近づく心(2)
夕食を終えて、しばし団らんの時を過ごした後、ユイはラウルの寝室に招かれる。
今はもちろん寝室に監視の目はない。気が気ではないダンも、無闇にボスのプライベートを覗き見る事はできない。やや離れた自室にてムダに神経を張り詰めるばかりだ。
「ホ~ント、フォルディス様の用意してくださるワインはどれも美味しくって!いつも飲み過ぎちゃ~う」
「味覚の好みが合って嬉しいよ」
今日も好物のワインを手に二人とも上機嫌だ。
契約が交わされて以来、頻繁に寝室に招かれているユイ。毎日はさすがに…とユイが断っているのだが。
「おまえは国に、恋人などはいないのか?」
「え?恋人ですか?いませんよ~、そんな人」
――いたらこんな事してる訳ないでしょうがっ!ちょいちょい変な事聞くよね、フォルディス様って――
「そうか」
「そんな事聞いて、もしいたらどうしたんですか?」
「殺しに行く。そしておまえを奪う」真顔でラウルが答える。
「またまたそんな過激発言~!」
ユイの冷やかしをサラリと受け流してラウルが言い添えた。「ただし、ユイの気持ちが私にあると確信できたらの話だ」
「私の気持ちがフォルディス様に…そうじゃなければ?」
「そうでなければ、…」ラウルが黙り込んだ。
じっとユイを見つめていたが、やがてはっきりと断言する。
「いや。それはあり得ない」
「なぜですか?」
「おまえがここに留まっている時点で、心は私に向いているという事だから」
「でもそれはそういう依頼だから…」
「断る事はできるのだ。そうしないのは、おまえが私に興味があるから。違うか?」
「その通りですけど…」
「私は二重契約は好まない」
「つまり二股はナシって事ですね」
「その通り」ラウルは軽く肩を竦めて答えた。
「なら、フォルディス様だってダメですよ?他にいい人がいたりしたら、私…っ」
やはりユイの中ではブロンド美女の影が消えない。存在すらしないそんな女に、ユイは未だに嫉妬する。
「そんなものはいない。おまえは、何かに怯えているように見える。私の能力すらも恐れないおまえが。…一体、何を恐れている?」
「恐れ、かぁ。恐れ多いと思ってますよ、実際」
こんなコメントにラウルが首をひねる。「意味がよく分からないのだが…」
グラスをテーブルに置いて、ユイは大きく息を吸い込んだ。
「私なんて、まだまだ小娘で世間知らずですし!フォルディス様みたいな完璧で素敵な大人の男性に、どうして気に入られたのかなぁ、とか?不安なワケです」
「それは恐れる事なのか?」
「う~ん、きっと日本独特の考え方かもしれませんね。自分では釣り合わない、自分にはもったいない、とか」
再びラウルが首を傾げる。やはりそんな心境は理解できない。文化の違いだけではなく、そもそも住む世界が違うせいだ。
「ねえフォルディス様、本当のところを教えてください。私に興味を持ったのは、ただの気まぐれでしょう?日本人が新鮮だったとか!夜のお相手だって…その、」
遊びなどと考えたくはない。だがどう考えても自分が選ばれるはずがないとユイは思ってしまう。
言っていて虚しくなる。言葉は途切れた。
「なぜそんなに自分を卑下する?おまえはとても魅力的だ。多少幼いところもあるが、これからいくらでも成長できる」
――…それってもしかして、その成長を待つって意味で契約期間を定めずにいる?私が望み通りに成長したら合格とか?――
こう考えればしっくりくる。だがラウルの胸の内を暴いたところでどうなるものでもない。自分は契約の段階で選択肢を与えられた。無理やりにさせられている訳ではないのだ。
――選ぶ権利はどちらにもある、って事よね――
ユイがこう結論に至った時、ラウルが言った。
「無理強いはしない。雇用する側とされる側というのは形式上の話。私達は対等だ。私を受け入れられなくなった時は、遠慮せずに言ってくれ」
