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エメラルドグリーンの誘惑  作者: 氷室ユリ
第一章 引き寄せ合う力
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ある家の内情(1)

 遥か1千年もの間受け継がれて来た血が、途絶えようとしていた。


 フォルディシュティ家。それはここルーマニアという国が造られるより以前からこの地にある、歴史的名家である。

 その屋敷は長閑な田園風景の広がる大地に、突如姿を現す。広大な敷地に建つその建物は、何度も改築・改装を繰り返し見た目は近代的ではあるが、どこか仄暗い空気を纏っている。


 屋内には歴史を感じさせる箇所が随所に残る。中でも地下にある複数の石造りの部屋は頑丈な造りであったため、昔のままの姿を留めている。

 冬は寒く夏は暑いここルーマニアの気候下にあっては、安定した温度を保てる地下は貴重だ。現在は空調設備も加わり、さらに快適な空間となって休憩所やトレーニングスペース等々として使われている。


 地下に広がるこの広大なスペースが、千年も昔何に使われていたのかは、もはや知る者はない。


 フォルディシュティ家はいつしか、フォルディスと名乗りマフィア一家となった。

 家系の血筋か、手段を選ばない冷酷さと穏やかな側面を併せ持つこの一族の性質は、その道に入るのには都合が良かったのかもしれない。

 これにより使用人等々に加え、多くの部下達がこの屋敷及び敷地内にて寝泊まりしており、活気はそれなりにある。


 現在この家を取り仕切っているのは、ラウル・フォルディス35歳。ルーマニア人にしては珍しい淡いブロンドと、エメラルドグリーンの瞳が印象的だ。


 多子の家系でありながら、ラウルに兄弟はなく、遅くに出来た待望の子であった。

 両親からの惜しみない愛を受けて育った彼は、何より家族を大事にしている。ファミリーへの想いは人一倍強く、家のためならば手段を選ばない。それが証明されたのは、皮肉にも両親が抗争により殺害された折であった。


 当時のラウルの怒りは、普段の穏やかさからは想像もできないくらい荒々しかった。本人さえも驚くほどのパワーが発揮され、報復された側の損害は相当なものだった。


 以来ラウルは、ファミリーにとって神のような存在と敬われている。彼がボスの座に就いて、早15年が過ぎようとしていた。


 この間、フォルディス・ファミリーはラウルの破壊的パワーにより、さらに力を増している。過去の代にも急成長を遂げた時期があり、謎の力で突如伸し上がる悪魔の家などと噂され、周囲からは一目置かれる。

 そんなフォルディス家だが、マフィアとしての歴史は浅く順位は高くない。そもそも歴代のトップ等に頂点を目指す意思はなかった。彼等はある理由から、目立ってはいけない存在なのである。


