事は慣れっこだ。

「将来どころか、もう今から学校でモテモテよ」


 不満顔のユイにミサコが突っ込む。「その感じじゃ、当分子離れできそうにないわね~あなた!」

「まだいいでしょっ」

「双子ちゃんは個性的だけど、負けないくらいイケメンだし。サラちゃんはあなたの幼い頃にそっくり!思い出すわぁ…あの頃の事」遠い目になってミサコが語る。

「うん…」不意にユイのテンションが下がる。


「あらどうかした?」

「その頃のお父さんは、どうだったのかなと思って」

 離婚した夫の話題などタブーな気がしたが、ユイは思い切って聞いてみた。父は自分の誕生をあまり喜んでいた記憶がないからだ。


 だが、気にした素振りもなくミサコは答えた。

「そりゃ喜んでたわよ?あの時が一番幸せだったんじゃないかしら。あなたが物心つく頃にはもう、あの通り厳しい父親になっていたけれど。まあ、今思えば、立場上仕方のない事だったのかもね」

「立場って、ヤクザの親分って事?」

「そうよ」


「だけど、それ言ったらラウルだって同じ立場よ?どうしてこんなに違うのかしら!」

「まあまあ。あの人が何を考えてたかなんて、私には分からないわ。もういいじゃない。今のあなたのパパはコルレオーネなんだから?」

「そうね。初めからそうなら良かったのに…って、そうなってたら私、生まれてないか」


 ミサコは何も答えずにただ笑った。そして時計を見て言う。

「ああ、そろそろ時間ね」

「お母さん、また今日ももみくちゃにされるわよ」

「覚悟してるわ」


 こんな会話をした矢先に、廊下に響く小さな足音の群れ。そして勢い良く扉が開いた。


「ユイ、ブーニカ、来たよー!」

 ミサコはルーマニア語でおばあちゃんを意味する言葉、ブーニカと呼ばれている。

「この子達が日本語を話せて助かったわ。さすがはフォルディス様の息子達、秀才揃いねぇ」

「お母さん、そこは私の息子達って言ってよ?」

 楽し気な笑い声が満ち溢れる病室で、ユイはちょっぴり不満気に訴えた。


 そこへ澄んだ穏やかな声が響いた。

「おお、今日も賑やかだな」


 良く似た二人の顔を交互に見て、ラウルは先に来ていた子供達と良く似た顔で微笑む。

――本当に元気になった、ユイ…。ミサコのお陰だ――


「あ、ラウルも来てくれたのね!入って入って」

 開いたままだったドアから顔を出したラウル。その後ろに新堂がいる。

「どうだ、体調は問題ないか?」ラウルが歩み寄りながらユイに尋ねる。

「ええ。すっかり戻ったみたい。傷ももう痛くないし」

「それは良かった。新堂から話があるそうだ」

「分かったわ。ほら、あなた達!ドクターのお話を聞いてくれる?」


 ユイの一声で室内はすぐに静かになった。


 ラウルに促されて一歩踏み出した新堂が、ユイに軽く笑いかけてから口を開く。

「ユイさんの体調も安定してきましたので、明日、心臓の手術を行う事にします」

「早い方がいい。私は賛成だ」

 ラウルの主張に異を唱える者はいない。ユイの心の声が続く。

――大賛成よ!一刻も早く治して、また血液のストックいっぱい作らなきゃ――

 こんな理由で急ぎたい者はユイだけである。


「いよいよね、ユイ。あなたなら大丈夫よ」ミサコがユイの肩に手を乗せた。

 ミサコの言葉に頷いたユイは新堂に頭を下げる。

「新堂先生、よろしくお願いします」

 立て続けに子供達の声が響く。「お願いします!」

 言うと同時に一斉に頭を下げる。


「では、同意も得られましたので、早速準備を進めさせていただきます」

 退室しようとした新堂に慌てて声を掛けるユイ。

「あっ、ねえ先生?血液のストック、この前の出産で使い切ったって言ってたでしょ?その事だけど…」

――サラの事より、先に自分だった…。また先生に迷惑かけるのかぁ…――


 こう思ったユイだったが、思いのほか新堂の表情は明るい。

「それについては心配するな。事前に手配済みだ」

「それってっ、」

――でも先生の血をって事よね…――


 ユイの言い分を察した新堂は遮って続ける。「今回は今までと違って、十分準備期間はあったから無理はしてない。だから、心配するなって意味だ」

「そっか、ありがとう…っ」

「おい、泣くなよ?頼むから!」

 子供達だけでなく、今はミサコの目もある。新堂は本気で言いつけた。

――女を泣かせるっていうのは、どういう状況にせよいい気はしない、なんて俺が言えた事じゃないが!――


「分かってるわよっ」


「ユイ」ラウルがユイの手を握って名を呼ぶ。

「…ラウル」

「いよいよだな。これを乗り越えれば、これまでの幸せな毎日が戻って来るのだ」

「ええ、早く家に帰りたいわ」

「それから、サラさんは今日で退院になります」割って入って新堂が告げた。

 思わぬ発言にユイは新堂を二度見する。

「そうなの?負けたっ!生まれてひと月過ぎたのか。順調に育ってるのね…良かった」


