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エメラルドグリーンの誘惑  作者: 氷室ユリ
第一章 引き寄せ合う力
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第一印象

 その日、目の前に現れた少女のような純粋さを漂わせる娘に、ラウルは一瞬目を奪われた。

 色味の濃い髪色と褐色の瞳を持つ、アジア人特有のオリエンタルな雰囲気だけでなく、物怖じしない屈託のない態度は新鮮で、これまでの娘達と大きく異なっている。


 それも当然の事、この女にとってはただの仕事の一環である。それも乗り気でない仕事とくれば、高揚感も緊張の欠片もない。

 そんなユイではあったが、噂に違わぬ超絶色男を前に、急展開でテンションが上がったのは言うまでもない。


 超面食いの朝霧ユイ。あろう事か仕事を忘れて心ときめかせる始末だ。

「初めましてフォルディスさん、じゃなくてフォルディス様!えっと…ボルビーチ、エングレーザ?」

――この神々しさ!さん付けでなんて呼べな~い!――


 ユイの発した流暢な英語に合わせて、ラウルがネイティブ顔負けの英語で答える。

「英語で問題ない。初めまして、私がラウル・フォルディスだ。ええと…」

「ユイ…じゃなかったユリです!どうぞよろしくっ」

――きゃ~声までステキっ!これぞセクシーボイスってヤツね。何でこんな人がマフィアやってるんだろう?――


 未だ不満顔継続中の父役の依頼人を差し置き、自己紹介が始まる。ラウルが愛想良く答えて、その後しばし会話が続く。

 ユイが本名を名乗りそうになった一幕も、何ら気にした様子もないラウル。一安心したユイは父役の依頼人に宣言する。


「ねえお父様。私、今日からでもこちらのお屋敷でフォルディス様とご一緒したいと思うんだけど」

 この申し出に、男は途端に笑顔になる。

「おお!ようやく決心してくれたか!パパは嬉しいよ、我が娘!」

 ぎゅっと抱き寄せてユイの頬にキスの雨を降らせた。

「っ!お、お父様っ、フォルディス様が見てるわよ?」


 気にするユイだが、ラウルは意に介さず一言。「仲の良い親子で結構だ」

 その顔に浮かぶのは明らかな作り笑いである。


「娘の事、どうぞよろしく頼みますぞ!」

 前のめりになる男とは裏腹に、ラウルは素っ気なく返す。

「頼まれても困る。先に知らせた通り、2週間で進展がなければ白紙だ。いいな?」

 明らかに年上の相手に対して敬語を使おうともしない。容赦のない物言いだ。


 だが男は、ユイが依頼を受けてくれた事ですっかり機嫌が良くなっている。

「分かってる分かってる!これユリ、きちんとフォルディスさんにご奉仕するんだよ?失礼のないように、いいね?」

 またも下ネタ寄りの言葉を掛けられて、顔をしかめつつも努めて愛想笑いで返す。

「オホホホっ!お父様ったら何?ゴホウシって!」


 テーブルの下で、ラウルに見えないよう男の足を思い切り蹴り飛ばすユイ。

「ぐうっ!いっ…痛い」

「あら、どうなさったの?お父様!」


 親子のおかしなやり取りに首を傾げるラウルだが、斜め後ろに控えるダンには全て見えていた。

――親にまで手を出す、いや足を出すとは…。とんだお転婆娘だ!――

 こちらもラウルに気づかれぬよう、グッと拳を握り締めたのだった。



 やがて客人のはずの男は、ラウルに見送られる事もなく帰された。


――随分ね~。言葉遣いもそうだし、礼儀知らないのかしら?何か残念だわ!でもパパの方は上機嫌だったし…能天気な人で良かった!――

 案外細かい事は気にしない性格らしい。争い事が起きずにユイとしては一安心だ。

――だってマフィア同士のケンカって、めんどくさいんだもん?――


 客人が去ると、向かい合わせで座っていたラウルがおもむろに立ち上がる。


――あれ、もう行っちゃうのかしら…。まだ何も話してないのに――

 ポカンと見上げる格好になるユイに、ラウルが上から視線を注ぐ。

「それでは私は仕事に戻る。これからの事はダンに聞いてくれ。では失礼」

 一応笑顔ではあったが、フレンドリーとは程遠いビジネスライクな物言いだった。

「あっ、はい、分かりました!」

 席を立ったラウルに続き、慌てて立ち上がるユイ。


 ラウルはあっさり背を向けて居間を出て行った。


 主がいなくなると、部屋の空気はたちまち切り替わる。どことなく張り詰めていた空気が、今度は別の重々しさを漂わせる。


「何だか急に寒気が…っ。何?気のせいよね」日本語でユイが呟く。

 言葉はダンの耳には入らなかったが、ユイが震えたように見えて確認を入れる。

「ユリ様。いかがされましたか?」

――今頃になってラウル様の尊さに恐れをなしたか!鈍いヤツだ――

 ダンはユイが震えた理由をこう解釈していた。


「あっ、いえ何でも!」ユイは我に返って慌てて答えた。

「そうですか。それではご説明いたします。この敷地内はご自由にお過ごしいただいて結構ですが、許可なくラウル様の書斎と寝室には入られないように。外出は極力お控えください。必要な物があればこちらでご用意いたします」