「フォルディス様こそ…」
「もちろん。始めからそういう契約だろう?」
「あははっ、そうでした」
――ま、いいや。飽きられるまではここで楽しもうっと!――
そうは言え、飽きられるのだけは絶対に避けたい負けず嫌いのユイ。
「この依頼、私にとっては最高なんですよね~。お気に召されるよう頑張っちゃいますよ?私!」
「ああ。望むところだ。それで、どの辺りが最高なのだ?差し支えなければ教えてくれ」
「だってそうでしょ。まずはコルト。堂々と持ってられるし使えるし?返していただいて本当に感謝してます。周りはマフィアだらけで人殺してもお咎めないし…って、ゴメンなさい」調子に乗ったユイは謝って俯く。
「構わない。その通りだ。実際私も何度も殺している。だが、おまえはマフィアの片棒は担ぎたくないと言ったのではなかったか」
マフィアの殺人とは訳が違う、そう言いかけて寸前で留まる。
「…そりゃ、好んで犯罪を犯したくはないので?」
「…」
――人を殺している時点で、すでに犯罪を犯しているだろうが?――
ラウルには意味が分からない。
二人の決定的な違いは正義感の有無だ。ユイはそれの元で動いているが、ラウルにはない。そもそもマフィアに正義感を求めてはいけない。
それ以前にこの二人の考え方には大きな違いが存在する。これを乗り越えなければ、二人が結ばれる事はないだろう。
「それに、居心地がいいんです、ここ。ウチの実家もヤクザだったし。似た者同士っていうのかしら?何だか懐かしくて…実家は大嫌いだったのに!不思議です」
「嫌いだったのか?」
「はい。特に父親が」
反発心から正義を貫いているユイなのだ。
「私は父を尊敬していた。亡くなった今でも憧れの存在だ」ラウルが表情を少し緩めた。
「ステキです。そんなふうに思えたらって何度思ったか…。本来親って尊敬の対象であるべきですものね」
「きっとおまえの父親も、おまえを愛していたよ」
「そうでしょうか?散々酷い目に遭わされましたけどね~!」
「どうであれ、私はおまえの両親に感謝している。ユイ・アサギリが生まれたのは彼等のお陰なのだから」
「フォルディス様…。そんなふうに言っていただけて、嬉しいですっ」
ラウルは優しく微笑んでユイをベッドに引き入れた。
・・・
何度目かの夜。食事を終えて団らんの時を迎え、二人は今夜もワインを傾ける。
そしてラウルは心地良い〝酔い〟の時間を味わう。
底なしに飲めるラウルは、これまで酔った事がなかった。何もかもを忘れて酔い潰れてしまいたい夜も、飲めば飲む程に冴え渡ってしまうのだ。
だがユイと飲むようになって、ラウルはほろ酔い気分というものを知った。
なぜ酔えるようになったのか、それは心の問題である。
「ユイ。そろそろ、ラウルと呼んでくれないか」
ほんのりと酔いが回ったラウルの口からこんな言葉が飛び出した。
「んっ…!」思ってもいないセリフに、むせそうになるユイ。
「敬語も必要ない。前にも言ったが、私達は対等なのだから」
そう言って抱き寄せられ、ユイは固まる。
「えっ…と!あっ、グラスが空ですよ?今お注ぎしますね、フォルディス様…っ」
背に回った腕を解いてユイが身を乗り出した。
こんな答えを聞いて、ラウルは沈んだ声で呟く。「…嫌か」
「別にそういう訳では…」
グラスが再び深紅のワインで満たされる。それを物憂げに見つめるラウル。
「…急には対応できません。ずっとこうしてお話していた癖は、そう簡単には抜けそうもないので…」
「そうだな。無理を言った。今のは忘れてくれ」
「…」
ラウルがなぜそれを求めて来たのか、ユイは考えた。より親密になりたいと思ってくれているのだろうか?と。
実際これまでより、ラウルは格段にユイを気にかけている。姿を見かけたと言っては仕事を中断して声を掛けるくらいに!
