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二人ぼっちの旅日記  作者: きりん
17/20

黎明の国の魔法少女たち 第二編

数日が経ち、ついに出発の日が訪れた。


 学園の正門前の広場には、今日から防衛線へと向かう少女たちがぽつぽつと集まっていた。全校生徒の数からすれば、ほんのひと握り――おそらく1%程度、ざっと見積もって百人弱といったところか。だがその場に集まった者たちの顔は、皆一様に緊張と不安の色を浮かべていた。

 張り詰めた空気。朝の冷えた空気に混じって、少女たちの震える息が白く揺れる。拳を握りしめて指先を震わせている者、落ち着かない足取りでその場をぐるぐると歩き回る者、じっと遠くを見つめて何かを祈るように立つ者。

 その場には、戦場へ向かう前の、初めて「死」を意識した者たちの、生の心があった。


 しかし、そんな張り詰めた空気から少し離れた場所――広場の端にぽつんと立っている二人の少女だけは、まるで別の空気を纏っていた。


 ラキとタギツである。


 ラキは布でぐるぐる巻きにしたミョルミーベルとリュックを軽々と背負いながら、手持ち無沙汰に空を見上げていた。青空には白い雲がゆっくりと流れ、鳥が二羽、くるりと旋回していた。一方、隣のタギツはと言えば、無表情で手を組みながら、その場の全体を観察していた。鋭い視線で少女たちの顔をひとつひとつ見渡し、落ち着かない者を見つけては軽く眉をしかめる。


「・・・震えるほど怯えてるのに、それでも行くのか」


「まぁ、怖くても行かなきゃって思ったんだろうね~。誰かの役に立ちたいとか、家柄的にいかなきゃ示しが付かないとか、色々さ~」


 ラキが肩をすくめて笑う。怖れという感情が自分には無縁だと言わんばかりの軽さだった。タギツはそんなラキにちらりと目を向けると、小さくため息をついた。


「・・・本当に、そういうとこだぞ」


 そしてもう一つ、タギツにはここにいる理由があった。そもそも彼女は参加する気など一切なかったのだ。


 だが――


「お、来た来たアリエル~!」


 ラキが手を大きく振ったその先から、リュックを背負ったアリエルが小走りでやって来る姿があった。学園の制服の上からジャケットを羽織り、各種の魔術装具や薬品などを詰め込んだ重たげな荷物を背負いながら、彼女はようやく二人の前にたどり着いた。


「ふぅ・・・思ったより荷物が多くなっちゃいました。・・・でも、二人とも準備はよさそうですね。まさかラキさんだけでなく、タギツさんも参加するとは思いませんでしたが」


 アリエルは汗を拭いながら言った。顔にはいつもの柔らかい笑みが浮かんでいる。張り詰めた広場の空気とは明らかに違う、彼女もまた「平常」だった。


「ラキが勝手に名簿に書き込んだせいで強制参加になった」


 タギツはぴしゃりと冷めた声で言い放つ。


「よかったねターちゃん♪ いっしょに行けたら嬉しいな~って思って書いちゃった☆」


 ラキがテヘペロとおちゃめな笑顔をタギツに向けた。その笑顔に、タギツのこめかみがぴくりと動いた。


「もう一回アイアンクロ―されたいの?」


「ひいっ、タギツさんこわい! でもターちゃんのそういうとこも好き!」


「うるさい」


 二人の掛け合いに、アリエルが思わず吹き出した。緊張の渦中にありながらも、まるでいつもと変わらないやり取りに、少しだけ救われるような気がした。


 そしてその時――さらに二人、ラキとタギツの元へと歩み寄る影があった。


「おおっ、ミレイにアナスタシアだぁ~! 二人とも来たんだ!」


 駆け寄ろうとしたラキの肩をタギツが無言で引き止めたが、本人はまるで気にする様子もない。手をぶんぶん振るラキに、やや疲れた様子で応じるのは、茶色の髪を揺らすミレイと、気高さを崩さぬまましっかりと歩を進めるアナスタシアだった。


「あ・・・やっぱりいましたね、ラキさん」


「・・・まったく、あなたは本当に手のかかる子ですわ」


 アナスタシアがそう言いながら歩み寄ってくる。その言葉に責める響きはない。ただ、呆れたような、けれどどこか安心したような声音だった。


「って、ミレイもここにいるということは・・・」


 ラキが目を丸くして問いかける。ミレイは小さくうなずいた。


「うん。結局、参加することにした。・・・最後まで迷ってたんだけど・・・でも、やっぱり心配だったから。アナスタシアもいるし、ラキもいるし・・・怖いけど、でも放っておけなかった」


「ミレイ・・・!」


 ラキがぱあっと目を輝かせる。そんな彼女の様子に、アナスタシアがふっと息をついた。


「正直に申し上げますと、私はあなたの“本質”を理解することはできませんわ。戦いを恐れず、むしろ喜んでいるようなその在り方・・・私には到底受け入れがたい考え方でした」


 ラキは気まずそうに苦笑いを受けべたが、アナスタシアは続けて言った。


「・・・でも、ラキさん。あなたは私たちのクラスメイトで、友達です。そして今からは、同じ戦場に立つ“戦友”になりますわ」


 その言葉に、ミレイが小さくうなずいて言葉を継ぐ。


「うん。たぶん、ずっとわかることはないと思います。でも・・・それでも、私たちのことを友達だって言って仲良くしてくれる優しい人だって知ってます。だったら、私たちも同じように、ラキを信じたいなって思ったんです。わかんないけど、受け入れたいなって」


 それを聞いたラキは、ぽかんと口を開けて、数秒間固まった。


「・・・そっかぁ」


 肩の力がふっと抜けるように、ラキはゆるゆると笑った。


「ありがとね。・・・なんか、うれしいな。わかってもらえないかもって思ってたけど、受け入れてくれるってだけで、すごく嬉しい」


 そう言って、彼女は満面の笑みを浮かべて両手を広げた。


「じゃあ、みんなで行こっか! 戦場でも、いっしょにいられるなんて、最高じゃん!」


「ちょ、ちょっと! 抱きつかないでくださいまし! 暑苦しいですわ!」


「わっ、ラキ、近いってば!」


  和やかな空気が一瞬揺れたのは、重厚な車輪の音が遠くから響いてきた時だった。


 石畳の道を、軍用のゴーレムが引っ張る幌車が数台、ゆっくりと近づいてくる。荷台は物資と座席でぎっしりと埋められ、兵站用とは思えないほど整備された軍用仕様。幌を風でなびかせながら止まったそのうちの一台から、赤いポニーテールを揺らす少女が軽やかに降り立った。


 軍服に黒のプリーツスカートを合わせた国家魔法少女戦闘団長、レイナ・ヴァルグレイス。


 彼女はすっと背筋を伸ばし、集まった百人ほどの少女たちを一瞥する。沈黙の中に、重みが走る。誰もがその一言を待っている中で、レイナははっきりとした声で口を開いた。


「諸君。今日この場に集まってくれたことに、心から感謝する」


 その言葉に、少女たちの緊張がほんのわずか緩む。けれど彼女はすぐに、まっすぐな視線でその空気を引き締めた。


「本来、君たちに戦場に立つ義務などはない。君たちは学生であり、本来ならば学び舎に守られるべき立場だ。それでも、志願してこの防衛任務に参加してくれること・・・その覚悟と勇気に、私は敬意を表する」


 一瞬の沈黙。誰かがごくりと喉を鳴らしたのが聞こえた。


「だが、これはあくまで“後方支援”であり、前線での直接戦闘任務ではない。・・・とはいえ、それが戦場である以上、何が起こるかはわからない。敵が予想以上に侵攻してくるかもしれないし、味方の陣形が崩れる可能性もある」


 レイナの声は穏やかだが、鋼の芯が通っている。


「不測の事態が起きた時、自分の身をどう守るか。仲間をどう支えるか。判断を誤れば命を落とす。ゆめゆめ、“後方だから大丈夫”などと思わぬように」


 少女たちの表情が一様に引き締まっていく。中には緊張に唇を噛む者もいれば、小さく拳を握る者もいた。


「──君たちの任務は、誇るべきものだ。支援も、戦闘も、同じ戦場に立つ者にとっては命綱となる。どうか、そのことを忘れずにいてほしい」


 その言葉をもって、レイナは一歩下がり、軽く手を上げた。


「では、各自、幌車に乗れ。出発する。・・・どうか武運長久を」






 ―――――






 アレイシア王国の東端。

 なだらかな丘陵が連なるはずの地形は、今や荒廃の極みにあった。地表には草一本生えず、陽の光を遮るように広がる灰色の曇天の下、ただ石と砂が地を覆い、風に巻き上げられた砂塵が空を漂っている。


 砂混じりの風が少女たちの制服を叩きつけ、視界を霞ませ、口元にはざらりとした苦い感触が残る。思わず手で顔を覆ったミレイが目を細めた。


「・・・ここが、戦場・・・」


 ラキは曇天を仰いで「やっぱり薄暗いねえ」とぼやき、タギツはじっと前方を見つめている。その視線の先、丘陵の起伏の陰から姿を現したのは、まさしく“要塞”と呼ぶに相応しい巨大な建築物だった。


 それは地面から屹立するようにして存在していた。

 分厚く組まれた石造りの外壁には、古い戦傷の痕跡が刻まれており、その上から魔力で編まれた防御結界が薄く光の膜を成している。魔物の突進を受けてもびくともしない堅牢さを誇るその壁面には、砲台が埋め込まれ、遠距離魔力砲と実弾砲が交互に何門も並び、常に戦闘を想定した警戒体制が敷かれていた。


 壁上の旗竿にはアレイシアの国旗──銀の星と三本の槍を描いた紋章が、砂塵交じりの風にはためいている。無骨で冷たい色合いが、この戦地の厳しさを物語っていた。


「すごいですわ・・・さすが魔法少女の前線基地ですわね・・・」


 アナスタシアがぼそりと呟いた。彼女の瞳に映る要塞は、美しさとは無縁の、ただただ実用性と防御力を極限まで追求した“戦のための建物”だった。


 幌車がゆっくりと正門前で停車する。

 厚い鉄扉がギィ・・・と音を立てて内側から開かれると、その隙間から最前線で戦っている国家魔法少女戦闘団の魔法少女が姿を見せた。警戒の目を向けつつも、彼らは整列して幌車を迎え入れる準備を整えている。


「降車準備!」


 レイナの指示が響くと、少女たちは一人、また一人と幌車から地面に足をつけた。砂に埋もれかけた足元を確かめるように、少女たちは要塞の門へと歩を進める。緊張に息を呑む者もいれば、唇を引き結んで無言の決意を固める者もいた。


 門をくぐると、内部にはさらに広大な空間が広がっていた。

 兵舎、医療施設、物資倉庫、訓練用の演習地──全てが幾何学的に配置され、効率的な戦闘行動を想定して築かれていた。少女たちの視線が釘付けになるのも無理はなかった。それでも少女たちは、歩みを止めなかった。彼女たちは、戦場へ来た。誰かに命じられたのではなく、自らの意志で。


要塞内の広場に生徒たちが一か所に集められると、レイナ・ヴァルグレイスが一歩前に出て、静かに告げた。


「紹介する。ここ、東方防衛要塞の後方支援部隊を束ねている隊長──魔法少女エリシア・フェンリルだ」


 その名と同時に、一人の少女が現れた。

 レイナの隣に歩み出たその姿は、まさしく“魔法少女”と呼ぶにふさわしい、華やかで繊細な衣装に包まれていた。

 淡いピンクと白を基調としたドレスのような戦闘服は、金糸や魔石の装飾で彩られ、まるで舞踏会から抜け出してきたような美しさがあった。肩まで届く銀髪は丁寧に整えられており、細身の体格も相まって、まるで絵本の中の登場人物のように見えた。


 だが、その印象は、彼女の顔を見た瞬間に打ち砕かれる。

 肌は青白く、唇には血の気がなかった。

 目の下には深い隈が刻まれ、疲弊しきったその表情は、まるで数日まともに眠っていない人間そのものだった。


 「ようこそ、遠いところを・・・。東方防衛線へ」


 エリシアの声は澄んでいたが、どこか掠れていた。微笑みは浮かべているが、それは礼儀としての仮面に過ぎないことが誰の目にも明らかだった。


 だがそれ以上に少女達が驚いたのは彼女がやってきた背後の扉、その奥に広がっていた光景であり、少女たちが想像すらしていなかった“現実”だった。


 部屋の中はまるで野戦病院のようだった。簡易ベッドが所狭しと並べられ、その上には血に染まった包帯を巻かれた魔法少女たちが、呻き声を上げながら横たわっていた。腕を失った者。顔の半分を包帯で覆った者。意識を失っている者。

 いずれも、魔法少女という言葉から想像されるような“無敵の存在”とはあまりにもかけ離れた姿だった。


「・・・うそ」


 ミレイが小さく、震える声で呟いた。彼女の表情はみるみるうちに青ざめ、隣のアナスタシアも同様に、唇を噛んでその場に立ち尽くしていた。


「確かに魔物の大攻勢で押されているとは聞きましたが・・・ここまでヒドイ状況でしたの?」


 これは現実なのか?と疑いたくなる光景に思わず思ったことを呟いたアナスタシア。


 タギツはただ黙っていた。

 目を細め、顔をしかめることなく、静かに、目の前の光景を見つめていた。


 生徒の少女達がエリシアの背後の部屋の惨状に絶句しているのに気がつきエリシアは生気のない疲れ切った声で言った。


「魔物は強いわ。でも・・・それ以上に、容赦がない。前線では、何が起きるか分からない。

 後方支援部隊だからといって、安全とは限らないの。

 忘れないで。あなたたちがここに来たということは──もう、戦場に足を踏み入れているということを」


 誰も、言葉を返さなかった。

 その場にいた全員が、言葉ではなく“現実”で叩きつけられた衝撃に呆然としていた。


 目の前で呻く少女たち。無惨に破れた衣装、血の匂い、魔力の残滓──。 それらすべてが、学園で過ごしていた日々との落差を物語っていた。魔法少女だからといって、無敵ではなく、戦い続ければ、傷つき、倒れ伏せ、そして死ぬ。

 その当然の事実が、ようやく彼女たちの胸に深く突き刺さったのだった。


 そんな現実を知った少女達の顔はとても暗いものだったが現実はそんな少女達の事を待ってはくれなかった。




 ドォオオオオオオオオオオオンンンン!!!



突然、地鳴りのような轟音が要塞全体を揺らした。


「きゃっ・・・!」


「な、何――!?」


 要塞の天井からパラパラと石の破片が降ってきて、生徒たちは思わず身をかがめる。壁にかけられていた古びたランタンが軋み、床に落ちてひび割れた。揺れは一瞬だったが、重苦しい緊張が空気を満たしていた。


 直後──けたたましい魔法警報が鳴り響いた。

 鋭く高い音が要塞中に響き渡り、静寂は一瞬で打ち破られた。


「警報!? 何があったの!」


「魔物の襲撃か――!?」


 動揺する生徒たちの間を縫うように、赤い軍服のレイナ・ヴァルグレイスが鋭く叫ぶ。


「状況を報告しなさい!」


 駆け寄ってきた魔法少女が息を切らしながら報告した。


「魔物の群れが再び活動を開始しました!南東の丘陵地帯から接近中、数は多く、迎撃部隊を今すぐ出す必要があります!」


 レイナは顎を引き、表情を引き締める。


「・・・全ての待機部隊に迎撃命令。空戦魔法少女を優先的に配置。後方支援部隊は即時態勢を整え、負傷者と物資運搬にあたれ!」


 レイナは振り返り、生徒たちへと命じる。


 「ここにいるあなたたちは、後方支援部隊として行動してもらう。負傷した魔法少女の治療、新たな搬送者の対応、そして前線への物資運搬。魔道具の再充填と運用も頼むわ」


 生徒たちは戸惑いながらも頷く。恐怖はあれど、任された役割が彼女たちにわずかながら自覚と責任を芽生えさせていた。


 その時、要塞の天井がわずかに開き、そこから何十もの魔法少女たちが飛び立っていった。

 鮮やかな光の尾を引いて、空へと舞い上がっていく彼女たちの姿は、まるで夜空に放たれた彗星のようだった。

 白、青、赤、金――無数の魔力光が尾を引いて大空を駆ける。その軌跡は一瞬の幻想のように美しく、地上からそれを見上げる生徒たちはただただ目を奪われていた。

「すごい・・・」


 ミレイがぽつりと呟いた。

 アナスタシアは言葉もなく、ただ目を見開いてその光景を見つめていた。


 遠くの荒野。灰色の空の下、魔物の群れが蠢き、突撃してくる。その目前に降り立った魔法少女たちが一斉に魔法を放った。轟く爆音。天を焦がす炎の柱が魔物の群れを焼き払い、氷の槍が空から降り注ぎ、地面を覆い尽くす。風が刃となって渦巻き、雷の閃光が一瞬にして視界を白く塗りつぶす。魔法少女たちの放つ魔法が交差し、敵を次々と駆逐していく光景を遠巻きにその戦いを見つめる生徒の少女達


 レイナも残った後方支援部隊に少女達を任せて出撃し残された生徒の少女たちは各々ができることをし始めた。


 一方最前線では魔法少女たちが怒涛の勢いで魔物を駆逐していく中、ある違和感がじわじわと広がっていた。歴戦の魔法少女達であるからこそ感じ取った違和感


「・・・おかしい」


「妙にあっさりすぎる・・・」


 炎や氷、雷の魔法が次々に魔物を焼き払い、蹴散らしていく。しかし、魔物の動きはどこか鈍く、抵抗が少なすぎる。最前線に出ていた歴戦の魔法少女たちが顔を見合わせた。同じく最前線に出撃したレイナは眼下の魔物に注意しながらも思考を切り替えて考えた。そして一つの結論に至った。


「これは・・・陽動? 何のため? 後方支援部隊・・・ 分断・・・ッ! 全部隊撤退だ!! 後方の部隊が」


 魔物の狙いが分かり急いで後方へ戻ろうとしたレイナだがその直後――突如として魔物の本隊が姿を現し、前線の魔法少女たちを包囲するように攻め立てた。


「くっ・・・っ、戻れない・・・!!」


 進軍も後退もできない激しい攻勢。最前線の部隊は、後方に目をやることすらできなくなっていた。


 そして――


 その後方支援部隊がいる要塞の一角。

 治療班や物資運搬を行っていた生徒たちのいる空間に、突如、凄まじい破壊音が要塞に引き渡った。要塞の壁は石造りの上防御魔法が掛けられていて簡単に破壊できないはず。にもかかわらず簡単に突破され要塞内に鋭い牙、節くれだった腕、鋼の鱗を持つ異形の魔獣が、まるで洪水のように雪崩れ込んできた。


「――え?」


「魔物!? なんでここに――!?」


「いやっ・・・いやああっ!!」


 要塞の内部に、まるで地獄の門が開かれたかのような混乱が広がっていた。


耳をつんざくような獣の咆哮が響き、突如現れた魔物たちの異形の影が、まるで流れ込む濁流のように廊下を埋め尽くしていた。鋭い爪が石床を引っかき、獣臭と腐肉の匂いが空気を染める。


生徒の少女たちは恐怖に突き動かされ、四方八方へと逃げ出していった。誰かを助ける余裕などない。背中合わせに転倒し、足をもつれさせてベッドの下に這い込む者、積まれた物資の陰に身を隠そうとして荷崩れに巻き込まれる者。床には落とされた魔導具や医療器具が散乱し、誰かの血で滑って転倒する者もいた。


 あちこちから踏み鳴らされる足音と、獣の咆哮、物資が崩れる音、遠くで破壊される石壁の轟音が、混然一体となって響く。悲鳴と、泣き叫ぶ声が要塞の広間を満たしていた。


担架の上に横たわる負傷した魔法少女たちは、荒れ狂う騒音の中、身動き一つできず、ただ天井を見上げていた。包帯の下から赤黒い血がにじみ、冷や汗が額を伝う。腕や脚が動かせない者、傷の痛みに顔を歪める者。その誰もが、戦うことができず、やがて訪れるものから逃れる術を持っていなかった。


彼女たちは口を開くこともせず、ただ、目を見開いていた。諦めにも似た静かな絶望― 視線の先には、迫り来る魔物の影が映っていた。


その場に漂う空気が、まるで死を待つ静寂へと変わろうとしたそのとき。


その場違いなほど眩しい煌めきと共に、ラキが現れた。


「・・・戦いだ~~~!!」


  抑えていた笑みが弾け部屋の中を照らすような輝きを放つ黄金の戦槌ミョルミーベルを軽々と振り回すと一気に跳躍して魔物に接近し重すぎる一撃を叩き込んだ。


 ズガァァァン!!


