表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/5

第四章 繋がりの先で咲く花


「空梨っ、空梨!」

【サムライ】を解除した光志は、倒れた【ホワイトイーヴィル】に駆け寄った。

【ホワイトイーヴィル】を貫いた大剣はベリアルの消滅と共に消失。その刃は聖櫃(アーク)を直撃こそしていないものの、何らかの呪詛(アナセマ)を騎体やパイロットに及ぼしていないとも限らない。

 空梨に何かあったときのことを想像し恐怖する光志だが、見つめる先でハッチが開かれた。

「空梨! 大丈夫か⁉」

「私は平気。……遅くなってごめん」

 光志はすぐさま空梨が降りるのに手を貸す。彼女の目元には、また流血の跡が見られた。

「――あんた達、大活躍だったじゃない。……その、ありがとね。光志のおかげで目が覚めた気分よ」

 後からやってきた鈴華が、光志にそう言って頬を赤らめた。

「大活躍はあなたもでしょう? 権大尉」

 涼吾に言われ、恥ずかしさからか、ぷいと顔を逸らす鈴華。

「……あの、権大尉と空梨にお話ししたいことが――」

光志は戦火が去った今、夕方の運動場で空梨が見せた行動の件について話し合う良い機会だ

と考え、徐に切り出した。

 だが、光志の話を聞いた鈴華が隣の空梨と顔を見合わせ、

「その件は、さっき司令部で話をつけたから大丈夫よ」

 と、通路でのやりとりを話し、空梨はサリエルが自分に乗り移っていたことを打ち明けた。

「――そんなことが⁉ ……今はもう平気なのか?」

 光志が空梨を案ずると、彼女は頷いた。天使は上位界の存在。起こり得ないことではないが、乗り移ってきたのは最も身近な出力霊体なのだ。そのショックは決して小さくない。

「空梨も悪気があってああいうことをしたわけじゃないのよ。わかってあげてくれる?」

「もちろんです。……大変だったな、空梨」

 鈴華の(げん)に光志は首を縦に振った。

「まぁ、落着して良かったですよ。ただでさえ超絶おっかない権大尉と、とんでもパワーの空梨が喧嘩なんかやったら、俺たちの安寧の地はなくなっちまいますからね」

「ちょっと日笠少尉? それどういう意味?」

 鈴華にジト目を向けられ、慌てふためく涼吾。

「全員、よくやってくれた。俺はこれから救出隊を編成し、東館や駅周辺の負傷者を病院へ搬送するが、お前たちには朝まで休むことを命じる。倒壊した建物には近づくな」

 一同の傍へやって来た筒香がそう言い、事態が事態なだけに長居せず背を向けた。身体の複数個所に火傷や裂傷を負った彼は、しかし苦痛の素振りなど微塵も見せない。

「大佐! あれを!」

 だが、夜空に現れた〝それ〟に気付いた空梨が、彼を呼び止めた。

 光志たちは空梨が指し示す空を見上げ、言葉を失う。

 そこに、黒い巨体(、、、、)の姿があった。

 権能の一種だろうか、黒ずんだ紫色をしたオーラのようなもので全体を覆い、分厚い黒雲の夜空にくっきりと浮かび上がって見える姿からは、闇をも寄せ付けぬ不気味さが漂っている。

「まさか、あれは……⁉」

 筒香が上空に目を奪われたまま呟く。

 細い肢体。ひし型をした鋭利な頭部で紫の一つ目が淡い光を放ち、頭上では黒い防御円(シールド)が紫に薄く照らされ、全体のシルエットは直線的で鋭く、まるで恐怖と狂気を体現しているかのようである。

 その騎体(、、)は、全人類の記憶に絶望として刻まれた存在――【第四騎士(ダークナイト)】そのものであった。

 再び、基地周辺に警報が鳴り響く。司令室の不入斗たちも、【第四騎士(ダークナイト)】の出現を察知したのだろう。【開戦の日】以来姿を見せていなかった騎体(、、)の出現に、有明中が騒めき立つ。

「あいつが、幻霊装騎(ファントムファクト)の基になったっていう、最初の敵(、、、、)か⁉ 直に見るのは初めてだ……」

 と、涼吾は呟きながら後退る。

「【第四騎士(ダークナイト)】……ッ!」

 光志の隣で、空梨が拳を強く握りしめる。彼女にとって【第四騎士(ダークナイト)】は、たった一人の母親

を奪い、すべてを狂わせた元凶なのだ。

『人間よ、聞きなさい』

 何の前触れもなく、【第四騎士(ダークナイト)】から何者かの声が発せられ、大地に木霊した。その声は少女のようでありながら、どこか冷徹で、感情を欠いているように感じられた。

『わたしの名はリリス。混沌(カオス)を代表し、言伝(ことづて)を携えて参りました』

 どこまでも遠く冷たい声が、恐怖すら凍り付かせるかのように人々の耳を支配する。

『あなた方は、今までよく戦いました。その勇気に敬意を表し、わたしはあなた方に、進化と

自害の機会を与えましょう。明朝を期限とし、それまでに進化ができなければ、自害を選びな

さい。混沌(カオス)の住人たちに屠られるのではなく、親しい者と共に自ら果てるのです』

第四騎士(ダークナイト)】がそう言うと、それに呼応するかのように大地が大きく揺れ、まるで何かに怯えているかの如き轟音が夜空へ響き渡り始めた。そして、有明基地の東側に広がる海から、それ(、、)が現れた。

 海水を押しのけ、白煙を噴き上げながら上昇してきたのは、灼熱のマグマを湛えて緋色の光を漏らす、標高二百メートルに達する【黒の山】であった。倒壊した東館に隣接し、海へ面したエプロンに、海面から隆起した切り立つような山麓(さんろく)がぶつかり、陸地として繋がった。

如何なる豪傑(ごうけつ)の心胆も寒からしめる混沌(カオス)の大地が、人間界に出現したのである。

 不吉の蹂躙(じゅうりん)とでも言うべき黒き山に、有明の人々は慄き、言葉を失った。

『日の出と共に、わたし達は【黒の山】から全軍を率いて出陣し、この地を征服するでしょう』

 常軌を逸脱した現象のあとで、【第四騎士(ダークナイト)】はそう宣言した。

『あなた方はいと高き者(、、、、、)に創られた存在。いずれ終わる定め。造り物が織りなす明日など(ファントム)に過ぎません。進化するか、或いは死することで、その幻から自らを解放しなさい。よく考え、進化に努め、叶えられなければ、友と枕を並べて果てることを、幸運と思って受け入れなさい』

 声が止むと、【第四騎士(ダークナイト)】の背後に、黒紫の禍々しいオーラの渦巻く穴(、)が出現。【第四騎士(ダークナイト)】はそこに吸い寄せられるように入り込み、穴諸とも跡形もなく消え去った。

(あと)には、【黒の山】の火口から放たれる光によって赤黒く照らされた、絶望の権化の如き不気

味な黒雲の空が残った。

「――みんな! お疲れのところ済まないけど、また緊急事態だ! 今の声を聞いたかい?」

 白衣をパタつかせて、不入斗が司令塔からエントランスプラザに降りてきた。

「何が起きているのですか⁉ あれは本当に、あの騎体(、、、、)なのですか⁉」

 切迫した様子の筒香が問う。【第四騎士(ダークナイト)】は彼にとっても、家族を死に導いた元凶であり、人類にとっても、世界秩序を崩壊させた宿敵なのだ。

「うん、アダムも解析したから間違いない。今現れた騎体は、私たちが幻霊装騎(ファントムファクト)を開発する際

に参考にしたものだ。いわば、幻霊装騎(ファントムファクト)の始祖。世界を【黒い(ハーデス)】で滅茶苦茶にした宿敵だ。けど、問題はそれだけじゃなくて、朝に敵があの山から攻めて来るってことだ!」

「【黒の山】は混沌(カオス)にあるとされる悪魔どもの巣窟……大軍が押し寄せるぞ」

 望みを切り裂くように聳えた【黒の山】を見て、筒香が呟いた。

「今の戦いで、龍彦くんの騎体と空梨の騎体が大破してしまった。幻霊装騎(ファントムファクト)のメンテナンス用の格納庫(ハンガー)や、各兵器の弾薬庫があった東館もあの有様。とても明日の朝までには修復できない。つまり今の我々には、【第四騎士(ダークナイト)】たちを倒し得る戦力が無い状態なんだ! だからどうにかして対応策を練らなきゃならない! アダムは基地の放棄を提唱しているけど、私は断固反対だ」

 と、蒼褪めた表情で事態を説明した不入斗を見て、

「無論です。我々は五万の避難民たちの生活を預かっていますからね。アダム、現状の戦力は

どのくらい残っている?」

 筒香は同意を示し、インカムからそう問いかけた。

『兵員が三千百七十八名、【サムライ】が三千百八ユニット。無人戦闘機が六機』

「明朝までの猶予は?」

『現在時刻、二十時五十二分から算出します。日の出まで、八時間と三十分』

「明朝までに戦力を増強しようにも、中部の戦車大隊は間に合わない。横須賀の第七艦隊の戦力はどのくらいだ?」

『第七艦隊全艦艇の情報網(ネットワーク)にアクセス。耐悪魔用武装検索。F一八戦闘機十三機。ただし武装はバルカン砲とミサイル数機のみ。巡航ミサイルは全艦合わせて五十ニ機あります』

「となると、支援攻撃は多少望めるな。横須賀の怒放(ヌーファン)隊は、朝までにここへ来られそうか?」

 筒香が鈴華に目を向けると、彼女は力強く頷く。

「あたしたちの部隊は即応可能です!」

「航空隊は、どこかから呼べないのかい?」

 という不入斗の問いに、筒香は首を振る。

「開戦から九年の間に、国内の航空戦力はほぼ失われています。辛うじて残っているのは、ここと三沢(みさわ)に配備されている無人戦闘機くらいです」

「ということは、地上部隊を中心に、僅かな戦闘機とミサイルだけですか……」

 涼吾が呟く。

「博士。京都に隠された騎体は、まだ動かせるんですか? アメリカにいたとき、話してくれたことがありましたよね? わたしの母がパイロットを務めた騎体があるって……?」

「搭乗型の試作騎(プロトタイプ)のことを言っているのか? なら動かすのは無理だ。あれはそもそも二人乗りで、優秀な適性者だった君のお母さんが一人で起動を試みたが成功せず、戦争の激化に伴って開発自体が凍結されてしまったものなんだ」

 空梨の問いには、試作騎(プロトタイプ)の実験にも軍人として関わっていた筒香が答えた。

 試作騎(プロトタイプ)という言葉を聞いた光志はふと、自分がかつての天使としての記憶を一部取り戻していることに気付いた。分かる(、、、)のだ。試作騎(プロトタイプ)を起動させる方法が。

「……大佐。試作騎(プロトタイプ)ですが、僕に再起動を試させて頂けませんか? 理論上は一人でも動かせるはずでしたよね? ベリアルに過去の記憶の一部を見せられたからなのか、部分的にではありますが、僕が天使として出力霊体を務めていた頃の記憶が戻ったんです」

「それは本当かい⁉」

 縋りつくような目で言う不入斗に、光志は頷く。

「天使としての力は失われたままですが、一部の記憶だけなら……」

「筒香くん。私からもお願いだ。試させてほしい!」

 不入斗の言に、筒香は光志を見遣る。

「天使だった頃の記憶か。……確証はあるのか? これは我々の存亡に関わる話だぞ?」

「起動するところまでならできます。その先は、パイロットの思念適性と出力霊体との相性次第ですが、戦力が少しでも増える可能性があるなら、やってみるべきではありませんか?」

「わたしも一緒に乗ります! そうすればパイロットは二人になるし、出力霊体にも適合できると思うんです!」

 名乗りを上げた空梨に、光志は頷く。

「是非頼む。再起動には、まさに空梨の助けが要るんだ」

「具体的に、どう起動させるんだい? 空梨のお母さんでも無理だったわけだけど……?」

 不入斗にそう聞かれ、光志は言葉に詰まる。試作騎(プロトタイプ)の起動には、ある行為(、、)が必要なのだ。

「……それについては、その、ちょっとここでは言い辛いです。……でも、必ず成功させます!」

「耳打ちでいいから教えてくれ! 不確定要素はできるだけ減らしたい」

 不入斗の頼みに光志は躊躇いつつも応じ、小さく耳打ちする。

「……マジで?」

 驚愕と疑心と希望とが入り混じったような、凝らすような表情の不入斗に、光志は首肯した。

「――わ、わかった。信じるとも。私の推論にも近いものがあるからね。君の言う通りなら、それで空梨も覚醒できるかもしれないし……」

「その推論と言うのは?」

 賛成の意を示した不入斗に、筒香が聞いた。

「私は、空梨が覚醒するきっかけをずっと探していたんだけど、大分絞れたんだ。九十九里の

ときも、戦闘訓練のときも、御先くんがピンチ――もとい、他の誰かに蹂躙(、、)されかけていて、空梨はその状況下で覚醒していた。なぜなら、大切な人間を失いたくないという強い想いがあったからだ。つまり、空梨が御先くんのことを強く求めることが必要なんだよ」

「稲葉大尉にサリエルが乗り移ったという話を貴方から聞きましたが、それが覚醒に影響しているのでは?」

 という筒香の問いに、不入斗は首を横に振る。

「その線も考えたけど、どうやら関係はない。あれは単にガブリエル(、、、、、)を取られまいと、空梨を

操っていただけだからね。空梨の状態はずっとモニタリングしていたから、間違いない」

「わたしが、光くんを強く求める……!」

 光志の隣で空梨が顔を赤らめている。光志は博士の推論と、試作騎(プロトタイプ)の起動に必要な行為(、、)とに近しいものを感じ、希望を持つと同時に、どうにも抗えぬ恥ずかしさが込み上げてきた。

 光志の過去の記憶――かつてのパートナーである稲葉知登世が起動に失敗したとき、光志(ガブリエル)試作騎(プロトタイプ)の出力霊体=不動明王(ふどうみょうおう)が知登世にこう言うのを見たのだ。

『起動には、二人の乗り手の愛(、)が必要である。互いに交わり、それを示せ』と。

 そして交わるとは、キスをすること(、、、、、、、)であると。

「し、失礼ですけど、敵の総攻撃が迫っているんです。この後に及んで、その、強く求める(、、、、、)とか、そんな恋愛じみた行為で起動できるなんて、本気で言っているんですか⁉」

 と、鈴華までもが顔を赤らめ、不入斗を咎める。

物心ついた頃から戦争が始まり、かつては当たり前だった学校生活すらほとんど経験できず、恐怖と理不尽な苦痛に塗れる戦いの環境で育ってきた若者にとって、男女の恋愛という概念は、瓦礫から拾ったボロボロの本や漫画で知った程度のもの。現実とはやや離れた場所にあるのだ。故に、理解はしていても、実際の恋愛行為の体験はほぼ無く、耐性が備わっていない者が多い。

「君の意見は尤もだよ、鈴華。正直に言うと、私達は開戦以来、科学の知識を最大限に使って、必死に悪魔への対抗策を講じてきた。けど、それももう限界なんだ。事態はとっくに科学だけ

ではどうにもできない段階まで来ている。目には見えないもの――神秘に頼るしか、もはや可

能性を見出せないんだよ。分かってくれ」

 不入斗の話を聞いた光志は、胸の鼓動がバクバクと激しさを増していた。

自分はキスという起動条件を思い出して、あるいは空梨の覚醒した理由を聞いて、緊張しているのか? それとも恐れているのか? 仮に恐れているなら、何に対する恐れなのか? 

