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旅人ちゃんの紀行日記  作者: きりん
20/22

黎明の国の魔法少女たち 第五編

■アステリア 中枢コアの塔


 タギツと黎明の魔女ダウナの戦いが始まった直後。

 アステリアはタギツから「ダウナは僕が相手をする。君はヴェグリスト王国のリュディア王女を救って」と言われ、単身で王女の救出に挑んでいた。


 だが――


「これ・・・どうやって助ければいいの?」


 目の前に立ち塞がるのは、黒紫色の植物の蔦で編まれた巨大な球体。

 その中にリュディア王女が閉じ込められているのが分かる。蔦はただの植物ではなかった。

 脈動するかのようにうねうねと蠢き、時折、不気味なざわめきを立てながら締め付けを強めていく。

 しかも球体の奥へと続く蔦が王女の身体に絡みつき、淡い金色の魔力をじわじわと吸い上げているのが見えた。王女の顔色は青ざめ、意識も朦朧としている。


「くっ・・・!」


 アステリアは力任せに蔓を握り、渾身の力で引き千切っては放り投げる。

 乾いた音を立ててちぎれた蔓は地に落ちると灰のように崩れ去る。

 だが、切り払った傍から、床や壁から新たな蔓が芽吹くように伸び出し、すぐに空いた隙間を塞いでいく。


 彼女は拳に魔力を圧縮し、思い切り振り抜いた。

 ドガァンッ!

 黒紫の蔓の壁は一気に吹き飛び、爆ぜる木片の雨が散った。

 その向こうに――かすかに王女の姿が見えた。


「王女様!」


 アステリアは迷わず駆け込もうとする。

 だが、残っていた蔓が素早く動き、彼女の腕や脚に巻き付き、まるで外敵を拒むように外へ弾き飛ばした。


「なっ・・・!?」


 叩きつけられたアステリアが体勢を立て直す間にも、床から無数の蔓が生え出して再び王女を覆い隠していく。

 まるで王女を「獲物」として絶対に渡すまいとするかのように――。


 焦燥感が胸を焼いた。

 高火力の魔法を撃てば、この忌まわしい植物の牢獄ごと吹き飛ばすことはできる。だが、それでは中の王女も無事では済まない。


 アステリアは歯を食いしばりながら、目の前の黒紫の蔓を次々と殴り飛ばしていった。拳に宿した魔力が炸裂するたびに蔓は木っ端みじんに吹き飛ぶ。だがその奥でリュディア王女を包み込む繭は、まるで意地のように再生し、再びうねうねと蠢いて王女を覆い隠していく。


「しつこいっ! いくら壊してもキリがないじゃないの!」


 息を荒げながら叫ぶアステリアの目に映ったのは、じわじわと光を帯び始めた球体だった。蔓に吸い上げられた王女の魔力が、表面に脈打つように浮かび上がっている。


 ――ドクン。


 球体の下部が大きく脈打ったかと思うと、床を突き破って何本もの巨大な蔓が生えた。根にも似たそれらはうねりながら床を掴み、やがて足のような形をとる。


「・・・は?」


 アステリアが目を見開いた次の瞬間――


 ゴゴゴゴッ、と塔全体を揺るがす音を響かせながら、黒紫の球体はズシンッと立ち上がった。そして・・・。


 ――ドドドドッ!!


 信じられない速さで走り出したのだ。


「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!? ・・・って、走るの!? んなことある!?」


 アステリアの悲鳴じみたツッコミを置き去りにして、蔓の檻は塔の端まで行くと蜘蛛のように塔の側面に穴をあけながら降りて行き、街中へと飛び出していった。


 突如現れた異形の物体に、街の人々は悲鳴をあげる。


「ひぃぃっ!? な、なんだあれ!?」


「悪魔の卵が走ってきたぁああ!!!」


「逃げろぉおお!!」


 黒紫の球体がズシンッ、ズシンッと地を蹴りながら疾走するたび、石畳が砕け、建物の窓ガラスがビリビリと揺れた。逃げ惑う住民たちの間を突っ切り、檻はまっすぐに街の外を目指して駆け抜けていく。


「何なのよあれはぁあああ!!??」


 アステリアは頭を抱えつつも必死に後を追った。振り返れば、球体は後方に無数の蔓を伸ばし、彼女の進路を阻もうとする。鞭のように振り下ろされる蔓を斬り払い、かわしながら進むが、その隙に檻はさらに速度を上げていく。


 塔の崩れ落ちる瓦礫と、逃げ惑う住民の混乱。その中心で、魔女の檻はまるで生き物のように疾走し、アステリアはその後ろ姿に向かって叫んだ。


「絶対に逃がすもんですかぁああ!!!」


 アステリアは走りながら振り下ろされる蔓を両腕で掴み、そのまま全力で引き絞った。


「おりゃあああッ!!」


 筋肉が悲鳴を上げるほど力を込めて引き倒すと、蔓でできた巨大な球体はバランスを崩し、ズシャアッと鈍い音を立てて石畳に転がった。地面に擦れる音とともに土埃が舞い、周囲の住民たちが息を呑む。


 再び起き上がる前に、アステリアは素早く駆け寄り、腐りかけた球体の表面に両腕を回してがっしりとしがみついた。黒紫の外殻は生き物の皮膚のように脈打ち、まるで心臓の鼓動をそのまま掌で触れているかのようにドクン、ドクンと不気味に波打っていた。触れた瞬間、ぬるりとした嫌悪感が手のひらに広がり、冷たい粘液が指の隙間を伝って滴り落ちる。


 するとすぐさま数本の蔓がアステリアの腕に絡みついた。締め付けるだけではなく、そこからじわじわと魔力が抜けていく感覚が走る。体内から血を抜かれるような、嫌な虚脱感。


「・・・っ、吸ってる・・・・・・私の魔力まで!」


 王女からだけでは飽き足らず、今度は彼女の魔力すらも糧にしようとしているのだ。あるいは、追撃を封じるために彼女の力を奪い動けなくするつもりか。だがアステリアは、逆に口元を歪ませた。


「いいわ・・・吸うなら、吸えばいい。これはそのために準備してきた魔法だから」


 そう呟き、彼女は両の手を深く外殻に押し当て、自らの魔力を一気に注ぎ込む。普通であれば、そのまま生命力を失い弱っていく一方だ。だがアステリアの魔力には特殊な術式――奪った相手の体内で猛毒へと変質し、逆流する呪い――《リバース・ヴェノム》が仕込まれていた。


 次の瞬間、球体全体が大きく震えた。


 ドクン、ドクンと不規則に打ち鳴らされる心臓のような鼓動。蔓の色が黒紫から濁った灰色に変わり、表皮のあちこちが膨れ上がっては破裂し、じゅくじゅくと腐汁を垂れ流す。うねっていた蔓の動きはぎこちなくなり、痙攣するように震え続けた。


 それでもなお、蔓の球体は王女を守るように身体を丸め、残った足のような蔓で地面を擦りながら必死に逃げようとする。ゴリッ、ズリズリ……と石畳を削り、まるで巨大ななめくじが這うかのように。


「・・・まだ動けるの!? しつこいっ!」


 アステリアは眉を歪め、さらなる魔力を送り込んだ。毒が濃くなるにつれ、球体は苦痛にのたうち、腐りかけた外殻から膿のような液体を撒き散らす。それは強烈な腐臭を放ち、周囲の空気さえ淀ませた。


 その時――


「・・・た、すけ・・・」


 かすかな声が、球体の奥から聞こえた。リュディア王女のか細い声。衰弱しきり、今にも途絶えそうな命の音。それでも生きている――!


「大丈夫、絶対助けるからッ!」


 アステリアは渾身の力で絡みついていた蔓を引きちぎり、次々と外殻を破壊していく。今度は再生も妨害もなく、毒に侵された蔓はただ腐れ落ちるばかり。隙間から見えたのは、青白くやせ細ったリュディア王女の姿だった。


 アステリアは片腕を突っ込み、力いっぱいに王女の身体を抱きかかえる。


「うあああああっ!!!」


 全身の筋肉が軋む。だが彼女は最後の蔓を振りほどき、王女をそのまま球体の外へ引きずり出した。


 ずしりと腕に伝わる重みと、かすかに震える心音。アステリアは安堵の息を吐いた。


「・・・生きてる。よかった・・・!」


 背後では、毒に蝕まれた蔓の球体が断末魔のように身をよじり、最後の痙攣を繰り返していた。のたうち回るように動くその姿は世にも悍ましい姿だがそのうちの一本の蔓が地面をズルズルと引きずりながらこっちへ近づいてきて王女へと伸びてきた。まだ諦めていなかった。

 アステリアは火炎魔法の魔方陣を展開すると残った蔓すべてを灰になるまで燃やし尽くし、跡形もなく消し飛んだ。


「これで、救出完了~。 さすがにちょっと疲れた・・・」


 アステリアは王女を抱えたまま周囲を見渡した。建物がたくさん倒壊している上に人々が恐る恐るこちらの様子を伺っていた。皆一同に先ほどの異形の存在が何だったのか?もういないくなったのか?と疑問に思っていたがアステリアがそれに答えるよりも先に先ほどの騒動をはるかに上回る破壊と激戦が物凄い速さで駆け抜けていった。


「タギツさんッ!!やり過ぎ!街壊してるってッ!!」


 アステリアの必死の叫びもタギツの耳に入ることはなく、虚空にきえていき、代わりに別の方向から二人の人影が走ってきた。


「アステリアさん!無事ですわね!?生きてますわね!?」


腕の中に抱えたリュディア王女の体温を確かめるように感じながら、アステリアは荒い息を吐いた。腐敗した蔓の残骸が辺りに散らばり、強烈な臭気がまだ鼻を刺す。そんな中、石畳を駆けてくる足音が聞こえた。


「アステリアっ・・・! 無事!? 本当に無事なの!?」


 声を張り上げて駆け寄ってきたのはアナスタシアだった。彼女は瞳を潤ませ、何度も何度も同じ言葉を繰り返す。まるで本当にアステリアがここにいるのか確かめたいかのように。


 アステリアは軽く笑みを浮かべて答えた。

「大丈夫よ、私は。ほら、ちゃんとここにいるでしょ」


 そのすぐ横に、冷静な足取りでミレイが現れた。髪を翻しながら、周囲を警戒する視線を決して緩めない。二人の様子から見ても、向こうの作戦は成功したのだろう。


 アナスタシアの視線がふとアステリアの背へ移った。そこには青ざめて意識を失っているリュディア王女の姿があった。


「・・・この方が、王女ですの?」


 おずおずと尋ねてくる声に、アステリアはこくりと頷く。


「そうです。リュディア王女・・・無事に救い出しました」


 その瞬間、隣のミレイが一歩前に出て強い調子で言った。


「では、王女様を安全な場所へ避難させましょう。ここは危険すぎます!」


 彼女の鋭い声にアステリアもハッとする。振り返った先には、瓦礫と炎に覆われた廃墟が広がり、そのさらに奥――視界では捉えきれないほどの速さでぶつかり合う二つの影があった。


 タギツと黎明の魔女ダウナ。衝突のたびに空気が震え、廃墟だった建物がさらなる瓦礫へと変わっていく。轟音が響き渡り、耳の奥まで圧が押し寄せる。


 まるで神話の戦いを目の前にしているかのような光景に、ミレイは唇を固く結んだ。


「・・・あれ以上近くにいては、王女様も私たちも無事では済みません」


 アステリアは背負う王女の重みを確かめ、汗で濡れた前髪を払った。


「・・・ええ。わかったわ。まずは王女を安全な場所へ―――」


 耳を劈く轟音が響き、戦場を覆っていた空気が一変した。

 タギツとダウナが暴風のように戦っている方向とはまったく別の方角――その空から何かが落ちてくる。


 ――ドガァァァンッ!!


 崩れかけていた建物に衝突したそれは、瓦礫を四方に撒き散らし、衝撃波で石畳を軋ませながら土煙を巻き上げた。空気が震え、瞬く間に視界が真っ白な煙に閉ざされる。


「・・・な、なに・・・今の・・・?」


 アステリアが息を呑む。アナスタシアとミレイも思わず身構えた。だが答える暇もなく、第二の衝撃が戦場を揺るがした。


 ――ズドォォォォォンッ!!!


