ネリネの花言葉
むかーしむかし、あるところに二人の少女がおりました。
一人は金色に光り輝く美しい髪を靡かせ、背に黄金の大槌を背負った可憐な少女だった。大槌の金属をガシャガシャと鳴らしながらキャビンを引っ張る彼女は舗装すらされていないあぜ道を進むと丁度丘の上まで到着し、眼下に広がる港町に感嘆の声を上げながら後ろのキャビンに乗っているもう一人の少女に話しかけた。
「ターちゃん見えたよ!港町シュテルヴァルテだ~」
「ん。」
キャビンの中で魔導書に目を通していた銀色のハーフアップの三つ編みの髪に瞳を閉じて車椅子に座っていた少女タギツが返事をした。魔導書を閉じ、キャビンを引っ張っている少女ラキにキャビンに次いであった木製の水筒をラキに渡した。受け取ったラキは立ち止まると水筒の蓋を取ってごくごくと中身を飲むと空になった水筒をタギツに返して再び歩みを進めた。
ここ数日は雨天や曇天ばかりであまり天気が良くなかったため久方ぶりの快晴の空にラキはとても機嫌がよかった。あぜ道を進んでいくとその先に古びた石造りの城壁が広がり、そこに木製の門と門番の兵士が立っていた。ラキ達と同じ旅人や冒険者に商人がそこで列を作っていた。
何かトラブルがあったのか人の列は全然進まず、列に並んでいる人々の不満が爆発していた。
「おいどうなってやがるんだ!?いい加減門を通せ!!」「そうだ!いつまで待たせる気だ!!」「せっかくの商品がダメになったらどうしてくれるんだ!!」
人々は門番に向かって抗議の声を上げるために、門の前で暴発寸前の状態になっていたが門番たちはその抗議に一切耳を貸さず、中でも一人の門番が一列になって待つ人々に向かって、顔を赤らめて大声で言いました。
「黙らんか!今街に入ることはまかりならんと言っておろうが!それでもこの街に入ろうというなら牢にぶち込むぞ!」
一触即発の状態にラキとタギツは互いに顔を見合わせた。ラキはキャビンを下ろすと人々の垣根をかいくぐって前に出ていった。
「あの~何かあったのですか?」
「なんだ貴様は」
「私は冒険者のラキです。街へ入れないと言ってますけどそれは何故ですか?」
「貴様に話す必要などない!」
「ええ・・・」
会話すらする気がないといった態度の門番に若干困惑気味のラキだったが後ろからキャビンを降りたタギツが車椅子を進めながら近づいていき、懐から何かを取り出した。銀色に輝くそれは繊細な竜の彫刻がなされており、蓋を開くと美しい文字盤に長針と短針が動き時を刻んでいた。見るに美しくそして滅多にお目にかかれない高貴な懐中時計がタギツの手に収まっていた。
それを門番に見せると最初訝し気な表情をしていた門番だったが持っていた懐中時計を見るにつれ段々と顔を青ざめていき先ほどまでの態度を改めて片膝をついて謝ってきた。
「こ、これは失礼致しました! あなた様がたが王都を救っていただいたティア1の凄腕冒険者の方たちでしたか。王家より事情は伺っております」
「それはいいから。どうして街へ入ることができないのか教えてほしい」
「はっ! じつはですね今この街にガルガンチュア帝国の皇子が来ておられまして、いらぬ外交問題が発生しないように街に他の場所から来た者たちを入れぬようにしているのです」
ガルガンチュア帝国。龍奉王国リンドヴルムと海を挟んで北側に存在する帝国にして大国の一つ。距離が近い上に何かと政治信条や主義が違うので歴史上何度も戦争を行っていた。今でこそ小康状態ではあるがいつぶつかり合うかわかったものではないらしい。もちろん龍奉王国もそんじゃそこらの国とは違う戦力を持っているためガルガンチュアも迂闊に戦争をかけてはこないがかといって仲がいいとも言えない。
皇子がなんのために来たのかわは分からないがここはトラブルを避けるためにもあまり首を突っ込まないほうがいいだろう。
「なるほどね。それじゃあここで待っていた方がいいな」
「そうしていただけると助かります。今はこの街の領主が対応しておりますのでそれが終わったのち門を開門致しますので」
そういうと兵士は城壁に戻っていった。その後、城門の前に列をなしている人々は周辺で野宿の準備を始めたのでラキとタギツも野宿の準備を始めた。キャビンの中にあるひと際どでかいガマ口の緑の袋の口を開けるとその中から大人数の料理ができる大きな鍋が出てきた。さらにおたまや包丁まな板などの調理器具とその場にいる人々達の分も賄えるほどの大量の食糧を取り出した。
「さてと、みんなの分も含めて料理するね。ターちゃんはどうする?」
「僕はキャビンの中で休んでいるよ。出来たら呼んで」
そういってキャビンに戻っていったタギツを見送ると、彼女はてきぱきと行動しました。ガマ口の袋から取り出した大きな食糧の袋から一つ一つ野菜を取り出し、土のついた根菜を優しく洗いました。次に、新鮮な肉を切り分けて、調理のための厚板のテーブルに整然と並べました。
鍋の中では、湯気が立ち上り、それぞれの食材を丁寧に調理し、鍋に一つずつ投入すると野菜と肉の香りが周囲に充満していきました。そこに王都で仕入れた調味料を加えると料理の香りが一層豊かになりました。いい匂いが周囲に広がりだすと、いままで遠巻きに見ていた他の人がゆっくりと集まり出してきた。
「なんだかうまそうな匂いがするな。俺達にも分けてくれねえか?もちろんお金はだす」「あ、私も食べたい!」「私たちにも恵んでいただけますかな」
冒険者や旅人、商人など、さまざまな目的で訪れた人々がラキの鍋の周りに集まってきていた。ラキは、大きな鍋から湯気が立ち上るのを見ながら、新鮮な野菜と香り高いスパイスで調理された料理を木製の食器に丁寧に盛り付けていた。その瞬間、鍋から立ち昇る芳香が風に乗り、人々の鼻をくすぐり、胃を鳴らせた。そして、ラキは微笑みながらその美味しそうな料理を、待ちわびていた人たちに一つ一つ丁寧に配り始めた。
ラキが作った料理をおいしそうに食べながら自然とその場にいた人たちとの会話が弾み色々な旅話を聞くことができた。
「へぇ、じゃあ君たちは王都からやってきたのか。それでどうしてこの街にきたの?」「私たちは船に乗って別の大陸に行くためにこの街に来たんですよ~」「あなた方は見たことろ冒険者とお見受けします。旅路に何か入用でしたら是非ともうちの商会をご利用くださいませ。日々の生活に必要な品物から遠い僻地に赴くための道具、果てには戦争の武器までなんでも取り揃えております故」「おいおいこんな時にまで商売かい?商人らしいね」「商売人は誠実に貪欲にそして機を逃さぬ生き物ですからな。先ほどの門番との兵士の会話からこの二人のお嬢さん方が凄腕冒険者なのは明白。ならばここは懇意にしてもらった方が商会としても拍が付きますからな」「ねえねえ!私たち旅の一座なんだけどあなたとってもキュートね!うちに入らない!?」「う~ん私たち冒険者ですから。それに私芸とかはあんまりできないんです!」
話は盛り上がり、様々な人々が話しかけてきた。ラキは元から人当たりもよく人と話すのが好きではあったが勧誘や商売の話となるとどうしても断るのが心苦しいと感じてしまう所があった。もちろんはっきりと物をいう性格なので周囲に流されることはないがそういったいわゆる厄介な相手はタギツに任せている。舌戦ではタギツのほうが強いからだ。
「ずいぶんと人だかりが出来ているね。ラキ、僕の分のご飯残ってる?」
車椅子に乗ってやってきたタギツがスハーッとパイプの煙を吹かしながらやってきた。人々の視線を浴びたタギツは気にすることなくラキの隣にやってくるとパイプの灰を捨ててラキからご飯を受け取った。受け取ったご飯を食べながらタギツは周囲にいる人たちを観察した。
とその時—
「お待たせしましたラキ殿タギツ殿。門を開門致しますので中へお入りください!」
門番の兵士がやってきて門の開門を告げた。案外早く終わったなと思いつつも手にしたラキの料理をさっと食べるとラキに設営の撤収をお願いした。他の人々もやっと街に入れると設営の撤収を行い移動の準備を開始した。辺りはすっかり暗くなり空には星が浮かんでいた。
篝火に照らされた門の所にいた門番の兵士が門のかんぬきを抜いて門を開門するとゆっくりと人々の列が街へ入っていき、すっかり夜になったシュテルヴァルテの街で各々が自分の用事を済ませに行ったり今日泊る宿屋を探しに行った。ラキはキャビンを引っ張りながら街にある冒険者ギルドの前に到着すると勢いよく木製の扉を開いた。
建物の中では冒険者達が今日の稼ぎを終えて料理を食べながら酒を飲んでいた。冒険者ギルドに勢いよく入ってきたラキに視線が集まり一瞬静寂が訪れたが、その後冒険者達がひそひそと話す声がそこら中から聞こえてきた。そんな中をラキはずかずかと進んでいき受付にいた毛むくじゃらの犬人族の初老の職員に冒険者ギルドの部屋に空きがあるか聞いた。
「冒険者ギルドの部屋に空きはありますか?これから二人で泊まりたいのですが」
「ええ、もちろんありますよ。二人ですね?銀貨20枚になります。え~と泊るのは今日だけになるのですか?」
「いえ、数日泊ってその後、船に乗って別の大陸に行こうと思っているのでまだ泊まっていますね」
「別の大陸とおっしゃいますとガルガンチュア帝国のある大陸へ向かわれるのですか?」
「いえ、そことは別の大陸ですね。ここから東方に進んだところにある大陸へ向かいます」
「そうですか。実は東方にある大陸へ向かう船ですが現在は出ていないのですよ。今までは定期便が出ていたのですが・・・なので今は向かうことができません」
「ええ!!船が出ていないのですか!? 何かトラブルがあったのですか?もしかして帝国とのいざこざですか?」
「いえ、そうではないのですよ。実は定期便が出ていた航路に魔物が出たんですよ」
「え?魔物?」
不思議そうにラキは聞き返した。魔物が出たから航路が通れないというのはまあわかる。確かに魔物が出てしまったのでは危険で通れない。しかし魔物が現れたのなら討伐すればいい。海域に魔物が出現して航路が脅かされることは今までもあったはずだ。そのたびに冒険者達や王国の軍隊が出張ってきて魔物を討伐しただろうに、何故今回は討伐しないのだろうか?という疑問に察した職員が答えた。
「出たんですよ。カリュブディスとスキュラと呼ばれる2体のバケモノが!」
カリュブディスとスキュラ。第一等級に分類される都市一つを壊滅させる絶大な力を持った魔物で海に現れては船を襲う厄介なバケモノだ。そしてそれが2体一緒に行動している。それだけで大問題だ。
「ですがそれでもこの王国にある戦力なら討伐は可能ではないのですか?」
「本来ならそうなのですが、何故かここ最近はその戦力が王都に集中しておりまして、王国の軍隊や近衛騎士団などにも何とか討伐をしてほしいと願い出てはいるのですかなかなか要望が通らないのです。なので今は依頼としてこの2体の魔物の討伐を冒険者ギルドとして出してはいるのですが、さすがにこのレベルの魔物を討伐できるものはそうそうおらず誰も受けないのです。このままでは埒が明かないのでギルドマスターが直接王都に向かい国王に直談判する予定なのですがそれもうまくいくかどうか」
「なるほど・・・まあ確かに第一等級の魔物となると普通討伐隊を結成して死ぬ気で挑んで大量の犠牲を払ってやっと1体倒せるかといったところですからね。それが2体となると誰もやりたがらないですよね」
「そうですな。まあここからガルガンチュア帝国に向かう航路は問題なく通ることができますし、メディーバルアンティークの港から陸路で物資をこちらに運ぶこともできますからここが滅ぶことはありませんが如何せん街の物価がとても高くなってしまって街で生活している者たちは困窮しております。しかも航路の一つがダメになっているので本来東側の大陸から入ってくるはずの交易品も入ってこないので街から活気がなくなってしまっているのですよ」
「そういうことなら「ラキなにしてるの」
突然、ラキは何も予告なしに、タギツからの声が真後ろから聞こえた瞬間、心臓が跳ね上がるのを感じた。ラキの体は思わずビクッと震え、足元から飛び退くようにして距離を取った。その瞬間、ラキの顔は驚きに歪んでおり、目の中には驚愕がにじんでいたが、ラキはすぐに自分を取り戻し、ドキドキしたままでも平静を保つことに専念した。
「ターちゃんったら、いきなり真後ろから声を掛けてこないでよ~びっくりするじゃない!」
「いつまでたっても戻ってこないから様子を見に来たんだけど、どうかしたの?」
「え~と受付の職員さんと話をしていただけだよ。あ、それよりも聞いてよターちゃん! 私たちが乗ろうと思っていた船が出ていなくて東側の大陸に行けないんだって。なんでも海域に第一等級の魔物2体いて航路が通れないみたい」
「そうか。なら航路が開くまでこの街に滞在しよう」
「え~!?私たちで討伐しちゃおうよ~ そうすれば手っ取りばやく航路を開通させることができるよ!!」
「・・・ええぇ嫌だ」
「面倒そうに言わないの!! 第一等級の魔物ともなればさすがにこの街の冒険者たちには討伐なんてできないでしょう?」
「本当に僕たちしか討伐しないの?他に討伐できる冒険者とかいないのか?」
「いないみたいだよ。ほら!私たちが討伐しにいこうよ~ そうすれば航路は開くし、報酬ももらえるでしょう?」
「そうか・・・ハァ。まあ航路が開かないと困るのは僕たちだからね。仕方ないか」
渋々といった表情で車椅子を進めると掲示板に張り出されていた依頼書のいちばん端にあった依頼書を手に取った。真新しい依頼書には第一等級の魔物であるカリュブディスとスキュラの討伐とその報酬が書かれていた。白金貨50枚らしい。二人の会話に耳を立てていた周りの冒険者たちは驚愕の表情と怪訝そうな表情と二つに分かれていたがその場にいた全員が同じ気持ちになっていた。
「お嬢ちゃんたち、その依頼だけはやめとけ。嬢ちゃんたちだって冒険者なら魔物の等級くらいは知っているだろう?なら第一等級の魔物の討伐がどれほどの難易度かわかるはずだ。それに階梯比例の原則は知ってるだろ?第一等級の魔物は緊急依頼やギルドマスターの招集以外では原則的にティア1の冒険者じゃないと討伐依頼を受けられない。白金貨50枚に惹かれたんだろうけど命は大事にしたほうがいいぞ~」
