土岐明調査報告書
一 ある調査依頼
肘掛のない事務椅子をすこしきしませて腰を浮かす。背伸びをするとウォーター・フロントの灰白色のビルとビルの隙間から東京湾の海水がまばたきをしているように見える。ときどき陽の光をはじいてレインボーブリッジに仕切られた海面がラメのようにきらめく。ブリッジの先にマッチ箱のようなお台場のビルが見える。オフィスの窓から眺められる潮風の風景は、文書のワープロ文字に疲れ果てた眼をほんのひととき和ませてくれる。
岩槻ゼミナールの土岐の先輩で、民間経済シンクタンクで産業経済部の部長を務める鈴村から一年半ぶりの電話があった。昼食を終えて十一階の事務所に戻ってきたときだった。経理の福原が下膨れの頬をすこし横にひろげて、いつものように取り次いでくれた。
「土岐さん、3番に外線です。扶桑総合研究所の鈴村さんからです」
「はい」
と答えて鼠色の受話器をとり、点滅する3番の内線ボタンを押す。
「土岐です。どうもご無沙汰してます」
とすこし期待を抱きながら事務的に答えると、受話器からはみ出しそうな野太い声がした。
「あ、土岐君、鈴村です。今晩時間ある?」
と大きな飴玉をしゃぶっているような懐かしい声がする。眼鏡からはみ出しそうな肉厚の丸い頬が眼に浮かぶ。
「五時以降でしたら・・・」
と土岐は探りを入れるように言ってみる。
「そう。そこ浜松町でしょ。5時半までに来られるかしら・・・」
と断られることを想定していないような抑揚で言う。
「有楽町のパレスサイド・パークビルですよね」
と言いながら、駅前の古びたビルの佇まいを思い出していた。
「うん」
と言う声音に、
(イエス)
という返答を待っているような余韻がある。
「残業はないと思うので、・・・たぶん行けると思います」
と言ったあと、
(もしも残業があったらどうしよう)
という軽いあせりが土岐の脳裏をかすめた。
「あ、そう。じゃあ、パレスサイドビルの5階で待ってるよ」
と用件だけ手短に言うと、鈴村からの電話はすぐに切れた。電話を取り次いでくれた福原の方を見ると、うす桃色の頬を下に向けて、素知らぬふりをしている。電卓を苛立たしそうに叩いている。彼女の性癖からして聞き耳を立てていたはずだ。土岐の視線には気がつかないように振舞っている。長い睫毛の奥で瞳がせわしなく動いている。
残業は滅多にないが、以前、残業のないことを勝手に想定して友人と会う約束をして、痛い目にあったことがある。今晩、残業があるかどうか福原に確認しようとしたがやめた。(いずれわかることだから)
と思いつつ、
(なんの用事だろう?)
と鈴村の用件を想像してみた。一昨年の三月まで、シンクタンクの扶桑総合研究所で経済産業省委託の調査報告書作成のアルバイトをしていた。
(たぶん、そんなようなものだろう)
と推察した。それ以外には、OB会を除くと,鈴村との接触は今日までなかった。
事務局長の金井は天井まであるはめ殺しの窓を背に、パソコンの画面に数字を打ち込んでは、左手を半袖ワイシャツの脇の下にはさみ、右手の人差し指を頬に当てて考えごとをしている。背景の窓外にうす鼠色の海面にきらめく銀糸をちりばめた東京湾が広がる。外海は曇り空のようで、金井の丸いなで肩に重なる水平線と空の境目がはっきりしない。
(金井さんはたぶん、来年度の予算案を作成しているのだろう)
と土岐は想像する。金井の仕事の大半は監督官庁である経済産業省から、補助金を引き出すための事業案の作成だった。アジア諸国との経済文化交流の促進が事業の謳い文句だが、土岐の素人目にも、あってもなくてもどうでもいい事業に見えた。
いま土岐に与えられている仕事は事務室に隣接している東亜サロンのリーフレットの校正だった。夕方には印刷屋が取りに来るので、それまでには仕上げなければならない。おもな内容は東亜サロンの設立趣旨、ロケーション、アクセス、メニュー、料金、予約の方法、シェフの紹介、入会の方法などだった。
出入りの印刷屋に終業時刻の5時に来られると、鈴村との約束に遅れるおそれがあるので、河本印刷に電話を入れ、営業マンがここに立ち寄る時間を確認することにした。
「河本印刷さんですか?東亜クラブの土岐です。今日、東亜サロンのリーフレットの校正をお渡しすることになっているんですが、何時ごろこられるか、分かりますか?」
すこし間があった。印刷機が稼動している雑音がはいる。
「どうも毎度お世話になっています。土岐さんですね。外回りの者にそちらに電話を入れさせますので・・・」
と取り込み中のようで、周囲の雑音にまぎれて、ぞんざいな言い方だった。
「はあ、お願いします」
と言いながら土岐はすぐに電話を切った。受話器を置いてしばらくすると、河本印刷の外回りから、電話があった。福原が取り次いでくれた。
「毎度、河本印刷です。東亜サロンのリーフレットの校正ですね」
携帯電話のようだった。自動車の雑音にまぎれて音声が聞き取りにくかった。
「そうです」
「三時過ぎには、うかがえると思いますが・・・」
と三時前には行けないことを強調するような言い方だった。
「そうですか、じゃ、三時過ぎにお願いします」
と用件だけ伝えて、受話器を置いた。そこに、専務理事の萩本が、昼食を終えて事務室に戻ってきた。壁掛時計を見ると、二時を過ぎていた。爪楊枝をくわえて、シーハーと音をさせて土岐の背後を通り過ぎる。理事長室の海老茶色の合板パネルのドアがバタンと閉まるのと同時に、事務局長の金井が自分の机の上の書類を束ねて、そそくさと理事長室に入って行った。
(たぶん、経済産業省からどの程度の補助金が引き出せるのかという相談だろう)
と土岐は推察する。萩本のもっとも重要な仕事は、天下り元の経済産業省から補助金を引き出すための口利きだった。その金額によって、来年度の事業規模が決まる。
いつものように事務室に昼下がりの気だるい空気が流れていた。非営利団体だから、営利団体のような活気がないのは当然かもしれない。それにしても、仕事が少なかった。土岐も含めて、専務理事も事務局長も経理の福原も、予算の人件費を消化するためだけに事務室で時の流れてゆくのをじっと待っているような毎日だった。土岐に与えられた主な仕事と言えば、二、三カ月に1回開かれる講演会の準備や案内と運営と講演録の作成と会員企業への講演録の配送ぐらいだった。この仕事にしても、講演会の前後、2週間もあれば処理できる量だった。
三時をすこし回った頃、河本印刷の外回りが事務室に入ってきた。土岐が東亜サロンのリーフレットの校正をだらだらと2回済ませたところだった。
「毎度、河本印刷です」
と疲れ切ったような覇気のない声がする。河本印刷の外回りは、河本社長の三男で、ブルーのカラーワイシャツに濃紺の地に黄緑の幾何模様の入ったネクタイ、ジルコンの嵌ったネクタイピン、大き目のカフスボタン、頭髪をヘアスプレーで固めた格好で現れた。いつもながら、事務室には場違いと思える派手さだった。
「じゃあ、そちらへ」
と土岐は河本を事務室奥の窓際の黒革の応接セットに誘導した。いつもは土岐の机で用件を済ませるが、応接セットの脇の席に事務局長の金井がいないので、自然と足が向いた。金井に気兼ねせずに打ち合わせができる。土岐は先に腰掛けて、校正原稿を手渡した。
「確認までに、ちょっと、見てください」
と土岐は言い添えた。
「はい」
と言いながら、河本は使い古した黒いアタッシュケースを傍らに置き、手渡した原稿に簡単に目を通した。
「とくに、大きな訂正はないですよね」
と男にして異様に長い睫毛をパチクリさせて、眼を落としたまま事務的に確認してくる。
「これから、サロンの価格とかメニューに若干の訂正があるかもしれませんが、・・・それは、こちらで手直ししますから・・・」
「そうですか。・・・最近、印刷ソフトとプリンターが良くなっちゃって、こっちの商売はあがったりですよ」
と河本はすぐ立ち上がる風情もなく、どうでもいい世間話を始める。
「まあでも、特殊用紙とか、特殊印刷とか、込み入った網掛けとか、・・・そちらもサービスの高度化で対応できるんじゃないですか」
と土岐も当たり障りのない話で応じる。