 大地を抉り、さらに別の何かが猛烈な速度で突き刺さる。石畳がめくれ上がり、砂塵が爆ぜるように弾けた。

 混乱と轟音の中、一瞬の沈黙が訪れる。

 カラカラ・・・と崩れる瓦礫の音だけが響いた。


 風が吹き抜け、煙が薄れていく。視界が徐々に開けたとき、そこに立っていたのは――


 “白”そのものの少女だった。


 雪をも超えるほど純白の長い髪が無風の中でゆらりと揺れる。

 生気を感じさせない肌は蝋細工のように白く、纏っているワンピースさえも影すら寄せ付けないほど眩い。

 それは人間の形をしているのに、なぜか“生きている”という感覚をまったく与えなかった。

 そこに立つ少女は、ただ立っているだけで世界の音をすべて奪い去る。喧騒に満ちていた戦場が、一瞬で張り詰めた静寂に包まれた。


 アステリアは背負っている王女を庇うように身を寄せる。

 視線の先、瓦礫の山には血まみれのレイナが横たわっていた。

 無数の裂傷と擦過傷に覆われ、全身が血で染まっている。口元から血を吐き、荒い息をしながら、もはや立ち上がることもできずに地面に這いつくばっていた。


「・・・っ、レイナさん!!!」


 アステリアの声に反応して、レイナはわずかに顔を上げる。

 その目はまだ光を失っていないが、痛みに歪み、今にも意識が途切れそうだった。


 ――そんな彼女のすぐそばに、“白い少女”は立っていた。


 その瞳は空っぽだ。光も感情も宿していないはずなのに、そこには圧倒的な“意志”が存在していた。

 人ではない、何か。

 戦場を支配する静寂は、彼女の存在そのものが放つ圧迫感からくるものだった。


「・・・まさか、ホロウメイデン!?」


 ミレイの声がわななく。

 その一言で、空気の温度がさらに下がったような錯覚がアステリアの背筋を走る。


「またですの!? 一体何体いますの!?」


 アナスタシアが眉間に皺を寄せ、うんざりとした声を上げる。しかしその声音には、苛立ちよりも恐怖と警戒の色が濃かった。


 少女は表情一つ変えず、ゆっくりと首を傾ける。

 そのわずかな動作だけで、空気が軋むような緊張が走った。





 ――ホロウメイデン№.01《リリウム》





 最初にして最後、そして最強のホロウメイデンが、そこにいた。


 白い少女――ホロウメイデンNo.01《リリウム》は、一歩も動かずにそこに立っていた。

 その姿は人間の形をしているのに、血の気のない陶磁器のような肌と真っ白なワンピースが、まるで戦場の中に現れた“異物”のように浮いて見える。風も吹いていないのに長い白髪がふわりと揺れ、視線だけで全員を射抜くような緊張感を放っていた。


 アステリアはその少女から目を逸らさずに、静かに背中の王女を抱え直した。そして隣のアナスタシアとミレイを見やる。


「アナスタシアさん、ミレイさん。リュディア王女を・・・安全な場所へお願いします。」


 声は落ち着いていたが、その表情には決意の光が宿っていた。


 アナスタシアは驚いた顔でアステリアを見つめ、すぐに王女を受け取ろうと手を伸ばす。その瞳には、戦場に立ち続ける者同士だからこそわかる“覚悟”を見たような、言葉にならない複雑な感情が浮かんでいた。

 ミレイは青ざめた顔で首を横に振りながら声を上げる。


「アステリアさん!無茶ですッ!! 一人で倒せる相手ではありません!!」


 その声には焦りと恐怖、そして仲間を失いたくないという想いが滲んでいた。それはそうだろう。ミレイはホロウメイデンとの戦いをまじかで見てきたし、実際に相まみえたこともある。その脅威を身にしみてわかっていた。それはアナスタシアも同様であり、本当は一人で戦わせたくない。


 だが、アステリアはそんなミレイに優しく微笑んだ。


「大丈夫。私がなんとかしますから。」


 穏やかな微笑みだった。震えも迷いもない、自らの命を懸けてでも守るという強い意志を宿した笑み。

 その表情に、ミレイは言葉を詰まらせるしかなかった。


「さぁ、行ってください!」


 アステリアは王女をしっかりと二人に託すと、一歩前に踏み出した。


 石畳に響く足音は重くも静かで、戦場の騒音の中でもはっきりと耳に届く。

 白い少女――ホロウメイデンは相変わらず微動だにせず、無機質な視線でアステリアを見つめている。まるで敵意すら存在しないかのように、ただそこに立つだけ。

 だがアステリアにはわかっていた。あれは、ほんの一瞬でも気を抜けば命を奪われる存在だ。それも感じられる威圧感が戦ったことのあるホロウメイデンよりももっと強烈だった。


 背後でミレイが、悔しそうに歯を食いしばりながら王女を抱え直す気配がする。


「・・・必ず、戻ってきてください・・・!」


 小さく震える声が耳に届く。


 アステリアは振り返らず、ただ前だけを見据えたまま静かに息を吐き、ゆっくりと構えた。


(さて、大見え切ったはいいけど、どうやって倒すか。せめて行動不能くらいにできればいいけど)


 アステリアが目の前のホロウメイデンに警戒しながらもどうやって倒そうか考えているとアステリアの体をかすめて風圧が突き抜けた。次の瞬間、目の前の石畳が陥没し、数メートル先の建物が一瞬で粉砕されて崩れ落ちる。

 ――避けたのはアステリアの方ではなかった。ホロウメイデンNo.01《リリウム》の小さな拳が、たった一撃でその惨状を生み出したのだ。


「ッ・・・!」


 アステリアは全身に汗が滲むのを感じながら後退し、間合いを取った。だがリリウムは無言のまま、ゆらりと首を傾けるだけ。その瞳には何の感情も浮かばず、ただ冷たくアステリアを“対象”として見据えているだけだった。


 次の瞬間、リリウムの小柄な身体が掻き消える。


「っ――!」


 反射的に腕を交差させて防御した刹那、衝撃が骨を軋ませる。アステリアは吹き飛ばされ、石畳を何度も跳ねながら滑っていった。

 肺の中の空気が全部吐き出されるほどの衝撃。魔力で強化した身体でさえ、まともに受ければ粉砕されかねない威力だ。


(・・・速い! それに・・・硬すぎる!)


 さっきから魔法で牽制しても、リリウムは微動だにせず、光弾を弾丸のような動きで回避するか、正面から受けて小さな擦り傷を作るだけ。

 小柄な少女の体に見えるが、そこに宿る力はまるで戦車どころか城壁そのもののようだ。


 リリウムはゆっくりと歩み寄る。その小さな足音が、崩壊した街並みの中で不気味なほど鮮明に響く。

 アステリアは呼吸を整え、魔力を練り上げた。迎撃の準備はできている――はずだった。


 しかし次の瞬間、視界の端で空気が歪む。


「――っ!」


 反応する間もなく、リリウムの白い拳が目前に迫っていた。

 全力で後退しようとするが間に合わない――そう悟った瞬間。


 ――ズガァンッ!!


 轟音と共に、横合いから白い影が吹き飛ぶ。

 リリウムの身体が弾丸のように宙を舞い、瓦礫の山へ叩きつけられた。


「・・・はぁっ、はぁっ・・・っぶねぇ・・・っ!」


 荒い息を吐きながら、レイナがアステリアの前に着地した。全身が血で濡れ、服は破れ、戦闘の痕跡が痛々しい。しかし、その眼光は決して死んでいなかった。


「レイナさん・・・・・・!」


「・・・あいつは、とんでもなく硬い。」レイナは呼吸を整えながら低く言う。「しかも凄まじい再生力も持っている。一撃で葬れる方法はあるか!?」


 アステリアは一瞬の逡巡の後、強く頷いた。


「・・・できなくても、やるしかないですよ。レイナさん。」


 魔力の奔流を解き放つように周囲の空気を震わせる。アステリアの足元に真っ黒な光を放つ魔方陣が展開された。


「それにレイナさん。私には“アレ”がありますよ?」


「ッ!・・・了解した!」


 二人の視線が再びリリウムを捉える。

 瓦礫の山からゆっくりと立ち上がった白い少女―リリウムは、全くの無傷だった。白い肌もワンピースも汚れていない。まるで先程の蹴りが“なかった”かのように。

 その無表情の顔に浮かぶ感情は、ただの一欠片もない――だからこそ、恐ろしい。


 レイナは剣を逆手に構え、足を踏み込む。アステリアは後方で詠唱を始め、周囲の瓦礫や石畳が魔力に共鳴して震える。

 相対するは、最強のホロウメイデン。


  鋼のような殺気が交差する。

 レイナは逆手に握った剣を、腰を沈めた体勢から一気に斬り上げた。火花のように光が走り、リリウムの白い体を切り裂かんと迫る。

 ――だが、乾いた衝撃音。リリウムの小さな拳が刃を正確に叩き、攻撃の勢いを殺していた。


「ッ・・・!」


 刃を押し返されながらも、レイナはそのまま二撃目を繰り出す。横薙ぎの一閃。続けて三撃目は下段からの突き。

 リリウムは無表情のまま、わずかな体の傾きで刃を躱し、拳で受け流す。金属が骨を打ちつけるたび、火花のような魔力の閃光が散った。


「はああッ!」


 レイナが交差するように斬り払う。刹那、リリウムは細い足をひらりと動かし、跳躍で間合いを外す。

 レイナは素早く後退し、息を整えた。瞬間的な交戦の中で、すでに全身が汗に濡れている。


「・・・ッ!」


 リリウムが静かに手を掲げた。その掌から魔力の粒子が溢れ、光が凝縮していく。

 次の瞬間、彼女の手には銀白の長大なハルバートが形成されていた。無駄のない動作で柄を握り、無表情のまま振りかぶる。

 空気が悲鳴を上げる。振り下ろされた瞬間、ハルバートの刃が石畳を粉砕し、破片が弾丸のように四散した。


「っ・・・!」


 レイナは横に跳んで躱す。その瞬間を狙うように、リリウムはハルバートを即座に消し、今度は短めの双剣を創り出した。

 交差する刃。高速で繰り出される刺突と斬撃。レイナは必死に剣を振るい、間合いを保とうとするが、リリウムの動きは常に半歩先を行っていた。

 紙一重で攻撃をいなすと、レイナは思い切って距離を取る。しかしその瞬間、リリウムは再び武器を切り替えた。


 ――ゴウン、と鈍い音が空気を揺らす。

 彼女の手には鎖が握られ、その先端には巨大な鉄球。表面には無数の棘が生え、まるで処刑具のようだ。

 リリウムが細い腕を軽く振り抜く。鎖が唸りを上げ、鉄球が矢のような速度でレイナに迫った。


「っ――!」


 反射的に跳び退った瞬間、さっきまでレイナが立っていた地面が爆発的な衝撃で陥没し、石畳が粉々に砕け散った。

 凄まじい破壊力。もし直撃していたら、肉体は跡形もなく砕けていただろう。


「こいつ・・・!」


 レイナは歯を食いしばりながらも後退し、視線をアステリアへ送った。

 戦闘の主導権が切り替わる。今度はアステリアが杖を振り上げ、魔力の奔流を放った。


「――《フレアランス》!」


 炎の槍が矢継ぎ早に放たれる。爆炎の光が闇を照らし、轟音が廃墟を揺らす。続けて氷結魔法が地面を凍らせ、風切魔法が鋭い刃となって飛ぶ。

 雷撃が落ち、爆発が連続する。周囲の空気は熱と魔力で灼け付いた。


 しかし――


「・・・っ!」


 アステリアは息を呑む。

 リリウムの防御はあまりに完璧だった。


 彼女は防御障壁を半球状に展開せず、着弾の瞬間、その一点だけに魔法を集中させる。

 炎の槍がぶつかれば、その直前に障壁が展開され、ピンポイントで魔力を吸収して霧散させる。

 氷も風も雷も、すべて同じ。まるで“未来を予知”しているかのような精度で魔法を潰していく。

 一点防御ゆえに障壁は桁外れの強度を誇り、アステリアの攻撃はことごとく弾かれ、傷一つ与えられなかった。


(・・・っ、駄目・・・! 届かない・・・!)


