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エメラルドグリーンの誘惑  作者: 氷室ユリ
第一章 引き寄せ合う力
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年の差問題

 お試し同居二日目。ユイは今日も部屋に閉じ込められている。

「…にしても暇だなぁ~」


 テラスに出て外を覗くと、フォルディス家の者達が灰皿を囲んで談笑しているのが見えた。全て厳つい顔をした黒スーツの男性だ。一目でマフィアと分かる。

 そんな光景に遠い昔の実家での日々が重なり、ユイは少しだけ懐かしさを覚えた。

「いきなりボスに近づくのが無理なら、周りから攻めればいいじゃない?」

 こんな思い付きを早速実行に移す。


「ねえ!私も混ぜてよ」


 突然聞こえてきた女の声に男共が驚く。それも英語だ。すぐにお試し期間中の令嬢だと、誰もが認識したのは言うまでもない。


「おい、あれ…ボスの今回の花嫁候補の令嬢だよな?何て言ってるんだ?」

「会話に入れろとよ!」英語を解する一人が解説した。

「あぁ?なんでまた俺達下っ端の雑談に混ぜろなんて?」

「そうだよ、変だろ!お前の通訳間違えてんじゃねえのか?」

「間違えてない!ホントに言ったんだ!」

「疲れてるんじゃないか?お前っ」


 こんな男達の会話はユイまでは届かず。答えをもらえないユイは再び叫ぶ。

「ねえってば!暇すぎて死にそうなの。お願い…っ」

 今度は泣き落としだ。両手を胸の前で組んで儚い表情を作って見せる。


 テラスから身を乗り出すその姿は、まるでジュリエットの告白シーンさながらで、男達は食い入るように見つめる。


 一方、目をキラキラさせながら男達の方を見ていたユイだが、ふと自分の格好に目が行く。身に着けているのは、ちょっと引っ掛ければすぐに破れそうなレースがふんだんにあしらわれた、繊細なワンピースだ。

