土岐明調査報告書
十 現地第7日目
その夜は熟睡できた。かなり疲れが溜まっていたようで、翌朝、目が覚めたのは9時過ぎだった。体が重かった。あわてて、荷物を整理して、スーツケースを転がしながら、十時すこし前にホテルの一階に降りて行くと、フロントに丸山がいて、
「チェックアウトしてください」
と懇願するように言う。土岐は言われるままに、フロントの従業員に714の鍵を手渡し、チェックアウトを申し出ると、請求書が差し出された。傍らの丸山が請求書をのぞきこむようにして言う。
「朝食のとき出てこなかったんで、心配しました」
「すいません。疲れてて寝てました」
「ルームチャージはこちらで出しますので、・・・とりあえず、全額ぼくの方で支払います」
と言いながら、ボトムラインの合計金額にあわせて現地紙幣を出した。
「私的な国際電話とか、夜中のルームサービスとかはありませんか?」
「ないです」
と土岐が答えると、丸山はフロントが差し出した領収書を受取った。
「じゃあ、そろそろ空港へ向かいましょうか」
と丸山はレストランで紅茶を飲んでいた王谷に声を掛けた。王谷はベルボーイに指で合図をして、手元の荷物を車寄せまで運ばせた。片手に丸山の荷物を持った別のベルボーイが土岐のスーツケースを運ぼうとしたが、土岐は断った。車寄せでベルキャプテンがタクシーを指招きし、ベルボーイがトランクに王谷と丸山と土岐の荷物を押し込んだ。丸山はベルボーイとベルキャプテンにチップを手渡した。王谷はすでに後部座席に乗り込んでいた。土岐は王谷の隣に座り、丸山は助手席にすべりこんだ。
昨夜の打ち上げをすっぽかしたので、王谷の隣にいて、土岐はなんとなく気まずい思いがした。黙っていると、はじめて王谷の方から話しかけてきた。
「来週の木曜日までに、メールの添付ファイルで丸山君あてに財務分析の報告書を送信してもらいたい。第1章がわしの担当で序章、第2章が中井君の担当で需要予測、第3章が山田君の担当で運行システム、第4章が松山君と川野君の担当で電化システム、第5章が浜田君と畠山君の担当で電信・信号システム、第6章がそこの丸山君の担当で土木作業、第7章が吉川君と高橋君の担当で維持運営システム、最後の第8章があんたの担当で財務分析、という構成になっている。内容的にはきのうのプレゼンでいいんだが、くれぐれも文中にプロジェクトの採算性に疑問を抱かせるような文言は入れないように・・・いいかな」
と王谷はメモ用紙に書き込まれた目次を見ながら言う。土岐にとっては、
「はい」
としか言いようのない押し付けがましい口調だった。
「あんたにとっては、ただの報告書かもしれんが、このプロジェクトには多くの人の生活が懸かっている。大使館の白石さんや西原さんにとって、このプロジェクトが昇進の糸口になる。かりに人事考課の対象とならないとしても、業界と太いパイプができる。こうした民間とのパイプは官僚の今後の人生にとってとてつもなく重要だ。扶桑物産の南田さんもこのプロジェクトを足がかりに、日の当たる国への転勤を計画している。そこの丸山君だってそうだ。何よりもこのプロジェクトで多くの国内業者が潤う。それが巡り巡って、納税者たるすべての国民の懐を潤す。わしらは戦後一貫してこういうやりかたで高度経済成長を支えて来た。援助額は国会の予算審議の対象だから、日本の国会もそれをずっと承認してきた。援助は援助される国のみでなく、援助する側の国にもそれなりの貢献をしてきたんだ」
土岐は黙って聞いていた。援助する側に立った論理を展開する経済開発論文は読んだことがなかったので、王谷の話には違和感を覚えた。国際政治経済の分野ではよくされる議論ではあるが、それは土岐の専門ではない。
王谷は突然、長袖のワイシャツの左腕を捲り上げた。
「長袖のワイシャツを着ているのは、注射の跡を見せたくないからだ。こんなくそ暑い国に来ても長袖を着ざるを得ない」
と言いながら、土岐に注射の跡で変形しかけた左腕を見せた。
「わしはインスリンがないとすぐに死ぬ。足の指を切っているので、南田さんのように裸足でサンダルを履くこともできない。・・・このプロジェクトはおそらくわしの最後のプロジェクトになると思う。コンサルタント人生の総決算だ。あんたはまだ若い。まだまだ先がある。しかし、わしにはもう先がない。そのへんも考えてくれ」
と言いながら、王谷は捲り上げたワイシャツの袖を元に戻した。真偽はともかく、王谷の言いたいことは、腑に落ちないまでも、土岐にはある程度理解できた。
空港に着くと、王谷だけまばらなファースト・クラスのカウンターに向かい、土岐と丸山はエコノミークラスの長蛇の最後尾に並んだ。列の先頭近くに、吉川と山田と高橋がいた。三人とも年甲斐もなく大声ではしゃいでいる。
しばらくすると、見覚えのある褐色の顔が子ども連れでこちらにやってきた。シュトゥーバだった。
「お子さんですか?」
と丸山がすかさず愛想良く聞いて子どもの前にしゃがみこんだ。
「小学校5年生だ」
とシュトゥーバが答える。小学校5年生にしては随分小さく見えたので、土岐は確認するように聞いてみた。
「十一歳ですか?」
「そうだ。来月が誕生日なので、もうすぐ十二歳になる。・・・ミスター・トキは昨夜のパーティーにいなかったようだけど・・・」
「ええ、ちょっと疲れ気味で欠席しました」
「もう、疲れは取れたか?」
「ええ、よく眠れたので・・・」
「プレゼンテーションでの質問の回答はレポートの中に書き込んでもらえるか?」
「・・・ええ・・・」
とすこし戸惑いながら答えた。その戸惑いにシュトゥーバは気付いたようだった。
「最初に言ったが、あることをあるがままに報告して欲しい。あなたの国にとっては数ある援助プログラムのうちの一つかもしれないが、わが国にとっては重要なプロジェクトだ。この子にとっても・・・」
と言いながら、シュトゥーバは男の子と繋いでいた手を高く上げる。子どもはシュトゥーバに引き上げられて、爪先立ちになる。骨に皮が張り付いているようで、手首と肘と膝の関節がやけに大きく見えた。はにかんだような笑顔で土岐と目を合わせて、すぐそらした。
丸山と土岐はチェックインカウンターの前に立った。スーツケースを預け、出国窓口に向かった。セキュリティチェックのカウンターの前でシュトゥーバと別れた。別れ際にシュトゥーバは、
「この子のことを忘れないでくれ。債務を返すのはこの子なんだ」
と言いながら、中腰になって繋いでいた手で、子どもと一緒に手を振った。丸山と土岐も手を振ったが、すぐに背を向けた。その背中にシュトゥーバとその子どもがいつまでも手を振り続けているような気がした。突然土岐は、立ち止まると財布の中から現地通貨のうち紙幣だけを抜き出し、ティッシュペーパにくるんだ。日本円で数万円の金額だった。この金額は使用しても、帰国してからメールでの調査報告の経費として、
〈Kakusifile〉
に請求できるという考えが土岐にはあった。
丸山は土岐を置いて免税店に入ってゆく。土岐は踵を返すと、シュトゥーバを追った。シュトゥーバとその子供に追いつくと、土岐は男の子の手にティッシュペーパに包んだ現地通貨を握らせた。子供は小さな手でそれが何かすぐ開けようとしたので、土岐は両手で子供の手を包みこんで言った。
「これは、わたしからの置き土産です。なにか、おいしいものでも食べてください」
と言い残して、土岐は小走りに免税店に向かった。シュトゥーバが何か言おうとしていたが、土岐は一度だけ振り返って、一方的に別れを告げた。
搭乗のコールがあるまで、土岐は丸山と一緒に免税店でおみやげを物色した。東亜クラブの金井と福原と中村には木彫りの人形の彫刻をおみやげにした。価格より高そうに見えたからだ。扶桑総合研究所の鈴村と砂田はロウケツ染めのランチョンマットにした。母には何がいいか、迷った。
母には土日に国内の学会が関東以外であると、出席したついでに、地元のおみやげを買うことにしていたが、何を買って行っても喜ばなかった。
「そういうお金があるのなら、お前のために使え」
といつも言われた。
デューティー・フリー・ショップで土岐があれこれ物色していると、歩きタバコで王谷が近づいてきた。
「あ、それから、さっき、言い忘れたけど、あんた、オーバー・ドクターでしょ」
「ええ」
「だから言うんだけど、書いてもらうのはレポートなんで、・・・学術論文じゃないんで、脚注は極力つけないように・・・いいかな」
「わかりました」
と答えると、王谷は床にタバコの灰を指先で落としながらファースト・クラスの搭乗口に歩いて行った。おみやげ品に目移りがして迷っているうちに搭乗のコールが流れた。エコノミークラスの搭乗口に丸山と並びながら、東亜クラブの専務理事の萩本へのおみやげを買っていないことに気付いたが、面倒になった。専務理事が出勤してくる前の朝の時間帯に、金井と福原にお土産を配ればいいと考えた。夕方出勤してくる中村には専務理事が帰宅したあとでおみやげを渡すことにした。これで宅配便で受け取った十万円はほぼ使い果たした。
飛行機は正午過ぎに離陸した。丸山が窓際の席を譲ってくれたので、窓外の風景を見ることができた。海外旅行は初めてだということを言ったことがあったので、そうしてくれたのだと思う。丸山はそういう気配りのある男だった。
昼過ぎの上空は雲が多く、下界を見ても、白銀の雲海が見えるだけだった。しかし、3時過ぎに雲間が切れ、眼下に金糸と銀糸のつづら折りのような縮緬絵の大洋が見下ろせた。不意に機体に小さな衝突音がして、欠き氷のようにきらめく塊が散華して行くのが見えた。その氷片のようなものが大海のしずくとなって瞬く間に群青の海原に消えて行く様子をエンジン音にまどろみながら土岐は脳裡に描いた。
半日近くかかって香港に着陸した。香港を経由して、成田に到着したのは夜の八時過ぎだった。税関を出てすぐ、鈴村と母に無事帰国の電話をした。到着ロビーで初老のメンバーと別れの挨拶をした。丸山には余った現地通貨のコインを、
「立て替えてもらったチップです」
と言い添えて手渡した。チップにしてはすこし多かったが、丸山に対する感謝の気持ちがあった。土岐が現地にふたたび行くことがないのを丸山は知っているので、受取った瞬間、とまどう素振りを見せたが、そのコインを素直に受取った。
十一 熱い国からの帰国
八王子駅から自宅にタクシーで着いたのは夜の十二時近くだった。母は起きて待っていたが、みやげ話もせず、沸かしておいてくれた風呂にも入らず、くずおれるようにして床についた。肉体だけでなく精神も疲労困憊していた。
翌日の昼近くに、
「岩槻先生からの電話よ」
と言う母の声に起こされた。電話に出ると、新設学科の申請の審査は順調に進んでいるとの情報だった。岩槻が頻繁に情報を提供してくれる裏には、専門科目の講義の始まる3年目までの新設学科の内部情報提供について土岐に対する期待があるものと認識している。岩槻はいまの大学を2年後に定年になり、3年後に新設学部に着任する予定になっている。
「鈴村君に聞いたけど、昨夜、帰国したんだって?」
と受話器から聞きなれた、甲高いしわがれた声が流れてくる。土岐は布団に横たわったまま返答した。
「ええ、S国の首都の国鉄電化計画のフィージビリティ・スタディです」
「その話、半年前にあればよかったのにね。・・・まあ、文科省の審査は大丈夫だとは思うけど、・・・君の場合、論文業績がちょっと少ないからね」
「申し訳ありません」
「いや、べつに誤るようなことではないけれど・・・誰だって若い頃は業績が少ないもんだよ。ただ、大学設置審議会の連中が、けちをつけようと思えは、つける材料にはなるな」
「文科省に提出した業績調書の再提出はできないんですか?」
「できないこともないが・・・提出の締め切り時点までの業績履歴だからね」
「いつごろ、はっきりするんでしょうか?」
「内示は十一月ごろあると思うけど・・・設置審議会の内部では再来週あたりに原案が提出されるんじゃないかな。・・・まあ、ほぼ大丈夫だとは思うけど・・・まあ、就職の斡旋は、指導教員の暗黙の義務と言えないこともないからね」
「今回も、いろいろとありがとうございました。感謝しております」
「まっ、そういうことで・・・」
「お電話、わざわざ有り難うございました」
と言いながら、受話器が置かれるのを待った。そのやり取りを台所で母が聞いていた。
「岩槻先生、なんだって?」
とマナ板で何かを刻みながら言う。
「勉強の話だ」
と誤魔化した。母には大学教員の内定が得られてから伝えることにしている。現在の状況を話せば、それなりに喜んでくれることは予想できたが、万が一、不調に終わった場合に母のぬか喜びが深い落胆に変わることを土岐は恐れた。
蒲団のなかで母の料理する音を聞きながら、鈴村が昨夜、岩槻に電話した用件を考えた。成田で鈴村に電話したのは夜の8時過ぎだった。それから鈴村が岩槻に電話して、岩槻が土岐の帰国を知ることになった。そのことだけで、鈴村が夜分遅く、岩槻に電話することは考えられないので、別件があったはずだと思う。どういう別件があったのか、想像がつかなかった。このことに限らず、さまざまなことが、土岐の知らないところで進展しているような、いやな気がしてならなかった。
翌日の月曜日、出勤する前に、前日分の報告をメール送信した。
@無事帰国しました。財務分析のレポートは木曜日までに作成する予定です。フィージビリティ・スタディは、プロジェクト・マネージャーの王谷によって、フィージブルであるという結論をプレゼンテーションするように強要されましたが、財務副部長のシュトゥーバからは、その結論に至らしめた諸前提をレポートに盛り込むように求められました。今回のプレゼンテーションでは、立場上、プロジェクトが破綻することを報告できませんでしたが、提出したレポートを読んだシュトゥーバがプロジェクトに反対するアクションを起こしてくれるものと考えています。現地国鉄に提出する報告書は、シュトゥーバが読めば必ずプロジェクトに反対するように書く予定です。ただし、シュトゥーバにどの程度の権限があるのかは不明です。彼に殆ど権限がなければ、プロジェクトを不調に終わらせることはできないかも知れません。現地で使用した経費の請求を含め、これからの報告に関する指示をお願いします。以上@
メールを送信した後、成功報酬の90万円はシュトゥーバ次第で諦めることになるかも知れないという思いが土岐の脳裏に漂った。
土岐は財務分析資料の入ったUSBメモリスティックを持って、東亜クラブに赴いた。金井に簡単に帰朝報告して、専務理事が来る前に同じおみやげを福原に配った。電話で扶桑総合研究所の砂田に帰国の挨拶をした。それから自席のデスクトップ・パソコンで英文の財務報告書の作成に取り掛かった。
十時過ぎに専務理事が出勤してきたので、作業をひとまず中断して、帰国の挨拶をした。自席に戻り、再び作業を始めると、昼前になって、専務理事が土岐の机の前にやってきて、