 それでも曰くつきファミリーと来れば、当然注目が集まる。さらにトップが若きボスというだけで甘く見られがちだ。ラウルは常に暗殺の危機に晒される事になる。

 屋敷の中にいる時でさえ、気を抜く事は許されない。常に緊張感の中での生活だ。血と硝煙の匂い漂う日常。そこにはいつでも死の影がチラつく。


 こんな荒んだ世界に身を置くうちに、ラウルは心から笑う事もなくなった。

 感動で心を打ち震わせる事も、人の温もりも忘れ、幸せがどういうものか分からなくなった。


 何をしても癒されない。人を殺しても何とも思わない程に、無感情になっている。

――自分の心を満たせるものは、もうこの世にはないのかもしれない――

 こんな事を思ってしまうくらいに、ラウルは憂えていた。


 それでも生きる理由は明確だ。心から慕っていた父から受け継いだこの家を守り抜き、存続させて行くためである。


 ラウルは今、この強い想いと責任感だけを胸に生きている。


 だからこそ、今回国内のみならずその周辺国も巻き込み、大々的に進めている花嫁募集の件は、35歳となったラウルにとって最重要事項となるはずなのだが…。



「ラウル様。本日のハンガリーのご令嬢はいかがでしたか?」

 書斎に入室した大柄スキンヘッドの男が、低音ボイスを響かせた。


 この男は側近のダンだ。幼少期よりひとつ屋根の下で暮らす家族のような存在でもある。

 5歳も年上なのに、昔からラウルに対してかしこまった態度で接する。

 父方の遠縁の親戚に過ぎない身としては、直系であるラウルを敬うのは自然な事だが、その羨望の眼差しは異様なレベルである。


 そんなダンも今ではラウルの一番の相談役であり、唯一の腹心と言える。


「見て分かるだろう。聞く必要が?」

 澄んだ声でこんなセリフを吐き出したその顔は、どこから見ても不満そうだ。


 ラウルは外見のみならず声まで美しい。その美が損なわれる事は、本人以上にダンには耐えられない事なのだ。

「っ、申し訳ございません!ああ…その、今回の方はルーマニア語もお出来になられて、良さそうだと思ったものですから…」

「はぁ…。もうウンザリだ、いい加減に飽きて来た。一体いつまでこんな事を続ければいいのだ?」


 続々と舞い込む娘達の見合い写真。飽きもせず押し寄せる着飾った親子。同伴した親達は煩わしい程に娘を称賛しては売り込み、その娘達はたちまち自分に骨抜きになる。一方的な娘側からのラブコールが始まる訳だ。


 ここだけを聞けば良い事のように思えるが、この男にとってはそうではない。

 ラウルはこれまで、恋愛において自分から言い寄った事はなく、常に追い駆けられる側であった。それも尋常でない数のアプローチを受けて来たため、そんな青春時代を思い出してうんざりしてしまうのだ。