それについては無条件に嬉しかった。
「忘れたりしないわ。ラウル」
「…ユイ?」
「でも、私がこんなふうにあなたと話していると、誤解されるわよ?」
「誤解とは?」
「ついにお相手確定か!とか」
「反対する人間がいるとでも?」
「いいえ。…ああ、ただ一人を除いては、かしら」
「ダンか。あれは気にしなくていい」
「そうは行かないわ!あの人の気持ちも汲んであげてほしいの」
「なぜそこまで?」
「言ったでしょ、気持ちが分かるって。私がいる事で、誰も不幸になってほしくない」
「おまえは優しいのだな。…だそうだ、ダン!聞いていたか?」
唐突にドアに向かってラウルが叫んだ。
すると、ゆっくりと開いたドアからダンが顔を覗かせた。
「ええ~っ?!ダンさん!いつからいたの?」
「申し訳ございません、立ち聞きするつもりはなかったのですが…っ」
「分かっている。用事があるならすぐに入って来ればいいものを」
入り損ねて右往左往していたのだが、ラウルにはお見通しだ。
「気づけなかった…っ」ユイは悔しく思う。
ダンの潜伏能力は半端ではない。殺気も気配すらも消して監視対象を探る。巨体の割りになぜか目立たない男。
「ダン。何か問題があるのか?」
「いいえ!…ユイ様、お気遣いいただき恐縮です。ですが私の事はお構いなく」
「ダンさんも、ユイ様っていうのやめようよ。私はあなたとも対等になりたいわ」
「滅相もございません、ラウル様の妻となられるかもしれないお方にそのようなっ!」
「ユイに対して、そういう認識はあるのだな。安心した」
「はっ!」
――ダメだ、こりゃ…。相も変わらず堅物オトコめ!――
そしてダンは、ラウルに一通の手紙を手渡してあっという間に消え去った。
「神出鬼没ってこの事ね…。ああ、あと地獄耳も追加する?ふふっ!」
受け取った手紙を読み終えたラウルが顔を上げる。一人で笑っているユイを見て、ラウルがつられて微笑む。
「何だか楽しそうだな」
「あの人面白いなぁって思って。ホントにフォルディス様…じゃなかった、ラウルの親戚?全然似てないんだけど!」
「父方の遠縁の親類なのだ。私は母親似だ。従妹はもう少し私に似ているな」
「えっ、フォルディスさ…ダメだ、やっぱり言っちゃう」
「無理しなくてもいい」
「…ごめんなさい、えっと、いとこがいるの?」
「ああ。近所に。そのうちに会わせよう」
ラウル似の従妹にとても興味が湧くユイ。もっと情報を聞き出そうと身を乗り出すも、遮るようにラウルが先に口を開く。
「私の事よりも…ユイ、もっとおまえの事を聞かせてくれ」
「ああ…、ええ。私のどんな事が知りたいですか?」
「そうだな。どんな幼少期を過ごしたのか、は?」
「ごく一般的な家庭ですよ。…あ、そうでもないか。ヤクザだし?でも本当に普通の学生生活を送りました。勉強はあんまり得意じゃなかったな。しょっちゅう遅刻してたし」
「遅刻…」
「フォルディス様はないですよね。きっと優等生だったんだろうなぁ」
「そうでもない。私も勉強は好きではなかった」
「ウソ!それは信じませんよ?」
――本当の事なのだが…――
こう思うラウルだが、笑っているユイにつられてまたも微笑む。
「では、射撃が上手いのは?」
「父親の血を受け継いだのかも。あの人、いろんな大会で賞取ってたから」
「それは凄い。では、あの拳銃も父親から?」
「いいえ。あれは師匠から」
ユイの口にした、あれ、という言葉で、コルトがここにはない事が分かる。
この寝室にコルトを持ち込んだ事は一度もない。ラウルはそれにも気づいている。
「相当優秀だったのだろうな、ユイの師匠は」
「はい!初恋でした…って、何言ってるの私ったら!…ゴメンなさい」
「気にするな。そうか、初恋の相手か。一度会ってみたいな。今も実家に?」
「いいえ。どこで何してるのか、さ~っぱり!」
――私も会いたい。キハラに…――
思い出して切なくなる。叶わぬ恋だったのだ。
「フォルディス様は?初恋のお相手はどんな方だったんですか?」
「私の初恋…さあ、どれがそれに該当するのか、良く分からない」
「ええっ?そんな事ってあります?」
「ユイ、また敬語になっている」
「…あ、ホント。あははっ!」
「私が日本語を学べば、もっと親しくなれるのか…」ラウルが小声で呟いた。
二人は常に第二言語の英語で話をしている。
「だったら私がルーマニア語を勉強しますよ。ボルビーチ、ロマネステ、合ってます?」