 圧倒的な力の前に、アステリアの胸がわずかに軋む。

 それでも攻撃の手は止めない。牽制でも時間稼ぎでもいい――次の一手に繋げるために。


 だがリリウムは、ほんのわずかに首を傾けるだけ。

 白い髪がゆらりと揺れ、その顔には一切の感情がない。


 ただ“敵を排除する”という本能だけがそこにあった。

 リリウムは感情の一切を欠いた眼差しで、アステリアたちを見据える。そこには怒りも憎しみもない。ただ“そうプログラムされた”かのような無慈悲な殺意だけが漂っていた。

 アステリアの背筋を冷たい汗が伝う。このままでは――魔法の構築が完成する前に、潰される。


(時間が・・・足りない・・・!)


 歯を食いしばる。自分が距離を取って魔法の構築に専念すれば、レイナが落とされるのは目に見えている。せめて――あと一人、二人でも時間を稼げる仲間がいれば・・・。

 そんな焦りを抱えたまま、アステリアは再び魔力を練り直そうとした。その時――


「アステリアさん! レイナさん! お待たせしました!」


「ここからは、私たちも参戦致しますわ!!」


 耳に飛び込んできたのは、聞き慣れた二人の声。

 次の瞬間、灼熱の光がリリウムを包む。上空から落ちる流星のような魔法の雨。

 振り向けば――そこには、さきほど王女を連れて離脱したはずのミレイとアナスタシアが、戦場へと舞い戻っていた。


「どうして・・・!? 王女は・・・」


 疑問を呟くアステリアに、アナスタシアは一瞬も動きを止めず短く答える。


「王女様でしたらディアボロスの方にお任せ致しましたわ。私とミレイは、あなたを支援するために戻ってまいりましたの。

 ――あなた、勝てるかどうか分からなくても“自分がやらなきゃ”と思って残られたのでしょう?」


 隣のミレイが、きっぱりと言葉を重ねた。


「私達は確かにアステリアさんほど強くはありません。でも、戦う力は持っています。どうか少しくらいは頼ってください!」


 二人の目には揺るぎない決意が宿っていた。

 アステリアは思わず目を見開く。ほんの一瞬の沈黙の後、彼女は戦場の指揮官の顔に戻り、短く指示を飛ばした。


「魔法完成まで――あと三百秒。それまで遅滞戦闘。・・・いける?」


「任せてください!」


「よろしくてよ!」


 二人は息を合わせて返事をすると、躊躇なく飛び出した。

 戦場に再び光と音が乱れ飛ぶ。


 レイナの剣が閃く。鋭い金属音が響く直後、ミレイが火炎魔法を撃ち込み、爆炎がリリウムを包む。防御魔法を展開して炎を弾いた瞬間、アナスタシアが雷撃の槍を投げ放ち、リリウムの視界を潰す。

 リリウムが間髪入れず拳を叩き込み、衝撃波のような風圧が廃墟を吹き飛ばすと、ミレイが防御障壁を展開してレイナを庇い、その背後からアステリアが魔力弾を叩き込む。

 攻防が交錯し、四人の連携は息を呑むほど滑らかだった。


 それでも――リリウムは一切崩れない。

 彼女の双剣が閃けば空気が裂け、鉄球が振り下ろされれば地面が陥没する。雷鳴にも似た一撃の数々を、四人は必死に防ぎ合い、隙を見ては攻撃を重ねる。

 刹那の判断、刹那の反応。そのすべてが命懸けの舞踏のようだ。


「三人がかりで実力が拮抗するとか・・・どれだけ強いんですのこのホロウメイデン!!」


 アナスタシアが思わず悲鳴じみた声を上げる。


「いくら何でも強すぎませんこと!?」


 その隣でミレイは必死に魔法を構築しながらも、冷静な声で返した。


「でも・・・拮抗できています! このまま押しましょう!」


 レイナは全身傷だらけで息も荒い。それでも、口元には笑みが浮かんでいた。


「拮抗できてるなら・・・ここからさらに強くなれば勝てる! 勝機はあるッ!!」


 その声は戦場の緊迫感を切り裂くように、まっすぐな熱を帯びていた。


 ――無茶苦茶な理屈だ。

 だが、不思議とその言葉に説得力があった。

 ミレイとアナスタシアは互いに視線を交わし、自然と笑みをこぼす。


「・・・本当に、無茶苦茶ですわね」


「でも・・・負ける気はしない」


 四人の心がひとつに繋がった瞬間、戦場の空気が変わった。

 白きリリウムが感情のない瞳で彼らを見据える。その視線は一切揺れず、殺意は濁らない。


 瓦礫と煙が立ち込める戦場。耳をつんざく衝撃音が絶え間なく響き、焦げた鉄の匂いと血の匂いが入り混じる。

 その中心で、レイナ・ミレイ・アナスタシアの三人は、迫り来る白い死神――ホロウメイデンNo.01《リリウム》と互角以上に渡り合っていた。

 いや、「互角」という表現は正しくない。彼女たちはただ、死を覚悟しながらも必死に持ちこたえているだけだった。


リリウムの拳が空気を裂き、建物の外壁を紙細工のように粉砕する。


「ッ・・・重い!!」


 レイナの両腕に伝わる衝撃は骨が砕けそうなほどで、握る剣が手のひらの肉を切り裂く。

 しかし彼女は退かない。その一瞬の攻撃を受け止めることで、アステリアの詠唱にわずかな猶予が生まれるからだ。


「氷結障壁、展開――!」


 アナスタシアが声を張り上げ、宙に魔法陣を描く。瞬間、透明な氷壁がリリウムの眼前に現れる。

 その氷壁は次の瞬間、無慈悲な鉄拳で粉砕されたが、狙いは防御ではない。たった一呼吸の時間稼ぎ。


「――『雷槍』ッ!」


 ミレイがその隙を逃さず雷を放つ。リリウムの白い身体を稲光がかすめ、動きが僅かに鈍る。


「今よ、レイナさんッ!」


「おおおおおッ!」


レイナが全身の力を込めて斬り上げる。火花が散り、リリウムの白い肌に微かな裂傷が走った。


 だが、リリウムは痛みなど感じていないようだった。

 彼女は無表情のまま、創り出したハルバートを振るい、目の前の三人を薙ぎ払う。

 風圧だけで三人の身体が吹き飛ぶ。レイナがとっさに受け身を取るも、瓦礫に叩きつけられ肺の中の空気が押し出された。


「――残り・・・60秒・・・!」


 アステリアの声が戦場に響く。彼女は戦闘から距離を取り、膨大な魔力を練り上げていた。

 闇色の魔法陣が幾重にも重なり、彼女を中心に巨大な紋様が展開されていく。

 その魔力は周囲の空気を震わせ、地面の瓦礫を浮遊させるほど。

 視界の端で、黒い稲妻のような魔力の奔流がうねり、まるで異界の瘴気が漏れ出しているかのようだった。


「・・・アステリアさん! 間に合いますか!?」


ミレイが叫ぶが、アステリアは答えない。唇がひたすら詠唱の言葉を紡ぎ、瞳は虚空に注がれている。

その姿は、戦場にありながら神殿で祈る巫女のようだった。


(あと少し・・・あと数節・・・)


 リリウムが一歩を踏み出す。その一歩で地面がひび割れ、砂塵が巻き上がる。

 その眼は明確な「殺意」だけを宿し、最短距離でアステリアに向かって突進した。


「させるかッ!」


 レイナが剣を構え、その前に立ち塞がる。

 一瞬の交錯。剣と拳がぶつかり合い、轟音が響いた。

 だが、レイナの身体は力の差に押し切られ、宙に吹き飛ばされる。


「レイナさんッ!」


 アナスタシアが魔法障壁を張るが、リリウムはそれを一撃で粉砕し、ミレイの放った氷槍も瞬時に砕かれる。


「チッ・・・あと、ほんの少しなのに・・・!」


 リリウムの白い腕が、刃よりも鋭い動きでアステリアに迫る――。


 その瞬間、アステリアの瞳がかっと開かれた。


「――詠唱、完了。」


 彼女の足元に展開された魔法陣が漆黒の光を放ち、世界が一瞬で闇に沈む。

 空間が裂けるような音と共に、地面の下から黒い門が浮かび上がった。

 門は人間の背丈をはるかに超え、漆黒の霧を纏いながらゆっくりと開いていく。

 その奥には光ひとつない虚無の世界――冥界が口を開けていた。


「――《開門》」


アステリアの声が落ちた瞬間、空気が変わった。

門の奥から凄まじい重力のような吸引が生まれ、リリウムの身体がその方向に引き寄せられる。


「・・・ッ・・・!!」


 リリウムが初めて表情を変えた。冷たい瞳に、わずかに焦りの色が宿る。

 彼女はハルバートを生み出し、地面に突き刺して抵抗する。しかし、それすらも黒い闇に飲み込まれていく。


「――死者よ、還れ」


 アステリアの声は静かで、しかし絶対的な響きを持っていた。


 リリウムの身体が完全に浮き上がり、抗う力を失い、そのまま漆黒の門の奥へと飲み込まれる。


「――・・・・・・・」


 最後まで声を発することはなく、その姿は暗闇に消えた。

 門がゆっくりと閉じていく。

 戦場には、静寂だけが残った。


 アステリアは膝をつき、荒い息を吐いた。

 魔力の消耗は激しく、全身が鉛のように重い。


「・・・終わった・・・?」


ミレイが呟き、レイナが剣を杖にして立ち上がる。


「・・・ああ、あれは・・・もう戻ってこれねぇ・・・」


彼女たちの視線の先には、ただ黒焦げた大地だけが広がっていた。レイナの表情には安堵が伺えた。それもそのはずでアステリアの冥界魔法が無ければここにいる4人はまず間違いなく死んでいた。あれはそれほどまでに強すぎる存在だったのだ。

 各々が疲れた様子で地面に座り込んでいると、遠くから異様な気配を感じ取れた。正確にはこのアレイシア国にあるあらゆる魔力が吸い寄せられているようなそんな気配だった。


「何が起きてる!?」


「あ、アレ!?」


 ミレイが指さした方向に現れたのはまさに“異形の怪物”だった。






 ―――――






■ラキ&タギツ&アリエル 


「ターちゃん! こっちは全部終わったよ! あとはマギアシステムの中枢コアを破壊するだけなんだけど・・・これ、どういう状況!?」


 ラキは目の前の光景を理解できず、思わず声を張り上げた。

 瓦礫の山の向こうで蠢くのは――もはや“人”の面影など一切ない“何か”。

 かつて黎明の魔女ダウナだった存在は、いまや常識を逸脱した怪物へと変貌を遂げていた。


 紫色の硬質なうろこでおおわれた巨体はビルを凌ぐ大きさで、体長は軽く百メートルを超える。

 地響きを立てながら四足で大地を踏みしめ、そのたびにひび割れた地面がさらに崩壊していく。

 その身体は獣じみているが、輪郭はどこか歪で、骨格さえも“人”を基にして無理矢理捻じ曲げられたかのようだった。

 黒曜石のように黒光りするたてがみは、ライオンを思わせる首元から肩へと広がり、だがその顔は狼のような鋭い眼光を持つ。

 目の奥にはもはや理性の光はなく、ただ濁った殺意と憎悪が渦巻いているだけだった。


 背中からは恐竜の背骨のような骨格が何本も突き出し、その先端から黒い瘴気が揺らめいている。

 後方に伸びる太い尾は蛇のようにしなり、その先端には灼熱の炎を宿した巨大な槍のような棘が生えており、振り下ろされれば建造物を容易に粉砕するだろう。


 ラキの耳に届いたのは、低く響く咆哮。

 しかしそれは獣の唸り声とはどこか違っていた。

 まるで人間が獣の声を真似して出しているような、歪で不気味な音。

 言葉にならない叫びが混じり、聞く者の背筋を凍りつかせる、異様な“鳴き声”だった。


 その巨獣の足元には、砕け散った石畳や崩壊した建物の残骸が無造作に転がっている。

 紫色の巨体を覆う鱗はところどころひび割れ、そこから瘴気のような黒い霧が噴き出していた。

 その霧は周囲の空気を汚染しているのか、近づいた瓦礫すらじわじわと腐食させていく。


 ダウナだったものの赤黒い瞳が、ゆっくりとラキの方を向く。その視線は、感情の欠片すらない“捕食者”そのものの目だった。


 怪物が咆哮を上げた。耳をつんざくような音と共に、地面が震動し、遠くの建物が瓦解する。

 