 巻き上がる血と骨の音と共に、突っ込んできた魔物が床と一体化するように叩き潰された。


 「ひゃっほう!次っ!!」


 地を跳ね、天井すれすれを駆け、振り下ろす鉄槌。魔物の頭蓋が砕け、内臓が散り、部屋の中が瞬く間に修羅場と化す。


 「行っくよ~~っ!!」


 ズドオォォォン!!!


 一閃。振るわれたミョルミーベルの一撃が、大地を砕いて前方の魔物数体をまとめて押し潰した。骨が砕け、体液が飛び散り、衝撃波が建物の窓を吹き飛ばす。


 「う、うそ・・・! なに、あの威力・・・!」


 支援部隊の魔法少女のひとりが震える声でつぶやく。その間にも、ラキは跳ねるように前に出て、跳びかかってきた魔物をハンマーの柄でなぎ払った。


 「ほらほらっ!次はどいつ~!?」


 狂気じみた笑みを浮かべるラキの姿は、戦場に舞い降りた破壊の精霊のようだった。


 そして――その後ろから、ひとりの少女がゆっくりと歩み出てくる。


 「・・・あらら。魔物が入ってきちゃいましたか。仕方ないですね」


 微笑みを浮かべながら、アリエルが静かに手を掲げる。光のような粒子が周囲に漂い、彼女の周囲に魔法陣がいくつも浮かび上がった。


「《マギアシステム―リンク開始》」



 アリエルの髪がふわりと浮き、全身が光に包まれ、瞬時に純白と金を基調とした魔法少女の衣装。細やかな装飾が施されたスカートと、腰には軽やかな魔導布、腕には精緻な魔術刻印が浮かぶガントレットが装着された。 背中に純白の天使の翼が広がり彼女の魔法少女としての姿がそこにあった。 アリエルの周囲には、魔力の粒子が舞い、白銀の残光が残されていた。


 「・・・接近戦型と遠隔広域型、同時展開可能。問題なし。それでは始めましょうか」


その瞬間、空気が一変した。


 ズバンッ! ドオォォンッ!! ギャアアアア!!!


 アリエルが指を弾くだけで、魔法陣から雷光が走り、氷の槍が敵を貫き、爆風が吹き荒れる。要塞の中はまるで彗星の通り道のように焼け焦げ、破壊された魔物の肉片が周囲に散った。更にもう片方の手に光が収束して一本の長剣になると接近してきた魔物を片っ端から切り裂いていった。


 支援部隊の魔法少女たちは目を見開いていた。


 その圧倒的な精度と威力。戦いの場において、彼女が持つ資質と才能が如何なく発揮されていく。後方支援部隊の魔法少女たちは、信じられないものを見るように二人を見つめていた。


 「な、何・・・あの子たち・・・」


 「戦場の、魔物の群れが・・・ぐちゃぐちゃに・・・」


 次々と床に叩きつけられ、壁に潰され、天井に刺さり、断末魔をあげる間もなくバラバラになっていく魔物たち。いっそ哀れに思えてくるほど一方的な攻撃はもはや戦闘ではなく虐殺そののも。まさに、破壊の嵐であった。




 ――この子たちは、いったい何なんだ?




 生徒の少女たちも、さっきまで荷物を運んでいたはずの同級生たちが、目の前で次々と魔物を粉砕していく姿に言葉を失っていた。もちろん二人が強いことはあの訓練場での手合わせで知っていたが実際に魔物をこうもあっさりと駆逐していく光景にただ茫然とするしかなかった。

 魔物の群れは次々に押し寄せてくる。だが、ラキの笑い声とミョルミーベルの衝撃音。そしてアリエルの静かな殺気と魔法の閃光が、それを片端から迎撃していった。


 「うひゃー!全然止まんないねこいつら!アリエル、こっちはまだまだ来るよ!」


 「はいはい、そちらはお願い。私はこっちの中型の方を片付けますね」


 まるで日常会話のような軽さで、ふたりは要塞の中で圧倒的な存在感を放ち続けていた。


 彼女たちだけが、戦場を楽しんでいるかのように――。



 

 要塞の中は、嵐が過ぎ去った直後のような惨状だった。


 崩れた壁の隙間からは、まだ冷たい風が吹き込み、砂塵が薄く舞っていた。石造りの廊下や床には裂け目が走り、かつて整然と並んでいた医療用ベッドや魔道具、治療器具の数々が今やぐちゃぐちゃに押し潰され、あるいは破壊されて無残な残骸と化していた。


 その破壊された要塞の至るところに、魔物の死骸が散乱していた。巨大な牙を剥き出しにしたまま絶命したもの、焦げた皮膚を晒しながら壁に貼りついているもの、鋭い斬撃によって胴と脚がバラバラになっているものもあった。あちこちに飛び散った血と肉片の臭いが、残酷な現実を否応なく突きつけてくる。


 ラキとアリエルが迎え撃ったことで、魔物の群れは壊滅した。だが、その代償は小さくなかった。


 壁を破って突入してきた魔物の群れが、負傷して動けなかった数名の魔法少女を押し潰すようにしてなだれ込み、命を奪った。すでにその亡骸は安置室へと移されていたが、残されたその空白は痛ましいものだった。


 負傷者のベッドの周囲では、後方支援部隊の魔法少女たちや生徒たちが静かに後片付けを進めていた。けれども、魔物の死骸に手を触れようとする者は少なく、あまりに凄惨な光景に腰が引けて震えるばかりだった。


 そんな中、タギツが懐から取り出した小さな瓶の中から、ぬるりと緑色の粘液が溢れ出し、魔物の死骸に巻きつくように這い寄っていく。見る間に粘液は肉と骨を包み込み、ぬめる音を立てながら分解し、跡形もなく消していった。臭気と血痕までもがスライムに吸収され、少しずつ空間は清潔さを取り戻しつつあった。


 けれど、その清掃の静けさの中で、ひときわ異質な空気が流れていた。


 安置室の前、ラキは静かに膝をついていた。

 ミョルミーベルを脇に置き、金髪を揺らしながら両手を組み、目を閉じて祈りを捧げている。


 騒々しく、破天荒で、戦いに笑顔すら見せる彼女とはまるで別人のようだった。

 彼女の肩が、静かに、何かを背負うように沈んでいた。


 それを少し離れた場所で見ていたアナスタシアとミレイは、思わず顔を見合わせる。


 アナスタシアの表情には、混乱と困惑が浮かんでいた。彼女は小声で隣にいたタギツへ問いかける。


「・・・タギツさん。あの方、本当にラキさんなのですか?

こういうのも失礼ですがあんなふうに、人の死に祈りを捧げるような――そんな繊細な方だったなんて、思ってもみませんでしたわ。」


 その問いに、タギツはあくびをするような気怠げな口調で返す。


「ああ、そう。たしかに、ラキは戦いが好きだよ。

血が騒ぐとか、力比べが楽しいとか、そういうタイプ。だけどさ――

ラキは、自分が強いってことを確かめたいだけで、誰かに死んでほしいわけじゃない。

他人の不幸を望んでるわけでもないんだ。」


タギツは車椅子の背もたれに寄りかかりながら、ぼそりと続ける。


「たとえば・・・パンが好きな人がいたとしてさ。

その人がパンを食べたいからって、他の人を飢えさせようとは思わないでしょ?

ラキって、そういうやつなの。」


 その言葉を聞いて、アナスタシアはラキの背中を再び見る。

瞳を閉じ、静かに祈る彼女の背に差す光が、どこか神聖にすら見えた。


「・・・戻ってきた」


 誰かがそう呟いた直後、空を裂くようにして一筋の赤い光が飛来する。

 その光は徐々に速度を落としながら弧を描き、要塞の門の目前に降下したかと思うと、爆ぜるような風圧を巻き上げて着地した。


 土煙の中から現れたのは、血塗れの赤い軍服。

 破れた袖、剥き出しになった肩口からは血が滲み、片膝には黒い煤の跡。

 それでも少女は、凛とした赤い瞳に魔力の輝きを宿したまま、要塞の中へと踏み込んだ。


「みんな! 無事か!?」


 叫ぶようにしてレイナ・ヴァルグレイスは走り込む。

 息を切らせながら、レイナの瞳が要塞の中を見渡す――そして、動きを止めた。

 そこには、戦いの果てに残された静けさがあった。


 崩れかけた壁、焼け焦げた魔導照明。爆発の衝撃で砕けた通路の床。それらを、疲労困憊の少女たちが、懸命に片付けていた。


 後方支援部隊の魔法少女たちが、無言のまま道具を運び、負傷した仲間をベッドごと他室へと移動させている。

 見渡せば、少女たちの誰もが疲労にまみれ、顔には泥と煤がこびりつき、

 その表情は一様に――限界を超えた、虚ろなものだった。


 まるで何かが“終わってしまった”かのように。それでも、誰一人泣いていなかった。ただ、手を止めずにいた。


 “終わらせない”ために。


 そして。


 要塞の奥。半壊した通路の先に、ひときわ異質な静けさが漂っていた。


 安置室の前。

 その前で、金髪の少女――ラキが、静かに膝をついていた。


 あの破天荒で、笑って敵に飛び込んでいく彼女が、

 今はただ、両手を組み、金髪を揺らしながら目を閉じて――祈っていた。


 その先に、静かに横たわる魔法少女たちの亡骸。


 誰が、どんな力で、どう倒したのか。ここに来るまでの軌跡を、レイナは知らない。けれど、破壊の痕跡と、少女たちの消耗と、そして祈るラキの姿が――すべてを語っていた。


 レイナはその場に立ち尽くし、拳を握りしめ、わずかに肩を落とした。


 そして、言葉を絞り出すようにして、静かに、言った。


「――遅れて・・・すまない」


 レイナの悔恨の言葉が要塞内の冷たい空気に消えていった。






 ―――――






 夜の帳が静かに大地を包み込む中、要塞は深い沈黙に沈んでいた。

 昼間の喧騒――爆音と悲鳴、魔力の奔流と瓦礫の崩れる音――それらはまるで遠い夢のように消え、今はただ、夜風が静かに壁を撫でていた。


 見張り塔の最上部。

 要塞の全景と、その外周に広がる暗い森と丘陵が見渡せるその場所に、ラキとタギツの姿があった。


 ラキは手すりに肘を乗せ、風に揺れる金髪を手で押さえながら、じっと南の方角を見つめている。

 タギツはその傍らに座り、義足を組んで膝に腕を乗せ、目を細めて闇を観察していた。


「ターちゃん。魔物の群れが来たのって、あっちだよね?」


 ラキが指差すのは、南の森。

 木々が斜面に沿って続き、その奥には薄暗くうねるような谷間が横たわっている。


「でもさ、戦線って確か東の方じゃなかった? なんで南から襲ってきたんだろう?」


 その問いに、タギツは少しだけ間を置いて、肩をすくめるようにして答えた。


「大きく迂回してきたんだろうね。

 要塞に接近して、魔法少女を出撃させる。そして敵は一度退いて、こっちが戦力を外に出したタイミングで――南側から別動隊が奇襲。

 この場所を狙っていたってことだよ、最初から」


 ラキが眉を寄せて唇を噛む。


「ふーん・・・ズルい戦い方するもんだね~。正々堂々真正面から戦え―!」


「まぁ、戦争ってそういうもんだよ。力だけで勝てないなら、策を使う。敵も必死さ。ただ一つ疑問に思うことがある。」


「疑問?」


「魔物にそんな作戦立てるような知性があるのか? 魔物は本能のままに行動する存在だ。策を使ったりなんかしないはずだ」


「私もそう思う」


 低く、けれどはっきりとした声が背後から届いた。


 二人が振り返ると、見張り塔の階段をゆっくりと登ってくるレイナ・ヴァルグレイスの姿があった。


 包帯で巻かれた腕、頬には白いガーゼ。

 赤い軍服は裂けたところを縫い合わせていたが、まだ血の跡が薄く滲んでいた。それでも彼女の背筋はまっすぐで、目には静かな鋭さが宿っている。

 

 ラキが、少しだけ笑って言う。


「レイナさん、動いていいの? 医務室で寝てろって怒られなかった?」


「怒られたよ。無視したけど。全くエリシアの奴大げさなんだよこれくらい」


 レイナは淡々と返し、塔の手すりに寄りかかるようにして立ち、南の森を見下ろす。

 その瞳は、闇の奥に何かを探すように細められていた。


「私は戦線の主力が東から来ているのだと思い込んでた。・・・でも違った。南からの別動隊の迂回は、予測しておくべきだったのに。完全に裏をかかれた」


 国家魔法少女戦闘団団長として、指揮する立場の自分が判断ミスをしてしまった。そのことによって魔法少女が何人か死んでしまった。その声には、悔しさと、冷たい自己批判が混じっていた。


「でも、ここは持ちこたえた」


 タギツがぼそりと呟いた。


 ラキもうんうんと笑顔で頷く。自身に満ち溢れたその背中はレイナから見てもとても頼もしく感じれた。

 

「ありがとう。・・・ふたりがいなければ、どうなっていたか分からないわ」


「僕は何もしていないよ。お礼ならラキとアリエルに言ってあげて」


「そうだったか。改めて、礼を言う。みんなを救ってくれて本当にありがとう」


 深々と頭を下げるレイナにラキは笑顔で答えた。


「いいよいいよ~ 気にしないで。私がやりたくてやったことだからね。・・・それに、まだ何も終わってないよ。ね、ターちゃん?」


「うん。・・・僕の予測が正しければそろそろ来る」


 途端に空気が変わった。

 わずかに湿った夜風が一瞬止まり、そして――どこか、遠くから大地の震えるような低い音が響いてくる。


 それは地鳴りとも、獣の咆哮の余韻ともつかない。

 ただただ、空気が押し潰されるような異様な圧力だけが感じられる。


 3人の視線が、再び南の暗黒へと注がれる。


 草木も生えない荒野――その更に向こうがわ。不自然なまでに音がない。虫も、鳥も、夜の獣も沈黙し、風のざわめきすら消え失せていた。


 そして。


 “何か”が、蠢いた。


 タギツが鋭く言う。


「・・・ラキ。いける?」


 その声に、ラキの表情が一変する。


 にっ、と笑う。


「お! 戦い? いいよ~! いつでもいけるよ~!」


 その瞬間だった。

 彼女は背負っていたミョルミーベルを軽々と引き抜き、クルクルと回すと肩に担いだ。銀の鈴のような音が風に乗って鳴り、瞬時に少女の気配が変化した。


 次の瞬間――


 ドンッ!


 雷鳴のような衝撃音とともに、ラキの足元が爆ぜた。

 見張り塔の壁を垂直に駆け下りると、彼女はそのまま空中に跳躍。

 屋根の上を飛び移り、斜めに駆け抜けながら、要塞の外壁をものともせずに跳び越えた。


「えっ・・・!?」


 レイナが目を見開く。まるで現実とは思えない光景。

 ラキの姿は小さくなりながらも、夜の荒野を疾走していく――


 タギツは背後でただ一言、淡々と説明した。


「・・・とても大きな魔力の塊が、こっちに向かってきている。ただの魔物じゃない。あれは、おそらく統率個体だろうね」


「統率個体・・・!」


 レイナの眉が跳ね上がる。それは、群れを率いる存在。知性を持ち、戦術を使い、魔物達の中でも一際異質で危険な存在。


 夜の彼方で、再び大地が震えた。霧のような魔力の奔流が地平線の向こうから立ち上り、そしてその中心に――まるで山のように巨大な“何か”のシルエットが浮かび上がる。


 六本の腕。異様なほど膨れ上がった青黒い体躯。

 背には何本もの鉄塊のような大剣を背負い、そのうちの一本をゆっくりと引き抜いていた。


 ――第1等級の魔物、コードネーム『カルツ・バーバンシュウェルツ』。


 アレイシア国の外、冒険者ギルドではそのように記録されている魔物の影が、夜の帳を割って現れた瞬間。要塞の外壁、そして塔に立つレイナの背筋に、ひやりとした緊張が走った。


 戦いは、まだ終わってなどいなかったのだ。むしろここからが、本当の闘いの始まりだった。


 真っ黒な荒野の中を走り抜けたラキは目の前に現れた体長20mの魔物を前にして歓喜に震えていた。間違いなくこれは第1等級の魔物だからだ。


「こんな所で第1等級の魔物と出会えるなんて、さぁ あなたはどのくらい強いのかな?」


  手に握ったミョルミーベルにラキが魔力を注ぎ込むと、その戦槌は低く唸りを上げながら黄金に輝き始めた。眩い光が夜闇を切り裂くように弾け、戦槌のサイズは一気に二回りも巨大化する。柄の部分からは光の稲妻のような紋様が奔り、空気が振動する。


 ――ドンッ!!


 雷鳴のような重低音が大地を揺らした。

 その瞬間、ラキの姿が音と共に掻き消える。


 次に現れたのは、魔物カルツ・バーバンシュウェルツの背後。


 彼女は反動も迷いもなく、地を蹴った勢いのまま、下段から跳び上がるようにして巨大な戦槌を振り上げる。

 狙いは腰――魔物の体幹部を、ねじ伏せるような一撃だった。


 しかし。


 ギャリィィンッ!!


 甲高い金属音が火花を撒き散らしながら響く。

 カルツは、その異形の六本の腕の一本で握った大剣を、自らの身体とラキの戦槌の間に差し込んで防いでいた。


 まるで、待っていたかのような動作。


 防いだ直後――別の腕に握られていた大剣が、上段から振り下ろされる。

 それは単なる力任せの一撃ではない。斬撃の軌道は重力と加速を活かした正確無比な“殺しの剣”だった。


 しかしラキは、わずかに身体をひねってその大剣をすれすれで回避し、地面を蹴って後方に飛ぶ。着地と同時に、すぐに敵の位置を再確認する。


 カルツが振り返る。

 その全身の膂力を支えるように腰を落とし、六本の腕に持つ六本の大剣を全て振り上げて構える。

 圧倒的な重量と圧力を孕んだそれは、まるで武人の如き構えだった。


 対するラキも、にっこりと笑って構えを取り直す。

 ミョルミーベルを大きく後ろに構え、地を踏み締めた。


 そして――


 バシュッ!!


 砂塵が弾け、空気が裂ける音と共に、両者が一足で詰め寄った。

 まさに瞬間移動のような速度。


 ラキのミョルミーベルが下から突き上げるように放たれると、カルツの六本の大剣がさまざまな軌道から襲いかかる。

 上段、下段、水平、回転、逆手――その全てが、命を奪う一撃。


 だがラキは、その全てを一つの戦槌で迎撃していた。


 ミョルミーベルの一撃一撃は雷鳴のような音を伴い、火花が飛び交い、空気が震える。

 大剣が弾かれ、刃が打ち返されるたびに、衝撃波が地面を削る。


 「――はあっ!」


 戦槌で最後の一振りをはじき返した瞬間、ラキは魔道具のポーチから排煙玉を取り出し、迷いなく投げ込む。


 ボンッ!


