ある家の内情(2)
厳重な警備の物々しい雰囲気の中に聳える、豪奢で洗練された今風の屋敷。よそ者を寄せ付けまいとするように周囲を固める鉄柵が、より冷たい印象を与える。
ユイと依頼人が向かった先、門前で待ち構えていたのは、いかにもマフィアという面構えのガタイの良い男だ。
「ヴァ、ローグ」(こちらへどうぞ)
こんなサングラスにスキンヘッドの大男に、ユイは思わず日本語で呟く。
「…コワい顔!久々に見たわ~」
実家がヤクザなだけにこういう顔は見慣れているのだが、それでも言いたくなる風貌であった。
「申し訳ございません。この顔は生まれつきです」
流暢な日本語が返って来て慌てるユイ。「っ!日本語分かるんですか?!」
「はい。少々嗜む程度ですが」
「いえいえご謙遜を。物スゴ~くお上手ですよ…?」
悪口をまんまと聞かれてしまい、大慌てで持ち上げる。
「でも驚きました、皆さんできるんですか?こちらのフォルディスさんとか…」ここまで言って遮られる。
「ラウル様は日本語はお話しになりません」返されるのは早かった。
畳みかけるようにピシャリと言われて不快になる。
――何?その蔑むみたいな言い方は。だったらアンタは何で学んだのよ?――
一頻り頭の中で文句を言うも、相手が気分を害したのは自分の最初の発言が始まりかもしれないと思い直す。
対する男の表情に変化はなく、淡々と自己紹介を始めた。
「私はラウル様の側近ダンです。お待ちしておりました、ユリ様」
ユイは今回、ユリと名乗っている。
「どうも…」
――日本語通じる人がいるなら先に教えといてよ!サイアクの第一印象じゃない――
愛想笑いのユイと仏頂面のダンが門前でしばし目を合わせる。その身長差はもはや親子のレベルだ。
――今度の娘は…また偉く若いな。子供か?その上なぜアジア人?――
ダンがこういう感想を抱くのも仕方がない。
やがて依頼人の男が何やらダンと揉め始めた。ルーマニア語を解さないユイには状況が分からない。
「ねえ。どうかした?」
「ボスは外出されました。お戻りになるのは深夜になります」
訪問は事前に告げていたはず。話が違うと食って掛かっているのだ。
「マイペースな人なのね~」
ユイとしては顔が見られず残念!くらいの感覚だが、依頼人の方は落胆の表情を隠せない。そんな父役の男の腕に絡みつき、笑顔で見上げる。
「別にいいじゃない?そんなお顔なさらず、出直しましょ、パ、パ!」
「よろしければ私がお話を伺います。ラウル様より、おもてなしするよう言付かっておりますので」
「ふざけるな!なぜ側近と話さねばならない?これはトップ同士の話し合いだ!」
怒り心頭の男を懸命に宥めるユイだったが、本場マフィアの怒りの圧は半端ない。
仲裁はムダと判断してすぐに諦め、道端にしゃがみ込んで傍観する。
「ふぁ~あ。…退屈っ」
未だ揉め合っている男達を尻目に、あくびをしながら立ち上がって屋敷内を覗き込む。
美しい庭園とセンスの良いスタイリッシュな建物の外観に、一目で魅了された。
「きゃ~っ、なかなかじゃない?年代物の屋敷って聞いてたから、もっとお化け屋敷みたいなヤバいヤツ想像してたわ」
意外と鈍感なユイはまだ気づいていない。この屋敷の纏う不穏なオーラに…。
「娘よ、引き上げるぞ!」
「あ~、はいはい。やっと気が済んだのね、パパ!」
ピョンと飛び跳ねて男の横に立つユイを、ダンは呆気に取られながら眺める。
――これで23?どう見ても子供だ。年齢を偽っているのでは?こんな子供がボスと結婚などあり得ん!――
ダンはポーカーフェイスの裏でいきり立つ。
絵に描いたように忠実な部下ダンは、誰よりもラウルを慕い敬愛している。ラウルのためならば、いつでも命を捨てる覚悟がある。
その執着振りが度を越えており、部下達からはホモ疑惑まで持ち上がる始末だ。
そんなダンだからこそ、ラウルのお相手探しには当然こだわる。
これまで何人ものこういった客(花嫁候補)を捌いて来た。自分のお眼鏡に適った相手でなければ受けない。
実際こうでもしないと、数が多すぎて対応しきれないのだが。
中には絶世の美女や才女もいたが、なかなか決め手に欠けるようで相手は見つかっていない。
――ラウル様のお相手が、そう易々と見つかるとは思っていないが…いつまでもこんな事をしている訳には行かない――
まだ先方から何の話も聞いていないのに、また振り出しかとダンは早々にため息をついた。
帰りの車内では、怒り冷めやらない依頼人をよそにユイが煙草を吹かす。
「おい!ここは禁煙だ!君は今令嬢なんだぞ?態度に気をつけてくれ?」
「禁煙車とは失礼~。ねえパパ、そのフォルディスさん?って、そんなに人気者なの」
「そうとも。容姿だけじゃない、何せあの財力だ。この辺一帯の土地も全てフォルディスのものさ」
「へぇ~、それは凄いっ」車窓から身を乗り出して草原地帯を見渡す。
「ただのマフィアなのに、何でそんなにお金持ちなの?」
「だからそれが謎なんだろう?いくら名家と言えど、度重なる不況をどう乗り越えた?絶対に裏で何かやってるんだ。何を隠し持ってるのか暴いてやる!」
男が何気なく口にした名家という言葉は、ユイには響いていない。
「謎ってそういうお宝探し系のヤツ?お化け絡みじゃなくて良かった!ふ~ん、不況ね~。それはやっぱ政略結婚とかで乗り越えたんじゃない?」