「そうよ。だから次はあなたの番ね」ミサコは透かさずユイを焚きつける。

「お母さん、サラと一緒に家に帰っていいからね」

 ユイの申し出に固まるミサコ。

――あらヤダ。娘と孫、どっちか選べなんて究極の選択じゃない?――

 ミサコはすぐに答えられない。娘の側に付いていたいという想いと、サラの親代わりを宣言した手前があって答えを出せない。


 そんな迷いを察したようにラウルが言った。

「ミサコ。お前はユイに付いていてくれ。サラの事は心配ない」

「まあ、さすがフォルディス様、私の気持ちまで汲んでくださるなんて!ありがとうございます」

 ミサコはどさくさに紛れて、ラウルの手をガッシリと握り締める。


「お母さんっ!」

「妬かない妬かない!ね~私の可愛いお孫ちゃん達もそう思うでしょ?」

「もちだよ、ブーニカ」

「そ~そ~!ヤカナイヤカナイ!」


「…アンタ達、意味分かんないで言ってるでしょ」

 ユイは複雑な心境で苦笑いするのだった。



 こうして翌日、ようやくユイのオペが執り行われた。


 付き添うと言い出して聞かない子供達をなだめて学校に行かせ、ラウルとミサコがオペ室の前で待つ。もちろんダンも後方に控えている。


「大丈夫だ、きっとユイは乗り越える」

「ええ、そう信じていますわ」

 扉の前で、かれこれ10回はこんなやり取りを繰り返しているラウルとミサコ。

 ついに堪り兼ねたダンが二人に促す。

「ラウル様、ミサコ様、別室でお待ちになるようドクターがおっしゃっていましたし、そろそろ移動しませんか?」


「ああ、そうだな。行こう、ミサコ」

「そうですわね…」

 最後まで名残惜しくオペ室の閉ざされた扉を振り返りながら、ミサコが頷いた。


「あの時のユイの気持ちが分かるわ…」

「お前の手術の時か」

「ええ。あの時は、あの子一人でこんな時間を過ごしたのね…」

 優しくミサコの背に手を当てて、ラウルが気遣う。

「その時も、私がユイの側にいてやりたかった」


「まあ…っ。その言葉だけで十分ですわ、フォルディス様。ユイの事、今まで支えてくれて感謝いたします」涙目になりながらミサコが言う。

 そんなミサコに優しい笑みを投げかけてラウルは答えた。

「礼には及ばない。私の方こそ、ユイに出逢えて感謝している。ユイの事は、これから先もずっと守ると誓おう」

「ありがとう、ございます…っ」感極まったミサコは声を詰まらせた。


 そんな様子を、これまた感極まったダンが見守る。

――ああ…これぞ親子愛、何と美しい!――



 そして4時間が経過した頃、病院側から連絡を受けて再びオペ室の前にやって来ると、ちょうど扉が開いて新堂が姿を見せた。


「新堂先生!ユイは、ユイは!」一番にミサコが尋ねる。

「オペは成功しました。後は回復を待つのみです」新堂は静かに答えた。

「良かった…、ああ!本当に良かった」

 この言葉を聞いて崩れ落ちるミサコをラウルが支える。そして新堂に向けて言った。

「ご苦労だった、新堂。ユイに会えるか?」

「場所を移しますので、その間でしたら」


 示し合わせたように、オペ室からストレッチャーに乗せられたユイが出て来た。


 駆け寄るミサコに続いて、ラウルとダンが覗き込む。

「ユイ、良く頑張ったわね、もう大丈夫よ」

「ユイ。ずっと側にいる。安心しろ」

「ユイ様!ご無事で何よりですっ…」

 ユイに次々と温かいコメントが掛けられる。


 すぐにユイを乗せたストレッチャーは集中治療室へ入って行った。

 ガラス越しに中が見えて、静かに眠るユイが確認できる。ナースが機器を操作してチェックを始めていた。


 それを見届けた後、新堂は一同に声を掛ける。

「皆さんも少しお休みください。ユイさんはしばらくは目覚めませんので」

「そうだな。今のうちにお前も休んでくれ、新堂」ラウルがすぐに応じた。

「ありがとうございます」


――ラウル様、ドクターに対してまで、何というお心遣い…、さすがです!――

 ダンは尊敬の眼差しをラウルに向ける。


「ダン」

「はっ!」

「子供達にも連絡を入れてやってくれ」

「かしこまりました!」

 喜び勇んでダンがその場を離れて行く。


 そちらを目で追いながらミサコが言った。

「あの方、いい方ですわね。始めは怖い方かと思ったけれど」

「ダンか?」

「ええ。ユイの事、とっても気にかけてくださっているみたい」ミサコが嬉しそうに言う。

「ユイとダンは、時に私が羨むほどの仲だ」

「…え?」

「いや。何でも」フッと笑ってラウルが首を横に振る。


――周囲の人間全てに、お前の娘は愛されているのだ――


 それはとても誇らしい事だ。愛情を注いでくれる対象が多ければ多い程、誇らしい事なのだから。今では心からそう思えるラウルだった。


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