「私には、お土産はないんですか?」
といやみともつかない、しらっとした表情で言う。土岐はあわてて、
「すいません。忘れていました」
と言いながら、東亜サロンの中村に買ってきた分を気まずい思いで手渡した。その一件がなんとなく胸に引っかかったが、作業自体は東亜クラブとは直接関係がないものの、普段こそこそと研究論文を読むのとは異なり、扶桑総合研究所との契約に基づくものなので、正々堂々と作業を進めた。英語は得意ではないが、英文学とは違って、凝った形容詞や微に入り細をうがつような表現は必要ないので、臆面もない直訳ばかりの作業ははかどった。ときどき英作文が難渋するとネットのフリー翻訳サイトを利用した。
土岐に割り当てられたのはファイナル・レポートのチャプター8のフィナンシャル・アナリシスだった。セクション1をイントロダクションとし、電化による経済利益を記述した。セクション2を収入にあて、セクション3を費用とし、セクション4で財務分析を行い、最後のセクション5で債務返済計画をまとめた。第一次草稿はその日の夕方までになんとか完成した。
翌火曜日の午前中は表計算ソフトのグラフツールを使って暦年ベースの収入と費用、それに基づくキャッシュ・フロー表および債務返済のこぎれいな一覧表の作成に時間を費やした。午後はそれらの数表を多色刷りのわかりやすい棒グラフと折れ線グラフに描き分けて、グラフごとに本文とは別に解説の短いキャプションを付けた。一通り終わってから、目盛りを変えたり、フォントを拡大させたり、縮小させたり、カラーリングを変えたり、さまざまなグラフの表示を試したりして、最適と思われる図表を選択した。
夕方、帰宅する間際になって、シュトゥーバの質問に対する回答を書いていないことに気づいたが、どう盛り込めばいいのか、アイディアが浮かばなかった。
翌水曜日の午前中は、原稿をもう一度ブラッシュ・アップする作業にあてた。シュトゥーバの質問に対する回答を除き、午後になると原稿はほぼ完成し、手持ち無沙汰になった。金井も土岐の作業に気を遣ってくれているようで、雑用を言いつけてこない。作業が終わったと言えば、雑用を押し付けられることが予想されたので、もう一度報告書を通読することにした。読みながら、収支結果を導く際に使用したさまざまな前提をどう書きこむか考えた。結論は、王谷に強要されたように書きながら、しかし、良く読めばプロジェクトが大赤字であることをどのように表現するか、土岐は迷った。
作業に集中しているときは気付かなかったが、自分のつたない英文を読みながら、福原が少女のような甲高い咳払いをしたり、金井が間歇的に鼻水をすすったりする音が気になった。一通り読んでみて、何かが欠けている気がしてならなかった。
〈画竜点睛を欠く〉
という言葉が頭の中を徘徊していた。ぼんやりとはめ殺しの分厚い窓の外の曇天を眺めていると、空港まで見送りに来たシュトゥーバとその子どもの顔が思い出された。生活環境の変化のせいか、数日前のことが数週間前のことのように思われた。
昼過ぎに、
〈Kakusifile〉
からメールを受信した。
@現地調査、ご苦労様でした。当方で事前調査した通りの状況のようです。今回のフィージビリティ・スタディは、日本からのODAの正当性を説明する資料として使われる予定です。国会の予算委員会で審議の対象となることはないとは思われますが、償還されるあてのない援助を供与することは国民の血税を詐取することになります。このまま、プロジェクトの黒字を擬装した報告書を提出することは、その詐取に加担することになります。日本の納税者のためにも、被援助国の国民のためにも、このプロジェクトは破綻させなければなりません。あなたが正義を貫徹することによって失う利益は、成功報酬の90万円では少ないかもしれませんが、正確な報告書を作成し、このプロジェクトが巨額の赤字を生み出すことを明記してください。残額の90万円と現地経費の10万円はお約束通り、間違いなくお支払いすることを確約いたします。なお、完成した報告書はこのアドレスに添付ファイルとして送信してください@
土岐はもう一度問題を整理した。国鉄省の作業所で最初にシュトゥーバに説明したキャッシュ・フローは大幅の赤字だった。次に、国鉄総裁室でプレゼンテーションしたときには大幅の赤字が小幅の黒字に化けていた。その根拠をシュトゥーバに質問されて、後日報告書の中で答えると言ってお茶を濁した。
(シュトゥーバはそのことをおそらく忘れてはいないだろう。見送りに来た空港で念を押したくらいだから)
と記憶を反芻した。しかし、赤字を黒字に転化させた詳細については、報告書に盛り込まないことを王谷から言い渡されている。シュトゥーバへの回答を報告書に何らかの形で書くべきかどうか、決断がつかなかった。
「書くな」
という王谷の指示は業務命令であるから、扶桑総合研究所から報酬を受取る以上従わざるを得ない。
(しかし、そういう組織の論理を厭うからこそ、営利企業への就職を回避し、モラトリアム人間として大学院に進学したのではなかったのか。だが、そういう自分の来歴は王谷の指示に反旗を翻すほど自分にとって重要なものなのかどうか。大学院の博士課程後期課程を修了してオーバー・ドクターの身分にある自分にとってどれほどの意味を持っているのか。王谷の指示に従わなければ、残金の90万円が成功報酬として入ってくる。王谷の指示に従えば、これからも扶桑総合研究所からのアルバイト収入を期待できる)
という思いが頭の中を幾度も駆け巡った。
1時間ばかり、とつおいつ思案してみたが、結論は出なかった。思考の焦点の合わないまま、茫然としていると、福原が脇を通り過ぎながら声を掛けてきた。
「どうしたの?アイディアが浮かばないの?」
「いえ・・・あることを書こうか、書くまいか、迷っているんです」
と答えたが、言い終えないうちに通り過ぎて行った。そのとき、
「やるべきか、やらざるべきか、迷ったときはやるべきだ」
という母の言葉を思い出した。そこで、シュトゥーバへの回答を報告書のどこかに、何らかの形で書き込むことを考えた。しかし注については、王谷から、
「学術論文じゃないんだから、脚注は極力つけないように」
と申し渡されていた。脚注以外に書き込むとすると、チャプター8の章末にアペンディクスとして添付するほかにない。土岐はプロジェクトの現在価値が黒字となるために想定した数々の前提だけを簡単に列挙することに決めた。こじつけのようだが、注とアペンディクスは違う。そう土岐は自分に言い聞かせた。
慎重にアペンディクスを書き加えると、5時近くになっていた。そこで、扶桑総合研究所の鈴村に電話を入れた。
「土岐です。たったいま、報告書が完成したところです」
「あっ、そう。どんな具合?」
と鈴村は電話口で口元を綻ばせていることを推察させるような声音で言う。
「なんとかなりました。それで、あすの木曜日中にACIにメールの添付ファイルで送信するんですが、その前にちょっと見てもらえますか、確認までに・・・」
「まあ、体裁だけなら・・・内容はコメントできないと思うけど・・・」
「それから、同じファイルを砂田さんにも送信しておいた方がいいですか?」
「ああ、そうしてくれる。それじゃ・・・」
電話を切ってから、鈴村と砂田の名刺にあるアドレスにできたばかりのファイルを添付して送信した。ついでに、
〈Kakusifile〉
のアドレスにも調査報告として送信した。現地で、シュトゥーパの息子に渡した数万円相当の金額を、現地経費として請求することにした。
十二 最終報告書
土岐は事務所から木曜日の午前中に再び鈴村に電話を入れた。
「おはようございます。土岐です」
「あっ、おはよう」
「どうでしたか、報告書の方は・・・」
「まだ、パラパラと見ただけだけど、砂田君に聞いたら、
『いいんじゃないか』
って言ってたよ。
『たいしたもんだ』
ってさ。
『さすが、岩槻ゼミのドクターだ』
って感心していたよ。まあ、お世辞だと思うけど・・・」
「そうですか、ありがとうございます。それじゃ、このファイルをこれから、ACIに送信します」
と言って電話を切った。それから、添付ファイルで丸山のアドレスに送信してからコピーを1部プリント・アウトして、金井に提出した。
「とりあえず、こんな報告書を提出しました」
金井はコピーを指をなめながら一枚ずつめくる。
「へーっ、たった3日で書き上げたの。全部で四十ページもあるんだね」
「それで、事後承諾で申し訳ないんですが、わたしの肩書きは扶桑総研の嘱託ということでよろしいでしょうか」
そう言うと、金井は眉根をすこし寄せて、しばらく考えて、
「それは、扶桑総研の要望なの?」
と聞いてきた。
「いえ、ACIの要望です。扶桑総研が財務分析をしていることに意味があるとかで・・・」
「まあ、うちとしては、契約書通りお金が入ってくるのなら、とくに差し支えないですが・・・」
と言いながらも、右の眉毛をすこし吊り上げて、なんとなく釈然としない面持ちだった。
翌週の月曜日、土岐の東亜クラブのアドレス宛に丸山から報告書全体の添付ファイルが送信されてきた。
〈土岐明様、出張ならびに報告書執筆ご苦労様でした。おかげさまで、予定通りに報告書が完成し、さきほど現地の扶桑物産の南田さんに送信したところです。ハードコピーは南田さんが製本して、国鉄省に提出することになっています。なお、同じものを添付ファイルとして送信しましたのでご確認ください。丸山憲一〉
さっそく、添付ファイルを開いてみた。タイトルは、
〈Final Report for Consulting Engineering Services for Electrification of the Suburban Railway Network〉
となっていた。執筆責任者は、
〈Asian Consultants International in Association with Electric Consulting Co. Ltd. and Fuso Research Institute Co. Ltd.〉
となっていた。
プリンターのインク切れと紙切れもあって、全部プリント・アウトするのに三十分以上もかかった。A4で四百ページを超える大部だった。とりあえず第8章の仕上がり具合をチェックしてみた。印刷はページが通し番号になり、フォントが変わっている以外は、土岐の草稿そのままだった。念のため、一ページずつ確認した。本文が終わり、最後のページをめくると、
〈Station Abbreviations〉
の一覧表になっていた。世界のエアポート名と同じ要領で、百近い駅名が3文字のアルファベットの略称になっていて、その正式駅名がアルファベット順に並んでいた。その次のページは裏表紙で、ACIのロゴがプリント・アウトされていた。土岐はもう一度、目次を確認した。土岐が草稿で最後のセクションの資金返済計画の後ろに付論としてつけた、
〈Appendix〉
が消えていた。もう一度、本文の末尾を見てみたが、矢張りアペンディクスは存在しなかった。ACIが意図的に削除したことは明らかだった。そのことに気付いたとき、胸の中をかきむしられるような疾風が渦巻いた。鼓動が早くなり、手首の脈動が隆起と陥没を繰り返しているのが目視できた。事務椅子の上で、上半身が椅子の軋みとともに上下左右に揺れ動くのが自覚できた。やがて、荒くなった呼吸音が耳に聞こえてきた。こめかみの血管が膨張するたびに耳の奥で頭蓋を締め付けた。心臓の鼓動が胸板を叩いている。事務室の明るさが空々しく感じられた。静かな空調音の流れる空気の中をゆっくりと浮揚しているような感覚に囚われた。
(これで九十万円の成功報酬はなくなった。この冬のボーナスが40万円足らずだから、母の白内障の手術は来年の夏のボーナスを待ってからとなる。しかし、来年の4月からは、年俸制になるから、ボーナスはなくなる。母は借金を頑固なまでに嫌がっている。月々の給与を少しずつ貯めれば、夏あたりに手術できるかもしれない。しかし、その間にも白内障は悪化する)
と思いながら、空港に見送りに来たシュトゥーバとその子どもの顔が脈絡もなく脳裏に浮かんだ。
(このままでは、プレゼンテーションの席でシュトゥーバに約束したことを破ったことになる。空港でも念を押された)
しかし、約束を守らないことがどういう意味を持ち、どういう結果をもたらすのか、土岐には想像できなかった。
(おそらく、シュトゥーバはぼくを非難するだろう。非難して、その後、どうするか?約束を果たすようにと、メールでも送信してくるか?それとも、黙ったままぼくに対して恨みを抱き続けるか?あるいは、抗議のメールをACI宛に送信してくるか?そうしたとしても、ACIはそのメールを握りつぶすか、適当な返信メールでお茶を濁すだろう。それよりも何よりも、このままでは実質的にぼくのレポートは組織の論理に押しつぶされたことになる。それは単にACIという一企業だけではない、官僚組織に牛耳られている国家の論理とODAに群がる産業界の論理でもある。それらに単年度契約の芥子粒のような財団法人の一研究員が、徒手空拳で逆らうことに何の意味があるのか?・・・しかし、営利企業に就職しなかったのは、そうした組織の論理に真理に基づく信念を曲げられるのを忌避したかったからではなかったのか?そのために母と共にあえてぎりぎりの生活をしてきたのではなかったのか?母はそれを知っていて、これまでぼくを支えてくれたのではなかったか?このままでいることは母の支援にも背くことになるのではないか?)
土岐の想念はざらついた胸の中を堂々巡りした。土岐は早速、
〈Kakusifile〉
宛てにメールを送信した。
@本日、最終報告書の全文がACIから送信されてきました。草稿段階では、プロジェクトを意図的に黒字にするために設定した前提を付録として章末に添付しましたが、ACIによってすべて削除されました。この前提を報告書に盛り込むことは、現地国鉄の財務副部長の要請でもあったのですが、ACIはそのことを承知で削除したようです。現時点では、プロジェクトを破綻の方向に誘導することは困難な状況です。御指示があれば、返信をお願いします。念のためACI~送信されてきた最終報告書を添付します@
メールを送信してから土岐は考えた。
(これでかりに残額の90万円が入ってこないとしても、別のプロジェクトの財務分析のアルバイトが扶桑総研経由で来年以降期待できるかもしれない。しかし、アペンディクスを削除されたまま、それを甘受することは、自分の現在ある状況を否定することになるのではないか?大学のゼミで2年間、大学院で5年間、客観的で正確なプロジェクト評価を追及することを研究してきたのではなかったか?)
という思いと、毎日テレビをしがみつくようにして見ている母の姿を哀れと感じる思いと、
(その思いを晴らすために何らかの行動を起こすことにどれほどの意味があるのか?)