冒険者の一人がタギツにそういうと他の冒険者たちも口々に思いとどめようとしてきた。ラキとタギツは今やそのティア1の冒険者ではあるのだが見た目がどう見ても少女二人組なのでそこまで階梯が高くないと思ったのだろう。タギツはその言葉に内心ラッキーと思っていたがラキがぷくぅと頬を膨らませながら反論しようとしたが——
「今戻ったぞ。変わりなかったか?」
短い黒髪を刈り上げ、頬に薄いひげをたくわえた男が、冒険者ギルドの扉を開けて中に入ってきた。重厚な胸当てと腰には剣を下げて片手で荷物を背負っていた。その胸当てには、数々の戦いで受けた傷跡がくっきりと刻まれ、その歴戦の猛者の証となっていた。肩幅が広く、全身鍛え上げられており丸太のように太い手足と鋭い眼光が冒険者として長年活躍してきたのを伺えさせた。
「ギルドマスター!帰ったのですね。それで首尾の方はどうでしたか?」
「ああ、無事に国王陛下に謁見することはできた。近衛騎士団から討伐隊が送られる手筈になったぞ。これで東側の航路が開かれる!」
「本当ですか!」
「ああ、まあ王都からやってくるからどうしても時間は掛かるがな。それでもまあ3か月あれば討伐隊も到着するだろう」
ほれ、といってそのギルドマスターは手にした書簡を受付のギルド職員に見せた。そこには確かに、堂々とした筆跡で国王の署名がなされ、カリュブディスとスキュラの凶悪な存在を撃退すべく編成された近衛騎士団の討伐隊を派遣する認可が記されていた。それを見た瞬間ラキは目を点にして口をあんぐり開け、タギツはいつも通りの感性の乏しい表情で無言でいた。
だが、内心では二人とも正反応感情が渦巻いていた。ラキは強敵と戦えると思っていたら討伐隊が編成されて討伐にくるという事実にせっかく強者と戦えると思っていたのに討伐依頼が立ち消えたことに対する落胆。そしてタギツは顔に出ないように心の中で面倒くさい討伐に参加しなくてもいいことに対する歓喜にガッツポーズをしていた。
周囲にいた他の冒険者たちも二人の冒険者たちが行おうとした無謀な依頼の受注が阻止されてほっとしてた。
「むぅ。私が討伐したかったのに・・・こっそり討伐しにいこうかな・・・」
「アイアンクロ―と首絞めどっちがいい?」
「はいすみませんごねたりしません!!」
タギツから圧がかかり背中に薄ら寒いものを感じたラキは名残惜しさを感じつつも素直に従った。タギツは手に持っていた依頼書を受付のギルド職員に渡すと代わりに別の依頼がないか尋ねた。ギルド職員は一旦受付から離れて部屋の奥の方に向かって行き、入れ替わりでギルドマスターが話しかけてきた。
「お前さん達は新しくこの街に来た冒険者か?それにしてはずいぶんと若いな」
「どうも」
「俺はこの冒険者ギルドのギルドマスターやってるグレイソンだ。その特徴的な銀色の髪に閉じた瞳、そして車椅子に乗っている冒険者。そんだけの特徴があれば大体察しが付く。お前さん達が王都の騒動を解決したっていう凄腕冒険者か」
「僕たちを知っているとは光栄だね」
「心にもない言い方だな。まあ国王に謁見したついでに王都のギルドマスターにもあってきてそこで話を聞いたんだよ。ばかでかい大槌をぶんぶん振り回す女の子と車椅子に座って的確に指示をだして騒動を収めてくれた冒険者がいるってな」
「なるほど」
「ところでお前さん達はこれからどうするんだ?航路にいるカリュブディスとスキュラの討伐を行う討伐隊が到着するのは3か月後。その間船はでねえぞ」
「特に何も決めてはいないけど。まあ、急いで目的の大陸行く必要もないからしばらくこの街に滞在するか」
「わ~意外。ターちゃんが長期滞在しようなんて。どうしちゃったの?何か変なものでも食べたの?」
「ラキじゃないんだからそんなことはしない。それよりもラキ、僕はしばらくこの街に滞在しながら魔術の研究をしているから君は君で航路が再び開通するまで好きにしていいよ」
「お!じゃあ久しぶりにバラバラに生活する?私この街に来た時にやってみたいことがあったから!」
「まあ、ラキがそれでいいなら」
タギツがそういうとラキはまるで街へ遊びに行くこのどものようにキャビンを冒険者ギルドの隅にどかし、中から自分のリュックを手に取ると再び冒険者ギルドの中に戻っていきタギツとギルドマスターのグレイソンと受付のギルド職員に元気よくあいさつをして何処かへと行ってしまった。後に残されたタギツは相変わらずの自由奔放ぶりに溜め息をつきながら冒険者ギルドの受付に部屋を借りた。
ついでにその場にいたグレイソンに何か依頼はないか聞くと「う~んそうだな。ちょっとまってろ」といい、ギルドの奥の方にい引っ込んでいった。しばらくしてから一枚の紙を手にしたギルドマスターが戻ってきて手にした紙をタギツに渡した。
「実はこの街の領主の一人娘の家庭教師を探しているらしくてな。内容としては魔術を教えられる奴を探してるみたいなんだがそれを嬢ちゃんがやってないか?」
「それはまたどうして僕にその話をしたの?言っちゃなんだけど僕はそこまで大した魔術師ではないよ?それにそのお相手は領主の娘ならどこの誰だか分からない僕をそんな身分の高い人の家庭教師にしてしまっていいの?」
「ああ、その辺は大丈夫だ。教えるといってもなにも王宮の宮廷魔術師育てるわけじゃないからな。あくまでも基礎的な魔術を習得させられればいい。お前さんの身元に関しても俺が保障するから問題ない。やってみないか?」
「・・・どうしてそこまでしてくれるの?僕としては不自然なくらい優遇してもらってる気がするんだけど」
「この俺の寛大な心遣いだ・・・と言いたいところだが実の所この街の領主と俺は昔からの幼馴染でな。娘さんについても度々相談されてんだよ。今回の件もそのうちの一つだ。今までの家庭教師は全員心を折られて全員辞めちまったんだよ。そこでいっそのこと冒険者に家庭教師してもらうことにしたんだよ。それならあの娘の相手もできるだろうしな。それにお前さんはティア1の凄腕冒険者なんだろう?ならうってつけだろうと思ってな」
「なるほどね、そういう理由か。まあ時間が余ってしまったから別に教える分にはいいよ。」
「そいつは助かるぜ。それじゃあ領主の方には俺から話は通しておくからよ。今日はゆっくり宿で休んでくれや」
そういってギルドの奥に消えていったいグレイソンを目で見送ると、タギツはキャビンから自分の荷物をおろすとそれをもって部屋に入ってその日は眠りについた。
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翌朝、タギツはむくっと起き上がると気怠い体を引きずるように動かして車椅子に乗り部屋を出るとそのまま食堂に向かい朝ご飯を注文した。パン二切れとウィンナー、そして軽くアルコールが入った水を受け取ると席についてゆっくり食べながらこれから連絡を待った。
しばらくすると昨日の受付にいたギルド職員が用紙を2枚渡してくれた。1枚目には領主の屋敷までの道なりと仕事の具体的な内容が書かれていた。2枚目は冒険者ギルドのギルドマスターの紹介状であり、これを門番に見せれば通してくれると書かれてあった。
タギツは手にした紙を懐にしまうと朝食を済ませて冒険者ギルドから出ようとした。案の定というべきか最近はなかったから油断していたのもあるが冒険者ギルド内にいた冒険者の一行に絡まれた。
そして「こんな朝早くから一人でどこに行くんだぁ~?せっかくだ!こっちに来て酌しろや!」と横暴極まりない言葉を投げかけてきたので無視して出ていこうとしたがその反応が癇に障ったのか持っていた木のコップを投げつけてくるといきなりキレ出して胸倉をつかもうとしてきたのでタギツは懐からマスケット銃を取り出すと魔術で空気弾を装填して眉間に撃ち込んだ。
空気弾でもその衝撃は思いっきりぶん殴られるのと同じである。眉間に一撃をくらった冒険者は吹っ飛ばされて壁にめり込むとそのまま気絶した。その様子に冒険者ギルドの中がシーンッと静まり返ったが無視してタギツはそそくさと扉を開いた。
「まったく朝からうるさい奴らだよ。ハァ」
冒険者ギルドから出たタギツは街の喧騒を聞きながら石畳の道を進んでいった。しばらく進むとたくさんの豪邸が立ち並ぶこの街の一等地に一際大きな屋敷が見えてきた。柵に囲われたその建物は真っ白な人目を惹く洋風の屋敷となっておりその前にある整えられた庭園には様々な花が咲いており、ほかにも立派な樹木や噴水に彫刻がオブジェとして置かれており、その屋敷の前に来たタギツは屋敷の前にある門を守るように立っている鎧を来た門番に事情を説明し、手に持った紹介状を見せた。
門番は少し待つように言うと受け取った紹介状を手にして屋敷に入っていき、それから数分後戻ってきた門番が門を開いて中に入れてくれた。屋敷の方から綺麗な執事服を着た老人がやってきてタギツに一礼すると門番から引き継いで建物の中に案内してくれた。外観もとても綺麗だったが扉を潜った中もとても豪勢で入ってすぐにきれいなシャンデリアが目に入った。壁際には美しい絵画や鎧、花瓶などの調度品が並べられていた。
その合間を執事に連れられ階段を登り、廊下の突き当りまで行くと執事が部屋の扉をノックした。
「旦那様。冒険者さまがお見えになられました。」
「入れ」
中から聞こえた返事に執事が部屋の扉を開くと見るからに高級そうな絨毯と美しい石造りのテーブル、壁際の本棚には所せましと本が並べられ、部屋の奥には彫刻が施された木製の机がありそこに一人の男が座って書類に目を通しながら羽ペンで書きこんでいた。羽ペンを置いて顔を上げたその男は椅子から立ち上がるとまっすぐタギツを見据えた。
「お前がグレイソンの紹介で来た冒険者か。まだずいぶんと若いようだが」
「初めまして領主さま。僕は冒険者のタギツです。今回は領主さまのご息女の魔術の家庭教師をさせていただくことになりました。誠心誠意努めさせていただきますので何卒宜しく御願い致します」
「ふん。そう言って今まで5人もの家庭教師が途中で逃げおおせた。どいつもこいつも熟練の魔術師たちばかりだった。それでも成し遂げられなかったものをお前のような年半もいかぬ小娘にこなせるのか?」
「僭越ながらその魔術師たちはどの程度の実力者なのですか?」
「王国の宮廷魔術師や貴族の子息子女に魔術を教えている有名な魔術師ばかりだ」
「なるほど。それはまたずいぶんと。それでも教えることができなかったと?」
「ああ、あいつは———アナトリーはとてつもない魔力を持っている。あの年であそこまでの魔力を持っている者はそういないだろう。だがその魔力を生かすことが出来ずにいる。今はまだいいがいずれは魔術が使えるようになってほしいと思っている。この国では貴族にはある程度の強さも求められるからな。魔術を身に着けておいたほうがいい。特に女の場合どうしても筋力で男に劣るからなおのこと魔術で有利に立っておいた方がいいのだ」
話を聞くに魔力はあるが魔術は使えない。そしてその原因を誰も突き止めることができなかったと。なるほど——帰りたい。
早速面倒になってきたタギツだったが気持ちをぐっと抑えてそのアナトリーに会いに行った。部屋を出て通路を戻ると屋敷の外に出た。どこへ行くんだろうか?と思っていたタギツはその後をついていくと同じ敷地内にガラス張りの建物が見えてきた。きれいなガラスがはめ込まれたドーム状のその建物のドアを開くと中は色とりどりの花々が咲いておりそのほかにもたくさんの植物が育っていた。その間を白い石が等間隔に並んでおりその奥に白磁色のドーム型のパーゴラがありその下で一人の少女が椅子に座って本に目を落としていた。
茶色のウェーブのかかった髪を優雅に纏い、その髪の中には、日光を受けてきらめく微細な金糸が織り交ぜられていた。彼女の黄緑色の瞳は、まるで深い森の中に広がる湖のような神秘的な輝きを放ち、その顔立ちは職人が創り上げた人形のように整っていた。
「アナトリー。こちらは新しい魔術の家庭教師の先生だ。先生の言うことをよく聞くように」
「また?もうわたしのことは放っておいてよ。どうやっても魔術は扱えないのだから」
「そんなことはない!諦めずにやればきっと———」
「いい加減にして!!そういっていままで何度も何度も何度もうまくいかなかったじゃん!わたしがんばったよ!?信じてたんだよ、いつの日か魔術が使えるようになるって・・・なのに全然うまくいかない。どうして・・・」
涙を浮かながら本を抱えて領主とタギツの間をすり抜けてるようにして走り去っていった。領主はその小さな背中を物寂し気に黙ってみていた。
「すまないな。俺は親として何かしてやりたいが何もできない。娘が魔術を使えるようにしてほしい」
そういうと領主はゆっくりと屋敷へと戻っていった。後に残されたタギツは懐からパイプを取り出して火を入れると白い煙を空に溶かしながら考えた。まずもってあの娘はそもそも魔術を使うことができるのかどうかそこが分からない。ラキのような例がある以上絶対に魔術が使えるとは言えない。とわいえアレは例外中の例外。ギフトを持つもの—ギフテットがそうやすやすとたくさんいるわけでないのでギフトの線は低い。
「他にもいろいろと可能性はあるけど、もっと情報が欲しいかな」
そういうとタギツは車椅子を屋敷の方に進めていった。屋敷の中に戻りその中の一部屋の前にやってきたタギツはドアをノックすると中から拒絶する声が聞こえた。
「入ってこないでッ!!」
「そう言われてもね、僕は領主さまに頼まれてここにいるの。せめて話だけでもさせてくれない?」
「いやよ!!」
「どうしても嫌なの?」
「どうしても嫌よ!!」
「そっか」
タギツは車椅子を扉の前に密着するとスッと両手をドアの前に振り上げ
ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドッ———!