 乾いた破裂音がして、瞬時にあたり一面が白い煙で覆われた。視界ゼロの中、ラキの足音も魔力の気配も消える。

 だが次の瞬間――


 ゴンッ!という鈍い衝撃音。煙の中からラキが踏み込んでの攻撃。


 だが、それをカルツは完全に見えていないはずなのに捌いていた。


 その巨体が微動だにせず、大剣が的確に迎撃軌道を描く。

 まるで煙の中にいても、彼女の位置が見えているかのように。


 さらには、そこからカウンターで振り下ろした。


 ラキは間一髪で後方に跳び、距離を取る。

 そして――


「・・・んじゃ、そろそろ本気出そっかなぁ~」


 彼女は再びミョルミーベルに魔力を叩き込んだ。


 バチバチッ!!


 戦槌が雷光を纏った。

 その輪郭が揺らぎ、稲妻が地面を走り、夜空が明滅する。


 ラキは大きく跳躍。

 空を切り裂いて急降下するその姿は、まさに雷そのもの。


 両手で戦槌を構え、稲妻を纏わせ、叫ぶ。


「『雷槌・破却』ッ!!」


 ――ゴォォオオオオオン!!!


 爆雷のような轟音。

 地面が盛り上がり、衝撃波が荒野を駆け抜ける。

 白雷の閃光が要塞の壁すら照らし出し、土煙が舞い上がった。


 その中心には、ラキの必殺の一撃を真正面から受けたカルツの巨体があった。


 そして、握っていた大剣の一本が、砕けた。

 根本からへし折れ、金属片となって散り、乾いた音を立てて地に落ちる。


 だが、それだけだった。


 倒れず、怯まず、再び構え直すカルツ。


 ラキはその光景に――笑った。


「おお~、私の必殺技受けて剣一本持っていくだけかぁ~ いいね! とってもいい!! このくらい強くなくちゃね!!」


 雷鳴のような興奮をそのまま言葉に変えて、彼女はまた地を蹴った。

 むしろ、さらにやる気になっていた。


  そんなラキにひときわ澄んだ声が、上空から降ってきた。


「――私も混ぜてください」


 その声と共に、夜空が金と白の輝きで彩られた。


 見上げれば、そこにいた。

 光をまとって降下してくる少女――アリエル。


 月を背にして舞い降りるその姿は、まさに神話の天使のようで、純白と金を基調とした美しい魔法少女の装束に身を包み美しい純白の翼を広げながら空中にいた。

 降下と同時に、彼女は右手をすっと前に伸ばし、魔術の詠唱すら省略する。


 火球が生まれた。


 真っ赤な火焔が凝縮され、まるで太陽の欠片のような眩さと熱量を孕んで宙に現れる。

 アリエルが小さく指を鳴らすと、その火球が音もなく疾駆し、直線的にカルツへと放たれた。


 ゴォッ!!!


 灼熱の弾丸が空気を焼き、荒野に一筋の火の道を刻んで突き進む。

 カルツはその異形の顔をわずかに傾け、迫るそれを正面から迎えた。


 そして――


 ズバッ!!!


 その場に火花と衝撃波が炸裂した。


 カルツは、五本のうちの一本の大剣を振り抜いていた。

 炎を、真っ二つに斬ったのだ。


 魔力で構成されたはずの火球は刃によって割れ、二つに裂け、熱量だけを周囲に散らして空中で霧散した。


 アリエルの美しい顔に、僅かに笑みが浮かぶ。


「あらら、斬られますか」


 その言葉に込められたのは、驚きではない。愉悦と期待。ラキと同じく、彼女もまた強敵との対峙を楽しんでいる。そして、そのままふわりと地に降り立つ。


「なら――もう少し本気で行かせてもらいますね」


 その声と同時に、アリエルの全身が光を帯びる。今のはほんの小手調べだと言わんばかりにどんどん放出する魔力量が増えていき、それと同時にアリエルの手元に光が収束して一振りの剣が現れた。その姿を見たラキが、ぷくぅと頬を膨らませて不満そうに言った。


「え~私の獲物なのに~」


「そう言わずに。二人で倒しましょうよ。その方が確実に倒せますし。それに、このままここで戦いを長引かせるのはよくないみたいです」


「え?」


「とても強い魔物がもう一体。要塞に向かっています。つまりこの怪物をもう一体の魔物が要塞を落とす前に討伐してすぐに要塞へ戻らないとならないというわけです」


「あ~ もう一体第一等級が出てきちゃったのか。 う~ん、ターちゃんがいるから大丈夫だと思うけど、ま、制限時間付きと考えるとそれはそれでアリか」


「どれくらいで討伐できそうですか?」


「う~ん。二人がかりなら10分」


「ではそれで。背中は任せてくださいな」


「はーい。じゃ行くね!」


 ラキの状況に似つかわしくない軽い返事とそれと同時に再び魔力が注入され黄金の輝きとバチバチと帯電するミョルミーベル。純白の翼を広げて様々な魔法を使って自己強化をしまくるアリエル。はた目から見てもヤバすぎる二人の少女にカルツ・バーバンシュウェルツは、全く怯まない。

 いや、むしろ彼女自身の中にも、高まる何かがあった。

 五本の大剣が、まるで意志を持つかのように揺れ、構えを再び変える。


 戦場には再び、緊張が満ちる。






 ―――――






 要塞の壁を震わせるような轟音が、夜の荒野を貫いた。


 直後に衝撃波が空気を揺らし、見張り台の旗がはためく。

 地面がわずかに軋み、要塞内部にいた魔法少女達が慌ただしく戦う準備をしたり、後方支援部隊の魔法少女達が物資の分配をしているなか、レイナは展望塔の上にいた。


 彼女の前には、水晶式展望用魔法が展開されている。空間に浮かぶ魔法のレンズが遠方の戦場を鮮明に映し出していた。その中に、荒野を蹴って疾走するラキの姿が、光の尾を引きながら映っていた。


 ――彼女の武器。あれは・・・一体なんだ? あんな武器見たことがない。


 「嘘・・・でしょ」


 ラキの全力の攻撃が、巨大な六本腕の魔物に直撃した瞬間だった。


 白雷の閃光が大地を裂き、轟音が空間を震わせる。火薬や爆発ではありえない、雷鳴のような魔力の暴発。要塞の高い場所にいるレイナでさえ、頬を撫でる風圧に一歩後ずさるほどだった。

 水晶盤の中で映るその光景は、まるで伝説の戦場のようだった。


 ――何あれ。どれだけの魔力を一瞬で注ぎ込んだの・・・?


 大剣が砕け、地面が崩れ、周囲には巨大なクレーターのような土煙が広がっていく。あれほどの一撃を受けてなお六本の大剣の内の一本を叩き折っただけで本体には傷一つ付いていなかった。それだけであの魔物がどれだけヤバいかここからでもわかる。 おそらく今回の魔物の大攻勢の原因はアレだ。 だがそれ以上に衝撃的なことがあった。


 ラキは笑っていた。嬉々として、敵を見上げていた。


 あの魔物とたった一人で対峙しているというのに楽しそうにしているのだ。普通どれほど戦いになれている魔法少女でも強敵に出会ったら少しくらい恐怖を感じるものだ。だが―


 「アリエルと、互角の戦いをしたと聞いた時は・・・強いとは思ってた。けど」


 レイナの声が、驚愕に震えていた。


 「・・・ここまで、とは思わなかった・・・!」


 彼女は国家戦闘団の団長として、幾度も前線の魔法少女たちを見てきた。優秀な者、強大な魔力を持つ者、規格外の才能を見せる者もいた。

 それでも――ラキのような『本能そのものが戦いに染まった化け物』を見るのは、初めてだった。


 計算でも訓練でも、磨き上げた技でもない。

 圧倒的な“野生の直感”と“制御された破壊力”が融合していた。風に揺れる赤いポニーテルを風に靡かせながら、レイナはごくりと唾を飲む。


「・・・これが、ラキ・・・ッ」


 彼女の胸の内に、団長としての冷静さを忘れさせる、一人の闘い者としてのある種の興奮と恐怖が、じわじわと広がっていった。


「ラキとあの魔物との戦いに見入ってるところ悪いんだけど。こっちにも来たみたいだよ。第一等級のネームドが」


「え? だい・・・なんだって?」


「ああ、そういえばこの国には冒険者という概念すらなかったか。 この国の外で使われている魔物の強さを表している等級のこと。 そのうちの第一等級というのは、まあ、わかりやすく言うと城塞都市をたった一体で壊滅させちゃうような魔物ってことだよ。」


「――で、今ラキが戦ってるのがソレで、あともう一体第一等級の魔物がこっちに来てる」


 さらりと告げるタギツの口調は、まるで天気の話でもするかのように軽い。


 だが、その言葉の意味は重く、冷たく、鋼鉄の杭のようにレイナの胸を貫いた。


「・・・アレと同じレベルの魔物が、もう一体・・・?」


 レイナの喉がごくりと鳴る。信じがたいという思いが、脳裏に広がっていく。


 城塞都市を一体で壊滅させる存在が、この要塞に二体も迫っている――それがどういう意味を持つのか、指揮官として理解しないわけがなかった。


 それは、滅びの前触れだった。


 「来たよ」と呟いたタギツが、要塞の外、要塞とラキがカルツと戦っている場所の中間の地面を指さし、


 レイナが反射的にその方向に視線を向けた瞬間だった。


 ピキィッ・・・!


 大地が割れた。乾いた音が大地を這い、地面に亀裂が走っていく。


 まるで生き物のように動くその裂け目から、黒く、ねばつくような液体が、どろり、どろりとあふれ出してきた。


 ――いや、液体ではない。何かだ。

 意思を持つかのように、蠢きながら体積を増していくその“黒い塊”は、まるで地獄の底から這い出してきた呪いのようだった。


 ずるり、と這い出す音。どくどくと脈打つような動き。


 その形はまだ定かでない。が、確実に“何か”が生まれつつあるのがわかった。


 数秒のうちに、その黒き塊は人の何倍もの大きさへと膨れ上がり要塞と同じ大きさにまで体積を増やし、やがて四肢ともつかぬドロドロとしたものを地につけ、頭部のような形状が盛り上がってくる。


 ――これは、形容しがたい。


 黒い泥と闇が合わさったような粘性の塊。全身がぐずぐずと融け続け、形を変え続けるそれは、この世の理から外れた異質な“存在”だった。


 それがゆっくりと“こちら”を向く――


 目も口もない、ただの泥の塊のはずなのに、“見られている”という感覚だけが痛いほどに突き刺さる。


「・・・っ」


 レイナは言葉を失っていた。そこに現れた異形の魔物は一体なんなんだ? あれは人に倒せるものなのか? そんな事を思わず考えてしまうようなそんな常識外れの光景を見ていた。団長として魔法少女達に指示を出さなければならないと考える自分がいる一方で、アレに対してなんて指示を出せばいいんだ?という考えも同時に生まれていた。


「展開完了ッ! 防御障壁、稼働ッ!!」


 要塞の前面、既に要塞を出撃していた数名の魔法少女が咄嗟に詠唱を走らせ、青白い光の障壁を空中に張り巡らせた。ドロドロの魔物の前で防御魔法を複数展開した魔法少女達はなんとか体勢が整うまで要塞の壁まで辿り着かせるわけにはいかない――その一心で、防御魔法を最大出力で展開していた。


 だが――それは、まるで紙の盾だった。


 ズルリ・・・


 黒い泥が、壁のような防壁に触れた瞬間。何の前触れもなく、ピキピキッ・・・ピシィンッ!!と、無数の亀裂が光の障壁を走った。


「え・・・?」


 防壁を維持していた一人の魔法少女が、絶句した。


 次の瞬間――パリィン!!と音を立てて、光の防壁が砕け散る。


「ッ・・・やば――」


 その言葉が最後だった。


 黒泥が流れ込むようにその少女の身体を呑み込んだ。


 防御魔法を展開していた他の少女たちも、反応する間もなく巻き込まれ、泥が彼女たちの身体に触れた瞬間――全身を一気に浸蝕されて、華やかな衣装がボロボロと崩れていき魔法少女達の全身が黒紫色になりそして瞬時に崩壊した。


 悲鳴は、なかった。


 ほんの刹那の出来事。生きた肉体も魂も、溶かされるように泥の中に吸い込まれた。


 そこに、命があったことを示す痕跡すら、何も残らなかった。


「――あ・・・あああ・・・ッ」


 要塞の内部からその様子を目撃していた魔法少女たちの顔が、青ざめる。なにせ先行して出ていった数名の魔法少女達は最前線で戦っている現役の魔法少女であり、場数を踏んでいる強者であった。それがあんなにもあっさりと殺さるのを見てしまい凄まじい衝撃が走った。だがそれ以上に衝撃を受けたのは魔法学園の生徒たちだった。


「嘘でしょ・・・!? あんなあっさりと、防御魔法が・・・っ!」


「ま、魔法少女達が・・・魔法少女達が・・・あんなに簡単に飲み込まれて・・・!」


「あ・・ああ、・・・いやぁああああああああああああああッ!!」


 悲鳴が上がる。混乱が走る。


 魔法学園から派遣された生徒たちは、次々に恐慌状態に陥り、要塞内部はパニック寸前だった。中には魔導具を取り落とし、膝を突いてその場に崩れ落ちる者もいた。


 要塞内部の空気が一瞬で凍りつき、そして割れ、崩れていく。


 「取り乱すなッ! 落ち着けッ!」


 誰かが怒鳴る声が聞こえるが、その声すら掻き消されるほどの恐怖の圧力が、辺りを支配していた。レイナ自身もこのままではこの要塞が陥落してしまうという危機感を感じ、動ける魔法少女達だけでこの怪物を討伐するしかないと覚悟を決めていた。だが―


「さて、と」


 そんな状況の中、レイナの隣で、タギツが背伸びするように軽く腕を回し、何でもないことのように呟いた。


「とりあえず、あっちはラキとアリエルに任せて。こっちは、僕達でどうにかしよっか」


 場違いなほどに落ち着いたタギツの声が、レイナの耳を打った。


 魔法少女たちが瞬時に崩壊し、学園の生徒たちが恐慌に陥るこの地獄のような状況下で、それでもなお彼女は全く動揺せずただ無感情に敵を見据えている。タギツは腰の魔導地図と魔力反応図を取り出し、地面に広げていた。精密な小型の地図型端末が、要塞周辺の立体マッピングを浮かび上がらせる。


 タギツの指がその上を素早く滑り、敵の魔力波形をなぞるように線を引く。


「・・・このままでは、負傷者も非戦闘の生徒も、全員呑まれて終わる」


 その声は淡々としていたが、確実に場を支配する鋭さがあった。


 レイナは反射的に姿勢を正す。


「お前はアレが何なのか知っているな?」


「ああ。あれはただのスライムだよ」


「は? スライム? あれがか?」


「そうだよ。あれはブラックスライムという触れたものに浸蝕して崩壊させて吸収してくるタイプのちょっと危ないスライムなんだ。まあ溶かしてくるのがスライムのデフォだから今更な感じはするけね」


タギツの口から出た言葉に、レイナの脳が一瞬、理解を拒絶した。


 ブラックスライム。


 知っている。魔物図鑑にも載っていた。確かに存在する。低級種ではないが、分類としては中堅クラス。個体によっては浸蝕性の分泌液を持つため注意は必要だが、対処法も確立されているはずの魔物だ。実際、これまで何度か討伐の報告もある。


 ――だが、目の前のアレはどうだ?


 あの広がる泥の海、地を這い、壁を越え、魔法少女たちを一瞬で崩壊させる、あの質量と浸蝕速度。何より、“意志”を感じさせる動き。狙って動き、獲物を見定め、まるで狩るように襲ってきた。

 あんなもの、どこに出てくるというのだ。あの黒紫の悪夢が、ただの“ちょっと危ないスライム”だと?


「ちょ、ちょっと待ってくれ。 どう考えてもアレはスライムなんてレベルの存在じゃないだろう! どう見てもそれをはるかに超える怪物にしか見えないぞ!」


「・・・確かに、単体じゃそこまで脅威じゃないよ」


 タギツが、さらりと言葉を継いだ。


「ちょっと危ない他のスライムに比べたら、比較的小さくてさ。まあ、対応次第では対処も簡単。――単体ならね」


 その言い方に、レイナの中で何かが引っかかる。


(・・・まさか)


 悪夢のような想像が、頭の中で急速に形を取り始める。

 いや、そんなはずはない。あり得るわけがない。

 それを認めてしまった瞬間、全てが終わる。


 しかし。


「うん、まあ・・・あれは100万匹のブラックスライムの集合体、ってとこかな」


 軽く笑いながら、タギツは言った。


 まるで昼下がりのティータイムに新しいケーキを紹介するような口調で。


 レイナの背筋に、氷の針を何本も突き立てられるような感覚が走った。


「ひゃ・・・100万・・匹・・・?」


「うん。正確な数までは分かんないけど、それくらいの反応が出てるよ。魔力反応図、見てみて」


 タギツが手にした地図と魔力反応表には、魔物を示す赤い魔力点が示されるがそれが、まるで塊のように連なっていた。赤い点を大量に用紙に打って真っ赤に染めたような表示のされ方をしていた。


「そりゃまあ、単体なら可愛いもんだけどね。100万匹も集まったら、ああなるのも仕方ないよね」


 飄々と、他人事のように言うその横で、レイナは喉の奥が乾いていくのを感じた。


 “災厄”――


 まさしく、それ以外の表現が見つからない。


「なんだそれ、そんなものが存在するのか!?」


「伝え聞いた話だけど、別の大陸で生息域を追われたブラックスライムが散発的に彷徨って一か所に集まり合体しながら徐々に大きくなり、海を渡ってこの大陸にやって来ているというのは聞いたことがあるね。まさかこんな所にいるなんて思わなかったけど。 あれは第一等級ネームド『ムルク・ゼ・オーヴ』で間違いないだろうね」


「・・・どうすれば、あんなものに対処できる?」


 レイナの声は、かすかに震えていた。

 普段はどんな魔物にも怯まないその瞳が、今は戦場を直視しながらも、どこかで答えを拒んでいるようだった。


 彼女の役目は、戦場の統制。全ての魔法少女たちを率い、勝利へと導く指揮官だ。だからこそ魔法少女達を率いて戦わなければならない 彼女達に希望の光を見せなければならない。そのためにも討伐する方法があるのなら知りたい。

 タギツはそんなレイナの真剣な視線を見ても、どこ吹く風といった表情で肩をすくめる。


「うーん・・・対処、ねぇ。まずは、ムルク・ゼ・オーヴは大質量のスライムの身体そのものが侵蝕兵器だ。触れた時点で終わり。つまり――接近しちゃいけないしさせてもいけない」


 タギツは一旦言葉を区切ると指を一つ立てて話を始めた。

 

「ムルクの討伐作戦の内容としては第一に囮部隊で誘引する。ムルクの“知性”がどれほどかは未知数だが、視覚と聴覚には反応している。つまり、騒ぎながら動けば――追う」


 彼女の指が、地図上の一点を指し示す。


「要塞から北東、旧戦場跡地。ここは地形的に見晴らしが良く、遮蔽物が少ない。砲撃陣形を組みやすい」


「・・・距離を稼いで、負傷者から引き離すわけか」


「そう。要塞から引き剥がせば周りの被害なんて気にせず思いっきりぶっ放せるでしょ? だから目標地点まで誘引に成功したら第二に魔法少女たちには、可能な限りの遠距離攻撃魔法を全力で叩き込んでもらう」


 そしてタギツは、モニターに浮かぶムルクの中心部を指差す。


「――ムルクは核を深く隠してる。おそらく“削り”が必要になる。だからありったけの攻勢魔法を叩き込んでほしい。そうすれば奴の身体は案外簡単に崩れる。固くもなく素早く動いて当たらないということもない。当てるだけなら簡単に当たるからね。 そして最後にボロボロにし身体から剥き出しになった核を撃ち抜く。そうすればムルクは形状を維持できなくなり瓦解する。100万匹を全て討伐できなくてもバラバラに分解されて四方八方に散るからあとは個別に討伐していけばいいし、こちらへ向かってこないのであれば放置しても構わない」


 レイナの眉が僅かに動く。


「・・・では“核”を撃ち抜く役は?」


「私がやる。最後の一撃は、私が狙うよ。方法はある」


 その言葉に、空気が一変した。






 ――――――






 それから数分後、要塞の外には緊張した面持ちで今か今かと出番を待っている二人の少女の姿があった。


「・・・うう、本当にやるんですか? 私たち以外でもいいじゃないですかぁ~」


「ああもう!いい加減覚悟を決めなさいなミレイさん! 他の方々があの様子じゃわたくし達がやるしかないではありませんか。それにもしもの時はタギツさんが援護すると言っておりましたし、わたくし達の役目はあくまでも囮ですわ。実際に倒す必要はありませんのよ!」


「で、でも、もし追いつかれたら死んじゃうんですよ!? 私たちあっさりと溶けちゃうんですよ!」


「やる前に不安になるようなことおっしゃらないでくださいまし! 私だって怖いですのよ!?」


 片や茶色い髪の毛に目を隠すほどの前髪、どこかよそよそしい内気な少女、ミレイが不安そうな表情でどでかい黒い怪物を見上げながら言い、もう一方の金髪ロールの髪に恐怖をプライドで押さえながら必死に強がっている少女アナスタシアが同じく怪物を見上げていた。


 他の最前線で戦っている魔法少女達は作戦上別の場所にいるし、後方支援の魔法少女達は負傷した魔法少女達を治療しなければならず要塞を離れられない。そして学園の生徒の少女達は恐慌状態に陥ってほとんど動けない。であるならば自分たちがやるしかない。アレイシアは作戦内容を聞いたときミレイを引っ張って自ら囮役を買って出た。せめてこれくらいは役に立ちたいと・・・


 そして、その時は訪れた。


「ッ! 来ましたわ! 合図ですわ!」


 アナスタシアが叫ぶ。緊張の中、ミレイと二人で首からぶら下げていたポーチを同時に開き、中から小さな円柱状の魔道具を取り出した。


 それは、金属でも木材でもない、妙に柔らかいような、それでいて手の中でわずかに脈動する、何か不気味な“生きているような”感触のある物体だった。


「・・・あの、アナスタシアさん。結局これって何なんでしょうか・・・? なんか・・・脈動してて、やたら気持ち悪いんですけど・・・」


 おそるおそる顔をしかめながら尋ねるミレイ。


「わかりませんわ! ですがタギツさんがこれを“あの怪物に投げろ”と、そう言っておられましたから、われわれは言われた通りにするまでですわ!」


「わ、わかりましたぁっ!」


 互いに頷き合うと、二人は怪物――ムルク・ゼ・オーヴへ向かって、全身の力を込めて円柱を振りかぶり、叫びとともに放り投げた。


「いっけぇえええええええぇぇぇ!!」


 2つの円柱は回転しながら空を裂き、ムルクの膨れ上がった黒い塊の中心部へと吸い込まれるようにして突き刺さった――瞬間。


 ズバァンッッ!!!!