という思いの間で、やじろべえのように揺れ動いていた。その意味付けに確固たる判断がつきかねていた。
(かりに行動を起こすとして何ができるか?丸山にアペンディクスの復活を申し入れるか?それによって丸山の立場を悪化させることになるかも知れない。扶桑総研とACIの今後の取引がなくなり、鈴村に迷惑をかけることになるかもしれない)
土岐がアペンディックスの復活を申し入れたとしても、丸山には何もできないであろうことが想像できた。決定権を持っているのはおそらく王谷だろう。王谷が編者としての責任でアペンディクスを削除したのであれば、王谷の考えが変わらない限り、アペンディクスの復活はありえない。王谷は現地にいるときから、プロジェクトの推進にマイナスとなるような情報は記述しないようにとの指示を土岐に出していた。報告書はすでに扶桑物産の南田の手によって現地の国鉄省に提出されているであろうことが予想された。
何をどうすればよいのか、思いつかない状態がその日の午後ずっと続いた。国鉄省の作業所で出会ったエンジニアの人々の顔が走馬灯に照らし出されて、頭の中を回転していた。これで仕方ないのではないかと思う次の瞬間、何かをしなければならないという思いが腹の底から沸き立った。
終業時刻間際に、ウエッブ・メールを開けると、
〈Kakusifile〉
から作業報告に関する次の指示が入っていた。
@財務分析、ご苦労様でした。残りの九十万円については、もうしばらくお待ちください。これは、最後の依頼ですが、当方でもこのプロジェクトについて検討したところ、ODAの対象とすべきではないという結論に至りました。とくに、ACIについては、従来から外国政府に賄賂を渡して、海外プロジェクトを受注するなど、不明朗な情報が錯綜しており、今回のプロジェクトは金額的にかなり巨額になることが予想されるので、野党や国税庁や会計検査院の追及の対象になることを事前に防ぐという観点から、現地での大使館やプロジェクト・マネージャーの容喙を排除した正しい財務分析を現地国鉄側に開示してください。方法は問いません。その結果報告をまって、残金と現地での経費をお支払いいたします。以上@
シュトゥーバの粗末な模造紙のような名刺を見ながら、土岐は当初の財務分析内容をどうやって開示できるか、考えた。現地国鉄への報告書にその内容を訂正したうえで盛り込むことは、王谷の手前、不可能であるように思えた。財務分析の内容が誤りであったという手紙を、国鉄総裁あてに書いた場合、それが理由でプロジェクトが頓挫したとなれば、扶桑物産の南田や現地大使館の白石や西原がその原因を突き止め、ACIから扶桑総合研究所を通して、激しいクレームの付くことが予想される。扶桑総合研究所が契約書の忠実義務違反だとして、土岐の人件費を支払わないと言って来る可能性もある。ACIが扶桑総合研究所への支払いを拒めば、扶桑総合研究所も東亜クラブへの支払いを拒まざるを得なくなるだろう。そうなれば、その原因は土岐が国鉄総裁宛てに書いた手紙の内容にあるという理由で、東亜クラブを1週間不在とした間の給与返済を求められるかもしれない。
しかし、何もしないで手を拱いていれば、残金の九十万円が受け取れず、シュトゥーパの息子にあげた数万円も経費として請求できなくなる。
勤務時間が終わり、帰宅時間となっても、土岐は妙案を思いつかなかった。
土岐は窓の外の真っ暗な東京湾をぼんやりと眺めていた。思案が極まって、何も手に着けることができなかった。金井の後ろのはめ殺しの分厚い窓の外に広がる空が漆黒に塗りこめられていることに気付いた。不意に体がなんとなく重くなると同時に、脱力感と空腹を覚えた。
帰宅の電車に揺られながら、シュトゥーバが電化計画が財務的に破綻していることを見抜き、計画の頓挫を主張してくれることを願った。今になって、シュトゥーバの息子に、現地の物価水準からすれば、高額の現金を渡してきたことをあらためて幸いと感じた。ただ、現地の風俗習慣として、現金を直接渡すことは礼を失することになるのではないかという一抹の不安が土岐の脳裏をかすめた。国によっては、現金を直接渡すことは失礼となることもある。土岐は、車窓を流れる東京の風景に眼をやりながら、そうでないことをひたすら願った。土岐には願うこと以外にできることは何もなかった。
十三 内定取り消し
十月も半ばの翌週末、東亜サロンで土岐が春学期だけ非常勤講師を務めている大学の理事長の講演があった。土岐が日本を離れている間に企画されたようで、急なイベントだった。その週の初めに会員企業にメールで案内を出し、その週末までにメールで出欠を取るという慌ただしさだった。その理事長とは土岐は面識がない。履歴書を見ると、専務理事と同窓で、年齢も近かった。しかし、その専務理事は先約があるとのことで出席せず、事務局長の金井が司会をすることになっていた。その理事長は東南アジアの新興大学との協定に熱心な人物で、学長と二人三脚で交換留学生制度を拡充し、日本における少子化を見越して、人口豊富なアジアの学生を取り込もうとしているという噂だった。
金曜日の夕方、6時過ぎ受付開始で、食事をしながら、7時から講演開始だった。土岐は、いつもの講演のときのように残業を覚悟したが、
「土岐君は海外出張で大変だったので、今回の講演は私の方でやりますので」
と金井が言ってくれた。しかし土岐は、新設学科の新任の件もあり、一度挨拶をしようと考えていたので、有難いようでもあったが、残念でもあった。文科省への申請は学長の業務ではあるが、採用の辞令を出すのは理事長だったからだ。それに、着任以来、講演の記録は土岐の仕事で、不定期ではあったが、年数回、土岐は講演会に出席し、後日、講演のテープを原稿に起こし、講演録を会員企業に配付していた。
金曜日の午後5時になって土岐が、東亜サロンの慌ただしさを横目に帰宅しようとしていると、福原が講師料を茶封筒に詰めていた。
「随分と、多いわね」
と呟く。講師料に規定はないが、多少名の知れた講師の場合は、通常の講師料の数倍になることはある。しかし、その大学の理事長はそれほど高名というわけではない。講演のテーマも、
「大学のアジア戦略」
で、東亜クラブの会員企業が食指を動かすようなものでもなかった。実際、出席のメールを送って来たのは十数社で、通常の講演会の半分もなかった。
その翌週の月曜日の朝、東亜クラブの事務所に出勤すると、金井に手招きされた。金井はそわそわとして、なんとなく落ち着きがない。深刻そうな、しかし、いまにも笑い出しそうな、言いようのない複雑な表情をしていた。窓際の応接セットに腰掛けようとすると、理事長室のドアを指差した。福原に聞かれたくない話だと直感した。土岐はドアを閉めた。
いつもの朝のように理事長室には誰もいなかった。寒いというほどではないが、まだエアコンの暖房を入れてないのでひんやりとする。専務理事はあと一時間もしないと出勤してこない。
理事長室の応接セットに相対で腰掛けると、金井が短い手を腹の前で組んで話し出した。
「けさ、銀行の方に扶桑総合研究所から入金がありました。とりあえず、現地滞在分だけで、報告書作成費は後日ということで、半額だけですけど、・・・まあ、報告書の作成、ご苦労様でした。全部英文だから大変だったでしょ」
と言葉では土岐の労をねぎらっていたが、表情はまったく違うことを語ろうとしていた。とりあえず、土岐は謙遜した。
「いえ、小説とは違いますから、凝った表現も必要ないし・・・むしろ、平明な英文でないと誤解のもとになりますので・・・それに財務分析の場合、数字自身にものを言わせるということで、使うボキャブラリーはそれほど多くないので・・・実際、中学生程度の文法と単語で書きました」
「そう・・・話は違うけど、いま君にお願いしている春学期だけの非常勤講師の講座だけど、・・・大学の学長から急な話があって、・・・来年度から、国際協力論を通年で私にまた担当して欲しいということなんですが、・・・よろしいですか?」
土岐はまったく想定していなかった話なので、どう返答していいか一瞬分からなかった。どういう話が学長から金井にあったのか、まったく想像がつかなかった。とりあえず、
「もともと、金井さんが担当されていた講座ですから、・・・でも、・・・申し遅れましたが、いまその大学の国際経済学部に学科を新設する計画がありまして、文科省に申請している新学科でのわたしの担当予定科目に国際協力論が組み込まれているので、現在の学科と新学科とで、同一科目名で担当されるということですか?」
「あれっ、・・・岩槻先生から聞いていなかったのかな?・・・この件については・・・詳しいことは岩槻先生がご存知だと思うんで・・・まだ、内定なんだけど、私は来年から専任教員として、その科目を担当することになっています」
嫌な予感がした。突然、目の前から理事長室のすべての色彩と音声が消えた。金井の顔も濃紺の背広も新聞の白黒写真のように脱色して見えた。急に視界が狭まり、金井の口元しか見えなくなっていた。耳の奥で軋むような金属音がした。クッションの効いたソファーの上で上体が重心を失って、回転速度を失った停止寸前のコマのように螺旋運動しているような気がした。激しい脱力感とともに、心から遠く離れたところから、やっと出てきた土岐の言葉は、
「・・・それは、・・・おめでとうございます。金井さんなら実務家としての業績が豊富ですから、新学科のメンバーとして最適だと思います」
という金井の大学就職を祝う言辞だった。
「いやあ、そう言ってくれるのはありがたい。君のことは今後ともケアしていくので、とにかく業績を増やしてください。こう言っちゃなんだが、うちの仕事はそれほど忙しくないので、これからもおおっぴらに内職して構いませんから・・・福原さんの目は多少気になるかもしれないけど、私が公認しますから・・・」
と金井は言うが、言葉の意味と声音の情感が一致していなかった。
「ありがとうございます。いつも後ろめたい気持ちで論文を読んでいました」
と言うと、金井はばつが悪そうに伏し目がちに立ち上がった。そのとき、福原がめずらしく、コーヒーを淹れて理事長室に入ってきた。外来の客がいないときに、コーヒーを淹れてくれることは滅多になかった。
「どうもありがとう。そっちで飲むから・・・」
と金井は福原の入室を制した。福原は様子をうかがうためにコーヒーを淹れてきたようで、
(なんだ、つまらない)
というような落胆の色が顔に出ていた。
理事長室を出るときに金井がついでのように土岐に声をかけた。
「それから、これは今週いっぱいでいいんだけど、先週の金曜日の講演録を原稿に起こしてもらえるかな」
「はい。分りました」
と土岐は力なく答えた。土岐は、なにも考えることができずに、自分の机に悄然と戻った。すぐ外線があって、福原が電話を取り次いでくれた。
「岩槻です。いま、いいかな」
といつものように挨拶も前置きもない岩槻の声だった。
「おはようございます。いま、だいじょうぶです」
と心の動揺を推し量られないように土岐は感情を殺して言った。
「きのうの夜、新学科主任予定者の村角先生から電話があって、・・・君の文科省の審査だけど、委員の一人から、言いがかりがついてね、業績が不足しているという理由で、差し替えを要求されたようだ」
「さっき、聞きました」
「金井事務局長からかな?」
「ええ」
「まあ、急を要するんで、君が持っている講座を以前担当していた金井事務局長で間に合わせようということで学長が本人に打診したら、二つ返事でOKが出たそうだ。わたしゃ、君に講座を譲ったくらいだから金井事務局長にその気はないかもしれないと思っていたが、・・・そうじゃなかったようだ。ようするに、非常勤は講師料も安いし、時間も食うし、ということで君に譲ったが、専任教員なら話は別ということのようだ。教授で申請するか、准教授で申請するか、学長の判断次第だが、そうすると教員構成上、ただでさえ少ない専任講師がさらに少なくなるわけで・・・平均年齢もあがるし、・・・君をリジェクトした理由がよう分からん」
「いろいろお世話いただき有り難うございました。業績の少ないのはわたしの責任ですから・・・自業自得だと思います」
と感情を押し殺すように話しながらも、体中の血管は激しく拡張と収縮を繰り返していた。
「いやあ、クレームをつけた審議委員は、国立大の先生らしいんだが、・・・そういう場合は、自分の弟子をねじ込むのが一般的だが、・・・ちょっと調べたところでは、金井事務局長とその審議委員の先生とは同窓ではあるが、直接関係はなさそうだ。金井さんとは学部も違うしね・・・まあ、同窓だからどこかで繋がっているのかもしれないが・・・そのうち、新学科主任予定の村角先生から君に正式に断りの連絡があるかも知れないけど・・・」
「また来年どこかの大学にアプライします。今回は本当にいろいろと、ありがとうございました」
「それに,聞くところによると東亜クラブの存続は危ないらしいね。沈みかけた船からは最初に鼠が逃げ出すというけど,金井さんは鼠ということかな。そういう情報は君より早くキャッチしているだろうし・・・これは、仄聞だけど、金井さんの子供は難病らしいね。保険がきかないんで、大変らしい。・・・じゃ」
「そうですか」
と言い終えないうちに電話は切れていた。いつものように別れの挨拶のないのは岩槻の流儀だった。話を持って来てくれたのは岩槻だったので、不首尾であったことが岩槻自身で面白くないのかもしれない。土岐がいなくなれば、新設学科に赴任してきたとき、顎で使える子分がいなくなる。専任教員としての土岐の存在は、岩槻にとってなにかと便利なはずだった。金井の子供が大変らしいということは、いつだったか福原から小耳にはさんでいた。そのときは、
「金井さんのお子さんって、問題みたいよ」
というような話だったので、土岐は不良か、不登校か、勉強嫌いかぐらいに思っていた。
1時間ぐらい、なにも手につかない放心状態が続いた。スカスカの空白が脳裏に広がっていた。徐々にではあるが、新設学科の専任教員の就職口がご破算になった現実を受け止めようとする心理状態になろうとしてきた。専任教員のメンバーからはずされた理由は考えても仕方のないことだし、愉快なことではないので忘れようと努めた。忘れるために、金井のあとの事務局長ポストのことを考え始めた。
(金井さんがいなくなると事務局長をだれがするのか?専務理事が息の掛かった天下りを呼び込みそうだが、それができなければ、ぼくに声の掛かる可能性もあるかもしれない。現時点ではほかに人材はいない)
大学就職を母に伝えることを楽しみにしていたが、その可能性がなくなった以上、東亜クラブの事務局長就任に希望を繋ぐことにせざるを得なかった。事務局長になれば月給も倍近くになるので、生活にかなりゆとりが生まれる。一日中、節約のため外出することなく、白内障の眼で朝から晩までテレビを見ている母に白内障の手術を受けさせ、温泉旅行のような、テレビ以外の楽しみを提供することができるかもしれない。お金をあげても使おうとはしないだろうが、嬉しそうな顔をするであろうことは想像できた。親孝行を何一つしていないという強く、後ろめたい思いが土岐にはあった。
土岐は大学の専任の件は、母には言わないでよかったといまさらながら思う。言っていれば、期待だけ持たせて、落胆させていたところだろう。事務局長就任の件も土岐が希望的観測で勝手に願望していることで、このことも母には言わない方がいいと思う。しかし、この希望的観測は土岐の心の傷をいやすのに多少効果があった。
その日の午後、金井と専務理事は一、二時間、二人だけで理事長室で話し込んでいた。たぶん、文部科学省の審査が通ったら、東亜クラブの事務局長職を辞すという話だろうと思う。事務局長の後任人事が話題になっているのかもしれない。専任教員となっても、一週間まるまる大学に拘束されるわけではないから、理事長の篠塚のように、週二、三日は嘱託のような形で、東亜クラブの雑務を消化することができるだろう。事務の引き継ぎもしなければならない。土岐が後任になれば、事務の引き継ぎはスムースに行える。東亜クラブには基本的にたいした業務はないので、金井が事務局長でなくなっても、それほどの問題は生じないだろう。
その日の夕方、東亜クラブのリーフレットが出来上がってきた。予定よりだいぶ納品が遅くなったが、河本印刷の外回りに悪びれた様子はない。今回に限ったことではないが、東亜クラブの発注額がわずかであるため、他の仕事を割り込ませていたようだった。出来上がったリーフレットを金井と福原に一部ずつ持って行った。二人とも一瞥しただけで、とくにコメントはなかった。福原はなんとなく状況を察知したようで、土岐に対する態度が妙によそよそしくなっていた。そう感じるのは土岐の邪推なのかもしれない。
高層ビルの窓の外はすでに夕闇が支配し、隣り合うビルの窓灯りが明るさを増していた。レインボーブリッジにも明かりがともされた。部屋の照明にも外界の照明にも目の細かい網がかかっているようで土岐の視野を重く深い闇がとり囲んでいた。外界の闇が濃くなるにつれ、鏡のような窓に映る事務所内の光景が次第にコントラストを強めてきた。
帰宅までの通勤電車の中の景色もいつもと違って見えた。車内広告のカラフルな色彩が鼠色を帯び、空々しく思えた。駅に到着するたびに乗り降りする客の土岐の体への接触が悪意のあるもののように感じられた。
八王子駅で降りて、近くのスーパーマーケットでペットボトルの安い焼酎とスナックを買った。帰宅してから、その焼酎をコーラで割って数杯飲んだ。滅多に晩酌はしないので、何かがあったことに母は気づいて、しつこく聞いてきた。
「おまえ、なにかあったのかい?」
「なにもない」
「そんなことはないだろう。おまえが自分で酒を買ってきて呑むなんてことは、ここに引っ越してきてから一度もなかった」
「なにもない」
「言ってごらん。・・・言えば少しは楽になるよ」
「なにもない」
「なにかしでかしたとしても怒らないから・・・」
「なにもしていない」
と土岐は言い張って、しらをきったまま、したたかに酩酊して床に入った。アルコールの棒で頭を殴られたような感覚があった。専任教員を不適格と審議されたことを考えるとなかなか寝付けなかった。全人格を否定されたような気がした。そのうち考えることを変えて、事務局長職への昇進の可能性を思い描くと、知らないうちに寝入っていた。
翌日の火曜日の午前中、理事長室で、また金井から話があった。専務理事が出勤する前だった。最初はさえない顔をしていると感じたが、話を聞いているうちに同じ金井の顔が申し訳なさそうな同情の表情に見えてきた。
「きのうの夜、専務理事から私の自宅の方に電話があって、・・・私の後任が内定したそうです。専務理事が経産省にいたときのノンキャリの部下で、外務省からの出向だった人で、・・・それはそれでいいんですが、その人が、
『どうしても、もう一人直属の部下だった外務省のノンキャリの人を連れて行きたい』
と言ってるらしいんで、・・・そうすると予算的に、それだけで人件費がいっぱいになってしまうんで、・・・たぶん、君については、いまのところ来年度の契約を更新するのが難しいような状況になりそうで・・・」
金井の話を聞きながら、専務理事が土岐の机の脇を通り過ぎるときの表情を思い出していた。東亜クラブの業務がないとき、土岐はいつも研究論文を読んでいたり、非常勤講師の授業の準備をしていたりしていた。
(なにやってんだ?おまえ)