 監視の目がありドアからは出られない。このテラスから柵を乗り越える必要がある。


「用意されてたから着たけど…動きずらいなぁ。この柵越えるなら着替えなきゃ。何かないかな」


 小さなポシェットのみで屋敷にやって来たユイは、そのまま同居を決めてしまったため着替えなどは持参しておらず、ダンが用意した物を使うしかない。

「私が唯一持って来たのはこれだけ…」

 服の上からそっとコルトに手を当てる。常に肌身離さず携帯している相棒。これさえあればユイは満足だ。


 改めてクローゼット内を物色してみるも、動きやすそうな服は見当たらなかった。

「これってもしかしてダンさんの趣味?いや、フォルディス様か…」

 どれも少し前の時代の令嬢が着ていそうな王道のロリータ系だ。

 服の趣味は合いそうもないと実感したユイであった。


 その頃、休憩中の男達の会話はおかしな方向に進んでいた。


「やっぱ間違いだったろ?行っちまったよ。そんな夢みたいな話、ないよなぁ」

「あんな若いコだもんな~。いいよな~ボス。あの子ともどうせ、あんな事やこんな事するんだろ?」

「おいっ!そういう妄想するんじゃない!ダンに知れたらマジで殺されるぞ?」

 若く可憐なその姿を一目見てしまっただけに、男達のあらぬ妄想はヒートアップする。


 硬派を気取ってはいるが所詮は男。若い者から中年の独身もいる。引っ切り無しにやって来る令嬢を目にして盛らないはずがない。

 いつでも満たされているのは、ボスのラウルただ一人である。


 妄想がピークに達したその時、再びテラスに可憐なその姿が現れた。


「ヤバい、今度は幻覚が…」

「マジかよ、俺もだぜ…」

 その幻覚はテラスの柵を軽々と乗り越えてこちらにやって来るではないか。

「…ん?」

「げっ、幻覚じゃないぞ、本物だ!どうしよう、どうしよう!」

 一様に慌てるコワモテの男達。


「ねえっ。休憩時間でしょ?少しお話してもいい?」

「じっ、自分達とですか?!」

「そう。他に誰かいる?」

「そ、そんなっ、恐れ多い事をっ!」

「何で?」

「ぼ、ボスの、は、はな、はな…」


 言葉にならないコワモテ達に、ユイはクスリと笑って穏やかな目を向ける。

「そんなに緊張しないでよ。せっかくの休憩時間を邪魔したくないわ。気楽に話してほしいな。私はユリよ、よろしくね」

 ユイのあまりに自然すぎる態度に、男達は驚きを隠せない。

「何だか、想像と違ったなぁ」

「ユリ様は、今までのご令嬢達と全然違いますね」

「あらそう?ま、令嬢らしくはないかもね~」


 肩を竦めるその姿はとても可愛らしく、その場の全員が見惚れた。

 こうなれば打ち解けるのは時間の問題である。様々な願望を持って。


「ねえ?色々聞かせてほしいわ、この家の事とか、フォルディス様の事とか」

「俺らで良ければ!何でもお答えします!」

 こんな機会は滅多にない。若い女性と話せるという意味でも、ボスの妻になるかもしれない女と話せるという意味でも。

 そんなチャンスが向こうから降って来たのだ。

 もちろん英語という壁が立ちはだかっているが、分かる者が率先して通訳するから問題はない。


「あっ、スイマセン、煙草はやめろ、お前ら!」

「大丈夫よ。気にしないで」

「そうですか?では、ユリ様もいかがですか!」

 気を遣ってタバコの火を消そうとしていた男は、こう言われ調子に乗って勧める。

 喜んで!と手を出し掛けて、ユイは思い留まる。


 気晴らしに吸いたいところだが、令嬢らしくと強調した依頼人の顔がチラつき、泣く泣く首を横に振った。

「…やめとくわ。ここでは」

「ですよねぇ」ユイと同年代くらいの男が、はにかんだ笑みを浮かべて言う。

 その視線は明らかに熱を持っていた。それはまさに恋に落ちた瞬間だ。


 けれどどんなに想ってもムダだ。例えボスが気に入らなくとも、下っ端の若造に交際のチャンスが巡って来るはずもないのだから。

 叶わぬ恋の始まりだった。



 休憩時間が終わると、男達は名残惜しそうにユイと別れて、それぞれの持ち場に戻って行った。

 部屋に戻りソファで寛ぎながら、ユイは今しがたの会話を思い返す。


「まあこんなもんか。謎の解明にはてんで至らず!だけど…」


 ユイがまず驚いたのが、部下達のボスへの熱い信頼だ。その崇拝度合いはある意味オカルト教団にも通じるところがある。

 ダンにはそれとなく感じていた崇拝熱だが、あの場の全員がラウルを慕っていた。それも、皆本心からそう思っているように見えた。

 どこまでも人望熱きボスのようだ。


 その事にいたく感心するユイだが、どうにも腑に落ちない。

「あの淡白そうな人がねぇ。それも不思議な力ってヤツの効果なの?」

 その力がマインド・コントロール的な作用をもたらすのか。


 とにかくフォルディス家の謎に関しては何ら収穫はなく、誰もそれについては語らなかった。


 それともう一つ。心霊現象的なものが苦手なユイは、やはりこの建物の古さが気になる。見た目はスタイリッシュに変化を遂げても、歴史の重みは消せない。