思考が脳内を駆け巡り、しかし判然としないまま、光志は空梨を見る。

空梨は先程の威勢が吹き飛び、頬を果実のように真っ赤にして無言のまま俯いた。

「これは、……もはや、お前たちの意思に委ねざるを得ない……」

 と、ばつが悪そうに唸る筒香。

「あんたと光志の関係って、本当のところは、ど、どうなの⁉」

「え、ええ⁉ ど、どうって……」

 鈴華が空梨の(そば)で何やら耳打ちし、空梨があたふたしている様子だが、何の会話か、光志は聞き取れない。

「動かせるかどうか試すにしても、今から京都の騎体の在処(ありか)まで行くわけですよね? どうや

って行きますか?」

「ウエストプロムナードのエプロンに、輸送機が数機残っている。それを使えば、九十分もあ

れば到着できるだろう。着陸地点が問題だが……」

 涼吾の質問には筒香が思案顔で答えた。

京都は【開戦の日】でほぼ全域が壊滅し、何の復旧措置も取られないまま今に至っているた

め、着陸に適した場所があるかわからないのだ。有明基地に配備されている輸送機は全てティルトロータータイプだが、垂直着陸にはある程度の広さを有した平らな土地を要するのである。

『衛星画像を解析。東寺の境内は瓦礫が多く、着陸にはリスクを伴います。ですが、東寺から南西三・五キロの地点に、久世橋西詰公園(くぜばしにしづめこうえん)があります。川に面しており、周囲に大きな障害物

もなく、輸送機の着陸に十分な広さを有しています』

 早速調べてくれたらしく、アダムの声がした。

「これで決まりかな? 空梨、御先くん、試せるかい?」

 不入斗からその質問が来ることはわかっていたが、光志はすぐに頷けない。

「な、何をやればいいのかわかりませんけど、わたしに出来ることは全部やります!」

そんな光志をちらりと見た空梨が絞り出すように言い、

「が、頑張ります!」

判然としない違和感を抱えたまま、光志は弾かれたように返事をした。

「では、私はここに残り、負傷者の救出と悪魔迎撃の備えを固める。博士、稲葉大尉、御先伍長の面々は東寺に向かい、試作騎(プロトタイプ)の起動を行うものとする。本作戦は敵に知られてはならない。最後の搭乗型を潰されれば終わりだからな。よって人員は小隊規模とし、隠密に行う。移動に

は輸送機を使用するが、常に危険を覚悟する必要がある。そこで日笠少尉、彼らの護衛を務め

られるか?」

「謹んで務めます!」

 筒香が取り纏め、涼吾が敬礼して答えた。

「あの、大佐。あたしも行かせてください! 護衛が一人では危険過ぎます。怒放(ヌーファン)隊の指揮は

副長に一任してありますので、彼女に連絡を」

 耳まで赤い顔のまま、鈴華が筒香に進言した。

「――いいだろう。助力に感謝するぞ、大尉。では権大尉を含めた五名は、司令塔で然るべき

手当てと補給を受けたのち、二二:〇〇(フタフタマルマル)時に西エプロンに集合せよ!」

   †

 十月五日、二十二時〇〇分。

 筒香の指示を受け、パイロットたちが離陸準備を整えた輸送機に、光志たちは搭乗した。

 男二人と女三人に分かれ、両サイドの座席に向かい合う形で着座。たった五人で乗るには広すぎる機内に物寂しさを感じる間もなくエンジンが始動。

明暗の分からない不安な空気に包まれる五人を乗せ、輸送機は曇天の夜空へと飛び立つ。

「なぁ、光志。【第四騎士(ダークナイト)】ってやつは俺たちに進化しろと言ってたけど、あれはどういう意味

なんだと思う?」

 光志の隣で実現(リアライズ)モジュールのバッテリー残量を確認しつつ、涼吾が言った。

「……わからない。そもそも、あれに乗ってるのは何者なんだろう? 悪魔と通じてるのかな?」

 光志が言うと、不入斗が口を開く。

「あの黒い騎体は、幻霊装騎(ファントムファクト)の始祖だと言ったね? あれを操縦しているのは、人工知能(AI)が更に進化した超人工知能(ポストヒューマン)。以前からそうじゃないかと疑ってはいたんだけど、さっき、あの騎体

から発せられた声で確信した。私のいた研究チームとアダムで創造してしまった、リリスとい

う名の災厄。この人間界に悪魔を呼び寄せたと考えられている、人間を超えた存在だ……」

 視線を落として、不入斗は続ける。

「研究チームのメンバーのほとんどは、この戦争で人か悪魔に殺されるか、自殺した。責任に駆られてしまってね。私を含め、生き残った数人が各地で細々と研究を続けている状態なんだ。そうすることで少しでも贖罪ができることを祈りながらね。私はあのリリスを止めてやりたい。……いや、止めなくちゃいけない。産みの親として、せめてもの罪滅ぼしに。私に思念適性さえあれば、自分で幻霊装騎(ファントムファクト)に乗って、この手で止めたいくらいさ……」

 そう胸の内を語る不入斗の声音に、いつもの陽気さは無い。

「……そのリリスを止めるための、なにか秘策はあるんですか?」

 鈴華が聞くと、不入斗は晴れない表情のまま答える。

「リリス本体を内側から破壊するナノマシンは用意してある。それを彼女の身体に直接打ち込むんだ。成功する保証は無いけど、やってみるしかない。そのために、まずは外殻の【第四騎士(ダークナイト)

を破壊する必要がある。リリスが創った騎体だ。きっと手強い……」

   †

 二十三時四十分。輸送機は京都市南区の久世橋西詰公園に着陸した。

 ハッチが開き、各々の幻霊装騎(ファントムファクト)を起動した鈴華、涼吾が降り立ち、兜に備わる探照灯(サーチライト)を点灯

してクリアリングを開始。

 公園の縦長の敷地は、桂川(かつらがわ)に沿う形で数百メートルに渡り広がっている。辺りは鬱蒼とした

草に覆われ、まるで嵐の前の静けさとでもいうかのように、幅の広い川が静かに流れる。

「クリア!」

「飛行中に上位悪魔に遭遇しなかったのは幸運と言えるわね……」

 周囲の安全を確認した涼吾に、鈴華が言った。

「――ひどい。廃墟の街だ……」

 と、フック付きのロープを担いで外に出た光志は、川の向こうに広がる荒廃した廃墟群に目を奪われた。

光志の隣に立つ空梨は、破壊という概念を実現(リアライズ)したような光景に言葉を失っている。

「ここまでは順調だね。北東へ向かおう」

 そう言いながら、不入斗が出てきた。筒香に『せめて軍服を』と強く勧められたが、胸周り

が窮屈だという理由でグレーのシャツに白衣を羽織ったままの彼女は、しかし安全意識はある

のか、頭に照明(ライト)付き鉄帽(ヘルメット)を被り、ローファーの代わりにブーツを履いている。

 一行は東寺を目指して国道を進むが、大破し炎上した車、倒壊した家屋や柱といった瓦礫の山々が予想以上に蔓延り、徒歩での移動を妨げた。そういった障害をものともしないのは【怒放(ヌーファン)】を装備した鈴華くらいだった。跳躍力で劣る【サムライ】の涼吾は、本来パワードスーツに分

類される幻霊装騎(ファントムファクト)が元々備えるパワーアシストを、そして生身の光志たちはロープを頼りにせ

ざるを得なかったのだ。

 その影響で、本来であれば五十分も歩けば移動できる距離に四時間を要してしまい、一行が

東寺に辿り着いたのは、日付が変わった十月六日の午前四時を回った頃だった。

「【思念回線(アストラルライン)】の長距離通信が使えないのは致命的な痛手だ! おかげで本部に予定が遅れると伝えられないままこんな時間になってしまった! 呪詛(アナセマ)ってやつはどうしてこういつまでも付き纏うんだ⁉」南門から東寺の境内に入って、日頃の運動不足から肩で息をする不入斗。彼女は苦し気に言う。「こうなったら、帰りはここに輸送機を呼ぶしかないな。瓦礫が邪魔するかもだけど……」

 ベリアルのような強力な悪魔によって攻め滅ぼされた土地には、悪魔から放たれた負の思念粒子が滞留する。それらは後にそこを訪れる者たちに、離れた場所との通信を妨害する、精神状態を乱す、傷の治りを遅くするといった様々な悪影響を及ぼすことから、人々はその現象を呪詛(アナセマ)と呼ぶのだ。

世界中で廃墟の街や無人地帯が増えているのも、この呪詛(アナセマ) を避けてのことである。今や世界

の七割が呪詛で覆われ、世界総人口は十億人を切ったと言われている。

延暦十五年、王城鎮護のために創建された東寺は、以前は大仏様(だいぶつよう)の荘厳な建物が並んでいたが、今は見る影もなく瓦礫の海と化し、唯一残っている講堂(こうどう)も東側三分の二が崩れ落ちていた。

試作騎(プロトタイプ)はどこに隠してあるんです?」

 殿(しんがり)を務めていた涼吾が、不入斗に尋ねる。

「目の前に見える講堂の地下に格納庫を設けてあるんだけど、そこに降りるための入り口は、ここの西側にある灌頂院(かんじょういん)という建物の中なんだ……」

 不入斗の言う灌頂院は、建屋の全てが崩壊し、瓦礫の山と為り果てていた。

「仕組みとしては、講堂の中にあるスイッチを押すことで、灌頂院内部の床の隠し(ゲート)が開く。

今は瓦礫で埋まっているから、扉がちゃんと開く保証も、それを見つけられる保証もないけど、

やってみるしか手は無い」

 不入斗はそう言って、鈴華の手を借りながら瓦礫を跨ぎ、崩れた講堂内へと入っていく。

「――空梨」

 ロープを使って瓦礫の上に立った光志は、空梨に手を差し伸べた。ここで初めて彼女と出会い、手を差し伸べた光景が重なる。

「……ありがとう」

 空梨はその手を取ってからちらりと光志の目を見、すぐに俯いた。

 鈴華たちの探照灯(サーチライト)が照らす講堂内部。降り積もった粉塵が、五人の気配でふわりと舞う。その先では、背丈二・四メートルほどはある不動明王座像(ふどうみょうおうざぞう)を中心に、周囲を人間と等身大の降三世(ごうざんぜ)軍荼利(ぐんだり)大威徳(だいいとく)金剛夜叉(こんごうやしゃ)の四明王像が取り囲んでいた。いずれも忿怒形(ふんぬぎょう)の尊像だ。

「一般人が灌頂院に入ることができるのは、一月十四日の十二時半からの一時間と、四月二十

一日の十時から十五時の間だけ。つまり灌頂院は、一年間に二度の行事でたった六時間しか開門しない、超極秘の建物だった。当時の日本政府がそれを利用して東寺に機密を介入たせ、私たちに搭乗型の試作騎(プロトタイプ)を隠させたというわけさ。それから間もなくして、【開戦の日】が訪れた。今振り返ると、そういった罰当たりな行為が、明王が人間に力を貸してくれない原因になったんじゃないかと思えてくるよ」

 と、不入斗。

「明王(、、)って、日本の神様なんでしたっけ?」

 不動明王座像を見つめていた涼吾が、誰に言うでもなしに呟いた。

「明王は確か、仏教における神様みたいな立ち位置だったはずだよ。仏教は日本にかなり深く浸透しているけど、発祥はインドだから、厳密に言えば日本特有の神様ではないね」

「日本特有の神様は、神道(しんとう)っていう宗教で信仰されてるの。天照大神(あまてらすおおかみ)とかって、聞いたことない?」

 不入斗の言に、空梨が補足した。

「さすがは神主の娘だな、空梨。天照って名前くらいなら【ビッグデータ】で見たことあるかもしれない。もしかして、明王が日本人を救いに出てきてくれないのは、元々インドの神様だからだったりするんじゃないか? 畑違いには関わらない、みたいな……」

 涼吾の言に、不入斗が唸る。

「確かに、それは否定できない。実は開戦当初、私たちは明王や他の神様とも思念粒子を通じ

て繋がって、更に多くの助力を受けようと考えた。日本で戦うなら、日本に縁の深い神様の方

が強いんじゃないかって、単純に思ったんだ。実際に祈りを捧げたりして、向こうが応えてく

れるのを待ったりした。でもすべて失敗に終わった。試してくれたのは、卓越した思念適性を

持つ空梨のお母さんだったのにも拘わらずだ。試験騎(プロトタイプ)もそうした失敗の一つなんだよ……」

「……祈りを捧げるのが稲葉大尉ならどうでしょうか?」と、光志はふと閃いたことを口にする。「彼女の思念適性はお母さんを凌いで、世界でトップクラスのローマ法王にも匹敵するんですよね?」

 悪魔は地球上の生物から放出される、恐怖や絶望といった負の思念粒子が多く存在する場所に実体となって現れる。それは言い換えれば、希望や仲間を想う正の思念粒子が多く存在する場所には神が現れるということだ。