と言いたげな専務理事のさげすみの目つきが記憶に残っている。土岐は土岐で、午前十時過ぎにハイヤーでやってきて、午前中一杯新聞や雑誌を読んで、十二時過ぎると昼食に出かけ、午後二時ごろに帰ってくるとパソコンでメールを打ったり、ネットサーフィンをやったりし、午後四時過ぎにはハイヤーで帰宅する専務理事と話をするとき、敬意を表すことは極力しなかった。決して非礼な言動はとらなかったが、言葉の端々や表情の取り繕いで、土岐が専務理事を尊敬していないことは、察知していただろうと思う。権力を持つ人間に対して、心の底から敬意を表している言動を取らなければ、なんらかの報復があるであろうことは想像できたが、心にもない敬意を表することは土岐にはできなかった。媚びへつらうことすらもしなかった。そういう態度を尊大と受取られても仕方がないのかもしれない。一流国立大学卒の自負をもっている専務理事が、そういう土岐のような二流私立大学卒の部下に対して、便宜を図ることをしないであろうことは理解できた。
「それは承知しています。わたしの契約は単年度契約ですから・・・」
とざわざわと怒涛のように波打つ激情を抑えながら震える声で言った。
「申し訳ないね。まだ確定したわけじゃないけど、直前になって言っても、すぐにつぎのポジションが見つかるというわけじゃないから・・・まあ、早めに言っておいた方が、君も準備できるだろうし・・・私もアンテナを張って、君に適当なポストがないかどうか、気をつけていようと思うけど・・・扶桑総研の方はどうなんだろう?」
「声を掛けられてはいませんが、一応、当たってみます。・・・どうも長い間有り難うございました」
「いや、まだ確定したわけじゃないんで・・・それから、専務理事にお願いしたんだけど、今回の扶桑総研から振り込まれた金額は、来年の三月に慰労金ということで、そっくり君に渡そうということになりましたから・・・」
と言う金井の歯切れが急によくなった。
「そうですか、いろいろと気を遣っていただいて、すみません」
と礼を言わざるを得なかった。
「まあ、君は私と違ってまだ若いし、なんといっても本当の研究者だから、いずれきちんとした大学のポストが見つかるでしょう」
と金井は慰めるようなことを言ってくれたが、口先だけのことなので、土岐はすこしも嬉しくなかった。今後少子化が進み、大学の新増設はほとんどないというのが、常識になっている。金井もそのことは知っているはずだ。
今年初めての寒波が襲来していたその日の夕方、電話予約を入れて、扶桑総合研究所の鈴村に会いに行った。扶桑総合研究所の求人の状況を知るためだった。ACIの報告書作成依頼の話以降、会ってなかったので、挨拶の意味もあった。
五時半ごろ、受付を通さずに、直接鈴村の机の前に立ち寄ると、鈴村は机の周りをダンボールに放り込んだ報告書や書類に囲まれて、経産省のシンクタンク助成の企画書を書いているところだった。
「お忙しいところ、すみません」
と土岐が詫びを入れると、鈴村は壁に立てかけてあった折りたたみ椅子を出した。
「いやあ、・・・もう帰ろうかと思っていたところだ」
暖房の効きすぎなのか、鈴村は額に薄っすらと汗をかいている。
「ACIの件ではお世話になりました。非常に貴重な経験をさせていただきました」
「うん、そうでしょ。・・・書物の知識が机上の空論だって分かったでしょう」
「そうですね。知らなかったことがいっぱいありました」
と言いながら窓の外をちらりと見ると、晴海通りの夜の帳に広がる電飾の中を通勤帰りの人々が塊になって駅に向かって足早に歩いていた。土岐の心が風に舞う落ち葉のように揺れまどいながら落ち込んでいるせいか、気まずい雰囲気が感じられた。鈴村にいつもの陽気さがない。土岐の方から押しかけてきたので、土岐が用件を切り出すのを鈴村は待っているようだった。なかなか言い出す踏ん切りがつかなかったが、いつもは快活な鈴村が一向に話題を提供してくれないので、土岐は話を切り出さざるを得なかった。
「・・・話は違うんですが、・・・わたし、来年の三月に東亜クラブとの契約が切れるので、求人情報を探しているんですが、心当たりはありませんか?」
と言いながら、内心、扶桑総合研究所の求人に関する情報を聞き出そうと思っていた。
「うちも、来年はこの不況で、求人ゼロだよ。もっとも、・・・砂田君のところの、ACIがらみの仕事が継続されていれば、話は別で、・・・彼の下に、一人くらい、君みたいな人を採ってもいいかなあと、考えてはいたんだが・・・」
その話は以前聞いたことがあったが、一条の光を求めて、土岐は問い質さずにはいられなかった。
「ACIがらみって、いいますと?」
「今回の国鉄電化プロジェクトで、財務分析にうちが一枚からんでいるということにACIが執着したんで、・・・
『それじゃ、これからも、ODA関係の財務分析はうちでやりましょう』
ということになっていたんだ。そうなれば、
『英語のできない砂田君じゃ、きついだろう』
ってんで、部長会議で、
『一人、財務分析用に採ろうか』
という話が出ていたんだ。これが、本決まりになれば、当然君を第一候補にして打診するところだったんだが、・・・先日、向こうさんから、
『その話はなかったことにしてくれ』
という連絡があった。理由を言わないんで、・・・訳が分からないんだけど・・・」
言いたくなかったという思いが、鈴村のしんみりとした表情に表れていた。土岐の頭の中で、神経繊維が何本か切れるような微かな痛みが感じられた。
「わたしのレポートがまずかったんでしょうか?」
「そうなのかどうなのか、・・・なんらかの社内事情なのか・・・いくら聞いても言ってくれないんで・・・まあ、口約束だけで、ACIと正式に契約していたわけでもないし・・・そういうことで、・・・でも、君は貴重な戦力なんで、専門的な人手が足りなくなったら是非また協力して欲しい」
と鈴村は手のひらを返したように努めてあっけらかんとして言う。この話題からはやく逃れたいようだった。たしかに土岐にとってありがたくない情報をもたらした元凶は鈴村ではない。彼はそのことを早く忘れたいようだった。そのためには、彼の前に座っている土岐の表情から曇りが消えなければならないが、そういう芸当は土岐の得意とするところではなかった。土岐の顔色をうかがいながら話す鈴村の話に歯切れの悪さを感じた。何か言いよどんでいる気配を感じた。ものごとにあまり拘泥しないのが鈴村のいいところだが、いまはその言葉に虚しい響きしか感じられない。
「お邪魔しました」
と言いかけて、折りたたみ椅子を壁にかけたところで、鈴村がやっと本音の重い口を開いた。
「これは、・・・わたしの想像だが・・・今回の電化プロジェクトが、ひとまず、おじゃんになったのが効いたのかもしれないね」
土岐は立ったまま、鈴村を斜め上から見下ろした。
「えっ、・・・駄目だったんですか」
「そうらしい。詳しいいきさつは聞いていないけど・・・」
「そうですか・・・」
「砂田君が相当落ち込んでいる。彼は君についてなにか誤解しているようなんで、しばらくは会わないほうがいいかもしれないね。今日はもう彼は帰ったから大丈夫だけど」
それですべてが分かったような気がした。土岐の体の中を得体のしれない不快な塊がどろどろに融けて駆け巡っているようだった。
帰宅の電車の中で、土岐の身辺に起きたことのすべては王谷の陰謀ではないかと疑った。報告書を精読し、分析したシュトゥーバが財務分析のまやかしを見破り、プロジェクトの中止を国鉄総裁に進言し、国鉄電化計画はストップしたのだろう。その結果、王谷の指示で、ACIと扶桑総合研究所のODAがらみの業務提携が頓挫し、扶桑総合研究所の土岐のポストが消えた。一方で、白石、西原、南田の国立大学マフィアのコネクションで、文部科学省か審議委員の大学教授に手を回し、新設学部申請の教員リストから土岐の名前を削除した。新設学科の件は、王谷には直接話していない。インド料理店でこの件を話した相手は、白石と丸山だった。おしゃべりな丸山がこの件を王谷に話したとすれば、王谷が文部科学省に直接手を回したのかもしれない。さらに外務省ルートで、萩本専務理事のかつての直属の部下が外務省からの出向であったことを利用し、その出向者を事務局長にねじ込み、ついでにその部下を研究員として引き連れてくることで、土岐を東亜クラブから追い出すことに成功した。しかし、ACIと扶桑総合研究所の業務提携が破談になったことは王谷の権限の範囲内であるから、当然であるとしても、文部科学省と経済産業省のルートには疑問が残る。そのルートを王谷が利用することの意味が分からない。王谷には何の利益もないはずだ。むしろ、そういう工作をしたとすれば、工作を依頼した王谷の方に、借りができる。借りを作ってまでして、そうするメリットが土岐には分からなかった。
(ぼくのようなしがない財団法人の薄給の一研究員を追い落とすことにどれほどの利益が王谷にあるのか?画策に要するコストのほうが大きいのではないか?ぼくの存在を不快に感じている専務理事自身の画策かもしれない。その画策に金井さんがまったく異議を唱えなかったとすれば、金井さん自身もぼくを面白くない存在と思っていたのかもしれない)
かつて、金井から、
「専務理事にはきちんと挨拶をしたほうがいい」
というような注意を一回だけ受けたことがあった。土岐の専務理事に対する態度は金井の目にもあまったのかもしれない。それ以上に、その忠告は金井に対する土岐の態度についての暗示であったのかもしれない。
金井に対して決して無礼な言動をとった記憶は土岐にはなかったが、彼に対する尊敬の念がなかったので、敬意を表することをしない土岐の言動の端々に彼を不快にさせるものがあったのかもしれない。
王谷の陰謀については、丸山に連絡を取って、真相を確かめることも土岐は考えた。しかし、かりにすべてが土岐の推察通りであるとしても、それが解明されることになんの意義も見出せなかった。
翌日、土岐は先週末の講演の録音をテープに起こす作業を始めた。実際の講演を聞かずに原稿に起こすのは初めてだった。先週、金井が講演会出席の残業を免除してくれたときは、誰が原稿にするのか疑問だった。ひょっとしたら金井自身が録音を文章に起こすのかと思ったが、雑用はやはり土岐の仕事だった。リアルタイムで講演を聞かずに原稿にするのは少し厄介だ。金井はそのことを承知で、土岐の残業を免除したのかどうか、土岐には分らない。これまで土岐が講演を文章化したのは、多くが企業経営者や経済官僚の話で、教育関係者は初めてだった。土岐が春学期だけ非常勤講師を務めていた東京政経大学の理事長である金子留吉の話は格調が低かった。企業経営者がおカネの話をするのは違和感がないが、教育関係者が終始、お金の話ばかりをすることに土岐は違和感を覚えた。建学の精神や教育方針といった話題が一切なかった。来年度から土岐が受け持っていた春学期の講座は金井が担当することになるが、土岐は理事長の講演を聞いて東京政経大学と縁の切れることの未練が多少薄らいだ。
一通り、講演を文字に起こし、最後に口語を文語に変え、多少脚色し、表現も活字に耐えられるように変えた。土岐が着任したばかりのころ、アジアのある国で、張りぼての龍に眼を入れる儀式の話があり、これを土岐が、
「点睛の儀式」
という造語で表現したことがあった。講演者が言ってなかった言葉だが、校正のチェックをした金井には褒められた。しかし、最後に講演者自身の校正の段階で、この造語は削除された。
木曜日の午前中に講演録の最後の推敲を終え、コピーを金井に提出した。金井は、昼休み中に読み終えて、殆ど修正することなく、
「講演者にメールの添付ファイルで、本人校正をお願いするように」
と土岐に指示を出した。土岐は理事長の金子留吉のメールアドレスを聞いて、講演録を送信し、校正を依頼した。その返信があったのは金曜日の午後だった。数か所、手が入れてあった。大学の宣伝のような文言や講演時に話していもしないような挿話もあった。土岐は金井の了承を得て、そのまま講演録を作成し、会員企業に配送した。夕方近くにすべての作業が終了し、講演録を一部、保管用としてキャビネットにファイルした。ついでに終業時間まで十五分ばかりあったので、過去の講演録を見た。着任してからの講演録は土岐が編集しているので、それ以前のファイルを見てみた。着任以前の講演録の末尾には、
〈文責・金井〉
とあった。年度ごとの一覧表を見ると、土岐が着任してからと同様に、企業経営者が多く、ときどき東亜クラブの監督官庁の経済官僚も混じっていた。土岐が着任する1年前の外務官僚の講演が土岐の目を引いた。講演者名は三橋光夫、司会は専務理事の萩本になっていた。土岐はファイルごと取り出して、こっそりと自席で読んでみた。
〈本日は同窓のよしみで、萩本専務理事と金井事務局長に講演を依頼されました。萩本さんは大先輩で、金井さんとはキャンパスで接近遭遇したかもしれませんが、三歳ばかり違うので、同窓だと知ったのは、萩本専務理事の口利きです。しかし、これだけのコネクションでは講演のお声がかからなかったかと思います。多分、講演を依頼されることになった理由は、私自身が来年度からアジアの小国の大使として赴任することが内定したからであろうと思います。そういうことで、今夜のお話は、私の置き土産のような感じです。私自身は、国際政治そのものよりもODAに非常に興味がありまして、東亜クラブの会員企業さんにとって、多少ためになるようなお話ができるのではないかと思います。実際もう少し若い頃、ODAを扱う政府系金融機関に出向で行っていたこともあります。さてそろそろ本論にはいりますが、日本は第二次大戦後、戦時中にご迷惑をおかけした東南アジア諸国に対して、莫大な戦後賠償を行いました。まだ日本が高度経済成長を始める前の話です。以来、日本の経常移転収支はずっと赤字です。日本の歴史上、敗戦で賠償を支払うのは初めてのことでした。米ソの東西冷戦構造の影響もありましたが、アメリカが日本に対して終戦直後行った食糧援助が日本人のパン食を習慣づけ、その後の対米小麦輸入依存を定着させたのと同じように、日本政府も戦後賠償をその後の東南アジア諸国との経済関係を構築する方向で行いました。外交とはそういうものです。
戦略のない外交は国を滅ぼします。戦後賠償で東南アジア諸国に蒔かれた種は日本経済が復興を遂げてから、ODAに引き継がれました。最初から、純粋に経済的な観点からの援助ではなく、政治がらみの案件が常識になっていました。軍隊をもたない日本としては、援助が最大の武器になったのです。これはもう既に時効だから言うのですが、ODAは現地政治家の私腹を肥やし、その時々の現地政権を支援し、同時にODA関連企業を経由して日本の政治家の政治資金にキックバックされ、今日まで黙認されてきました。ODA関連の日本の企業にとっては公共事業のような役割も果たしました。国内の公共事業ですと、建築・土木・ハコモノに限定されるのですが、ODAであればより広い範囲の企業に税金を還流させることが可能になります。
たとえば、発送電・電信電話関係は国内公共事業としてお金をばらまくのはうまくないのですが、発展途上国であればインフラ整備という理由で膏薬を張り付けることができます。まあ、発送電は半分官業のようなものですし、電信電話もつい最近まで官業でしたから、お金をばらまく必要もなかったのですが、国内公共事業と縁のない産業・企業に対しては税金を使うに当たり、経済官僚にもなんとなく後ろめたいものがあります。高度経済成長期は税収も増え、国内公共事業に限らず、ODAのそうした不効率な資金の使われ方も容認されてきましたが、昨今の膨大な国債発行残高を背景として最早見過ごされなくなったというのが背景にあります。しかし、現在でもODAは交換公文等を介して、外交的に高度に政治的な判断で行われているのが実情で、その実態を調査することは内政干渉につながることもあり、同時に行政当局からも政治的な圧力がかかるのが一般的です。国内法規と対象国の法規、日本の政治家と相手国の政治家などが絡み合って、赤字財政だからと言って単純に削減できないのが実情です。ODAに求められる視点は、あくまでも経済合理性と税金の節約ということで、建前として国際政治的な視点は、それが本音であるという形では明示しません。かりに政治的に問題があったとしても、経済合理性にかなうものであれば問題とはしないというのがODAのスタンスです。今後とも東亜クラブの会員企業におかれましては、被援助国の経済厚生の向上につながるような案件がありましたら、当該国の大使館を通じて情報をいただければ幸いです。プロジェクトは一応国際入札という形式をとりますので、案件の仕様はできれば日本仕様でいただければ、日本国内で納付して頂いた法人税は合法的に迂回させることが可能になるものと思います。今夜は、ご清聴有難うございました。(文責・金井)〉
講演録を読みながら、土岐の背中に凍りつくような電流が流れた。パソコンの保存メールから、以前、
〈Kakusifile〉
から受信した文章を開いた。
@あまり、詳細を述べると当方の身元が明らかになる恐れがあるので、簡潔に調査報告書の書くべき視点について説明します。日本は第二次大戦後、東南アジア諸国に対して、莫大な戦後賠償を行いました。アメリカが日本に対して終戦直後行った食糧援助が日本人のパン食を習慣づけ、その後の対米小麦輸入依存を定着させたのと同じように、日本政府も戦後賠償をその後の東南アジア諸国との経済関係を構築する方向で行いました。戦後賠償で東南アジア諸国に蒔かれた種はODAに引き継がれました。純粋に経済的な観点からの援助ではなく、政治がらみの案件が常識になっていました。ODAは現地政治家の私腹を肥やし、同時にODA関連企業を経由して日本の政治家の政治資金にキックバックされ、今日まで黙認されてきました。高度経済成長期は税収も増え、そうした不効率な資金の使われ方も容認されてきましたが、昨今の膨大な国債発行残高を背景として最早見過ごされなくなったというのが背景にあります。しかし、現在でもODAは交換公文等を介して、高度に政治的な判断で行われているのが実情で、その実態を調査することは内政干渉につながることもあり、同時に行政当局からも政治的な圧力がかかるのが一般的です。国内法規と対象国の法規、日本の政治家と相手国の政治家などが絡み合って、単純な調査を行えないのが実情です。以上より、調査報告書に求める視点は、あくまでも経済合理性と税金の節約ということで、政治的な視点は求めません。かりに政治的に問題があったとしても、経済合理性にかなうものであれば問題とはしないというのが当方のスタンスです。できれば、誰がどのような無駄使いを画策しているか、首謀者は誰か、組織ぐるみであるとすれば、どのような組織か、証拠に基づいて調査し、プロジェクトを破綻の方向に誘導していただければ幸甚です。以上@
講演録と見比べてみると、講演録の内容の半分ぐらいが、メール本文にある。土岐は、
〈kakusifile〉
の送信者がこの講演録を見たことを確信した。会員企業数が現在とあまり変わらないとすれば、百数十社である。この講演録はそこに配付され、会員企業の誰かが見た可能性がある。土岐は会員企業名簿を開いた。竹内工務店を探してみた。名簿は五十音順で、竹内工務店はた行の最初に名を連ねていた。
(ということは、竹内工務店の誰かが、kakusifileの送信者ということか?)