「な~んかいる気がするのよね…いつも見られてるって言うか…。大きな建物って陽の光が届かない場所も多いから、薄暗いのは仕方ないけど」

 これについても部下達に尋ねたが、賛同する者はなかった。


「気のせい気のせい!考えるのはやめよう!そうそう、フォルディス様、射撃が上手いって話は使えそうっ」

 部下達が一同に口を揃えたのがラウルの射撃の腕だ。それもかなりのものだとか。

 当然ユイは対抗心を燃やす。

「今度勝負してもらおう!もしかしてこれ、共通の趣味とかになるんじゃない?」


 だがしかし、これについての話題は出す訳には行かない。いきなり拳銃など出せば刺客と思われ兼ねない。


 プライベートに関しての情報は皆無。こちらについてはダンの方が断然詳しい。

「ダメダメ、絶っ対あの人教えてくれないもん。あの堅物が~っ!思い出しただけでも腹立つっ」


 これなら日本にいる義兄の秘書兼ボディガード大垣の扱いの方が、何倍もマシだ。

 その男も大柄のスキンヘッドである。

「考えたらそっくりじゃない、あの二人って?面白~いっ、きゃははっ!」

 ユイの笑い声が室内にこだました。


 例え仕事に行き詰まっても、こういう能天気なところは長所と言えるだろう。


・・・


 いつもとは違う花嫁候補が屋敷に来て四日目。むしろ今、ラウルの日常は以前の静けさを取り戻している。

 見合いが立て続けに重なって嫌気が差していたところに、ダンが危機を感じていち早く対応した結果である。

 ラウルのやる気についてはすでに解決していたが、これまでの反省も兼ねて、今回は慎重に進めようという良い機会となっている。


 ついでにダンは、ラウルが何とはなしに引き留めていた娘達を全て帰した。

 そのため、現在屋敷に滞在している候補者はユイしかいない。


「…何も全員追い返さなくても良かったのに?」

 ラウルは書斎で書類に目を通しながら一人呟く。


 不満に思う理由は、単に夜の相手がいなくなった事だ。

 何せ現時点でユイとはまだそんな段階ではない。誘われれば別だが、これといって性的魅力も感じない相手をこちらから誘う事はあり得ない。

 第一、気のない女を強引に手に入れる事は、ラウルの美学に反する。



 初日の食事会以来ほぼ顔も合わせない状況だが、ユイの動向は抜かりなくチェックされている。その最前線に立つのはダンだ。

 恒例報告のため、ダンは日も暮れかけた夕刻に書斎に足を運ぶ。


「その後、どうだ?」

「は。ユリ様は毎日家の者達との交流を続けております。ここはラウル様から一つ、部下達に相手をしないよう、きついお言葉を!」

 我慢ならずに訴えるダンだが、ラウルの表情は変わらず。

 ユイがテラスから部屋を抜け出し、フォルディス家の面々と語らっている事は把握済みだ。この報告はすでに二度目である。


 そして今日も同じ言葉が放たれる。

「構わん。放っておけ」


「ですが!これではファミリー全体の士気に関わります」

 ダンの脳裏には、目尻を下げたコワモテの男達の顔がいくつも浮かんでいる。

「話すだけならば好きにさせろ。あの者達も時には気晴らしが必要だ。もし乱暴を働くような素振りがあれば考える」

「はぁ…。ラウル様、それともう一つございまして…」

「何だ」

 聞き返すなり俯いたダンに、良くない報告だと察するラウル。


 ダンは話すべきか迷っていた。監視の目は常に万全、しかし万全すぎたからこその問題が発生していた。

 それは例のユイに恋をしてしまった若者である。ダンは、二人の語らうその雰囲気が気になっていたのだ。


「はっ、その、近頃…特に若い者との親睦を、深めていらっしゃるようで」

「若い者と?若い…」思うところがあるラウルは感慨深げに繰り返す。

「私に会えない事は何も?」

「はい。当初のように問われる事もなくなりました」

「私に興味はない、という事か…」

「いえそんなっ!そんなはずはありません!ボスのお忙しさを知ってこそ、待っておられるだけです!」


 必死にフォローするダンだが、耳にも入っていないのか、ラウルは冷めた目で虚空を見つめている。

――確かに今は忙しい。手の離せない案件が重なっているのだ。意図的に放置している訳ではない――


「恐れながら!ラウル様には、あの方は合わないと思います…っ」

 虚ろなラウルを前に、ダンはついに本音を口にしてしまった。


 ラウルと目が合う。澄んだエメラルドグリーンの瞳が真っ直ぐにダンに向けられる。


「もっ、申し訳ございません…自分の個人的な考えなどお忘れください」

「合わない、釣り合わないという意味だな。年がか?」

「滅相もない、あの方があまりにお若すぎるというだけの事です!」

「若いと言っても23だろう?以前に20の娘が来ていたぞ。あの時お前は何も言わなかったではないか」

 そう、その時の令嬢はユイのような破天荒な性格ではなかった。


 そしてあの容姿でもユイは23歳。子供子供と頭で罵っていたため、ダンはその事実を忘れていた。

――どう見ても10代だが…そうだった!――