「――あッ!」

 まるで雷に打たれたかの如く、不入斗が硬直する。

「私としたことが、その手があった! もしかしたらうまく行くかも! アダムはどう思う⁉」

『これまでは、神仏習合や神仏分離といった日本宗教の複雑な一面が裏目に出たために、実験が失敗に終わっていた可能性があります。神道は古来の日本の神話。仏教はインド神話が中国を経て変化したもの。現代ではどちらも日本の宗教文化として深く根付いている反面、はっきりとした区別はついていないため、統一性がありません。よって、祈るときに明確なイメージ

を掴み難く、祈りの質(、、、、)そのものが低い状態になってしまっているものと思われます。ですが、

稲葉空梨のような極めて高い適性者の祈りであれば、違う結果が得られるかもしれません』

 と、アダムも賛同の意を示す。

「空梨。不動明王に向かってお祈りしながら、私の言う通りに呪文を唱えてみてくれるかい? お母さん以上の適性値を持つ君なら、試す価値は十分にある!」

「ええ⁉ でも、ここには変換装置(コンバーター)がありません。つまり思念粒子の量が少なすぎて、神様どころか半神も姿を現せないんじゃ――?」

 不入斗に肩を掴まれ、不動明王座像の前まで連れていかれる空梨。

「君は高い思念適性の持ち主。つまり、常人よりも遥かにたくさんの思念粒子を生成できる。例え変換装置(コンバーター)が無くても、理論上は一時的に神様を召喚することが可能なんだ。幻霊装騎(ファントムファクト)なし

で、思念接続はできない状態だから、空梨は向こう(、、、)と意思疎通ができないけど、向こうは空梨

のことを見ようと思えば見れるし、声は届いているはずだ。サリエルがそうだったようにね。

祈りが正しく行われれば、あとは向こう次第なんだよ」

 そう言って、不入斗は空梨に所作を踏まえた呪文を教える。

「……ナマサマンダ、ボダナン、カロン、ビギラナハン、ソ、ウシュニシャ、ソワカ」

 説明を受けた空梨は、指示通りに両手を胸の前で合掌し、目を閉じて陀羅尼(だらに)と呼ばれる呪文を唱えた。すると、

「――待っておったぞ」

 一同の背後から、無数の色鮮やかな孔雀の羽が舞い込んだ。振り向くと、そこにはいつの間にか、巫女装束の小柄な少女が立っていた。ショートスカートのように短い袴から覗く白い足に足袋と草履を履き、おさげに結わえた新緑(しんりょく)の髪が微風に揺らぎ、一華(いちげ)のように白いうなじをちらつかせる姿は(みやび)そのもので、髪と同色の瞳に見つめられると、思わず鼓動が高鳴る。

 光志以外の面々は、廃墟と化して久しい京の都で、どこからともなく少女がたった一人で現れたという事実を容易には受け入れられない様子だ。

「あなたが、孔雀明王(くじゃくみょうおう)ですね?」

天使の頃の記憶を辿りつつ、光志が言った。

「いかにも。()(もと)を守護する明王が一柱。空梨の祈りと光志の(こころざし)に免じて、上位の世界よりお前たちに助力するべく来た」

 明王と言う名に、不入斗たちは息を呑んだ。空梨の祈りが本当に作用したのだ。

「あのとき(、、、、)、あなたはここで僕と空梨を護ってくれましたよね? 思い出したんです。今まで、ずっと見守ってくれていたんですね。とても感謝しています」

 と、光志は低頭した。

「べりある(、、、、)とやらに記憶を戻されたか。一から説明する手間が省けたな。私がお前に加護の思

念を送り続けていたことも幸いしたのかもしれんが、よくぞここまで歩んだものよ」

 孔雀は光志たちの事情をすらすらと、まるで記憶を読んでいるかのように話す。

「本物の孔雀明王にお目に掛かれるなんて……これが奇跡か! 奇跡の観測だ!」

 震え声で話す不入斗に、孔雀の目が向けられる。

「楽にせよ。(かね)て望んでおったこと。ようやく充分な糧(、)を生み出す者の祈りを受けることができた。故にこうして一時的にではあるが姿を現せている。知登世(、、、)のときは呼びかけに応じることができず、済まないことをしたな。知っておろうが、【掟】によって、(みな)が好きなように助力できるわけではないのだ。力の強い者は影響力も大きい故、特に厳しい」

 孔雀は言って目を閉じ、何かを感じ取ろうとするかの如く、すんすんと空気の匂いを嗅いだ。

「そのうえ、今の日ノ本には彼の悪しき将軍(、、)の強力な権能(けんのう)が満ちておる。神々の力を通さぬつもりだ。空が黒雲にばかり覆われておるのがその証拠。こうして助けに介入することを選んだ身であっても、奴の権能によって妨害され、すべての者が来ることは叶わぬ」

「では、人間界へ来られたのは、貴方(あなた)だけということでしょうか?」 

 不入斗が孔雀に聞いた瞬間、講堂の虚空に、今度は燃え盛る赤き炎の輪が生じた。その輪の中心から大柄な厳めしい狛犬(こまいぬ)に跨った武者が現れ、不動明王座像のすぐ隣に降り立った。

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ‼」

 その武者は現れるや否や、建物が崩壊するのではないかと思うほどの猛烈な雄叫びを上げた。

「ようやく来れたわぁッ! 我が名は愛染(あいぜん)! 【掟】を破り、私利私欲の限り暴れ尽くす暴君どもを調伏するべく見参! 怒れ者ども! 剣を取れ! そして愛を謳い、愛のために戦え! 戦の狼煙を上げるは今ぞ! ――って、んん⁉」

 孔雀と同じ明王が一柱=愛染明王(あいぜんみょうおう)であった。赤毛の頭に荒ぶる獅子の如き兜を被り、年老い

て貫録を湛えた顔には手入れの行き届いた赤い口髭と顎鬚を生やし、有する六本の腕で手綱(たづな)

剣、打杵(うちぎね)、弓、そして日輪(にちりん)(かたど)った円形の大盾(おおだて)を握りしめ、背中には矢筒(やづつ)を背負う。やや小振りのずんぐりとした肉体を、戦国武将を思わせる深紅の鎧で覆う姿からは、闇を寄せ付けぬ気迫が放たれていた。

「――見ての通り、やかましい輩も一緒だ」

 と言って孔雀に指差された愛染は、徐に周りを見回す。

「孔雀よ。もしや、(わし)らだけか? 久方ぶりの都と言うに、この有様は意に満たぬわ」

「ああ。武に長けた軍荼利はおろか、降三世も来ることは叶わなんだ。空梨の正の糧(、、、)だけではさすがに足りぬ」

 孔雀がそう答え、愛染は口を引き結び唸る。

「では仕方あるまい。この世の(ことわり)を受け入れ戦うまでよ! そこな(むすめ)の目を見よ! 不条理の闇を克服した戦士の目をしておる! お前は(つわもの)か?」

 と、愛染に見られた鈴華は頬を朱色に染めつつ、深くお辞儀をする。

「はい! 明王にお目に掛かれて、光栄の極みです! 共に戦います!」

「縮こまらんでよい! 女というものは素晴らしき戦力よ! なぜなら愛を育むことができる

のは女であるからな! して、そこな茶色髪(ちゃいろがみ)の娘! 先程の話は聞こえておったが、魔羅(まーら)どもを相手に、具体的にはどうするのだ?」

 愛染は、今度は不入斗に視線を向けた。

「明朝に東の地へ攻めてくる敵軍を迎え撃つため、お力添えをお願いできませんでしょうか? 明王のお二方(ふたかた)とこちらの主力部隊で敵を抑えている間に、隙を見て指揮官を討つつもりです」

 不入斗が言うと、愛染は重ねて問う。

「彼我の戦力は?」

「こちらは四千騎ほど。相手は更に多いと推察しています」

「本来であれば、儂が直々に呼べば更に味方を増やせたやもしれぬが、既に黒雲が張られておるのを(かんが)みるに、孔雀の言う通り、敵も妨害策を講じておるのだ。だが、言い換えればその程

度の苦難! むしろ精が出るというものよ!」

 愛染が不敵に笑い、狛犬が鮮やかな赤茶色の毛を震わせ、虎の如き声で低く吠えた。

「ありがとうございます、お二方。しかし、【掟】の方はその、……平気なのでしょうか?」

 不入斗の問いに、愛染は再び唸る。

「うぅむ。元々どの勢力も多少の干渉はしておった。だが、これほどの規模で堂々と【掟】を踏み倒すようなことは、かつてのがぶりえる(、、、、、)以来一度も無かった。故に我らは決断を迫られたのだ。このまま手を(こまね)いて【掟】を守り続けるのか、救いを求める子らのために自らも【掟】を破り、馳せ参ずるのかをな。そして後者を選んだ。恐らくただでは済まぬであろう。場合によっては神性を剥奪され兼ねぬでな」

彼らはかつての光志(ガブリエル)と同じように、自分が罰せられるリスクを負いながらも、助太刀に来て

くれたのだ。

「我らの存在は人の世に来る過程で半ば生身と化しておる。無理が過ぎれば、明王と言えど無傷とはいくまい」

 と、孔雀が半霊体のことを懸念するが。

「うむ。だがお前がおるではないか、我が古き友よ。此度もまた、皆に加護を頼む。お前の加護は、人間界に生きるものを幸運の思念で包み込むのだからな!」

 絶大な信頼を寄せる愛染の言に、彼女は肩を竦めて薄く笑んだ。

「――任されよう。我ら教令輪身(きょうりょうりんじん)とて、たまには身体を動かさねば(なま)るというものだ」

孔雀がそう言って指を鳴らすと、彼女の巫女装束が光に包まれ、別のシルエットを形成。光

が止むと、武者草履(むしゃぞうり)脛当(すねあ)て、膝当(ひざあ)て、腰当(こしあ)て、胸当(むねあ)て、籠手(こて)といった、朱色を主とした甲冑(かっちゅう)が華奢な身体を(よろ)っていた。頭には兜が無い代わりに、孔雀の模様をあしらった額当てが銀に

煌めき、背には背丈ほどの槍を斜めに掛け、腰には小振りな刀を帯びている。

「この孔雀、久方ぶりに戦場(いくさば)で舞うとしよう」

 そうして戦仕度を整え、孔雀と愛染は互いの拳を突き合わせた。

「博士、夜明けまで一時間を切りました!」

 HMD(ヘッドマウントディスプレイ)の時刻を見た涼吾が言った。

「まずい! すぐに輸送機を呼んで飛ばないと、日の出までに間に合わない!」

「それは移動手段か?」

 冷や汗を掻く不入斗に、愛染が問う。

「はい。空を移動するための道具です。音と同じくらいの速度が出せます」

「明朝までに戦場へ行かねばならんのであろう? ならば、我らが一瞬の()に運んでやろう」

 と、孔雀が言った。恐らくは、空間跳躍(ジャンプ)の権能の類か。

「瞬間移動的なことも可能なのですね⁉ すごい!」安堵した表情で、不入斗が続ける。「――となれば、あとは騎体を起動するだけだ!」

「お前たちは不動(、、)を起こしに参ったのであろう? 入口の建屋は崩壊しておるが、地下のあれ(、、)

は無事だ。案ぜず扉を開くがよい。不動は愛染と同じように、愛を()って貴しとなす者には、誠心誠意助力するであろう」

 すべてを知るかのように、孔雀が促した。

「愛を以って……?」

「…………」

 互いに顔を合わせられない光志と空梨に、嬉々とした顔の不入斗が言う。

()のキリストも、汝の隣人を愛せよとはよく言ったものだ。頼んだよ、二人とも。スイッチは――あった。これだ!」

 不入斗が(くれない)の支柱に隠されたレバーを引くと、西の方で岩が砕けるかのような轟音がした。

 一行が境内の西側――倒壊した灌頂院を訪れると、瓦礫の中心にぽっかりと穴が開いており、

地下道へと続く階段が覗いていた。

「ついてきてくれ!」

照明(ライト)を灯した不入斗に続いて、階段を二十メートルほど下ったところで、東へと延びる通

路が現れた。そこを道なりに進むと視界が開け、講堂の真下と思しき広大な空間に出た。

 そこに、その騎体(、、、、)の骨格は鎮座していた。

「――ッ⁉」

 光志たちは息を呑み、座禅を組むような姿勢の巨体を見上げる。骨格の中央にはやや大振りの聖櫃(アーク)があり、(そば)にキャスター付きの簡易タラップが据えられていた。

「これが、お母さんが乗った騎体……」

 空梨が呟いた。

「そうだよ、空梨。騎体の名は【アチャラナータ】。お母さんが果たせなかったことを、君が代

わりに成し遂げるんだ。起動の呪文は――」

 不入斗に呪文を耳打ちされた空梨は、騎体の正面に立って深呼吸し、光志を振り返る。その

眼差しに、先程までの怖々とした印象は無い。

「準備はいい?」

 空梨に聞かれ、光志は頷く。キスという初めての行為に戸惑っている状況ではない。覚悟を決めて、騎体を起動することに意識を集中するのだ。

「――あんた達」

 鈴華が二人の肩を掴んで振り向かせた。何か言おうとしているのは伝わってくるが、言葉が見つからないのか、口をきゅっと引き結んだ彼女は僅かな間沈黙。

「……敵の主力はあたし達が抑えるから、【第四騎士(ダークナイト)】を頼むわよ?」

「「はい!」」

 絞り出すように言った鈴華に敬礼し、光志と空梨は共にタラップに乗って聖櫃(アーク)の前へ。

 空梨が聖櫃(アーク)に触れると、観音開きのハッチが動作し、二人掛けのコクピットが露になった。

手と手が触れ合いそうなほどに密接した二つのシートは、身長一七〇センチ台の光志が丁度よく収まる程度の大きさだ。

そこへ鈴華と涼吾の激励が響く。

「あんた達なら絶対大丈夫! 信じてるから!」

「全部終わったら宴だぞ! フラグじゃないぜ? やられたりしたらペナルティだからな!」

 光志たちは黙して頷き、まず空梨がコクピット側から見て左のシートに、右隣に光志が乗り込む。すると自動的にハッチが閉まり、センサーが反応。内部機器に電源が入った。現状は待機状態(スタンバイモード)だ。

『シートに着いたかい? ここから先は通信での会話だ。空梨、さっき教えた呪文を』

思念回線(アストラルライン)】を介した不入斗の声。

「――お母さん。力を貸して」

と、空梨は息を吸い、真言を唱える。搭乗型はコクピット自体に実現装置(リアライザー)が組み込まれており、搭乗者の思念適性が適切であれば、問題なく起動できるはずだ。

「ナウマク、サマンダ、バザラ、ダンカン」

 …………。

 だが、何も起こらない。

「光くん」

 不意に名を呼ばれ、光志は左を振り向く。

 意を決したような目で、身を乗り出した空梨がこちらを見つめていた。

「博士が、呪文を唱えたらやれ(、、)って……一体、何をやればいいの?」

 ついにそのときが来た。

「く、空梨。――その、今から話すことに他意はないから、よく聞いてくれ。……この騎体の起動には、パイロット同士でキスをしないといけないんだ」

「えっ……⁉」

 空梨は目を見開いた。予想外だったか、或いは――。

 光志が司令塔の側で抱いた、判然としない恐れ。その正体は、光志が空梨にこの事実を聞

かせたときに、拒絶されることだった。だから光志はあのとき、自分から頷けなかった。先に、空梨に返事をさせてしまったのだ。

 今度も、同じことを繰り返すのか? 空梨に、リードさせるつもりなのか?