講演録の直接的な関係者としては、三橋大使と金井だが、三橋という名前については、土岐は聞き覚えがあった。電化プロジェクトの現地打ち上げを大使館で行ったとき、土岐は体調不良で欠席した。そこの大使が三橋という名前であったような気がした。さっそく、外務省のホームページで確認した。確かにS国の大使は三橋光夫だった。
終業時間をとっくに過ぎていた。福原が不審な目つきで土岐の方を見ている。土岐は疑問を抱えたままファイルをキャビネットに戻し、帰宅についた。中央線の電車に揺られながら講演録について反芻した。
(S国の三橋光夫大使は東亜クラブで三年前に講演していた。萩本専務理事と金井事務局長と同窓だった。とすれば、今回の国鉄電化プロジェクトについて、東亜クラブと三橋大使の間で何らかの情報交換があったとしても不思議ではない。kakusifileから受信したメール内容と三橋大使の講演録はほぼ同じ文面だ。講演録は会員企業百数十社に配付されていた。とすれば、その議事録を見た人間がkakusifileの送信者のはずだ。誰だ?10万円が入っていた封筒の竹内工務店の誰かか?ACIの丸山の話では、今回の国鉄電化プロジェクトを立案したのは経済産業省から現地大使館に出向している西原とのことだったが、そもそも発案したのは三橋大使ではなかったのか?三橋大使が西原を使って、プロジェクトを推進しようとした考えることもできる。そうであるとすれば、三橋大使にとってプロジェクトが流産したことは面白くないはずだ。そこで一等書記官の白石から、僕が東京政経大学の新設学科の教員として文科省の大学設置審議会で審査されているという情報を得て、同窓の文科省の官僚と同窓の大学教授の審議委員に働きかけて、業績が不足しているという理由で、僕を教員審査で否とするように画策したのか。金井は自分が大学教員になりたい一心でそれに協力した。萩本は東亜クラブを自分の子飼いで固め、居心地をさらに良くするために、僕を来年度から排除する計画を立てた)
とそこまで考えて、土岐はため息をついた。今更ながら自分自身に何の対抗手段もないことに思い至された。
(だから金井は東京政経大学の理事長に僕を合わせたくなかったのだ。海外出張のためのねぎらいで残業を免除したわけではなかったのだ)
いつものように八王子駅前から路線バスに乗り、帰宅した。借家の周りには街路灯がないので、玄関は杉林の闇に覆われていた。唯一の灯りは隣家からもれてくる生活の照明だけだった。隣家の脇の細い路地を通って自宅玄関に立ったとき、家の中が真っ暗だった。帰宅時に母が家にいないことは滅多になかった。外出する場合は、かならず連絡をくれていた。
玄関の鍵を取り出して、手探りで鍵穴に鍵を差し込んで回してみた。開錠の感触がなかった。そのまま玄関の引き戸を開けると、寒々とした家の中は真っ暗だった。玄関の照明をつけると、台所に続く狭い廊下が闇の中にぼーっと浮かび上がった。その先で、エプロンをかけたまま、うつ伏せに倒れている母の足が見えた。これから夕食の準備に取り掛かろうとしていたのか、エプロンの紐が腰の後ろで結ばれていた。
土岐は鞄を廊下に投げ出した。
「どうしたの」
と玄関から靴を脱ぐのももどかしく、駆け寄った。母の背後から肩を揺すると、
「うーん」
と消え入りそうな声で唸っている。
「救急車を呼ぶよ」
と大声で言うと、かすれた声で、途切れ途切れに、
「大、丈、夫、・・・」
と聞き取れないほど小さな声で言う。
「救急車呼ぶよ」
と言い捨てて、固定電話で119に電話をかけた。すぐに出てきた。
「はい、119番です」
住所を言い、バス停前の道路から駐車場を隔てて、一軒奥の平屋だと教えた。
「道路に出て、待っています」
と言うと、
「十分程度で到着します」
という返答があった。それから、母の状況を聞いてきた。土岐は見たままを言うと、
「とりあえず、動かさないで、そのままにしておいてください」
という指示があった。電話を切ってから母の寝巻きと着替えを探した。それほど多くの衣類があるわけではないが、箪笥のどこに母の下着があるのか分からない。居間にあったガウンを母の背中に掛け、まだ取り入れていない母の洗濯物を買い物袋に入れ、母の老眼鏡と保険証と厚手の靴下を同じ袋に詰めた。他に必要なものを考えてみたが思いつかなかった。
都内に住んでいる叔母に連絡しようかとも思ったが、もうすこし様子を見てから電話することにした。母は叔母とはあまり折り合いが良くなく、普段からも没交渉だった。
台所に倒れた母は動かないままだった。毛玉だらけの緑のソックスをはいた足の裏が、小学生のように小さく見えた。台所の石油ストーブに火をつけようとしたが、灯油がはいっていなかった。薄ら寒い台所で救急車が到着するまで母の傍らにいることにした。
微かだが、呼吸している様子は窺えた。口元が動いたようなので、耳を近づけた。
「お、ま、え、・・・駄目、だった、よう、だね」
「何が?」
「・・・大、学」
「知ってたの?」
「さっき、岩槻、先生、から、電話・・・」
その電話が母が倒れた原因という確証はなかったが、岩槻には言わなくても言いことを平然と言う性癖があった。それで場が白けることがよくあった。岩槻に土岐が大学への就職に応募していることについて口止めをしていなかったので、一概に岩槻を責めることはできない。しかし、どういう言い方をしたのか、土岐は気になった。岩槻は人の気分を害さないようにうまく話しのできる人間ではなかった。あることをあるがままに何の脚色も修飾もしないで語る人だった。大学の研究者というのは、えてしてそうした者なのかもしれない。
「もう、話さなくていいよ」
母は息も絶え絶えに、苦しそうだったので、土岐は話しかけることをやめた。しかし、 母は話すことをやめなかった。
「たぶん、もう、・・・だめだと、思う。・・・あたしの、仕事は、・・・おまえを、きちんと、・・・育てる、ことだった。・・・おまえも、もう、三十すぎ・・・どうでも、いいような、生き方は、するなよ」
それは母の口癖だった。
「いい加減な生き方をするな」
とか、
「意味のない生き方をするな」
とか、
「正しいと信じる生き方をしろ」
とか、土岐がもの心のつく子どもの頃からそう言っていた。土岐が大学卒業と同時に就職することをやめ、大学院に進学したことに大きな影響を与えていたように思える。
博士課程前期課程のとき、土岐が狂おしいほど好きだった女性と別れた理由もそれにあったような気がする。彼女は大手不動産会社に就職し、土岐から見れば高い給料を得ていた。博士課程前期課程修了であれば、二浪扱いで多少の就職口もあった。彼女との結婚を選択するならば就職しなければならなかった。彼女と結婚し、きちんとした家庭を築き、社会人としての責任を果たす生き方はそれなりに意味のある生き方であろうとは考えた。しかし、そういう生き方は自分にとっては意味のある生き方であるようには思えなかった。その後、
「彼女は外資系の高給取りの外国人と結婚した」
とゼミのOB会で同級生から土岐は聞いた。
遠くからサイレンの音が途切れ途切れに聞こえてきた。玄関の門灯をつけ、サンダルを引っ掛けて狭いバス通りにでた。サイレンの音は次第に大きくなり、心臓の鼓動のように点滅する赤色灯が見えた。あたりはすっかり暗くなっていたので、片側一車線の道路の中央に出て両手を大きく振った。救急車はヘッドライトを煌々とつけ、土岐を認めると速度を落とし、二メートルほど手前で停車した。その後ろから、後続のライトバンの運転手が、迷惑そうな面持ちで追い越していった。
土岐は担架を手にした小柄な救急隊員二名を自宅に誘導した。救急隊員は玄関で靴を脱ぐと狭い台所に上がり、倒れている母の脇に担架を置き、母にメリハリのきいた声を掛けた。
「どうされましたか?」
母はかすかに唸っているだけで、言葉が出てこない。しゃがみ込んだ一人の隊員が母の手首で脈をとっている。もう一人の隊員が振り返って玄関に茫然と立っている土岐に聞いてきた。
「どうされたんですか?」
「外から帰宅してきたら、そこに倒れていたんです」
「そうですか。ひとまず、救急病院に搬送します」
と言いながら、二人がかりで母をうつぶせのまま担架に乗せた。
「付き添いをお願いします」
と言われるまでもなく、土岐は先刻用意した買い物袋を持ち、門灯をつけたまま玄関の鍵を閉めて、救急隊員に続いた。杉の枯れ枝を踏みしめながら歩くと隣家の主婦が洗い髪のまま詮索したげな面持ちで玄関から首を出していた。普段から会話をすることがほとんどなかったので、土岐は小さく会釈だけした。
狭隘な救急車の後部で横たわる母と一人の救急隊員と土岐の3人になった。窮屈な車内で土岐は救急隊員とともにベッドの傍らの長椅子に腰掛けた。
「なにか、持病はありましたか?」
と聞かれたので、
「糖尿病があります」
と答えた。
「血糖値はどのくらいですか?」
と聞きながら、運転手が搬送先の病院に電話しているのを傾聴している。
「最高で二百か三百か・・・そのくらいだと思います」
本当はよく知らなかった。
「倒れたのは初めてですか?」
「ええ」
運転手は、後部座席の会話に耳を傾けながら電話を掛け続けている。搬送先の病院がなかなか決まらないようだった。もう一人の救急隊員と母の病歴や生年月日や血液型についてのやり取りが、四、五分続いた。もう聞くことがなくなったようで、隊員は再び母に声を掛けた。
「土岐さん。聞こえますか?」
母は何も答えない。うめき声も聞こえてこない。耳を澄ますと微かな息の音がかろうじて聞こえてくるだけだった。救急車の屋根の上で点滅している赤色灯と同じようなものが土岐の頭の中で回転していた。やっと、救急車が思い出したようにサイレンを唸らせて走り出した。119番に電話してから、30分以上経過していた。
「たぶん、二次救急では対応できない症状なので、救急救命センターに向かいます」
と運転手が言う。救急車はゆっくりと走り続けた。交差点で赤信号に遭遇するとサイレンの音を大きくして、スピーカーで周囲に注意を促すが、逆に車の速度は低下する。
それから30分足らずで救急病院に到着した。救急車は救急病棟の車寄せに滑り込んだ。正面玄関だけに照明がともり、その両脇の部屋の照明は暗かった。看護師が二人、玄関先で待ち構えていた。折りたたみの担架が救急車から先に下ろされ、担架の足が延ばされた。看護師がかがみこむようにして歩きながら母の耳元で何かを囁いている。母は何も応えない。
担架は照明が半分落とされた薄暗い廊下の突き当たりの、浅黄色のカーテンだけで仕切られたベッドの脇で止まり、母が持ち上げられて病院のベッドに仰向けに移動させられた。周囲に同じようにカーテンだけで仕切られたいくつかの空間があった。白衣に手を通しただけの若い当番医が泰然と現れた。首に聴診器とセキュリティ・カードを下げている。母の目の中をペンライトでのぞき込みながら、
「わかりますか?」
とすこし大きな声で呼びかけている。母は答えない。担当医は、
「ご家族のかたですか?」
と聞いた。土岐に聞いてきていることにすぐには気づかなかった。すこし間をおいて、
「息子です」
とその担当医の背中越しに答えた。
「どうされたんですか?」
と何事も起こってないかのような落ち着いた声で土岐に聞き続ける。
「帰宅したら、台所で倒れていました」
「以前にもこういうことありましたか?」
と相変わらず、母を手当てしたまま、土岐を見ずに聞いてくる。
「いいえ、今回が初めてです」
「持病はありますか?」
と聞く担当医の胸のあたりに下がったネームカードが揺れている。
「糖尿があります。二百ぐらいだと思いますが・・・」
「このお年なら、多少血糖値が高くても、病気というほどではありません。痛がっていましたか?」
「いえ、さほど。帰宅したときは、もう意識がはっきりしていなかったようで・・・ふた言み言、口をききましたが・・・」
「気分が悪いというようなことは言ってませんでしたか?」
「・・・言ってなかったと思います」
「吐いた様子はなかったですか?」
「・・・倒れていたその場にはなかったと思います」
「・・・ちょっと、意識が遠いようなので、精密検査をしないと分からないですね」
と言いながら、キャスターのストッパーをはずし、母が横たわるベッドをカーテンの外に移動し始めた。付いて行こうとする土岐に看護師が、
「そこの椅子でお待ちいただけますか?」
とベッドを押しながら、廊下の薄茶色の長椅子を顎で示した。キャスターのきしみ音が廊下に寒々と響いた。看護師と若い担当医は廊下の右奥の集中治療室に足早に消えた。
腕時計をみると八時を過ぎていた。土岐は廊下の固く冷たい長椅子に腰掛け、自宅から持参した買い物袋を脇に置き、背広の胸ポケットから携帯電話を取り出し、岩槻に電話した。左耳に呼び出し音が十回近く鳴ってから、やんだ。
「夜分恐れ入ります。土岐と申しますが、岩槻先生のお宅でいらっしゃいますか?」
「はい、そうです」
と女性の声だった。たぶん、奥さんだと思う。
「岩槻先生はご在宅でしょうか?」
「はい、少々お待ちください」
と土岐を認知したような応答だった。正月に岩槻の自宅に新年の挨拶にうかがったときの奥さんのこぼれるような笑顔が思い出された。
待っている間に右手でネクタイを緩めた。首筋と喉元から冷気が侵入してきた。ぞくぞくっとしたので、左の肩で携帯電話を抑え、両手でネクタイをすこし締め直した。しばらくして、岩槻が出てきた。
「あ、土岐君」
「夜分恐れ入ります。先ほど、お電話をいただいたそうですが・・・」
「先ほどと言うか、夕方過ぎだったと思うけど、・・・君は帰っていると思ったけど、・・・お母さんが出られて・・・」
「帰りがけに、扶桑総研の鈴村さんにお会いしてきたもんで・・・」
「そう・・・君の文科省の審査の件だけど・・・その後、周りをあたってみたら、どうも誰かが手を回したようだ。名前までは分からないが・・・」
「やっぱり、そうでしたか」
「心当たりがあるの?」
「ええ、まあ、なんとなく・・・」
「学長と学科長予定者の村角にも聞いてみたけど、彼らもまったく知らないようだった」
「でも、何でそんなことをするんでしょうかね。たぶん、その人にとって、わたしを新学科のスタッフからはずすことは、何の利益もないはずなんですがね」