「おっしゃる通りでございます…」

 もう何も言えない。ラウルの言い分はどこまでも正しい。


「今晩は共に食事をする。すぐに用意しろ」

「はっ!」



 書斎で繰り広げられている自分の報告会など知る由もなく、ユイは恒例の雑談中に耳にしたある内容を思い返していた。


「ここはマフィア一家だものね。抗争の一つや二つあってもおかしくない」

 あまりに平和な日常を過ごしていたため、すっかり抜け落ちていたこの現実。


 サングラスに黒スーツのちょっぴり素敵なオジサマ達が、拳銃を片手に乱闘。背後ではなぜか車が炎上してさらにヒートアップ。

 まるで映画の世界のような光景を、勝手に想像しては盛り上がるユイ。

「きっと日本のヤクザなんて比べ物にならない迫力よ!きゃ~楽しそっ、私も混ぜてほしいなぁ」


 そんな最中にいきなりドアが開く。

「ユリ様!」


「うわぁっ!…ダンさん?またビックリさせないでってば!」

 妄想が盛り上がりすぎて、ノックの音もダンの声も全く聞こえていなかった。

 ダンの方もまさかいるとは思わずまたも驚いたのだが、今回は堪える事に成功した。

「お呼びしても返事がなかったものですから。いらっしゃらないのだと思いまして」

 澄まし顔で答えるダン。

「あら呼んでた?ごめんなさ~い。さすがにこんな時間に出歩いてません!」


 ダンは盛大なため息を隠そうともせず、息を吐いた後に続ける。

「お夕食の用意が整いました。ラウル様がお待ちです。すぐにお越しください」

「え!フォルディス様と食事できるの?ようやくね」

 こう答えたユイの表情は、やはり恋する乙女のように見える。


――ラウル様との食事を伝えただけでこんな顔をする女が、ウチの若い者と親密にな

るか…?考え違いだったか。ああマズい、何とラウル様にお詫びをすれば!――

 つい今しがたしてしまった報告を思い返し、ダンは猛烈に頭を悩ませる。


「ダンさん?どうかした?」

「っ!!…いえ。では参りましょう」

 不意打で接近したユイの顔に、ビクリと分かりやすい反応をしてしまう。

――子供…でも、ないかもしれない…――


 なぜか魅力的に見えてしまったのだった。


・・・


 ようやく、二度目の食事会が執り行われている。


「この屋敷での生活は慣れたか?」ラウルは当たり良く笑顔で尋ねる。

「ええ、まあ…」今はユイの方が愛想笑いだ。

――慣れたも何も、部屋に閉じ込めておいてよく言うわ!抜け出してる事もどうせ気づいてるんでしょうけど?――

 こう言ってしまいたかった。


 だが目の前で優雅に食事をするラウルを前に、そんな悪態紛いのセリフは野暮だ。

 ダン相手になら言える事も、この気品溢れるフォルディス様に言う事は憚られる。


「時間を取れずに申し訳ない。今はたまたま仕事が立て込んでいるのだ」

「はい。存じておりますのでお気になさらず」丁重に答えるユイ。せめて令嬢らしくしようと努める。

 だがそんな姿勢が、逆にラウルには興味が持てない相手への素っ気ない態度と映る。


「ユリ」

「はい?」

「おまえは年齢の差をどう思う?」

「年齢、ですか?」ユイは唐突に問われて首を傾げた。

「私は35だ。おまえにはもっと、年の近い者の方が良いのではと思ってね」

「っ!それって、私じゃダメって事ですか?…フォルディス様は、私じゃ嫌ですか!」

 満更演技でもない。拒絶されかけたユイは本気で訴える。


 セリフがあまりに真に迫っていて、後ろに控えるダンも食い入るように見てしまう。

 それはラウルも同じだった。

「いや…私は別に気にしないのだが…」やや引き気味ながら即答する。

「本当ですか?あ~良かったっ!」

 ラウルの答えを聞いて、ユイは見る見る笑顔になった。


 そんなユイを見てダンは確信する。あの報告は誤りだった!と。内心慌てふためくダンをよそに、静かに食事会が進められる。


――焦った…、お試し期間中にポイされるかと思った。だけど絶対若い方がいいよね?女なんてさ?――

 若さに文句はないはずと、これまでの経験でユイは思う。


 若すぎてはできない事もたくさんあるのだが。


 せっかくの機会にあれこれ聞き出したいユイだが、ラウルはほとんど口を利かず。余計な事を言って怒らせたくないユイも口を閉ざすしかなかった。

 それでも映画スターのようなラウルの容姿にうっとりしながら、これはこれでユイにとっては有意義な時間だ。


 一方ラウルは、年齢は問題ではないとの結論に達し、一人満足していた。


 女性絡みの調査に関するダンの誤報は今始まった事ではない。

 冷静なようでいて若干早とちりのダンは、時としてこんな過ちを犯す。恋人無し歴40年が祟っているのは明らかだ。

 そんなダンの全てを把握するラウルは、この誤報を強く責める事はなかった。


 ラウルのそんな寛大さが、さらにダンの忠誠心に火を点ける訳だ。

 こんな繰り返しによって、この男は出来上がったのである。



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