「それも限界があるでしょう。この仕事は、わたしらの代で終わりかもしれないです」
と言いながら、金井が席にいないことを確認するようにして印刷屋は席を立った。
土岐が出口まで見送りに行くと、
「来月末ごろで、よかったんですよね」
と河本は振り返りながら念を押してくる。
「納品ですか?」
と土岐は確認したが、河本は聞いていない。
「そうだとすると、これは校了でよろしいですか?」
と河本はまるで土岐からの、(ノー)という答えを想定していないように聞いてくる。
「とくに急いではいないんですが、リーフレットの在庫がなくなっちゃったんで、責了でお願いします」
と言うと、河本は受付のカウンターでカラのアタッシュケースに校正原稿を投げ入れて、事務室を出て行った。男物の安手の香水のにおいが残された。
自席に戻ると、事務局長の金井が理事長室から戻っていた。目があうと、手招きされた。
「ちょっといいかな」
と命令するような口調だった。
「はい」
と土岐が答えると、応接セットに座るように手振りで指示された。先刻、印刷屋が腰掛けて、座った跡とぬくもりがまだ残っているところに腰を下ろした。
「福原さんもちょっと・・・」
と金井が、彼女を呼んだので、三人で応接テーブルを囲むことになった。
「ええと、・・・来年度の給与のことだけど・・・」
という金井の切り出しで、経理担当の福原が呼ばれた理由を土岐は理解した。
「来年度から、年俸制にしたいんだけど、どうだろう。総額では若干増えると思うが、交通費込みで、ボーナスなしで、均等払い・・・どうかな」
と金井は、前かがみになって、上目使いで土岐と福原の顔色をうかがう。低い鼻から眼鏡がずり落ちて、眉根のあたりに見慣れない険しさが漂っている。拒否されることもありうるという彼の思いが読み取れた。金井は弁解じみた解説をする。
「まあ、君たちも薄々感づいているとは思うけど、政権交代以降、補助金の締め付けが強くなって、この種の公益法人の統廃合の案が出ている。いずれ国債の増発が困難になるような事態になれば、恐らく我々の財団法人に対する補助金は真っ先に切られる可能性がある。そうでなくても、似たような公益法人に吸収合併されるのは時間の問題だ。別に君たちに瑕疵はないのだが、無い袖は振れない。そうゆう訳で、保証できもしない終身雇用を前提としたような給与体系よりも、実質は何も変わらないのだが、年俸制にした方が、いきなり、来年度の人件費予算が組めないので、と言うよりも、君たちも心構えができて、いいのではないと思うんだが・・・」
「別に、異存はありませんが・・・」
と土岐が軽く言うと、福原は、
(もしや)
というような顔付きをする。
金井は福原にたしなめるように言う。
「福原さんも経理担当で、大体のことは分っているとは思うけど・・・」
福原は意外というようなニュアンスで、
「わたしも、ですか?」
とやや素っ頓狂な面持ちで訊いた。年下で、後輩の土岐と同じ扱いであることに不満とも疑問ともつかない思いが聞き取れた。
金井は福原を突き放すように、
「そう、あなたも。全員だ」
と言う。言外に、
(事務局長である自分は違う)
というニュアンスと金井より古参であることをいいことに、遅刻や欠勤の多い福原に対する日ごろの憤懣が込められているようだった。
「わかりました。でも、それって、単年度契約ということですよね」
と福原が頬を軽く膨らませて承諾すると、金井は席を立った。彼女が土岐の意向をうかがうように目線を向けてきたが、土岐は、
(べつに)
というような表情で、目線を返した。どうして年俸制で月額均等払いに変更したいのか、理由はわからないが、詮索する気もなかった。福原は、不承不承という面持ちで、グレーのタイト・スカートのしわを伸ばしながら自席に戻った。三人とも自席についたが、カウンターの内側の事務室全体が30平米程しかないので、三人の距離は日常会話の成立する範囲内にある。金井がひとりごとのように同じようなことを再度話し出した。
「皆さんもご存じのとおり、今度の政権交代で、経産省からの補助金が削られる方向で調整されています。予算上、予備費のようなものが削られる情勢なので、年俸制にして、残業手当のようなものはなくなります。最悪の場合、この財団法人は取りつぶされるかも知れません。そうでなくても、どこかの似たような財団法人に吸収されるか、合併されるかもしれません。どっちにしても、うちみたいな零細な財団法人はなくなる可能性が高い。まあ、単年度契約にしたのは、予算上のこともあるけど、皆さんもそのつもりでという含みもあります」
と言い訳のようにして言う。
土岐は椅子に腰掛けて、大学専任教員の職に応募していることを金井に話すべきかどうか考えていた。来年度の年俸制を検討しているということは、土岐を来年度のスタッフとして構想に入れているということを意味する。金井には上司として、それなりに世話になっているので、迷惑のかからない対応をする必要がある。年度末に直前になって、退職を申し出れば、土岐の後任のリクルートで多少の迷惑をかけることになるかも知れない。
大学専任教員の口に声を掛けてくれたのは、土岐の指導教授だった岩槻だった。彼の話によれば、十一月中にははっきりするということではあった。それから申し出ても遅くないだろうし、まだ確定していない段階で言い出せば、逆に余計な心配をかけることになるかもしれない。それに万が一の場合のセーフティネットとして、いまのポジションを確保しておいた方が得策だと判断した。
(大学の職については確定したときに言えばいい)
と土岐は自分に言い聞かせた。それに、大学の専任教員のポストを目指していることは、一昨年の四月に東亜クラブに着任したときから、金井には明言していた。
四時前に土岐がトイレに立つと、福原が追いかけて来た。土岐がトイレから出てくると福原がエレベーターホール脇の廊下で待っていた。
「土岐さん、いいの?単年度契約にして」
土岐には福原がわざわざトイレにまで話に来た理由が分らない。土岐が黙っていると、
「単年度契約ということは、いつでも首を切れるようにするということよ」
と福原は目を吊り上げる。
「ぼくは、口約束ですけど、もともと単年度契約みたいなものなので」
と土岐が答えると、福原は失望したようだった。
「でも、正式に単年度契約を結んだら、一年で解雇されても、文句は言えなくなるのよ」
と不平そうに口を尖らせる福原を廊下に残して、土岐は事務所に戻った。四時近くになると、専務理事が、大木の巣穴から外界をうかがうリスかキツツキのように理事長室のドアから首だけ出して、福原にハイヤーの呼び出しを依頼した。
「すいませ~ん、四時にお願いします」
とレストランでウエイトレスに注文するような口調で言う。それから、新聞を畳んだり、机の上の書類を整理したりする帰り支度のかろやかな物音が、理事長室から聞こえてきた。四時ちょうどになると、
「それじゃ、お先に」
と土岐の背中越しに嬉しそうな声を掛けて、軽量の専務理事が事務室を出て行った。
(上司に対して会釈ぐらいしたほうがいいかもしれない)
と土岐は思ったが、その気になれない。いつものように割り切れない思いがする。会釈もできない自分の幼児性に対する嫌悪感と、会釈に値しないと思わせる専務理事に対する嫌悪感が入り混じっていた。
専務理事は十時過ぎにやって来て、正午すぎから二時ごろまで昼食をとり、そして四時に退席する。仕事らしい仕事は何もしない。
「これで年俸二千万円だ」
と苦々しい面持ちの金井の嘆息を土岐は聞いたことがある。送迎のハイヤー代、理事長室で読む新聞雑誌代、部屋代の按分、東南アジアの経済社会文化交流と称して、年二回、ファースト・クラスで飛び、大使館めぐりをして、五つ星ホテルに逗留する旅費、関係者を呼んで現地のホテルや東亜サロンで行う接待費、それらを総計すると五千万円程度になるらしい。専務理事関係の経費で、補助金の半分程度が消える。