 何とも事務的な説明だ。

 先程のラウルの態度といい、花嫁選定の生活が始まるとは思えない状況にユイは訝しがる。

「どうして外出しちゃダメなの?」


――別にそう簡単に会話させてもらえなくても構わないけど、そこまで拘束されるのはいただけないわ!――


「大切な預かり物のご息女に、何かあっては困りますので」

「そ~んな、何もないでしょ、大袈裟!」

 どこまでも軽いコメントを吐くユイに、ダンのコワモテ顔がさらに迫力を増す。

「あなた様でも、マフィアの世界は良くご存じのはず。お父上に教わらなかったのですか?」

「何よ、その、あなたでも、って?」つい食って掛かってしまう短気なユイ。


 ダンは心の中で、そのままの意味だ、バカめ!と罵る。当然態度も表情も一切変えず。


「お部屋にご案内します」

「ちょっと!話聞いてる?ねえってば!」ユイは背を向けたダンに声を荒げる。

「申し訳ございません、日本語はあまり得意ではないので」

「ウソばっか!そんだけペラペラ喋っといて!なら英語で話してよ。何ならフランス語でもロシア語でも良くってよ!」

 マルチリンガルはユイの特技の一つだ。

「どちらも得意ではありません」


 そんな事を言いつつ、この男はどちらも堪能な優秀すぎる側近である。


 ダンの後に続いて廊下を歩きながらユイは思う。

――それにしても大きな家!まるでどこかの博物館みたい――


 ひんやりとした空気漂う廊下をひたすら進んで連れられた部屋は、とてもゴージャスで快適そうな空間だった。

「広~い!さすがはお金持ち、ステキ!」

――良かった、明るい部屋で…――

 変なところで安堵してしまうお化け嫌いのユイ。


「クローゼットに一通りの物は揃えてありますが、不備があれば私にお申し付けを。お食事の時間になりましたら呼びに参ります。では」

 淡々と説明し終えて立ち去ろうとするダンを慌てて引き留める。

「ちょっと待って!」

「何か?」

「呼びに来るって、ずっと部屋にいろって言うの?さっき自由にしていいって言ったじゃない」

「ですから、こちらでご自由に過ごしてくだされば」


 室内には豪勢な花が生けられ、テラスに出れば手入れの行き届いた庭も見渡せる。

 棚に飾られた陶器類や壁に掛かる絵画も一品で、十分鑑賞の余地がある。本棚には様々な書物が収納されていた。

 何よりこの夢のようなゴージャスな部屋は、普通の娘ならば十分酔いしれながら過ごせる事だろう。


 だがしかし、この女は普通ではない。


「その辺、散策してもいいでしょ?一応確認だけど、ここ心霊スポットとかになってないよね…」

「は?」

「いいえ、何でも!食堂の場所教えて。自分で行くわ。フォルディス様もダンさんもお忙しそうだし!」先程あっさり立ち去ったラウルへの嫌味も込めて言う。

「しっ、食堂…っ。いえ。ラウル様よりお世話を任されている以上、職務放棄はできません」

「固いなぁ」

「今、何と?」

「別に!分かりました、大人しくしましょ。今日のところは初日だし?」


 思わず舌打ちをしそうになりながらも、ダンは静かに頭を下げて部屋を後にした。


「全く、何なんだ、あの小娘は!今日のところは、だとぉっ?それに食堂などと!庶民はこれだから困る。ダイニングだ、ダ、イ、ニ、ン、グ!久しぶりにこんなに腹が立ったわい」

