最後の任務(2)
パーティ会場の中庭にて。すっかり日も暮れて、等間隔に設置される間接照明が淡い光を放つ中、一際目の引くカップルが寄り添っている。
「ユイ、飲み物を取って来よう」
「あっ、私が行きますよ、フォルディス様はここで待っててください」
「…そうか?では頼む」
ユイの本日のドレスはワインレッドだ。これもまたラウルが見立てた。同色のルビーの高価なジュエリーが白い肌に映えている。
うっとりとその姿に見惚れるのはラウルだけではない。
「美しい!君の連れている女性はいつも美しいが、中でも別格だな!婚約者とも聞いたが、式はいつだね?」出席者の年配の男が陽気にラウルに話しかける。
「…今のところ、その予定はない」
「何だ~?まだ遊び足りないか!お前もそろそろ考える年だろうに?」
バンと勢い良く肩を叩かれ、ムッとするラウル。
――余計な世話を焼くな。ダンはどこに行った?――
姿の見えない側近にさらにイラ立った時、グラスを二つ手にしたユイが戻って来た。
「フォルディス様、お待たせしました」
「ああ、ありがとう」
「…どうかしました?」どこか不機嫌なラウルにユイが問う。
「ユイ、今だけでも下の名で呼んでほしい」
「…」
お互いグラスを持ったまま、しばし見つめ合う。
「私、婚約者って事になってるのよね。だったらそうしないと不自然か。…ラウル、今日もステキよ」
「ありがとう、ユイ…」答えて、ユイの額に控えめに触れるだけのキスを贈る。
数週間ぶりに良い雰囲気が戻った。だがこれは演技だ。
お互い居た堪れない気持ちになっている時、二人同時に不穏な気配を感じ取った。
「ねえラウル、ダンさんは?」
「それが、いつからか姿が見えないのだ」
「…どうやら、穏やかな夜は望めそうにないわね」
「そのようだ…。ユイ、私から離れるな」
「もちろん。ラウルは私が守る」
「おまえにガードの依頼はしていない」
「私が一緒にいるって事はそういう事なの!」
即座に言い放ったユイに驚くも、ラウルはふっと微笑んだ。
――何と言われても、おまえは私が守ってみせる――
ラウルが後ろからユイを引き寄せたその時、暗がりから一発の弾丸が飛んで来た。
ざわついたこの場所でそれに気づけたのはこの二人だけだ。
「危ない!皆、伏せて!」
ユイが叫ぶと同時に、今度は目の前のテーブルに飾られた花瓶が派手に砕け散った。
途端に悲鳴が上がり、その場は一気に混乱に陥る。
割れた花瓶の状況から狙撃ポイントを割り出しすぐさまそちらに目を向けるユイ。
「敵はあの辺りにいる、行かせて」
後ろから抱きしめられた格好のユイは、ラウルの腕を解こうとする。
「おまえは動くな!」ラウルが必死に引き留める。
「このままじゃ、こっちが不利よ!」
「問題ない、私がシールドしている限り弾が当たる事はない」
すでにそれは二人をすっぽりと包んでいる。
「でも周りの人達は…?敵を仕留めない限り終わらないわ!」
――自分が良ければいいの?そういうところよ!この人に足りないのは…っ――
ユイは隠し持っていたコルトを抜き、すでに左手に構えている。混乱を極める周囲に、それを気に留める者はない。
再び弾丸が二人を襲う。弾は弾かれて、今度は別のテーブルの食器に当たった。
「見つけたわ。ラウル、私からシールドを外して!」
敵の姿を探し当てたユイがコルトを構えて言う。シールドを解除しなければユイの弾も弾かれる。
「いや。私がやる」懐から拳銃を抜き取り、ラウルが言った。自らが撃てば別だ。
ユイの顔のすぐ横から拳銃を持った腕が伸びる。もう一方の腕はユイのウエストにしっかり巻き付いている。
直後、乾いた音が響き火薬の匂いが辺りに漂った。
弾の行方は二人の位置からでは確認できない。
「ラウル様!ユイ様!」
「ダン、どこへ行っていた?」
「申し訳ございません、少々足止めを食ってしまって…っ」
不自然に乱れたダンの呼吸が、何が起きたかを物語っている。