「うるさ———————————————————————いッ!!!」
「ご自分から開けてくれて嬉しいですお嬢様」
「あなたがドアをドカドカ叩きまくったからでしょうがぁああああ!!」
ぜぇぜぇと息を切らしながらタギツを睨みつけるアナトリーに対してタギツはどこ吹く風といった様子で全く意に介さずそのまま部屋の中に入っていった。部屋の中は10歳の子供らしく可愛い人形や煌びやかなアクセサリーがあった。だがそれ以上に目を引いたのが本棚の中だ。そこにあったのは全て魔術に関する本ばかりであった。基礎魔術学に魔術概論Ⅰ、更には魔術の興亡の歴史といった歴史書まであった。それだけでも相当魔術に関する勉強をしているのがうかがえた。
よくよく考えれば先ほどパーゴラの下で読んでいた本も魔術に関する書籍だった。やはり口では諦めたようなことを言いつつも諦めきれないでいる。つまり——
「心の火はまだ消えていないね」
アナトリーに分からないほど微かに微笑んだタギツは車椅子に乗ったままアナトリーに話しかけた。
「何を言ってるの。わたしはもういいの!わたしに魔術は使えない!そのことはもう嫌というほどわかったの!だからもう」
「あ~はいはいそうだね。じゃあ授業始めるよ~」
「あなたわたしをバカにしてるの!?」
「そうだよ。いつまでもグズグズ泣いて拗ねているお子様を笑ってるの。あ~滑稽」
「そういうあなたこそ魔術なんて教えられるの?大体あなた本当に冒険者~?足が不自由でしかも目を閉じている冒険者なんて聞いたことないけど!?おおかたその眼も見えてないんでしょう?よくそれで冒険者なんてやってられるね。ああそっか街の雑用やって小銭を稼いでいる階梯の低い冒険者だったんだねそれなら大人しく雑用係やってたら?」
「ふむ。まあ確かにどこの馬の骨とも知れぬ奴がいきなり来て魔術教えると言っても信じてはもらえないか。ならこうしよう」
タギツは懐から剣を取り出すとそれをアナトリーに渡した。
「その剣を私に当ててごらん。そうしたら僕はこの依頼を降りるよ。ああその剣は模造だから斬れることはないから安心して打ち込んでね」
「何言ってるの・・・車椅子に座っている足の不自由な盲目の人を斬りつけるなんてそんなことできるわけないでしょ!!」
「大丈夫だよ。君の攻撃くらいならいくらでも躱せるから」
「・・・あのね。あなたわたしの事魔術が無ければなにもできない小娘程度にしか思ってないでしょうけど、わたしは魔術だけでなく剣術も学んでいるの!模造の剣でも当たれば怪我じゃ済まないよ」
「大丈夫。僕はそんなやわじゃないからいいからかかっておいで」
タギツは挑発するように片手で手招きした。余裕しゃくしゃくといったその態度にアナトリーはぐっと片足を後ろに引くとすぐに距離を詰めタギツに剣を振り下ろした。そのまま剣が当たるのではないかと思われた次の瞬間、剣とタギツの間に正六角形のオレンジ色の光る板状のものが現れて剣を受け止めた。
金属同士がぶつかったような甲高い音が響きガリガリと音を立てていたがすぐにアナトリーが後ろに下がり今度は側面に回り込んで斬りこんだがそれもすぐに先ほどと同じように止められてしまった。アナトリーはこの魔術を知っていた。いつも勉強している魔術書に書かれているからだ。
「この魔術。防御魔術・・・でもこんなに小さく展開できるものなの?普通大きくドーム状に展開するはずなのに!」
「それは教本通りの基本的なやり方だね。僕は相手の攻撃が当たるところに当たる瞬間だけ防御魔術を使っただけ」
タギツはさらっと言ったがそれがどれほどの研鑽が必要か魔術の勉強をしているアナトリーには痛いほどよくわかっていた。並みの努力では到底その領域にたどり着けない。だがすぐに切り替えるとアナトリーは手に持った剣を振り下ろすように見せかけると当たる直前で寸止めをして剣を横なぎに振りぬいた。それに対してもすぐに対応して見せて防御魔術で防いだ。
その後も打ち込んでは防がれ打ち込んでは防がれを何度か繰り返し続け、数分が経過した後アナトリーは肩で息をしながら膝に手をつきながら汗をかいていた。対してタギツは息切れどころか汗一つかかずさも当然の結果といった表情でアナトリーを見ていた。
「気は済んだ?実力を証明する分にはこれで十分だよね」
「・・・あなた何者?それほどの技量血の滲むような努力を積まないと手に入らない。わたしとそこまで年が離れているようには思えないのになんで」
「それは僕が努力したからだよ。ああ、あと一つ訂正しておくけど僕は盲目じゃないから。瞳を閉じてても見えてるよ」
ふふんっと自慢げに言うタギツにアナトリーは訝しげな表情をしていたが一先ず実力があることに納得した。
——————
それからタギツは息を整えたアナトリーにいくつか質問した。何歳から魔術の訓練を始めたのか、具体的にどういった訓練を行ったのか、頻度はどの程度なのか、どのくらい魔力を消費したのか等々考えられる限りのことを聞いた。過去に家庭教師として来た魔術師たちが行っていた魔術の教育は特段変わったものではくとても堅実なものだった。普通に訓練していれば成長速度の違いはあれどある程度は習得出来ているはずである。なのにアナトリーはそれを習得できずにいる。
タギツは少し考えた後、懐から無色透明のフラスコでその中には水色の液体が入っていたタギツはそのフラスコに魔力を込めるようにアナトリーにいうとフラスコの中の液体が光り輝いた。
「うわあ・・・きれい」
思わず感嘆の声を上げていたアナトリーだったがそれを無視してタギツは一緒に取り出していた細長い紙をフラスコの中の液体に先端を浸して液体を吸わせた。液体を吸った紙は徐々に赤色に変わりそしてさらに白色に変わっていった。―ああなるほど。そういうことか。
「わかったよ。魔術が使えない理由」
「ほ、ほんと!?」
「他にも原因があるかもしれないからあくまでも可能性の段階だけどね。でもまあほぼ間違いないと思うよ」
「じゃあ何が原因だったの?」
「う~んそうだね。君は魔力の波長については知ってる?」
「ええっと確か自身が持っている魔力を魔術に変換する際に魔術に適応した魔力の波になっているかどうかということですよね?」
「そうそれ。それが原因」
「でもそれは魔力の波長が魔術の構造的に合わないから起きることで、現代ではすでに問題は解決されているはず」
「そうだね。近現代魔術は150年前の魔力対応魔術機構『プロトコル』が完成して魔術革命が起きて基本的に誰でも魔術が使えるようになった。ほぼすべての人に魔術の可能性を与えた凄まじい技術だ。だけどあれって正確には99%対応しているものなんだ」
「それってどういう———まさか」
「残り1%の魔力の波長には対応していないんだよ。こればっかりはどうしようもないけどねなにせ創られた150年前に全世界の隅々までいって魔力の波長を調べたとしても見落としは完全には無くせないし、それに150年たって新しい魔力の波長の持ち主が現れることだって極稀にあるからね。ちなみに君は後者のほうね」
タギツはいつもと変わらぬ表情で、ふぅとため息をつきながらアナトリーの方を見た。この娘がなぜ魔術を使うことができなかったのか、理解することができた。今までアナトリーに魔術を教えていた人たちは波長が現在では魔力があれば魔術はつかえるという「当たり前」に囚われて波長が合わないことが盲点だったのだろう。アナトリーもまた、真剣に魔術を学んでいたのにその成果が思うようにでない理由がただ単に努力不足ではないことを理解した。だが原因が分かったからと言ってそれで万事解決というわけではなかった。
「それじゃあわたしは魔力を持っていても魔術を使うことはできないということ?」
「そだね。既存の魔術は一切使えないね」
「そう・・・ですか」
タギツの言葉に再び落ち込むアナトリー。やっと魔術が使えない原因が分かったのに結局魔術を使うことができない、むしろ今までは原因が不明だっただけにまだ可能性があったが原因がはっきりした今もうその可能性すらなくなった。
「勘違いしないように一応言っておくけど、君は『既存の』魔術が使えない体質なだけで魔術を行使するのには十分な魔力量なんだよ。なら話は単純だ」
「え?」
「既存の魔術が使えないなら新しく魔術を開発すればいい。君の波長に合った君専用の魔術をね」
アナトリーは何を言われているのかわからなかった。いや、わかってはいたが現実的ではないと考えていたのだ。そもそも魔術というものは世界中の秀才たちが何百人も束になって何百年という年月をかけてちょっとずつ改良を重ねながらやっと開発できるものなのだ。それを新しく創り上げるのは正気の沙汰ではない。はっきり言って不可能だ。
「流石に新しい魔術の開発は不可能なのではないでしょうか?」
「それは現存する魔術を完全に無視して一から創り上げるとなったらそれこそ100年単位で時間がかかるだろうね。でも既存の魔術をマイナーチェンジするだけならそこまで大変ではないんだよ。やろうと思えばやれる。まあさすがに複雑すぎる魔術とかは適合する波長を調整するのに時間がかかり過ぎるから君が使える魔術は基本的に初級魔術と中級魔術までだけどね」
「それじゃあ、本当にわたしは魔術が使えるようになるんですか?」
「どうだろうね。仮に僕が新しい魔術を開発したとしてもそれを君が使いこなせるかどうかはわからないんだから。僕はあくまでも可能性を提示するだけで実際に使えるかどうかは君次第だよ。どんなに質のいい道具も使いこなせなければ意味がいないのと同じだよ。君は僕の魔術を使いこなせる?」
タギツの問いにアナトリーは一瞬戸惑ったが、すぐに意を決してタギツに頭を上げた。
「お願い。いえ、お願いします!! わたしに魔術を教えてください」
「僕の講義は厳しいよ?」
「はい!」
アナトリーはそういって憑き物が落ちたような晴れやかな顔で魔術の訓練を開始した。
—————
次の日、港町シュテルヴァルテのすぐ近くにある山に二人の姿はあった。タギツは白のワンピースに麦わら帽子をかぶり、いつもどおり車椅子に座っていた。一方アナトリーは短いホットパンツにジャケットを羽織り、足元は冒険者が履いているような革製のしっかりとした靴、動きやすさ重視の恰好をしていた。
「今日から魔術の講義を始めるけどそれと一緒に君の実力の向上もおこなうことにするね。君は貴族の子女だからね、あと数年で貴族の学校に入るだろうけどその前にある程度は実力をつけていた方が後々有利になるからね」
「それはそうですけど、タギツさんは魔術を教えに来たのですよね?魔術以外も教えられるのですか?」
「僕は一応冒険者だからね。一通りのことはできるよ。もちろん剣術もね。あと僕のことは先生ね」
「はい先生。それでわたしは何をすればいいのでしょうか?」
「とりあえずは体力をつけることかな。新しい魔術の開発は僕がやるとしてその間身体能力を上げるためにもた体力づくりをしたらいい。この山はいい感じに体力づくりにもってこいの急こう配だからここを登って山頂まで行くんだ。これをつけてね」
「これって足枷ですか?でもこれ鎖が途中で切れてますね」
「そうだよ。本来は鉄球が付いているんだけど途中で切ってあるからね。それでもその足枷重さが一つ5キロあるからそれ着けて山を駆け上がるだけでもかなりきついよ。それじゃあそれ着けて早速山を登って行って」
アナトリーは言われたとおりに手に鎖の切れた手枷をつけると山を駆け上がっていった。アナトリーも貴族の淑女として普段から鍛えていたので最初は余裕があったが徐々に疲れが出てきて段々と足が上がらくなってきた。息を切らし汗をかきながらフラフラと山を登っていきそして頂上にたどり着いた。体力を使いきって近くの大岩に寝転がりながら息を整えているアナトリーのそばにタギツがやってきた。空中に浮かびながら
「って浮かんでる!?飛行魔術でここまで来たのですか?」
「いや、飛行魔術は魔力消費がすごいからね。僕のはただの浮遊魔術だよ」
「なるほど? でも浮遊魔術はただ浮遊させるだけならともかく移動させたりするのは不可能のはずでは?」
「うん。本来なら浮遊魔術はただ浮かべるだけの魔術だけど僕が今使っている魔術はちょっと改良してあってね。空中に浮かべた物体を移動を移動させることができるように魔術を書き換えてあるんだよ。まあ通常の浮遊魔術よりも魔力の消費が激しいのと浮かべた物体を操るのが難しいのが難点ではあるけどね」
「すごいです。魔術は基本的に既存の魔術を覚えて行使するもので、本来自分で改良したりしないものです。いえ、改良できないですよ」
「そうかな?0から魔術を構築するわけじゃないからそこまで難しくないと思うけどね」
「魔術研究によって魔術の改良が行われることはあってもそれは魔術の研究を行ってる学者が生涯をかけて研究テーマに沿って研究しながらちょっとずつ改良を重ねていくようなものです。つまり生粋の研究者がやるようなことで冒険者が冒険しながら片手間に行うようなことじゃないです」
驚きと興奮の織り交ざった表情でアナトリーは魔術について語りだした。タギツは若干押されつつも、魔術に対する熱意をひしひしと感じながら寝っ転がっていたアナトリーが上半身を起こすと説明をつづけた。
「これはあまり知られていないことだけど、実は魔術は使用する魔術の複雑さと使用する魔力量や実際に行使するときの技術力で新しい魔術を構築する難易度が変わってくるのだけどそれだけじゃないんだ。実際にはそれに加えて『その魔術をどれだけの人々が使うことができるか』という着眼点にも目を向けないといけない」
「どれだけの人が魔術を行使できるか・・・ですか?」
「そう。どれだけ優れた魔術を創ったって結局使えなきゃ意味がないってことだよ。どれだけ使える人がいるか、つまり汎用性があるかも魔術においては重要なんだ。そしてこの汎用性が厄介だ。どんな人でも使える魔術はそれだけで創り上げるのがとてつもなく難しくなる。では簡単にするにはどうしたらいい?」
「え~っと・・・使える人を限定する?とかですか?」
「そういうこと。そもそもいろんな人に適応する魔術を創ろうとしなければいい。なんなら自分だけ使える自分だけの魔術を創ってしまえばいい。そうすれば既存の魔術の改編も簡単になるし、しかも使用する魔力量も自分用にある程度までならカスタマイズすることもできるということだよ」
なんということはないといった口調で言うタギツだったがそもそもその既存の魔術の改編そのものがとても難しいのだ。例えるなら1万枚のピースを使って自分の望んだ魔術になるようにピースを1枚ずつ組み合わせて、バラバラにして組み合わせてバラバラにしてを何百回何千回も繰り返して最適化させていくような作業なのだ。出来る出来ないというより途方もない集中と忍耐と時間がかかるのが魔術の創造というものだ。
「・・・薄々感じていたことなのですが、先生って普通じゃないですよね?なんというか異質です」
「異質・・・ね。確かに僕は他の人とは違うかもね。どうでもいいけど」
「他の人と違う・・・」
「ほら、そろそろ次いくよ。走り込みは今日はこれでおしまい、次は魔力操作の訓練をやるよ」