「お~すっごい!なんか知らない所で物凄い怪物が爆誕してるよ! これはまたかなり不味い状況だね」


「ラキ・・・ごめん。・・・ミスった・・・面目ない」


 怪物を見上げているラキの近くでもはや指一本動かすことが出来なくなったタギツは瓦礫にもたれ掛かりながら今にも消え去りそうな弱々しい声を発した。その瞳は焦点を結ばず、虚空を彷徨っていた。既にうまくラキを確認することすらできなくなっていた。

 そんな状態にもかかわらず自分の失態だと言うタギツにラキはニッコリ笑顔を見せてタギツの両手を包み込むように握った。


「何言ってるの、ターちゃん。私、ターちゃんみたいに頭よくないし、ターちゃんに頼りっぱなしじゃない? だからさ、ターちゃんにできないことは私がやる。私にできないことはターちゃんがやる。それでいいでしょ?」


 その言葉はとても温かく、そして安心する気持ちにさせてくれた。

 タギツの瞳がかすかに揺れる。その視線を受け止めながら、ラキは自分の言葉に力を込めてタギツに言った。


「ターちゃんはもう十分やってくれたよ! だから・・・あとは私に任せて!」


 ラキの言葉にタギツは数舜押し黙ったが、やがてゆっくりと言葉を紡いだ。ただ一言だけ。


「倒して」


「任せて!」


 ラキはためらいなくタギツの首へと手を添え、彼女の唇にそっと口付けた。

 次の瞬間、タギツの体内から奔流のような魔力が流れ込み、ラキの身体を凄まじい勢いで駆けめぐるような衝撃が走る。


  タギツからの魔力委譲は、ラキという器の真価を解き放つ鍵だった。

 ラキは元々、途方もない魔力量を抱え込める稀有な存在だった。

 だが、彼女の身体は自力で魔力を生み出すことができない――だから普段は食事や外部供給で魔力を補い、常に枯渇の不安を抱えていた。何回かタギツからの魔力移譲そのものはされたことがあるがいずれも枯渇寸前の時に魔力が尽きないように分けてもらう程度だった。

 だが今、その器はタギツの魔力で満たされ、もはやあふれ出す寸前の状態にあった。

 膨大な魔力の奔流が彼女の中を流れ、骨の髄まで震わせ、神経の一本一本にまで電流が走るような感覚が広がる。


 この状態ならば今背負っているミョルミーベルによる一撃『雷槌・破却』を2~3発どころか100発は撃てる。いや、それどころか―――普段は“魔力が足りず使用すら不可能”とされていた、ミョルミーベルの真の力、封じられた“神代の一撃”さえ、今のラキならば振るうことができる。


 黄金の髪は雪のように白く染まり、紅く煌めく瞳はまるでタギツの生き写し。

 その体から放たれる魔力の奔流は暴風となり、周囲の瓦礫や砂塵を巻き上げて渦を巻く。

 ラキはゆっくりと背中のミョルミーベルを構え、怪物を見据えた。


「さてと、それじゃあ最終決戦・・・行ってみよっか!!」


 両手でミョルミーベルの柄を強く握りしめ、ラキは深く息を吸い込むと右足を大きく引いた。砲弾が撃ち出される直前の大砲のように全身の魔力を圧縮し、解き放つ。

 ――爆発音。

 足元が抉れ、石畳が砕け散る。ラキの身体は衝撃波を伴って射出され、空気が悲鳴を上げる音を残して怪物へ一直線に飛翔した。その速度は目視が追いつかない。


 「――ッらァッ!!!」


 怪物の脇腹へ、ミョルミーベルの戦槌が叩き込まれた。

 ドゴォオオオオオオオンン!!!

 遅れて響き渡る轟音が鼓膜を震わせ、耳の奥で鈍い痛みが弾ける。巨体の怪物が一瞬たじろぎ、数十メートルある前脚がわずかに浮く。その隙を逃すまいと、ラキは更に地を蹴り、二撃、三撃と畳み掛ける。


 的はあまりにも巨大。外すことなど不可能だ。

 戦槌が叩き込まれるたび、肉が潰れ、骨が軋み、怪物の身体を紫色の体液が滝のように滴り落ちる。その流れはまるで高圧管が破裂したかのように激しく、地面を染め上げていく。


 だが――再生する。

 ずるり、ずるりと裂けた肉が蠢き、傷口が閉じていく様は悪夢のようだった。まるで何事もなかったかのようにその巨躯がゆっくりと動き出すと、怪物は低く、耳障りな咆哮を上げた。

 その四肢が地面を抉り、前脚が横薙ぎに振り払われる。その動きは山そのものが動いたかのように圧倒的で、地表の建物や瓦礫の山がまるで癇癪を起した子供が机を払うように無造作に吹き飛ばされていく。


 瓦礫が空を埋め尽くし、空からは炎の雨のように瓦礫の塊が降り注ぐ。

 逃げ惑う住民たちは悲鳴を上げ、足をもつらせ、ただ恐怖に顔を歪めて空を見上げるしかなかった。


 ――その瞬間、

 天を裂くように光の紋章が大地に刻まれる。


 「――《アイギス・バスティオン》。」


 アリエルの澄んだ声が響くと同時に、半透明の光の壁が音もなく広がり、町の中心を包み込む巨大な半球状の障壁が顕現した。

 瓦礫が障壁にぶつかるたび、鈍い音を立てて弾かれ、無力化されるように外側へと転がり落ちる。防御結界の内側には微塵の衝撃すら届かず、絶望に顔を歪めていた住民たちが涙を浮かべ、守られた安堵の中で膝をつく。


「私を置いていかないでください、ラキさん」


 アリエルの声が響き、ラキが一瞬だけ後ろを振り返る。その口元に、ほんのりと笑みが浮かんだ。


「ごめんごめん。つい気持ちが昂っちゃって。」


 アリエルの視線がラキを捉える。白銀に染まった髪、深紅の瞳。漂う魔力は圧倒的で、空気すら揺らすほどの質量を持っていた。


「・・・ラキさん、随分とイメチェンしましたね。それに、この魔力量・・・いったい何があったのですか?」


「えっと、それはまた後で! 今はこの怪物を倒すのが先だよ!」


 ラキは叫ぶと同時に、振り下ろされる怪物の巨大な前足を真正面から迎え撃つ。その瞬間、戦槌から凄まじい閃光がほとばしり、世界が一瞬だけ白く染まった。





 バキィィィィィィィッッッ!!!!





 甲高い破砕音と共に怪物の前足が真っ二つに折れ、巨体がバランスを崩して地響きを立ててよろめく。 へし折られたはずの前足が、まるで映像を巻き戻すかのように、ぬらりぬらりと蠢きながら元の形を取り戻していく。数十秒足らずで、さっきまで無惨に折れ曲がっていた肢が完全に再生され、怪物は地響きを立てながら再び立ち上がった。

 誰が見ても絶望的な光景だった。

 ――だが、ラキは笑っていた。


「すっごい! これは久しぶりの長期戦になりそうッ!!燃えてきた!!」


「ずいぶんと楽しそうですねラキさん。まあ私も少し昂ってきましたが」


キの頬には戦いの興奮が色濃く浮かび、その黄金から白銀に染まった長髪は魔力の奔流に煽られて荒れ狂い、瞳の紅はまるで宝石のように煌めいている。

 その無邪気な笑みは、普通の人間が目の前の怪物を見たときに抱く恐怖や絶望とは無縁のものだった。むしろ――嬉々としている。


 そんなラキの背中を見つめながら、アリエルもまた、不思議な高揚感に包まれていた。彼女の心臓は鼓動を早め、血が全身を駆け巡る音が耳の奥で反響する。

 怪物の恐ろしさも、死を思わせる圧迫感も、今は不思議と恐怖に変わらない。ただ「試したい」という衝動に突き動かされていた。


「――少々いいですか? あれに・・・ちょっと、試してみたい魔法があるのです。300秒ほど、時間を稼いでいただけますか?」


 静かな声。その中に抑えきれない興奮が滲む。

 ラキは振り返り、にっと笑った。


「お! 何かするのかな? いいよ! 私もやってみたい必殺技があるんだ♪」


 返事を終えるや否や、ラキは再び大地を砕き、爆ぜる衝撃波と共に駆け出した。

 目の前にそびえ立つ怪物――元は人間だったとは信じがたい、異様な存在。その巨体を前にしても臆することなく、むしろ楽しそうに、軽やかに、ミョルミーベルを振り上げる。


「――そらッ!!!」


 ドゴォオオオオンッ!!


 戦槌が振り下ろされるたび、音速を超えた衝撃波が空気を裂き、瓦礫や塵を巻き上げて爆風が吹き荒れる。ラキの攻撃はまるで巨人同士の戦争のようで、一撃ごとに怪物の身体が大きく揺れるたび、大地が唸り声を上げた。


 その後方で、アリエルは静かに詠唱を始める。

 風が彼女の足元を渦巻き、長い外套と銀髪を翻した。軽やかに足を蹴ると、飛行魔法に身を委ね、ふわりと宙に浮かぶ。


 だが彼女は浮遊に留まらない。

 ――更に高度を上げた。

 一呼吸ごとに加速度を増し、瞬く間に建物の屋根より高く、塔の先端よりも高く。

 数秒後には、地上からではその姿を視認できないほどの高さにまで到達していた。


 高空の冷たく薄い空気が肌を刺す。雲の切れ間から見える下界は遠く、まるで一枚の絵画のようだった。瓦礫が舞い、地面が揺れ、怪物とラキの戦いが大地を蹂躙している様が、縮図のように広がっている。

 アリエルはその光景を冷静に見下ろしながら、胸の奥に微かに笑みを浮かべた。


「――ふふ。さあ、どこまで通じるでしょうね・・・」


 アリエルはその場で詠唱を開始すると茜色の巨大な魔方陣が展開され、そこから円錐状の物体が現れた。見た目はとても大きな――それこそ、中枢コアの塔と同じくらいの大きさでとても堅い物質でできているように見えた。円錐には螺旋状の溝が彫られていた。アリエルがその物体に魔力を流し込むとゆっくり回転しながら地表へ降下し始めた。


 徐々に回転と降下する速度が等倍速で速くなり、先ほどまで見えていた螺旋状の溝も見えなくなるほど高速で回転し始めた。それと同時に大気の空気抵抗による熱で表面がオレンジ色に輝き始め凄まじい熱量を帯びていた。

 アリエルはそれを円錐の底面から制御して狙いを怪物に定めた。


 上空の雲を吹き飛ばしながらオレンジの光が一直線に降ってくる光景はさながら流れ星のように美しかったが、その破壊の一撃は怪物にとって脅威以外の何物でもなかった。


 ナニカクル。 我ヲ屠ルナニカガ――


  上空から迫り来るオレンジの光――アリエルが練り上げた規格外の破壊魔法。その光はまるで天を裂く太陽の柱のようで、空を紅蓮に染め上げながら轟音と共に降下していた。

 怪物はそれを視認した瞬間、雷鳴のような咆哮を上げる。


「――――――!!!」


 紫色の巨体を揺らし、周囲に複雑な魔方陣をいくつも重ねる。五重に重なった防御魔法が光の壁のように展開され、さらにその周囲を無数の攻撃魔法陣が取り囲むと、そこからは火炎、氷刃、風刃、雷撃が雨のように乱射された。