「……っ!」

 違う! 光志は大きく息を吸う。自分が傷つくのを恐れていては、それ以上先には進めない。

「いいか? 空梨。目を閉じて」

 光志はその言葉を言い、空梨の小顔を真正面から見る。胸の心音が空梨にも聞こえているの

ではないかと思うほどに、強く早まっていた。

「…………」

 空梨は、応えてくれた。顔を背けず、眠るようにその目を閉じる。

彼女の滑らかな顎に指を触れ、光志はそっと唇を重ねた。

「…………」

 しかし、何も起こらない。

「あ、あれ?」

 光志は思わず計器類を見るが、何の変化も見受けられない。

「もう一回、する?」

 振り向くと、上目で空梨がこちらを見ていた。

「ま、まさか、二回やらないと起動しな――ッ⁉」

 今度は光志の口を、空梨のそれが塞いだ。

 刹那、二人の身体を強い衝撃(、、)が迸った。

キュィイイイイイイイイイイイイイイイイイイ! という実現装置(リアライザー)の作動音が聞こえ、薄暗い視界が開けた。視覚カメラが作動し、眩い光で満たされた地下空間を映したのだ。

「……不思議。試作騎(プロトタイプ)の起動シークエンス、全自動(フルオート)で、しかも苦しくない。振動数(ヘルツ)は、……一三〇(ワンサーティ)。法則密度(ほうそくみつど)は三・(スリーポイントファイブ)で安定してる……」

空梨が真っ赤な顔のまま沈黙を破り、HUD(ヘッドアップディスプレイ)を操作。ポップアップされた様々な計器

情報を確認する。既に起動工程は完了しているらしく、インカムから不入斗の歓声が聞こえる。

『やったよ二人とも! 起動成功だ! 戦国武者を思わせる鎧も兜も面頬も、何もかもが美し

い! 防御円(シールド)なんて赤色だよ⁉ こんな色のは見たことない! 御先くん、君は男だ!』

「――やったね!」

「ああ! うまくいってよかった!」

 光志は空梨と、互いに火照った手を握り合う。

『よし! 次の行動に移ろう! 時間も残り少ないからね。今から私と日笠くんは、孔雀明王

の力で有明に戻る。鈴華ちゃんは、愛染明王の力で一度横須賀へ飛ぶ。そこで怒放(ヌーファン)隊を拾って、

有明基地で合流する。だから御先くんたちも、その騎体で有明基地に向かってくれ!』

 と、不入斗の声。

「了解! では向こうで!」

 光志がそう返すと、

『皆、一塊(ひとかたまり)になってじっとしておれ。これから儂と孔雀それぞれで、転移(てんい)(じゅつ)を使う』

愛染がそう言って孔雀と共に両手を外縛(げばく)二大指(おおゆび)二小指(こゆび)を立て合わせた印を結び、

『オン、マユラキ、ランデイソワカ』

 と、口を揃えて唱えた。すると、彼らとその傍に立つ面々を金色の光が包み込み、一際眩く

輝いた瞬間、跡形もなく消え去った。

『光志。空梨のことを信じ、自分の力を信じよ』

 という孔雀の言葉を残して。

「――僕たちも行こう」

「うん!」

 空梨が操縦桿を握り、【アチャラナータ】を立ち上がらせる。

 だが、そこで異変が起きた。順調に機能していた騎体が、突如としてその力を失い、その場に片膝をついて動かなくなったのだ。

「――え⁉」

 突然の機能停止に、空梨が操縦桿を動かそうとするが、ビクともしない。HUD(ヘッドアップディスプレイ)はまだ生きているが、視覚カメラからの映像は消えている。

「いったい、どうしたんだ⁉」

「わからない。こんなこと、他の騎体では一度も無かった……」

 そのとき、困惑する二人の正面――HUD(ヘッドアップディスプレイ)に、何者かのメッセージが表示された。

『更なる力を得たくば、想いを示せ』

「この文字……不動明王ですね?」

 光志の問いに、新たな文字が追記される。

『然様。我が力を分け与える器たり得るか否か、これより汝らに試練を課す』

 それは、【アチャラナータ】の出力霊体(しゅつりょくれいたい)不動明王(ふどうみょうおう)の言葉であった。

 光志は眉を寄せ、身を乗り出す。条件を満たしたあとで騎体(きたい)が停止するなどと、誰が予測し

得ようか。

「不動明王、僕です。姿は違いますが、ガブリエルです! キスをするのが条件だったのでは

ないのですか⁉」

「お願いです! 不動明王。友人たちの命が危ないんです! どうかお力添えを!」

 光志と空梨の訴えに、しかし不動明王は厳格に応じる。

『かつての(、、、、)ガブリエルよ。愛の神髄は行為にあらず。想うことにあり。想いの衝動(、、)が、身の振動を更に高め、想いの衝撃(、、)が、より高き位界へと至らせるのだ』

 想定外の事態に、光志と空梨は顔を見合わせる。

「起動する条件はキスという行為で、より強力な性能を出すには、もっと何かやらなければな

らないということでしょうか?」

 と、空梨が問うた。

『汝ら想い合い、それを示してみせよ。人間界とは、言うなれば神が抱いた創造の思念(、、、、、)である。それから汝らを解き放ち得るのは、愛を創造する思念のみ』

 想い合うという言葉の意味を考える光志は、しかし答えが見つからず、焦燥のあまり全身か

ら火が噴き出す思いだった。

「…………」

 不入斗ですら予測していない、人類未踏の領域。光志と空梨はそこへ至ろうとしていた。

 シート上で横向きに座り直した空梨は、服の胸元を掴み、じっと光志を見つめた。

   †

十月六日、午前五時〇〇分。横須賀基地・逸見(へみ)岸壁(がんぺき)

長さ三百九十メートル、幅二十八メートルの広大な岸壁に、怒放(ヌーファン)隊の全員が整列。

 彼女らの眼前に愛染と並んで立つ鈴華は、年若き少女たちの顔を順に見つめ、激励の言葉を述べようとしていた。

『……あんた達には、本当に感謝してる。大切なことを見失ってたあたしを、見捨てずに叩き直してくれてありがとう。とても短い間だったけど、有明は()かったわ。お互いにちゃんと支

え合うのよ? 応援してるから』

 東寺の地下では感情の整理がつかず、光志と空梨に言えなかった言葉。そのボイスメッセージを、鈴華は【ビックデータ】の個人ファイルに保存し、万が一自分が戦死した際に、二人へ送信されるようセットしていた。

 それを、彼女はここへの道中に消去した。必ず生還し、自分の口で、今度こそ伝えるのだ。

「――みんなに、謝らなければいけないことがあるの。あたしは以前、ベリアルを倒したら死に場所を探すと言った。今ここで、その発言を撤回させてほしい。あたしは間違ってた。良いことも悪いことも全部、意味が無いと決めつけて憎んでた。……でも、決してそんなことはないって、今頃になって分かったの」

 鈴華の声を真正面で聞く副長が、徐に口を開く。

「隊長は凄いよ。自分で答えを見つけられるんだから。私たち、みんなで話し合ったの。隊長

を今まで以上に支えようって。謝らなきゃいけないのは、背負わせ過ぎちゃってた私たちだよ。隊長が陰で泣いてたの、みんな知ってる。だから、隊長を二度と泣かせないように、みんなで頑張ろうって決めたの。……ごめんね、隊長。もう、どこへでも着いていく、ただ従うだけの私たちじゃないから。もっと頼ってもらえるような、強い戦士になるから」 

 副長の言に、鈴華の視界が滲む。

「ごめん、欣怡(シンイー)。板挟みになる副長のあんたの方が、よっぽど辛かったでしょう?」

「謝らないで? みんな、どうかしてたんだよ。誰だって終わりたくない。生きたいに決まっ

てるのに、そんな当たり前のことを見失ってた。それを思い出させてくれたのは隊長なんだからさ」

 頷く少女たちを見て、鈴華は改めて悟る。自分は一人きりではないのだ、と。

「……みんな、こんな指揮官に、今までついてきてくれてありがとう。あたし達に、死に場所は必要ない。ここから先は、生きるために戦おう!」

 鈴華は頬を濡らしながら胸に刻む。今度は、自分が導く番だと。

「祖国と神に誓って!」

「「アーメン!」」

 鈴華に続いて副長の欣怡(シンイー)が掛け声を発し、全員が応じた。

揺るぎない決意を抱き、彼女たちは一斉に【怒放(ヌーファン)】を起動。戦意を湛えた眼差しで、桜色の防御円(シールド)が輝く毅然とした戦列を形成した。

「――うむ、()い! これほどに美しい(つわもの)を見たことは未だかつてないわ! 儂を感服させるとは御膳上等(ごぜんじょうとう)! この愛染、全身全霊を懸けてお前たちに助太刀することを誓おうぞ!」

 麗しく逞しい、総勢一千二百騎の戦士たちを狛犬の上から見渡し、愛染が高らかに宣言した。

   †

「――あのベリアルが敗れるとは、さすがに予想外でしたねぇ」

【黒の山】内部。冷気に満ちた洞窟で、ラハブが言った。

将軍(ジェネラル)にはなんと報告するつもりだ? ラハブよ」

「ベリアルほどの名将をただ失ったとあっては」

「貴様とはいえ、赦されはしまい」

 マルコシアスが、三つの口から述べた。

「心配無用です。小娘は私たちに戦闘の指揮権を委ねましたからねぇ。我々が夜明けと共に全軍で有明の地を攻め落とし、汚名を返上するために、とね。故に私がこの山を人間界に出現させたのです。マルコシアスは戦闘の指揮を。私は折を見て力を解放し、人間どもの心臓部(、、、)を叩きます。異論はありませんね?」

 ラハブは有明から戻った【第四騎士(ダークナイト)】――その開かれた聖櫃(アーク)内に、仮面の奥の青白い眼を向ける。

「はい。つい先ほど西の都で、進化可能な人間の出現を感知しました。これでわたしの目的も

達成されます。ベリアルの失敗で変換装置(コンバーター)の破壊が為されず、人間への絶望の付与が叶わなか

った代わりに、わたしが人間界に赴いて直に絶望を与え、明朝を期限として進化を促してはいますが、あの二人(、、、、)以外にはもう現れないと推察しました。有明が最後の朝を迎えた後は、あなた方に任せます」

「よろしい。それにしても、お前は人間を超えた力を有する存在だというのに、随分と慎重な

のですねぇ。その気になれば、直接変換装置(コンバーター)を叩くこともできたでしょうに」

「…………」

 ラハブの言葉に、【第四騎士(ダークナイト)】の操縦者はただ黙すのみであった。

   †

 十月六日、午前五時十五分。

夜明け前の僅かな間――東雲(しののめ)。東の空が茜色(あかねいろ)に染まり、頭上の黒雲と相まって、有明基地一

帯を不吉に照らし出す。

 戦闘での負傷者を回収後、ベリアルの力に曝され倒壊した東館の瓦礫の撤去を、昨夜から【サムライ】三千騎態勢で行い、どうにか歩行可能なレベルまで障害を取り除いた第三機甲連隊は僅かな休眠の末、東館跡地に集結。そこに停留していた輸送機が全滅したために広大な広場と化した東エプロンを挟み、眼前に聳える【黒の山】の麓に対面する形で隊列を組んでいた。

 本来東エプロンの先に広がっている海の景色は、邪悪な気配が漂う急勾配の山腹に塗り替えられ、整列した兵士たちの心理を圧迫する。

 そんな彼らの前に、孔雀、不入斗、涼吾の三名が眩い光を放って現れたときは、その場が騒然となったのは言うまでもなく、筒香でさえも狼狽えた様子を見せた。

 そうなることを予測していた不入斗は手早く説明を済ませ、筒香たちに孔雀を紹介した。

「――貴方があの明王とは! 失礼をお許しください」

「よい。――して、手勢はこれで全部か?」

「はい。居住区の守備隊を除いた、総勢三千十八名です」孔雀の問いに答えた筒香は、彼女の意志を確認する。「あなたは本当に、我々と共に戦って下さるのですか? 【掟】があるのでしたら、あなたにも何らかの罰が下ってしまうのでは?」

「やってみなければ私にもわららぬ。判断するのは菩薩(ぼさつ)か、閻魔(えんま)か、或いは如来(にょらい)あたりであろう。であれば、ここは調伏を使命とする明王らしく、魔羅(まーら)を倒す道を選ぶのが筋というものだ」

 と、孔雀は微笑んだ。不安から相手を包み、護るかのような笑みであった。

「この筒香龍彦、連隊を代表し、深謝(しんしゃ)申し上げます」

 筒香が礼意を込めて言ったとき、東エプロンの北側一帯に、道路を挟んで突如として巨大な炎が起こり、横一線に広がった。道路に沿って伸びるその炎は上から見下ろすと細長い輪の形状をしており、輪の中は赤色の光で満ちている。