 音のない爆音が、視界を白で染めた。


 ムルクの体内で、凄まじい閃光が炸裂した。まるで太陽が瞬間的に体内で爆発したかのような光量。その中心から、ドロドロと流動していたムルクの体が突如として“刺々しく”変化を始めた。


 バギィンッ! ブワッ! ズガガガガ・・・!!


 黒泥の表面が内側から突き破られたように、無数の黒いトゲが逆立ち、ムルクの巨体が一瞬大きく膨れ上がって――動きが、止まる。


「・・・効いてます・・・よね・・・? ほんとなんですかあの魔道具・・・」


 ミレイが呆然と、半開きの口から声を漏らした。


「そんなことは今はどうでもよろしいですわ! さっさと行きますわよ!!」


 アナスタシアは素早く体勢を切り替え、ぐるりと反転して走り出す。事前の作戦通り、ムルクを南東の開けた地帯まで誘導するために。


「ああっ! 待ってください! 置いてかないでくださいよぉおお!!」


 ミレイは慌てて後を追い、足元をもつれさせながらもアナスタシアの背中を追って走る。


 背後では、ムルクが遅れて呻くように「グゴォォ・・・」と、低く湿った音を上げながら、ピクリと身体を蠢かせ始める――狙い通り、注意は完全に二人に向いた。


 “死の影”のような巨体が、静かに、だが確実に彼女たちを追って動き出した。


 決戦の舞台へと、導かれるように――。


「ひぃいいいいんん こっち向いてますぅうう!!」


「こっち向くように仕向けたのですから当り前ですわ!! 口を動かさずに足を動かしなさいな!! 死にますわよ!!?」


 アナスタシアの怒鳴り声を背に、ミレイは悲鳴を上げながら必死に地面を蹴った。


 ゴゴゴゴゴ・・・


 地鳴りのような、押し寄せる土砂崩れのような、そんな音が後方から迫ってくる。その音を聞くだけで、肺がひゅっと縮まり、背骨が氷のように冷たくなっていく。


 振り返らなくても分かる――来ている。奴が。すぐ後ろまで。


 ムルク・ゼ・オーヴ。


 その黒い粘液の塊は、もはや単なるスライムの類などとは呼べない存在だった。うねるように前方へ流れ出すドロドロの海。地面を這うそれは、もはや液体ではない、“怒り”そのものの具現だった。


「うわ、わわわ・・・ッ! なんか、なんか・・・分かる・・・!」


 ミレイの顔が青ざめ、ガタガタと肩が震える。


「顔なんてないのに・・・なんで・・・なんであんなに怒ってるの分かるんですか!? あれ、絶対ブチ切れてますよぉぉおおお!!」


「ええ、わたくしにも分かりますわ! どう考えても激おこですわあああああああああッッ!!」


 振り返ったアナスタシアの双眸にも、ぞっとするものが映っていた。


 ムルクの前方部が波のように盛り上がり、津波の如く二人に向かって崩れ落ちるように押し寄せてくる。だがそれだけではない。その波の中心から、ムルクの巨体が、四足歩行のようにドスン、ドスンと地面を這う音と共に追いかけてくるのだ。

 全体が黒いドロドロで構成されているその“巨体”は、獣のように広がる四肢を大地に沈めながら、確かな意志と怒りをもって二人を狙っていた。


 ズシン・・・ズシン・・・ズシィイン・・・!!


 背後で地面の石や砂が巻き上げられて砂嵐となり、地面が震える。そしてドロドロの津波が疲れなど知らないかのように追いかけてくる。


 悪夢だった。


 魔法少女でなければ、見た瞬間に気を失っていたかもしれない。


「ちょ、ちょっと、これ無理じゃないですか!? あれ絶対逃がす気ないですよね!? 完全にターゲットロックされてますよね!?!? 私の人生、ここで終わりたくないぃぃ!」


「だ、黙って走りなさいミレイさんっ!! あともう少しで目標地点ですわ! そこまで行けば、魔法少女方の一斉砲撃が飛んで来ますのよっ!! 死ぬならそれからでも遅くはありませんわ!!」


「全然フォローになってませんからあああああああ!!!」


 二人は、風を切って走る。視界の端には黒い壁のようなムルクの体が迫り、背後からは破壊と怒気が一体となった地獄の音が追いかけてくる。


 けれど、足を止めれば、すべてが終わる。


 だから走る。喉が焼けても、足がつっても、逃げなければならない。この作戦が成功しなければここら一帯にいる自分たちを含めた全員が全滅してしまう。せめて作戦は成功させなければならないのだ。ミレイとアナスタシアの二人は息も絶え絶えになり可憐な衣装を揺らしながら、それでも目標地点までただひたすら進んでいった。


 そして目標地点に到達したミレイとアナスタシアは全力で目標地点を走り抜けていきそこにムルクが到達するのを確認するとアナスタシアは赤い光の光魔法を空高く打ち上げた。

 そして上空で飛びながら待機していたレイナと魔法少女全員は天高く打ち上げられたその光の航跡を確認しレイナの命令を受けて詠唱を開始した。


「万象は炎へと還り、

 空は灰のように世界を覆う。

 静寂の帳が下りるとき、炎は球となって大地を焼き尽くし、ただ一様に平らかに還る──」


「我が杖は獄の扉を開き、

 我が名はこの瞬間、獄と結びて命を断たん──」




「《インフェルノダストテイル》」





上空に浮かぶ赤い軍服の指揮官、レイナ・ヴァルグレイスが右手を高く掲げて命じた。彼女の号令を受け、配置についていた魔法少女たちが一斉に詠唱を終える。


 そして──空が燃えた。


 空一面が炎の魔法陣によって覆い尽くされ、そこから解き放たれた無数の火矢が、赤い彗星の如く音もなく降り注ぐ。


《インフェルノダストテイル》──


 それは、空の彼方から地上を焼き払う、まさに“炎の塵芥”だった。


「・・・っ!」


 ミレイとアレイシアは目を覆いたくなるような、しかし目を逸らしてはいけない“終焉の雨”を前にただ立ち尽くす。無数の火矢が天から降り注ぎ、ムルク・ゼ・オーヴの黒い身体を、上から下から、内側から外側から、容赦なく焼き尽くしていく。


 ドオオオン・・・バゴォオ・・・メキメキメキ・・・!


 ムルクの表層が爆ぜ、裂け、火花を散らして崩れていく。黒いスライムの海が、無数の炎の槍によって四方から掘削され、蒸発し、もだえ、呻くようにうねる。巨体を焼かれながら、それでもムルクはなお動く。

身をよじらせ、地面を割り、巨体を持ち上げ、雄叫びもなく、ただ存在の怒りそのもので抵抗を続けていた。無数の黒い触手を伸ばして上空で魔法を放つ魔法少女達を飲み込もうとしたがそれすらも暴風雨のごとき炎によって一瞬で消し飛び結果ムルクは魔法少女達に抵抗することができなかった。



「ッ見てくださいまし・・・! あれは・・・!」


 アナスタシアが声を震わせながら叫ぶ。炎に包まれ、半壊したムルクの巨体。その中心に淡く青白い光を放つ“核”が、ついに露出していた。


「アレ・・・もしかしてアレが核・・・!」


 ミレイの声もかすれた。だが、その青白い輝きは確かに命の座、怪物の本質だった。


 だが。


「再生を始めてる・・・ッ!」


 周囲に飛び散った黒いドロドロの粘液――スライムの集合体が、ゆっくりと、だが確実に核のもとへと集まり始める。傷ついた表層を再び覆い隠そうと、静かに、まるで意志を持つかのように這い寄っていた。上空で魔法を放った魔法少女達は既に核を破壊できるほどの魔法を撃てるほど魔力が残っておらずどうにもできない。


「・・・間に合え」


 その瞬間――


 ズギィィィィィィンッ!!!


 遥か遠く、要塞の頂部に設置された狙撃拠点。その砲身が静かに煙を上げていた。


 砲撃型魔道具──タギツがこっそり持ち込んだ、試作兵器。魔力を日々ちょっとずつため込んでいき膨大な魔力の弾丸に変えてそれを装填して打ち出す兵器。普段あまり魔力が多くないタギツが敵を効率よく倒すために開発した魔道具のうちの一つを試しに使ったのだ。


 そこから放たれた一条の光弾が、音速を超えて大気を突き抜け、ムルクの露出した核へと突き刺さった。


 命中と同時に、核が淡く砕ける音がした。


 ピキ・・・ピキピキ・・・ッ! カァアアン・・・!!


 ヒビが広がり、次の瞬間、核は砕け散った。


 バシュウウウゥゥ・・・!!


 それと同時に、ムルクの巨体は一斉に崩れ落ちた。形を成していた黒いスライムは制御を失い、巨大な群体はバランスを崩し、瓦解するように崩壊していく。


 黒い粘液が地面にどろどろと広がり、そこかしこでシュウシュウと音を立てながら蒸発したり、干からびたりしていく。


「・・・やった・・・? 倒した・・・?」


 ミレイがその場にへたり込みそうになりながら呟いた。


 だが次の瞬間。


 崩れたスライムの中から、小さな個体たちがぬるりと姿を現し、地面を這いながら各方向へと逃げていく。


「ち、ちっちゃいのが逃げてますぅうう!! 再生しませんよね!? また大きくなったりしませんよね!?」


「今のうちに残敵掃討を! 完全に逃げる前にできるだけ倒すんだ!」


 上空からレイナの鋭い声が響き、続いて魔法少女たちが次々に追撃魔法を放つ。


 だがそれは、もはや“終わりの作業”に過ぎなかった。


 核の破壊によって群体は統制を失い、ひとつの怪物としてのムルク・ゼ・オーヴは、完全に崩壊したのだった――。






 ―――――






「・・・し、死ぬかと思いました・・・」


「ほんとですわ。こんな役回り、二度とゴメンですわ・・・」


 ミレイとアナスタシアは、もう立ち上がる気力も残っていないといった様子で、その場に崩れ落ちるように座り込んだ。全身は汗と煤と泥にまみれ、綺麗だった魔法少女の衣装も、今やボロボロだ。呼吸は荒く、胸が上下し、心臓の鼓動がまだ暴れ馬のように暴れている。


 息が整わない。けれど、命だけは繋がっていた。


 彼女たちの周囲では、魔法少女たちが戦闘の総仕上げとばかりに散開し、バラバラに逃げていったブラックスライムの個体を一つ一つ確実に討伐していた。爆散して瓦解したムルクの残骸が、まだ地面にべったりとへばりついているが、すでに動きはない。


 空気はまだ熱く、あの《インフェルノダストテイル》の残滓が、空に淡く漂っている。


 そんな中、地を踏みしめるブーツの音が近づいてきた。


 赤い軍服に黒のプリーツスカート、長く束ねられた赤いポニーテールをなびかせながら、国家魔法少女戦闘団長レイナ・ヴァルグレイスが二人の前に現れた。


「いや・・・君たち、結構度胸があるな」


 レイナの声には、普段の冷静な響きの奥に、かすかに驚きと称賛が混じっていた。すでに彼女の手には指揮用の魔導端末が握られていたが、それすらも今は下ろし、二人を真っ直ぐに見下ろす。


「本気で国家魔法少女戦闘団に入らないか? 本気で鍛え上げれば、そこにいる現役の魔法少女よりも強くなると思うぞ」


 それは冗談ではなかった。極限の状況であれほどの任を果たし、最後まで逃げ切ったのは、並の勇気と精神力ではなかった。才能以前に、「生き延びる覚悟」を持つ者だけが、本物の戦力になれることをレイナは知っていた。


 だが――


「え、ええっと・・・っ」


 ミレイはビクリと肩を震わせ、慌てて顔を上げた。呼吸はまだ整っておらず、顔は真っ赤。あまりの疲労に、まともに言葉を返すのもやっとだったが、それでも震える声で応じた。


「お気持ちはありがたいんですけど……自分が使えるのって、後方支援の魔法ばっかりで・・・攻撃魔法はあまり、得意じゃないです!」


 そう言って両手をぶんぶんと振る。言いながらも、自分の手がまだ震えていることにミレイは気づいていた。恐怖と疲労と、そして少しの達成感が、彼女の体をバラバラに引っ張っていた。


 一方のアナスタシアはというと、ミレイの返答を聞きながら、溜息まじりに苦笑し、少しだけ視線を逸らして答えた。


「わたくしよりも・・・もっと勧誘するべき方が、他にいらっしゃるのではなくて?」


 アナスタシアの視線は遠くを見ていた。言葉にした「その方々」の姿は言わずとも明らかだった――ラキとアリエル。規格外の戦闘力と、天賦の才を持ち、戦場を切り開く存在。アナスタシア自身が誰よりもその実力を肌で感じていた。


 レイナ・ヴァルグレイスは一瞬だけ目を細め、アナスタシアの言葉の意図を即座に察した。そして、微かに口角を上げて応える。


「もちろん。ラキとアリエルの二人は、是が非でも戦闘団に引き入れるつもりだよ。・・・それにタギツもね」


 その口調には一分の迷いもない。あの3人の力は、国家としても喉から手が出るほど欲しいものだった。だが、それだけでは終わらなかった。レイナは一歩、二人に近づいて言葉を続ける。


「だが、それとは別に――君たちも、十分に強い」


 そう言って、レイナは指で地面を軽く指し示すようにして、座り込んだ二人の目線に合わせて視線を落とした。


「魔法の火力だとか、身体能力だとか、そういうものは訓練で伸ばせる。でも・・・“心”の強さだけは、鍛えるのが難しい。そして戦場では、それが何よりも大事になる。それに最前線で戦うだけが魔法少女じゃない。後方支援の魔法少女だって必須だからね。むしろ後方支援がないと魔法少女は戦えない、。だから攻撃魔法のみが能じゃない」


 レイナの言葉には、一つひとつに重みがあった。それは数々の戦場で生死を見届けてきた者の、揺るぎない実感だった。


「死が追いかけてくる状況で、それでも任務を全うしようと走り切った君たちの“心”は、間違いなく強い。私が勧誘したのは、それを見たからだよ。国家魔法少女戦闘団に入っても、現実の戦場の理不尽さと不条理さに心が折れて去っていく魔法少女も少なからずいる。だから、過酷な状況でも諦めずに最後までやり遂げる心がある君たちがほしいんだよ。」


 ミレイとアナスタシアはしばらく何も言えなかった。自分たちはただ必死だった。怖くて、苦しくて、逃げ出したくて、それでも脚を動かし続けた。それが――“強さ”として見られていたとは。


「・・・そ、それでも、魔法少女戦闘団だなんて・・・責任が重すぎます・・・」


 ミレイが小さく口にした。まだ息が整いきっていない。けれどその声には、かすかに“否定しきれない何か”が滲んでいた。


 アナスタシアは視線を落とし、ひとつ息を吐いた。


「・・・お断りしておきますけど、本当に二度と囮はやりませんわよ?」


「フフッ、それは状況次第だな。まあ、君たちはまだ魔法学園の生徒だから今すぐ決める必要はない。ゆっくり考えて結論を出してほしい。」


 レイナが肩をすくめながら微笑んだ、その直後のことだった。


 遠くの丘の上で小さく火花がはじけ、黒いスライムの最後の一体が断末魔のように爆散した。残された瘴気が風に吹かれて流れていき、戦場にはようやく本当の静寂が訪れる。ミレイとアナスタシアは、その音を聞いて残ったブラックスライムの討伐を終わったんだなと思い、マギアリンクを解除した。華やかな魔法少女の衣装から学園の制服姿に戻った二人に静けさの中、コトン、コトン、と規則正しい車輪の音が近づいてくる。


 二人が顔を上げると、木製の車椅子に座った少女――タギツが、ゆっくりとこちらへ向かってきていた。彼女の手には、銀色に輝く極太の筒状兵装が抱えられており、もう片方の手では何やらパイプを咥えて煙をくゆらせている。銀髪の揺れるその姿はどこか落ち着き払っており、先ほどの大規模戦闘をまるで別世界のことのように感じさせた。


 タギツは二人の前で車椅子を止めると、口元に微笑を浮かべながら言った。


「二人ともお疲れ。・・・期待以上だったよ」


 柔らかい言い方ではあったが、どこか冷静な観察者のような響きがあった。


 それを聞いたアナスタシアは、思わず地面を叩いて声を上げた。


「タギツさんよく言いますわ! あなたのせいで死にかけましたわよ!!」


 怒りというよりは、感情を発散するような叫びだった。顔は火照り、制服は埃まみれ。それでも命があることだけが、今の誇りだった。


 だがタギツは微動だにせず、くゆらせたパイプの煙の向こうから、まっすぐにアナスタシアを見て言う。


「でも、アナスタシアもミレイも、しっかりと囮役をこなして・・・しかも、生き残った。それが事実でしょう?」


「だとしても、もう囮は二度とやりませんわよ!?」


 アナスタシアはそういって地面に大の字にの転がった。その声には涙も汗も混ざっていた。それでも逃げなかった自分を、どこか誇らしく思う気持ちも少しだけあった。タギツはそんなアナスタシアをじっと見つめると、パイプを外して口元に小さく笑みを浮かべた。


「まあ、こっちの戦いはこれで終わり。周囲に魔物の反応もないからゆっくり休んで。向こうも戦いは佳境に入ってるみたいだしね」


 タギツの視線の先を見た一同はそこでの激しい戦いを見てあ・・・と思った。何故か?それはその大音量の爆音を伴った戦いが凄い勢いでこちらに近づいていたからだ。




 ──ドゴォォォォォォォンッ!!!