「魔力操作の訓練ですね。これはいつもしています!」
そういうとアナトリーは魔力を練り上げるとそのまま魔力を解放した。アナトリーの荒々しい大きな魔力が周囲に放たれ周囲の木々を揺らしていた。領主が言っていた通りアナトリーの魔力量はとんでもない量であった。魔力量というのは本来日々の積み重ねでどんどん引き上げていくものだ。
なので、本来この年齢の子どもはここまでの魔力量を持っていないはずだがアナトリーはとんでもない魔力を放出していた。
「なるほどね。これは確かに凄まじい魔力量だね」
「ありがとうございます!」
「ただ魔力操作の技量はまだまだだね。放出してる魔力の量は多いけど制御しきれてないから魔力が漏れ出しているし魔力の密度も全然足りていない。まずは魔力操作の練度を上げたほうがいいね」
タギツは自身の魔力を練り上げると人差し指の先の一点に集中して球体にして見せた。魔力が極限まで圧縮されしかも圧縮された魔力は一切揺らぎがなく綺麗に球体を保っていた。魔力操作は日頃からの鍛錬でのみ向上するもので一朝一夕に上達はしない。 そして魔力操作の技術がどれだけ上達してるかで実際に魔術を行使した時の完成度にも関わってくるのだ。
初級中級上級超級魔術が存在するがそれらはもっている魔力量と魔力操作の技量で使えるものが変わってくるうえに同じ魔術でも魔力操作の技量が違うとその効果も違ってくる。タギツが見せた魔力操作の技量は凄まじいものだった。
どれだけ熟練の魔術師であってもほんの少しは魔力のブレが生じるものなのだが、それが一切なかった。さらにその魔力の密度も物凄い高密度となっていた。魔力は圧縮すればするほど魔術を行使するスピードが速くなる。なので魔力圧縮をできればできるほど魔術をより速く使えるが魔力を圧縮すると途端に魔力を制御できなくなる。自身の魔力に振り回されてしまい魔力が霧散するか魔術がうまく起動しない。最悪暴発するのだ。
一度に扱う魔力の量が多ければ多いほどそういった傾向になりやすい。それをタギツはとんでもない精度でこなしていた。
「先生は本当に何者なんですか?そんなのどう考えても普通じゃないです」
「ただの冒険者だよ。僕はこの通り基本的にまともに動けないからね。眼も見えるけどそこまで遠くは見えないし、魔力総量も普段は少ないからね。とにかくあらゆるハンデを技量で補う必要があった。だから死に物狂いで鍛え上げたらこうなった。それだけだよ」
「そうだったとしてもそこまでの技量は得られないでしょう・・・」
怪訝そうな表情で見てくるアナトリーにタギツはのらりくらりと話をはぐらかすとタギツはアナトリーの修行を開始した。魔力操作の技量を磨くための修行は一般的に魔術を行使しながら行うものだが魔術が使えないアナトリーには直接魔力そのものを操作する術を教えることとなり、やり方を教わったアナトリーは早速修行を開始した。
――――――
その1か月の間、アナトリーは朝早くから山を駆け上がり、太陽が昇る前に汗を流す日々を送っていた。彼女の足取りは確かで、段々と速く、力強くなっていく。息を切らしながらも、彼女は決意を持ち、決して挫けることはなかった。その一方で、彼女は毎日のように魔力の操作にも時間を割いた。手に集中し、微細なエネルギーの流れを感じ取り、それを自在に操る訓練を行った。
タギツは領主の屋敷にある古い書物を熟読し、魔術の理論に没頭した。彼女の机の上には多数の魔術書が広げられていた。日々、実験と検証を繰り返し、時には失敗を繰り返しながらも、彼女は不断の努力でアナトリーのためだけの魔術を開発していった。
そして―
「遂に完成したのですか!?」
「うん。初級魔術だけどね。何とか完成したよ」
そういってタギツはアナトリー専用に改良したアナトリーのためだけのオリジナル魔術を教えた。
アナトリーは早速教えられた通りの手順で魔術を起動すると、まぶしい光が部屋全体を照らし、その中には赤、青、緑、黄色、紫、オレンジ、そして深いインディゴの色が混ざり合って舞い上がった。その光景は、まるで星々が宇宙の闇を照らすように美しかった。
やっと魔術を使うことができるようになった、やっと魔術を手にすることができた。そんな感情とともに涙がこみあげてきていた。続けて他の魔術も教わり、炎や風、水の魔術を使うことができるようになった。
どれもこれも初級魔術ではあったがそれでも魔術を初めて使うことができた感動はアナトリーにとってはとても大きいものだった。その日は一日中魔術の修行を行い、魔術の微調整を行いたった1日でほぼ完ぺきに使いこなせるようになっていた。
それから数日が経ち、タギツが開発した全ての魔術を習得したアナトリーはメキメキと魔術の腕を上達させていった。これでもう十分魔術が使えるようになったと判断したタギツはこの経緯を領主に報告した。
「・・・魔術が使えるようになったのか?まだたった1か月しかたっていないぞ?」
「1ヶ月もあれば十分では?」
「にわかに信じ難いが―」
そう言葉に詰まった領主は、大理石の窓枠から外を覗き込んだ。窓の外ではアナトリーが優雅に手を振りながら魔術を使っていた。領主は目を見張る光景に驚愕し、口を半開きにしてその様子を見つめた。アナトリーの手元では、色とりどりの魔力が踊り、窓辺には幻想的な輝きが広がっていた。
「この光景を見ていしまったらもう信じるしかないだろう。本当にあのこが魔術を使えるようになったのだな」
「本当に大変でしたよ」
「まさか魔力に問題があったとは。魔力の波長が既存の魔術に適応していないとは盲点であったし、それを1か月で既存の魔術を改良してあのこが使える魔術を開発してしまうとはな。これがティア1の冒険者の実力なのか」
「それほどのことではありませんよ。そもそも元からあった魔術を少し弄ってアナトリーが使えるようにしただけですし」
「だとしてもそれは簡単にはできんよ。魔術に関する造詣の深さと発想の展開ができる柔軟な思考が無ければ魔術の改変だけでも大変な作業だ。それを1か月でやってのけた。・・・一体何者なんだ?」
「それを教える必要はないのではないでしょうか?」
「野暮だったか。まあ魔術を使えるようにしてくれたのだ。それだけで十分か。報酬だったな。もってけ」
そういって領主は金庫から報酬の金貨が入った袋を出してそれをタギツに渡した。これで終わり。アナトリーは無事魔術を扱えるようになった。ならばこれで役目はおわりだろう。タギツは手にした袋を受け取ると懐にしまって領主の部屋を出ようとしたその時
「待ってください!」
扉が勢いよく開かれると先ほどまで庭で魔術の修行をしていたアントリーが扉の前に立っていた。息を整えると領主の部屋の中に入ってきてそのままの勢いでタギツに近づくと勢いよく頭を下げた。
「お願いします!もう少しだけわたしに魔術を教えてください!もっともっと先生に教えてほしいことがたくさんあるのです!」
「アナトリー。僕が依頼されたことは君が魔術を使えるようになるようにすることだ。魔術を使えるようになったのら僕の役目はここまでだ。それに僕は冒険者だよ?お願いを聞く義理はない」
「そこをお願いします!わたしはもっともっと強くなりたいんです!」
「何故?」
「えっ?」
「何故そこまで強さを求める?君は貴族の令嬢だろう?ならば魔術という素養があったら社交界で優位ではあるが社交界に戦闘能力は求められないだろう。今でも剣術を使える上に魔術まで使えるようになったのなら十分すぎるだろう。何故そこまで強さを求める?」
「それは・・・」
「君は何のために強くなるの?」
「・・・それを言ったらもう少し居てくれますか?」
「理由次第かな」
「わかりました。ではわたしの部屋でお話しします」
――――――
アナトリーの部屋に足を踏み入れたタギツは、ベッドのそばに置かれた丸いテーブルの周りに配置された美しい椅子にゆったりと座った。対面にアナトリーが座ると部屋の外からノックする音が聞こえてメイドがカートを押しながら入ってきた。カートに乗せていたお菓子をテーブルの中央に置き、ティーカップに紅茶を注ぐと二人の前において部屋の外へ退出した。
アナトリーは紅茶を一口飲んだ。タギツも目の前に置かれた紅茶を飲みながら話の続きを催促した。
「お母様は、龍奉王国の王都に宮廷魔術師で常に王都で忙しく仕事をしていることが多く、わたしが物心つく頃にはわたしと一緒にいることは滅多にありませんでしたが、仕事が休みになるときまってわたしに会いに帰ってきてくれました。
お母様が帰ってくると、王都での出来事や面白い話をたくさん教えてくれてお母様から聞く王都の日常や様々な人々の物語は、私にとってとても興味深く、刺激的でした。その時は、お母様の話に聞き入るばかりで、時が経つのを忘れるほどでした。
お母様は私の憧れであり、目標でもありました。お母様のように、魔術の才能を振るいこの国の人々の役に立つのが私の夢でした。わたしは魔力が元からたくさんあったのですぐにでも魔術を使えるようになりたかったのですが、魔術の訓練は10歳から行うのが慣例だからそれまで待つようにお母様に言われてしまい不貞腐れたこともありました」
ティーカップの紅茶を飲みながら自身の身の上話をするアナトリーは年相応の小さな子どものように純粋に母親に憧れそして楽しい年相応の楽しい日々を送っていたのがうかがえた。だがアナトリーは続けて物寂しそうにその家族とその身に起きた悲劇を話した。
「あの日はいつものように家族で過ごしていたのですが、そんな時にある一報が入ってきました。それは魔物が大群で街を襲撃しているというものでした。お母様はいつもと打って変わって今までに見たこともないような険しい表情で話を聞いていました。そしてすぐに荷物をまとめると出発の準備を始めました。
わたしは何故か急に不安になって行かないでほしいと泣きながら懇願しましたが、お母様はたくさんの人が助けを待っているから行かなきゃいけないと言っていました。それでもわたしは離れたくない、置いてかないでと言ったわたしにお母様は約束してくれました。
帰ったら魔術を教えてあげると。わたしはずっと使えるようになりたかった魔術を教えてもらえるときき、本当に?と聞きお母様は微笑み返してくれました。本当に嬉しかったのを今でも覚えています。
そして見送ったお母様は数日後、棺桶に入って帰ってきました」
震える声で語るアナトリーの瞳には涙が溢れ、手は固く握りしめられていた。そしてその時のことをアナトリーは話してくれた。
幼いアナトリーは木製の硬く冷たい彫刻が施された母親の棺に向かって、手を伸ばした。アナトリーの指先がそっと棺の角に触れると、その冷たい感触が彼女の心に刺さりました。
「お母様、どうして…どうしてあなたがここにいるの?」幼いアナトリーの声は震えていました。彼女の目からは大粒の涙が溢れ、顔中を濡らした。棺の蓋が母の姿を隠していることにさえ苛立ちを感じるほどにアナトリーの内側で感情が激流の如く流れていた。
「約束したじゃない。魔術を教えてくれるって。どうして何も言ってくれないの?」アナトリーの心は悲しみに震え、やり場のない怒りに満ちていた。彼女は一晩中、母の棺にしがみつきながら泣き叫びました。彼女の涙は棺を濡らし、彼女の心は絶望に包まれた。
「わたしはその日からどうしようもないほどに心が荒んでしまったのです。誰とも会話せず部屋に引きこもって何もしない日々が続きました。
メイドが食事を運んできても手を付けない日があったりもしました。今でも後悔が頭をよぎりますよ。なんであの時お母様をもっと止めなかったのか。なんでもっとお母様と話しておかなかったのかと。
自責の念に囚われていて自分がいかに無知であったのかを思い知り急に自分自身が恥ずかしくなって更に自分を責めるようになりました。
お父様はわたしは悪くないと言ってくださいましたが当時のわたしは自分の事で頭がいっぱいになっていてそれは冷たく当たってしまいました。本当にお父様には迷惑を掛けてしまいました。お父様だって悲しいはずなのにそれを表に出さず領主として立派に勤めていて本当に凄いなと思いました」
「ありふれたよくある話だね」
「はい。よくありふれたお話しです。ですがそれでも私にとってはとても悲しい出来事でした。それからしばらく経ったある日、わたしの部屋の本棚にあった魔術書の1冊が淡く光り出しました。何が起きたのかわからないまま魔術書を手にしてみるとそれはお母様が生前わたしの誕生日にくださったものでした。魔術の基礎が書かれていて魔術を学ぶならこの本から読むのがいいとくださったものが光っていたのです。
何故それが光り輝いているのかと困惑していると本が勝手に開いて白紙のページを出しました。するとわたしの頭のなかに懐かしい声が響いたのです」
―愛するアナトリーへ、
あなたがこの声を聴いているということは私は既にこの世にいないでしょう。きっとあなたは私の死を受け入れられずにいることでしょう。ですので、私の最後の言葉をどうか聴いてください。
私はいつもあなたのことを愛していました。あなたが私の人生の最高の贈り物であり、誇りです。あなたが幸せであることが私の願いです。私の人生は決して後悔ではありません。あなたが幸せであり、自分の道を歩んでいる限り、私は満足です。
私は魔術師としての道を選んだ。それは私の情熱であり、使命でした。私は王国に奉仕し、魔術の力を使って平和を守ることができました。しかし、そのためにあなたと十分に時間を過ごせなかったことを心から謝罪します。
私はいつもあなたを見守っています。私の手から受け継いだ魔術の力は、あなたの心を導き、守るでしょう。私の約束は永遠に続きます。いつか、私の技術と知識をあなたに伝える日が来るでしょう。その日まで、あなたの心に私がいることを信じてください。
そして最後に、私は自分の人生を精一杯生きました。ですのであなたも自分の人生を精一杯生きて生きて生き抜いてください。私が望むのはただそれだけです。
愛するアナトリー、私の愛と祝福がいつもあなたと共にあります。
あなたの母、ヴァイス・リリーより
「わたしはその日から魔術に関する知識を死に物狂いで勉強しました。それこそ人生を掛けて勉強しました。元々魔術が好きだったですし、お母様の遺品の膨大な魔術書や魔術資料を引き取っていたのでそれを使って学びました。いつの日かお母様のようにこの国の人々を守れる存在になることがわたしの目標になりました。そして10歳になったときに魔術師の方に魔術を習ったのですが一切使うことが出来ず、本当に何のために努力したんだろうと思い、心が折れました」
「なるほど。そして僕が来たと」
「はい。先生が来てくださったおかげで夢を諦めることなく頑張れました! 先生はわたしの人生の恩人です。だからこそ信頼のできる先生にお願いしたいのです。わたしは来年この龍奉王国の王立魔術学園に通おうと思っています。そのためには入学試験に合格しなければなりませんがその試験が2か月後に迫っているのです。半ば諦めていたその試験を受けることにしたのですが私にはまだまだ技術も経験も不足しています!