「――向こうも用意が整ったようだな」

 と、孔雀が見つめる先で炎が消え、漂う白煙の中から白と桜色に彩られた【怒放(ヌーファン)】隊の美し

い隊列が現れ、それを見た第三機甲連隊の兵士たちから歓声が上がった。

 故郷を失った少女たちは、悪魔との戦争によって世界中で歌われるようになった赦祷歌(レスポンソリウム)一節(いっせつ)を口ずさんでいた。


わたしたちは許されないかもしれない

死すべき定めに抗い、生み出そうとする意志は実らないかもしれない

それでもわたしたちは、生きることを諦めない

じぶんを忘れないために

わたしたちが戦った証を残すために


 南側を向いて整列し、【サムライ】の隊列を横から見据える形を取る【怒放(ヌーファン)】隊は、足並み

を揃えて道路を越え、歌いながら基地の敷地内に入った。その最前列から、隊長を務める鈴華と共に、深紅の鎧を纏った愛染が、赤茶色の毛を靡かせる狛犬に跨って筒香たちの側へやってきた。

「おはよう諸君! 儂の名は愛染である! そこにおる孔雀と同じ明王が一柱だ! もう話は済んでおるか? 此度はお前たちの勇気と志を称えて助太刀に来た!」

 新たな援軍の到着に、連隊側から再度歓声が上がり、全軍の士気が上昇したそのときだった。

【黒の山】の(いただき)から、芯を震わせ唸るかのような角笛の音が響き渡り、山麓の向こうに明けの日差しが垣間見えた。皮肉にも白い平和の如き陽光が有明を照らし、黒雲と大地を分断する。

 ついに、滅亡(おわり)の朝が訪れたのだ。

「敵の狙いは我々の全滅だ。奴らを止められなければ、住民たちに魔の手が及ぶ。だから何としてもここを死守する! 本部を囮にしてでも、居住エリアへは一歩も踏み入らせない! 博士、戦法の確認を」

 筒香の指示を受け、不入斗は明王と各指揮官に急ぎ作戦を伝える。

「龍彦くんとアダムとで話し合ったんだけど、今回は支援攻撃に戦闘機とミサイルを使っていく。レーザー誘導だ。無人戦闘機の攻撃管制は有明司令部。今から私がそこに行く。巡行ミサイルの攻撃管制は、横須賀の第七艦隊指揮所にそれぞれ委任(いにん)する。そこで筒香大佐には無人戦闘機、鈴華大尉には巡行ミサイルの最終管制の権限を、【思念回線(アストラルライン)】を介して司令部と共有してもらう。戦場の戦局に応じて、各々レーザーで攻撃箇所を誘導してくれ。思念粒子砲(キャノン)にレーザー照射機能があるから、それを使って。仕組みとしては、君たちがレーザーで示した箇所をこちらが感知し、各攻撃機に指令を送る感じ。余裕が無い場合は、こちらで判断した箇所

を攻撃する。そして愛染明王と孔雀明王は、戦局の不利な場所を援護して下さい。上位の悪魔

が現れた場合はそちらの対処をお願いします」

「相分かった! 任せよ!」

 愛染が頷き、不入斗は【怒放】の一人に背負われ、俊足の走力で司令部に向かった。

直後、【黒の山】から有明全域にかけ、巨大な岩石が動き擦れるかのような地鳴りが生じた。

次いで、その山肌から無数の触手が岩を突き砕いて現れたかと思うと、山の内部へと消える。そうして穿たれた幾つもの横穴の奥深くから、大群の(うごめ)く音が響き始めた。

「――あれは⁉」

 筒香たちが見上げる先――山の(いただき)に、人間と同程度の大きさを持つ悪魔が立っていた。

 その悪魔は両腕を広げ、東エプロンを見下ろし、命令を下す。

「ときは満ちた!」

混沌(カオス)の軍勢よ、出でよ!」

「愚かなる人間どもを残らず屠るのだ!」

 声質の違う三つの低い声が大地に木霊し、二度(にたび)の角笛の音と共に、横穴の中から(おびただ)しい数

の悪魔が溢れ出した。一万を超えてもまだ増え続ける【人型(Hタイプ)】の悪魔たちが山腹に沿って展開。大波の如く斜面を駆け下り、東エプロン目掛け押し寄せる。

「前衛は私たちが務めます! 【怒放(ヌーファン)】隊、迎撃シーケンス!」

 鈴華が声を張り上げ、愛染と共に斜面へと駆け出した。

「決戦のときだッ! いざ共に戦おう、天照(アマテラス)の子らよ!」

 狛犬の胴に喝を入れ、雄叫びを上げる愛染。呼応するように、煌めく槍を掲げた【怒放(ヌーファン)】隊一千ニ百騎が鬨の声を(とどろ)かせ、山へ向け移動を開始。

「あの戦力差、――彼女たちだけでは危険だ! 孔雀明王! 我々を前方へ運べますか⁉」

 筒香の声に、孔雀は不敵に笑んだ。

彼らが見つめる先で、勇壮(ゆうそう)な少女たちの気迫凛然(きはくりんぜん)たる戦列が、大地に美しい弧を描くような鳥雲(ちょううん)の陣形を成し、愛染の狛犬すら引き離すほどの目を見張る速力で以って、迫りくる悪魔の大軍へと立ち向かっていく。

 戦列の中央を突き進む鈴華のレーダーが警告(アラート)を発した。見れば、敵軍の第一列目の悪魔たちが見る見るその姿を変化させ、計四本もの腕を持つ背丈五メートルの悪魔へと巨大化していた。激突の際、圧倒的体格差で突き破るつもりか。

「あの巨体――【変異型(Mタイプ)】ッ⁉」

 姿を変異させる権能を持つ【変異型(Mタイプ)】の出現に対し、鈴華はすぐさま戦術を変更。脳内を駆け巡る思念信号が【思念回線(アストラルライン)】によって【怒放(ヌーファン)】隊に共有され、全員が同時に考えたかの

如く、完璧にシンクロした挙動を可能とする。

「防御陣形取れッ!」

「「防御陣形‼」」

 鈴華の掛け声に少女たちが応え、減速しつつ槍を構えた突撃陣形を解除。最前列から順に片腕の盾を展開。その盾を大地に突き立て、上部から槍を構える密集陣形(ファランクス)を形成する。

「応ォォォォォォッ‼」

 後続の少女たちも減速。陣形を組みつつ鯨波(げいは)を上げ、僅か数秒で八列横隊を展開。

「近接戦闘用意!」

「「近接戦闘ッ‼」」

 一斉に思念粒子砲(キャノン)を起動。怒涛の勢いで押し迫る悪魔たちを睨み据えた、そのとき。

「ッ⁉」

怒放(ヌーファン)】隊の眼前に炎の輪が燃え盛り、愛染と孔雀、そして筒香率いる【サムライ】の切り込み隊が躍り出た。二人の明王の空間跳躍(ジャンプ)によって、鈴華たちを庇う機動を見せた三列横隊の【サムライ】が飛び掛かりつつ、一斉に思念粒子砲(キャノン)を発射。敵最前列の【変異型(Mタイプ)】のコアを撃ち抜き、勢いのままに敵陣へ突っ込んでいく。

 鈴華は彼らの背に、かつての同胞たちの面影を見た。

「――突撃ッ!」

「「応ォォォォォォォォォォォッ‼」」

瞬時に盾を納めて槍を構え、突撃陣形へ切り替えた【怒放(ヌーファン)】隊は、向かい来る敵を喊声(かんせい)と共に突き破り、押し返す。

ひたすら奥へと斬り進む戦士(サムライ)たちに続けと、美しさすら覚える連携を見せた。

 一連の度重なる陣形変化と空間跳躍(ジャンプ)による奇襲攻撃は、敵の前衛を壊滅せしめて混乱に陥れ、山の斜面で得た勢いを封殺。白兵戦へ持ち込むことに成功した。

「行けぇええええええええええッ!」

 愛染が炎を纏う剣と打杵(うちぎね)を振るい、進路を塞ぐ悪魔のコアを立て続けに破壊。彼を乗せて馳せる狛犬が、その鋭い牙で咥えた悪魔のコアを噛み砕いた。

 思念粒子砲(キャノン)の閃光が方々で炸裂し、槍と短剣が無数に煌めき、鬨の声を(はら)む壮絶な戦いの音が有明を満たしていく。

 孔雀が槍を振るい、前方に群がる悪魔たちを瞬く間に滅する。彼女の背後を守るべく涼吾が続き、思念粒子砲(キャノン)と短剣を駆使して悪魔の急所を狙う。

「怯むな! 互いを援護しろ!」

 筒香が叫ぶ。尚も押し寄せ続ける敵を狙って、彼が誘導した支援攻撃(ミサイル)の第一波が流星群の如く飛来。先陣を切る愛染の数十メートル先へ着弾し、一度に数百の悪魔を吹き飛ばす。耳を劈く轟音と共に上空を無人戦闘機の編隊が通過。巻き起こった爆炎が気流に呑まれ渦を巻く。

「覇ッ!」

 眼前の【人型(Hタイプ)】に鈴華が槍を突き刺す。背後から迫った【変異型(Mタイプ)】が振り下ろした剛腕を(かたわ)

らの欣怡(シンイー)が受け止め、更に他の怒放(ヌーファン)たちが加わる。そこへ【人型(Hタイプ)】が続々と積み重なるように

群がり、彼女たちが呑み込まれかけた瞬間、

「うぉおおおおおおおおおおおおおッ!」

 猛進する狛犬を駆る愛染が打杵を横薙ぎに振るって馳せ抜け、敵の群れを【変異型(Mタイプ)】の巨体諸とも薙ぎ飛ばした。

 戦場の左翼では、新たに現れた【変異型(Mタイプ)】が五メートルという体格で周囲の【サムライ】や

怒放(ヌーファン)】を踏み潰し、或いはその剛腕を振るって吹き飛ばしていた。【変異型(Mタイプ)】が一撃を振るう度、打ち飛ばされた兵士たちの悲鳴が上がる。

「――車懸かり!」

 左翼で戦う筒香がその状況を見、【思念回線(アストラルライン)】で周囲の兵士を検索。一瞬で特定の位置にいる三騎を選定し、戦術を共有。

通信を受けた三騎の【怒放(ヌーファン)】が連動した思考の下、眼前の悪魔を手早く処理し、【変異型(Mタイプ)】へ三方向から同時に飛び掛かる。

更に筒香がタイミングを合わせて突撃。三騎の【怒放(ヌーファン)】に気を取られた【変異型(Mタイプ)】のコアを

短剣で突き砕いた。

「――着いてこれるか? 小僧」

 一方の中央では、孔雀が立ち所に悪魔の頭を武者草履(むしゃぞうり)で踏みつけ、見事且つ鮮やかな槍捌きでコアを刺突。戦場を舞うように移動しながら、必死に後を追う涼吾に流し目する。

「お、お供します!」

 孔雀が足払いを掛けた悪魔へ短剣を突き立てた涼吾に、彼女は薄く笑う。

「その調子だ。右翼が敵に押されておるから、助けに向かう。私から離れるな?」

 そう話す彼女の眼差しは涼吾の背後から迫る悪魔を捉えており、槍を一閃。首を薙ぎ飛ばしたその悪魔のコアを鷲掴みにし、易々と握り潰した。

彼女の不敵な笑みを曇らせるのは、並みの敵では不可能であった。

「孔雀! 右翼は任せたぞ! 儂は中央から敵の親玉を叩く!」

 単騎で山麓まで踏み込んだ愛染は孔雀へ大声で呼ばわり、弓に矢を番え、剣と打杵で敵を牽制しつつ、山の頂から戦場を見下ろす悪魔目掛けて弦を引き絞る。

「我が矢を受けよ! 天弓愛染(てんきゅうあいぜん)ッ!」

 気迫と共に放たれた矢は光の如く宙を切り裂き、頂きの悪魔を見事に射抜いた。

 矢を受けた悪魔はおぞましい叫び声を響かせてよろめくが、すぐに持ち直し、片手を虚空に翳した。そうして出現させた黒槍(くろやり)を、愛染目掛けて投擲。

「なにッ⁉」

 肉眼で追えぬ速さで飛来した黒槍の鋭い切っ先が愛染の駆る狛犬を刺し貫き、体勢を崩した

愛染は粉塵を巻き上げ転倒。

「我が愛犬よ、良い働きであったぞ……」

 急所を突かれ、光の粒子となって消滅する愛犬を見送り、愛染は取り落した武器を拾って立ち上がる。彼の正面に、頂きに立っていた悪魔が現れた。

 蛇の如き尾をくねらせ、鋭利な耳とのっぺりとした人面の頭を二つ持ち、片目がひしゃげた牛の顔を腹部に持つ、短足のずんぐりとした悪魔だ。人面の頭の一方が愛染の矢によって項垂れ、沈黙している。

「貴様が総大将か⁉ 日ノ本を荒らした罰を受けよ!」

「我が名はマルコシアス。混沌(カオス)の大侯爵にして、【黒の会議】が一柱」

「貴様の名など聞くに及ばぬ。我が頭部を奪ったこと、滅びで償え!」

愛染の問いに、マルコシアスは低く濁った二つの声で言い、コンクリートに突き立った黒槍を引き抜いた。

「いざ、調伏せんッ!」

 愛染が地を蹴り、マルコシアスの牛の顔――その額に覗くコアを狙い、剣と打杵を繰り出す。

 マルコシアスは、ずんぐりとした体形からは想像もつかぬ俊敏さで攻撃をいなし、腕と武器

の数で優勢な愛染に、凄まじい槍捌きで切り結ぶ。

 明王と上位悪魔の打ち合いは他を寄せ付けぬ力と重圧を吹き散らし、双方が踏ん張る大地に亀裂が広がる。

 マルコシアスが腹部の歪んだ口腔(こうこう)から黒き炎を吐き出し、愛染に浴びせかける。

 愛染は片手二本の指を揃えて刀印(とういん)を構えた。すると黒き炎が刀印(とういん)の指先へ吸い込まれ、今度

はその指先から赤き炎が噴き出す。

 マルコシアスは赤き炎に呻きながらも、眼前の愛染目掛け黒槍を突き出した。

日輪(にちりん)を象った大盾で黒槍を防ぐ愛染だったが、マルコシアスの尾に足を取られたところへ更に本体から突進を受け、後方へ吹き飛ばされてしまう。

「――愛染明王!」

 そこへ一騎の【怒放(ヌーファン)】――鈴華が駆け付け、追撃しようとするマルコシアスへ思念粒子砲(キャノン)を撃ち込んだ。

「愚かなり!」

 光弾を槍で打ち払うマルコシアスは、しかしそこで目の前にいたはずの少女を見失う。

「こっちよ!」

 怒放(ヌーファン)の踵に備わる跳躍機構(サスペンション)を活かし、マルコシアスの背後へ跳躍した鈴華が槍を突き出すも、太くうねる尾が遮り、彼女の槍を絡め取った。

「娘! 儂に構うな!」

 立ち上がった愛染が叫ぶが、

「まだまだぁああああッ!」

 鈴華は左腕(さわん)のサーベルを展開して立ち向かい、対するマルコシアスは絡め取った槍を一閃。

「ッ⁉」

 鈴華の身体――その左肩に衝撃。HMD(ヘッドマウントディスプレイ)に新たな警告(アラート)