 地平線の向こう側が赤黒い火花を伴って崩れた。その爆風に続き、数秒遅れて衝撃が空気を伝い、地面を揺らす。土煙、魔力光、閃光、爆炎。その中心にあるのは、明らかにこの世界の理から逸脱した暴力の渦だった。


 「・・・な、なに、あれ・・・っ!?」


 ミレイが喉を押し潰されたような声を上げた。その答えはすぐに視覚が追いついてくる。


 そこにいたのは──


 カルツ・バーバンシュウェルツ。


 六本の異様なほどに長く太い腕。そのうちの4本の手に鉄塊のような大剣を持ち、青黒く膨れ上がった筋肉の塊のような体躯はまるで要塞そのものだった。


 既に六本の腕の内一本は斬り落とされ一本は折れ曲がっている。全身に強烈な打撃痕と焼け焦げた跡と無数の斬撃の痕があってズタボロだったにもかかわらず驚異的な敏捷性で地形を破壊しながら突進し、その進路上にあるあらゆるものを破砕し尽くしていた。そしてそんな暴力の化身に相対しているのは――


 爆炎の中で踊るように身を翻し、敵の一撃を受け流して、黄金に光り輝く戦槌を叩き込む金髪の少女。その背後に煌く魔力翼を広げ、無詠唱で火水土風雷魔法を凄まじい勢いで叩き込む黒髪の魔法少女。


 ラキとアリエルだった。


 二人はまさに今、カルツ・バーバンシュウェルツとの真っ向からの激戦の只中にいた。そしてその戦闘が、轟音と衝撃を連続させながら──


 こちらに向かってきている。


「──え?・・え?うそ、こっち来てません!?」


 ミレイが顔面蒼白になりながら立ち上がる。


「来てますわよ!? こっちに向かって爆発の群れが!!」


 アナスタシアも立ち上がり、思わず悲鳴を上げる。


「ちょっ・・・来ないで!! お願いだからこっちには来ないでぇぇぇっ!!」


 直後、レイナが鋭く叫んだ。


「全員、退避行動開始!! カルツの接近に備えて、半径一キロ以内の全隊後退!! 巻き込まれるぞ!!」


 空中からの指示に従い、魔法少女たちが一斉に飛び上がる。戦闘後の安堵から立ち上がれなかったミレイとアナスタシアも、慌てて転がるように立ち上がった。


 その中、タギツは車椅子からゆっくりとパイプを取り、呆れたように言った。


「やれやれ・・・もう少し周りの被害、気にしながら戦ってくれない?」


 そんな冷静な声を背に、空と地を焦がす超高密度戦闘が、まさに目前に迫っていた──。






 ――――――






「強い!ほんと強い! こいつ、こんなに強かったんだね! 私一人だったら──ちょっと勝てるか分からなかったかも!!」


 傷だらけのラキが叫ぶ声には、悲壮感は一切なかった。むしろ、身体中から噴き出す血と痛みにすら快楽を覚えるような、戦闘狂の歓喜が宿っていた。

 ミョルミーベルを肩に担ぎ、電撃をまとったその姿は、まさに戦神のようだった。


 しかし──相手は、あのカルツ・バーバンシュウェルツ。

 常軌を逸した筋肉の塊。青黒く膨れ上がった異形の肉体。その巨体は既に損傷だらけだ。


 右上腕の一本は、アリエルの魔力強化斬撃によって、肘から先ごと切断されていた。

 さらに左側の下腕の一本は、ラキの雷槌によって骨ごと内側に折れ曲がり、だらんと無力に垂れ下がっている。だが残る四本の腕は健在で、それぞれに持つ鉄塊のような剣を、まだ力強く構えていた。


 その巨体が、地面を踏み砕きながら吠える。


「ギギィィ──ァアアアッ!!」


「ちょっとやりすぎたかな?」と、ラキが笑う。

 だがミョルミーベルはなおも輝き、雷鳴を蓄えていた。彼女の中にある膨大な魔力は、まだ底を見せていない。


「ラキ、時間を稼ぎます!」


 空中から声が降る。アリエルが、高速で空を滑空しながら指先を振る。数十の魔法陣が一斉に展開され、氷・炎・雷・風・魔力の属性が入り混じる“殺意の構図”が生まれていく。


「《連環術式・色彩の四重奏》!」


 魔法陣から奔出するエネルギーの奔流が、四方八方からカルツを貫いた。四本の腕が盾のように交差して防ぐが、その隙を縫ってアリエルの魔法の一閃が、さらに片脚の装甲を裂いた。


 しかしカルツは倒れない。否、むしろ魔力の吹き上がりがさらに激しくなり、全身を覆う青黒い外皮が赤黒く変色していく。カルツが纏う威圧感がさらに増していき、しかも先ほど貫いた片脚がジュゥウウという音共に回復していた。それだけでなくへし折った腕も徐々に直っていき、斬り落とした腕も切断面がボコボコ盛り上がっていき徐々に生えてきていた。


「うわっ、ここにきて再生しだしたよこいつ! アリエル!これ以上の消耗戦無理だ決着つける」


「もう準備出来ています!」


 アリエルの言葉と同時に、ラキが跳び込む。


「雷槌・破却ッ!! 四発目ぇぇッ!!」


 全身の魔力を一気に収束させたラキが、咆哮とともに雷撃の戦槌を叩き込む。狙うは、カルツの胴体の中心部分。ちょうど心臓がある部分、そこに雷と爆砕のエネルギーが突き刺さった。

轟音と閃光。カルツの巨体が一瞬、後方に仰け反る。カルツの胴体が大きく裂け、内側から濁った黒紫の体液が噴き出した。ラキの一撃が叩き込まれた場所に今度はアリエルが追撃をかけた。手に持っていた長剣にこれまた多種多様な属性魔法を付与するとのけ反ったカルツのど真ん中にめがけて超高速の突きを繰り出した。

 凄まじい轟音と共にカルツは更に爆ぜて体液を周囲にばら撒いた。まるで内側から生物を爆発させたかのように一撃が綺麗に決まった。


 だがそれでも、巨体は崩れなかった。


「・・・さすがに強すぎるのでは?異常ですよこの強さ」


 アリエルが小さく息を吐き、長剣を再構える。

 一方で、ラキは血まみれのまま笑みを浮かべ、拳で自分の額をこつんと叩いた。


「なーんでアレで死なないんだろうね~。胴体に風穴空いているのに生きているよ。しかもボコボコいいながら再生し始めているし」


「わかりませんが、とんでもなく再生能力が高いのは分かります。さて、どうしたものか」


 二人がどうやって目の前の怪物を倒したらいいか悩んでいるとラキの持っていた通信用魔道具に反応があった。通信用魔道具のピッ!という音を聞いて、ラキは「あ」と声を上げた。


「おー、ターちゃん! 今どこにいるの? 見て見て、超ヤバいのと戦ってるよ私!」


 通信の向こうからは、やや低めで冷ややかな少女の声が返ってくる。


『・・・ラキ。何しているの。戦いを楽しむのはいいけど、死んだら元も子もないでしょう?』


「いやいや、楽しんでるんじゃないよ!? まあ楽しいけど・・・聞いてよターちゃん、こいつ、胴体に風穴空けたのに全然倒れないんだよ? しかも再生までしだしてさ!」


 ラキが愚痴をこぼすように言うと、通信の向こうでため息がひとつ。


『・・・それ、カルツ・バーバンシュウェルツでしょ。なら核を潰せばいいだけ』


「えっ?」


『その魔物はね、全身を常に移動してる核があって、それを破壊すれば倒せるよ』


「・・・それ、先に言ってくれればよかったのに~~!! ターちゃんのケチ!!」


『いや、言ったはずだけど。第一等級ネームド個体の情報を渡したとき、「動く核に注意」って。』


 その瞬間、ラキは口を開いたまま固まった。通信越しにも、タギツの冷ややかな視線が伝わってくる気がした。


「・・・・・・」


『・・・・・・』


「・・・さてさて! あいつを倒すには核を破壊すれば終わるわけだね!」


 突然テンションを切り替えたラキが、何事もなかったかのように身体を回し、ミョルミーベルをぐるんと肩に担ぎ直す。


「核は常に移動してるんだよね!? だったら全部ぶっ壊せば見つかるよね!? いっくぞおおおっ!!」


 ひときわ大きく雷光を帯びたミョルミーベルが、青黒い巨体・カルツに向けて再び振るわれようとしていた。


 通信の向こうでは、タギツがぼそりと小さく呟いた。


『・・・あいかわらず、脳筋』


 そんなタギツの呟きもラキの耳には届いていなかった。


「じゃあ、やるよターちゃん! 核ごと全部ぶっ壊すッ!!」


 ラキが叫び、ミョルミーベルが雷光を纏って唸りを上げる。


 その時、すでにカルツの肉体は赤黒い色へと変貌していた。


 全身を覆っていた蒼色の外殻は崩れ落ち、代わりに血肉のような質感の赤黒い装甲が脈動している。禍々しく、粘性のあるその表面は、何かがうごめくように蠢いていた。


「・・・色が変わってから、妙に壊れやすくなってない?」


 ラキが呟きながら、跳躍してカルツの肩口へ雷槌を叩き込む。ズドンッ!という衝撃音と共に肉が砕け、骨が露出する。


「でもさ、すぐ直るんだけどーーッ!?!?」


 砕けた箇所から粘液のような再生組織が飛び出し、見る間に肩の形が元に戻っていく。


「なるほど・・・耐久性を捨てて再生能力を得たってことですか。面倒な変異ですね」


 アリエルが唸り、背後から走り抜けるように斬撃を振るう。

 右脚の腱を断ち、カルツがバランスを崩しかけるが、それすらもすぐに癒える。更に続けざまに腕足胴体と斬りつけいったがどんどん回復されてしまう。しかも斬り落としたはずの腕まで生え直ってしまっている始末


「こりゃもう、一気に叩き込むしかないってことだね!」


 ラキが歯を食いしばり、雷槌に魔力を注ぎ込む。


 カルツの四本の大剣が唸りを上げて乱舞する。縦横無尽に振り下ろされる巨大な剣の奔流が、空気を斬り裂き、戦場に激震を走らせる。


 だが、ラキとアリエルはそれを躱しながら、むしろ機を窺っていた。


 ――そしてその時は来る。


 カルツの一振りが、大地を抉るように振り下ろされた瞬間。

 その反動で、わずかに防御の間が開いた。


「今! カウンターッ!!」


 ラキが叫び、アリエルが合わせる。


「雷槌・破却、五発目ぇぇぇッ!!」


「《彩剣・一閃》──ッ!!」


 雷撃をまとった戦槌が右半身を砕き、アリエルの虹色の斬撃が左脚を切断する。

 左右のバランスを一気に崩されたカルツが、巨体を傾けた。


 その刹那──


 戦場の遥か後方。岩陰に伏せていたタギツが、肩に構えた砲撃型魔道具に静かに弾丸装填する。遥か前方にいるラキとアリエルに弾丸が当たらないように、しかしそれでいて正確に核のみを撃ち抜くよう意識を集中させてラキとアリエルの間合いを正確に計り、微調整を終える。


「これで、終わり」


 ――シュバァン!!


 空気が捩れるような砲声。魔弾が超高速で射出され、戦場の空気を裂いて一直線に走る。先ほどムルクを撃ち抜いた時よりも一撃の威力は控えめ、しかし速度と精度は圧倒的に上がった一撃がカルツの断面からわずかに覗いていた青白い核へ、寸分違わず着弾。


 ズドンッ!!


 破裂音と共に、カルツの体が静止する。


 再生の兆しは、もうなかった。


「ギギィ・・・ァアアアアアア──」


 断末魔が、空に響いた。


 赤黒い肉体はみるみるうちに干からび、今まで周囲にまき散らしていた強烈な魔力の奔流がピタリとやむと一気に身体が崩壊していき、手に持った大剣が地面に転がり落ちる音とともにカルツの身体が灰となって徐々に崩壊していき、最後には風に消えた。


「──撃ち抜いたよ。これで終わり」


「わーい! やったやった! 勝った勝った勝ったぁぁぁーーッ!!」


 タギツが、煙を上げる砲口を静かに下ろして通信魔道具越しに討伐終了を告げるとラキが跳ねながら叫ぶ。傷だらけの顔に満面の笑みを浮かべながら討伐に成功した喜びを爆発させていた。その光景だけ見ればまるで大はしゃぎする子どものようにも見えるがやってることは怪物のような魔物を命懸けでの討伐とまったく可愛らしさの欠片もない物騒極まりないことだった。


「いやはや、ほんとに死ぬかと思いましたね。今回の出来事は久しぶりに心躍る戦いでした」


 マギアシステムを解除したアリエルは疲れた様子ではあったが、それでもとても充実した表情をしており恍惚とした笑みを浮かべていた。


「アリエル! すごかったよあの斬撃! ズバァンって! とってもカッコよかったよ!」


 ラキが跳ねるように近づいてきて、汗と血でぐしゃぐしゃの顔に満面の笑みを浮かべて叫ぶ。


「ふふ、それはどうも。あなたの雷槌がなければ、私の剣も届きませんでしたけどね」


 アリエルは穏やかに笑って肩をすくめると、ラキは照れたように鼻をこすった。直後、タギツの車椅子が滑るように二人の元へ到着する。


「ふたりとも無事で何より。ま・・・核を潰さずに持久戦やらかしたけど」


「うっ、ごめん。でもターちゃんの狙撃がなきゃ、核を破壊するのに物凄く時間がかかっていたよ~ ありがとね!」


「当然でしょ。あれが私の役目なんだから」


 そっけなく答えたタギツは、ふいに空を見上げる。深い夜の色の向こう、東の空がわずかに白んでいた。


「・・・終わったんだね。これで、全部」


 ラキがぽつりと呟く。


 三人はしばらく黙って夜明けの気配を見つめた。長く、重く、血まみれの夜だった。第一等級のネームド二体を退け、ようやく訪れる静寂。


 アリエルが目を閉じて、静かに言う。


「さあ、帰りましょう。この夜を、生きて超えた者として」


「うん! まずお風呂入って、マボ煮(魔力暴走煮込み)食べたい!」


「私も一口くらいなら──」


「ちょっと待て、そんなもの食べるんじゃないよ」


 車椅子に肘をつき、タギツが冷静に突っ込む。


「体の再生より胃の再建が先になるよ、それ」


 戦いの終わった大地に、三人の足音と車輪の音が小さく響いていた。その背後では、黒く焼け焦げた地面と魔物の残骸が、風にさらわれるように消えていった。






 ―――――






 夜が明け、薄曇りの空の下、要塞は再び静かに息を吹き返しつつあった。


 崩れた外壁の前では、後方支援の魔法少女たちが小隊を編成し、瓦礫の撤去や修繕に取りかかっていた。魔力を用いた作業用の魔法陣が淡く光を灯し、鉄骨が浮かび上がっては組み直され、折れた足場が補強されていく。


 その一角、仮設の資材置き場では、学園から来た生徒の少女たちが制服の上に薄い作業着を羽織り、慣れない手つきで資材を運んでいた。昨日の戦いの直後に比べれば穏やかな空気が漂っていたが、彼女たちの動きはどこか鈍く、ぎこちなく、目の焦点は合っていなかった。


 乾いた木板の感触も、足元の小石の軋む音も、今は彼女たちの意識の中にはなかった。


 一人が落としたレンガの塊が、石畳に響く鋭い音を立てた。誰も驚きはしなかった。ただ、一瞬立ち止まり、動作を再開するだけだった。


 彼女たちの顔には疲労が張り付いていた。けれど、それは体力的なものだけではなかった。夜通し続いた防衛戦、仲間の悲鳴、壁の向こうで咆哮する魔物、崩れ落ちる拠点の光景──彼女たちの精神に焼き付いたそれらの記憶が、今も瞼の裏で蠢いていた。


 肩にかけた板の重さよりも、自分は何もできなかったという事実が重たかった。あの戦場で力を振るったのは、ほんの一握りの者たちであり、自分たちはただ逃げ、祈り、そして震えていただけだった。


 誰一人、口を開かない。仲間同士であっても視線を交わすことは少ない。それでも、手を止めることもできなかった。ただ静かに、命じられた作業を続ける。崩れた壁を前に、自分の無力さを埋めるように、積み上げていく。


 その姿は、復旧というよりも、喪に服する儀式のようでもあった。やがて、遠くの丘を越えて陽が昇る。けれど、その朝の光は、生き残った彼女たちの心を照らすには、あまりにも頼りなかった。


 




 ――そう、彼女達の心は既に折れていた。





 朝靄が薄れていく頃、補修作業の現場にひときわ凛とした足音が響いた。


 真紅の軍服に黒のプリーツスカート、腰に下げた軍刀が揺れて鳴る。要塞戦闘統制官──レイナ・ヴァルグレイスが、静かに資材置き場に現れた。


 手を止める少女たちもいれば、そのまま無言で作業を続ける者もいる。どちらにしても、その目はどこか遠く、魂の所在を失ったようだった。顔に刻まれた疲労は深く、頬は強張り、足取りは覚束ない。


 レイナは一度立ち止まり、彼女たち一人一人の姿を目に焼き付けるように見渡した。


 そして、軽く背筋を伸ばして声を張った。


「よく耐えてくれた。君たちの支援がなければ、この要塞は昨日の夜、陥落していたかもしれない。・・・誇っていい。胸を張れ」


 その声は澄んでいて、強く、どこか優しさを孕んでいた。だが、返る声はなかった。


 少女たちはただ、無言で俯くか、あるいは虚ろな目をしたまま、そっと背を向けるようにまた資材を持ち上げ始める。中には手を止めたまま、ただ一点を見つめる者もいた。


 誰も泣かなかった。泣く力さえ残っていなかった。


 レイナは、それを咎めることなく、ただゆっくりと目を伏せ、呟くように言った。


「・・・今回は、さすがに理不尽すぎたか。仕方ない」


 彼女の声は誰にも届かないほど静かだった。だが、その口調に責めや落胆はなかった。ただ、冷静に、現実を受け止める者の言葉だった。


 現役の魔法少女ですら命を賭して挑むしかなかった第一等級二体との死闘。そんな戦場に、いくら志願とはいえ学園の生徒たちを連れてきたこと自体が、そもそも無理だったのだと、彼女は理解していた。


 心が折れたのは、甘さでも未熟さでもない。ただ、当然の結果。


 だからこそ──彼女は即座に決断した。


「生徒たちを、今日中に全員帰還させる。後方支援部隊の指揮系統は正規戦力に移行、再編成を。補修作業は必要最小限で切り上げていい」


 傍らに控えていた副官が静かに頷き、無言でその場を離れる。


 レイナは再び資材置き場を見やった。黙々と積み上げられる板、崩れかけた腰、震える手。もはやその場にいるのは、戦える少女たちではなかった。魔力ではなく、ただ責任感だけで身体を動かしているに過ぎなかった。