 同時に、地獄の門が開くかのように召喚魔法が展開され、マギアシステムに記録されていた最強の魔獣たちが次々と姿を現す。

 その中でも、ひときわ異彩を放つ存在――カルツ・バーバンシュウェルツ。

 かつてラキとアリエルが死闘を繰り広げた、悪夢のような再現体がそこにいた。


 だが、それを見たラキの表情は恐怖ではなく――楽しげな笑みだった。

 「どこに行くの? あなたの相手は、私だよ?」

 白銀の髪を翻し、魔力の奔流を纏った彼女が一直線に駆け出す。

 その軌跡には光と雷が混じり合った尾を引き、再現された魔物たちを片端から粉砕していく。

 拳が振るわれるたびに雷鳴の轟きが響き、戦槌が唸るたびに地面が陥没した。

 その破壊の奔流の中、カルツ・バーバンシュウェルツが迎撃に動くが――遅い。

 ラキの姿は残像すら追えない速度で迫り、


「――ッらァ!」


 渾身の拳がカルツの胴体を撃ち抜いた。

 巨体が空中へと弾き飛ばされ、衝撃で周囲の空気が爆ぜる。


「まだまだだよ!」


 ラキはそのまま空中を跳躍し、吹き飛ぶカルツを追い詰める。

 握られたミョルミーベルが、これまでにない光を放ち始めた。

 槌の周囲に金色の稲光が奔り、雷鳴が轟く。

 それだけではない――槌の部分に幾重にも重なる赤い輪が浮かび上がり、凄まじい魔力を圧縮していく。

 空気が悲鳴を上げるように震え、輪から放たれる真紅の閃光が稲妻と絡み合い、まるで崩壊そのものを象徴するかのような存在感を放った。

 それは、今までのラキの技では見たことのない現象だった。


「――純粋な、崩壊の一撃!」


 ラキは槌を大きく振りかぶり、叫ぶ。




「『雷槌・崩却』ッ!!!」





 刹那、世界が赤い閃光に飲み込まれた。

 振り下ろされたミョルミーベルがカルツの胸を正確に撃ち抜いた瞬間、赤い輪が一気に収束し、圧縮されていたエネルギーが一点に解き放たれる。

 轟音すら遅れて響くほどの速度で、破壊が広がった。

 カルツの巨体は一瞬で砕け、崩れ、空中で光の粒となって四散する。

 かつて地上を蹂躙し、ラキとアリエルが命懸けで挑んだ強敵が――たった一撃で、消滅した。


 カルツ・バーバンシュウェルツを葬った余波がまだ空気に残っているというのに、怪物は怯むことなく咆哮を上げた。

 ――そして、無数の触手を一斉に生やした。


「おぉっと、きたきたッ!」


 ラキは瞳を輝かせて笑った。


 怪物の巨体全体から、太いパイプのような触手が何十本も、いや百を超える数で生え出し、しなり、うねりながら一斉に振り下ろされる。

 ドドドドドドドドド!!!

 触手が大地を殴りつけるたび、瓦礫の山やビルの残骸が粉々になり、粉塵が衝撃波に乗って吹き飛ぶ。地鳴りのような轟音と共に地面は亀裂を走らせ、戦場全体が震動していた。


 しかしラキはその全てを――まるで風に舞う花びらのように軽やかにかわしていた。

 超高速で駆け抜けるその軌跡は、白銀の残像と雷光が入り混じった閃光の帯。

 避けきれない攻撃は、ミョルミーベルを一閃させて粉砕する。

 「おらぁッ!」

 雷鳴と共に一本の触手が叩き折られ、焼け焦げた肉片を撒き散らしながら吹き飛ぶ。

 別の触手が迫れば、その動線を読み切って身体をひねり、逆に自分から懐に入り込んで破壊。

 ラキの戦い方はまるで舞のようだった。


 だがその笑顔の奥で、ラキはすでに次の一手の準備をしていた。

 ――両腕に宿す魔力の密度が異常なまでに膨れ上がる。

 ミョルミーベルの金属表面が赤熱し、柄から先端までを縁取るように青白い稲妻が奔った。


「行っくよぉおおおおおッ!!!」


 白銀の閃光が怪物の左前足へと飛び込む。

 雷槌・破却――その一撃はただの破壊ではない。“存在そのもの”を削り取るような、純粋な魔力の破壊力。




 ドゴォオオオオッ!!!




 轟音と閃光の中で、巨木のような足が根本から吹き飛ぶ。

 続けざまに、右前足、左後足、右後足――

 ラキの全身から噴き出す魔力が軌跡となり、怪物の四肢を次々と粉砕していく。

 爆音が連続し、巨体が悲鳴を上げるように震えた。


「これで終わりッ!!!」


 足をすべて奪われて地面に崩れ落ちた怪物の、狼のような頭部へ――

 ラキはフルスイングで五撃目を叩き込む。

 ゴシャッ!!!

 骨も肉も概念すらも砕けたかのように、頭部が爆ぜて四散した。

 飛び散る黒紫の体液が雨のように降り注ぎ、戦場はさらに混沌とした臭気に包まれる。

 

 ラキはバックステップで後方に跳び、地面に槌を突き刺して着地した。

 ――そのとき、空が赤く染まり始めた。





 ゴオオオオオオオオオオオオオ・・・・・・




 まるで空そのものがうなりを上げているような重低音が鳴り響く。

 視線を上げたラキの瞳に映ったのは、超高高度から落下してくる“太陽の欠片”のような輝きだった。

 オレンジ色の光は摩擦熱で赤熱し、大気圏を突き抜ける隕石のように炎をまとう。

 その下部には、最後まで軌道制御を行っていたアリエルの姿――


「――離脱します!」


 高高度からの声が響いた瞬間、アリエルは一気に魔力で姿勢を変え、凄まじい勢いでその場を離れた。


 次の瞬間――


 大地が爆ぜた。

 着弾した質量魔法は、ただの“攻撃魔法”という枠組みを完全に超えていた。

 衝撃で戦場全体が白く塗りつぶされる。

 空気が爆発し、光と熱と衝撃波が周囲を薙ぎ払う。

 怪物の巨体は抵抗する間もなく押し潰され、内部から焼け、瞬時に炭化し、蒸発した。

 その瞬間の熱量は周囲の瓦礫すらガラス化させ、地表を鏡のように滑らかな地獄の結晶へと変貌させた。

 吹き荒れる爆風は巨大なビルの残骸すらも軽々と吹き飛ばし、戦場一帯を“平地”へと変える。


 ラキはミョルミーベルを地面に突き立て、その長い柄を抱きしめるようにして身体を固定していた。

 防御魔力を張ってもなお、風圧で身体がきしむ。


「おお~・・・さすがのラキちゃんでも、これはやりすぎじゃないかと思うんだけどなぁ~・・・」


 呆れたような笑みを浮かべ、真っ赤に焼けた戦場を見渡すラキ。

 瓦礫の山は消え失せ、街の一角はまるで巨大な隕石が直撃したクレーターのように抉れ、黒い煙がもうもうと立ち込めている。


 土煙がまだ晴れきらない。

 地鳴りのような低い音とともに、クレーターの底から熱気が立ちのぼり、空気が陽炎のように揺れている。

 世界を揺るがす戦いが終わったばかりだというのに、あたりにはひび割れた瓦礫の山と焦げた大地、溶けてガラス状になった地表が広がり、まるで地獄の景色だった。


 ラキは地面に突き立てた戦槌ミョルミーベルに体重を預け、荒い息をつきながらもまだ余裕を見せる笑みを浮かべている。

 アリエルは空から舞い降り、少しほこりを払う仕草をした後、満足した表情をして隣に立っていた。

 二人の足元には、クレーターがと激しい戦いの爪痕だけが残る。


 そんな中、瓦礫を踏みしめて走り寄る足音が響いた。

 振り返ったラキとアリエルの視線の先に、ぼろぼろの魔法衣をまとったアステリアの姿があった。

 彼女の顔や腕には無数の擦り傷や切り傷が走り、肩で息をしている。それでも瞳には強い光が宿り、声は力強かった。


「二人とも、大丈夫!?」


 痛々しいほどに傷ついた体で、心配そうに駆け寄ってくるアステリアに、ラキとアリエルは思わず笑顔を返す。


「うん!勝ったよ!!」


 ラキが元気よく答えると、すぐに目を輝かせてアリエルの方を指さした。


「ねえ聞いて!アリエルが破壊力バツグンの一撃で、周囲の瓦礫の山ごと怪物をクレーターに変えちゃったんだよ〜!」


「ふふん♪」


 アリエルは勝ち誇ったように胸を張り、どこか子供っぽい仕草で自慢げに言う。


「ええ、これが私の実力です。どうです?私のほうが強いことが証明されましたでしょう?」


 肩まで伸びた黒髪をさらりと揺らし、疲れなど感じさせない堂々とした笑みを浮かべるその姿に、アステリアも一瞬ぽかんとした顔を見せた。


「いやいやいや!」


ラキが大げさに両手を振り、思わずツッコミを入れる。


「火力は確かにすごいけど、攻撃が当たるまでの時間が長すぎ。あれは実用性皆無だと思うよ! 避けられたら終わりだし、しかも破壊力高すぎて周りの建物まで粉々じゃん!」


「むっ・・・!戦況を一撃で覆したのですから細かいことはいいのです!」


 アリエルが頬をふくらませて反論し、ラキが肩をすくめて笑う。

 その何気ないやり取りに、アステリアはようやく緊張をほどいたように微笑み、小さく息を吐いた。

 ほんの一瞬だけ、この場が戦場であることを忘れそうになるほどの空気が流れる。


 視線を、地面を抉るようにして生まれた巨大なクレーターへと移す。

 その中心には、漆黒の球体――マギアシステムの中枢コアが転がっていた。表面はひび割れ、黒い液体のような魔力がわずかに滲み出ている。すでにそのほとんどの機能は焼き尽くされていたが、かすかな脈動が残り、まだ命脈を保っていることを告げていた。


 アステリアはクレーターに降り立つと、しばし無言のままその球体を見下ろした。

 かつて多くの少女に魔力を与え、魔法少女という存在を生み出したもの。

 同時に、多くの悲劇と絶望をもたらしたもの。

 黎明の魔女が描いた計画がどれほどの欺瞞に満ちていたとしても、この国が魔法少女たちによって守られてきた事実だけは否定できない。


 だが――。


 アステリアの赤い瞳に、揺るぎない決意が宿る。


「・・・でも、それも今夜で終わり」


 小さく呟き、胸に手を当てる。


「たとえ、この国から魔法が喪われ、魔法少女が消え去っても・・・それでもこの国は前へ進まなくちゃならないからね」


 彼女は静かに両腕を広げた。足元に刻まれるようにして、黒い紋様が地面いっぱいに広がっていく。

 やがてそれは巨大な魔方陣となり、地面が鳴動する。

 アステリアの唇が、低く、しかし力強い詠唱を紡ぎ始める。

 その声は風に乗ってクレーターの縁にまで届き、見守るラキやアリエルの心臓を震わせた。


 マギアシステムは人の理解を超えた魔女の産物。破壊も封印も生半可では意味を成さない。

 ならば――存在ごと消し去るしかない。


 アステリアの詠唱が最終節に至った瞬間、彼女の足元の魔方陣が黒い光を放つ。

 光は渦を巻き、闇を裂くように空間をねじり、そこに一枚の門を生み出した。

 光と闇が入り混じる、不気味で荘厳な門。


「――《開門》」


 言葉とともに、門がぎぎ、と音を立てて開く。

 その瞬間、コアが低く唸るように震え、抗うように地面を転がった。

 だが抗いは無意味だった。不可視の力に引き寄せられたコアは宙へと浮かび上がり、門の奥へと吸い込まれていく。

 黒い球体はきしみを上げ、表面のひびがぱんと破裂し、最後に黒い閃光を散らして――完全に飲み込まれた。


 門はゆっくりと閉じ、やがて跡形もなく消え去った。

 その瞬間、世界が変わった。


 アレイシア全土に震動が走り、見えない波紋が空へと駆け上がる。

 街に散らばる魔法少女たちの変身が一斉に解け、彼女たちは驚愕の表情でただの少女へと戻っていった。

 杖も、武器も、衣装も、力も――全てが霧散する。

 誰もが胸の奥にぽっかりと穴が空いたような喪失感を覚え、膝をつく。


 それはこの国の歴史に刻まれる決定的な瞬間だった。

 魔法を奪われた少女たちの瞳には涙が浮かび、中には泣き叫ぶものや激怒する者も多数いた。今まで使っていた魔法が突如として失われたのだ。その不安と喪失感は計り知れないものとなって少女たちに襲い掛かった。だが同時に「ようやく解放された」という安堵の色もあった。魔法少女として魔物との戦いに明け暮れて疲弊した魔法少女、理不尽な理由で罪なき少女を連れて行かなければならず後悔と葛藤に苛まれていた魔法少女。それらの苦悩もここまで。