「きっと君はねえ、その人の不興をかったんじゃないかな。文科省に手を回せるほどの人物だから、それなりの人だとは思うけど・・・まあ、そこにもここにもいるという訳ではないが、・・・いるんだよね、そういう人って。・・・溜飲を下げるためというか、自分の腹の虫をおさめるためにだけ、持てる権限や権力の限りを使いまくるという・・・自分の腹の虫がおさまるのが、その人にとっての利益と言えは利益なんだろうけどね。・・・それなりの人物ではあろうが、誰もが煙たがっているような人物だ、たぶん」
と岩槻は他人ごとのように淡々と言う。
「そうですか、ありがとうございました。・・・これは、また、お願いなんですが・・・来年4月以降の職がなくなりそうなんで、お心当たりがあれば、ご紹介ください」
「あれっ、東亜クラブはどうしたの?」
「金井さんの後継の事務局長が部下を引き連れて来るそうです。わたしのいまのポストはその部下の人にあてられるそうです。先生には、せっかく、いまのポストを紹介していただいたのに、申し訳ありません」
「まあ、それは君の責任ではないだろうとは思うけど・・・」
と岩槻は言ってくれたが、土岐にまったく責任がないとは言えない。自分でも自覚はしているが、専務理事の萩本に限らず、土岐は、どんな人とでも良好な人間関係を維持し続けるという能力に決定的にかけている。媚びへつらうということができない。お追従も言えない。そうすれば相手が喜ぶであろうと承知していても、確信犯的に甘言を弄することができない。そうすることができなかったという意味では、自業自得のきらいがないわけでもない。
そのとき看護師が集中治療室から走り出て来た。とがめるような目つきで、携帯電話を耳にあてている土岐の前に立ち止まった。
「すいません、これで切ります。夜遅く失礼しました」
と口早に言って携帯電話のスイッチを切った。携帯電話を切り終わらない前に、看護師が言いとがめるように話しかけてきた。
「病院内では携帯の電源は切ってください」
土岐は慌てて携帯電話の電源をオフにした。看護師はそれを見届けて、
「患者さんはしばらく、入院していただくことになると思いますが・・・おうちに、他にどなたかおられますか?」
「いえ、わたしだけです」
と土岐はすまなさそうに言った。言ってから、なんですまなさそうに言わなければいけないのかと自問した。
「とりあえず、今夜は救急病棟ですが、明日、様子を見て一般病棟に移っていただくことになると思います。ここに、持ってきていただきたいもののリストがありますので、明日の午後に、ご持参いただけますか?」
そう言いながら看護師は、寝巻、着替え、洗面用具、保険証、救急費用などが箇条書きされたリストを土岐に事務的に手渡す。いつもそうしているような、言い慣れた言葉と幾度も繰り返されたような所作だった。土岐が帰ろうとすると、
「あ、それから、この用紙に書き込んでいただけますか?」
と言いながら、看護師は受診者カードを差し出した。土岐はそのカードの空欄に母に関する情報を書き込んだ。連絡先には、土岐の携帯電話を記入した。
十四 投函者
その夜、土岐は自宅に引き返した。自宅の借家にはいつも母といた。いつも母の生活の気配を感じていた。その母が、今夜はいない。ひんやりとした夜気に底知れない寂寥が漂っているような気がした。
土岐はパソコンを立ち上げて、メールをチェックしてみた。
〈Kakusifile〉
からのメールはなかった。電化プロジェクトが要望通りに頓挫したことを伝えて、残金の九十万円と現地での領収書不要の調査経費として十万円を請求することにした。
@電化プロジェクトが流産したという情報を、扶桑総合研究所から入手しました。つきましては、お約束の残金九十万円と現地での調査費として十万円、合計百万円をお支払いいただければ幸いです。お支払方法は手付金と同様で結構です。私事で恐縮ですが、本日、母が急病で入院したため、至急にお支払いいただければ幸甚です。土岐明@
土岐は必要なことだけを書いて、送信をクリックした。すぐ、警告音がして、
「メッセージは送信されませんでした」
というエラーメッセージが表示された。土岐は、送信済みファイルを開き、アドレスを確認した。
〈Kakusifile〉
と@以降のフリーメールのドメインのスペルを手帳に書き込んだメモと照らし合わせて確認したが、誤りはなかった。土岐はもう一度同じ文面で、メールを送信した。再び、警告音がして、
「メッセージは送信されませんでした」
というエラーメッセージが繰り返された。エラーの理由を確認すると、
「送信先のアドレスがありません」
となっていた。
土岐は手をキーボードの上において、今起こっていることの意味を考えてみた。
(もう目的を達成したので、アドレスを消去したということなのか?であれば、そのうち、残金は前回と同じ方法で送られてくるということか?しかし、そうであるとすると、現地で使った経費はどうやって請求すればいいのか?そういう申し出をしたことを忘れているのか?それとも、請求書のいらない経費はやはり認められないということか?あるいは、残金の支払いも必要経費も、約束しなかったことにしたいということなのか?)
と考えながら次第に不安になって来た。
翌日の土曜日の昼近く、土岐は前夜、看護師から手渡されたリストの品目を用意して、バスで病院に向かった。夜は気づかなかったが、病院は河川敷のほとりに立っていた。外来の休診日のせいか、閑散としていた。ナースステーションで昨夜、救急で運び込まれた者の家族だと説明すると、昨夜と違う担当の看護師が応対してくれた。
「もうしばらく、救急病棟で、一般病棟へは来週の月曜日以降になると思います。月曜日には担当の先生から、説明があると思いますので、来週また来ていただけますか・・・とりあえず、保険証と着替えは預かっておきます。それから、昨夜の、救急費用を会計で清算していただけますか?」
と言いながら、請求書を土岐に渡す。土岐はちらりと請求書に目を落として、
「母に面会できますか?」
と聞いた。
「いま、集中治療室なので、面会はできません。容態は安定しているようです。今日は、いくつか検査をする予定なので、付き添いはとくに必要ありません。月曜日までに、なにかあれば、こちらからご連絡します」
土岐はそのまま救急の会計で昨夜の費用を支払った。土岐の財布が軽くなった。
一旦、自宅に帰り、着信メールをチェックした。
〈Kakusifile〉
からの受信はなかった。このまま連絡が取れなければ、残額の九十万円と現地経費の十万円は入手できなくなる。母の入院費用がいくらかかるか分からないが、土岐の手許には現金が殆どなかった。
土岐はパソコンの画面をぼんやりと眺めながら、大学院の修士のときに知り合った男のことを思い出していた。大浜隆久という。大学院在学中から、システム・エンジニアのアルバイトにのめり込んでいた。途中から教室で見かけなくなった。最後に会ったのは、学生課の窓口で、彼が退学届を提出しに来たときだった。
「退学届を出さないと、除籍だとさ」
と不貞腐れたように言っていた。土岐と同年であったが、土岐を見下したような言い方だった。誰に対しても横柄な物腰で、同級生からも好かれていなかった。自分で自分を傍若無人と評していた。しかし、パソコンのプログラムや様々なソフトについては、教授すら彼に教えを請うほど熟知していた。
(大浜なら、kakusifileの主を追跡出来るかもしれない)
そんな一縷の望みが土岐の古い手帳の住所録をひも解かせた。数年前の携帯電話番号だったが、大浜がでてきた。
「土岐?・・・ああ、大学院のときの・・・」
と鼻先で話す。
「ちょっと、メールのことで、相談したいんだけど、会えるだろうか?」
大浜の口調が、傲慢なトーンに変わる。
「こちとらね、貧乏暇なしで、土曜日も出勤で、・・・」
「明日の日曜日はどうだろう」
「いや、明日はちょっと用事がある。今日なら、三時すぎには仕事の区切りがつくけど」
と言われて、土岐は大浜に会いに渋谷まで出向くことにした。大浜は土岐にとって最も好ましくないタイプの人間だった。土岐は相手の立場や心情を全く忖度しない人間が大嫌いだ。大浜はそういう傲岸なタイプの人間だった。
土岐はポケットに現金1万円を入れて配送されてきた竹内工務店の茶封筒を折り畳んでポケットにしまい、渋谷に向かった。
渋谷は学部学生のころには飲み歩いたが、学部を卒業してからは、遠のいた。道玄坂の雑居ビルの店舗は殆どが入れ替わっていた。土岐は途中の洋菓子屋でクッキーの箱を買った。道玄坂をのぼりつめて、飲食店街からはずれたペンシルビルに大浜の会社があった。玄関ロビーが歩道から10センチほど低くなっており、10平米ほどの中途半端な広さのエレベーターホールがあった。大浜は6階にいると言う。6階でエレベーターを降りると、目の前にOHエンタープライズというロゴの入ったドアが目の前にあった。土岐がノックをすると、
「あいてるよ」
という大浜の不遜な声がした。ドアの中には窓沿いに細長い部屋が広がっていた。幅2メートル、長さ10メートル足らずのスペースに、窓沿いに1列、横並びに机が置かれていた。大浜の机だけ、こちら向きにおかれ、顔の下半分がパソコンのディスプレーに隠れていた。
「おう」
と大浜は土岐を一瞥して横柄な声を出す。
「ご無沙汰してます。・・・仕事中どうも・・・」
と土岐が言うと、大浜は激しくキーボードを叩きながら、
「いま、終わるところだ」
と言う。土岐は、部屋の奥に進み、大浜の前の椅子に腰かけた。
「これつまらないものだけど・・・」
と土岐はクッキーの箱の入った包みを大浜の脇に置く。
「どんな用なの?」
と大浜は相変わらずキーを叩きながら、土岐の顔も見ずに言う。
「実は、メールアドレスの主を調べたいんだけど・・・」
大浜は何も答えない。暫時、沈黙が続く。土岐は仕方なく、続ける。
「そのアドレスにメールを送りたいんだけど、アドレスの主がアドレスを抹消したみたいで、メールを送れない。何度やっても、メールを送れなかったというエラーメッセージが出てくる。そこで、なんとか、メールの内容を伝えたいんで、メールアドレスの主を特定する方法を教えてもらえれば、・・・」
「アドレスは?」
土岐はメモ用紙を探した。
「何か紙がないかな?」
「いいよ。とりあえず、アドレスを言ってみて・・・」
「kakusifile@***.jp」
と土岐が言うと、素早い返答があった。
「あ、だめ。それ、フリーメールアドレスでしょ。そのポータルサイトを提供しているところは、個人情報のみかえりに、フリーメールアドレスを出しているから、当然、そのアドレスの個人情報を握っているけど、個人情報を守るということを掲示して情報を打ち込ませていることもあるし、なによりも、カネをかけているから、ただじゃ教えてくれないよ」
「いくら出せば、教えてもらえるのかな?」
「そのアドレスだけじゃ売らないよ。パッケージでロット単位で買わないと・・・」
「最低いくらぐらいで買えるんだろうか?」
「買う時は、年齢とか、性別とか、職業とか、住所とか、個人情報を特定化しないと、売る方も売りようがない。たとえば、お前の場合、ユーザ名がkakusifileという人物の情報が欲しいわけだが、それだと目的が特定の個人情報ということになる。お前がその個人情報をどういう目的で使うか知らないが、特定の個人の情報だけを提供すると、提供された個人があとで、
『なんで教えたんだ』
とクレームをつけてくる可能性がある。だから、その情報だけを売るということは絶対しないだろう。それに、そのポータルサイトを提供しているところは、自社で個人情報を十分活用して、採算が取れている筈だから、カネを出すからと言っても、まず、売ることも教えることもしないだろう。カネを払えば、指定した特性の登録者にメールを代理で送信してくれると思うけど・・・特定の個人に、というのは聞いたことがないな。広告メールのようなものなら可能性はあるかも知れないが、私信のようなメールだと、個人情報を提供したことがばれるから、多分だめだろう」
大浜は相変わらず、キーボードを叩いている。長髪の多いIT業界の関係者としては珍しく、坊主刈りにしている。外回りのやくざのような風貌だ。
土岐は思案に暮れた。大浜が話すたびに虫唾が走った。もうひと押しする気力が失せていた。土岐は、十万円が送られてきた宅配便の線から、
〈Kakusifile〉
の主を探すことにして、早々に大浜の許を辞した。不快さだけが残った。
道玄坂を下りながら、例の現金10万円が封入されていた封筒をポケットから取り出して子細に点検した。封筒には千代田区に本社のある竹内工務店の住所と電話番号が印刷されていたが、東亜クラブの会員名簿で確認するまで、土岐には全く心当たりのない会社だった。土岐とのつながりは、東亜クラブの会員企業ということだけだ。しかもその封筒は一度開封された跡があり、再利用されているように見えた。極秘のミッションを伝える封筒に印刷されている会社とその人間が何らかの関係があるとは考えにくい。封筒なんか何でもいいわけだから、竹内工務店の封筒は単なる廃品利用に過ぎないと思われる。そう考えると、発送者にたどり着くためには、その封筒が発送された場所を特定する方が最短であるように推察された。
土岐は渋谷駅前のネット喫茶に入り、その封筒を配送した運送会社のホームページにアクセスした。運送物のお問い合わせは、お問い合わせ番号を入力すれば出力される、という案内があった。土岐は手元の封筒に貼り付けてあるシールを見た。バーコードのシールが張り付けてあるだけで、お問い合わせ番号がない。
(この配送サービスの商品設計は、配送者が配送物をお問い合わせ番号で、知ることができる、という造りになっているのか)
と土岐は途方に暮れた。仕方なく、その運送会社のお問い合わせ窓口に電話することにした。5、6回コールがあって、女の声が出てきた。
「はい、コールセンターです」
「あのう、先日受け取った封筒の配送元を知りたいんですが・・・」
「それでしたら、バーコード番号から、当社のホームページにその番号を入力してください。お問い合わせ番号は、バーコードの最初と最後のアルファベットを除いた数字になっています」
封筒を見ると、バーコードの下に両端をアルファベットのaに挟まれた、十二ケタの数字が並んでいた。土岐はその数字をパソコンの運送会社のお問い合わせ画面に打ち込んでみた。投函されたのは、土岐が封筒を受け取った日の前日の午後六時から八時の間で、場所は新橋センターとなっていた。
(コンビニの店名がない。新橋センターは集配所ではないのか?)