要塞の広場では、帰還の準備に取り掛かる生徒たちが、無言で動いていた。


 トランクに荷物を詰める手は鈍く、どこか現実感を欠いていた。視線は宙を漂い、足取りも重い。生き延びたはずの彼女たちの表情には、まだ昨日の恐怖が濃く残っていた。


 そんな彼女たちの様子を遠くから見つめるラキは、ふっと息を吐いてからつぶやく。


「・・・ここに残らず帰るのがいいよみんなは。、もう充分がんばったんだからさ」


 隣で静かに頷くアリエル。二人とも、今後もこの前線に残ることをすでに決めていた。レイナとの相談も済み、負傷者が復帰するまでの戦力として引き続き前線に立つ予定だ。


「でも、怖くありませんの?」


 アナスタシアが不思議そうに尋ねる。前線に残る決断に、彼女の中で引っかかるものがあったのだ。


「ん? 全然。むしろ戦いまくれるのって超楽しいし。せっかく来たんだから、もっと魔物ボコりたいしさ!」


 ラキが無邪気に笑いながら拳を振り上げる。


「私はてっきり、魔物討伐なんて退屈だと思っていたんですけど……まだまだ楽しめそうです」


 アリエルも微笑みながら言う。だがその目には、静かで確かな情熱が宿っていた。


 その二人の様子を見たアナスタシアは、一歩引いて顔をしかめる。


「・・・やっぱりあなたたち、おかしいですわ」


 少し引き気味にそう言ったアナスタシアに、ラキが「えっ、なんで!?」とアナスタシアにツッコミを入れる。


 一方で、帰還組の三人──アナスタシア、ミレイ、そしてタギツは、すでに学園への帰還準備を整えていた。


「それにしても、タギツまで戻るのは意外でした。もう学園で学ぶことなんてないでしょう?」


 疑問を口にしたアナスタシアに、タギツは荷物を整えたまま、淡々と答えた。


「学ぶのが目的じゃないから。理由は・・・別にある」


 それ以上の説明はなかったが、既に事情を知っているアナスタシアはそれ以上追及せず、ただ小さく頷いた。ラキとタギツは元々王女の捜索及び救出を目的にしていたいため、そのためにも学園のある街へ戻る必要があったのだ。


 幌車が魔法学園の正門前に止まった。ゴーレムのひづめの音が消えると同時に、張りつめていた音と気配が嘘のように静まり返る。幌をめくって降りてきたのは、戦場から戻った少女たち。


 だが、彼女たちの足取りはあまりにも鈍く、どの顔も土気色で、瞳からは生気が抜け落ちていた。目の前に学園の門があるというのに、何かを見ているようで何も見ていないような、虚ろな視線のまま、ひとり、またひとりと重たい足取りで門をくぐっていく。


 帰ってきたはずなのに、誰一人として安堵した表情を浮かべることはなかった。


 迎えに出てきた学園の生徒たちは、明るく手を振ろうとして──そのまま固まった。思いのほか早く戻ってきた仲間を迎えるはずの場所にあったのは、言葉を失わせるほど変わり果てた姿だった。


「・・・なにがあったの?」


 そう誰かが小さく呟いたが、答えはなかった。ただ、その無言の影が、徐々に学園中に波紋のように広がっていった。


 その日のうちに、噂は爆発的に広まった。


「防衛線で・・・なんか、とんでもないことが起きたらしい」


「後方支援だったはずなのに・・・魔物が襲ってきたんだって」


「しかも、現役の魔法少女が・・・その場で何人も・・・」


「嘘でしょ、ほんとに? あの子たち目の前で・・・?」


「信じたくないけど・・・あの顔見たら、ね・・・」


「もう、誰にも笑って戻ってこいなんて、軽々しく言えないよ・・・」


 昼休み、放課後、寮の廊下。学園のあらゆる場所で、その話題がひっそりと、けれど絶え間なくささやかれていた。

 だが、当事者たちはそうした声すら届かないかのように、寮の部屋の隅にうずくまり、声を失い、目だけを開いていた。


 そして──週の半ばを過ぎた頃から、生徒たちは一人、また一人と学園を去り始めた。

 静かに、でも確かな決意を抱えた足取りで、自主退学を申し出る少女たち。中には誰にも告げず、朝になったら部屋が空になっていた者もいた。


 週末を迎える頃には、防衛線に参加したほとんどの生徒たちが、学園から姿を消していた。


「仕方ない・・・」と、教務官たちは誰もがそう呟いた。戦場に立った彼女たちを責められる者などいなかった。


 ただただ胸が痛み、やりきれない思いだけが、校舎の白い廊下に重く残っていた。


更に一週間が経過したある日。タギツは学生寮の玄関を静かに抜け出すと、車椅子を押して街へと向かっていた。


 魔物の大攻勢──あれほど壮絶な戦いの後とは思えないほど、街は穏やかだった。いや、穏やかというよりも、あまりにも普段通りだった。


 石畳の大通りには、朝市の名残を残す屋台が軒を連ね、果物や布地、薬草などを並べた行商人たちがにぎやかに声を張り上げていた。人々は手にした荷物を互いに見せ合って談笑し、商談の成立に笑顔が弾ける。木造の家々の間をゴーレムが牽く幌車がゆっくりと通り過ぎ、その荷台には街の住人らしき人々が乗っていて、互いに何処どこの誰だれがどうしたと他愛もない話を繰り広げていた。


 街角では子ども達が棒切れを剣に見立ててはしゃぎながら駆け回り、パン屋の店先からは焼きたての香ばしい香りが漂ってくる。陽光は暖かく、空は雲ひとつない。


「・・・何も変わってないな」


 タギツは、誰に聞かせるでもなくぽつりと呟いた。


 つい数日前まで、命の奪い合いがあった。悲鳴と怒号と、爆発と、そして……血と死と。あの戦場から戻ってきたばかりだというのに、この街には一片の緊張もなく、まるで魔物の脅威など最初からなかったかのように平和な日常が続いていた。


 まっすぐな陽射しが照りつける表通りを抜け、人混みをすり抜けながらタギツは車椅子を進めていく。人が多すぎて息が詰まりそうだった。


 そして、やがて。ふいに道を折れ、裏手の細い道へと入る。


 そこは、別世界だった。


 表通りの喧騒と明るさが嘘のように、薄暗い日陰の裏路地には、静けさと寂れた空気が充満していた。建物はどれも風化し、煉瓦の壁は崩れかけ、屋根からは雑草がはみ出ている。通りの端では酒瓶を枕にして浮浪者が昼間から泥のように眠り込んでおり、あちこちに張り紙が貼られているが、文字は擦れてもはや判読できない。


 狭い路地には、元は住宅だったものを強引に継ぎ足していったような奇妙な建物が密集していた。複数の階を無理に接ぎ合わせたような構造。階段なのか棚なのかも分からない外付けの木板。何かの事情で追いやられた者たちの吹き溜まり──それがこの裏路地の正体だった。


 街の光から切り離されたこの場所に、笑い声も歓声もなかった。空気に混じるのは酒と煙草と、乾いた埃のにおい。ふらつきながら歩く酔いどれ、呆けたように壁を見つめる老人、そして──地面に横たわる者たち。


 タギツは静かに車椅子を動かし、その光景の中をゆっくりと抜けていく。誰も彼女を止めようとせず、興味も示さず、ただ風景の一部としてすれ違っていく。


 そして、やがて目当ての建物の前にたどり着いた。


 それは、くすんだ赤茶けたレンガの二階建て。入り口には傾いた木製のスイングドア、壊れかけた屋根にぶら下がる看板には、擦れた金文字で「栄光酒場」と書かれていた。栄光──かつて誰かがそう信じた言葉の名残。


 タギツはためらいなくその扉を押し開けた。


 ギイ・・・と乾いた音を立てて開かれたその先、すぐに鼻をついたのは、濃厚なアルコールと煙草の混ざった空気。日が高いというのに中は薄暗く、光の届かぬ片隅では誰かがテーブルに突っ伏して眠っている。カウンター席では数人の中年男が煙をくゆらせながら酔いにまかせて大声で笑いあい、空いた瓶を乱暴に並べていた。


 椅子がひとつ、壁に突き刺さっていた。テーブルは二つ割れていて、床には皿の破片と酒の染み。足元では男が一人、鼻血を出して気絶している。


 ──この空間には、魔法学園の生徒など似つかわしくない。だが、タギツはまるで日常の一部のように、迷いなくカウンターに進み、マスターに声をかけた。


「また来たよ。ちょっと話があるの」


「・・・もうくんなって言っただろうがなんで来るんだ」


「来ないなんて言ってないよ?」


「俺がくるなっつてんだよ!」


「やだ」


「やだじゃねえ! はぁ、もう言っても聞かねえガキだなほんと。また前回みたいに客を血祭りにあげられるとこっちも商売あがったりなんだよ」


「だったらその前に止めればいい。そうすれば僕もハッピー君もハッピー客もハッピーでいいことずくめだね」


「言われんでもやってるわ! お前がここに来ると他の客がビビッて寄り付かなくなるから来るなっつってんだよ!!」


「それならいい案がある。僕がそこら辺のチンピラを片っ端から引きずってここにきて飲ませるというのはどう?儲かると思うよ」


「お前はアレか? 鬼か悪魔なのか?頼むから問題を起こさないでくれ」


 店のマスターはうんざりした表情で手に持ったグラスを棚に戻していた。そう、タギツは1か月前にこの酒屋にやって来ていたのだ。


その日も、昼間から煙と酒のにおいが充満した酒場の中は、だるさと雑多さの入り混じった空気に支配されていた。


 そんな中、場違いな存在が現れた。


 ギィ・・・とスイングドアが開いた瞬間、目に入ったのは黒を基調とした制服姿の少女。

 華奢な体に不釣り合いなほど端正な顔立ち、整った銀髪が揺れ、静かに車椅子を押して入ってくる。


 店内の視線が一斉に彼女へ向けられた。

 場違いな制服、場違いな年齢、場違いな雰囲気。

 この街の底にあるような場所に似つかわしくない少女の登場に、客たちは最初、ぽかんと口を開けるばかりだった。


 そして次の瞬間には、半笑いと好奇の混じった視線があちこちから飛んできた。


 奥のテーブルでは、既に酒を数杯引っかけたチンピラ風の男たちが身を乗り出していた。

 服装と年齢、肌の白さ。どう見ても育ちの良い、何も知らない"お嬢様"が一人でこんな場所に来た。


 にやついた顔が一つ、もう一つと増え、やがて足音が近づいてくる。


 彼女の車椅子の前に立ちはだかった男は、肩を揺らしながら何かを話している。酒の臭いを撒き散らし、身振り手振りで軽く触れようとしたその瞬間──


 バキィッ


 音と同時に、視線がぶれる。


 男の顔面を掴んだ少女の手が、無慈悲な角度で力を加え、顔を軋ませながら持ち上げていた。


 白く細い指が鉄の鉤爪のように食い込み、男の顔が変形している。

 床から完全に浮いたそのまま、車椅子の少女は冷然と腕を振るい、テーブルごと男を向こう側へと投げ飛ばした。


 次の瞬間には、魔術陣が閃いた。


 巻き起こる紫電。宙に光の鎖が走り、数人の男たちの足と腕と胴を、まるで意志を持つように巻き取っていく。連結され、呻き声を上げながらのたうつチンピラたち。


 そこへ、少女が指をすっと横に振った。


 バチィィィィッ!!


 電撃が、走る。 鎖を通じて、全員の体が一斉に痙攣し、白目をむいて跳ね上がった。喉の奥から漏れる悲鳴。床に広がる酒瓶が震え、テーブルが倒れ、椅子が転がる。


 少女は表情を変えず、一定のリズムで電撃を繰り返す。

 まるで壊れた人形のように、ただ粛々と、静かに、淡々と制裁を加え続けた。


 ──誰も止めようとはしなかった。


 他の客たちは、椅子から腰を浮かせたまま、誰一人として声を上げることができなかった。

 彼女の顔は、何の感情も映さず、ただ無言で見下ろしていた。


 その冷たい視線は、まるで目の前にいるものを「人」として扱っていないようだった。


 やがてチンピラたちが動かなくなり、彼女が魔術を解除すると、チンピラどもが音を立てて床に落ちる。


 静寂。

 酒場の喧噪は、嘘のように消えていた。


 彼女は何事もなかったかのようにカウンターへ向かい、カウンター越しにパイプを吹かしながら酒を頼み、店主は眉間にしわを寄せながらも、何も言わずにグラスを磨いていた。そして、それ以来──この店で彼女に手を出そうとする者は誰一人として現れなくなったというのが事の顛末である。


「それで? 何かめぼしい情報はあったの?」


「俺の意見はスルーかよ。もういいや。といってもめぼしい情報なんて何もねえぞ。こんな辺鄙なところにやってくる奴なんざロクな奴がいねえからな」


「それでもいいよ。僕の探し人が何処にいるのか、そのヒント程度でも十分だからね。どんな些細な事でもいいから何かない?」


「まあ、情報と言うほどでもねえただの噂話くらいならあるがな」


「へぇ」


「お前は『ディアボロス』っつー名前は聞いたことあるか?」


「ないね。そんな悪魔みたいな名前の組織怖くて近づけないよ」


「お前の方がよっぽど悪魔だろうが。そんなのはどうでもいい。ディアボロスってのはまあこの国に巣くってるレジスタンス組織の名前でな。様々な事件を起こしてるってんで指名手配されてる奴らだ。そんでそいつらが今度なにかでかいことをやるっってよ」


「でかいことって何?」


「そいつは俺もわからねえよ。ま、所詮は噂話だ」


 そう言って店のマスターは他の客の対応に向かった。タギツは一人パイプの煙の香りをかぎながら思考に耽りそんなタギツを店内の隅で息をひそめていた人物――アステリアという名前の少女が、ただじっと視線を向けていた。あからさまに見つめるとバレるので体は机のほうを向いて視線だけをタギツに送っていた。




 ──この街で王女の行方を探している少女がいる。魔法学園の制服を着た、銀髪の車椅子の少女。




 その話を耳にして以来、アステリアは幾度となくこの場末の酒場に足を運び、ようやく今日、その本人と目される人物と接触できるかもしれないというチャンスを手にしていた。抵抗組織の一員として力になってくれそうな協力者を増やすこともまた自分のやるべきこと。

 それに噂話程度だが銀髪の少女と一緒にいるもう一人の少女はとてつもなく強いとのこと。うまくいけば戦力になってくれるかもしれない。そんな期待を胸にアステリアは機を伺っていた。


 やがてタギツはカウンターを離れ、車椅子を押して再びスイングドアの向こうへと姿を消した。アステリアはすぐに椅子から立ち上がり、気配を殺してあとを追う。


 裏路地の陽光は建物に阻まれ、昼間とは思えないほど薄暗かった。タギツの車椅子はきしむこともなく、路地の奥へ奥へと滑り込んでいく。


 (見失うわけにはいかない・・・でも、接触のタイミングは慎重に)


 アステリアは呼吸を整えながら、一定の距離を保ちつつ角を曲がる。タギツの背中が見えたかと思えばすぐに視界から消える。それでも、その銀髪の残像が路地の先にかすかに残っている気がして、彼女は焦りながらも追跡を続けた。


 ──しかし、いつしかその姿は完全に消えていた。


 アステリアは人けのない袋小路で立ち止まり、辺りを見回す。


「・・・あれ? え、うそ。どこ行ったの?」


 声はかすれた囁き。けれどその言葉には戸惑いがにじみ出ていた。


「ちょっと待って・・・え? こっちの角だったよね? いや、でもさっき左に曲がったような──ああもう、何処にいるのよ!」


 焦りが口調に表れ、アステリアは軽く髪をかき上げた。


 その瞬間──


「ここにいるけど?」


 ぴたりと背後から、低く冷たい声が降ってきた。


「へっ──えっ!? ひゃわっ!!?」


 変な声を上げながらアステリアは両手をぶんと振って、思いきり跳び上がった。まるで透明な糸で引っ張られたような驚きようだった。


 後ろを振り向くと、そこには路地の陰から現れたタギツが、車椅子に座ったまま無表情なままアステリアを見つめていた。


「う、うそ・・・ど、どうやって!? いつの間に・・・」


 アステリアの目が困惑で泳ぐ中、タギツはわずかに首をかしげる。


「気配の消し方が雑すぎる。足音も立ってたし、目線も甘い。尾行の練習、した方がいいよ?」


 淡々としたその口調に、アステリアは頬をひきつらせながら、必死に笑みをつくった。


「わ、私だって本気出せばもっとできるもんっ・・・・・・!」


 とはいえ、完全に奇襲を受けた形のアステリアには余裕などなく、何とも締まらない空気がその場に漂っていた。


 ──こうして、アステリアとタギツの最初の邂逅は、静かに、しかし妙な緊張と間の抜けたやり取りを伴って幕を開けたのだった。






 ―――――






「え~と、あなたはタギツ・・・でいいんだよね? お願いがあるの!ちょっと私達の隠れ家までついてきてくれないかな? 唐突に何言ってんだコイツって思うかもしれないけど、でもついてきてほしいの」


「ヤダ」


「そう言わずに! ここじゃ話せない内容なの!」


「そもそも君の名前すら知らないのだけれど? しかも見るからに怪しすぎる人物になんでついて行かなければならないの?」


「ぐぅの音も出ないほど正論! うえ~んどうしよう!」


 アステリアはついにその場にしゃがみこむ勢いで両手で頭を抱えた。星屑をこぼしたように煌めく青紫の長髪が、重力に引かれて肩の前に垂れる。風に揺れるその髪の隙間からのぞく表情は、困惑と必死さとでぐしゃぐしゃだった。


 体に合っていないサイズのボロボロのコートはほつれた裾が床に擦れ、かろうじて留まっているボタンが頼りない。腕に装着されたガントレット型の魔導具は何度も修理された跡が残っており、そこから青白い微光が漏れていた。首元にぶら下げたゴーグル型の魔導具も埃っぽく、どれほど過酷な環境をくぐってきたのかが見て取れる。


 だがそんな風貌とは裏腹に、彼女の動きはどうしようもなく子どもじみていた。肩をすくめ、手のひらでぐしゃぐしゃと頭を押さえ、「信じて! でも話せない! でも信じてほしい!」と心の中で叫んでいるのが見て取れるような、なんとも情けなくも真っ直ぐな姿。


 ──一方、その様子を見ているタギツの表情はまるで揺らがなかった。


 無表情。むしろ僅かに呆れているようにも見える。彼女は手に持っているパイプを口にくわえながら、アステリアをまっすぐ見下ろしていた。敵意も驚きもない。ただ「困った子だな」とでも言いたげな、酷く冷静で客観的な視線だった。車椅子の背もたれに良し掛かりながらただ黙って待った。


 沈黙が数秒続く。


 アステリアは何か打開策を探すようにキョロキョロと視線をさまよわせたが、結局また頭を抱えて縮こまるしかなかった。


「ここじゃ話せない。けど、でも──信じてって言っても怪しすぎるよね・・・そうだよね・・・!」


 その声はか細く、まるで自分の存在を自分で否定してしまいそうな弱々しさを孕んでいた。声を荒げるでもなく、泣くわけでもない。ただ、ジレンマに引き裂かれそうなほど戸惑いながら、それでも「諦めたくない」という意志だけが彼女をかろうじて支えていた。そして数秒が経ったのち意を決してアステリアは声を上げた。


「・・・あのね」


 小さな声だった。それでも今度はタギツの耳にしっかり届いた。


「私ね、今すっごく困ってる。仲間も・・・足りなくて、でも国に頼ることもできなくて。下手に言えば、巻き込むことになるかもしれない。だから何も言えなかったの。・・・でも、君が探してる王女のこと、それも、ちょっとだけ聞いたことがある」


 タギツの眉がかすかに動いた。


「ほんとにちょっとだけ。確証はない。でも、それでも・・・君の探し人に関係してるかもしれない話が、うちの組織に流れてきたの。だから──ついてきてほしい。危険だってことはわかってる。でも、これは・・・君のためにもなるかもしれないから」


 言いながら、アステリアは胸元をぎゅっと押さえた。口元には不安が浮かんでいたが、それ以上に必死さがにじんでいた。決して悪意ではなく、心から協力を望んでいることが、言葉の隙間から溢れていた。


「・・・・・・」


 タギツはそのまましばらく無言だった。何かを計っているような、測っているような、沈黙。その空白はやがて、ゆっくりと終わる。


「・・・少しだけ、興味は湧いたよ」


 その一言に、アステリアの目がぱっと見開かれた。まるで冬の夜空に流れ星が走ったかのように、星屑のようにきらめくその瞳が喜びを宿す。張りつめていた空気が一瞬で緩み、肩の力が抜けるのが見て取れた。