専務理事が帰宅したあと、土岐は引き出しから経済社会開発関係の論文を取り出して読み始めた。終業時間前に帰ることもできないので五時まではいつも論文を読むことにしている。さすがに、専務理事のように財団法人に買わせたスポーツ新聞を堂々と広げて読むわけにはいかないので、多少、東南アジアの経済社会文化交流と関係のありそうな文献を広げる。土岐に与えられる仕事は、つねに勤務時間中に終了する。残業があるのは、東亜サロンで東南アジア諸国の大使や大使館の職員や現地日系企業を進出させている親企業の関係幹部社員を呼んで、
〈東南アジアの夕べ〉
といったような懇親イベントを主催する場合や講演会を開催する場合に限られていた。
五時五分前から壁時計を見ながら帰り支度を始めた。金井と福原は金庫の施錠と事務室の戸締りがあるので、土岐が退席するまで、事務室を去らない。五時ちょうどに土岐は、
「それでは、お先に」
と挨拶をして、事務所を後にした。片側3基、両側で6基のエレベーターが行き来するエレベーターホールで夕方五時から出てくる東亜サロンのコックの中村とすれ違った。ネクタイにスーツで決めた出勤のいでたちはとてもコックにはみえない。リーフレットの校正が終わったことを伝えようと思ったが、時間がないのでやめた。
土岐が勤務する東亜クラブは、経済産業省の外郭団体で、ある大物次官が民間企業に天下りするまでの腰掛として設立された。この種の天下り団体の常で、その大物次官が民間商社に天下ったあとも、解散することなく、その後、四十年近く存続している。設立したのは当時の大物次官だが、その後は、キャリア官僚の天下り先のひとつとなっている。雑豆類の関税収入の一部と、競輪や競艇といった公営ギャンブルの収益の一部から毎年補助金が流入している。財団法人ではあるが、基金からの果実は近年の低金利で、財団を維持するに足りない。
東亜サロンは会員制クラブで、簡単な食事と割安のアルコールを提供している。会員の間では料金が安く、立地も良く、窓からの眺望も素晴らしい隠れ家的なサロンとして人気がある。財団の付帯事業として若干の現金収入があるが、そのほとんどは飲料と食材の仕入れとコックの中村の給与で消えている。
土岐がこの財団法人に勤務するようになったのは大学院の指導教授の紹介だった。博士課程後期課程を終えて、研究生として大学院に残り、論文を発表しながら、大学の教職に応募し続けたが、どこも五十倍を超す倍率で、論文業績の不足から最終面接までたどり着けなかった。地方であれば、倍率の低いポストも散見されたが、都落ちのような敗北感があって、踏ん切りがつかなかった。それに、同居の糖尿病と白内障をわずらっている母を一人にするわけにもいかないし、見知らぬ土地に同行させることもはばかられた。研究生を一年でやめ、この財団に勤務して三年目で、三十歳を超えてしまった。博士論文の提出を目指し、土日に開催されるさまざまな学会や研究会に積極的に参加して、論文業績を増やすモチベーションを維持しようと努めているが、お茶を濁すような論文しか書けず、自らの将来に対して次第に不安を抱くようになっていた。
(この程度の能力で、研究者としてやっていけるのかどうか)
と自問自答の日々が続いている。
土岐が浜松町駅で山の手線に乗り込み、有楽町駅で途中下車したのは五時十五分過ぎだった。JRのホームから望めるパレスサイド・パークビルの5階までは5分もあれば充分だった。有楽町駅を出て、晴海通りをお堀に向かって歩いた。歩いただけで、額にうっすらと汗がにじんだ。背広の上着を肩にひっ掛けた半袖の腕に初秋の陽光が高速道路の高架を越えて照りつけてきた。残暑の太陽が傾きかけた分、ビルの谷間をすり抜けてくる日差しが、西空を見上げる目を時折直撃した。勤務時間中の室内照明に慣れた眼にひどく眩しく感じられた。歩きながら土岐は軽い動悸を感じていた。土岐にとって好ましい話である確率が八割、そうでない確率が二割と予想された。その二割が土岐の心臓の鼓動を速めているようだった。
パレスサイド・パークビルは戦後間もなく建てられた。水回りと外壁の老朽化が激しく、建て直しの計画がすでに立てられていた。エレベーターホールは天井は低いが、新しく竣工した他のビルと比べると異様に広い。入り口の両側に丸い円柱の胡麻斑混じりの大理石が黒光りしていた。エレベーターの動きはアナログの真鍮針で扇型に表示される。ひどく緩慢だった。一緒に待っている若いサラリーマンが呼び出しの赤いプラスティック・ボタンを幾度もせわしなく押しなおす。ボタンの奥の豆電球が点灯しているが、良く見ないと分からない。二、三分でエレベーターが到着した。蛇腹の扉の開閉も緩慢だった。おまけに狭い。若いサラリーマンが降りる人が出て行くのももどかしそうに先に乗り込み、最上階の8階のボタンを押した。土岐は扉が閉まってから、ゆっくりと5階のボタンを押した。それと同時に若いサラリーマンが閉のボタンを押していた。5階に着くとチンと音がする。蛇腹の間から5階の廊下が垣間見える。エレベーターを出ると、正面が扶桑総合研究所の受付になっていた。ブルーの下地にクリーム色の社名の文字とロゴが浮き出ている。
ここでの最後のアルバイトは、博士課程後期課程を終え、奨学金が打ち切られた研究生のときだったから、訪れるのは二年半ぶりだった。原稿締め切り前の根を詰めて作業をしていたときの追い詰められたような重苦しい気分が思い出された。全面強化ガラス張りの自動ドアを踏み入ると、見慣れた受付の弧形のカウンターがあり、その奥で女子社員が電卓を叩いていた。新入社員のようで、見たことのない女性だった。そこに立つと、なつかしい部屋全体の低い天井が見渡せた。目線の高さの視界は、配置換えされた書架や書類棚で遮蔽されている。古い写真のセピア色のフィルター越しに見ているような気分だった。耳を澄ますと間歇的に激しくキーボードを叩く音が、あちらこちらから澎湃として聞こえてくる。土岐の気配に気付いても、女子事務員が作業を中断しそうになかったので、受付のカウンターから声を掛けた。
「すいません」
と言って、こちらを振り向いたのを確認して、
「産業経済部長の鈴村さんにお会いしたいんですが・・・」
と言いながら咳ばらいをした。喉がカラカラに渇いていたせいか、かすれた声が出た。
「どちらさまですか?」
と事務員が電卓に目を落としたままで聞いてくる。褐色のうなじに水着の紐の白い痕がのぞいていた。
「土岐明といいます」
と告げながら、そこで初めて、彼女と目線を合わせた。両頬に垂れていた黒褐色の髪が白いブラウスからのぞいている鎖骨のくぼみに流れ落ちていた。
「少々お待ちください」
と言いながら、内線の受話器を取り上げる。額に垂れた前髪を耳に挟むように掻き揚げる。
「鈴村さん、ご面会の方です。ときさんという方です・・・はい、3番ですね」
と言ってすぐに受話器を置く。それから椅子のキャスターを軋ませて立ち上がった。
「こちらへどうぞ」
と立ち上がるとかなりの長身だった。歩きながら手にしていたボールペンをブラウスのフラップポケットに挟む。導かれるままに受付の右奥の応接室に入った。ドアに3という数字がステッカーのように貼り付けてあった。
「いますぐ、お茶をお持ちします」
と言い残して、木目パネルのドアを閉めた。
部屋は八畳ほどの広さで、応接の三点セットが中央にしつらえてあった。エアコンが効いていた。三人掛けの赤茶色のソファーに腰を下ろし、手にしていた上着に腕を通した。深く腰掛けると腰がすこし前にすべる。ビニール革のようだった。ガラステーブルの上には何もない。禁煙らしい。しばらくして、ドアが開き、
「やあ、どうもどうも」
と言いながら、巨漢の鈴村が入室して来た。ドアを後ろ手で閉め、右手に折りたたみの扇子とブルーのフェイスタオルを握り締めている。
「暑いね」
とひと言ついて、腰を下ろしながらフェイスタオルで盛り上がった首の後ろを幾度も拭った。
「どうも、ご無沙汰してます。去年のゼミのOB会以来ですね」
と土岐が言う言葉に反応して、一瞬、鈴村は記憶の糸を手繰るように目線を宙に浮かせた。
「そうかな・・・そうだね。・・・あれから、岩槻先生にあってる?」
眼が福笑いの目のように笑っている。
「先月、学会の関東部会の研究会でお会いしただけです」