「どうなってるの?敵は何人いるの!」ユイはダンを問い詰める。
「自分が把握しているのは三人です。すでに拘束しました」
「ここにもう一人いるみたいよ!」
「私の弾が当たっていれば、もういないが」ラウルが補足する。
「今すぐに確認して参ります!」
ダンがユイの示した暗がりの方に走って行った。
狙撃も止んで、ラウルがシールドの力を弱めた。
――案外この作業は体力がいるのだ――
とその時、ラウルの体に衝撃が走った。
「ううっ…!」
「ラウル?どうしたの!」
一瞬にしてぐったりとなったラウルの体を支えるユイ。背後には拳銃を持った黒服の男がいた。
「フォルディス、そしてユイ・アサギリ、これで終わりだ!」
「んな…っ!」
ラウルは意識を失っている。ユイが慌ててコルトを男に向けるが、引き金を引く前に男が倒れ込んだ。
気づいたダンが離れた位置から仕留めたのだ。さすがの腕である。
「もっといるかもしれない!クソっ、ラウル様っ」
「私が側にいながら、スタンガンなんて!ダンさん、ラウルをお願い…」
ラウルの体を預けようとした矢先、鋭い殺気を感じてユイは振り返る。今度は反対方向だ。長らく外の薄暗がりにいた者には、室内の照明は眩しすぎた。
「うっ、目が眩むわ…」
それでも室内の銃口がラウルに向けられているのを、ユイははっきりと確認した。
――間に合わないかもしれない…でもやるしかない!――
「ラウル!」
ラウルの体を覆うようにしながら敵に向けて発砲。その直後に倒れ込んだユイ。
ダンは焦る。「おい、どうした?…ユイ・アサギリ!」
そして室内でも悲鳴が上がる。ユイの撃った弾は見事敵の急所に命中していた。
そのユイにも敵の弾が命中していた。それはユイが撃つよりも前に、すでに腹部に食い込んでいたのだ。
「ラ、ラウルは、無事?…っ、私を通り抜けて…当たったり、してないわよね?」
「お前…ラウル様を庇って。バカめ、何をしている!そういうのは俺の仕事だ!」
「っ、まあ、…そう言わないでよ」
ユイはやや体勢を起こして自分の体を見下ろし、背中に手を当てて呟く。
自分の目でラウルの無事を確認したかったが、体勢を変える事は難しかった。
「大丈夫、盲管みたいね。くっ…」
じわじわと広がる燃えるような痛みに、再びユイが倒れ込む。
「しっかりしろ!今救急車を呼ぶ」
取り乱したダンの大声のお陰で、ラウルの意識が戻った。
「…うるさいぞ、ダン。何事だ…ユイ?ユイ!何があった?」
「ラウル様、どうしましょう…っ、ユイ様は特殊な血で、ああ!すぐにミサコ様にご連絡をっ」
「ダン!勝手な事は許さん!」
起き上がったラウルは、腹部から血を流すユイを抱き起こす。そして瞬時に状況を理解した。
「ユイ、私を庇ったのか…。なぜそんな事を!」
「気がついたのね、良かった、ラウル…」
「良くない!私のガードはおまえの仕事ではないと言ったはずだ!」
それは今までユイに向けられた事のない、剥き出しの感情が込められた声だった。
「…ラウル、やっと見せてくれた。ふふっ、やればできるじゃない?」
「バカな…っ、事を、言っている場合ではない!」再びラウルが声を荒げる。
痛みに歪んだユイの顔が、一瞬嬉しそうに緩む。
ラウルは上着を脱いで、すぐさまユイの傷口に押し当てて止血を始める。
「出血はそれほどない…弾は貫通していないようだ」ユイの体を確認しながら呟く。
「心臓からは…離れてる。きっと大丈夫よ、だってまだ意識だってあるし…」
「ユイ、もう喋るな。すぐ救急車が来る。ドクター新堂を呼ぼう。あの男ならばおまえの事情に詳しいだろう?血液の入手ルートも心当たりがあるかもしれない」
常に修羅場にいると言っても過言ではないラウル。こういう事態に慣れているため、案外冷静だ。
それでも、強がっておどけるユイを見ていられない。
「…新堂先生?あの人怖いんだよなぁ。また怒られちゃうじゃない…」