「えっ、ほんとに!? わ、やったぁ!」


 アステリアはその場でくるりと一回転して、小さくガッツポーズを取った。純粋な嬉しさが、子どものような無邪気さとなって弾け飛ぶ。


「よし、それじゃついてきて! ちょっと入り組んでるけど、すぐそこだから!」


 弾むような足取りでタギツの前に出ると、張り切って路地の奥へと駆けていく。コートの裾がひらひらと舞い、背中のゴーグルが小さく揺れた。


 その後ろ姿を見ながら、タギツは肩をすくめる。


「・・・地下組織が、そんな簡単に初対面の人間を招き入れていいのか?」


 誰にも聞こえないような小声でぽつりと呟く。だがその視線には、わずかに柔らかな光が宿っていた。


 アステリアの後をついて行くと周囲の建物と同じようなボロボロの建物にたどり着いた。建物の間をロープが通されておりそこに洗濯物が干されており、他にも小さな子ども達が遊んでいたり、若い女性が数名洗濯をしながら雑談をしていた。見るからに貧民街な所にやってきたアステリアとタギツはそのうちの一つの建物に入ると床に木製の蓋がされておりそこを開くと近くに続く階段があった。


「えっとタギツさん私がおんぶしますので―」


「大丈夫。一人で移動できるから」


 そう言うとタギツは車椅子からぷかぷか浮かび上がり、地下に続く階段を浮かびながら降りて行った。その光景を見ていたアステリアはポカーンとした表情だったがすぐにハッ!と再起動してすぐに後を追った。


 石造りの階段が続く、湿り気を帯びた地下への通路。灯りは古びた魔導ランプが頼りで、ぼんやりと黄色くゆれるその光の中、タギツの姿が音もなく降りていく。


 ――浮いていた。

 車椅子から離れた彼女は、まるで重力という束縛から自由になったかのように、ゆっくりと宙を滑るようにして降下していた。浮遊の痕跡を示す風の揺らぎも魔力波もない。ただただ、無音のまま、意志の力だけで空を舞っているかのようだった。


「な・・・なにそれ・・・浮いてる!? 魔法!? でも、変身してないし、リンクもしてない・・・!」


 アステリアは、駆け下りかけていた足を止め、唖然とした表情でその光景を見上げた。マギアシステムに繋がなければ魔法は使えない――それがこの国の常識であり、絶対だったはずだ。

 だが、目の前の少女は明らかにその“常識”を破っていた。


「・・・いや、魔法じゃない・・・これは・・・これは、まさか・・・」


 目が見開かれ、やがて震える声でぽつりと呟く。


「魔術・・・? でも、そんなもの――この国には存在しない。記録にも、理論にも、概念すら・・・」


 階段を駆け降りながら、彼女は完全に自分の思考の世界に入り込んでいた。


「マギアシステムへのアクセスの兆候もない・・・いや、魔力運用それ自体はなされている・・・、これは“システムに依存している”のではなく、“自分の意志”で魔力を動かしてる・・・そんなの、ありえるの・・・?」


 ごにょごにょと呟きながら、アステリアは無意識に両手を宙に掲げ、見えもしない数式や術式構造を空に描きはじめていた。目は虚ろで完全に“観察モード”に入っている。脳内では常識が次々にひっくり返され、理解の限界に到達しつつあった。


 前を進んでいたタギツがふと振り返り、その様子に眉をひそめる。


「・・・うるさいな。少し黙って歩けない?」


 その一言に、アステリアはピシッと固まり、まるで背後から水をかけられたかのように我に返った。


 「あっ、あっ、はいっ!ご、ごめんなさいっ!つい・・・でもでも、気になっちゃって!だってあんなの・・・マギアシステム抜きで自分の意思で魔力を操作してるなんて、そんなの“禁術級”の発見ですよ!? いや発見どころか、もう常識が――ハッ!あなたもしかしてかく――」


「・・・黙って」


 再び冷ややかに言われて、アステリアはピシッと敬礼のような姿勢になり、小さく「はい・・・」と呟いて口をつぐんだ。


 その後も二人は、無言のまま薄暗い地下通路を進んでいった。だがアステリアの頭の中では、理論と謎が激しく渦を巻いていた。 


「それと、魔術は別に禁術でもなければ新発見でもないよ。アレイシア国の外では一般に普及している」


 アステリアにとっての爆弾発言にまたもや声を上げそうになったがタギツからの冷たい圧力に口を噤んだ。


それからしばらく階段を下りると真っすぐ伸びる通路に出た。通路の奥からは薄暗く湿った空気が肌を撫でる。タギツは変わらず無言のまま、魔力の織り成す重力制御でふわりと浮かびながら前進していた。その背を追いながら、アステリアはずっと気になっていた疑問を口にする。


「ねえ、タギツさん。“覚醒者”って・・・聞いたこと、ある?」


 その問いに、タギツは足を止めることも、振り返ることもなく静かに答えた。


「ない。初めて聞く言葉だ」


 アステリアはうっすらと頷き、小さく息を吐いた。


「・・・やっぱり。普通は、知らされないものね。私も、知る立場じゃなかった。ただ、“そうなってしまった”だけだった」


 彼女の声は、徐々に沈み込んでいく。記憶の奥に沈んだ過去が、再び言葉と共に浮かび上がる。


「私、かつてはこの国の正規の魔法少女だった。魔法学園を出た後に国家魔法少女戦闘団に入団して戦場に出て、魔物と戦って、仲間と笑い合って・・・そんな日々。命の危険はあったからとても大変だったけれどそれなりに充実した日々を少していたわ。でもある日、親友が私の目の前で戦死したの。なんでも後から聞いた話だと魔物を統率している特異個体だったみたいらしいけけど。でもそんなのは関係ない。何もできなかった。力が出なかった。怖くて、ただ・・・見てるしかできなかった」


 アステリアの肩が震える。その目に宿る影は、まだ癒えていない傷の深さを物語っていた。


「だけど、そのとき――胸の奥に、爆発するような感覚が走ったの。マギアシステムに接続していないのに、私の中から魔法が溢れてきた。自分自身の魔力を、自分の意志で扱っていた。誰にも教わらず、誰にも頼らず・・・後から私の実に起きたことは覚醒と呼ばれるものだったことを知ったけれど・・・あれは、確かに“覚醒”と呼ぶにふさわしい感覚だったわ」


 タギツは静かに耳を傾けていた。先を促すことも、疑うような仕草もない。ただ、彼女の言葉だけを確かに受け止めていた。


「でも、そんな力を得た私は・・・歓迎されるどころか、魔法犯罪者として逮捕された。理由なんてなかった。ただ、“マギアシステムを通さずに魔法を使った”それだけで、国家にとっては制御不能な存在だった。マギアシステムに接続して戦うということは別の言い方をすればマギアシステムに依存しなければ何もできないということ。アレイシア国としてはその状態から逸脱している者はいてはならないらしいわ」


 声の調子がわずかに鋭くなる。そこにあるのは怒りではなく、痛みと悔しさ。


「そして理不尽に連行された先で見せられたのは・・・信じられない光景だった。魔法少女たちが、機械に繋がれていたの。光る魔方陣の上で鎖に繋がれて、生きてるのか死んでるのか、意識があるのかもわからない状態で・・・でも、彼女たちは“魔力の供給源”じゃなかった。違うの。彼女たちは、“マギアシステムを制御するための装置”として繋がれていたのよ」


「・・・制御装置?」


 タギツの口から初めて声が漏れる。その反応に、アステリアは静かに頷いた。


「ええ。マギアシステムは、“より高度な魔法”を、“より多くの魔法少女が”、“より頻繁に”使えるようにするために、アップデートされ続けてる。・・・そのためには、制御能力の高い覚醒者を繋ぎ、“知性ある魔力制御の核”にする必要があるの」


「つまり、あなたは・・・」


「“新たな制御装置”として回収されたの。でも・・・私がマギアシステムに繋がれた時に私の魔力が暴発して、施設にダメージを与えてしまって・・・その混乱に紛れて、私は脱出できた」


 タギツは再び沈黙する。アステリアの語る内容は、あまりにも核心的だった。国の根幹を成すシステムの本質――それは、個人の自由を代償に成り立っていた。


「でも、それで終わりじゃなかった。次の日には指名手配。すぐに、私の顔も名前も公開された。“危険人物”として。街を歩けば避けられる。昔の友達は、誰一人・・・声をかけてくれなかった。・・・皆、私を拒絶したの。アレイシア国の闇に触れたものの末路は失踪と決まっていたから誰も触れたがらないし、マギアシステムによってこの国の平穏は守られているのもまた事実。だからみんな見て見ぬフリをしているの」


 アステリアの表情は、どこか諦めを含んだ笑みへと変わる。


「私はそれから・・・日向に戻ることはできないと悟って、廃墟で寝泊まりしながら、ただ生きてた。生きてるだけの日々。・・・そんなときに、ディアボロスが現れたの」


 彼女の目に、初めて希望の光が宿る。


「彼らは、私を“道具”としてじゃなく、“仲間”として受け入れてくれた。そして、私は知った。ディアボロスは、皆が目を背けて黙認していることに真っ向から抗って、この国の根幹――“マギアシステム”そのものを破壊し、この国を根本から変えることを目標にしている組織だったって。だから私は、彼らと共に戦うと決めた。奪われたものを取り戻すために。仲間を・・・あの地獄の装置に繋がれる誰かを、これ以上増やさないために」


 アステリアの語った「覚醒者」としての過去。マギアシステムに接続されかけ、命からがら逃れたという真実。そのすべてを聞き終えた後、タギツはたどり着いた小さな部屋の中でぼろい椅子に腰かけながら静かに口を開いた。



「僕は、ヴェグリスト王国の依頼を受けてこの国に来た。僕とラキ、二人で行動している。表向きは留学生として」


「へぇ、タギツさん一人じゃないんだね。そういえば噂で聞いてたっけ、金髪の女の子だっけ?」


 アステリアが対面の椅子に座って暖炉に火を入れながら少し驚いたように言う。薪木をぶん投げつつもタギツの話の続きに聞き入った。


「依頼の内容は明白だった。数ヶ月前、この国に“留学”していた第3王女リュディア・アークライト・ヴェグリストが忽然と姿を消したの。アレイシア国は沈黙を貫き、行方に関しては一切の情報も出さないから僕達がここに来た。そして今君の話を聞いて一つ推測がたったよ」


 タギツは静かに続ける。


「王女も、“覚醒者”だった可能性がある。マギアシステムに依存しない形で魔法を使えた・・・だからこそ、危険視され、“接続”された。君と同じように。リュディア王女は確か魔力適正が元々高くてマギアシステムにリンクした時もすぐに順応したと聞いている。だから覚醒していも何ら不思議じゃない」


「・・・そっか。私も、同意するよ。そのヴェグリスト王国の王女様・・・だっけ? その人の失踪にマギアシステムが関係していると思うよ。だって、話があまりに似すぎてる。魔力適性が高くて、覚醒して、そして“消された”。きっと、同じような流れなんだよ・・・」


 だが彼女は、そこで一度言葉を切って事実を一つ話した。


「・・・ただ、私が連れていかれた場所では、“王女”らしき人は見なかったよ。顔も、年齢も、容姿もタギツさんのいうリュディア王女様と違ってた。だから・・・多分、ああいう“場所”は、他にも複数あるんじゃないかって思う」


「なるほど・・・」


 タギツは短くうなずき、焚き火に細い枝をくべながら思案の色を深めた。アステリアの言葉――王女らしき人物を見ていないという証言は、王女の行方の手がかりを得られなかったという意味でもあり、同時に別の可能性の存在を示していた。


「つまり、マギアシステムに繋がれた“覚醒者”を収容する施設が複数あるってことだね。だったら、まずはその施設の位置をすべて洗い出す必要がある。・・・同時に、だ」


 タギツの視線が焚き火の向こうにいるアステリアに向けられる。


 「こっちは、いろんな場所を回って地道に情報を拾うよ。ラキと協力して、表向きの“留学生”の立場も使いながらね。警備が緩い施設の目撃証言、搬送ルート、行政の不自然な動き・・・地上の情報は僕たちに任せてくれ」


「うん、わかった。でも・・・実は、ちょうど今がチャンスなんだよ」


 アステリアは身を乗り出すようにして、声をひそめながらも明るさを失わないまなざしでタギツを見つめた。


「マギア統制省、魔物の大攻勢があってから警備が明らかに手薄になってる。補充される前に、施設の中に侵入して直接データを取ってくる。きっと内部の接続記録か、覚醒者の搬送リストみたいなのが残ってるはずだから」


 タギツは少し目を細め、彼女の真剣な様子を見つめ返す。


「・・・大丈夫なのか? 君、追跡すらロクにできなかったのに。そんな君が“潜入”なんて、高度なことできるの?」


 タギツはじとっとした目でアステリアを見つめる。表情は無いが、明らかに疑っている。


「で、できるもんっ!!」


 アステリアはピッと背筋を伸ばし、ムキになって反論した。だがその頬は、悔しさでぷくーっとふくらんでいる。


「こ、こう見えても、魔法学園にいた頃は! 筆頭主席だったんだからね!!」


「本当?」


 タギツは片眉をわずかに上げて問い返した。声のトーンは平坦だが、完全に「嘘でしょそれ」って顔。


「ほ、ほんとだもん! 嘘じゃないもん!!」


 アステリアはぶんぶんと両手を振りながら、耳まで真っ赤にしてわたわたしている。


「ちゃ、ちゃんと! 証明書もあるんだからね! ちゃんとしたやつ! まあ、今は・・・持ってないけどっ!」


「・・・それを“持ってない”って言う時点で、信用値は限りなくゼロに近いけど?」


「ひ、ひどっ! ほんとだってば!! 魔力制御と実戦評価で学年トップだったんだから! あと! 読書感想文も! たぶん!」


「たぶん、て・・・ じゃあ討伐は?」


「へ?」


「魔法学園にいた頃に前線に出て討伐したでしょ?どのくらいの討伐数だったの?」


「え、え~と・・・た、多分、二体……くらい?」


「・・・それ、カブトムシの捕獲数じゃないよね?」


「ち、違うしっ! ちゃんと魔物だったもん! 動いたし! ちょっと怖かったし!!」


 アステリアはなぜか自慢げに胸を張るが、微妙な沈黙が場を支配した。この子本当に魔法学園で筆頭主席だったのか?そんな疑問を持ったタギツはじと目で彼女を見つめ、ふと結論にたどり着きぼそりと呟く。


「・・・至上最弱の筆頭主席」


「そ、そんなことないもん!! 討伐数は少ないけど、同期相手には無敗だったもん!!」


「校内戦最強、実戦最弱じゃ意味ないよ・・・」


「む、無敗は無敗なんだからっ! ・・・たぶん!」


「また“たぶん”かい」


 タギツはため息をついた。が、ほんの少しだけ口元が緩んでいた。


「わかった、わかった。じゃあ筆頭主席の実力を存分に見せてよ。マギア統制省への潜入と情報の奪取――任せたよ。くれぐれも、捕まらないようにね?」


「ふっふーん、安心して。まだ死ぬわけにはいかないからねっ!」


 得意げに胸を張るアステリアだったが、直後、背負っていたポーチの紐がするりとほどけて中身がどさっと落ちる。


「あああ!? ナシ! いまのナシね!? ナシだからね?!」


「・・・もう、心配しかないんだけど」







 ―――――






  それから数日が経過した。


 タギツの履修しているのは、魔力理論、魔法装置の構造解析、記述術式といった“魔道具製作系”の授業ばかりだった。戦闘訓練にも魔術の実技にも彼女は参加しない。名目上は、ヴェグリスト王国からの留学生として魔道具技術の交流と研究のために来ている──それが建前であり、そして事実でもあった。


 筆記では、彼女は毎回の試験でほぼ満点を叩き出し、教務官の間でもその名が知れ渡っていた。実技の代わりに提出される彼女の自作魔道具は、どれも機能性・魔力効率・美観のいずれにも優れ、学園の標準カリキュラムをはるかに超える完成度だった。


 ある日、魔道具製作担当の教務官から、校舎裏でこっそり話を持ちかけられたこともある。


 「君の魔道具には本当に驚かされたよ。もしよかったら、この国で製作事業を始めてみないか? 出資してくれる商会の紹介もできる」


 しかしタギツはそれを、静かに、笑みも浮かべずに断った。目的は別にある──そう言葉にしなくても、彼女の目はそれを語っていた。


 放課後になると、タギツはいつものように木製の車椅子に腰を落ち着け、自ら車輪を押して街へと繰り出していった。


 


 最初に向かったのは、学園近くの通りにある老舗の花屋だった。鉢植えを並べる老婆に声をかけ、「最近、この辺で何か変わったことはありませんでしたか?」と探るように問いかける。


 老婆は最初、疑り深げな目でタギツを見上げたが──彼女が指の間に金貨を挟んでさりげなく手渡すと、態度が一変した。


 「ん~・・・そうさねえ。北の旧検問所の方で、妙に人の出入りがあるって話を聞いたよ。昼も夜も、何かを運んでるらしいんだけど、誰も近づかせないんだって。なんでも、地下に繋がってるって噂」


 タギツは無表情のまま小さく頷き、手帳にメモをとると丁寧に礼を言った。


 


 次に向かったのは、ちょうど荷降ろしを終えたばかりの行商人の元だった。タギツはさりげなく話しかけ、最近よく売れている品物について尋ねた。


「ま、日用品とか保存食が売れ筋だな。やっぱ景気はよくないからよ、皆倹約しながらも備えてるって感じさ」


「売り先に、変わった方はいませんでしたか?」


「んー、そうだな・・・東区域で、やたら数を注文してきた奴がいたな。建物の規模にしては明らかに不自然な量だった。さすがに聞いたぜ、『そんなに使うのか?』ってな。そしたらよ・・・“知らなくていい”って吐き捨てやがった。まったく、商人相手にその態度はねえだろうっての」


 言葉とは裏腹に、男は嬉々として語る。タギツは頷きながらもその“東区域”の情報を記録し、次の目的地へ向かった。


 次は玩具屋の店主。外見は無骨な大男だったが、並ぶ玩具はどれも手の込んだ手製品で、細部に愛情がこもっていた。


「今日は知り合いの子に贈り物をしたくて・・・何か、人気のおもちゃはありますか?」


「お、嬢ちゃんもなかなか見る目あるね。最近はこのクルクル人形が人気だぜ。紐を引くと笑うのさ」


 タギツは微笑みながら購入しつつ、ふと尋ねた。


「そういえば・・・学園の生徒で、突然いなくなった人がいるって噂を聞いたことがあるんですけど……」


 男は一瞬、目を細めた。


 「嬢ちゃん、学園の生徒なんだろ? 逆に聞いたことねえのか? この前な、知り合いの婆さんが嘆いてたよ。魔法学園に通ってた可愛い孫娘が、ある日突然、いなくなっちまったって。学園も国も何にも答えてくれねえって、泣いてたな。自分で探してるってさ」


「・・・へぇ」


 淡々と応じながらも、タギツは手帳にしっかり書き留めた。


 


 そして最後に、通りの片隅で遊ぶ子どもたちに声をかけた。


「ねえ、この辺で“大人に近づくな”って言われてる場所、ある?」


「あるあるー! あっち! 赤いレンガの建物! お母さんに、絶対近づくなって言われたもん!」


 タギツは小さく笑って頷くと、先ほど買った玩具の一つを子どもに手渡し、「ありがとうね」と礼を言って、その場を離れた。


 


 学園の寮へ戻ると、夜の静けさが迎えてくれる。


 タギツは部屋の扉を閉めると、車椅子から身を起こして机へ向かい、懐から手のひらサイズの魔道具を取り出した。銀と青の線が美しく走る遠隔盗聴魔道具──彼女自身が製作した高性能品だった。


 魔力を流し込むと、小さな“収音機”たちが拾った音声が部屋に再生され始める。仕掛けた場所は街のあちこち──市場の影、宿屋の裏口、放棄された倉庫の窓。


 タギツは目を細めて音に耳を傾けながら、ふとパイプをくわえた。火を入れて小さく吐き出した煙が、白く室内を舞う。


「・・・向こうは向こうで、うまくやってるかどうか・・・」


 寮の部屋には誰もいない。


 彼女の声は、キィインという魔道具の起動音だけが混ざる中、かすかに天井へと消えていった。




時を同じくして──前線。


 焦げた土の匂い、空気にまだわずかに漂う魔力の残滓、そして足元には溶け崩れた黒い泥のような残骸。ここはかつて、数えきれぬ魔物が湧き出し、何十人もの魔法少女たちが重症を負い、撤退を余儀なくされた死線だった。