「そう・・・どう・・・お元気そう?」
「ええ。相変わらず飄々としてお元気です」
「・・・矍鑠として・・・じゃないの?」
「まあ、そうです」
鈴村からはちきれそうな笑顔が絶えない。
(意味もなく愛想のいい男)
というのが、岩槻の鈴村評だった。
「ところで、お呼び立てしたのは・・・」
と鈴村はおもむろに扇子を広げた。赤い金魚が緑の藻の間を泳ぐ涼やかな絵模様が開かれた。風情のない見慣れない絵柄だったので、中国製だと思った。途端にパタパタと音を立てて、ワイシャツの襟をつまみあげて深い二重顎の下を扇ぎだした。
「君に引き受けてもらいたい仕事があるんだけど・・・」
と土岐の顔色をうかがうように話し出した。土岐は思わず身構えた。
「報告書の作成ですか?」
と言いながら、鈴村のベルトの上にめくれ上がったズボンの縁の裏地に目を落とした。その上に、太鼓の側面のような腹がせり出している。ワイシャツのボタンがはちきれそうだった。
「それもあるが、・・・現地に出向いて調査して、その場でとりまとめて、プレゼンテーションをやってもらいたいんだ」
と土岐の心の中の反応をさぐるような話し方だった。
「現地ってどこですか?」
「東南アジアの小国だ」
と言いながら鈴村の視線が定まらない。頭の中で地球儀を回転させて、その国を探し出しているのかもしれない。
「ワーキング・ランゲージは英語ですか?」
「たぶんそうだと思う。・・・いずれにしても日本語ではない」
「まあ、英語なら何とかなると思いますが・・・」
といいながら、一抹の不安がよぎった。報告書の作成は辞書があればなんとかなるし、プレゼンテーションも準備時間があれば何とかなる。問題はヒアリングにある。ヒアリングやディスカッションが必要であれば、断るしかないと思った。
「具体的に、どんな仕事なんですか?」
「君の仕事はプロジェクトの財務分析だ。岩槻ゼミで発展途上国の開発プロジェクトの財務評価をやったことがあると思うけど、・・・まさにそれだ」
と説明しながら、おかしくもないのに笑みを絶やさない。言葉の端々に意味のない笑声が混じる。そのせいか、巨漢でありながら、対面していて威圧感がない。百キロは超えているはずなのに、声だけ聞いていると、とても軽い人間のような印象を受ける。
「ACIの先発隊がすでに現地に出向いて調査をしている。財務分析はプロジェクトのすべての金額データが揃わないとできないから、・・・予定では来週末にでも、出発してもらいたい」
ACIという名称はどこかで聞いたことがあった。確かめようかとも思ったがやめた。いずれ分かるときが来るだろうと思った。
不意に鈴村の扇子の手の動きが停止した。白いワイシャツの長い袖をたくしあげた腕に、短く太い毛がななめに逆立っている。左手のむくんだような指の間から、握り締められたフェイスタオルがはみ出ている。土岐が何か言うのを待っているようだった。
「期間はどのくらいなんですか?」
「予定では一週間程度、・・・こちらを週末に発って、現地作業は月曜日から・・・クライアントの要望があれば、延びるかもしれないけれど・・・」
と言いながら、土岐が話しに食いついて来ないことにいぶかしげに理由を探るように瞳孔を左右に蠕動させている。
「面白そうな仕事なんでお受けしたいんですが、・・・わたしはいま、財団法人東亜クラブの研究員という立場なんで、・・・大学院時代の研究生のようには自由がききません。お話では、週末に行ってとんぼ返りですむような仕事ではないんで・・・」
「そこなんだよ。休暇をとるとか、なんとかして、・・・なんとかなんないかね」
と断られることを想定していないような口ぶりだ。
「わたしの東亜クラブとの雇用契約では、・・・休暇の条項がないんですよ。忌引きとか、結婚とか、慶弔の条項はあるんですが・・・」
「そう。・・・そうすると、欠勤をお願いすることになるのかな。おそらく、減給の対象になるだろうけど、・・・こちらから払う報酬はそれ以上だとは思うんだけど・・・」
欠勤を東亜クラブの事務局長の金井に願い出た場合、何が起こるかをとっさに考えてみた。東亜クラブとの雇用契約書に週日のアルバイト禁止の条項があった。大学の非常勤講師の講義は土曜日なので、アルバイト禁止条項には抵触しない。欠勤して扶桑総合研究所の仕事を引き受けた場合、アルバイト禁止の条項に触れるのかどうか、聞いてみないと分からない。欠勤している間の給与は返上するという申し出は、土岐の都合のいい言い分でしかないだろう。いまのところ、大学の職が得られない限り、東亜クラブのお世話にならざるを得ない。東亜クラブは口約束ではあるが単年度契約のようなものであるから、事務局長のご機嫌をそこねれば、来年度の契約の継続はなくなるかもしれない。東亜クラブをクビになった場合、扶桑総合研究所で世話になることも不可能ではないが、アルバイトは可能ではあっても、正社員の保証はない。かりに、正社員になれたとしても、残業が多く、会社の合間に研究論文を書けるような環境ではないことは、かつてそこでアルバイトをして知り尽くしている。そこで、金井に打診してみることにした。
「すいません、事務局長に相談してみたいんですが、この電話よろしいでしょうか?」
と言いながら土岐はテーブルの上にあった固定電話に手を伸ばした。
「そうだね、事務局長さんの意見を聞いた方が早いかもしれないね」
と鈴村は同調する。
「ゼロ発進だから・・・」
と言う鈴村の声に従って、受話器を取り上げてまず、ゼロのボタンを押した。金井がどういう反応を示すか土岐には想像がつかなかった。土岐が海外渡航ということになれば、金井は国内で留守番をすることから土岐の仕事に嫉妬するかもしれない。理由もなく、駄目と言うかも知れない。呼び出し音が3回して、福原が出た。土岐は、とりあえず事務室に人がいたことに安堵した。
「あ、福原さんですか。土岐です。ちょっと、金井さんに代わってもらえますか?」
待ち受けの音楽が流れて、数秒で、金井が出てきた。
「あ、土岐君。何か忘れもの?」
「いえ、いま、扶桑総研にお邪魔しているんですが、・・・申し上げにくいことなんですが、わたしにアルバイトはできないかという申し出で・・・」
「あ、そう。わたしは、別に構わないけど、専務がね。あの人、自分には甘く、他人には厳しく、という方針の人だから・・・当然、欠勤扱いになるだろうけど・・・」
それを聞いて、土岐は鈴村の顔を見た。やっぱり駄目かと鈴村は言いたげだ。土岐が電話を切ろうとした時、金井から思いもかけない申し出があった。
「こういう方法はどうかな。扶桑総合研究所が東亜クラブに対して業務委託契約を結ぶ。まあ、実質は君ひとりが協力するということになるんだけど・・・」
という提案だった。
電話を切った後、土岐は金井のその提案を鈴村に説明した。鈴村は口を丸く開け、ハロウィンのかぼちゃのような頭をすこし傾けて暫時思案した。
「・・・なるほど、機関対機関の契約にするわけか。契約さえ結べば、うちは君を自由に使えるわけだ。・・・悪くないな。機関対機関の契約となると、多少出費は多くなるが、・・・まあ、背に腹は代えられない。それにこれを契機に人が不足したとき、君を自由に使えるというメリットもあるしな。・・・じつはね、派遣会社から人材の売込みが結構あるんだけど、どれも使いものにならない。帯に短し、襷にも短い人材ばかりだ。簡単な事務なら、派遣社員で十分だか、実査力があって、お金のもらえる報告書を書ける人材となると、皆無に近い。うちは、そういう必要なときに必要なだけつかえるフレキシブルな有能な人材が欲しいんだ。ピークにあわせて人材を丸抱えしてしまうと、固定費がかさんで、うちの経理を圧迫するからね」
と鈴村は管理職としての立場から、上からの目線でものを言う。
「そうですね。人材は必要なときだけいればいいわけですからね。抱え込むと、人件費がかさみますからね。・・・販売管理費がふくれて、営業利益を圧迫しますからね」
と土岐は迎合するように話を合わせる。