そこに新橋センターの電話番号があったので、掛けてみた。
「はい、新橋センターです」
「お忙しい所すいません、いま、受け取った配送物の投函場所を確認しているんですが」
「はあ?」
と質問の趣旨が理解できないようだ。
「ネットでお問い合わせ番号を打ち込むと、投函元がそちらのセンターとなっているんですが、それ以前のコンビニの場所はどうやって調べればいいんでしょうか?」
「・・・すいません、どういう目的で、お調べになりたいんですか?」
「個人的にちょっと・・・」
「申し訳ありません。そうしたご質問にはお答えしないことになっています」
「でも、配送物を受け付けたコンビニに記録が残っていると思うんですが、・・・」
「ええ、確かに残っていますが、調べるのにかなり時間がかかります」
「調べていただけませんか?」
「申し訳ありません」
「じゃあ、エリアだけでも、教えてもらえますか?」
「一応、港区のほぼ全域を対象に集配しています」
土岐の体から力が抜けた。念のため、港区にあるその運送会社の系列のコンビニを検索してみると、全部で五〇店舗を超えていた。一旦諦めかけたが、その中の一店舗に電話してみた。
「はい、六本木店です」
「すいません。ちょっと、配送物について、調べているんですが、バーコード番号で、そちらの店から投函されたかどうか、わかりますか」
「ええ、わかります」
「それじゃ、これから番号を言いますので・・・」
「すいません。そういうお問い合わせには、お応えしていませんので・・・」
「じゃあ、どうすれば、確認できるでしょうか」
「そのバーコードをお持ちいただければ、スキャナで読み取りますので・・・」
土岐はそれ以上粘るのをやめた。出来ないことではないだろうが、スキャナで読み取れば一瞬だが、十二ケタの番号を電話で一つ一つ聞きながら入力することを要求するのでは、営業妨害になる。土岐は、五十数店舗の全てを踏破することにした。とりあえず、コンビニの店舗一覧から港区の店舗名をプリント・アウトした。
翌早朝、土岐はスニーカーを履き、ジャージーを着て、新橋に向かった。日曜日の中央線はすいていた。封筒の竹内工務店の本社が千代田区内幸町にあったので、最初に千代田区の内幸町に隣接するコンビニを当たることにした。
八時すぎに新橋駅で降りて、駅裏の貸し自転車屋でマウンテンバイクをレンタルした。
「五時までに返却願います」
と言う店員の声に送られて、そのレンタサイクルにまたがった。最初にそこから最も近いコンビニに行き、問い合わせることにした。
店員は二人いた。一人はレジで、もう一人は弁当の棚を整理していた。土岐はレジに並んだ。前に二人いた。弁当の棚を整理していた男性店員がもう一つのレジに駆け寄り、
〈隣のレジにお願いします〉
という案内のボードを取り除き、
「こちらにどうぞ」
と列を作っている客に声をかけた。土岐の前に並んでいた二人の客のうち、後ろの一人がそちらのレジに向かった。土岐の前のレジの一人が会計をすませ、土岐は列の二人目になった。前の一人が、数点の商品をテーブルに並べた。土岐はレジの二人の店員を見比べた。列に並んでいるレジの店員は若い女性で、アルバイトのように見えた。もう一人の店員は中年男性で、この時間帯の責任者のように見えた。土岐は、そちらのレジに移動した。移動して間もなく前の客の会計が終わった。男性店員は土岐の手に商品のないのを確認して、
「おや」
というような顔をする。土岐は、低頭して聞く。
「すいません。ちょっと、お聞きしたいんですが、この封筒がこちらから配送されたかどうか、確認していただけますか?」
土岐が差し出した封筒を受け取ると、店員はバーコードスキャナーをあてて、
「この店ではないですね」
と封筒を素早く土岐につき返す。
「どこの店か分かりませんか?」
と土岐が聞くと、店員はレジを閉じるボードを出しながら、
「さあ、わかりません」
と木で鼻を括るようにして、レジカウンターの外に出てきた。
新橋駅の周辺の他のコンビニでも、同じような回答が返って来た。東新橋と西新橋を回り、次に土岐は虎ノ門から元赤坂と赤坂方面のコンビニに向かった。発送者が政治家と関係のある者であれば、永田町に隣接するコンビニを利用した可能性があると考えたからだ。それぞれのコンビニの間には五百メールほどの距離があった。一時間で四店舗ほど回ることができた。午前中で二〇店舗近く当たってみたが、どこも、
「この店ではないです」
という返答だった。土岐は少し疲れていた。休憩を兼ねて、六本木のファストフッド店で昼食をとることにした。
あと三〇店舗ほど残っていた。六本木、北青山、南青山、東麻布、麻布台、麻布十番、南麻布、元麻布、西麻布、三田、高輪、白金、白金台、あたりは、心当たりの全くない地域だった。土岐は、昼食後、北青山から、西麻布を経由して三田と浜松町へ抜け、港南、海岸を北上するか、六本木から、芝公園と愛宕を経て、芝大門、芝、浜松町を先に回り、三田、麻布、青山へ北上するか、逡巡していた。あと、台場の店があったが、自転車では行けないので、行くつもりもなかった。可能性がありそうなのは浜松町だった。東亜クラブの所在地が浜松町だからだ。そういう意味で関係がある。他の地域は、まったく関係らしい関係のない所だった。
ハンバーガーを食べ終えたとき、青山から南下してゆくルートを選択した。このルートだと浜松町は最後の方になるが、新橋で自転車を返却しなければならないので、リスクが少ないように思えた。
四〇店舗を超えたあたりで、尾てい骨がサドルに擦れて痛くなった。
浜松町で、五〇店舗を超えたが、当たりはなかった。その店は浜松町の駅と東京タワーの中間にあり、東亜クラブのある高層オフィスビルまでは5百メートルほどあった。台場を除いた最後のコンビニは浜松町と新橋の中間にあった。
「もしや」
と期待したが、空振りだった。ゆりかもめに乗って台場まで行く気力も期待感も最早残っていなかった。あたりはすっかり暗くなっていた。ひんやりとした夜気にサイクリングの徒労感が重い疲労となって土岐の体を包み込んだ。
(どこかの店のレジのバーコードスキャナーが誤作動したのか?どこかの店員が面倒くさがって、調べたふりをしたのか?それとも、台場のコンビニなのか?警察の名前を騙ることができれば、電話1本で半日もあれば、こと足りた)
とついて出る言葉は愚痴ばかりだった。台場のコンビニについては、東京湾の向こう側で港区の飛び地のようなところだし、
「まさか、あんなところ」
という思いが強かった。
土岐は憤懣を込めてハンドルを強く握りしめた。自転車のライトを点けた。レンタサイクル店に向かう交差点から、新橋駅方向を見ると、本屋の隣に、運送会社の新橋センターの看板が見えた。その先にゆりかもめの駅があった。土岐は吸い込まれるように、そのセンターに車輪を向けた。
新橋センターは歩道から少し奥に倉庫があった。背後を見上げるとゆりかもめのホームがある。良く見かける軽トラックが歩道と倉庫の間に一台、路面にもう1台停車していた。右奥に狭い事務室があり、引き戸が開け放たれて、入り口わきの机の上に送り状などの書類が散乱していた。その机の奥に細長いテーブルがあり、女性事務員が電話していた。配送の確認の電話のようだった。土岐は電話の終わるのを待った。
電話が終わっても事務員は土岐の方を振り向かない。土岐は気づいていると思っている。事務員は忙しそうに伝票を整理している。土岐は仕方なく声をかけた。
「すいません。ちょっと、お尋ねしたいんですが・・・」
事務員はちらりと土岐を見上げて、
「すこし、お待ちください」
と言って、作業をやめない。コンビニの従業員とは対応が天と地ほど違う。二、三分してやっと事務員の手がとまった。
「ええと、なんでしょう」
と言いながら、回転椅子を少しずらし、上半身だけ土岐の方を向く。
「この封筒なんですが、お問い合わせ番号で追跡したところ、このセンターが集配場所になっているんですけど、今日一日かけて、管内のコンビニに聞いて回ったんですが、どのコンビニでも投函された記録がないんですけど、こちらのセンターが集配場所となるコンビニは、港区以外にもあるんでしょうか」
「ほんとに全部まわったんですか?」
と女事務員はわざとらしく、目を丸くする。
「ええ、台場以外は・・・」
「それじゃ、そこかもしれないですね」
と素っ気なく言う。
「台場の配送物もこちらで集配するんですか?」
「あ、すいません、台場は、江東センターで集配されます」
それを聞いて、土岐は合点がいった。いくら同じ港区といっても、東京湾の向こう側のコンビニの配送物を対岸の新橋で集配するのは合理的ではない。
(しかし、そうだとすると、この封筒はどこで投函されたのか?)
「すいません、ほかに投函するところはありませんか?」
事務員は中年女性だった。遠目には若そうに見えたが、目元に深い小じわが寄っていた。
「あるとすれば、ここ」
「えっ、ここでも投函できるんですか?」
「あんまりないけど、ここでも受け付けていますよ。駅からも遠いし、人の流れもないんで、近所の人しか、来ないけど・・・」
「じゃあ、この封筒がそうだと確認できますか?」
「ここでは、そのまま入力するんで、他のコンビニから来たものと一緒になるから、伝票を見れば確認できるけど、パソコンに入力しちゃうと、伝票を整理していないんで、・・・」
「分からないということですか?」
「いいえ、ほかのコンビニで受け付けていないと言うのなら、ここしかないでしょ」
「そうですか・・・ひと月くらい前なんですが、この封筒を持参した人を覚えていませんか」
女事務員は封筒をちらりと見て、呆れたような顔付きをする。
「さあ、事務をやっているのは私一人じゃないし、持ち込んだお客さんの顔はいちいち覚えようとはしないし・・・」
「でも、直接持参する人は少ないんでしょ」
「少ないと言っても、そこそこにはあるんで」
「この封筒は竹内工務店のものですが、投函した人の記録はありませんか?」
「レター便の場合、差出人の記名は必要じゃないんで・・・一応、宛名と差出住所が分かれば受け付けています。その封筒の場合、一応、竹内工務店が差出人ということになりますね」
と言いながら事務員は伝票処理をし始めた。土岐はそれ以上追及することを諦めた。
(もし、この封筒の受け取りを拒否していたら、封筒は竹内工務店に返却される。投函者はそういう可能性はないとふんでいたのだ。留守であろうとなかろうと、郵便受けに投函するから、宛名人が受け取り拒否する場合以外に、竹内工務店に配送物が返還されることはないということだ)
後味の悪い結末だった。消去法で、あの十万円が新橋センターから投函されたらしいということだけで、そうであるという積極的な証拠はつかめなかった。人物も特定できなかった。疲労感だけが残った。その上、残額の九十万円と経費の十万円の喪失感がその疲労感を増幅させた。
(なぜ、わざわざ新橋の配送センターで投函したのか?コンビニの方が客が多く、かえって人目につかないのではないか?配送センターでなければならない理由が何かあったのか?コンビニで投函してはまずい理由が何かあったのか?いずれにしても、新橋界隈に仕事場のある人物が投函者に違いない。それとも投函者はこの辺の住民か?そうでないとすると、新橋駅からわざわざここまで投函しに来たのか?)