何より心霊現象の類を苦手とするユイ。内心ホッとしながら暢気に答える。
「ああ。最も太いパイプが築ける、手っ取り早い方法ではあるな」
「でもそうすると、ウチと結婚しても向こうにはメリットなくない?」これは当然の指摘である。
「そんな事は知らん。見合い写真バラまいてるのは向こうなんだから。よっぽど切羽詰まってるんだろうよ。あの男ももう35だしな。これはチャンスだ!」
「ふう~ん」
――それにしても花嫁候補を募集するなんて、何考えてるんだか!金持ちの考える事は理解不能だわ…――
ユイはまだミサコの持って来た縁談相手と、今回のターゲットが同一人である事に気づいていない。気づいたら最後、確実に依頼は断わっていたはず。
この鈍感さがなければ、間違いなくこの先の壮大な波瀾万丈劇は始まっていない。
この日の深夜、フォルディス邸に黒塗りの高級セダンの車列が流れ込んで来た。
先頭車両から降り立ったラウルが屋敷の玄関に向かう。
「お帰りなさいませ、ラウル様」玄関先で出迎えるダン。
「今回の客人の手応えは?」唐突にラウルが尋ねた。
ダンは驚いて聞き返す。「え…なぜそれを?」
今日やって来た小規模ファミリーの令嬢に関しては、まだ報告していないはずなのだ。
「何となくだ。いつも誰かしらは来ているだろう。そんな事を一々説明させるのか?」
明らかに気分を害した様子のラウルに、ダンは慌てる。
「いいえ!申し訳ございません!その件についてですが、今回の方には会われる必要もないかと」
低頭しながら即答するも返事がない。不審に思い顔を上げるダン。
「面会もなしでは失礼だろう。日を改めさせたのだろうな?」
「はい。もちろんです。そのようにお伝えしました」
――ああ…あの時断らなくて良かった!――
今回に限ってこんな事を言い出したラウルに、首を傾げつつも安堵する。
どんなに自分が反対意見であっても指示には従う。もちろん渋々ではなく納得の上でだ。
ダンにとって、ラウルの判断は常に正しく絶対的なものなのだから。
「で、娘の様子は?」
「…なかなかに、個性的な方とお見受けしました」
――さすがに子供だったとは言えない。それなりにファミリーのご息女なのだ――
相手への気配りも忘れない優秀な側近ダンだが、ラウルにはどうでもいい事だ。
「そんな事は聞いていない。フォルディス家に馴染める素質はありそうかと聞いているのだ」
由緒ある家に相応しい云々の前に、この家に馴染むにはそれなりの素質が必要だ。何せ一癖も二癖もある家なのだから!
またも気分を害した様子のラウルに、ダンは焦る。
「はっ!失礼いたしました、個人的感想を…。奥方様になさるには、少々難があるかと」
「そうか」
一言だけ返したラウルだが、がっかりした訳ではない。もはやプライベートではなく、やっつけ仕事的な感覚になっている。
「例え第一印象が悪くても、掘り出し物という事も稀にある。その者を明日一番でここへ呼べ」
「かしこまりました。いやしかし!安心しましたぞ、先日はウンザリだ!などとおっしゃっていたので」強面フェイスがややほころぶ。
「覚えがないが」
サラリと返されて、一転ダンは言葉に詰まる。
――しまった、余計な事を言った!――
「…失礼いたしました」
「のんびりしている暇はない。私ももう35なのだ。本気で相手を探さねばな」
投げやりになっていたラウルがやる気を取り戻したのには理由がある。
それにはフォルディス家のある親族の動きが関係していた。大きな家にはありがちな後継者争いである。
それは遠い昔、ラウルの生まれる以前から存在するもので、なかなかに根の深い怨念が籠もっている。
「このままではあの男の思うつぼだ。そうはさせない…!」
思わず口にしたこんなセリフだが、小さすぎてダンには聞き取れず。
「ラウル様?」
「いや。何でもない。私は何事にも負けるのが嫌いなのだ」
「存じております。第一に、ラウル様が負ける事態など誰も想定しておりません!」
何の事か分からなくても、ダンは全面的に肯定する。
何の言葉も返さず、ラウルはダンの前を通り過ぎた。
――ああラウル様、一体誰があなた様を打ち負かすというのです?そんな相手は、このダンが先に討ち取って参ります!――
ダンはラウルの後ろ姿を見送りながら思う。
全てにおいて優秀であるラウルに、今も昔もこれからも敵など存在する訳がないと、ダンは本気で思っている。
加えて稀に見る恵まれた環境だ。莫大な財産と権力を無条件に手中に収め、生まれ出た時点で全てが約束されていた男。
周囲から畏敬や嫉妬の眼差しを向けられ戸惑う時期もあったが、それも次第に麻痺して、やがて快感となる。
常に大勢の取り巻きを従え、いつでも指図する立場にある。望めば何でも手に入る。
そんな暮らしに浸れば人は自信に満ち溢れるだろう。その上挫折経験もないと来れば無敵である。
こうして恐れ知らずのポジティブ人間が出来上がった。
こんな男だからこそ、心に抱く孤独と日々の退屈は誰にも理解し得ない。
人の温もりや支え合いなどとは無縁の孤高の人であればこそ、結婚の必要性も感じないのだ。
しかしこれだけは一人ではできない。
――子孫を残すという義務だけは…――
それも厳しい条件をクリアした者と、正式に婚姻関係を結んだ上で授かる必要がある。授かり婚などは以ての外だ。
避けては通れない気の進まない行事を前に、ラウルは深いため息をつくのだった。