ですので先生に試験に合格できるように実力つけるために力を貸してほしいのです。お願いします絶対に合格しないといけないんです!!」
そういって頼み込んできたアナトリーは緊張からか手が少し小刻みに震え、表情からは不安な気持ちが見て取れた。少しの間二人の間に沈黙が流れ、沈黙に耐え切れずアナトリーが聞き返そうとしたとき
「いくら?」
「え?」
「いくら出してくれるの?わたしはあなたの父の領主の依頼を受けたからあなたが魔術を使えるようにしたの。慈善事業でやってないよ。もし君が僕の協力を欲するとしていくら出せるの?」
「それは・・・」
「ちなみにあなたの父に頼むのはナシだよ。これは君の意思で君のために行うのだから依頼も対価も君が出すんだ」
「わたしは余りお金を持っていません・・・」
「そんなのは関係ないよ。依頼を受けてそれをこなしてそれに対して対価を受け取るのが冒険者なのだから君だけ特別扱いはできないよ。それに他人に頼るのは悪いことじゃないが他人に依存するのはダメだ。さぁどうする?君はどうやって僕に対価を支払う?」
タギツの言葉に動揺しながらも必死に考えたアナトリーは考えを巡らせてからはっと思いついたように本棚から一冊の魔術書を取り出した。美しい装丁がなされたとても古い魔術書をアナトリーは手にして持ってきた。
「これならどうですか?この魔術書は龍奉王国の王家が遥か昔に編纂したものでとても価値あるもののはずです!これでどうでしょうか!」
「却下」
「でしたらこちらの本はどうでしょうか!これはこの国にある迷宮探索に必要な情報が記載された貴重な本で冒険者にとっては有意義な報酬だと思います!」
「却下」
「ううっ! で、でしたらこれでどうですか?この紺青の秘宝というペンダントは死を一度だけなかったことにできます。これなら対価として十分かと思いますが」
「論外」
「ううううっ~ な、何故ですか?これでもダメとなるともう渡せるものが・・・」
「いやいや、君が渡そうとしているものは全部君の母親の遺産でしょう。つまり君にとって大切なものじゃないの?特にそのペンダントとか」
「それはもちろんわたしにとってはどれもこれもお母様の遺品ですし、このペンダントに至ってはお母様からプレゼントされたものですのでとても大切ですよ。ですがー」
「ならそう簡単に手放したらダメ。それは冒険者に対する対価として渡す物じゃない」
「で、では何を渡したらいいのですか?」
「君が対価として渡せるものでいい」
「対価として渡せるもの・・わたしにはお母様から受け継いだものしかありません。対価としてだせる価値あるものなどそれくらいしか」
「何言ってるんだい?あるだろう君が出せる対価が。そうだね、少しヒントをあげる。冒険者に限らず何かに対する対価を支払う方法は何も金銭や品物を渡すことだけじゃない」
「え・・・」
「もう少しヒントを出すなら僕は魔術の研究をしていたりもしている。そのうえで対価を提示してみてよ。そうしたら僕は君に協力しよう。それじゃ僕は帰るよ。僕は冒険者ギルドにいるから依頼の対価を用意できたのならギルドにおいでよ」
そういうとタギツは屋敷を後にした。その後残されたアナトリーは呆然と立ち尽くしてしまった。冒険者ギルドに戻ってきたタギツはギルドマスターのグレイソンに依頼を完了したことを伝えると余りの早さに驚きつつも「これがティア1の実力ってわけか」と納得していた。冒険者ギルドの食堂で晩御飯を食べていたタギツはギルドのドアを開いて入ってきた人物と目が合った。
「あ、ターちゃん帰ってたんだね!」
「うるさいのが帰ってきた」
「ひどいッ!!」
金色の長い髪を靡かせながらラキはタギツのテーブルにやってくると反対側に腰かけて背負っていた荷物を置くと食堂のカウンターに向かって行きそこでいつもの如くとんでもない量の料理を注文した。注文を終えて戻ってきたラキの目の前に大盛りの料理がたくさん並ぶとラキはそれを物凄い勢いで食べ尽くした。
「そういえばターちゃんはここ1か月何してたの?」
「領主の娘の家庭教師。まあそれも今日で終わったけど」
「へぇ~じゃあ噂になってた領主さまのお嬢様が魔術を使えるようになったのもターちゃんのおかげ?」
「・・・どこからその噂流れたのかは分からないけど、そうだね。ちゃんと魔術を使えるようになったよ」
「私はね~。冒険者ギルドの依頼をこなしながら、送り火祭りの準備してるの!あと私も実は今新人冒険者と一緒に依頼をこなしてるんだ~」
「え、ラキと一緒に組まされる新人冒険者が可哀そう。エンゲル係数がとんでもないことになってその子のお金を食い潰してしまったのね」
「そんなことしてないよ!? ・・・ターちゃんは私を何だと思ってるの」
半眼でふくれっ面になって不満をいうラキをスルーしてタギツは手元の木製のコップを傾けてはっきりと言ってやった。
「暴飲暴食ベヒーモス女」
「私に対する暴言がどんどん悪辣になってない!?」
「それよりもラキ。君は具体的に何をしているんだ?」
「話を逸らそうとしてるでしょ。まあいいけど――」
ラキは、別れた後の経験を仰々しく語り、その時の感情や状況をタギツに生き生きと伝えタギツはその話に耳を傾けながら手にしながらその日は夜遅くまで話を聞いた。冒険者ギルドの中で飲んで食ってをしてた冒険者達も徐々に少なくなり、受付のギルド職員とわずかな明かり以外暗闇と静けさに包まれていた。
ラキは樽を2~3樽空にしてテーブルに突っ伏していた。他にもギルドの中で酔って爆睡している冒険者達のいびきがそこかしこで聞こえなんとも冒険者ギルドらしい光景となっていた。そんな中ギルドの木製の分厚い扉が少し開いた。
「し、失礼します」
入ってきたのはメイドに付き添われてやってきたアナトリーだった。どこか落ち着かない表情で恐る恐る入ってくると寝っ転がっている冒険者を避けるように進んでいき辺りをキョロキョロ見渡していた。
「こっちだよアナトリー。僕に用があるんでしょう?」
「!」
アナトリーは、冒険者ギルドの中でタギツを見つけると、小さな足音を立てて駆け寄ってきた。彼女は貴族令嬢の豪勢なドレスではないが上品な服装に身を包み、その瞳には決意が宿っていた。タギツに近づき、彼女の目を見つめながら、アナトリーは懇願の言葉を口にした。
「先生。私に魔術の研究のお手伝いをさせてください!何ができるかわかりませんができることは何でもやりますから私をどうか使ってください。そしてその報酬として私に魔術を教えてください!お願いします!!」
そういって勢いよく頭を下げてきた。タギツは少し思考をめぐらした後、小さく微笑みながら手にしたコップを机に置くと方向をアナトリーの方を向いて言った。
「いいんだね? 君は私の魔術の研究を手伝いそして私は君に魔術学園に入るための実力をつけさせる。そういう契約になるけどそれで構わないね?」
「はい!お願いします」
「・・・わかった。出来る限りのことをしよう。ただし、途中で死ぬかもしれないけどいいね?」
「はい! え、死ぬ!?」
「そうだね。今度は魔物討伐や迷宮探索もやってもらうからもしかしたら死ぬかもね。どうする、やっぱりやめとく?」
「っい、いえ。やります。やらせてください!」
きっぱりと決意表明したその幼き女の子にタギツは密かに満足していた。
「ターちゃんこの子だあれ?あ、もしかしてターちゃんが魔術を教えてたっていう領主さまの娘? こんばんわ~私はラキ。ターちゃんと一緒に冒険者をやってる者です♪」
ラキがぬぅっとテーブルから起き上がると、陽気な笑顔を浮かべながら、アナトリーに向かって大胆に歩み寄って抱き着くと頬ずりしだした。アナトリーはビクッと肩を震わせ、驚きを隠せなかった。
しかし、アナトリーは徐々にリラックスし、彼女との会話に身を委ねる。やがて、二人は打ち解け、笑顔が絶えない会話が始まった。ラキが自らの冒険譚を語り始めると、アナトリーも興奮し、彼女の話に耳を傾けながら楽しそうに微笑んでいた。
それから少ししたのち、お付きのメイドからそろそろ帰らないといけないと言われるとすこし名残惜しそうにしつつも二人に一礼して冒険者ギルドを去っていった。
―――――
次の日、タギツとアナトリーは少し遠出をしていた。シュテルヴォルテから少し離れたところにあるその場所は深い森の奥にあるとても大きな崖の一部にぽっかりと空いた石造りの入り口だった。石には彫刻が彫られており長年放置されてきたようで小さな苔と植物のツルが絡みついていた。
この場所は昔、龍奉王国の冒険者たちがこぞって攻略を行った『忘却の古代都市』と呼ばれており、迷宮に潜っては貴重な資料や魔術書、武器防具そしてお宝が発掘されていたみたいでこの迷宮に潜るだけで普通に冒険者稼業をするよりも3倍も儲かったと言われているほどだった。
そのためたくさんの冒険者でごった返して更にはその冒険者に物資を売り捌いていた商人たちもやってきていてその商人を護衛する冒険者がやってきて・・・といった感じにどんどん増えていった。
当然ながら迷宮には魔物がたくさん生息していたため冒険者達はそれらと戦った。 頻繁に犠牲者が出ては外へ運び出されており、迷宮内に造られた墓地には夥しい数の墓標が並んだ。なかでも一番奥にある通称『王座』と呼ばれる部屋にいたとんでもなく強い魔物にことごとく殺されていった。誰にも討伐できないとまで噂されていたその魔物を当時凄腕と言われていたティア1の冒険者によって討伐がなされ、『忘却の古代都市』はそれ以降強い魔物が出てこなくなった。
時代が流れるにつれ徐々にかつての活気を失い、今となっては完全に廃れてしまってるとのこと。ただ魔物自体は生息しているらしく、新人冒険者が修行や依頼達成のためにこの迷宮にやってくることが稀にあるそうだ。
「それで先生。わたしはこの迷宮で何をすればいいのでしょうか?」
「君は使える魔術があまりないから今使える魔術でどれだけ戦えるか知りたいのと、君に実戦経験を積ませるためだよ。本来は時間を掛けてゆっくりと戦い方を教えたほうがいいけどあと2ヵ月しか時間がない。だから実戦で限界まで鍛え上げる」
「えっと、それ大丈夫なんですか?」
「大丈夫だよ。僕も一緒に潜るから死にはしないよ。ただ死なないけど死ぬほどきついから頑張ってね♪」
「ヒッ!」
笑顔でそう言い放ったタギツに何とも言いようのない恐怖を感じて引きつった声が出てしまったアナトリーだったがそれでも意を決して迷宮の中に潜っていった。
階段を降りていった先には石造りの通路が奥まで伸びており、木の根や植物のツルが伸び石はところどころ欠けており、大きな穴が開いている所や崩落している部分もあった。
通路を進むとアナトリーはタギツに言われるまま通路の横に伸びた道を進んだ。そこには朽ちた木製の扉がありそこを押すと中はとても広い空間となっていた。長い間誰も来ていなかったのか埃が積り天井には蜘蛛の巣が張っていた。
そしてそこには等間隔に並んだ石棺が所狭しと置かれていた。その光景に圧倒されているとタギツは懐から花束と酒瓶を取り出してひとつずつ置いて回った。部屋を出た二人は元来た道を戻ると迷宮の奥へとさらに進んでいき、開けた空間にでるとそこには蛇型の魔物がいた。
「あれはベノムサーペントだね。第5等級の弱い魔物だから簡単に倒せるけど油断してると噛まれて毒を受けるから」
「は、はい!」
アナトリーは腰から剣を抜いて魔物がこちらに気づく前に一気に駆け寄って頭を斬り飛ばした。続けざまに近くにいたベノムサーペントに剣を振り下ろすと別の所にいたベノムサーペントがアナトリーに噛みついてきた。痛みに顔を顰めたがすぐに噛みついている頭部を切り落とすと一旦後方に下がった。