ユイの言葉には答えず、傷に当てた手をさらに強く圧迫しながらラウルが振り返る。
「ダン!どんな手を使っても構わん。新堂の居所を突き留めて、早急にここへ連れて来い。夜が明ける前にだ!」
「はっ!」
転げるように走り去って行くダンを見送り、ラウルは再びユイに視線を落とす。
「ユイ、きっと助ける。私の前からいなくならないでくれ…」
まるでユイの痛みが伝わっているかのような、苦しげな表情のラウル。
その頬に、ユイは血に塗れた震える手を差し伸べる。
「…もう、遅いかもしれないけど…。心から愛してるわ、ラウル…」
「遅くなどない。私も愛している、ユイ。…だから死ぬな、死なないでくれ!」
ユイの伸ばした手が、力なく落とされた。その手をラウルは強く握り締める。
「救急車はまだか!」騒然とした周囲に訴える。
いつしかラウルの配下達が周囲を牽制するように囲んでいる。異様な光景だ。
「もういい。車を回せ!ここまで乗り付けろ」
「ですがボス、ここは中庭…」
「安易に体を動かせない。構わん、早くしろ!」
「はっ!ただいま!」
いつにも増して強烈なラウルの威圧感に、逆らえる者などいない。数秒後には庭に集う客達を蹴散らして、黒塗り高級セダンが侵入して来た。
開かれた後部席ドアから、ユイを横抱きにしてラウルが乗り込む。
「なるべく静かに走れ。車体を揺らすな!」
「…や、やってみます!」
「やってみますじゃない、やれ!」気が立っているラウルは無茶苦茶な命令をする。
押さえた傷からの血が明らかに増えていた。
――出血が酷くなった。大きな血管を傷付けたか?動かしたのはまずかったか…――
ラウルは目を閉じ、傷口に手を当てて精神を集中させる。
「弾の留まる場所を見つける。正確に見えていない物を動かすのはとても難しいが…」
乱れた自分の呼吸を整え、意識をそのただ一点に集めて力を込めた。
「…ユイ、頑張るんだ。弾は私が留めておく。これ以上、おまえの中で悪さをしないように…」
――こんな事はやった事がない…だがやるしかない、ユイは何としても救う!――
・・・
最寄りの病院に運ばれ、ユイの応急処置が一通り済んだ。
集中治療室にて、ラウルが怒りを露わに医者達に罵声を飛ばす。
「泣き言など聞きたくない!血液の確保はこちらで何とかする。とにかくお前達のやるべき事をするのだ!」
感情を露わにするボスを初めて目の当たりにし、控える部下達も固唾をのんで見守る。誰もがユイの命が助かる事を願っていた。
パーティに同行した者ばかりでなく、ボスが襲撃を受けたと知って駆け付けた配下も詰めかけ、廊下は黒服マフィアが勢揃いしている。
この病院は一転して悪の巣窟と化した。
「ボスがご無事で何よりだが…」
「まさかこんな事になるとは…!」
「…知らなかった。ユイ様がそんな特殊な血液をお持ちとは!」
皆が青い顔で囁き合う。
「ダンがドクターを呼びに向かっているそうだ」
「その医者なら助けられるのか?!」
部下のこんな疑問に、病室から顔を出したラウルが真っ先に答えた。
「必ず助けさせる。何としてでも」
「ボス…我々も共に祈ります!」
途端に一同が、ユイ様!死なないでください!と口々に祈り始める。
「お前達、祈るのはいいが声を張るな。迷惑だ」
「イエッサー、ボス!」
頷いたラウルは再びユイの元に戻った。
――ユイ…死ぬな!――
ラウルの読み通り、ユイに放たれた弾丸は大動脈に食い込んでいた。突き破りかけた寸前で、留める事に成功したのだ。
医者達はこの奇跡にどよめいた。運んだ振動で一ミリも動かなかった弾丸。通常ではあり得ない事なのだから。
「あの、大変申し上げにくいのですが…例え血液を確保しても、私共には手立てが…」
医者は、今にも拳銃を抜きそうなラウルに怯えながらも訴える。
知らぬ者はいない程にラウル・フォルディスはこの国では有名人だ。血も涙もないマフィアのボスとして。