 しかし今、その様相は大きく変わっていた。


 地平線まで続く焼け野原の中、ラキが勢いよく魔物の頭部に飛び蹴りを叩き込むと、ぐしゃりと潰れた肉塊が地面に沈んだ。


「はーい! つぎーっ! ・・・って、もういない!?」


 敵影を探して目を凝らすが、草葉の陰からひょこりと顔を出していた魔物も、彼女の気配を察した瞬間、情けない声でギャッと鳴いて逃げ出していく始末だった。その様子を少し離れた空中を滞空しながら見ていたアリエルが、手に握ってた長剣を光を粒子に戻しながら口元だけで笑った。


「ふふっ、ラキ。もう“狩り”っていうより“掃除”になってきましたね。魔物の生態系、もう崩壊してるかもしれませんよ?」


 ラキは不満げに唇をとがらせて、地面に座り込む。


「前はもっとこう、ドッカーン!ズガーン!だったのに! 最近はなんか、バシャッ、とか、ポフッ、とか・・・。手応えゼロなんだけど~」


 アリエルは笑みを深め、砂地に落ちていた魔物の角を拾い上げて軽く弄びながら、冷静に周囲を見渡す。


「一週間前までは確かにそうでしたね。こちらが10体倒しても、100体どこからともなく湧いて出てきましたが、今は・・・どうやら魔物の個体数が尽きてきたのでしょうね。戦い慣れしている脅威の高い魔物もあらかた討伐してしまったみたいで出てくるのは等級でいえば“第五”・・・いや、下手すれば野生動物並み。緊張感もへったくれもないとはこのことですね」


 前線の野営地では、かつて負傷して後方に下がっていた魔法少女たちが、続々と復帰し始めていた。だが、彼女たちの間にもある種の“肩透かし”の空気が流れていた。帰ってきてみれば、すでに戦局はほぼ終わっていたのだから。


 今や彼女たちでも討伐に支障がない。むしろ超高火力の二人──ラキとアリエルは出る幕すらない。


「もー、せっかく前線に残ってんのに、これじゃ張り合いがないよね!」


 ラキが空を仰いで背中をのばすと、後方からひょっこり顔を出した後方支援部隊の魔法少女が手を振った。


「ラキさーん! このあたりの討伐範囲、もう“掃討済み”って報告上がってますよー! 今日は休んでてくださーい!」


「え、またー!?」


  その言葉にラキは不服そうに頬をぷくりと膨らませながら、手にした黄金の戦槌ミョルミーベルを戦場の地面へドカンッ!と突き立てた。乾いた音と共に地面にひびが入り、後方にいた後方部隊の魔法少女がびくっと肩をすくめる。


 地面へ降り立ったアリエルは、マギアリンクを滑らかに解除し、腰を軽くひねりながら周囲を見渡す。


「ふむ・・・生き残り、ゼロ。掃討完了っと」


 見渡す限り、黒い魔物の骸ばかり。魔力の残り香すら消えつつある。


 ラキはひとつ伸びをしてから、肩越しにアリエルを見る。


「ってことは、ほんとにやることないねぇ・・・さて、どうしよっかなー」


 その時だった。


 アリエルが髪をかき上げながら、首をゆっくりと傾ける。


「ねえラキさん。久しぶりに、やりませんか? 模擬戦」


「・・・いいね。やろっか、模擬戦♪」


 ラキは満面の笑みを浮かべながら、突き立てていたミョルミーベルをズルンッと引き抜くと構えた。その顔にはアリエルと模擬戦できることの歓喜の色が浮かんでいた。アリエルも構えを取りながら、右足をすっと滑らせて位置取りを始める。マギアシステムに再度リンクすると華やかな衣装に純白の翼を広げ、光の粒子が集まったかと思うと銀色に輝くガントレットが二つ両腕に収まった。


 ふたりの周囲には、破壊し尽くされた戦場の残骸──そして、訓練区域でも演習区画でもない、本物の戦場が広がっている。そんな場所で暇つぶしでいきなり模擬戦を始めようとしている。そこへ、。魔法少女の衣装を揺らしながら慌てた様子で連絡要員の後方支援部隊の少女が駆け寄ってきた。


「ちょ、ちょっと待ってください! え!? ここで始めるんですか!? 模擬戦って、今ここで!?」


「うんっ! 他にやることないし!」


「ええ!? い、今ですよ!? 魔物の死骸まだ回収してませんし、地面もまだ焦げてて──」


「動けるスペースは十分あるでしょ? むしろ、こっちのほうが臨場感あって燃えるんだけどな~♪」


 アリエルもにこりと笑って、手にした槍をくるりと回した。


「私としても、形式ばった用意された闘技場でのぬるま湯訓練よりは、こういう荒れ地での本気の模擬戦の方が性に合います」


「性に合うって・・・そ、そういう問題ですかあああっ!?」


 あたふたと叫ぶ少女を横目に、ふたりはすでに距離を取り、睨み合いの構えに入っていた。


 ちょうどその時。


 その光景を目にして、赤い軍服を翻しながらやってきた少女がひとり。


 ──国家魔法少女戦闘団長、レイナ・ヴァルグレイス。


 その赤いポニーテールが風に揺れ、腰に下げたサーベルの柄に手を添えたまま、ふたりの“暇人”を見て深く息を吐いた。


「・・・なにやってんだお前ら」


「やっほーレイナちゃん! 模擬戦するよー! 見てく?」


「・・・やらなくていい。やらんでいい。というかやるな。ここは戦場だった場所なんだから、せめて魔物の残骸の処理と周囲の魔物の有無を確認してからにして、途中で魔物が乱入してくるかもしれないだろう」


 アリエルが静かに告げる。


「だからこそ、ですよ」


「そそ。あえてそのままにして魔物が乱入するかもしれない状況をそのままにしてこそ燃えるんです♪」


 ふたりの口から重なって出てきた台詞に、レイナは眉間を押さえて、あきらめたように天を仰いだ。


「・・・もはや止める気力も失せるな」


 もう勝手にやってろと言いたげにレイナは踵を返して連絡にやってきた魔法少女を連れて要塞へと帰っていった。






 ―――――






 場所は変わって、街の中心部。摩天楼のように高くそびえる無機質なビル群が立ち並ぶ中、その一角──特徴のない灰色のガラスビルの前に、一人の少女の姿があった。


 アステリアは黒のフードを深くかぶり、足早にビルへと入っていく。入口の警備員に一瞬目を向けられたが、彼女はまるでその存在すら気づいていないかのように振る舞い、まっすぐにトイレへと向かった。


 個室のドアを閉めると、アステリアはゆっくりと息を吐いた。


「・・・よし、いくよ」


 指先を鳴らすようにして魔力を通すと、彼女の体はゆっくりと光の粒となって分解されるように透明になっていった。まるで水面に落ちた雫が波紋を広げるように、その姿が視界から溶けて消えていく。


 本来ならこのビル内は、マギアシステムによって制御された“結界”の内側にある。魔法の発動は厳しく制限され、システムに認可された者以外は魔法を使うことができない。


 だが、アステリアは“覚醒者”。


 マギアシステムに一切依存せず、自力で魔力を回路化し、術式を構成し、行使する。結界の認証をすり抜け、完全に盲点となった彼女の存在は、誰にも検知されることなくビル内を移動することができた。


(覚醒者が“自力で”潜入してくるなんて……この国の連中、想定してないよね)


 アステリアは密かに口の端を吊り上げながら、建物内部の階層をチェックしていた。


 まずは最上階、そしてオフィスフロア、研究棟──。


「・・・うーん、この辺はやっぱり何もないか。魔物と戦うための魔道具の設計図とか、生産記録とか、表向きの“研究”ばかり。こっちは前線補給用の食糧や資材の搬出記録……不審な点は、なし」


 彼女はポケットから取り出した薄い魔導板に、素早く情報を書き込みながら呟いた。


「・・・ってことは、見えない場所にあるってこと、だよね」


 今度は、階段を目指す。エレベーターを使わないのは、監視のリスクを避けるため。


 地下へ続く螺旋階段を、音を立てずに静かに降りていく。


 見取り図では“地下三階”までしか記されていない。だが、彼女が事前に使った探知魔法は、この下にさらに巨大な“空洞”が存在することを示していた。


(見取り図にないのに、あれだけの空間が存在する・・・これはもう、黒。真っ黒)


 地下三階。そこには研究施設特有のひんやりとした空気が流れていた。照明はすべて魔導光で淡く灯っているが、雰囲気はどこか異様だった。


 そこには、巨大な魔物の死骸が透明な容器に満たされた緑色の溶液に浮かび、規則的に並べられていた。あらゆる種別の魔物──スライム、ケルベロス、ガーゴイル、果ては未確認種らしきものまで。


「・・・魔物の生態研究・・・?」


 一見、そう思えるが──どこかおかしい。


 誰もいない。


 通常、こういった研究室には研究員が複数常駐しているはず。なのに、人の気配が一切ない。


「・・・不自然すぎる」


 アステリアは額ににじむ汗を拭うと、首からかけていたゴーグル型の魔導具を引き下ろし、装着した。


「《視認不可領域探索》、起動」


 魔力の流れを見る特殊レンズが青白く光り、空間を走るエネルギーの残滓を浮かび上がらせる。ゴーグルの薄緑のレンズ越しに測り輝く緑色の魔力の流れを目で追っていくと通路の奥、突き当り。一見ただの壁。だが、その一点にのみ“流れのない死角”があった。


「・・・ここだよね」


 アステリアは慎重に壁へと近づくと、手のひらで“ぺたぺた”と触っていく。細かな凹凸の感触を確かめながら、一点──明らかに材質の違う場所を探り当てた。アステリアはその感触を感じて見つけたと心の中でつぶやき触れた場所へ、静かに魔力を流す。


 すると──“カチリ”と小さな音がして、壁の表面がゆっくりと左右に割れ、内部へと続く通路が姿を現した。


「ビンゴ」


 アステリアは息を整えると、足を踏み出した。魔道ゴーグル越しに見える通路の奥、その先に──国家が決して見せようとしない“真実”があるのだと、彼女は確信していた。


壁の奥に現れた通路は冷たく、無機質な空気が満ちていた。アステリアは慎重に進み、最奥の空間にたどり着く。そこには黒く無骨な箱型の情報集積媒体が整然と並び、その先には一つの閲覧用魔導端末が静かに光を帯びていた。


 アステリアはゴーグルを外し、恐る恐る装置に触れる。魔術構造体が起動し、浮かび上がる術式データが頭上に展開される。そこの表示されている文字に目を通したアステリアは困惑した。


 ──【マギアシステム中枢記録:極秘/計画名称 “魔女進化計画”】

 ──【設計目的:真なる魔女の創出】


 「・・・ま、魔女・・・進化・・・計画・・・?」


 読み進めるたびに、呼吸が苦しくなる。


 ──【計画要旨】


 ──【マギアシステムを用いて魔法少女たちの魔力行使データを収集。魔術演算・行動パターン・精神波動の蓄積を進めると同時に、討伐された魔物の情報子(エントロピー断片)を収集・統合。】


 ──【一定の条件を満たした際、マギアシステムと完全連結した魔法少女より“人工魔女”が誕生。これを基礎母体として更なる拡張・連結を行い、“真なる魔女”への進化プロセスを確立する。】


 ──【真なる魔女への進化要件 魔女50名の魂及び魔力の融合。現在進化率56% なお継続中】


 アステリアの指先が震える。


「・・・人工魔女・・・? 真なる魔女って・・・なにそれ・・・」


 彼女は“魔女”という存在自体を知らない。ただの古いおとぎ話に出てくる悪役のような存在でしかなかったはずだ。それが、国家の中枢計画で──システムの根幹で──進化しようとしている?一体何の冗談だ?だが目の前に浮かぶ文字列が無慈悲に現実を突きつけていた。なんだこれは―。


「魔法少女たちは・・・ただの駒・・・? この国全体が、魔女の進化のための実験場にされてる・・・と言うこと?」


 ぞわり、と背筋を冷たいものが這う。魔女なんて御伽話の上の存在としか思えないけど、仮にそんな存在がいてそれがこの国を裏から操ってるならこんな情報知ってしまったものを野放しにしておくわけがない。これは知られてはいけない情報だ。きっと本気で排除してくるかもしれない。けれど―

 

「・・・持ち帰らなきゃ・・・絶対に、知らせなきゃ・・・!」


 アステリアは記録用魔導水晶を差し込み、映像と記録構文の転送を開始する。その動作は焦りを孕んでいた。


 だが、突如。


「──!?」


 感じた。

 異質な“気配”。


 振り返る。


 そこに、ひとりの“魔法少女”がいた。


 いや──その姿は“魔法少女の皮を被った何か”だった。


 全身が白い。

 肌も、唇も、血色という概念がない。

 真っ白な髪に、感情のないガラス玉のような瞳。

 まるで魂が抜け落ちたように無表情なその顔は、人形以上に無機質だった。


 制服のような衣装も、戦闘の痕跡も汗も泥もなく、完璧なまでに整っている。だが、それは逆に“生きていない”ことの証明のようだった。


(なに、これ・・・人間、なの・・・?)


 彼女は、喋らなかった。瞬きすらせず、ただアステリアを見つめている。


 ──ズゥン・・・と空間全体を圧し潰すような、膨大な魔力の波動が満ちる。


 息が詰まるほどの威圧。


 アステリアは反射的に記録水晶を回収し、背後に魔法陣を展開。だがその手は震えていた。


(この子・・・この魔力、マギアシステムにリンクしている魔法少女のそれと違う。明らかに異常・・・まるで覚醒者―いや)


 “人工魔女”


 そんな言葉が、頭をよぎった瞬間。


「・・・ッ、逃げなきゃ!」


 アステリアは魔力を奔らせ、空間転移の詠唱に入る。戦っては、いけない。この情報を持ち帰るまで、絶対に──倒れるわけにはいかない。全身から冷や汗が流れ、心臓の鼓動が速くなるのを感じながらアステリアは高速で空間転移を行い緊急脱出を行った。

 外へ出たアステリアは更に空間転移で街の貧民街まで飛んでいくと緊張で呼吸が浅くなるのを冷静さで無理矢理抑え込んで、ゆっくり大きく深呼吸をした。大丈夫。ここまで逃げれば流石に追跡できない。飛んだ直後に魔力を隠蔽して走って逃げてきたんだ。少なくとも距離は離れているはず。そんな考えがアステリアにあったが・・・


 ――ギィィィ・・・


 鈍く軋む鉄の扉が、アステリアの目の前で開いた。夕闇の影が差し込むその隙間から、“それ”は静かに姿を現す。


 白。


 肌も、髪も、唇さえも、血の気のない絵画のような白。

 無表情。魂の宿らぬ目。ガラス玉のような瞳。

 人間ではなかった。いや、魔法少女であるとも思えない異質な存在が空間転移して逃げたはずのアステリアに追いついていた。


 アステリアの背に冷たい汗が伝う。


「・・・来ないで・・・!」


 震える声が漏れる。

 空間転移魔法の構築を開始。詠唱を省略し、思考発動に切り替える。

 しかし――その瞬間。


「っ!?」


 “白い魔法少女”が、一瞬で距離を詰めてきた。


 アステリアが詠唱を口にする前に、白い拳が突き刺さる。

 咄嗟にガントレットで受け止めたが──


「ぐっ・・・!!?」


 全身が悲鳴を上げた。あまりにも重い。魔力強化した身体ごと後方に吹き飛ばされ、レンガの壁に激突。

 壁が崩れ、埃が舞う。痛みで一瞬、意識が飛びそうになる。


(なにこれ・・・っ。重すぎる・・・!)


 何とか足で踏ん張り、衝撃を殺しながら地面に滑り込むように着地。

 顔を上げると──そこにはもう、誰もいなかった。


「・・・っ!?」


 ──真横。

 気づいた時には、回し蹴りがアステリアの側頭部を襲っていた。


「っのぉぉぉッ!!」


 ガントレットを掲げ、再び受け止める。しかし耐えきれず、アステリアの身体が砂で汚れながら地面を転がり近くの建物の壁に打ちつけられて止まった。その直後。


 火炎魔法。


 白い魔法少女が無詠唱で、広範囲爆撃魔法を放ってきた。炎が渦を巻いてアステリアを呑み込もうとする。


「シールド・フォースッ!!」


 瞬時に展開した多重防御魔法が火炎を押し留める。

 高温で空気が焼け、地面がひび割れる中、アステリアは反撃に転じた。


「──フリーズ・スパイク!」


 防御が解けるタイミングを狙い、鋭利な氷の槍が閃く。

 正確な軌道で相手の胸を狙う。


 だが。


 白い魔法少女は、またも無詠唱で結界を展開。


 氷槍は見えない壁に当たって砕け散った。彼女は何事もなかったかのように、再び拳を構える。白い魔法少女が放つ魔力の圧が更に上がり凄まじい圧迫感がアステリアを襲った。



 (おかしい・・・魔法の展開速度、構築力、反応・・・全部が私と同等か、それ以上・・・)


 かつて魔法学園で筆頭主席だった。タギツに「至上最弱の主席」などと揶揄されても、その実力は折り紙付きだ。アステリアに正面から勝てる魔法少女など、そうそういない──はずだった。


 しかし、この“白い魔法少女”は、まるで同じスペックを持つ鏡像のように、あらゆる動きを先読みし、完璧に対応してくる。


 (・・・どうすれば・・・このままじゃ、削られる。どうやって、この状況を──)


 「手を貸そうか?」


 突如、背後からよく聞いた少女の声。振り返る暇もなく、その直後──銃声が響いた。


 弾丸はアステリアの真横を通過してそのまま白い魔法少女へと吸い込まれていくと、当たった肩口からみるみるうちに石化していった。 まるで精巧な石像のように変わった白い魔法少女は、もう一切の動きを見せなかった。

 人形のようだった表情は、最後には本物の彫刻のように固まり、そこに命の気配は残っていなかった。


 アステリアが肩で息をしながら、背後を振り返るとそこにいたのは――木製の車椅子に座った、銀髪の少女だった。手には銀色のマスケット銃が逃げられて、その銃口から白い煙が上がっていた。タギツは銃口から上がる煙を息を吹きかけて消すと懐にしまい、アステリアに向けて話した。


「やっぱり襲われていたね。君の事だからきっとへましてくれると信じていたよ」


「いや、ひどくない!? そこは成功すること信じてよ!!」


 思わず声を上げてしまったアステリアは溜め息まじりに石化した白い魔法少女を見た。アステリアは思わず声を漏らし、唇を噛む。この魔法少女も魔法少女に憧れ、魔法学園で魔法を学び、仲間と前線で戦っていたのだろう。

 この少女も、同じだったはずだ。希望になりたかった。ただ誰かを守りたかった。なのに――今は、壊された彫刻のように心も魂もそして命も失われていた。


「ほんとやるせないよね。同じ魔法少女としてこんな結末になるなんて・・・」


「だからこそ、マギアシステムを壊すんでしょう? これ以上犠牲を増やさないために」


「・・・うん。絶対に壊してみせる。あんなもののために誰かが不幸になるなんて、もう見たくない」


 そう言ったアステリアは、そっと石像となった白い魔法少女の前に歩み寄った。表情を引き結び、静かに膝をついて胸の前で両手を組むと瞳を閉じ、深く息を吸い込んで──吐き出す。無言のまま、祈るようにただ瞑目した。

 石に還った少女が、生きていたころにどんな夢を見ていたのか、どんな想いを抱いて戦っていたのか。もう知ることはできない。それでも、せめて、ひとときの祈りだけでも。

 アステリアはその沈黙の中に、確かに誓いを込めていた。


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