噛まれたところがヒリヒリと痛みだし嫌な脂汗が流れだしていた。アナトリーはすぐに噛まれたところにアンチドートのポーションを振りかけて包帯を巻いてすぐに剣を握り直した。倒したベノムサーペントの奥から鳥形の魔物―ナイトグーフォが飛来しながら甲高い鳴き声を上げていた。
アナトリーは初級魔術ファイアバレットを放って攻撃するとナイトグーフォはそれに撃ち落とされて墜落していった。
「どうだい?魔物を初めて倒した感想は」
「いままで戦うための訓練はしてきました。でも全然違います。第5等級の魔物を討伐するだけなのに足が竦んで手が震えてしまいまし、反応が遅れて噛まれてしまいました」
「最初は誰だってそんなものだよ僕だってそうだったんだからね さて、どんどん先に進んでいこう。あと2~3回戦えば、魔物と戦うことそのものにはなれると思うからあとはハイペースで数をこなしていこう」
「はい!」
二人はその後も次々と襲ってくるまものたちをアナトリーが撃破しながら先に進んでいき、地下へとどんどん歩みを進めていった。地下空間は下層へ進めば進むほど広い空間となっており、それに比例するようにより大型の魔物も出てくるようになった。しかもその大型の魔物に加えて小型の魔物までもが同時に出現していた。といってもどれもこれも第5等級の魔物ばかりでたまに第4等級の魔物が出てくることもあるがその数はとても少ない上に単独で出てくるためアナトリーでも対処可能だった。
それでもいままで魔物討伐を行ったことのない彼女にとってはどれも強敵であった。必死に考えを巡らせながら目の前に現れる魔物の群れを着々と討伐していった。3階層に到達した頃には魔物に相対することに慣れ始めて自身の実力を十分に発揮できるようになってきていた。
「だいぶ慣れてきたみたいだね。はじめてにしては飲み込みが早いよ、さすが宮廷魔術師の娘といったところかな」
「いえ、わたしはまだまだです。確かに魔物の討伐には慣れてはきましたが余裕は全くないです。全ての戦闘を全力で戦っている状態です」
「そこはこれから強くなっていけばいずれ片手間に魔物を倒せるようになるさ」
タギツはゆっくりと進みながら石造りの壁の感触を探るように触れてあるところでピタリと止まると一つの石を奥に押し込んだ。すると壁際の石が音と主にパズルのピースのように一つずつ動いて先ほどまでそこにはなかった通路が現れた。タギツとアナトリーがその通路の先に進んでいくと古びた木製の板に鈍い色をした金属の金具が打ち付けられた重厚な扉が現れた。
「アナトリー。ここから先は『王座』だ。この迷宮を守護している存在がまだ残ってるかもしれないから今まで以上に気を付けてね」
「は、はい!」
緊張した面持ちで大きな扉を開いたアナトリーは目の前に広がる光景に息をのんだ。鎧が長剣を地面に突き刺した状態で手を置き微動だにせず整然と並んでいた。他にも戦斧を持った鎧やモモーニングスターを持った鎧槍を持った鎧などが並んでいた。
「あの~先生。もしかしてなのですが、この鎧たちが動き出して襲ってくるということはないですよね?」
「ん?そうだけど?」
アナトリーが返事を返す直前に、鎧の一体がギギギと鈍い金属音を立てながら、その重厚な鎧を軋ませながら動き出し地面に突き刺していた長剣を、ゆっくりと引き抜いた。まるで長い眠りから覚めたかのように。長剣の刀身が光の反射でちらちらときらめき、一瞬で周囲の空気が張りつめた。そしてギギギと音を立てながら兜がこちらに視線を向けた。
動き出した鎧の兵士にアナトリーは驚きつつも剣を構えた。次の瞬間鎧の兵士は物凄い勢いでアナトリーとの距離を詰めると手に持った剣を振りかぶりアナトリーの頭めがけて振り下ろしてきた。
「くっ!」
とっさに避けたアナトリーだったがすぐに別の鎧が持っていた戦斧を叩きつけるように振り下ろし、それをギリギリの所で回避するとアナトリーはファイアバレットを撃ち込んだ。相手が無機物の鎧だから魔術で対処しようとしたのだろう。普通ならその判断で問題ないのだろうが
「それじゃあダメなんだよね」
タギツが聞こえないくらい小声でつぶやくとファイアバレットが当たった鎧の兵士は何事もなかったかのように動き出した。その光景にアナトリーは初めて動揺した様子でいた。確かに自分の魔術が命中したのに鎧の兵士は何事もなかったかのようにガシャガシャとおとをたてながらアナトリーを追いかけてきたのだ。どうして魔術が通じないのかとという焦りを押し殺して鎧の兵士の首元の隙間に持ってきた剣を突き立てた。
「えっ そんな! なんで!?」
驚愕の表情を浮かべアナトリーは剣を急いで引き抜き鎧の兵士から距離をとった。その直後鎧の兵士は戦斧を振り下ろして床の石畳が粉々に砕けた。更に周囲にいた他の鎧の兵士が追撃を掛けてきてアナトリーはなかなか体勢を立て直す暇がなかった。
「この鎧の兵士いったいなんなんですか!? 魔術が効かないばかりか首を突き刺しても手ごたえがなかったです。まるで何もない空の鎧と戦っているかのような感じがします」
「この魔物はリュストゥングアームドだよ。見ての通りの動く鎧だよ」
「動く鎧ですか?」
「まあ、ただ単に動くだけじゃないけどね。それよりも速く対処しないと囲まれちゃうよ?」
「あれどうやって倒せばいいんですか! 魔術撃ち込んでも効いてる様子ないですし剣で刺しても動きが止まらないですよ!?」
「それは自分で考えてやって」
「ええぇっ」
いきなりの無茶ぶりにアナトリーは困惑しつつもそこは物心ついた時から鍛えまくっていた才能ある娘なだけあってすぐに切り替えて目の前の魔物に向き直った。実戦の経験が不足してはいるが知識はかなりあり、冷静に相手の特徴や行動を観察していた。アナトリーはリュストゥングアームドの攻撃を避けながら接近し、兜を弾き飛ばすと中身が空の鎧の中にもう一度ファイアバレットを撃ち込んだ。
すると次の瞬間リュストゥングアームドの鎧が人間ではありえない方向に体を捻って跳ねた。まるでファイアバレットの熱さにのたうち回るかのようにガシャガシャ音を立てながら地面を転がっているのだ。どう見てもただの空の鎧にしか見えなかったがはたから見ても明らかに攻撃が効いていた。
「やっぱり、当たってたみたいですね。お母様の遺品の中にあった魔物図鑑に確か人間が装備するような鎧に住み着く小さな魔物がいると書かれてありました。その魔物は互いに連携して鎧の関節を動かしながら獲物を狩っていくと。対処方法は動かしている鎧そのものをバラバラに解体するか鎧を動かしている小さな魔物を倒してしまえば倒せる!」
「気づいたみたいだね。でも相手は複数体だよ?気をつけること」
「はいッ!」
アナトリーはのたうち回っていたリュストゥングアームドの中に今度はファイアボールを何回も投げ込んだ。次々と魔術の日の玉を入れられ炎が舞い鎧がどんどん赤く熱を帯びていき、最初はのたうち回りながらも必死に距離を取ろうと床を這いまわっていたが徐々に力が弱まっていき最後には動かなくなった。じゅーという焼けるような音とこもった熱気が鎧からは上がっていた。
倒したことを確信したアナトリーは続けざまに他のリュストゥングアームドの関節部分に剣を突き立てた。リュストゥングアームドは関節部分の個体がやられたことで床に倒れてバタバタと藻掻きながらも腕の籠手をグルんと180度まわして長剣をぶん回した。明らかに人と違う動きをしているその鎧だったがアナトリーは臆することなく慎重に距離を詰めると剣を弾き飛ばして今度は腕の関節部分にいた個体を斬り飛ばした。斬れてなくなった腕の部分から魔術を撃ち込み鎧の内側から攻撃すると一瞬ビクンッと鎧がはねたがすぐに動かなくなった。
完全に攻略方法が分かったアナトリーはその後も順調にリュストゥングアームドを撃破していった。もちろん一方的に倒せたわけではなく相手の反撃をくらって全身切り傷と打撲でボロボロになっていた。肩口には弓矢が刺さり、そこから血が流れていた。
「はぁっ はぁっ」
「全部倒せたみたいだね」
「はい。でも痛いです。それに少し疲れました」
そういいながらアナトリーは肩口の矢を抜くとすぐにポーションを傷に振りかけた。矢傷はすぐに消えてなくなったが、精神的な疲労がアナトリーからはうかがえた。
「そう。でもまだ疲れるには早いよ?」
タギツがそういうと部屋の奥の暗がりからガシャガシャと音を立てて何かがやってきた。その存在は今までのリュストゥングアームドとは少し違っていた。
まず最初にその大きさ。先ほど戦った個体が普通の兵士とそう変わらないのに対して今目の前にいるリュストゥングアームドが操っていると思われる鎧はその3倍の大きさはあろうかという大きさと存在感を放っていた。
傷だらけだが分厚い鎧に何故か腕が6本あるという明らかに人間っぽくない構造となっているその鎧は当然ながら小さな魔物が操っているだけで中身は空洞なので表情などないのだが、明らかに怒っているかのような怒気と威圧感を放っていた。
「そいつはリュストゥングジェネラル。今回の迷宮攻略の目的はこいつの討伐さ。さぁ、君だけの力でこいつをどうやって倒す?」
金属の音を部屋いっぱいに響かせながらその存在はそれぞれの腕に剣や斧、棍棒、更には円形の盾までも装備していた。このリュストゥングジェネラルは魔術こそ使ってこないがそもそも大きい上に腕の本数が多いのだ。なので持っている武器も多いので単純に手数が多いうえにとても堅いため攻撃が通りにくい上に人間と同じ弱点がない。それゆえに駆け出しの冒険者にとっては戦うのが難しいあいてなのだ。
リュストゥングジェネラルが凶悪な威圧感を放ちながら床を踏み抜いて走ってきた。とっさに持っている剣でガードしたアナトリーだったがリュストゥングジェネラルはアナトリーが持ってた剣ごとアナトリーを弾き飛ばした。
「うぐっ・・! がはっ」
部屋の隅まで飛ばされたアナトリーは壁に激突して肺の空気を吐き出してしまった。大きく深呼吸しながらフラフラと立ち上がって剣を構えたがその眼には恐怖の色が浮かんでいた。今の一撃でアナトリーは自分がここで死ぬ光景を思い浮かべてしまったのだ。震える足を必死に踏ん張りしっかりと敵を見据えたアナトリーは深呼吸するとダッと駆け出しリュストゥングジェネラルの腕に斬りかかった。
だがそれを予測していたように持っている戦斧でガードすると動きが止まったアナトリーに槍が飛んできた。それをすれすれのところで避けたアナトリーは滑り込むように後ろに回り込むと高く飛びあがり兜に剣を振り下ろしたがなんと兜がグルっと180度回ってアナトリーの方を向いたかと思うと腕までも180度回ってアナトリーの剣を受け止めたのだ。
「うそ・・・!」
驚愕の表情を浮かべたアナトリーに対してリュストゥングジェネラルは空っぽの兜の奥でニヤリと笑った。アナトリーの方を向き直るとリュストゥングジェネラルは再び県や戦斧、槍を振るって仕留めようとしてきた。それをなんとか躱したアナトリーだったが腕に掠り血が飛び散った。
その後もリュストゥングジェネラルの猛攻撃をギリギリ致命傷にならない程度に躱していたが、徐々に生傷が増えていき息が上がってきていた。それでもタギツはアナトリーに手助けしたりせずじっと成り行きを待った。
(強い。この魔物は多分今の私が倒すことのできる中で最も強い敵だ。力をセーブして戦っても勝てない!)