 クレーターの中央に立つアステリアは、強い風に髪をなびかせながら目を閉じる。


「・・・終わった」


 そう呟く声は、震えていた。







 ――この日、魔法少女はただの少女へと還った。






 それから3か月の月日が過ぎた。


 白亜の壁に囲まれた治療院の一室。窓から差し込む柔らかな陽光が、真っ白なベッドシーツに反射してきらめいていた。

 タギツはそのベッドの端に腰掛け、患者服の袖口を無造作にまくりながら、ぼんやりと窓の外を見つめていた。

 茜色の片眼鏡越しに映るのは、穏やかに揺れる青空。けれど彼女の表情は晴れやかというより、少しばかり取り残されたような影を帯びていた。


 ――ギフトによってもたらされた莫大な魔力は、もう既にない。


 義足型の神代兵装《常夜》も既に機能停止しており、瞳の魔眼も魔眼封印用の片眼鏡で既に封印してある

 あの日、ラキに膨大な魔力を託して気絶したため、今はいつもどおりの平均以下のみすぼらしい魔力量に戻っている。

 先ほど治療院の職員がタギツの目が覚めた事を報告しに行った。そしてそれから数十分も経たずに聞こえてきたのは廊下を物凄い速さで走り抜ける足音と病室のドアを思いっきり開ける音。

 アステリアが飛び込んできた。


「タギツ! 本当に・・・目を覚ましたんだね・・・!」


 次の瞬間、彼女はベッドに駆け寄ると、堰を切ったように涙をこぼした。


「よがっだ・・・! このまま目を覚まさなかったらどうしようって、ずっと・・・ずっと不安で・・・!」


 言葉が詰まり、嗚咽に変わっていく。


 そんな彼女の背を、ミレイとアナスタシアが慌てて支える。二人の顔もまた、安堵と喜びでいっぱいだった。

 その光景を前に、タギツはかすかに微笑んだ。


 「・・・心配かけたね」


 かすれた声が、けれど温かく響く。


 そのとき――。


 バリーンッ!!


 突然、窓ガラスが弾け飛び、轟音とともに二つの影が室内へ転がり込んできた。


「おりゃあああっ! ターちゃぁあああんんー!!」


「見舞い参上ですっ!!」


 壁にドガァンと激突し、そのまま床をゴロゴロと転がった二人。

 ラキとアリエルだった。


 呆然と見つめるタギツ、アステリア、ミレイ、アナスタシア。


「・・・え?」「・・・なんで窓から・・・?」


 静まり返る病室に、粉々になったガラスの音だけがパラパラと落ち続ける。


 ラキは満面の笑顔で立ち上がり、胸を張った。


「ほらね! 言ったでしょ、ターちゃんは必ず目を覚ますって!」


 アリエルも負けじとスカートを整え、ふんと鼻を鳴らす。


「ええ、ようやく目覚めましたのね。さすが私の期待に応えるだけのことはありますわ」


 タギツは額に手を当て、呆れと安心が入り混じった溜息を漏らした。


「・・・窓は壊す必要なかったと思うんだが」


 そんな調子で、病室にはいつの間にか笑い声が満ちていった。

 あの日、学園の寮で夜を徹して語り合った時のように、五人は同じ空間で心を通わせ合った。

 戦いの傷跡はまだ残っている。だがそれでも――仲間が生きている。ただそれだけで十分だった。


 やがて夜も更け、ミレイ、アナスタシア、アリエルはそれぞれの用事を口実に部屋を後にした。

 残されたのは、ラキとタギツ。


 沈黙が落ちた病室で、二人は窓辺に並んで腰掛ける。

 ガラスの割れた窓枠から入り込む夜風が、カーテンを揺らしていた。


 ラキが少し笑って肩をすくめる。


「・・・ターちゃんが寝てる間、いろいろあったんだよ」


 その声は、いつものように明るいけれど、どこか影があった。

 タギツは頷き、静かに視線を彼女に向けた。


「・・・聞かせて。ラキが見たものを」






 ―――――







  マギアシステムが喪われて魔法が消え、魔法少女がただの少女へと還った日、アレイシア国の各地で様々な少女たちがあらゆる反応を示していた。


「・・・嘘、でしょ・・・?」


 ある場所で少女の震える声が、まだ夜明けの冷たい空気にかすかに溶けていく。


 彼女は両手を突き出し、必死に詠唱を紡ぐ。だが――何も起きなかった。

 淡い光がほのかに指先に集まるはずの場所には、虚空があるだけ。

 吐息と共に紡いだ言葉は霧散し、ただ冷たい朝風を震わせるばかり。


 背筋にぞわりと冷たいものが走った。

 少女は歯を食いしばり、もう一度、もっと強く言葉を紡ぐ。

 しかし、やはり光は生まれない。魔力の奔流も感じられない。

 どれほど声を張り上げても、掌はただの肉と血でできた人間の手にすぎなかった。


「・・・ど、どうして・・・? 昨日まで、普通に・・・普通に魔法が使えたのに・・・!」


 額から汗が伝う。心臓は喉を突き破りそうなほど早鐘を打ち、呼吸は乱れていく。

 少女は必死に隣の仲間へと視線を向けた。


 しかし、返ってきたのは沈黙。

 仲間もまた、同じように蒼白な顔で手を突き出していた。指先は小刻みに震え、唇は恐怖にわななき、ついには言葉を失っていた。


 静寂が場を覆った。

 耳を澄ませば、どこか遠くで他の少女たちの悲鳴や嗚咽がこだましている。誰もが必死に詠唱し、光を求め、それでも得られずに取り乱していた。


「・・・なんで・・・私たちの魔法・・・どこに行っちゃったの・・・?」


 少女のつぶやきは、誰にも答えられなかった。



「ふざけないでよ・・・! どうやって魔物と戦えっていうの!? こんな・・・ただの人間の身体で!!」


 ある場所では怒り狂った少女は拳を振り下ろし、床に血がにじむ。少女は魔法学園を卒業してから国家魔法少女戦闘団で魔法少女として魔物と戦い続けた。それはひとえに魔物から国を故郷を守りたかったから。だが―


「このままじゃこの国はまた魔物に蹂躙されてしまう・・・そうならないように私たち魔法少女が魔物を倒してきたのに。この国から魔法が消えたら・・・魔法少女が喪われたら・・・私たちの努力は・・・犠牲は・・・どうなるのよッ!! 全部水の泡になっちゃうじゃないッ!!」


その叫びは誰にも否定されず、しかし誰にも慰められることもなかった。


「わたし・・・やっと、やっと魔法少女になれるって思ってたのに・・・」


 ある場所ではまだ見習いだった少女が、その場に崩れ落ちた。魔法少女として活躍するために魔法学園へ入学したその少女は日々苦労しながらも魔法少女に変身し魔法を使えることに喜びを感じていた。幼き頃、憧れた魔法少女になれる。学園を卒業したら国家魔法少女戦闘団に入団するのもいいかも、それとも研究所で魔法の研究? そんな将来に思いをはせていた少女は朝起きると魔法が使えなくなっていた。魔法少女に変身することも出来なくなっていた。


「ここまで来たのに・・・ずっと頑張ってきたのに・・・! もう、もうチャンスすらないの・・・?」


両手で顔を覆い、子供のように声を上げて泣いた。女の涙は床に滴り落ち、他の少女たちの胸をさらに締め付けていく。



 一方で――静かに目を閉じ、ほっと息を吐いた少女もいた。


 その少女は国家魔法少女戦闘団の一員として、数年にわたり最前線で魔物と戦い続けてきた。魔法少女の姿で剣を振るい、炎を操り、数えきれないほどの魔物を葬ってきた。仲間が倒れ、泣き叫び、屍となっていく光景を幾度も見てきた。


 最初は「国を守る」と意気込んでいた。幼い頃に憧れた“魔法少女”になれたことが嬉しくて、誇らしくて――。けれど、いつ終わるかも分からない戦いの日々の中で、心も体も少しずつ削られていった。


 夜ごと夢に見るのは、血にまみれた戦場と、仲間の断末魔。目を閉じても瞼の裏に焼き付いて離れない。そんな彼女を支えていたのは、人々からの「ありがとう」という言葉と笑顔だった。自分だけ戦場から逃げることはできなかった。だからこそ、今日まで歯を食いしばって戦い続けた。


 ――だが、今。


 掌に力を込めても、何も生まれない。

 魔力の奔流は完全に途絶え、変身の輝きも二度と訪れない。


 少女は呆然とした仲間たちを横目に、静かに肩を落とした。そして、声を殺すように息を吐いた。


「・・・もう、戦わなくていいんだ」


 その言葉は、安堵に震えていた。

 声は小さく、誰にも届かないほどだったが、彼女の全身から張り詰めていた緊張の糸が切れていくのが分かった。


「仲間が死ぬのを見なくてもいい・・・明日は自分の番かもしれないって怯えなくていい・・・」


 膝ががくりと折れ、少女はその場に座り込んだ。視界がぼやけ、頬を伝う涙が床に落ちる。だが、その涙は後悔や絶望の色ではなかった。


 それは、戦いに縛られ続けた心から解き放たれた、救いの涙だった。


 魔法を失った仲間たちが次々と絶望や混乱に沈む中で――彼女だけは、静かに微笑んでいた。


「・・・やっと、ただの女の子に戻れたんだ」


 その安らぎは、これまで戦いに疲れ果てた魂に訪れた、ささやかな救済だった。


 その夜、アレイシア国の街は混乱に包まれていた。

 街の中心部では、突如として地響きのような爆発が起こり、建物の壁が吹き飛び、炎と煙が夜空を焦がした。瓦礫の中で人々は叫びながら逃げ惑い、子を抱えた母親は必死に避難し、老人はその場に倒れ込む。


 別の区域では、統制団の魔法少女たちが無残に地に伏しているのが目撃された。いつもなら毅然と街を守るはずの彼女たちが、血と埃にまみれた姿で倒れている。目撃した人々は「どうして・・・?」と呟きながら恐怖に駆られ、その場から走り去った。


 また、研究区画に近い一角では、研究所そのものが崩壊していた。石造りの建物は基礎から砕け散り、煙を上げる残骸と化していた。研究員たちの姿はなく、ただ瓦礫の山と焦げた書類が風に舞っていた。

 さらに監獄エリアでは、以前から行方不明となっていた者たちが現れた。痩せ細り、骨ばった体を引きずりながら街に戻ってきた彼らは、人の姿をしていながらも半ば廃人のようだった。その口からは何が起きたのか説明できる言葉も出てこない。


 ――そして夜明け。


 民衆は異変に気づくことになる。

 街のどこを探しても、魔法の光を纏った少女たちが一人もいないのだ。いつもなら朝の巡回で人々を安心させていた魔法少女の姿はなく、通りを歩く彼女たちの手には光は宿らず、魔法の杖も無力なただの棒に見える。