「そうなんだよ。君はうちでかれこれ3年ぐらいアルバイトの実績があるから、良く理解している。・・・それじゃあ、早速契約書を作って、明日の午後にでも、そちらにうかがうことにするか。明日の午前中にでも、事務局長さんに話を通しておいて貰えるかな」
思いつきのようにして申し出た金井の提案だが、鈴村はほとんど検討することもなく受け入れてきた。
「承知しました」
話し終えて、このビルの地下のレストラン・ロータスで夕食をご馳走になることを鈴村に期待したが、いつものように調査報告書の原稿の締め切りに追われているようだった。彼はすまなそうな表情を残し、サンダル履きのまま、だぶついたズボンをずりあげて自分の机に戻って行った。戻り際、彼はこんなことを言った。
「この仕事を請けたのは、君も知っている砂田君だが、・・・自分の手に負えなくなってね。・・・これでみそをつけたから、彼の取締役昇進はすこし遠のいたかな。うちの社長と同じ国立大学出身なんだけどね・・・」
帰り際に受付の前で先刻の女子事務員とすれ違った。お盆にお茶を乗せていたが、
「あっ、もうお帰りですか」
と愛想なく、目を丸くして小声を発しただけだった。彼女の白いブラウスの袖口からほつれた短い白い糸がのぞいていた。
二 裏契約
翌朝、土岐は九時に事務所に着くなり、すでに自席にいた金井に挨拶もせずに声を掛けた。
「あのう、ちょっと、ご相談があるんですが」
「あ、そう。・・・なあに・・・昨日の件かな?」
と言って日本経済新聞に落としていた目を傍らに立っている土岐の顔に向けた。なんとなく面食らっているように見えた。土岐が口ごもって躊躇していると、込み入った話であることを察したのか、傍らの応接セットに場を移すよう促した。対面してソファーに腰掛けると彼の方から聞いてきた。
「で、・・・どんな話?昨日の件じゃないの?」
とすこし身構えるように眉根を寄せ、警戒しているような表情を作る。土岐はすこし口元をゆるめ、自分の表情を和らげて話し出した。
「ええ、そうなんですけど、・・・実は、大学のゼミの先輩で、扶桑総合研究所の産業経済部長をしている鈴村さんという人がいるんですが、その人からきのう話がありまして・・・」
と一息つくと金井は揉み手をしながら、深く掛けていた腰をすこし前にすり出した。
「それで?」
「東南アジアの小国の開発プロジェクトで、財務分析をやって欲しいと言うんです。来週末にでも出かけて、短くとも一週間程度はかかりそうなんです。そこで、わたしの身分は東亜クラブの研究員なんで、金井さんの昨日の提案にそって、わたしを使用するという随意契約を東亜クラブと結んでもらえないかともちかけましたら、とりあえず、今日の午後、ご相談かたがた、こちらにうかがいたい、というんですが、・・・いかがでしょうか」
思案するいつもの癖で、右頬に右手の人差し指を当てて、金井は黙って視線をガラステーブルの上に落とした。
「そうすると、君をその国に派遣するために、扶桑総研がわがクラブにお金を支払うということ?」
「そうです」
「で、どのくらい?」
と依然として金井は警戒を解かない顔で聞いてくる。
「さあ、それは聞いていないですが、そのための交渉をしたいということなんじゃないんでしょうか?」
「そうね、・・・うちのクラブもいま、それほど仕事もないし、低金利で基金の果実も少ないし、不況で会員企業も退会が増えて、入会が皆無だから、わがクラブとしても、入金のあるのはありがたい話だけど・・・なんせ、あの専務理事だから、減りこそすれ、会員企業の増えるわけがない」
と言いながら、事務室に他の人間のいないのを確かめつつ声を潜めた。
「専務理事も、経産省からカネを引っ張ってくるのはいいけれど、そのカネは全部自分で使い切るという方針だからね。まるで、自分が引っ張って来た金は自分が使うのは当たり前だという態度だからね。君のように、財団の懐をいくらかでも暖めてくれるというのは殊勝で結構なことだ。・・・承知しました。今日の午後、お会いしましょう」
「ありがとうございます。さっそく、先方に連絡します」
それからしばらくして、十時すぎにロイド眼鏡の専務理事が飄々としてやってくると、金井はそそくさと理事長室に入って行った。たぶん土岐の申し出を説明するのだと思った。
その日の昼休み、土岐はいつものように事務室でコンビニ弁当を食べた。福原も自分の席で自前の弁当を広げる。土岐がコンビニ弁当を持ってくるのは、地下街の飲食店が混雑するという理由と節約をするという理由だった。どんなに安いランチもコンビニ弁当の2倍はした。
いつものように福原がお茶を用意してくれる。隣のサロンで淹れてくるのだが、親切というよりは、向かい合った席で、自分だけお茶を飲むのは気が引けるのだろう。二人が昼食を食べ始めると、金井が理事長室から戻ってきた。金井は1時近くになってから地下の飲食店に行く。1時近くになると混雑が解消されるからだ。
福原が食事をしながら、縁なし眼鏡のレンズをしきりにティッシュペーパーで拭いている。顔をしかめて、レンズを天井のLEDの蛍光灯に透かして見ている。土岐はお茶のお礼のつもりで声をかけた。
「眼鏡、見づらいんですか?」
福原が照れたように微笑む。
「なんか霞がかかっているみたいで・・・年なのかしら。年を取ると、白内障か緑内障のどっちかになるっているけど・・・」
土岐は意識してお世辞を言う。
「まだ、年ということはないでしょう」
福原が嬉しそうに笑う。
「ありがとう。でも、知らないうちに、そうなるみたいね」
「母は白内障なんです。テレビだけが趣味で・・・あんまり、かじりついてみているもんだから、眼医者に行くようにって、強く言ったんです。そしたら、白内障がかなり進行していて・・・」
と土岐には珍しく、プライバシーを語った。
「そう、・・・でも、手術は簡単みたいよ。すぐ良くなるって」
と福原は同情する。
「ええ、そうなんですけど、いま、お金がないもんで・・・」
と言いながら土岐は金井の方を見た。給料が安いことをあてこすって行ったわけではないが、金井の反応を見たかった。金井は聞いていないのか、興味がないのか、先刻から新聞を広げて見入っている。
1時近くになって、金井は専務理事と一緒に昼食に出かけた。毎日ではないが、専務理事から声を掛けて昼食に出かけることが多い。
午後二時ごろ、鈴村が砂田を伴って事務室にやってきた。砂田はくさびのように尖った顎で事務室を見回して、黒ずんだ大きな目で土岐に会釈した。
「こんちは」
「わざわざどうも、ご足労いただきまして・・・」
と土岐は受付で二人を出迎えた。
「いやあ、今回も仕事を請けてくれてありがとう」
とどこかぎこちなく、でもにこやかに土岐に話しかける砂田を制して、
「まだ、契約がすんでいないんで・・・」
と鈴村が土岐と砂田の間に割って入った。土岐は二人を、金井の机の傍らの応接セットに通した。金井は、そこに立って名刺を持って待っていた。
「東亜クラブの事務局長をしております、金井と申します」
と一枚の名刺を鈴村に差し出して、鈴村が懐から名刺を取り出すのを待っている。
「扶桑総合研究所の鈴村と言います。こちらは、同僚の砂田と言います。本日はお忙しいところをお邪魔いたしまして、・・・」
と鈴村も名刺を差し出しながら、隣の痩身の砂田を紹介した。
「砂田と申します」
と砂田も扶桑総合研究所の同じロゴの入っている名刺をぎこちなく差し出した。
「さあ、どうぞ、お掛けください」
と金井がソファーを勧めたところに福原がハンカチで手を拭いながらトイレから戻ってきた。来客をみて、あわてて隣のサロンに珈琲を淹れに行った。土岐は、それを見届けるようにして立っていたが、金井が自分の隣に座るように指で合図した。はめ殺しの大きなガラス窓の隣に鈴村が深々と腰掛け、その隣に軽量の砂田がちょこんと座った。鈴村は腰をかけたまま上半身で伸びあがるようにして窓の外をのぞき込む。
「いい眺めですね。東京湾が一望できますね。レインボーブリッジが見えますね。・・・あそこの緑のこんもりしたウォーター・フロントは浜離宮ですか?」
とパレスサイド・パークビルの自室からの眺望と比較するように言う。