 独り言などいう男ではないのだが、怒りのあまり口に出ていた。


 我に返って廊下を見渡すも、幸い人の気配はない。


――こんな事では、ラウル様に仕える身として失格だ。冷静になろう――

 改めて自分に言い聞かせるダンであった。



 昼食の時間になってもラウルの姿はなく、食卓にはユイ一人分の料理が並んでいるだけだ。

 せっかくイケメン鑑賞をしながら食事ができると思ったのに!と拍子抜けのユイ。


「ねえ、フォルディス様は来ないの?」ユイは後方に控えるダンに尋ねる。

「お仕事中です」

「お屋敷にいるんでしょ?一緒に食べたいわ」

「今は手が離せません」

「だったら私も後でいい。いつ食事する予定?」

「先に召し上がってください」


 お前のような女がラウル様とお食事を共にするなど、百年早いわ!とダンが心で叫んだ事には当然誰も気づかない。


「はぁ~あ!ワケ分かんないっ」

 文句を言いつつも、漂う美味しそうな香りと美しく盛り付けられた料理を前に、ユイはどうでも良くなった。

「まあいいや。美味しそっ、高級レストランに来たみたい!いっただっきま~す」

 満足そうに料理を頬張るユイを、相変わらずの無表情でダンは見守る。


 食事が済んで部屋に戻るまで、ダンは付いて来た。


 しばらくしてそっとドアを開けると、その姿は見当たらない。

「やっと行ったわね。全くいつまでも付き纏って。暇人なの?あの人!」

「これでも私も多忙な身です」

 突如背後から降ってきた声に悲鳴を上げるユイ。

「きゃぁあーーっ!!!」


 ダンはその悲鳴に驚く。蒼白な表情の二人は、廊下でしばし固まる。


「そのような大声を出さないでいただきたいっ!」

「だ、だって!ビックリしたんだもん!いるならいるって言ってよ…」

 それでなくともビクビクしていたユイは、高鳴る心臓を押さえて訴える。

「では次からはそうさせていただきます」

「しなくていいっ!」


 コントのようなやり取りの末、姿勢を正す。

「ユリ様。何かご入用でしたか?」

「別に」

「お夕食はラウル様が共に摂られるそうです。お時間になりましたらお連れいたします」

「ホント?!嬉しい、まだ何もお話できてないから」


 ほんのり頬を赤らめたユイを見て、こんな小娘でも早速ラウル様に惚れてしまったか、と妙に納得する。

――それは当然だ!ラウル様も相変わらず罪なお方だ…――

 一人酔いしれ、満足げなダン。


 今回は心静かにドアを閉じる事ができた。



 そして待ちに待ったディナータイム。毎食専属の一流シェフが調理しており、食卓はとても豪華だ。


 二人の前にはシャンパングラスが出されている。

「口に合えば良いのだが」

 そう言いながらも、一人で先にシャンパンを飲み干してしまったラウル。


――えっと…こういう時って、出会いに乾杯!とか言うんじゃないの?――

 予想外の事に一時面食らうも、ユイはグラスを軽く掲げてから一口飲んだ。

「いただきます。んんっ、美味し~!」

 その味はとても辛口だった。辛口が好みなユイとしてはこの感想は本音だ。


 それを信じない男が一人。こんな小娘に高級シャンパンの味が分かるはずがない!と息巻くのはもちろんダンである。


「おまえは辛口派か」

「はい、そうです!フォルディス様も?」

「ああ。おまえくらいの年で辛口派とは珍しいな」

 ワインの嗜好が合うか否かは、ラウルが相手の女性に求める条件の一つでもある。

 ほとんどの若い女性は甘口を所望する。その時点でアウトである。

「ワインに関しては、甘いのはちょっと苦手ですね」

「それについては合う、な…」


――いやいやラウル様、鵜呑みにするのは危険です。気に入られようと嘘を言っている可能性も!以前にもそんなケースがあったではないですか!――

 眉一つ動かさず、内心でダンは訴える。


「ええと…」

 妙な相槌に続き、自分を見て口籠もるラウルに、ユイは首を傾げる。

「おまえの名は何だったか」

――って、そっち?!――「っ…ユリ、です」

「そうだった、ユリ」


 名前すらも憶えられていなかった事にショックを隠せない。

――あのダンさんだって覚えてくれてるのに…っ。酷くない?――


 ユイの受けるショックになど全く気づかず、ラウルが質問を始める。

「おまえのルーツの半分は日本といったな。向こうには帰らないのか?」

「たまには帰りますよ。向こうに兄がいるので。あ!もちろん義理のですけど。でも母はイタリアに…仕事で!行ってるので。日本にはあんまり…」

――危ない危ない、母はルーマニア人と結婚してないと辻褄合わないじゃない!――


「そうか」

 このコメントの後なぜか沈黙が流れる。しゃべりすぎたかと焦るユイに対し、ダンはしてやったりの表情を隠せない。

 その後は他愛のない会話を二言三言交わすだけで、黙々と食事が続けられた。


 ラウルは終始物腰柔らかな応対をしながらも、これまた早々に席を立った。


 ダイニングに取り残されたユイは、後方に控えるダンを振り返る。

「…私、何かご機嫌を削ぐような事言いました?」上目遣いで恐る恐る尋ねる。

――早速ドジ踏んだかも…。潜入がバレたら殺されるかしら――

 こう思いつつもユイに恐怖心はない。相棒は今も定位置に収められている。いつでも応戦可能だ。


 だが、緊迫シーンはやって来なかった。

「ラウル様は祖国やご家族を大事にされるお方、それだけの事です」

「はぁ…」

 つまりユイの回答が気に入らなかったという事になる。


――こんなんじゃ、毎回顔色見て返事しなきゃなんないワケ?そもそも私になんて全く興味ナシってカンジだったけど!――

 せっかく尋ねられた自分の話題なのに、全く盛り上がらなかった。もっと入念な下調べの上で、相手が気に入るような人間を演じるべきだった。

 敵の懐に飛び込んでしまった今となっては後の祭りだ。


 ユイは軽い気持ちで受けてしまった事を大いに後悔した。


――考えたらそうよ。3拍子も4拍子も揃ったイケメンが結婚できない理由なんて、変

人だからに決まってる…。ああっ、やっぱ受けるんじゃなかった!――


 突破口を見い出せないユイであった。



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