 民衆は訝しげに囁き合う。


「どうしたんだ・・・誰も変身してない・・・?」


「いや、見たか? あの子・・・手を前に出しても、何も出なかったんだ・・・」


 人々はすぐに気づく。魔法少女たちは、魔法を使えない。変身もできない。

 最初の数日は多くの者が「一時的な不調だろう」と自分に言い聞かせた。疲労や呪いか、あるいは一晩眠れば回復すると。だが、待っても状況は変わらなかった。


 一日、三日、一週間。

 街に漂う空気はじわじわと冷たいものに変わっていく。

 笑い声は消え、道端では人々が険しい顔で立ち話を交わす。どこからか漏れ伝わる噂は、やがて一つの確信めいた情報として広まった。


「どうやら・・・全ての魔法少女が魔法を使えないらしい」


「国家魔法少女戦闘団も例外じゃない。全員だ」


 その瞬間、人々の胸に広がったのはただの不安ではない。

 国を支えてきた力が、音もなく崩れ去ったことを意味する、冷たい絶望だった。


「おいおい! このままじゃ国が魔物の侵攻を食い止められないだろう! どうするんだ!」


「マギア統制省はなにをしているんだ!!」


「そもそも、なんで急に魔法少女たちが魔法を使えなくなるんだよッ! どーなってるんだよッ!!」


「責任者を出せ! 責任者をッ!!」


 街の広場に集まった群衆の叫びは、もはや訴えではなく怒号だった。拳を振り上げる者、地面を蹴りつける者、涙声で叫ぶ母親。そのどれもが極限の不安を叫びへと変えていた。

 暴動寸前の熱気は肌にまとわりつき、吐息さえ熱く感じられる。


 無理もない。

 今まで民衆は魔法少女たちに守られてきた。彼女たちがいれば、どんな魔物の襲撃も退けられると信じて疑わなかった。

 その「絶対の守護」が唐突に失われた今、人々は日々、魔物に喉元を狙われているような恐怖の中に投げ込まれたのだ。


 やがて数日が経つと、怒りと恐怖は各地で小規模な暴動となって表れた。

 統制省の建物や役所には石が次々と投げ込まれ、窓ガラスが割れるたび、役人たちは青ざめた顔で逃げ惑った。中には夜陰に紛れて火を放とうとする者すらいた。

 街のあちこちに罵声と怒号が渦巻き、重苦しい緊張が続いた。


 一方、魔法少女たち自身もまた、最も深い苦しみに沈んでいた。

 「守れない」という現実は、彼女たちの心を抉り続けた。

 街を歩けば「裏切り者」「もう役立たず」と冷たい視線を浴び、時に嘲笑を浴びせられる。耐え切れなくなった少女の多くは扉を閉ざし、家に閉じこもるしかなかった。

 ある者は震える手を前に突き出し、何度も何度も呪文を唱える。しかし光は一度も灯らず、嗚咽だけが室内に響いた。


 ――そして、その日は訪れた。


 昼下がり。

 商人たちが通りで声を張り上げ、子供たちの笑い声が響いていた街の片隅。

 大地が揺れた。


 ――ドン。


 低く、重い音。建物の壁が微かに震え、鳥たちが一斉に飛び立つ。

 次の瞬間、誰かの悲鳴が空気を裂いた。


「ま、魔物だあああッ!!」


 市壁の外から黒い影が群れをなし、石畳を蹴り割りながら雪崩れ込んでくる。牙を剥いた獣、泥のように蠢く影、鋭い羽音を立てる怪鳥。あらゆる魔物が飢えた獣のように押し寄せ、人々は凍りついた。


 ――かつてなら、魔法少女たちが立ち上がるはずだった。

 光の矢が放たれ、結界が張られ、鮮やかな魔法で魔物は退けられる。

 だが、今は誰も立ち上がらない。誰も変身できない。


 人々は、ただ少女たちを睨みつける。


「どうして立たないんだ! 戦えよ! お前たちは魔法少女だろう!」


「ち、違うの・・・もう、戦えないの・・・」


 震える声に返るのは怒りと絶望だけだった。

 次の瞬間、街は地獄と化した。


 逃げ惑う人々、泣き叫ぶ子供、倒れる老人。投げつけた石も木の棒も、魔物には通じない。

 炎と血煙が広がり、瓦礫が崩れ落ちる中で、人々はようやく痛感することになる。


 ――魔法少女は、もういないのだ。


 だがその時、


「《フレアランス》!」


 炎の槍が上空から飛んできたかと思うとそのまま魔物を串刺しにして、炎によって魔物が見る見るうちに焼き尽くされていった。別の方向からは光輝く球体が大量に泥のように蠢く影に叩き込まれ一瞬で消え去った。上空を飛んでいる怪鳥は他の魔物がやられたために空を飛んで逃げようとした。


「あら、何処へ行こうというのですか?」


 突然怪鳥のそばで声が聞こえると、空を飛んでいたはずの怪鳥が物凄い勢いで地面に叩きつけられるように墜落して地面にめり込んだ。あまりにもあっさりと倒され、人々は呆然とその光景を見上げていた。


「ちょっとアリエルさん! 下に人がいるのですから魔物を隕石みたいに墜落させるのはやめてくださいまし!」


「大丈夫ですよアナスタシア。人と人の間を縫うように地面にめり込ませましたから♪」


「全然大丈夫じゃありませんわッ!!」


 「まあまあ、二人ともその辺で・・・」


 ミレイが苦笑を浮かべて二人をなだめた。

 だが周囲に集まっていた人々の視線は、彼女たちの言葉ではなく――たった今、魔法を使って魔法少女の姿に変わり、襲い来る魔物を一撃で屠った光景に釘付けになっていた。


 広場にざわめきが走る。


「見たか・・・魔法を使ってたぞ・・・!」


「でも魔法少女はもう・・・全員、魔法が・・・」


「じゃあ、彼女たちは一体・・・?」


 困惑と畏怖が入り混じった声が飛び交う中、とりわけ強く心を揺さぶられたのは、魔法を喪った少女だった。

 彼女は両の手を前に突き出し、震える声で言葉を紡ぐ。


「ど、どうして・・・? どうしてあなたたちは魔法が使えるの・・・? 一体どうして、私は・・・魔法が出てこないの・・・?」


 問いかけに答えたのは、静かに佇んでいたアリエルだった。

 その声は澄んでいて、けれど無情な現実を突きつけるものだった。


「マギアシステムが消えたからです。

 今まで皆さんが魔法を使えたのは、システムが媒介していたから。ですが、その依存先がなくなった今、魔法は発動できません」


 少女の目が大きく見開かれる。

 アリエルは淡々と続けた。


「私たちに関しては、覚醒者です。システムに頼らず、自分の力で魔法を扱える者。だから今も魔法を使えるのです」


 ――愕然。

 少女は血の気を失った顔で呟いた。


「じゃあ・・・私は・・・もう二度と、魔法が使えないの? 二度と魔法少女になれないの・・・?」


 その言葉は悲鳴のようで、涙が今にもこぼれそうだった。

 アリエルは真剣な眼差しを向け、はっきりと告げる。


「・・・そうです」


 広場の空気が凍りついた。

 人々は沈黙し、少女の肩が小さく震える。

 だがアリエルはすぐに言葉を重ねる。その声は柔らかく、光を失った少女に一筋の糸を垂らすように。


「魔法少女となれるのは、マギアシステムに頼らず魔法を使える覚醒者のみ。ですから、あなたが再び魔法を使えるようになることはありません」


 一拍置き、アリエルは続けた。


「――ですが。魔法は無理でも、“魔術”なら使えるかもしれません」


 少女は顔を上げ、涙で潤んだ瞳を見開く。


「・・・ま、魔術? 魔法とは違うのですか?」


 アリエルは小さく頷いた。


「魔術は、自分の内にある魔力を糧に、魔術式を組み立てて行使する技です。詳しいことは私も学び途中ですが・・・本来、魔法というものは“魔女”と呼ばれる存在しか扱えないものだそうです。

 あなた方が魔法を使えていたのは、その魔女が構築したシステムに依存していたから。けれど、それが失われた今、魔法そのものはもう使えません」


 少女の唇がわなないた。絶望を告げる言葉に打ちのめされそうになる。

 だがアリエルは、視線を逸らさずに続けた。


「・・・けれど。あなたはかつて魔法を扱っていました。つまり、魔術を学ぶ素養はきっとあるはずです。努力さえすれば、自分自身の力として魔術を扱えるようになるでしょう。

 魔法少女に戻ることはできませんが・・・魔術を身につければ、あなた自身の手で未来を切り拓けるかもしれません」


 その言葉に、少女の胸にほんの僅かな灯がともる。

 涙を浮かべたまま、それでも彼女はかすかに唇を噛みしめた。

 絶望の底で、初めて差し込んだ小さな希望の光だった。


 一方別の場所では、戦場の空に黒煙と血の臭いに満ちていた。絶え間なく押し寄せる魔物の群れは、すでに前線の防壁をいくつも踏み越え、荒野を蹂躙しながら少女たちへと牙を剥いていた。耳をつんざくような咆哮と、地鳴りのような振動。十メートルを超える巨躯の狼型魔物が、黄色い眼をぎらつかせながら突進してくる光景は、かつて魔法に守られていた時代なら考えられない悪夢だった。


 しかし最前線に立つ少女たちは怯んでいなかった。彼女たちはもう魔法少女ではない。頭には半透明のゴーグル付きのヘッドギア、胸や四肢には金属光沢のあるプロテクター。そしてその手には重々しい金属筒――新たに与えられた魔道具《魔力駆動武装》が握られていた。


「来るぞ! 魔力充填!」


 号令とともに少女たちは息を合わせ、武装のコアに自らの魔力を注ぎ込む。筒状の先端が赤熱し、低い唸り音が大地を震わせた。指先がスイッチを叩いた瞬間――轟音と閃光が戦場を貫く。


 オレンジ色の奔流が一直線に放たれ、突撃してきた狼型魔物の群れをまとめて飲み込む。轟きと共に地面は抉られ、爆炎が肉を焼き、蒸発した煙が立ち昇った。絶叫は次第に掻き消え、残骸すら残さず魔物は灰燼と化す。


「・・・すごい・・・!」


 肩で息をしながら、少女のひとりが武装を見つめる。恐怖と興奮が入り混じった声。


「魔法がなくなった時はもう終わりだと思ったけど・・・これなら・・・!」


 その言葉に、隣の仲間が小さく笑みを返す。


「そう思ってくれているなら、報われるよ」


 背後で少女たちを見守っていた赤いポニーテールの女性――国家魔法少女戦闘団の団長、レイナ・ヴァルグレイスが頷いた。彼女の全身は包帯で覆われ、軍服の袖も破けて痛々しい姿だが、その目は鋭く前を見据えていた。


「レイナ団長・・・! でも、こんな武装、いったいどこから・・・?」


「前々から準備はしていたんだ。魔法が失われる最悪の事態に備えてね。・・・まあ、肝心の私がこの有様なのは不甲斐ないが」


 レイナは照れ隠しに頬をかき、少女たちに小さな笑みを浮かべる。レイナが用意したものはディアボロスで研究開発していたアレイシア国にはない魔導工学技術によって造られた魔力によって動かすことが出来る『魔力駆動武装』と呼ばれるものだった。今しがた魔物の群れを吹っ飛ばした少女が装備しているのは機動砲撃型と呼ばれる最もスタンダードなタイプになるが、他にも様々なタイプを開発していたため自分に合ったタイプの武装を少女達が選択できるようになっていた。マギアシステムが無くなったあと仲間たちを生き延びさせるための必要だったため必死になって造り上げたのだ。


「それに、私が動けなくても魔物を片っ端から倒して回るやつもいるみたいだし、問題はないだろう」


 団長が口元に皮肉な笑みを浮かべると、近くにいた少女が苦笑交じりに応じた。


「あ~・・・ビクティアちゃんですか? なんだか以前にもまして戦い方が・・・その、アグレッシブになったような」


「ああ、少し自重してほしいのだがね。それにビクティアには魔術の勉強もしてほしいのに、勉強嫌いなのか座学の時間になるといつの間にか忽然と姿を消している」


「完全に面倒事と思われている・・・」


 少女の肩が力なく落ちる。そんな会話をしている間にも、遠くからは爆音と魔物の断末魔のような咆哮が連続して聞こえてきていた。まるでひとりで戦場を蹂躙しているかのような轟きに、誰もが同じ人物の顔を思い浮かべる。


 レイナは深く溜め息をついた。


「まったく。あの子には魔術の基礎を叩き込んでやりたいのに、座学の時間になると煙のように消えおって・・・これからは国家魔法少女戦闘団も《魔砲少女戦闘団》と名を改める。魔術と武装を併用してこその新時代なのに・・・殴る蹴るで魔物を粉砕していては拳闘士そのものだ」