「ここに引っ越してきたばかりの頃は、窓の外を見て、感激したものですが・・・女房と同じで、もう見飽きました。それより、地震があると大揺れするので、肝を冷やします。それと、自宅の窓からこの事務所が見えるんですよ」
と金井は如才ない受け答えをする。砂田も鈴村越しに、腰をすこし浮かせて窓の外に目をやっている。
「ほう、ご自宅はどちらですか?」
と砂田は金井に聞くが、どうでもいいような心のない聴き方だ。
「お台場なんですよ。なんか、離れ小島の観光地みたいなところで、夜は寂しい所です。ここからぼんやりとではありますが、見えるんですよ」
と言いながら金井は首を捻って窓の外を見る。
「通勤に近くていいですね」
と砂田がぎこちない愛想笑いを込めて言う。
「それが取り柄です。ここから、辛うじて最寄駅が見えるんですよ」
「ほう、何という駅です?」
と鈴村も下界を覗き込む。
「竹芝という駅で、徒歩でここまで十分ちょっとです」
「ということは、ご自宅からの通勤時間はたった三十分ということですか?」
と砂田が素っ頓狂な声を上げる。
「ドアツードアで、丁度三十分でしょうか。このビルは朝のエレベーターがかなり混雑するもので・・・」
ころ合いを見計らって鈴村が、
「だいたいの話は土岐君からお聞き及びだと思いますので、さっそく、持参した契約書にお目を通していただけますか?」
と社用の角封筒から、クリアホルダに挟んだワープロで打ち出した書類を取り出した。同じ書類が二部あった。それを受取って、金井が一部をテーブルの上に置き、
「読み上げてよろしいですか?」
とことわって、もう一部の契約書を読み上げた。
「調査研究の依嘱に関する契約書、
第1条、甲(株式会社扶桑総合研究所)は乙(財団法人東亜クラブ)と調査研究の依嘱に関して、以下の契約を結ぶ。
第2条、契約期間は契約締結日より1年間とする。ただし、甲または乙より契約破棄の申し出がない限り、自動的に延長されるものとする。
第3条、甲または乙が双方の人材を使用する場合には、諸経費以外に一人あたり一日、金五万円を支払うものとする。
第4条・・・」
と棒読みが続く。そこで、鈴村の解説が入った。
「一応、機関対機関の対等の契約ということで、
『双方の人材』
という文言にしましたが、要は、土岐君をお借りしたいということです。もっとも肝心なのは、金額だと思いますが、・・・そんなところでいかがでしょうか?ご迷惑をおかけすることになるとは思いますが・・・」
砂田が同調するように傍らでうなずいている。うなずく度に頭頂に逆立っている髪の毛がメトロノームのように揺れる。すこし間があって、金井が答えたが、考え込んでいる様子はなかった。
「結構だと思います。そろそろ、専務理事が昼食から帰ってくるころだと思うんですが、・・・問題はないと思いますので、各条文を精読させていただいて、一応、専務理事の了解を取って、押印して明日にでも宅急便で返送します」
と言いながら、金井は契約書にざっと目を通している。条文は全部で三十条もあり、最後に今日の日付と、株式会社扶桑総合研究所の代表取締役のサインがあり、印が押されていた。
「実は、この種の契約書には雛形がありまして、その都度、適当に書き変えるんですが・・・そういう意味で、土岐君をお借りするだけなので、ちょっと仰々しくて、実態とは異なる契約書にはなっているとは思うんですが、・・・一応、社外契約の担当者に事情を説明して、チェックさせたところ、とくに問題はないだろうということで・・・」
と鈴村がソファーを軋ませながら、営業マンのような説明をする。土岐は、扶桑総研の管理職は営業マンでもあるというような自嘲めいた話を以前鈴村から聞いたことがあった。
「あまりお邪魔してもご迷惑だと思いますので、われわれはこれで失礼します」
と砂田が無表情に立ち上がろうとした。そこに福原がアイスコーヒーをトレイに乗せて持ってきた。
「まあまあ、わがクラブのサロンで淹れた本格コーヒーでも召し上がってください」
と金井が砂田を押しとどめた。砂田は言われるままに座りなおして、刈り上げた後頭部をさすりながら、さっそくストローの紙袋を千切った。アイスコーヒーは細めのゴブレットに淹れられていた。へそのあるキュービックアイスが縦に三個重ねられ、コーヒーの琥珀の液体はそれらのキュービックアイスに絡まる程度でわずかしかない。土岐はミルクもシロップも入れずに、訪問客を差し置いて最初に一息で飲み干してしまった。傍らで、ストローの紙袋を破りながら、金井がたしなめるような視線を土岐の方に流してきた。鈴村はミルクとシロップを最後の一滴までいとおしむように全部入れて、ストローをマドラーがわりにして、やはり一息で飲み干した。砂田がストローで音を立てて飲み干すのを待って、鈴村がソファーを揺り動かすようにして立ち上がった。その時、砂田が金井に申し出た。
「ちょっと、仕事の詳細について、土岐君と話をしたいので、彼を数分、お借りできますか?」
「そうですか、どうぞ、どうぞ。今日のところは急ぎの仕事もないですし、・・・なんだったら、隣のサロンでいかがですか?」
と気味の悪いほど金井の愛想がいい。金井は自分の席に腰かけてこちらをそれとなくうかがっている福原に目配せした。
「福原さん、このコーヒーをサロンに移してもらえますか?」
福原は待ち構えていたように立ちあがって、
「いえ、入れ直します」
と言いながらサロンの厨房に消えた。
「それでは、わたしのほうはこれで」
と鈴村が立ちあがり、会釈した。土岐は砂田と一緒にエレベーターホールまで見送りに行った。鈴村を見送って、エレベーターホールを背にしたとき、専務理事が背後のエレベーターから出てきたのが目の隅に入ったが、気付かない振りをした。土岐は、とっさに砂田を紹介しないのはまずいと思ったが、専務理事の方も気付かないふりをしてそそくさと事務室にはいって行った。専務理事にいちいち挨拶するのは土岐には億劫だった。土岐は、事務室の隣のサロンの自動ドアに砂田を導いた。
「おいそがしいところ・・・」
と砂田が言う。砂田には無愛想という印象しかなかったので、土岐は意外な感じを受けた。
サロンは霞が関方面に面している。天井まで広がる巨大なガラス窓から、ビル群が眼下に見渡せ、ビルの間に皇居の緑がクレソンのように垣間見える。同じサイズの方形の茶褐色のテーブルが9卓あり、いずれも窓際に配置されている。砂田は厨房に一番近いテーブルに腰かけた。しばらくして、福原が新しいコーヒーを入れて持ってきた。
「ここでよろしいんですか?あちらの方が眺めはいいと思いますが」
と福原が愛想笑いで砂田に提案すると、砂田は事務的に、
「事務的な話をするだけですから」
と答えた。福原が去ると、砂田は声をひそめた。
「仕事のことは、鈴村さんから聞いたと思うけど・・・」
「ええ、きのう」
「じつは、あれは、表の仕事で、あんたに頼みたいのは、これから話す裏の仕事とワンセットなんだ」
「裏の仕事といいますと・・・」
「まあ、べつに・・・それほど、無理な仕事でもないが、絶対に断って欲しくないんだ」
土岐は即答できない。
「話も聞かないで、断るなと言うのも、無理な話かもしれないが、・・・どうだろう」
と言われても、土岐はとまどうばかりだ。
「まあ、話を聞けば、無理な仕事でないというのは理解できるだろうと思うので、担当者から直接、あんたに説明してもらうから・・・」
と言いながら、砂田はスーツのポケットから携帯電話を取り出し、ぎこちなく、登録番号の検索を始めた。つながったようだった。
「あ、砂田です。例の件、依頼する人が見つかりました。土岐君といいます。いま、本人と代わってよろしいですか?」
と砂田は数年前に売り出された旧式の携帯電話を土岐の目の前に差し出した。土岐はそれを受け取り、受話口を確認して耳にあてた。
「代わりました。土岐と申します」
電波の状態が悪いのか、相手の携帯電話の機能が良くないのか、あるいは砂田の携帯電話の性能が落ちるのか、ひどく小さな声だった。