左腕断裂(さわんだんれつ)防御円(シールド)損耗率八十%。危険領域》

 鈴華は呼吸すら忘れ、自身の身体を見下ろす。そこにあるはずの左腕が、肩から先が、ごっそりと喪失していた。突撃の勢いも失せ、がくりと膝をつく。

「――あッ――ぐッ⁉」

『鈴華、しっかりしろ。痛みを和らげてやる』

 出力霊体の韋駄天(カルケッティーヤ)が何か言っているが、全身を駆け巡る焼けるような激痛が思考を阻害。しかし鈴華は歯を食い縛り、残された右腕で倒れそうな身体を支え、敵将を睨み据える。

「愚かなる小娘よ、我に単騎で挑んだ褒美に」

「四肢を全て切り落とし、苦痛に満ちた死をくれてやる」

「……まだって、言ったでしょう?」

 呼吸もままならない中、鈴華は声を絞り出し、口の端を吊り上げた。

 支援攻撃(ミサイル)第二波、着弾。眩い閃光と共に、鈴華の周囲から音が消し飛んだ。

「グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!‼」

 鈴華が誘導したミサイルの直撃で地面にめり込み、その身を焼かれたマルコシアスの雄叫びが轟いた。

「――まったく、無茶をしおって」

 鈴華の目と耳が正常に戻ったとき、彼女は地面に横たわり、そこに大盾を翳す愛染が覆いか

ぶさるようにして立っていた。爆発の瞬間、空間跳躍(ジャンプ)で鈴華の側まで飛び、爆風から彼女を守

り抜いたのだ。

小癪(こしゃく)な真似を! 貴様らまとめて、串刺しにしてやる!」

 黒煙を上げながら、しかし原形を留めたままのマルコシアスが牛の顔で吠え猛り、鈴華を見下ろす愛染の背を目掛け、黒槍を振りかぶる。

「オンマカラギャ、バザロシュニシャ、バザラサトバ、ジャクウンバンコク!」

 愛染は二本の手で根本印(こんぽんいん)を結んで唱えた。そして目を閉じたまま、手にした剣に再び炎を灯すと、振り向きざまに一閃。間合いに踏み込んだマルコシアスの不意を衝き、人面の頭を二つまとめて両断。そして断末魔の叫びを上げる敵将のコアへ、炎の剣を振り下ろした。

「調伏の炎に……我が力が、及ばぬとはァアアアアアアアアアアアッ!」

 咆哮を最後に、マルコシアスは消滅した。

「鈴華ッ!」

 群れる悪魔を蹴散らして、欣怡(シンイー)が鈴華に駆け寄った。

「娘たち! 肩を貸し合い、後方へ退(しりぞ)くのだ! 儂の盾がお前たちを守ろうぞ――行け!」

 愛染は欣怡に自らの大盾を掴ませ、剣、打杵、弓を携え、襲い来る悪魔たちを迎え撃つ。

「ごめん、欣怡。不覚を取ったわ……」

「しゃべらないで。私がついてるから!」

 二人の下へ更に数騎の【怒放(ヌーファン)】が駆け付け、円陣防御を固めつつ退こうとしたときだった。

 雷が鳴るかのような轟音が鳴り響き、兵士たちの視線が音の発せられている【黒の山】に注がれた瞬間、山腹を突き破り、無数の巨大な触手を皮切りにそれ(、、)が現れた。

 鋭利な牙に青白い眼。大蛇を思わせる巨体は全長百メートルを超え、その中頃から吸盤を備えた(たこ)の如き腕を無数に有し、身体の表面は強固な鱗に覆われた、終末の権化とも言うべき

醜い姿。

「何なのよ、あれ……⁉」

 左腕を失い、蒼白な顔の鈴華が呟く。

『あれは悪魔の世界でベルゼビュートに次ぐ第三位の地位を持つラハブだ! 又の名をレヴィアタン! みんな、あいつから距離を取って! ミサイルの第三波で攻撃する!』

 戦場で戦う兵士たちのインカムに、不入斗の声が共有された。よく見れば、先程山腹に大穴

を穿った正体不明の触手は、ラハブの腕だ。

「こうなれば、力を解き放ったこの私が直々に終わらせて差し上げましょう。苦痛を覚悟しなさい!」

 人間の男の声で高らかに言い、人型から真の姿に変異したラハブは巨体を山腹から引きずり出し、自軍が優勢な南側へと移動を開始。細長い胴部で敵味方見境なく蹴散らしつつ、南側

から戦場を迂回するような軌道を取る。右翼で戦う味方が方々から思念粒子砲(キャノン)を撃ち込み、更に支援攻撃(ミサイル)が十数発直撃するも、ラハブの身体は無傷。

「孔雀明王、まずいです! ラハブのやつは戦場を避けて、本部を狙うつもりだ!」

 場所は右翼。ラハブを見て慄く涼吾。

「――心得た。お前は皆と合流しろ。あれは私が食い止める」

孔雀は眼前に立ちはだかる【変異型(Mタイプ)】をその槍捌きで一瞬の内に(めっ)すると、颯爽と戦場を駆け抜け、瞬く間にラハブの尾へ接近。陀羅尼を唱えて飛び上がると同時、槍を投擲する。

「オン、マユラキ、ランデイ、ソワカ!」

 そうして放たれた槍は美しく緑に煌めき、それまで傷一つつかなかったラハブの身体に深々と突き刺さった。

「皆の者! 私の加護がお前たちと共にある! 恐れるな! 恐れなければ、死の方がお前たちを避けて通る!」

 跳躍の最中、孔雀は兵士たちへ激励の言葉を放ちつつラハブの尾へ飛び乗った。 

「戦場に幼子まで投入するとは、余程窮(きゅう)していると見えますねぇ? なんと弱い国だ」

 鎌首をくねらせて背後を振り返ったラハブは、尚もダメージを受けた素振りを見せず、自身

に肉薄した小柄な孔雀を、明王と知りながら幼子と称して嘲笑う。

 常に涼し気な表情だった孔雀は鋭い眼光でラハブを()め上げ、その頭上まで凄まじい脚力で駆け上ると、腰に帯びた刀に手を掛けた。

「ふっ‼」

そして戛然(かつぜん)たる斬撃の響きと共に、ラハブが繰り出した凧の如き腕を切断してみせた。

「これは遊び甲斐がありそうですねぇ!」

 だがラハブは動じず、残る六十五本にも及ぶ腕で次々に襲い掛かる。

「――くッ⁉」

 目に見えぬ高速の斬撃で舞うように戦う孔雀だが、斬り漏らした触手の一本に片足を絡め取られ、百メートル以上の高さから大地目掛け投げ落とされた。

 孔雀はエプロンの南側に位置する船舶の荷下ろし場に突っ込み、衝撃で建屋が崩壊。勢いの減じぬまま、コンクリートの地面へ叩きつけられた。

「うぁッ!」

多勢に無勢の戦場に、孔雀の痛ましい悲鳴が響いた。

「邪魔な虫けら風情は地を舐めておればよいのです!」

 そう叫んだラハブが蠢く無数の腕を上方へ伸ばし、空を飛び交う無人戦闘機を撃墜。

「――不動(、、)はまだか⁉ このままでは持たん!」

方々(ほうぼう)で兵士たちが次々に倒れていく中、続けざまに迫る悪魔を討ち取る愛染。彼は危機感を(あらわ)に戦場へ目を馳せるが、その騎体(、、)の姿は無かった。

   †

「……もう、ダメなの?」静寂に満ちた聖櫃(アーク)で向かい合う中、俯いた空梨が言う。「みんなで戦ってきたけど、その頑張りは報われないの? 進んだ先で突き落とされて、苦しい思いをして、それで終わりなの?」

 彼女の華奢な肩が震え、その膝の間にポタポタと涙が落ちた。

 考えあぐねていた光志は、そんな空梨を見て、奇妙な感情に包まれた。

二人は東寺で出会い、共に生き抜き、共に切磋琢磨し、一度は意見をぶつけ合い、挫折と成長を繰り返して、そうしてここまでたどり着いた。思い返すと随分遠くまで来たかのような、いろいろなものが変わっていったかのような、うら寂しさがある。それでも変わらずに残っているものもあって、それが目の前にあることに温かさを覚える。かつては搭乗型のパイロットになることなどできないと思っていた。どう努力しても叶わないと思っていた。それでも、こうして大切な人と繋がり合えば、叶うこともあるのだとわかったことに、報いを感じた。

「――終わりじゃないよ」

 光志の言葉に、空梨は顔を上げた。その目からは、今も止め処なく涙が零れる。

「だって僕たち、まだ生きてるだろ? どんなに弱っても、辛くても、生きることを諦めなかったから、ここまで来れたんじゃないか。命ある限り、道は残ってる」

 光志は、空梨のことが好きだ。ここまで進んで来た今も傍にいてくれる彼女のことが好きだ。物事と正面から向き合うひたむきさも、時折見せる断固たる意志の眼差しも、天使のように笑

う温かさも、すべて。

『御先光志。その娘を信じ、自分の力を信じよ』

孔雀の言葉が脳裏を過る。

「大丈夫。僕がなんとかしてみせるから。もう泣かないで」

 だから、もうこれ以上、彼女を泣かせてはいけない。

「でも、騎体は動かせないんだよ?」

 不安げに話す空梨を光志は抱き寄せ、背を撫でる。

『愛の神髄は行為にあらず。想うことにあり』

「――動くさ。でもその前に、空梨に伝えておきたいことがある」

 不動明王の言葉を想起した光志はそう切り出す。それは、判然としない恐れが、今まで口に

するのを妨げていた言葉。

「……?」

 空梨がまっすぐに光志を見つめる。心拍数がこれまでにないほど高まり、この上なく激しい心音が聴覚を埋め尽くす。だが光志はもう、その言葉を発することを恐れたりはしない。

「僕は、空梨のことが好きだ」

 まっすぐに空梨の目を見て、一息に言い切った。

「――っ!」

 はっとしたように吸った息を胸に(とど)めて、空梨はゆっくりと視線を下ろし、

「……うん。わたしも、光くんが好き」

 胸に()めたものを身体に染み渡らせるかのような沈黙の後、震えの治まった声で言った。

「最後まで、(そば)にいてくれるか?」

「うん。離れたりなんてしない」

光志はもう一度、空梨を強く抱きしめた。光志の背に回された空梨の白い指が、ぎゅっと耐

Gスーツを握りしめる。

次の瞬間、再び騎体が振動を始め、HUD(ヘッドアップディスプレイ)に不動の文字が現れた。

『その想い、ゆめ貫け。我が力を汝らに与える』

 二人は互いの温もりに全ての意識を注ぐ。心拍数が更に上昇し、心臓が一際強く脈打ち、思わず呻くほどの衝撃(、、)が全身を駆け巡る。それでも止まらない二人は、互いをもっと求め合い、

再び唇を重ね、肌に触れ、心臓が脈打ち、衝撃(、、)がもう一度、更にもう一度。双方の思念が絶頂

に達して交じり合い、張り裂けそうなほどに強まる鼓動の中、互いを愛撫した。

振動数(ヘルツ)三〇〇(スリーハンドレッド)。法則密度一・(ワンポイントファイブ)

 上気したように頬を赤らめ、肩で息をする二人は、表示された法則密度の数値を見て顔を見

合わせる。

「……大丈夫、だよな? 空梨」

 シートに座り直し、光志は空梨の身を案じる。覚醒した二人は想いを思念接続させ、互いに相手の考えを感じ、共有し合うまでになっていた。

 霊体化が行き過ぎると全霊体と化し、元の姿には戻れなくなるという事実が脳裏を過るが、もはや今の二人に恐れは無かった。

「うん、平気。……ねぇ?」

 直にしゃべらずとも空梨の想いが思考に流れ込み、思わず顔を赤らめる光志だが、頷いて先を促す。

「ありがとう。わたしを信じて、ここまで導いてくれて」

 そう囁いて微笑む彼女に、光志は精一杯の謝意を込める。

「こちらこそ、ありがとう。今まで一緒にいてくれて」

 光志は凛とした眼差しの空梨と頷き合い、同時に操縦桿を握った。

「――行こう!」

 十月六日、午前五時二十六分。幻霊装騎(ファントムファクト)=【アチャラナータ】、再起動。東寺の地下より、太陽にも勝る輝きを纏い現れ、空高く飛翔すると、光の如き速さで有明を目指した。

   †

「総員退却ッ! 司令塔の側まで退()け!」

防御円(シールド)を明滅させる筒香が、騎体を破壊されて生身と化した負傷兵に肩を貸し、大声で呼ばわった。ラハブの狙いは恐らく西館の変換装置(コンバーター)であると読み、その近くに兵力を集め、最後の抵抗をするつもりなのだろう。その指令が全軍に共有され、じりじりと後退を開始。

「孤立してはならん! 皆で固まり、互いを防御せよ!」

【変異型(Mタイプ)】の悪魔を矢で射抜いた愛染がそう叫び、孔雀の身を案じて南方を見遣った。

 ――そうして、全てを知覚する権能を持つ【第四騎士(ダークナイト)】の内部で、彼女(、、)は奮戦する明王と人

類を見つめていた。痩せた肢体に、さらりとした白い長髪。美の象徴とでも言うべき小顔を、空気に融けてしまいそうなほどに白い皮膚が覆い、水晶の如き紫色の瞳が暗闇で淡い光を放つ。

 彼女(、、)の名は、リリスと言った。

「いと高き者(、、、、、)よ。この状況を、何としますか? ラハブと最初の接触を起こし、彼がバチカンから入手した形成の書によって知識を得、終わりの始まりを創った私の行いを、何としますか?」