 呆れ混じりに肩をすくめ、皮肉を吐き出す。


「いっそあいつにだけ《魔砲拳闘士》とでも名乗らせるか?」


「別にいいぜ」


 不意に背後から声が落ちてきた。


「うわぁあっ!?」


 少女たちが悲鳴を上げて飛び退く。振り向けば、全身血と埃にまみれた黒髪の少女が、獣のような笑みを浮かべて立っていた。


「ビクティア・・・っ!」


 レイナが額に手を当てる。


「そっちは片付いたのか?」


「ああ、ぜんぶ粉砕したぜ。骨も肉も跡形も残さずにな。次はどこだ? もっと暴れさせろよ、まだまだ足りねえ!」


 眼を爛々と輝かせるビクティア。その姿は戦場を楽しむ猛獣そのものだった。


「・・・あの二人のような戦闘狂がまた増えてしまったな」


 レイナは重く吐息を洩らしながら、遠ざかる爆炎を見やった。






 ―――――






 「なるほどね。アレイシア国は未来へ歩み出したみたいだね」


 月光に照らされた病室の中、ラキがぽつりと呟いた。その声音は軽やかだが、瞳の奥にはこの国を見届けてきた旅人としての実感がにじんでいる。


「まあ、前途多難すぎると思うけどね。私はターちゃんみたいに気の利いたアイデアを出すこともできなかったし、やったことと言えば片っ端から魔物討伐したくらいなんだ」


 ラキは肩をすくめて笑ったが、その笑みはどこか寂しげでもあった。


「たとえそうだとしてもラキにできることをしたんだし、気に病むことはないよ」


 タギツは夜の病室の窓辺から流れ込む冷気を浴びながら、満月を仰ぎ見ていた。淡い光が彼女の銀髪を照らし、静謐な空気の中にその姿を浮かび上がらせる。


「それにしても久しぶりだな。ここまで長居したのは」


「そういえば私達ってあまり長く一つの国にいないよね~。旅人だから当たり前だけれど。でも、楽しかったな~。面白い体験もできたし、面白い食べ物にも出会えたし、そしてやりたいようにやれた!! 私この国に愛着が湧いたかも」


 ラキの笑顔は無邪気で、どこか子供のように純粋だった。その声が病室の静けさを打ち破り、どこか救いのように響く。


「ならこの国に定住する?」


 タギツは首をかしげ、わずかに笑みを浮かべながら問いかけた。


 ラキは顎に手を当てて唸りながらも、やがてにんまりと笑みを浮かべて答える。


「・・・私達は旅人。どこまでもどこまでも流離うのが宿命だよ? ターちゃんこそこの国を離れられなくなったんじゃない? どうなの~?」


「それこそまさか。僕はこの国に執着はないよ。それに僕の宿願はこの国では成就しない」


「となれば」


「当然。国を出るよ」


「まあ、そうなるね! じゃあ旅に出る準備しなきゃだね~! 荷物まとめて来るよ」


 そう言うや否や、ラキは病室を飛び出していった。足音がバタバタと遠ざかり、やがて夜の廊下に溶けて消えていく。


 タギツは一人残された病室の中、ベッドに身を横たえ、天井を仰ぐ。心なしか、ラキが去った後の空間は急に広く、冷たく感じられた。


 彼女は胸に手を当て、瞼を閉じる。静寂の中、自分の心臓の鼓動に意識を集中させた。


 ――ドクン。


 己の生きる証を刻む律動。だがそれと同時に、別の音が確かに聞こえてくる。


 ――ドクン。ドクン。


 自分のものではない、異質な鼓動。肉体の奥底で共鳴するそれは、確かにもうひとつの「心臓」だった。


「・・・魔女の心臓は正常に機能しているみたいだね」


 タギツの唇から、誰にも聞かれない言葉が零れる。月明かりが差し込む静謐な病室で、彼女の声は淡く震えていた。


「これで・・・また一歩、進んだ」


 満月が空高く輝き、タギツの横顔を青白く照らしていた。その瞳には、誰も知らない秘密と決意の色が宿っていた。





 ―――――






 

「それでね~ 捜索してたリュディア王女様なんだけど、あの後意識を取り戻してね、少し混乱してたみたいだけれど状況が呑み込めてから一旦本国に帰ったんだよね。まああれだけのことがあったとなると一度戻らなきゃだけど、アレイシア国を恨んでないといいんだけどね」


「そればかりは僕でも推し量りようがないね。リュディア王女が今後どうこの国と向き合っていくのかは本人が決めることだろうし、ともあれ本国に帰ったのなら僕たちはさっさとヴェグリスト王国から報酬受け取って旅へ戻るよ」


「――ねえ、ターちゃん。ほんとによかったのかな? みんなに何も告げずに出てきちゃったけど」


「手紙は残した。それに僕たちは王女の捜索と救出のためにこの国へ来たんだ。目的が達成されたならさっさと出るべきだよ。この国のことはこの国の人がやるべきだからね。僕たちが長居してもこの国のためにはならない。それに会ったら絶対にこの国にいてほしいと引き留められる。だからこのままでいい」


「そっか・・・。それもそうだね」


「というか僕もラキもアレイシア国の建物とか色々とぶっ壊し過ぎた。さっさと逃げないと「建物壊したよネ?賠償してくれないかな?」ってなったら数年単位で国から出られなくなるかもしれない。だから何か言われる前にさっさと行方をくらます」


「・・・ターちゃん、本音が駄々洩れだよ?」


 ラキとタギツの二人は、他愛もない世間話をしながら国境へ向かって歩いていた。街中の喧騒や騒乱の気配はここまで届かず、代わりに草木を揺らす風の音と、遠くに響く鳥の声が耳に心地よい。レンガで舗装された街道は夕焼けに照らされ、赤褐色に輝いていた。


 ふたりが辿り着いた国境検問所には、威風堂々とした大門がそびえ立ち、その前には槍を持った衛兵たちが静かに立哨していた。ここは彼女たちが留学生として潜入した時にも通った場所であり、いまはずっと昔の出来事のように思える。


 門の前まで進んだその時、前方の大門の前に見覚えのある影があった。


「黙っていくなんてみずくさいですわよ、二人とも」


「わ、私もまだお別れ言ってません!」


「私もラキさんとまだ最後の手合わせしてないですから、まだ行かないでください!」


「あなたはちょっと黙っててくださいまし」


「まあまあ、二人とも今はお見送りが先ですよ」


 聞き覚えのある声に振り返ると、そこにはアナスタシア、ミレイ、アリエル、アステリアの4人が並んで立っていた。夕陽を背に、彼女たちの姿はひときわ鮮やかに映える。確かに、ラキとタギツは手紙を残してきた。だが、まさか大門の前で待ち伏せされるとは思ってもみなかった。


「あれ~?今日出ていくなんて言ってなかったのに、どうして?」


 ラキが首をかしげながら問いかけると、アステリアは胸を張り、にやりと自慢げな笑みを浮かべた。


「私の情報網を侮ってもらっちゃ困りますね。これでも結構伝手がありまして・・・あなた達が出国することを事前に把握していました」


 その声色はどこか得意げで、仲間を送り出す寂しさを隠すようにも聞こえた。彼女の言葉にラキは目を丸くして、思わず声を上げる。


「そんな情報網持ってたの!?」


 アステリアが胸を張ろうとした瞬間、タギツが冷ややかに口を挟む。


「そんなわけないでしょう。手紙見た後、大急ぎでここまで飛んできたんだよ。・・・空に飛行したあとの雲、まだ残ってるし」


 言われて見上げれば、夕暮れの空に不自然に裂けたような白い雲の筋が漂っていた。アステリアは気まずそうに頬を赤らめ、咳払いで誤魔化す。


「・・・観察眼が鋭すぎるんですよ、あなたは」


 場の空気が少し和んだその時、アナスタシアが一歩前に出て、真剣な眼差しで二人を見つめた。


「・・・本当に、もう行ってしまわれるのですか? せめて、このアレイシア国が安定するまでいていただくことはできないのですか?」


 その声には、国を背負う者としての責任と、少女らしい名残惜しさが入り混じっていた。


「そ、そうですよ!」と続けざまにミレイが声を上げる。握り締めた拳が小刻みに震えていた。


「私も、まだまだラキさんとタギツさんと一緒にいたいです! もっといろんなことを教えてほしいですし、せっかく仲良くなったのに・・・もうお別れだなんて。そ、そうですよ! なにもすぐに出て行く必要はないです! これからも、この国に残って一緒に――」


 必死に訴えかけるミレイの声を、ラキは困ったように微笑みながらも遮った。


「ミレイちゃん、ごめんね~。ラキちゃん的にも、それはすごく魅力的な提案なんだけど……私たちは旅人。一つの国にとどまらず、流離うものだからね」


 ラキはそう言いながら、手を広げて夕焼けに染まる空を指さす。


「それに、この国はもう大丈夫! これからはミレイちゃんたちが、この国をもっと良くしていく番なんだよ。そこに私たちが居座るのは、むしろ邪魔になっちゃうからさ」


「そんな・・・!」


 ミレイが食い下がろうとするも、アナスタシアがそっと肩に手を置き、優しく首を振った。言葉にならない感情が喉の奥で震えている。


 その静寂を破ったのは、アリエルの挑むような声だった。


「まだ決着ついてませんし、最後のここでもう一戦しません? ラキさんも、やりたいですよね?」


「あなたはお見送りに来たのか決闘しに来たのか、どっちですの!」


 アナスタシアの鋭いツッコミに、ラキは「アハハ!」と快活に笑い飛ばす。そして真剣な眼差しでアリエルに向き直った。


「アリエルとは結局決着はつかなかったけど、それはまた今度にしよう! 私も旅をしながらもっともっと強くなるつもりだから……アリエルも鍛え上げるの、サボらないでよ?」


「なるほど、勝負はおあずけ・・・というやつですね。わかりました」


 アリエルは口元を引き締めて頷き、ラキと固く握手を交わす。その掌の温もりが互いの決意を確かに伝えていた。


 そしてふと思い出したように、タギツが口にくわえていたパイプを静かに外した。荷車から車椅子ごと魔術でふわりと浮かび上がり、地面に降り立つ。石畳に車輪が触れる乾いた音が、妙に響いた。


 夕暮れの光の中、タギツはアステリアに向かってゆっくりと近づいていった――。


「アステリア。約束だから君にだけ教えていくよ。僕の旅の目的」


 そういってタギツはアステリアを手招きした。アステリアは一瞬何のことかと思ったがすぐに思い出してタギツのそばへと駆け寄った。


「他の人は聞かないでほしい。これは、彼女にだけ話すって決めていたことだから」


 アナスタシア、アリエル、ミレイは顔を見合わせ、少し戸惑いながらも距離を取った。

 夕風が吹き抜け、二人だけの小さな空間がそこにできあがる。


 タギツは少し俯き、やがてアステリアの耳元にかがむと静かに語り始めた。


「――――――」


 その声は囁きに近く、他の誰にも届かない。

 アステリアの瞳が、語られる秘密の一言ごとに揺らぎ、見開かれ、ついには大きく瞠目した。


「・・・っ!」


 思わず息を呑み、バッとタギツの顔を見つめる。


「・・・それって、空想上のお話じゃなくて・・・本当のことなの?」


 夕陽を背にしたタギツは、静かに微笑んで頷いた。


「本当だよ。このことは内緒にしていてね。・・・まあ、話したところで信じてもらえるとは思えないけど」


 その柔らかな声音には、長い旅で背負ってきた重みと孤独が滲んでいた。

 アステリアは胸に手を当て、深く息を吐いた。


「・・・まあ、確かに。信じられないくらいだけど・・・」


 少し間を置き、力強くうなずく。


「わかったわ。私にだけ話してくれた秘密。誰にも言わない。約束する」


 その決意にタギツは小さく笑みを浮かべ、「ありがとう」とだけ返した。


 やがて、他の仲間たちが再び集まり、短い沈黙のあとに言葉にならない想いを込めて見送る。

 大門が軋む音を立ててゆっくりと開き、日が昇る前の静かな道から冷たい風が二人を迎え入れるように吹き込んだ。


 ラキは軽く手を振り、タギツは一度だけ後ろを振り返る。

 そこには、不安と期待の入り混じった眼差しで立ち尽くす4人の仲間の姿があった。


 ――そして、ラキとタギツは再び旅路へと歩み出す。

 その背中は、夕暮れと夜の境目へと溶けていき、やがて大門が閉じられる音が静かに響いた。


 残された4人の胸には、それぞれの約束と未練、そして再会を信じる強い願いだけが残っていた。







 ――おしまい。

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