「それではルーマニア語を話せるか?と聞いている」
「えっと、じゃあ、ボルベスク、ロマネステ!」
ラウルが苦笑いした。また違ったらしいとユイは肩を竦める。
「無理をしなくてもいい」
「ヴァ、ムツメスク」(ありがとう)
「クプラチェーレ。それで十分だ」(どういたしまして)
「フォル…、ラウルだって優しいじゃない。女性には平等に優しいのかしら?」
「そうだとしても、中でもおまえは特別だ」
「またそんな事言って…信じちゃいますよ?」
「問題ない」ラウルは至って真面目な顔で答える。
ユイは反応に困る。
――やっぱこれはただの口説き文句と取るべきよね?――
沈黙が流れて、ラウルが新たな質問を始める。
「他には?おまえの母親はどんな女性なのだ」
「ああ、お母さんは超面食いですよ。きっとフォル…ラウルを見たら目の色変わっちゃうんじゃないかしら」
「イタリアにいると言っていたが。あれは本当の事なのだろう?」
「ちゃんと聞いててくれたんですね…」
あの時思わず話してしまった真実。興味なさそうにしていたラウルが覚えていた事に驚くユイ。
「仕事でっていうのはちょっと違って、再婚したんです」
「コルレオーネか。あの男も昔は男前だったな」
「えっ!それもご存じなんですか?しかも、会った事あるんですか!」
「ああ。まだおまえの母とは再婚する前だが」
――マフィアの繋がり恐るべし!――
そう思ったユイにラウルが笑う。
「もしコルレオーネが弱小ファミリーだったら、会う機会はなかったな」
まるで心を読まれたように感じ、ユイはずっと思っていた事を口にする。
「フォルディス様は読心術もできるんですね」
「そう思うか」
「だって!あまりに私の考えた事を言い当てるので…」
「怖くなったか?」
「少し…」
ユイの怯えた表情を見て、ラウルはなぜか笑う。
「あの、何ですか?」
「ユイ。また敬語になっている。あと、ラウルと」
「ああ!…そうだった」
頭を抱えているユイを見て再びラウルが笑った。
――え?え?どういう事?心読んでる訳じゃないの?分かんないっ!――
「おまえの母親に感謝しなくてはな」
「なぜ?」
「最初に縁談話を持って行っただろう?」
「…へ?」おかしな声が出てしまうくらい驚いている。
「フォルディシュティ家の縁談話だ」
「フォル、ディシュ、ティ?…そ、それって…ウソッ!あれってラウルだったの?」
朗らかに微笑みながら頷くラウル。
ユイは息をする事も忘れて動きを止める。
「だだだっ、だって!マフィアとは関係ないって、名家だって!え?え?どういう事よ!」混乱が収まらないユイ。
あの時の母の見合い話など、半分以上頭に入っていない。その上ミサコの発音が微妙すぎて全くの別人である。
――不思議な縁だ。こうしてユイと結ばれる事が決まっていたかのように!見合いの手法を変えて正解だったな――
ラウルはしみじみ思う。
フォルディシュティ家として縁談を持ちかけるという案はダンの考えだ。功績を称えてやるべきところだが、そんな事はラウルの頭から抜け落ちている。
「近いうちにイタリアに行こう。ユイの母に挨拶せねば」
――それと、あのお節介なコルレオーネにもな!――
今回の件にコルレオーネが絡んでいる事もすでに把握済みである。
「挨拶だなんて!まだ早くない?」
「…嫌か?」
「イヤじゃないけど!お母さん早とちりだから、盛大に勘違いしちゃうわ」
「勘違いとは?」
「だって…私達、まだ何も…」
「ベッドでの相性もワインの好みも完全に合っているが」
「そうじゃなくてっ。もうラウルったら!」
盛大にラウルの背中を叩くユイ。
勢い余って前に倒れかかったラウルを見て慌てる。
「あっ、ゴメンなさいっ!大丈夫ですか?」
「…ああ。何ともない。思いのほか強かったな、今の攻撃は」
「きゃ~っ、ホントにスミマセン!」
ラウルはそのままソファに仰向けになり、あたふたするユイを引っ張る。
「あっ!ちょっと…」
「私を押し倒せるのはおまえだけだ、ユイ」
吐息交じりのセクシーボイスがユイの耳をくすぐる。「…んんっ」
そのまま抱き込まれたユイは、容赦ない熱いキスを与えられる。
「んもう、強引っ、ラウルったら!」
「悪いが、私はもうおまえを手放せそうにないよ」
「…ラウル。私も、大好き…」
室内はたちまち甘い空気で満たされる。そのまま今日も熱い夜が更けて行った。