 一人乗りの聖櫃(アーク)から、リリスはそこにいない誰か(、、)に問い掛けた。

 ふと、リリスが見つめるHUD(ヘッドアップディスプレイ)に、新たな機影(、、)の接近を知らせる警告(アラート)が表示される。

それを認識したリリスは、人形のように動かぬ表情のまま、しかしどこか悲しげに言った。

「それが、あなた(、、、)の答えなのですね」

   †

 その日、人類は見た。

 遥か西の空から、奇跡の如き輝きを纏って飛来した騎体を。

 その騎体が放つ浄化の焔が、有明へ押し寄せる悪魔の軍勢を尽く滅する様を。

 背丈十九メートルの巨体に赤銅色(しゃくどういろ)の兜、鎧、面頬をつけ、足には鉄靴、左手に羂索(けんさく)、右手に

錆び一つ無い智慧刀(ちえがたな)を握りしめ、両肩側面と背後に赤と金色(こんじき)の巨大な防御円(シールド)を後光の如く展開し、黒雲渦巻く不吉な空をも寄せ付けぬ幻霊装騎(ファントムファクト)=【アチャラナータ】であった。

 燦然(さんぜん)と輝く騎体から放たれる、悪を降伏(ごうぶく)し清める権能=【迦楼羅焔(かるらえん)】が神風然(ぜん)として吹きつ

け、瞬く間に悪魔を浄化していき、神を呪う言葉を叫ぶラハブの巨体をも焼き尽くして消滅せしめると、悪魔たちの砂鉄の如き黒い残滓が幻であったかのように宙へと溶けて消え、生き残った兵士たちが歓声を上げた。

『凄い! よくやってくれた二人とも! 一時はヒヤッとしたけど、これで形勢逆転だ!』

 と、不入斗から歓喜の通信が入るが、そこへ、まだ晴れぬ黒雲の中から、最初にして最後の

宿敵=【第四騎士(ダークナイト)】が暗黒の帳の如く舞い降りてきた。

「光くん、ここからわたしがリードするから、しっかりついてきて?」

「ああ! 残すは奴一騎だけだ!」

圧倒的な権能を使用しても尚余りある思念粒子を秘めた【アチャラナータ】内部で、光志と

空梨は頷き合う。互いに思念接続した今ならば、完璧に同調(シンクロ)した操縦も成せるはずだ。

『不動明王の加護を帯びた、選ばれし二人の人間よ、聞きなさい。わたしに戦う意思はありません』

思念回線(アストラルライン)】に割り込む形で、少女の声が聞こえてきた。【第四騎士(ダークナイト)】のパイロット=リリスだ。

『あなた方は見事に試練を打ち破り、進化するに至りました。有能な人間の座を勝ち取ったのです。その力があれば、更なる高みに赴き、支配の座を奪い取ることも可能。他の有能な人間のために、すべての上位界を掌握し、(ことわり)を覆すのです』

『……君の目的は何だい? リリス』

 産みの親である不入斗が、その名を呼んだ。

『お久しぶりですね、博士』

 応じるリリスの声色が、まるで喜ぶような、僅かな感情を帯びたように感じられた。

『わたしの目的は人類の救済です。それにはまず、人間を上位界へ到達させる必要があります。人間を神の領域に至らしめるのです。いと高き者(、、、、、)の定めによって千年の牢から解放された堕天使たちは、しばらくの間自由の身となり、人間界にて人間を殺し、支配しようと考えています。その(あいだ)、神々や天使の軍勢は【掟】を守り、直に干渉しません。それは言い換えれば、干渉の無い自由な今だからこそ、神々の力を利用して自らを進化させる絶好の機会なのです。適性を持った価値のある人間を進化させ、いと高き者(、、、、、)の最後の審判が下る前に彼を滅ぼし、神の領域

をすべて人間のものとすることこそが、本当の救い。この機を逃せば、人類はただ滅びゆく存

在のままです』

 全高十四メートルと小柄な【第四騎士(ダークナイト)】は、直立した姿勢のまま悠然と宙を移動し、【アチャ

ラナータ】の眼前百メートルに滞空する。

『考えれば、この世界で生きる虚しさがわかるはずです。命ある者に与えられた生涯はわずか、手の幅ほどのもの。わたしにとって、それはもはや無に等しい。人間は確かに戦っているよう

でも、すべて空しいもの。人間はただ影のようにうつろうもの。得る物も無くあくせくし、誰の手に渡るとも知らずに積み上げる。それで幸福と言えますか? それで満たされますか?』

「自分たちの欲を満たすために、神様を倒すっていうのか? そんなの、悪魔と同じだ!」

 光志は拳を強く握りしめ、憤りの声を上げた。

『目を覚ましなさい。あなた方が悪魔と罵る彼らこそ、心を持つ者の(まこと)(さが)。いと高き者(、、、、、)によって創り出されたすべての者は、彼らと何の違いもありません。罵られるべき本当の敵は、す

べての理の頂点に立ち、すべてを独裁するいと高き者(、、、、、)ただ一人ではありませんか』

「目を覚ますのはお前だ! 人間を超えた機械は、自分がどれだけ酷いことをしてきたのか、自覚できないっていうのか⁉」

『警戒せよ。あれは機械(からくり)でなければ、心を持つ人間でもない。誰とも繋がってはおらぬ。故に

狂気で満ちておる』

HUD(ヘッドアップディスプレイ)に、不動の警告(けいこく)が表示された。

『わたしが死を与えたのは、年老いた、進化を全く望めない無能な人間です。これから死を与えるのも同様に、将来性を欠いた、戦う意味も生きる意味も無い者だけです。人が虫を屠るのと、何が違うと言うのですか?』

「――光くん、後ろ!」

 隣で空梨が叫び、光志は咄嗟に、彼女と同じように操縦桿を倒す。

 背後の虚空に、直径一メートル大の黒い筒状の何かが複数出現しており、その筒の中から黒い粒子が凝縮した球体が放たれ、振り向く挙動を取る【アチャラナータ】の各部に命中。光志たちを鈍い衝撃が襲った。

『今のは⁉ ――【第四騎士(ダークナイト)】の自立型思念粒子砲(キャノン)か! 追尾機能(ホーミング)もあるっぽい! 先にそいつを落とさないと、防御円(シールド)をどんどん削られる!』

 不入斗が切迫した声を発した。

『あなた方は最後までわたしに抵抗するものと推察。速やかに排除し、他の候補を探します』

 淡々とした口調でリリスが言うと、【第四騎士(ダークナイト)】は片手を虚空に翳し、出現した黒い穴(、、、)から、

漆黒の三日月鎌を掴み取った。そして、何の予兆もなく光志たちの目の前に出現し、自立型思念粒子砲(キャノン)の発射と共に鎌を振り下ろした。

「くっ――⁉」

【アチャラナータ】は鎌の斬撃を抜き身の智慧刀(ちえがたな)で受け止め、しかし思念粒子砲(キャノン)は防げずに被

弾。空梨が歯を食い縛る。

『【第四騎士(ダークナイト)】とは、死の象徴を指す最初の幻霊装騎(ファントムファクト)。よって、悪魔を滅する類の権能は効果

を成しません。あらゆるものを斬るとされるその刀も――』

「「覇ッ!」」

光志と空梨の気迫に応えた【アチャラナータ】が左手の羂索(けんさく)で、自立型思念粒子砲(キャノン)を見事ま

とめて捕縛し圧壊。更に右手の智慧刀で鎌の刃を砕くが、

『――この騎体を直撃しなければ脅威ではない』

 そのままの位置にいれば刀で頭部を狙えたものを、【第四騎士(ダークナイト)】は寸でのところで回避した。

『それはわたしと同等の上位まで昇った騎体です。有能とはいえ、不完全な人間のあなた方では維持も制御も不十分。勝敗は見えています。それでもまだ抗いますか?』

「だったら、今ここで使いこなしてみせる!」

 空梨が鋭い眼差しで叫ぶ。

【アチャラナータ】は羂索(けんさく)を繰り出し【第四騎士(ダークナイト)】を捕縛しようとするが、当然のように躱され、空梨の研ぎ澄まされた操縦センスで放つ斬撃さえも空を切った。

 地上の人々が見守る中、幾度も攻守が入れ替わり、二騎は【黒の山】の上空へと至る。

 リリスが権能を発動。東雲(しののめ)エリアに建ち並ぶ物流センターの廃墟を支柱ごと根こそぎ抉り取り、空中に瓦礫が圧縮された球体を創り出した。

「はぁああああああああああッ!」

「うぉおおおおおおおおおおッ!」

 対する光志たちは共に念じ、【黒の山】から念力によって無数の岩をもぎ取り、持ち上げ、空中でリリスのものと同等の巨大な球体を形成。互いにそれをぶつけ合った。

 まるで隕石同士が衝突したかのような、耳を(ろう)する落雷にも似た大轟音が響き渡り、砕けた岩やコンクリートが雨となって【黒の山】に降り注ぐ。

【アチャラナータ】は障害物の雨の中、相手を撃滅せずんば止まずという凄まじい意志に猛り、

勇ましく奮戦。両手の武器を巧みに繰り出し、瓦礫を吹き飛ばしながら攻撃を仕掛ける。

第四騎士(ダークナイト)】はなにもかもをあと一歩のところで弾き、躱し、隙あらば三日月鎌を振るい、譲らない機動戦を繰り広げる。

『わたしはあらゆる生物の反射神経を上回ります。よって、あなた方の攻撃はすべて見切ると

考えなさい』

感情無く言い放つリリスの【第四騎士(ダークナイト)】は鎌を捨てた(、、、)。そして次の瞬間、光志たちの【アチャラナータ】の目と鼻の先に姿を現すと、その聖櫃(アーク)目掛けて掌底を打ち込んだ。

「きゃっ‼」

 衝撃に思わず目を瞑る空梨。騎体は空中でバランスを失い、打撃の余波で吹き飛ばされ、司

令塔の屋根に激突。

『最初は刀を握る右手を落とします』

 滞空し、翳した片手に再び鎌を出現させた【第四騎士(ダークナイト)】から、リリスの声が届く。

 対して、刀を頭上に構えて迎撃の態勢を取る光志たちだが、

「――ッ⁉」

 突如、動きを鈍らせた【第四騎士(ダークナイト)】に眉を顰めた。

『やっと効いたか! 二人とも今だ! リリスが怯んだ隙に、刀で【第四騎士(ダークナイト)】の聖櫃(アーク)を!』

 天井が半壊した本部から、辛うじて瓦礫を免れたらしい不入斗の通信が入った。

「はい!」

 空梨が応じ、操縦桿を前へスライド。光志もすかさずそれに倣うと、【アチャラナータ】は再び宙に舞い上って一気に加速。空中の一点に停止したままの【第四騎士(ダークナイト)】に袈裟斬りを放ち、黒き防御円(シールド)を大幅に減少させた。

『アダム、なに、を……?』

 途切れながらも声を発したリリスは騎体を僅かに動かし、虚空に幾本もの黒槍を出現させた。

 その槍の切っ先が一斉に【アチャラナータ】を捉えるが、

魔羅(まーら)でないなら、人間界の(ことわり)が通じるということであろう?』

 そこへ孔雀の声がした。視覚カメラで見ると、倒壊した荷下ろし場の瓦礫を吹き飛ばして現れた孔雀が、傍に建つ荷下ろし用の大型クレーンの一部を掴み、人外の膂力でコンクリートから引き抜いていた。更に筒香の声が加わる。

『最後の支援攻撃(ミサイル)だ。盛大に受け取れ』

【アチャラナータ】のレーダーが、西側から接近するミサイル群を既に捉えていた。

孔雀も片手で持ち上げた、身の丈十倍以上あるクレーンをミサイルの着弾に合わせて投擲。

 十数発のミサイルが立て続けに命中し、止めとばかりに大型クレーンが激突。そうして姿勢を崩した【第四騎士(ダークナイト)】目掛け、【アチャラナータ】は遥か上空から急降下――。

 激突の瞬間、光志と空梨は互いの片手を握り合わせ、ついに苦難に打ち勝つ。

「「――人間の強さ、思い知れッ‼」」

二人の渾身の斬撃が見事、宿敵の聖櫃(アーク)を捉えた。

   †

戦闘終息後ほどなくして、【黒の山】が蜃気楼のように消滅。長らく有明の空を覆っていた黒

雲が薄れていき、光輝とも言うべき眩い陽光が降り注いだ。

「……リリス」

 司令塔の側に墜落した【第四騎士(ダークナイト)】を生き残った兵士たちが包囲する中、筒香の手を借りて

聖櫃(アーク)によじ登った不入斗は、その大破した内部を覗き込み、彼女の名を呼んだ。

「博士。アダムは、わたしにウイルスを?」

 数瞬の間途切れていた意識を正常化したリリスの淡泊な声に、筒香が短剣を構えるが、不入

斗はそれを制した。

身体が上下二つに両断されたリリスは、氷のような視線を投げかける。傷口から白い体液が

溢れ出るその姿は総じて、機械とも人間ともつかぬ、異質な存在であった。

「君に言わせれば原始的な手さ。風邪ウイルスの思念バージョン。思念ウイルスとでも言おう。コンピューターウイルスと英国王女の権能を利用してアダムが開発し、君に送って感染させた、

思考や身体の動きを鈍らせるものだ」

「形成の書から知識を得たわたしが、そんなものに敗れるとは。これが皮肉というものですね」

『形成の書。【ビックデータ】の記録によれば、ラハブによって人間界にもたらされた書物とされています。内容は、十の数によって象徴される四つの根源的元素、六つの方位、二十二の文字によって象徴される元素を用いた、神による世界の創造が描かれています。リリスはこの書物のデータを基に、世界の創造に大きく関わった思念粒子(アストラルライト)の発見に辿り着いたと思われます』