アナトリーは一度大きく深呼吸すると、体内に流れる魔力を感じ取り、それを意識的に操作した。タギツから教わった魔術の中には、今までに何度も使ってきた火球や雷撃といった攻撃魔術、そして傷を癒す回復魔術があったが、今回はそれとは異なる魔術を使うことにした。それは身体能力を飛躍的に向上させる身体強化魔術だった。アナトリーの筋肉はまるで何倍にも膨れ上がるかのように張り詰め元の大きさまで圧縮され、目は鋭く光を捉え、耳は遠くの微かな音さえも聞き取ることができるようになった。
血液の流れが加速し、心臓が力強く脈打ち、全身に魔力が満ち溢れているのを感じた。今まで感じたことのない力が漲り、アナトリーは自分の五感が拡張されたかのような感覚と力強さを感じた。
全身に魔力が巡っていき全身の骨や筋肉血管、細胞の一つ一つが活性化されたアナトリーは地面を蹴って一気に距離を縮めた。
下段から剣を上段に向かって振りぬくように切り上げたアナトリーに対してリュストゥングジェネラルは持っていた戦斧で受けようと自身の前に構えた。ガキンッ!という金属音が部屋に響き渡り、またもや剣を受け止められたかに見えたが結果は違っていた。
「よし、いける!」
アナトリーの持っていた剣は戦斧を綺麗に叩ききっており、しかもそのまま持っていた手までも切り裂き金属製の鎧の手は縦に裂けていた。その光景にリュストゥングジェネラルは存在しないはずの表情に明らかな動揺が浮かんでいた。
その好機を逃さずアナトリーはそのまま続けざまに二本目の腕に持っていた槍を斜めに斬り落とすとそのまま槍を持っていた腕も斬った。アナトリーが使っていた魔術は、身体を強化するだけのものではなかった。アナトリーは持っていた剣に対しても装備強化魔術を付与していたのだ。その魔術の力でただの鉄製の剣が遥かに強固で、鋭利さも格段に増した剣になっていたのだ。
「次!」
リュストゥングジェネラルが持っていた剣が振り下ろされそれを避けるとそのまま右足の向こうずねを斬り伏せ相手を転倒させた。自分自身の重さに耐え切れず地面にめり込んだリュストゥングジェネラルはジタバタと藻掻き、その上にアナトリーはすぐに乗っかり残った腕と足を斬り飛ばして完全に動けなくした。
アナトリーは勝利を確信してそのままの兜を叩き割ろうとした。だが次の瞬間兜がグルッと180度回転するとちょうど顔の部分のベンテールがガシャンと音を立てて上に上がり真っ暗な中から光の光線が物凄い勢いで飛んできた。
一瞬対応が遅れたアナトリーだったが、すぐに斬り飛ばした腕に握られていた剣を素早く手に取り、目を鋭く光らせながら敵の兜に向かって力強く投げつけた。剣が兜に命中した瞬間、耳をつんざくような轟音とともに大きな爆発が起き、眩い閃光が辺りを照らし出した。
その爆発の衝撃で、兜は粉々に砕け散り、破片が四方八方に飛び散った。アナトリーは自らの剣を残った胴体の丁度真ん中に勢いよく突き立てると鎧の胴体がガチャガチャと音を立てながらのたうち回るように動き鎧の隙間から赤黒い触手のようなものが飛び出してアナトリーの剣に絡みついて引き抜こうとした。
だが、身体能力を強化しているアナトリーの圧倒的な力に勝てず、最初は必死に抵抗していたが、次第にその努力もむなしく触手の力が徐々に弱まっていき最後はアナトリーの剣にもたれ掛かるように動かなくなってしまった。
「勝った・・・の?」
「お疲れ様 よくがんばったよ」
近づいてきたタギツがねぎらいの言葉を掛けてくれてようやく緊張の糸が切れたアナトリーはその場に崩れ落ちた。周囲に散乱した敵の残骸を避けながら近づいてきたタギツはその他の敵がいないか周囲を警戒しつつも他の敵は出てこないだろうと思っていた。
「それにしてもこれに勝てるなら十分すぎるぐらい強いよ君は」
「そう・・・でしょうか?」
「うん。正直なところ実はこの魔物を初見で討伐できるとは思っていなかったからね。時間を掛けて挑んでは負けて挑んでは負けてを繰り返すと思っていたんだよ。それを君は相手の行動からどう対処すればいいかを冷静に判断し、しかも攻撃を受けた際もパニックにならなかった。 こればかりはどれだけ訓練を積んだ見習い冒険者でも攻撃を受けるとパニックに陥りやすいし、動きが単調になり考えることなく相手に突っ込んでいきそのまま死ぬ」
「っ!」
「冒険者になりたての新米冒険者の内の3割は初めて格上の魔物と対峙したときに対処しきれずに死んでいく。ある意味冒険者としての素質があるかどうかの本当の登竜門が今回のような戦いかな。ギリギリの戦いでいかに戦い抜くことができるか」
「私は戦えていましたでしょうか?」
「勿論。ただしギリギリの戦いをしたといってもまだ1回だけだからね。 これからも強敵と戦って経験を積むのがいいよ」
「はい!」
タギツはリュストゥングジェネラルの残骸をどけると懐から一つの魔道具を取り出した。それは箱状の黒い物体で魔力がぎっちり詰まっていた。それを石畳の床に置くと物体に付いていたピンを引き抜いた。
「それじゃあリュストゥングジェネラルとの再戦いってみよっか」
「えっと、それはどういう・・・」
「こういうことだよ」
困惑の表情を浮かべているアナトリーにタギツは黒い物体を指さしながら答えた。四角い箱は紫色に光り輝きむくむくと体積が広がっていくと段々と形が変わっていき、先ほどまで戦っていたリュストゥングジェネラルそっくりな紫色の人形が完成した。そしてその人形は鎧が動く時のような金属音を立てながらアナトリーの方を向いた。
「これは倒した魔物の情報を元に魔物を再現することのできる魔道具だよ。これを使ってそのまま練習するからね はいヨーイドン!」
タギツがパンッと手を叩くとその魔道具の人形はリュストゥングジェネラルと同じ動きでアナトリーに襲い掛かった。
「えっちょっ・・・ちょっとまってぇえええええええええええええええええええ!!」
―――――――
その後、あまりにも過酷すぎるタギツの修練に殺意がわきつつあるアナトリーだったが何とか耐え抜き1週間が経った。
最初の1日目は息も耐え耐えの状態でリュストゥングジェネラルのコピーを倒していたアナトリーだったが、2日目3日目と日を追うごとに徐々にアナトリーは魔術の扱いに慣れていき、更に剣術の腕もめきめきと上がっていき7日目には安定して倒せるまでになっていた。
その驚異的な成長速度にさすがのタギツも若干ドン引きしていた。更に1週間2週間経ち、1か月を過ぎたあたりからほぼ息を切らすこともなくリュストゥングジェネラルのコピーを討伐することができるまで成長していた。
「さてと、そろそろ迷宮から出よう。君の強さならもうこの迷宮の魔物では相手にならないからね」
「ほんとですか! やったー!」
ボロボロになりながらも満面の笑顔を浮かべるアナトリーは荷物をまとめるとそこら中に散らばっている魔物の残骸をまとめて燃やした。
「1カ月たってかなり強くなったね。僕としてもここまでやれば十分かなとも思ったのだけれど、君の成長速度ならもっと先へ行けると思う。そこで次の修行なんだけどこれをぶった斬って見せて」
屋敷の静かな中庭に、二人は足を止めて立っていた。タギツが静かに懐に手を差し入れ、丁寧に取り出したのは、冷たくて落ち着いた雰囲気を放つ物体だった。
それは、縦横高さがそれぞれ1メートルの正方形の金属製の立方体。 青空の下、その表面は鈍い灰色をしており、くすんだ銀色の光を纏っている。ガラスのように光をぼんやりと反射し、表面には小さな傷や磨耗の跡があった。
立方体はふわっと目に昇り、ゆっくりと上下に揺れながら宙を漂っていた。 浮遊するその姿はまるで不思議な生き物のようで、重力から解放されたかのように軽やかでありながら、どこか荘厳な印象をその金属の表面は、ほんの斜めから当たる太陽の光を鋭く反射し、ほんの一瞬、光の筋が二人の顔に淡く差し込まれた。
「あの先生。この物体はいったいなんでしょうか?」
「エーテル星晶体」
「へぇ・・・・え!?」
「だからエーテル星晶体だよ」
「いやいやいやいや! ちょっとまってくださいなんでそんなもの持ってるんですか!? これ一つで国が買える代物じゃないですか!? というかそもそも実在していたいんですかこれ!?」
「アナトリーステイステイ」
「落ち着いてます!! 先生はこれがどれほどのものかご存じないのですか!? エーテル体そのものがとても希少で王侯貴族の社交界でもお目にかかることなんて滅多に無い代物なのですよ。ましてや星晶体なんて長い人類の歴史の中でも存在が確認されたのなんて経った数回しかないとされているのですよ!?」
「ふーん」
「いや、ふーんって・・・」
アナトリーはいたって冷静な様子のタギツに困惑しつつも自身も冷静さを取り戻してきた。
「まあとにかくこのエーテル星晶体をぶった斬って見せてよそれが出来たら最終試練に移るからね」
「え、・・・何言ってるんですか?バカなんですか死ぬんですかエーテル体しかも星晶体を斬るとか罰当たりもいいところですよというかそもそもエーテル体はとても硬くて斬れないことで有名じゃないですか!?」
そう、タギツが取り出したエーテル星晶体、もといエーテル体はこの世界に存在する物質の中でもとびっきり硬度が高いのだ。通常の手段では斬ることは叶わず専用の魔術を使用しないと加工できないほどの硬度を誇っている。通常のエーテル体でもそれなのだ。 これがエーテル体の最高峰たるエーテル星晶体となったらどうか。斬るどころか傷一つつけれられないと考えるのが普通の感覚だろう
「アナトリーならできるできる」
「出来ませんよ!?」
思わずツッコミを入れてしまったアナトリーであったがそんなこと意にも介さずタギツはそそくさと去ってしまった。残されたアナトリーはしばらく呆然としていたが、いつまでもぼーっとしているわけにもいかずアナトリーはとりあえず言われたとおりエーテル星晶体(タギツ本人の証言)を斬ってみることにした。
持ってきた剣を構えると大きく深呼吸をして目の前に浮かんでいるそれを思いっきり斬ってみた。
「うわぁ!!」
ガキィイイイイイインンンという甲高い金属音が中庭中に響き渡り、手にしていた剣が綺麗な放物線を描いてあさっての方向に吹っ飛んでいった。剣を握っていた手はもろに衝撃が伝わっていて震えていた。
「いったーい。・・・これ無理では?」
どうやってやればいいのか、まったく検討がつかない…
アナトリーは完全に行き詰ったこの状況に初めの頃ならいざ知らず、1か月死にそうになりながら鍛え上げられたアナトリーは実際の強さだけでなく、その心までもがとても小さな子どもとは思えないほど強靭なものになっていた。つまるところ先生たるタギツを絶対に一発ブッ飛ばしてやるとう反骨心をメラメラと燃やしながら幼き少女は剣を拾い上げた。
―――――
それから1週間が経過した。アナトリーはコツコツ鍛え上げた筋力とやっと使えるようになった魔術を駆使して物凄い勢いで剣を振るった。だがエーテル星晶体は斬れるどころか傷すらつかずその日は終わった。 次の日、アナトリーは身体強化の魔術を駆使して剣を振るった。一日目はがむしゃらに剣を振り過ぎたのだ。今度は一撃一撃の重さを重くした。だがそれでも斬れることはなかった。次の日もその次日も傷一つつけることなく1日が終わった。
このままではまずいと思ったアナトリーは考え方を変えてみた。習った魔術の中に相手の固さを下げて柔らかくする魔術があった。それを入念にかけてから思いっきり剣を振りかぶった。結果は1日目の再現となった。魔術をかけて確実に柔らかくはなっていたがそれでも斬れなかったのだ。
そこから幾度となく試行錯誤を繰り返してみたが細かい傷は入っているが斬ることは出来ていない。
「どうしよう。ほんとに斬れない」
アナトリーは焦燥を隠し切れなくなってきていた。試験まであと1ヵ月を切っているのに修行が完了しないのだ。はやくこの試練を乗り越えないといけないのに突破口がまるで見るからない。考えれば考えるほど答えが見つからずに完全に八方ふさがり状態に陥っていた。
不安な気持ちに押しつぶされそうになりこのままじゃ割ることばかり考えてしまうと思い、アナトリーは気分転換に街へ出てみることにした。普段は使用人が買い物を済ませるので街へ出ることはないし、仮に街へ出向くことがあってもほぼ使用人が同伴しているのだ。だが時折息抜きに一人で屋敷を抜け出して街へ行くことがありいつも秘密の抜け穴を使って街へ向かっているのだ。
今回も首尾よく街へ出向くと港町特有の磯の香りと主に波の音が聞こえてきた。街の人々はいつも通りの日常を過ごしていた。この街は特に海を隔てた向こうからの玄関口の意味合いもあり、海外由来の色々な品物が入りやすいのだ。それを求めている商人や貴族の使用人などもいるため国のなかでもとても栄えているのがこの街の特徴である。
「あれ? アナトリーちゃん!! どうしたのこんなところで?」
「あ、ラキさん!」
偶然にも先生たるタギツの冒険の相方をしているラキさんに出会ったのだ。それからは他愛のない話をしていた。修行はどうかや最近の冒険はどうだったかなどおもにラキの自慢話になってはいたがそれでもアナトリーにとっては心が落ち着く時間であった。
「そっか~ターちゃんったらまーたえっぐいことしてるんだね。いくら何でもそこまでやらなくてもいいのにね」
「いえ、先生のおかげで強くなれたのも事実ですから」
「でもね~ エーテル星晶体をぶった斬れって無茶苦茶いうよね。アレ斬るの大変なのにね」
「はい。あれはそもそも斬れるようなものではありません。先生はいったい何がしたいのかわかりません」
「ん?斬れない? 斬るのは大変だけど別に斬れないわけじゃないよ?」
「・・・え?」
「だから、斬れないわけじゃないよ?」
「えええ!?」
思わず声を上げてしまったがすぐに周囲を見渡してから声を潜めてラキに聞き返した。
「あの、あれって斬れるものなんですか? 実際あれの存在自体が伝説的と言いますか、そもそもエーテル体はそれ専用の魔術を使用して加工するものでして斬ることはできないはずでは?」
「う~ん、まあ本来はできないって言ったほうがいいのかもしれないね。でも君が言ったのはあくまでも原則的には専用の魔術を使用しないと加工することはできない。でもね実はひとつだけ抜け穴があるんだよね。といってもだれでもできるわけじゃないんだけど」
「教えてください!!」
「アナトリーちゃん落ち着いて!教えるから身を乗り出して手を握りしめて来なくても教えるから」
興奮気味のアナトリー落ち着かせたラキは街の広場のベンチに二人で腰かけながら手に串焼きをたくさん持ってそれを頬張りつつも、アナトリーが知りたいことを教えた。
「アナトリーちゃんはターちゃんから魔力操作の修行は受けているんだよね?」
「はい。もちろんです!」
「じゃあ魔力操作の精度を維持したままその魔力を持っている武器に纏わせてみて」
「魔力を武器に・・・ですか?」
「そう。魔力を限界まで圧縮してそれを武器に纏わせてぶった斬る。やることはたたことだけなんだ。でも限界まで圧縮した魔力を維持したまま剣を振るのってとっても大変なんだよね~ 私もできるにはできるんだけどさすがにターちゃんほどの圧縮度合いと精度ではできないんだよね」
「・・・わかりました。 ちょっとやってみます!」
一筋の光明を見出したアナトリーは、まるで何かを掴むように拳を握りしめ、瞳を輝かせながらよく街の石畳を駆け出しその背中を見つめていたラキは、持ってきた食べ物を食べ終えるとそのまま街へ繰り出していった。
屋敷へ戻ったアナトリーは早速言われた通りまず魔力を限界まで圧縮しそのままの状態で手に持った剣に纏わせてみた。剣の表面を魔力が覆っている状態になった。これならいけると思ったアナトリーだったが次の瞬間剣がバチンッ!!という音とともにはじけ飛んで空高く吹っ飛ぶとそのまま弧を描くように回転しながら落ちていき地面に突き刺さった。