「とき、さんですか。よろしくお願いします。わたくし、扶桑総合研究所の財務理事をやっている鈴木と言います。今回の調査はフィージビリティ・スタディで、これが通ると次は本調査になります。お恥ずかしいはなしですが、今回の調査は少し赤字になるんで、どうしても次の本調査を受託しないと当社に利益はありません。そこで、不躾なお願いではありますが、なにぶん、結論はフィージブルという方向でお願いできればと思います。ACIの方もそういう方向で動いていると思いますので、・・・誰がどう考えても、採算が合わないというのであれば、無理強いはできませんが、数十年タームのプロジェクトなので、その辺はなんとかなろうかと思われます。このことは今回の契約書には記載されていませんが、プロジェクトの成立に最大限の努力を払うということで、どうかよろしくお願いします」
と言ったなり、一方的に切れてしまった。土岐はあっけにとられて、砂田の顔色を見ながら携帯電話を折り畳んで返した。それを受け取ると砂田は出されたコーヒーにまったく手を付けずに席を立った。
「ということで、今回はACIからの初めての受注で、下話では、これをご縁にこの種の仕事をよろしくということらしいんで、財務理事もなんとか今後の取引につなげようとしている。僕も同様で・・・まあ、そんなことなんで、よろしく」
土岐がエレベーターホールまで送りに行こうとすると砂田は細長い手のひらを左右に振った。
財務理事の鈴木には2年前の冬、一、二分ではあったが、話をしたことがあった。土岐がアルバイトをしている作業テーブルの傍らに、砂田と一緒にふらりとやって来て、
「どうです、経産省の調査報告のほうは順調にいってますか?」
と声をかけてきた。
「ええ」
と答えた土岐をフォローするように、砂田は、
「鈴村さんの後輩で、土岐君といいます。いま、大学院の研究生で、頑張ってもらっています」
と土岐を紹介した。そのときは、それだけだった。土岐の鈴木に対する印象は、ダブルの背広を着た成金というようなものだった。物腰は紳士的だが、詐欺師のような雰囲気を感じた。どこかで、鈴木と砂田が同じ大学の出身ということを聞いたことがあった。先刻の鈴木の電話の様子だと、鈴木は土岐のことを覚えていないようだった。
土岐が隣の事務室に戻ってしばらくすると、専務理事の萩本が着古した紺の背広の袖口をてかてかさせて理事長室から半身を出した。それに呼応するように金井が立ち上がり、土岐を無言で手招きした。土岐は金井のあとに続いて、理事長室に入った。理事長室は角部屋で、はめ殺しの大きな窓がコーナーの太い海老茶の角柱を境に東と南に面していた。事務室と同じくらいのスペースがある。南の窓からは、点々と連なるモノクロの京浜工業地帯が見渡せた。中小零細企業の低賃金労働者がうごめく下界が理事長の椅子の背後から箱庭模型のように見下ろせた。東の窓からは新橋方面のIC基板のようなビジネス街が眺望できた。
理事長の篠塚は高名な経済学者で、本務校で教鞭をとっているため、週一、二回しか顔を出さない。そんな理事長を金井と専務理事が支えているのは同じ大学の出身だからだろうと土岐は感じている。理事長に支給している手当ては、
「宣伝広告費のようなものだ」
と金井はいつも口癖のように言う。金井は折に触れ、自分の出身大学の同窓生の結束の固さを土岐に匂わせる。理事長の教え子が外務省の局長クラスにいて、東南アジアの小国の大使にどうかという話が去年持ち上がったこともあった。
金井は理事長を広告塔のような存在として利用しているのではないかと土岐は考えている。小規模な国立大学の同窓生の結束の固さというのは、お互いに利用しあうということなのだろうというのが土岐の感想だった。
専務理事の机は、理事長の机とほぼ同じ規格で、東向きの窓を背にしていた。背後に鈍くきらめくアルミ箔のような東京湾が横たわっている。時折、羽田空港から離着陸するプラモデルのような飛行機が眺められた。
理事長の机と専務理事の机とドアに囲まれた部屋の中央に本皮造りの応接セットがある。三人掛けの長いソフソファーに金井と土岐が腰掛け、肘掛つきの一人掛けのソファーに萩原がふんぞりかえって、短い足を組んだ。
「実は先ほど、扶桑総合研究所の鈴村さんと砂田さんという方が見えまして、この契約書を置いて行きました。
『今日中に決済をいただきたい』
と言うので、当事者の土岐君の方から内容を簡単に説明してもらいます」
と金井が土岐に説明を求めた。先刻の扶桑総合研究所の財務理事の鈴木からの電話がまだ心中にわだかまっていて、最初から説明する心構えがなかったので、すこしどもりぎみになった。
「そ、その契約書は、調査研究の依嘱という趣旨になっていますが、実質はわたしをアルバイトのような形で使いたいということです。具体的にはそこにありますように、一日三万円でわたしの労働を扶桑総合研究所の調査研究業務に提供して欲しいということです」
萩本は契約書をパラパラとめくり、つまらなそうな表情を土岐に向けてきた。
「それで、あなたは応じてもいいの?」
「わたしは、東亜クラブの一員ですから、上司の業務命令に従います。仕事自体はわたしの専門なので、先方の要望には十分応えられると思います」
「あっそう。それで金井さん、当クラブに利益はあるの?」
と聞かれて、金井はかしこまるようにソファーに座りなおした。
「土岐君の人件費はわがクラブでは一日あたり1万円足らずですから、粗利で一日二万円程度になろうかと思います」
「粗利があるんだったら、いいんじゃないの」
と言いながら、萩本は分厚いガラステーブルの上に契約書を投げ置いた。契約書がガラステーブルの上をすべり落ちそうになって、あわてて金井がすくい上げた。
「それで、理事長は夕方ちょっと顔を出す予定なので、そのとき、署名と捺印をお願いしようかと思うんですが・・・」
と金井は忠実な部下を演じる。理事長や専務理事を相手にするときは、両手を体の前で組んだり、手のひらをこすりあわせて手垢をまるめるのが金井の癖だった。陰ではいつも専務理事の萩本を侮蔑するようなことしか言わないが、本人の面前ではそういう言動はおくびにも出さない。
「分かりました。用件はそれだけ?」
と萩本は、無愛想に言う。
(用が済んだらさっさと出て行け)
と言いたげだ。
「はい」
と金井がかしこまると、萩本は右手を差し出して、契約書を受取り、のけぞるようにして理事長の机の上に置いた。金井は中腰になってもう一部をその上に重ねた。
「それでは、失礼します」
と金井がソファーから離れたので土岐も立ち上がった。
「失礼しました」
と言い残して、事務所との間の壁に掛けられているラーマヤーナの一場面を染め付けた濃紺のバテックを見ながら、土岐は足早に理事長室から出た。金井はそのあとしばらく立ったまま雑談をしていたようで、五、六分して出てきた。それを待ち受けて、土岐は金井に契約書の持ち運びを申し出た。
「もし、よろしいようでしたら、帰りがけに扶桑総研に立ち寄って、鈴村さんに契約書を手渡そうかと思うんですが・・・」
金井は、土岐の顔をちらっと見て、すこし考える間があった。椅子に座り込みながら、土岐の本意を忖度しているように見えた。土岐に他意がないと判断したようで、
「そうね、宅急便より安全で安心かもしれないね。・・・じゃ、そうしてもらえますか。君も、打ち合わせがあるだろうから、・・・理事長が署名捺印したら、そのまま直帰でいいですから・・・」
「ありがとうございます」
本当にそうできることは、土岐にとってありがたかった。この事務所ではとくに仕事らしい仕事のないことが多く、しかたなく、学術論文を読んでいることが多かったが、そうしていることは他の職員の手前、心苦しくもあった。誰がどう見ても、論文を読むことが東亜クラブの仕事であるわけがなかった。福原は、土岐の机の傍らを通るときに、とげとげしい視線を落として行くのが常だった。
それから三十分もしないうちに長身で銀髪の理事長の篠塚が現れた。さらに、十数分して萩本が金井のところに契約書を持って、理事長室から出てきた。土岐は早速、扶桑総合研究所の鈴村に電話を入れ、その契約書を柄の擦り切れた自分の鞄に入れて、四時過ぎに事務所をあとにした。福原の、
(もう帰るの?)