それでも訴えなければならない。弾は際どい位置にあり、自分達では対処できないと。
「お前達にそこまで期待していない。…新堂が来るまでだ。それまで、何としてでも死なせるな!」
――何の根拠もない。その医者が助けられるのかなど!だがそれに賭けるしかない。ああユイ…どうか…――
ユイの手を握り締めて祈るしかない。
そこへラウルの携帯電話がバイブした。すぐに廊下に出て応じる。
「…ダンか。見つかったか?」
『はい。ドクター新堂は現在パリに滞在中との事です。今電話が繋がっております』
「よし、繋げ」
電話越しの相手が切り替わる。
「ドクター新堂か?至急でお前に依頼したい」
『急患と伺いましたが…ただの銃創患者なら他を当たってくれませんか?』
時間は深夜だ。叩き起こされた新堂は極限に不機嫌だった。
その気怠げな声にラウルがイラつく。
「ただの銃創ではない!患者は特殊な血液なのだ!お前も面識があるはずだ。ユイ・アサギリとは」
新堂がその名を繰り返して沈黙している。
「覚えていないのか?ミサコ・アサギリの娘だ」
『ああ、あの威勢のいい小娘か!ルーマニアからと聞いたが、そんな所にいるのか?』
「そうだ。今すぐに来てほしい。一刻を争う」
『…どこを撃たれた?出血量は?』
ようやくやる気を出した新堂に、ラウルは少しだけ声を抑えた。
「正面から撃たれた。場所は臍のやや左上。弾は奥で留まっている」
『盲管か…。時間の経過は?』
「一時間程だ。意識はすでにない。迎えをそちらに向かわせている。今すぐ来てくれ!」
『いいでしょう。で、報酬の方は?』
「こんな時にも金の話か?お前も大概だな!金などいくらでも出す。助けるのが先決だ」
金に不自由した事のないラウルは、心底新堂という男を軽蔑した。
――恐らくこの男は、人を愛した事がないのだろう――
かく言うラウルも、こう思えるようになったのはユイのお陰なのだが。
『行くだけムダ、という事態だけは避けてくださいよ?こちらも暇じゃないので』
「そのためにも、ムダ口を叩いている暇はないはずだ」
『もちろんです。で、迎えというのは…?』
「部下がプライベートジェットで向かっている」
『さすがはかの有名なマフィア一家!患者の詳しい状況が知りたい。データを送れますか?』
「ああ。メールアドレスを教えろ。すぐに送る」
――一々嫌味なコメントを吐く割に、やる気はあるらしい――
モヤモヤした気分になりながらも、病院側から出させた診断データを送信するラウル。
「いつもこういう事は部下にやらせている。…届いたか?」
『ええ。来ました。拝見します』
ダンがいないと何かと不便だと、ラウルは改めて思った。
新堂が画像データを一目見て呟く。『…これはまた、間一髪のところで留まったな!その患者を絶対に動かすな。少しでも弾がずれれば命はないぞ』
「問題ない。私が責任をもって留める」
『…今何と言った?』
「だから、それは私が請け負うと言ったのだ」
『あのマフィアのフォルディスさんが、そんな冗談を言う人物とは意外でしたね!』
「冗談ではない。それより、ダンはまだそちらに着かないか?」
『私が空港に向かいますよ』
「空港は使わない。独自のルートで向かっている」
『ああ、そうですか。何でもあり、まるで軍隊だな!』
「…何か問題でも?」
『いえいえ。では、そ…』
新堂の言葉を遮ってラウルは言い放つ。「そういう事でよろしく頼む」
新堂との交渉を終えたラウルは、急ぎユイの元へ戻る。
変わらず薬で静かに眠るユイ。その顔色は非常に悪い。元々色白の顔がさらに血色を失くしている。
「ユイ、もう少しだ、もう少し辛抱しろ」こう声を掛けるもラウルに悲壮感が漂う。
今ラウルの胸を埋め尽くすのは、両親を亡くした時とはまた別の初めての感情だ。
大切な者を失う恐怖を前に、全てを手にしたはずの男がどうする事もできずにいた。