土岐は自転車をレンタサイクルに返却した後、翌朝、竹内工務店の本社に寄ることにした。
十五 洋上の滴
月曜日の早朝、駅前の病院に立ち寄った。ナースステーションで母の容態を確認した。まだ集中治療室にいて、主治医が出勤していないので、詳細は昼ごろ分るとのことだった。それから東亜クラブに向かった。途中、新橋駅で降りた。日比谷通りへ出て、日比谷公園に向かって左側の小さなビルに竹内工務店の本社はあった。正面玄関の奥に、受付があったが、誰もいなかった。受付の奥に守衛室があり、小さな窓口が空いていた。土岐は守衛に声をかけた。
「すいません。ちょっとおたずねしたいんですが・・・」
窓口から剥げ頭が首を出した。
「まだ、本社の勤務時間は始まっていませんけど・・・」
「いえ、この封筒について、お聞きしたいんですが・・・」
土岐は守衛に封筒を差し出した。守衛は封筒を手にとって、
「これがなにか?」
と言いたげに土岐の顔を見上げる。
「その封筒、何に使われたか分かる人はいないでしょうか?」
「たぶん、これは総務だな」
と守衛はひとり言のように言う。
「ちょっと、総務に聞いてみましょうか?もう、誰か来ていると思うんで・・・」
と言いながら守衛はプッシュフォンのボタンを押す。
「あ、総務ですか?どなたか、封筒のことについて分かる方、いますか?・・・そうですか、ちょっと、来客で、なにか、わが社の封筒について、お聞きしたいことがあるとかで・・・ええ、それじゃ、お待ちしています」
と受話器を置いて、土岐に封筒を返却しながら言う。
「いま、これから総務の人が、こちらに降りてきますので・・・」
それから数分して、キャリアウーマン風のOLが守衛室に近づいてきた。
「こちらの方?」
と土岐を指差す。土岐は、その女性に頭を下げた。
「すみません。朝早く・・・」
「なんでしょうか?」
と言いながら、土岐の姿かたちを素早く品定めしている。女の目が土岐の手にある封筒を見ている。
「御社のこの封筒なんですが、何に使われたかわかりますか?」
土岐が差し出した封筒を女は手にとって、表と裏をしげしげと眺めている。
「これは、2次使用されてますね。宅配便で使用したみたいですが、この封筒の左上に、
〈ゆうメール〉
というのが印刷されていますよね。多分これは、IRで使ったものだと思います」
「IRと言いますと?」
「インベスターズ・リレーション・・・つまり、投資家向けの情報の発送用に使ったものだと思います」
「投資家と言いますと、株主ですか?」
「それがメインですが、これから株主になっていただきたい投資家向けにも情報を郵送しています」
「これから株主になってもらいたい投資家と言うと、どういう人ですか?」
「プロの場合は、ファンド・マネージャーや証券アナリスト、大企業の資金運用部の人とか、単純に資料を請求してくる一般投資家とか・・・たぶん、すでに株主になっている人向けには信託銀行に資料配布を委託しているので、この封筒は、株主以外ということになろうかと思います」
「株主以外と言う場合、何通ぐらいになるんですか?」
「今年の場合ですか?」
「ええ」
「わが社は決算が三月期なので、昨年度の財務諸表をまとめたのが、五月ごろで、資料配布が六月からだから、まだ、四半期しか発送していないので、多分、せいぜい千通程度じゃないでしょうか」
千通という言葉を聞いて、土岐は一瞬めまいを覚えた。
「全国に配送されたわけですよね」
「まあ、そうですけど、都内が殆どです。ほら、この封筒に窓口がありますよね。ここから宛先が見えるようにして郵送するんですが、・・・」
「配送先のリストを見せていただくわけにはいかないですよね」
と土岐が言うと、女は軽く目を剥いた。土岐も言った後で、後悔した。
「それはちょっと・・・どういう事情でお知りになりたいんですか?」
「個人的なことで・・・どうも、お忙しい所、すいませんでした」
東亜クラブには少し遅刻して着いた。咎める人はいなかった。自席についてから、フリーメールを提供しているポータルサイトから、ユーザ名、
〈Kakusifile〉
で登録してみた。このユーザ名が使用されていなければ、登録できるはずだった。すんなり、登録できた。かりに、このアドレスが誰かとの交信に使用されていたとすれば、メールを盗み読みすることができるかもしれない。ためしに、有料契約のプロバイダーから貰ったメールアドレスを使って、
〈Kakusifile〉
あてに、空メールを送信してみた。少し時間を要したが、フリーメールアドレスに着信した。
昼過ぎ、マナーモードの土岐の携帯電話が机の上で激しく蠕動した。土岐は携帯電話を持って廊下に出た。
「土岐さんの携帯ですか?」
「はい、そうです」
「おかあさんの容態が急変したので、こちらに至急来ていただけますか」
「はい」
と答えて、土岐は金井の許可を得るために事務室に戻った。金井は丸顔の中央に皺を寄せた渋面で書類を作成していた。土岐は金井の前に立った。
「すいません。いま、母が入院している病院から電話がありまして、すぐ、来てほしいということなんですが・・・」
「白内障の手術ですか?」
「いえ、先週末、自宅で倒れまして、救急搬送して、そのまま入院しています」
「そう」
と金井は渋面のまま、土岐を見上げている。
「早退して結構です。お大事に・・・」
と金井が言い終える前に、土岐は自席に戻り、帰り支度を始めた。
中央線に飛び乗って、八王子に向かう車中で、金井が言った、
「白内障の手術ですか?」
という言葉が気になった。金井が母の病気を知っているということは、土岐が金井に言ったに違いないとは思うが、土岐はそれを思い出せなかった。福原には言った覚えがあった。いつだったか、昼休みに福原と事務室で食事をしながら、
「目が老化すると白内障か、緑内障になるみたいね」
と福原が言ったとき、
「母が白内障なんですよ」
と言ったような記憶がある。
「早く手術を受けさせないと、悪化するので・・・唯一の趣味がテレビを見ることなんで、早く直してやりたいんですけど、・・・でも、いま、お金がなくて」
というようなことを言った可能性がある。そのとき金井は自席にいたかもしれない。金井はいつも昼食を1時近くにとる。地下の食堂街に出かけるのだが、混雑を嫌って土岐や福原と同じ時間帯には食事をしない。あるいは福原が何かの折にそのことを金井に話したとすれば、金井が母の白内障を知っていたとしてもおかしくはない。
土岐は直接、大学就職の件を金井に言ったことはなかったが、岩槻が金井に言った可能性がある。大学就職が確定すれば、土岐のポストの後任を探さなければならないので、そのことを金井に匂わせたとしてもおかしくない。もともと、東亜クラブの職を斡旋してくれたのは、岩槻が東亜政経学会で金井と面識があったからだ。岩槻にしてみれば、自分が紹介した事務員を自分の都合で大学に引き抜くのであれば、事前に断りの連絡をするのが常識だろう。いつの時点で金井がその情報を岩槻から得たかは分らないが、金井がその大学教員のポストを得るために、画策したとしても不思議ではない。金井は専務理事の萩本や現地大使館の大使の三橋や一等書記官の白石や経済産業省からの出向の西原と国立大学の同窓だ。大学設置審議会の同窓の委員に手を回したことは十分考えられる。
中央線沿線の住宅街を眺めながら、土岐は金井に出した年賀状の住所が、港区台場であったことを思い出した。土岐が東亜クラブに就職して間もないころ、理事長室の窓からレインボーブリッジを指差して、
「あの橋の先の海浜公園の先の高いマンションが自宅です」
と金井が語っていた情景がよみがえって来た。事務室の隣のサロンで現理事長の還暦祝いのパーティーを開催した夜、一度だけ一緒に帰宅したことがあった。そのとき金井はゆりかもめで始発の新橋から乗りたいと言って、新橋で降りた。普段は竹芝で乗り降りしているが、事務所から10数分も歩きたくないときや、どうしても台場まで座ってゆきたいときは、始発の新橋からゆりかもめに乗ると言っていた。金井が新橋で降りて、宅配業者に10万円入りの封筒を預けた可能性は十分にある。しかし、そのことを確認することに土岐は意味を見出すことはできなかった。かりにそれが真実であるとしても残額の100万円を金井に請求できる権利があるのかどうか、土岐には疑問だった。
金井は土岐に国鉄電化プロジェクトを破綻させるように誘導した。破綻の際には三橋、王谷、白石、西原が大学設置審議会の同窓の委員に口利きをすることを見込んでのことだ。東京政経大学の理事長を東亜クラブの講演会の講師に招聘し、多額の講演料を支払い、土岐を差し替えるように仕向けた。東亜クラブの事業が将来的に先細りになる状況では、金井が大学教員への転職を考えたとしても非難することはできない。それに金井は保険のきかない難病の子どもを養っている。土岐は、
〈Kakusifile〉
の送信者が金井だと断定した。しかし、直接金井と対決して、すべての事を明らかにしようという気持ちにはならなかった。もし立場が逆であれば、自分も金井と同じようなことをしていたような気がしてならないからだ。
中央線の快速に揺られながら、現在の苦境に至った原因を考えてみた。直接的な契機になったのは政権交代だ。これによって公益法人に対する補助金がカットされ、将来的な統廃合の方針が打ち出された。そうでなければ、金井も生活の糧を求めて大学のポストを土岐からかすめ取るために画策しなかっただろう。間接的には土岐の性格がある。上司や同僚や周囲の人たちに対して愛想もなく、おべんちゃらも言えない。組織の人事権を掌握している立場にある人間であれば、自分に対して尻尾を振る人間を重用するのはごく自然だ。土岐は心から尊敬できる人物に対してしか、お追従を言えない。理事長の篠塚に対してなら喜んでこびへつらってもいいと思っているが篠塚は東亜クラブの業務に関しても人事に関しても萩本と金井にまかせっきりた。篠塚は大学の仕事と研究活動で繁忙を極めていた。
八王子駅に着くと、駅前でタクシーに乗った。行き先を言うと、運転手が舌打ちした。病院までの一キロたらずの距離をタクシーを走らせた。タクシーを救急外来の玄関の方に着けさせた。救急外来の受付で要件を言うと、窓口の女性が電話で問い合わせてくれた。
「集中治療室のほうに行ってください。場所は分かりますか?」
土岐は場所も聞かずに、病室に向かって廊下を走りだして、集中治療室の扉を蹴り上げるようにして中に入って行った。さまざまな医療機器が所狭しと林立している中で、若い当直の担当医が茫然と立ち尽くし、心電図モニターのフラットな水平線を見つめていた。
それから何が起こったのか、土岐には断片的な記憶しかない。長い時間だったのか、ほんの数分のことだったのか、分からない。母の臨終をいつ担当医が告げたのか記憶がない。
若い担当医は、どういう言い方をしたらいいのか、戸惑うように、
「たぶん、症状からして、くも膜下出血だと思います。病理解剖を希望しますか?」
というようなことを言った。
「いいえ」
と土岐は答えた。いつか母が、
「死んだ後、切り刻まれるのはいやだ」
と言っていたのを思い出したからだった。父が死んだときも、父は献体してもいいようなことを言っていたが、母は担当医にそのことを申し出なかった。
「それでは死因は心不全でよろしいですか?」
「ええ」
担当医が言っている意味がよく分からなかったが、土岐はそう答えた。
「でも、くも膜下出血であれば、もっと痛がるはずなんですがね。・・・そういう様子はなかったですか?」
「ええ。・・・普段から我慢強い人で、不快な表情をすると周りにいる人も不愉快になるから、それが自分にも巡り巡ってくる。・・・だから、どんなに不快なことがあっても顔に出してはならないということを信条としていた人でした」
そう言いながら、我慢、忍耐、気配り、気遣い、思いやり、忖度、自己犠牲、という母を評するキーワードが脳裡にうかんだ。
「でも、痛いときには痛い、苦しいときには苦しいと言ってくれないと、診断を誤ることにもなります。・・・それから、到着がもうすこし早ければ、なんとかなっていたかもしれませんが・・・まあ、まれにたいした痛みを伴わない症例がないことはないんですが・・・」
と非は自分には一切ないということを強弁する。
母はベッドに横たわったまま看護師に付き添われて奥行きのある灰色のエレベーターで病棟地下の霊安室に移動された。カラカラとベッドの脚先の車輪が軋み音をたてる。急ぐ必要もないのに、看護師の歩き方が足早に思えた。地下一階は真っ暗だった。緑色の避難灯だけが煌々と灯っていた。看護師は薄暗さに目が慣れて来た廊下をベッドを押しながら、
「病室でなくなられたんなら、病室の方で清拭をしたり、着替えをさせたりするんですけど、いま病室の方、あきがなくって・・・ごめんなさいね」
と言い訳のようなことを言う。土岐の耳には、商品を取り違えて誤っているスーパーのレジ係の話のように聞こえた。職業だからその言葉に情動が感じられなくても仕方がないのかもしれないが、土岐の癇にさわった。
霊安室は廊下の突き当たりにあった。窓も備品もない殺風景な部屋だった。薄暗い照明の下で母の顔は深い眠りについているようにしか見えなかった。
立ちすくむ土岐の傍らで、看護師が囁くように言った。
「この病院と契約している葬儀社のほうで、あとのことは万事やってくれると思うんですが、・・・よろしいですね」
「・・・よろしいって・・・なにがですか?」
と土岐は言葉の棘を隠そうとしなかった。
「末期の水とか死化粧とか・・・その葬儀社に連絡してよろしいですか?それとも、どこかの互助会か何かに入っていますか?・・・一応、この病院内のことは、契約している葬儀社にお願いすることになっているんですが・・・」
「その葬儀社で構いませんが、・・・しばらく二人だけにしてもらえますか」
と土岐はこみ上げてくる怒りに声を震わせた。
看護師に罪はないとは思うが、彼女の言葉に土岐の神経が逆なでされた。彼女にとっては多くの死の中の一つに過ぎない。そうであれば、そういう情感しか言葉に込めることはできない。頭の中では分かってはいるが、こみ上げてくる感情の高ぶりを土岐は押さえ込むことができなかった。
看護師は霊安室を出た後、しばらくして母の私物を持って戻ってきた。ベッドの枕元の小さなテーブルの上に土岐が持参した買い物袋と母のエプロンを畳んで置いた。それから母の両手を胸の前で組ませた。
「清拭はこちらでしてもいいんですが、・・・いま救急外来の方で手がないもので、・・・申し訳ないです。・・・葬儀社への連絡は、そこの内線電話でお願いします」
と言い残し、電話器を指差して出て行った。電話器の傍らには連絡先の電話番号が、いくつか印刷されて、置いてあった。
土岐は、母の顔を漫然と見続けた。そのうちに、母が土岐に、ことあるごとに繰り返し言い続けてきた言葉が思い出された。
「つまらない生き方をするんじゃないよ」
「どうでもいいような生き方をするんじゃないよ」
「世間さまに恥ずかしいような生き方をするんじゃないよ」
「自分で自分を裏切るような生き方をするんじゃないよ」
「わたしの仕事はおまえを一人前にすることだった。わたしの仕事は大体終わった。あとはいつ死んでもかまわない」
「お母さんがいつまでもいると思うなよ。いずれ死ぬ。おまえだって、そのうちいつかは死ぬんだから・・・」
「わたしが死んでも葬式はしなくていいよ。無駄なカネは使うんじゃないよ」
「戒名なんかいらないよ。仏教なんか信じちゃいないんだから・・・」
(結局、母の人生は何だったのか。父のように晩年になってやりたかったボランティア活動をして、自分がため込んだ私財を使い切ったわけでもない。父は夫婦で築き上げた財産を殆ど使い果たして死んでいった。母にはわずかばかりの預金しか残らなかった。その預金も糖尿病の治療と白内障の診療で吸い取られ、自分がやりたかったことにつぎ込んだわけではなかった。ぼくが大学院に進学したために、金銭的に余計な負担を母にかけてしまった。学部卒で企業に勤めていればいくらかでも母に楽な生活をしてもらうことができたはずだ。ぼくを育てることが一生の仕事であったとしても、その息子がいまだに定職を得ていない。来年の四月から無職になる。そうであるとすれば、母の人生はなんのためにあったのか)
土岐は自分の罪深さに身動きができなくなっていた。土岐の周りの空気が凍り付いているように感じられた。考えることができなくなっていた。どれほどの時間がすぎたのかわからない。腕時計を見ようという気にすらならなかった。ベッドの脇に折りたたみの椅子を置き、ただ座り続けた。自責の念だけが、椅子から転げ落ちそうな土岐を支えているような気がした。
母の傍らの小さなテーブルの上の一番上に前掛けが折りたたまれていた。幼女のままごと用のエプロンのようにひどく小さく感じられた。上にそっと手を乗せると、冷たいポケットのあたりにごわごわとした感触があった。ポケットから取り出すと大判の絵葉書が二つ折りになっていた。宛先は扶桑総合研究所になっていたが、そこから転送されてきていた。絵葉書の写真はS国の海岸だった。波打ち際に地元漁師の小さな漁船があり、どこまでも続く真っ白い砂浜と清冽な青い海が写真の下半分におさまり、上半分には暑く蒼い空が広がり、その空にしみいるような白い綿雲が浮かんでいた。裏側の文面を見ると、文章は手書きの英文で、細かい字で書かれていた。差出人はシュトゥーバだった。
〈親愛なるミスター・トキ、君のおかげでわが国の国民は累積債務の塗炭の苦しみを免れた。君のアペンディックスは君の国の新聞社の特派員がわたくしに見せてくれた。その特派員は何度聞いても情報提供者の名前を教えてくれなかった。君の国では情報提供者の名前を絶対に明かさないとのことだが、君が提供したものだと信じている。なぜならば、この情報をわたくしは君に求めたからだ。君以外に一体だれがこの情報をわたくしに提供するというのだ。わたくしはこの情報を国鉄総裁や財務部長に見せて説明したが、プロジェクトを検討しなおす姿勢を見せなかったので、この情報をその特派員の助言にしたがってわが国の新聞社と中央銀行総裁に提供した。その結果、このプロジェクトは大統領の裁定でひとまず棚上げとなった。その特派員はこの記事を本社に送信したらしいが、本国の新聞には掲載されなかったそうだ。そこでこの絵はがきを書いている。
大使館のミスター・ミハシ、ミスター・シライシ、ミスター・ニシハラ、それに扶桑物産のミスター・ミナミダには随分と非難されたが、わたくしの判断は正しかったと信じている。いま、財務副部長の職を解かれ、一国鉄省員として働いている。給与はすこし減額されたが、空港で君を見送った息子には胸を張っている。その息子が君からもらったおカネは少し多すぎたので、返そうと思っていたが、そういう事情で使ってしまった。このおカネにも感謝している。ところで、写真は首都近郊の海岸の風景だ。太古の地球には海水はなかった。大海も最初は一滴から始まった。わたくしのしたこともその程度のことだろうと思う。しかし、一滴がなければ大洋は存在しない。君の一滴とわたくしの一滴がいつかどこかの海域で繋がることを祈っている。君の忠実なる友、カッシー・シュトゥーバ〉
土岐は、もう一度絵葉書の写真を見た。母は英語が読めない。母は郵便受けからこの絵はがきを取り出し、どんな思いで見ていたのか。母の戸惑いと潮のかおりが漂ってくるようだった。一度も行かなかったが、この海岸は国鉄省の作業場からそれほど遠くはなかったはずだ。おそらく、ふたたびS国に行くことはないと思うと、熱いものがまぶたにあふれた。写真が歪んで見えたあと、熱いひとしずくが写真の青い海の上にこぼれた。霊安室の薄暗い照明にきらめきながら、そのしずくは洋上に吸い込まれて行った。
〈完〉