「やっぱり、限界まで圧縮した状態で維持するだけでもかなり難しい!」
アナトリーの手から剣が弾かれるように吹っ飛んだのは限界まで圧縮した魔力の操作を誤ったからだがそもそも魔力を限界まで圧縮するということ自体普段やることがない上にその状態の魔力操作は凄く難しいのだ。まるで意思を持つ自然災害のような荒れ狂う魔力を完全に操作しきらなければならないのだ。ただ剣に纏わすだけでも疲れ果ててしまう。
それでもアナトリーはめげることなく地面に突き刺さった剣を引き抜くともう一度魔力を限界まで圧縮して剣に纏わせた。バチンッというとともにまたもや弾かれる。それを数えきれないほど繰り返してようやく制御するのに慣れてきたアナトリーは気を抜くことなく剣を振りぬいた。
ガキンッ!!という金属音が響き渡り手に衝撃が伝わり、手がしびれたがアナトリーは目の前の光景に驚いていた。
「うっそ・・・傷が入った?」
アナトリーが振るった剣によって今の今まで傷一つ付けることができなかったエーテル星晶体に僅かばかりだが傷が入っていたのだ。アナトリーは喜びの声を上げようとしたが魔力の制御を誤ってしまって手から弾き飛ばされた。
「いったーい! ・・・でも傷一つ入った。なら斬れる!」
そこから先はエーテル星昌体を斬るまでそれほど時間がかからなかった。ほんの少しの傷を一つまた一つつけていったアナトリーはすでに半分まで切れ込みを入れることに成功していた。日はすっかり落ちて辺りは真っ暗になり、魔力を限界まで圧縮してそれを纏わすということをずっとしてたため疲労困憊でフラフラになっていた。それでもアナトリーは手にした剣を話すことなく次の一撃を撃ち込もうとしてた。
ゆっくりと深呼吸して両手に握りしめた剣に何百回目か分からないほど反復して行った魔力の圧縮と制御、そして剣へと纏わせてから剣を構えてエーテル星晶体に斬り結んだ。
ピキッ
ヒビが入る音が聞こえてそこから一気に亀裂が広がるとエーテル星晶体は割れるように半分になって地面へと転がった。
「やった・・・?」
「・・・やはり君はやれたね」
「うわぁあ!?」
音もなくアナトリーの真横に現れたタギツは車椅子を動かして地面に落ちているエーテル星晶体を拾い上げると微笑みを浮かべながらそれを懐にしまった。そして振り返った彼女はヘロヘロになっているアナトリーに向けて一言告げた。
「次が最後の試練とする」
「え、もう終わりなのですか?」
「君は自分が思っているよりも強いよ。正直凄まじい魔力と天賦の才があるとは思っていたけどここまでやれるとは思っていなかった。途中で脱落するか大怪我して続行不能になるか、あるいは・・・ね」
「・・・本当に死ぬような修行つけてたんですか?」
「当然。でもそのおかげで今の君は王国の騎士団に所属する騎士よりも強いよ。もしかしたら近衛騎士にすら食らいつけるかもね」
「いや、さすがにそれは・・・」
「それほどの実力をつけたということさ。それを踏まえた試練を君に課す」
そこで言葉を一旦切ったタギツは何でもないことのように今までと同じように言った。
「僕を倒せ」
それから1週間後、タギツとアナトリーは最初に修行を行った山の頂上に来ていた。それだけではなくそこにはラキの姿もあった。何故この場にラキの姿まであるのかというと彼女は審判約としてここにいるのだ。
「それじゃあ準備はいい?」
「あの本当にやるのですか? 私では先生に絶対勝てないと思うのですが」
「さぁ、それは君次第だと思うけどね。それになにも全力の僕と戦えと言ってるわけじゃない。僕はギフトを使わないし魔眼も使わない。更に僕を倒せと言ったけど本当に倒す必要はないよ。攻撃を一発入れるだけでいい。それだけで倒したことにする。どう?これだけのハンデがあればさすがの君でも勝機があるように思えてきたでしょ?」
その言葉にアナトリーは確かにそれだけのハンデがあれば一撃入れるくらいならできそうだと考えた。それを聞いていたラキが何かとても言いたげな表情をしていたがアナトリーはそのことに気がつかず、大きく深呼吸したあと意を決してタギツに向き直った。
相対するタギツも車椅子に座った状態からゆっくりと空中に浮遊するとそのまま体を抱え込むように丸くなると今度は懐から分銅のついた長い鎖を取り出すと自身の身体を浮かせるのと同じように鎖を浮遊させた。
「それじゃあ、はじめようか」
そういうと同時にタギツは鎖の分銅を空気を裂くような音を立てながらアナトリーに向けて放った。とっさに避けたアナトリーはゴロゴロと転がるように移動して体勢を立て直した。先ほどまで自分がいた場所の地面に分銅がめり込み、タギツは勢いよく引き抜くと今度は鎖を横なぎに振るった。それをギリギリのところで回避するとアナトリーは踏み込んで接近しようとしたがそれを妨害するように分銅が飛んできて接近できなかった。
ならばと魔術に切り替えて火炎弾を撃ち込んでみるがタギツはタイミングを合わせてちょうど自身に当たるタイミングで防御魔術を使って防いだ。間髪入れずにアナトリーは身体強化の魔術を使って行動速度を加速させ、更に魔力を圧縮するとそれを剣に纏わせて一気に駆け出した。身体強化による加速と圧縮した魔力を纏った剣による火力のコンボ。
アナトリーが今出すことのできる戦闘方法としては最も最適解の戦い方で斬りかかったが紙一重で躱されてしまう。
「でも、躱した。先生はあれだけ正確に防御魔術を展開することができるのにわたしの攻撃を防ぐのではなく避けた。ということは防御魔術で防げないのですね?」
「はて?なんのことかな」
「あくまでも白を切るつもりですか。いいですよこのままー」
「押し切ってみる?」
次の瞬間タギツは体の周りに浮遊させていた鎖に魔力を纏わせてアナトリーの剣に叩きつけた。金属同士がぶつかり合う音とともに火花が散ってアナトリーは吹っ飛ばされた。すぐに立ち上がって駆け出したアナトリーだったが今まで以上に鎖による薙ぎ払いと吹き飛ばしそして分銅による打撃と防御魔術による防御によって攻防一体となったタギツを攻略するのは容易ではなかった。
傍目から見ていたラキは内心うわぁ・・・と思いながらも絶妙な力加減だとも思っていた。本当に本気でやったらタギツはおそらく1秒で叩き潰していただろう。といってもそれでアナトリーが弱いかと言えばそうではなくむしろこの年齢の子どもではありえないほど強い。
そこから一進一退の攻防がしばらく続き山の山頂が段々と荒れ始めてきた。地面は抉れ木々は倒れていたるところで土煙が上がっていたのだ。タギツは表情一つ変えることなく無傷で浮遊している、一方のアナトリーは徐々に押されていき、致命傷は受けずとも全身いたるところに傷を負って血を流していた。
「その程度? 僕としてはこのくらい乗り越えてくれないと修行をつけたいみがないのだけれど」
「まだ・・まだ!」
「威勢だけじゃ僕には勝てないよ?」
アナトリーはタギツから目を離さないようにしつつ必死に考えた。どうしたらいい?どうやれば先生のあの鎖の攻防を突破して防御魔術を貫通して更に攻撃を避ける前に当てることができるのか。・・・というかできるのかそれ?
そんなことが頭をよぎったアナトリーだったがすぐに自分の心を叱咤してすぐに考えを改めた。そして一つ思いついた方法を試してみた。
「・・・無理だ、いや、やるしかない。やるしかないんだ!」
アナトリーは自らを奮い立たせ、わずかな希望に賭けることにした。 「鎖の軌道を『読む』。そして、その一瞬の隙をつく・・・!」
タギツの鎖は複雑に絡み合い、まるで生き物のようにアナトリーを追い詰めてくる。しかし、その完璧な攻防にも必ず「パターン」があるはずだと信じた。
―― 視界が狭いなら、心の眼で見る。
アナトリーは深呼吸し、魔力を全身に巡らせると、目を閉じて精神を研ぎ澄ました。次の瞬間、脳内には無数の鎖の軌道が光の筋として描き出される。
(見える・・・!)
鎖が迫る瞬間、アナトリーは最小限の動きで回避し、手にした剣に魔力を纏わせて一閃。鎖と剣がぶつかり合い鎖が一瞬緩み、その「一瞬の隙間」を突き、タギツの鎖の間合いの中に入り込むと今度は氷魔術を使って地面を凍らせそのままスライディングするように突っ込んだ。
アナトリーはそのまま浮遊するタギツの真下を通り抜けると土魔術で地面を持ち上げて体を捻るように回転しながら剣を振りぬいた。刃が生み出した風圧が足元の土塊を砕きながら弧を描き、タギツのオレンジ色の防御魔術に激突すると木っ端みじんに粉砕した。だが、タギツは即座に防御魔術を張り直し、アナトリーの剣を防御魔術で受け止めた。しかしアナトリーの狙いは別にあった。剣の一閃に隠れて放たれたもう一つの魔術が、起動して剣を持っている方とは逆のもう片方の手から撃ち込まれた。
驚いたのか目を見開いていたがとっさに攻撃を回避した。その直後
「おりゃぁあああ!」
いつの間にか肉薄していたアナトリーが剣を振り下ろしタギツに斬りかかっていたが、ギリギリのところで鎖による迎撃に成功した。だがその反動で大きく仰け反り地面に手をついてしまい隙が生まれてしまった。ほんの一瞬の隙だったがアナトリーは見逃さなかった。
体勢を立て直そうとしたタギツの手を氷魔術で氷漬けにし、動きが止まった一瞬の間にありったけの魔力を圧縮して剣へ纏わせて身体強化魔術を更に重ね掛けし、更に風魔法で自分の身体を前方へ吹っ飛ばしながら一気に間合いを詰めて斬りかかった。
とんでもない爆音とともに衝撃波が遅れてやってきてすれ違いざまに交錯した。 アナトリーはそのまま止まることが出来ず真っすぐ吹っ飛ぶとゴロゴロと転がって地面に倒れこんだ。
「ハァ ハァ ハァ これでも・・・だめなの」
息も絶え絶えで全身傷だらけのアナトリーは、泥と血に塗れた顔を歪めながら、力なく崩れ落ちた体を仰向けに横たえたまま、空に溶け込むように静かに浮遊しているタギツを見上げて呟いた。視界は霞み、激痛で四肢は痺れ、何度も限界を超えて振るわれた魔力はすでに枯渇していた。手に握り締めていたはずの剣は、先程の激しい衝撃に耐えきれず砕け散り、その破片すらも地面に散乱している。正直既に限界だった。
「でもまだ・・・諦めるわけにはいかない!!」
「いや、ここまでだよ」
「いやです! わたしはまだ―」
「君の心意気はとても素晴らしいのだけれどね。君はもう限界を迎えている。ここで終了だよ」
そんな・・・ショックを隠し切れないと言った表情のアナトリーに、相変わらずの涼しい表情のタギツが何をそんなに暗い顔をしているんだ?と不思議そうにしながら言った
「最後の試練は合格だよ」
「・・・え?」
「だから合格」
「うそ・・」
「本当だよ」
ほら、と言ってタギツは己の手の甲を見せた。そこには一直線に斬られた跡があり更に衝撃を受けて損傷したのか所々黒く変色していた。 間違いなくアナトリーの攻撃が入っていた。攻撃を一度でも入れることが出来たら合格。その言葉の通りにアナトリーは最終試練に合格できたのだ。アナトリーは一瞬何が起きたのか理解できず、呆然とタギツの手の甲を見つめた。確かに自分の攻撃が届いていた。それでも、信じられなかった。
「……わたしが、本当に?」
震える声で問いかけるアナトリーに、タギツは優しく微笑んで頷いた。
「そうだよ。君はやり遂げた。たとえ限界を超えても、最後まで諦めなかったその意志が、刃となって私に届いたんだ」
アナトリーの目にじわりと涙が滲む。これまでの苦しい鍛錬、幾度となく挫けそうになった日々が走馬灯のように蘇る。けれど今、その努力が報われた。
「……ありがとう、ございます……!」
溢れる涙を拭いながら、アナトリーは深々と頭を下げた。その姿にタギツは満足げに微笑んだ。
―――――
それから数日が経った。 屋敷にやってきたタギツは、重厚な家具と豪華な装飾品で溢れ、静かに燃える炎が揺らめいている暖炉のある高貴な雰囲気漂う部屋で待っていた。タギツ優雅に紅茶を啜りながら、アナトリーに何かを渡したいと伝えられていた。気品ある雰囲気の中で、時間はゆったりと流れ少し時間が経った後部屋にアナトリーがやってきた。
「お待たせしてしまい、申し訳ございません、先生。実は、今日が最後の日なので、どうしても先生にお渡ししたいものがあって……ずっとこの機会を待っていました。お忙しいところを引き止めてしまってすみませんが、どうか受け取っていただけませんか?」
そういってアナトリーは一つの箱をタギツに渡した。艶やかなマホガニー材で作られたその箱には、蓋の中央に優美なネリネの花が彫刻されており、繊細な曲線がまるで風に揺れるかのように施されている。金色の小さな留め金を外し、そっと蓋を開けると、中には精巧なオルゴールが収められていた。オルゴールの側面には同じネリネの花が象嵌細工で飾られ、ゼンマイを巻くための真鍮製の小さな鍵が添えられている。
「とても素敵なオルゴールだね」
「はい!先生にはお世話になりました。できればずっとこのままこの街にいてほしいです。ですが先生は冒険者で旅人です。ですのでわたしが引き留めるわけにもいきません。ですのでせめてこのオルゴールを贈らせてほしいのです。
この街には古くから大切な人が旅立つときにその人の旅の無事と幸福を願ってオルゴールを送るのでどうか受け取ってください」
「そう。ありがとう。大事にするよ」
タギツはアナトリーから受け取ったオルゴールの蓋をそっと開き、ゼンマイの鍵を廻した。そこから流れ出した旋律は、どこか懐かしく、そして優しい響きを持っていた。
「……いい曲だな」
タギツが呟くと、贈り主の少女は嬉しそうに微笑んだ。
「この曲は、この街に伝わる子守唄を元に作られたものです。旅先で寂しくなったら、これを聴いてくださいね」
「……ああ、そうさせてもらうよ」
タギツはオルゴールを大切にしまい、少女の頭を優しく撫でた。そして、周囲を見渡す。ここで過ごした日々の記憶が胸に去来し、柄にもなくほんの少しだけ別れの寂しさが込み上げてくる。
しかし、旅人は歩みを止めないものだ。
「それじゃあ、行くよ」
「はい。どうか、お元気で」
少女が深く一礼すると、タギツは背を向けて車椅子の車輪を回し屋敷を去っていった。冒険者ギルドに戻ると情報が更新されておりどうやら王都から騎士団が到着してすでに航路に居座っていたカリュブディスとスキュラが討伐されて東側の航路が開通していた。なのでその日のうちにラキとも合流し明日には冒険者ギルドを出立して船に乗って航海の旅へ出ることとなった。
冒険者ギルドの屋根の上で夜の海風に髪を靡かせながらオルゴールの音色に耳を傾けたタギツの隣にラキがやってきて屋根に寝転がりながら話しかけてきた。
「ターちゃんそのオルゴールどうしたの? ターちゃんらしくないね」
「僕が持ってるのがそんなにおかしい?」
「全ーッ然おかしくないよ~ いい音色だね」
「これはアナトリーからもらったものだよ。旅人の無事と幸福を祈るものだそうだよ」
「へぇ、素敵だね! アナトリーって優しい子だね。……でも、ターちゃんがこういうのを大事にしてるの、なんか新鮮かも。いつもなら他人嫌いで積極的に他者と関わらないのに」
「そういうときもあるよ。」
そういうとラキと同じように屋根に寝転がり空を見上げた。満天の星空がどこまでも広がり、無数の星がまるで宝石をちりばめたかのように輝いている。大きく瞬く星もあれば、淡く儚げに光る星もあり、それぞれが静かに夜の闇を彩っていた。空気は澄み渡り、遠くの星までくっきりと見える。時折、流れ星が尾を引きながら夜空を横切り、その軌跡はほんの一瞬で消えていきとても美しかった。
遠くで夜鳥が一声鳴き、世界は静かに眠りにつく。
おしまい