「いつまで、とおっしゃられても…まだこんなに候補の方がおられますし?」

 低頭したまま、憂い顔のボスをチラチラと盗み見ながらダンが返す。

「こう面会ばかりでは、本業に支障が出るのではないか?」

「ご心配なく。そちらの件は私が滞りなく進めております!」ダンは胸を張る。


 見合いに専念してほしいとの意を込めるも、鋭い視線が返された。

 その顔は例えどんなに美しくとも、紛れもなくマフィアの顔だった。


「例の取引は時間との勝負だぞ?お前にその速やかな決断が下せるとは思えんが」

「はい、その通りです」またもや胸を張るダン。

「は?認めるのか!」

「ラウル様。お相手探しも時間との勝負、もっと速やかな決断を下すべきかと」

「分かっている!だが、簡単に追い返す訳にも行かないではないか」

 女性に優しくをモットーに生きているラウルは、娘達の好意を無下にはできない。


 合意に至った見合い相手には、一定期間を設けて屋敷に滞在させ、素質や相性を確認する事にしているのだが、優しいこの男は気のない相手でも冷たくあしらえない。

 結果、相手はさらに熱を上げてしまう。


「共に過ごす以上は満足させてやるのが礼儀だ」ラウルは言い切る。


 やって来るのは財力のある家の令嬢達。彼女達の欲するのは金品などではなく、完璧な王子様との夢心地の時間である。

 彼女達のお望み通りの完璧なルックスで、さらに性欲旺盛なラウルにとっては容易く与えてやれるものだ。


 ただそこにあるのは欲のみ。少なくともラウルの心は一切伴ってはいない。


「ラウル様は女性に優しすぎるのです。お気持ちの向かないお相手には、もっと敵対勢力に向かう時のような冷酷さを見せても良いかと」

「愚か者め。男たるもの、女性には常に優しく接する。当然のマナーだ」

「ですが!その気もないのにいつまでも手元に置くのは…っ」

「ああそうだ、夜の相手だ、悪いか?そっちの相性も重要だろう?」


 あまりにストレートな回答を浴びせられ、返す言葉もない。

――またそんな投げやりに…。もっと本気でお探しください!――

 こんな心の声は表には出さない。


「大体、お前の提案でフォルディシュティとして方々に縁談を持ちかけたのではないか。この期に及んで冷酷に振る舞えだと?マフィアの素性がバレるだろうが」


――…ああラウル様、この屋敷に足を踏み入れた時点で、すでにバレております。お気づきでないのですか?――

 こんな声も表に出さない。

 何せこの屋敷内、黒服の厳つい男共が行き交うばかりで華やかさは微塵もない。見かけるのはメイドやら使用人として雇う年配の女のみだ。

 この物々しい雰囲気は明らかにカタギではない。


 だがそれ以上に問題な事がある。ラウルに酔いしれる娘達はある時、決まって逃げ出す事になるのだ。

 それは欲よりも恐怖が勝ってしまう瞬間である。


 女性の前では常にジェントルマンなラウルだが、本業はマフィア。その言動は時に淡白すぎる。温厚で優しいはずの男の、あまりに冷淡な素顔を目の当たりにした時、受けるショックは計り知れない。

 向けられる笑顔や優しさが心からのものでないと気づいても、平気でいられる人生経験豊富な女は、こういう場所にはやって来ない。


 そしてもう一つ、恐怖の対象は別にある。

 見せつけたりはしなくとも、ある程度共に過ごせばたまたま目にしてしまう事もある。それこそ深い仲になればなる程に。ラウルにとっては日常でも、娘達には得体の知れぬ恐怖体験でしかない、あるもの。

 これこそが彼等が目立ってはいけない理由、そしてこの家に取り巻く不穏な空気の正体でもある。


 そんな様々な理由で、未だ独身を貫く非の打ち所ない超ハイスペックな35歳。


「いいのだ、素性がバレようが金目当てだろうが。この私の顔や体が目当てでもな!この家を受け入れてくれるならば」

「ラウル様…」

「ただし、この家の強い血を受け継げるだけの器があればの話だ」

 皮肉めいた口調は一転し、感情の一切伴わない形式的な物言いとなる。

「おっしゃる通りでございます」


 それきり口を閉ざしたラウルを見るや、ダンは一礼の後速やかに退室した。



 一人になった室内で、デスクに置いた葉巻に手を伸ばす。

 遠い昔、父親が愛用していたのと同じ葉巻だ。このデスクに残されたそれは、数少ない父との思い出の品である。


 火の点った葉巻から煙が一筋立ち昇る。ラウルは吸い込んだ煙と共に大きく息を吐き出してから、クルリと回転椅子を回した。

 エメラルドグリーンの瞳に、窓の外の澄み渡った水色の空が映った。


――こんな方法で、この家に相応しい人物など見つかるのか?そもそも、どういう女性が相応しいのだ…もう分からなくなった――


 繰り返されるこんな毎日に嫌気が差している。

 恋愛を単なる戯れと考え、結婚の必要性も感じていないこの男にとっては、今回の催しには煩わしさしかない。

 単なる儀式として面会し、他愛のない会話を交わして夜を共に過ごす。何の手応えも感じず、心躍る何かも発見できない。


 兎にも角にも来るものは拒まず、去る者は追わずの精神で突き進んで来た。


 これでは花嫁探しというよりも、女性側を対象としたある種の体験イベントである。さすがのダンもプライベートの域にまでは踏み込めず、この実態が知られる事はない。つまり当分この行程が続くという事だ。


 疑問点に気づくも解決策は思い浮かばず。

 ラウルは半ば諦めの境地に行き着きそうになり、今一度吸い慣れた煙で気持ちを落ち着ける。


 ふと置時計に目が向いて言い捨てる。

「…ああ、もう時間か。全く休む暇もない!」

 気怠げに立ち上がり、やや重みのあるジャケットを羽織ると、無意識にグリーンの瞳が細まった。

 その内ポケットには常に護身用の拳銃が忍ばせてある。これも使い慣れた愛用の品だ。


 ラウルは胸ポケットからサングラスを取り出すと、本業モードの鋭くなった瞳を隠すように装着し、光に透けそうな金の髪を揺らして部屋を出た。



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