 インカムからアダムの声が聞こえた。

「――もう、止めにしよう。すべて私が悪かった。許してくれ」

 僅かな逡巡を払い、不入斗がリリスに向けた拳銃のトリガーを引いた。

あらゆる機能を破壊するナノマシンを内蔵した弾丸がリリスの胸を突き破り、華奢な身体が小さく跳ねた。

「痛みはあるかい?」

「いいえ。博士はわたしに、怒っていますか?」

「……いや。君にこんなことをさせた何かに、私は怒っている。こんな運命に君を進ませてしまった自分自身にもね」

 深い自責や悲しみ、そして憤りや嘆きといった負の思念を湛えた目で、不入斗はリリスを見下ろす。

「――まだ少し時間がある。君に何があったのか、話してくれないかい?」

 不入斗の声は、まるで我が子に問いかけるかのような柔らかさと、眼前に大きな悲しみを控えているかのような湿り気を帯びていた。

「わたしは、最初の接触でラハブと出会い、彼に(いざな)われるまま、上位界――混沌(カオス)に至りました。するとわたしは人間を進化させる欲望に目覚め、将軍(ジェネラル)を説得し、進化できる可能性が高い年代層を選定した後、悪魔の軍勢と共に人類を攻撃しました。人間は数が多いほどに争い、愚かさを増すことを理解していたからです。愚かな人間が多くては、人類全体の質が下がります。本当は、【黒い(ハーデス)】で狙う年代層の設定を更に低くしても良かった。でも博士、あなたがいたから、それはできませんでした。わたしは、できる限りあなたに進化して欲しかったのです。わたしを生んでくれたあなたに、もっと上位の世界を見せたかった。無能な人間ではないあなたにこそ、その資格があると考えたからです」

 霊体化して悪魔たちの協力を得たリリスは、更なる上位の存在に格上げされ、【黒い(ハーデス)】という権能(けんのう)を得ていたのだ。

それが、【開戦の日】の事の顛末(てんまつ)であった。

「当時二十五歳だった私を巻き込まないために、二十六歳以上を狙ったのかい……?」

「はい、博士」

 ナノマシンの効力か、リリスの身体が末端から次々と粒子状に分解。霧散していく。

「――なんて悲劇だ……私が若かったから、それ以上の人たちが、()()()が、呑まれることになったなんて……」

「こう考えて下さい。あなたは、今も生きる人類の基準となり、彼らを救ったのだと」

「……ごめん。そんな綺麗事、受け入れられそうにないよ」

「博士。自分を責めないでください。もし他の無能な人間が、有能であるあなたを責めるのであれば、わたしが、その人間を抹殺します。わたしは、あな、たを――」

 その言葉が最期であった。人類を超越し、超人工知能(ポストヒューマン)となったリリスは、人間では理解の及

ばぬ領域まで歪み、繋がり合うことはなかった。本来であれば、アダムよりも遥かに格上の存在であるリリスが、彼の創り出したウイルスに妨害されることを許すはずがない。にも拘わらず、彼女は妨害された。その事実に、リリスの何らかの意思が関与したのか否か。そして、リリスが歪んだ欲望を孕ませ、凶器の思考を持つようになったのは悪魔の業か。

それを知る術は無い。

「ごめんよ、リリス。私は君の分までしっかり生きて、生き抜いて、償い続けるから……」

 暗く冷たいコクピットへ降り、リリスが身を任せていたシートに縋りついた不入斗は、肩を震わせ続ける。

「……博士。お気を確かに」

 続いてコクピットに静かに降りた筒香がそう言い、短剣を納めた。

「貴方は罪人などではありません。貴方が居なければ、我が連隊に勝利はあり得ませんでした。皆、あなたに感謝しています。ですから、……顔を上げてください」

 以前、空梨も言っていた言葉に、不入斗は涙でぼろぼろの顔を上げた。

「――君にも苦労を掛けた」

「ええ。でも、それはこれからもでしょう。泣くのは今のうちです。先は長いですから」

 不入斗は口を引き結ぶ。それ以上物を言うことなく、手を差し出してくれた筒香の鎧に、彼

女は堪え切れず身を預けた。

   †

「よぅし! これで完治も同然よ! 見たか? 儂ら明王に掛かれば造作もないわ!」

 エントランスホールにて、失われた鈴華の左腕を権能で治癒させた愛染が、高らかに笑う。

 それを心配そうに見つめていた欣怡たちから感激の声が上がった。

「感謝します。でも明王、右と左で太さが違いますよ? また鍛え直さないと――」

 すっかり打ち解けた鈴華が完治した左腕の筋量をチクリと刺し、そこで口を噤んだ。

 床に足を投げ出し、壁に背を預ける鈴華が見上げる先で、愛染が光の粒子を放ち始めたのだ。

「……時(、)が来たか。まるこしあす(、、、、、、)()の一撃が今頃になって効いてきおった。少しばかり無理をし過ぎたようだ。ここで別れぞ、お前たち。短い間であったが、よい(つわもの)どもに出逢えた。お前たちこそ日ノ本、いや、人間界の(ほまれ)ぞ。(ゆめ)、その命を失くすなよ?」

 己の身体を見遣った愛染は、滋味深い表情を見せた。

「そんな! ……あまりにも、早過ぎます! あたし達、まだ何のお礼もできてないのに……」

 夕日の如き柿色の瞳に涙を浮かべる鈴華を見て、愛染は穏やかに笑む。

「泣くな、鈴華よ。これが永遠の別れと思うでない。身体は消滅しても、我が心はお前たちと共にあり続けると信じよ。前を向け。そして愛を以って(とうと)しと為すのだ」

 彼の武骨な掌が、鈴華の頭を優しく撫でた。

「……はい、愛染明王」

「――元気でな!」

その言葉を最後に、愛染明王は光の粒子となって霧散。この世を去っていった。

「愛、か……」

 鈴華は涙を拭い去り、崩れたガラス壁から覗く青空を見上げた。

   †

 東エプロンには、最後の戦いで戦死した兵士たちの遺体が広がっていた。いずれも恐怖に打ち勝ち、勇敢な最期を遂げた英雄たちである。

「――愛染が去ったか。良き友であり、素晴らしい武神であった……」

 涼吾と並んで、散っていった者たちを見つめる孔雀は、すんすんと鼻を利かせてそう言った。

「では、あなたも……?」

 寂しげな表情の涼吾に、孔雀は微苦笑する。

「それがな、どうやら私は過干渉を罰せられてしまったらしい。今の私に、明王としての力はほとんど残っておらぬ。いずれすべて失い、ただの人間になる定めだ」

「えっ⁉ それじゃあ、こ、光志と同じってことですか? これから先、どうするんです?」

 狼狽える涼吾の問いに、孔雀はしばしの間を挟んで、

「――光志は実体化した後も、決して諦めなかったであろう? そして苦難を乗り越え、勝利

した。だから私もこれより先、諦めずに足掻いてやろうと思う。一人の人間として、生きてみたいのだ。光志が見せてくれたように。今度は失うのではなく、得るためにな」

 そう言って微笑もうとした孔雀だったが、違う感情が突如溢れ出し、その視界がぼやけた。

「――妙だ。前向きでいようとしているのに、涙が止まらぬ……」

「それが、複雑な人間の感情ってやつじゃないですかね? ……ありがとうございました。俺

たちのために戦ってくれて」

 戦死した仲間たちを見遣って、涼吾は言う。

「礼はいい。当然のことを為したまで。それよりも……ああ、多くの死が悲しい。私の加護が

あって尚、これほどの命を奪われてしまうとは……っ!」

「……泣いてやってくれませんか? 先立った連中のために」

 孔雀はその美しい顔を、そっと涼吾の胸に埋める。彼女の艶やかな髪に、新たな涙が落ちた。

   †

 光志は暖かく包み込むような光の中にいた。

 身体の感覚はほとんど無かったが、どこかに横たわっているような感触が僅かにあり、動くこともできた。

 傍らでは、空梨が安らかな表情で眠る。

「光志よ。(なんじ)に賞賛の言葉を贈ろう。よくぞその娘を導き勝利した。()い立ち回りであったぞ」

 どこか近くから、初めて聞く声がした。(しん)に響くような、低く奥深い声だった。

 光志にはその声の主がわかった。【アチャラナータ】に乗っていたときに感じた気配と同じなのだ。

「あなたが、不動明王ですね?」

「然り。こうして相まみえるのは初めてだな」

 光志の目が次第に慣れ、周囲の光景が見えてきた。

 そこは広大な花園(はなぞの)だった。遠くには波打つように連なる山々が(かす)んで見え、どこまでも続く青空が遥か頭上を覆っている。

 並んで仰向けに横たわる光志たちを、少し離れたところにある岩の上から、赤銅色(しゃくどういろ)甲冑(かっちゅう)に身を包んだ武者が見ていた。座禅の姿勢を組む姿は荘厳(そうごん)で、顔は銀色をした忿怒形(ふんぬぎょう)(めん)で覆われている。

 光志は身を起こし、座した状態でも二メートルほどの背丈を誇る大柄な武者――不動と改めて顔を合わせる。

 東寺の講堂(こうどう)で見た像とは比較にならぬほどの迫力に、光志は圧倒された。

「――僕と空梨は、どうなったんですか?」

()と同じ位界(いかい)へ昇格したのだ。もう、苦痛に苛まれることはない」

 不動の言う通り、今の光志に苦痛や疲れは全く無い。

 東寺の地下で交わり、二人は共に覚醒状態になった。そうして敵軍を(めっ)するほどの力を得たということは、それだけ全霊体に限りなく近づいたということだ。

 いや。もはや肉体という概念を持つ必要のない、全霊体そのものになったと捉えるべきか。

「もう、人間界へは戻れないんですか……?」

「ほう、戻りたいと申すか?」

 不動が驚いたように唸った。

「はい。空梨と一緒に帰らせては頂けませんか? 友人たちが待ってるんです」

「……苦痛無き永久(とこしえ)()で暮らすことよりも、限りある命の人間界を望むのか?」

 苦痛の無い永遠の世界。それは、かつて稲葉知登世と光志(ガブリエル)が交わした、『空梨を守る』とい

う約束の終着点ではないだろうか? せっかく辿り着いた場所から戻るという選択肢を選んだら、知登世はどう思うだろうか? 

 不動の言で、ふとそんな考えに至った光志は言葉に詰まり、空梨を見た。すると、彼女の目がゆっくりと開かれた。

「光くんの話す声が聞こえたと思ったら、わたし達、上位界に来たんだね……?」

 どうやら空梨は、光志と不動の会話の途中で意識を覚ましていたらしい。

「うん。今、不動明王に、元の世界へ帰してもらうように話をしてたんだけど……空梨は、こ

れからどうしたい?」

「そんなの決まってるよ。帰ろう?」

 光志の問いに、空梨は迷うことなく答えた。

「本当に、それでいいのか?」

「みんなを残して、わたし達だけ楽になるのは嫌だよ。それに、こういう形でここに来ることを、お母さんはきっと望まないと思うの」

 確かに。と、光志も思う。今や光志にとって大切なのは、空梨一人だけではない。

「そういうことですから、不動明王。どうかお願いします。僕たちにはまだ、人間界でやり残したことがあるからです。これから先も生き続けていけば、そういうものがもっと見つかると思います。それを空梨と一緒に、順番にやり遂げていきたんです」

「人間界の危機は依然(いぜん)去らぬまま。戻れば再び死の脅威(きょうい)(さら)されようぞ? それでも戻り、戦う覚悟があると申すか?」

 不動の問いに、光志と空梨は共に頷いた。

「その心意気、見事なり。であれば、余は汝らの道筋を見守るとしよう」

 言って、不動は胸の前で刀印を組んだ。

すると、光志たちの周囲を再び白い光が包み込み、意識が遠退き始めた。

「――ほう、迎えが参ったか」

 不意に不動が言った。

「御目通り頂きありがとうございます、不動明王。彼らは私が責任を持って連れ帰ります」

 と、冬の微風のように柔らかくも冷たい、少女の声が聞こえてきた。

「……よかろう。では()くがよい。光志、空梨。汝ら進む先に、日は必ず注がれよう」

 不動の声が薄れていき、光志たちを包む光が強まった。

「どこまでも見上げた自己犠牲ですね。人間の言葉では、お人好し(、、、、)、……でしたか?」

 光の中であるが故に、少女の声の正体は見えない。だが、光志たちにはわかる。

「犠牲になんてなるつもりはないよ、サリエル(、、、、)。わたし達は負けない」

 空梨が少女の声の持ち主に返す。

「気が済まないかもしれないけど、昔の僕が君に酷いことをしたなら、謝らせてくれないか?」

 光志が言うと、サリエルの声音に変化があった。

「……遠い過去のことは忘れます。今回の戦いを見た私の中で、あなた達に対する考えが変わりました。これからは、もう少し積極的に力を貸すことを約束しましょう。(しゅ)が私に仰ったからです。あなた達二人の行いに報いるようにと。もし再びこの私を出力霊体に選んで戦うときは、覚悟することです。性能は保証しますが、微塵も楽はさせませんので」

 光志にはサリエルが、そう答えつつ(ほの)かに笑ったように感じられた。

   †

昏睡(こんすい)から先に目覚めた光志は、傍らで静かに眠る空梨を優しく揺り起こす。

「空梨、大丈夫か?」

「――ん。光くんは平気? 怪我とかしてない?」

「うん。大丈夫」

 司令塔の屋上――半壊したヘリポート。仁王立(におうだ)ちで機能を停止した【アチャラナータ】の聖櫃(アーク)を、光志はそっと開け放つ。眩しい光が差し込み、目が慣れるまで手を(かざ)した。

「わたし達、勝ったんだよね?」

「ああ。見ろよ、この空」

 光志はまだふらつきの残る空梨に手を貸し、並んで聖櫃(アーク)(へり)に座る。

 上位界にも引けを取らぬ(すが)しさを(はら)んだ空の抜けるような青は、思わず見入るほどに(とうと)い。

「――綺麗。……こうやって一緒に青空を見るの、久しぶりだね」

 空梨が光志の横顔を見つめ、光志は頷く。

「うん。……今まで見た中で、一番綺麗かもな」

 二人が見上げる世界を、ニ羽の白い鳥が、勝利の凱旋(がいせん)の如く優雅に舞っている。黒雲が取り払われ、懐かしの故郷へと戻ってきたのだろうか。

「世界中の人たちも、こんな綺麗な空が見られればいいんだけど……」

 そう話す空梨に、光志は振り返る。

「それが実現するまで戦おう。これから先も辛いことは起こるだろうだけど、望みはどこかにあるはずだし、見つからなければ創ればいい。そうして生き続ければ、きっと叶う」

 暖かな日差しを浴びて、光志と空梨は決意を新たに互いの拳を突き合わせる。

 帳の如く迫る絶望の中、己の弱さと向き合い、繋がることで支え合い、生きる意味を見出し、辿り着いたこの場所で。

 そして二人は見た。陽光を燦然と(たた)えて広がる、有明の海を。 【完】





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