と言いたげな視線を盆の窪あたりに感じた。
扶桑総合研究所には五時前に着いた。一応、受付で昨日の女子事務員に会釈して、直接鈴村のデスクに直行した。鈴村のデスクはそのフロアの一番奥の壁と窓で挟まれたコーナーにある。そこにたどり着くには、四、五名の研究員の机の間をすり抜けていかなければならなかった。書架や机の上に置ききれない文書や書籍が浅黄のリノリウムの床の上に山積みになっていた。鈴村の席の窓からは、車が数珠つなぎで流れる晴海通りが見渡せた。窓に額を押し付けて、北の方向を見れば、内堀の並木がかすかにうかがえた。
鈴村は、壁に立てかけてあった茶色の折りたたみの椅子を出してくれた。
「早々にありがとう」
と言ってにこやかに契約書を受取る。
「早速なんだけど、パスポートを持ってきてくれるかな。ビザはいらないが、航空券を手配しなければならないんで・・・パスポートはコピーでもいいんだけど・・・ようするに旅券番号がわかればいいんだよ」
と頭の後ろではちきれそうな指を組んで、背もたれにもたれかかってストレッチをするようにして言う。
「すいません。はずかしながら、これまで、一度も外国に行ったことがないんで、パスポートを持っていないんです」
土岐には自費で外国に行くことなど想像もできなかった。母と土岐の二人の家計で、隔月の母の年金と土岐の月給を合計しても、手取りで月平均二十万円をわずかに超える程度で、海外旅行など夢物語だった。
「それじゃ、すぐにでも申請してもらえるかな。用意しなきゃならない必要書類がいろいろあるから、明日にでも・・・」
「そうします」
「ところで、新設学科の方はどうなってるの?」
と鈴村は話題を変えてきた。
新設学科の名称は国際協力学科で、国際経済学部の中に増設される予定になっている。声をかけてくれたのは大学と大学院で指導教授だった岩槻だった。岩槻も二年後に現在の大学で定年を迎えるので、新設学科で一期生が三年生になり、専門教育科目の講義の始まるのにあわせて移籍する予定になっている。岩槻が土岐を誘ってくれた理由は、子飼いの専任教員を二年先行させて新設学科に送り込み、自分が赴任するまでの間に内部情報を偵察させ、地ならしをさせようということだろうと土岐は推察している。現在その学部で、土岐は春学期だけ週一度、土曜日に非常勤講師を務めている。講座名は、国際協力論で、もともと金井が担当していた科目だった。今年の四月に、その講座を土岐に譲ってくれた。譲ってくれた理由は、講師料がばかばかしいほど安いということと土日はアジアからの来訪者の接待が多く、休講の多いことを大学から注意されたからということだった。
ばかばかしいほど安い講師料でも、肩書きとして名刺に書き入れたいという実務家や、大学の専任教員のポストを求めるために、土岐のように教歴をつけたいというオーバー・ドクターが多いので、需給がそれなりにマッチしている。金井が譲ってくれた真意は、土岐に恩を売って東亜クラブの仕事で土岐を使いやすくするということと、非常勤講師という肩書きが予想したほど効力をもたず、費用対効果を斟酌すると費用の方が大きかったということだろうと土岐は思う。金井にとってそれが一石二鳥であったか、一石三鳥であったかはともかく、土岐にしてみれば、教歴を作ることができる上に、大学の図書館を利用できるので、非常に貴重なオファーだった。それに安月給の土岐には土曜日が半日つぶれるにしても、月二万円ほどの講師料でもありがたかった。
土岐は鈴村の問に答える。
「履歴書と業績書はすでに文科省に提出してあるので、あとは審査待ちです」
「そう。通るといいね」
と鈴村は感情のまったくこもっていない言い方をする。
「岩槻先生の話では、最近の文科省の審査は以前と比べるとずいぶん緩くなったということで、・・・これも規制緩和の一環ではないかということで・・・新増設を簡単に認める代わりに、大学は自己責任で、・・・ということのようです。
『あんな、論文もろくに書いていないようなやつが、よく通ったな』
といつも、他大学で知っている若手がいて、認可されたときなんか、岩槻先生は、そうおしゃってました。それに象牙の塔にこもっていて、実社会を知らない学者馬鹿だけで大学教育を行う弊害を見直すという観点から、実務家を大学教育に生かそうということで、論文をまったく書いていない人でも大学教員として適格としているようです」
「ふうん。それじゃ、俺なんかも、申請すれば通るかな」
と鈴村は真顔で聞いてくる。
「鈴村さんは、わたしと違って、業績が膨大でしょ」
と土岐は机の周りのダンボールに詰め込まれている簡易製本の印刷物やダブル・クリップで留めてあるコピーの束を見渡しながら言った。
「たしかにね。かかわった報告書は百本を越えるけど、ほとんどオーガナイザーとしてだからね。実質的に書いたのはその半分もないと思うよ。それに内容的には、研究論文とはちょっと言いがたいしね。論文と言うよりはレポートみたいなもんだし・・・」
と自嘲気味に言いながら、おかしくもないのに大声で笑う。それが鈴村の癖だった。
「で、そうすると、君は来年から、大学の先生になるのね。・・・残念だね、せっかく君を自由自在にこき使える契約書を手に入れたのに・・・じゃ、東亜クラブは来年の三月までということだな」
と鈴村は灰白色の石膏ボードの天井に丸い目を向ける。
「いや、まだわかりません。学科増設の認可が下りないかもしれないし・・・わたしだけ不適格になるかもしれないし・・・。金井さんには以前それとなく、大学教員のポストにアプライしているようなことを匂わしたんですけど、・・・いま春学期だけ非常勤講師をしている学部の新設学科とは言っていないんですが・・・きのう、来年度の給与形態を年俸制にしたいという申し出があって・・・いずれにしても、新設学科のことは、はっきりとはまだ言っていないんです」
「まあ、年俸制の件は、財団法人だから、予算案の作成で・・・ということじゃないの。だって、君に自分の持っていた非常勤講師のポストを譲ってくれたんでしょ。君の大学就職に水を差すわけがないでしょ」
「わたしも、そう思います。勤務時間中に研究論文を読む内職をしていても大目にみてくれていますし、・・・いろいろと、金井さんには便宜をはかってもらってます」
「いい人だね、金井さんは」
そこで、土岐は鈴村に固定電話を借りて、金井に電話を掛け、来週の月曜日の午前中パスポート申請に必要な書類を用意し、窓口で申請するため、すこし遅刻することの了承を願った。その会話のやり取りを鈴村は迷惑そうな、所在無げな面持ちで聞いていた。土岐が受話器を下ろすと、
「来週早々に、日程が固まると思うんで、金井さんの方に君に対する辞令を書くように要請するから・・・まあ、一つよろしく・・・」
と不意に分厚い手で握手を求めてきた。
「いえ、こちらこそ、宜しくお願いします。今回の仕事は、わたしの業績にもなると思うので、とても感謝しています」
「いやあ、それはお互いさまだ。君の実査力はうちの人事の方でも高く評価しているんだから・・・まあ、君に就職先としてうちを選んでもらえなかったのは、残念だけど・・・」
「すいません」
「謝ることはないよ。ここでは、自由な研究なんかできないからね。大学は多少給料は安いだろうけど、・・・君の望みは自由な研究にあるんだろうから・・・」
そこで、会話が途切れた。鈴村は話題の端緒を探すようにして、ボールペンの先をカチャカチャと出したり、引っ込めたりしている。不意に、思い出したように、
「大学は毎日出勤ということはないんでしょ」
と口をとがらせ気味に確認してきた。鈴村の眼鏡に窓からのあわい外光が反射して、目の表情がよくわからない。
「出講日は週三日だと聞いていますが、・・・なにか?」
「いや、これはまだ確定した話ではないんだけど、ACIの方で、この仕事を縁に、この種のODAがらみの財務分析をうちにお願いできないかと言うんだ。部署的には砂田君のところなんだが、彼は国文科出身なもんで、英語がからきし駄目なんで、もしそうなったら君にお願いしようかと考えているんだ」
土岐にとってはありがたい話だった。心が浮き立つ思いがした。
「休み中であれば問題はないと思うんですが、学期中に休講して、海外出張というわけにもいかないような気がしますが・・・」
「まあ、そうだろうな。授業を休講にして外でアルバイトじゃ、なんのための専任教員か、ということになるだろうね」
「・・・でも、砂田さんが国文科出身ということは知りませんでした。この研究所ではめずらしいですね」
「じつは、いまの財務理事が人事課長のとき採用したんだよ。だいぶ、内部的に反対があったみたいなんだけど、・・・同じ国立大学出身だから・・・まあ、これは本人の口からでたことじゃなくて、推測なんだけどね・・・当時の人事部長が言うには、国文科だから、報告書の校正作業に役立つだろうちゅうのと、卒論が数理統計を使って、古典作品の文体の類似性を論じているから、統計作業やその処理の仕事でつかえるだろうちゅうことで採用したんだ。まあ、いまの財務理事の見た目にそれほどの狂いはなかったけど・・・この二人は太いパイプで結ばれている」
そこでまた、会話が途切れた。
「財務理事って、鈴木さんのことですか?」
「君知ってんの?鈴木さんのこと」
「いえ、知っていると言うほどじゃ・・・」
「うちは大学の研究所みたいな仕事をしているけど、株式会社だから、もうけなきゃならん。財務理事の鈴木さんは相当苦労しているよ。カネのなる樹があるわけじゃないから、自転車操業で大変なんだよ。今回のACIとのパイプが太くなっていけば、いずれ理事長のめがあるかも知れない。君も知っていると思うが、ここの理事長は代々メインバンクの息のかかった理事がなるのが不文律だからね。メインバンクの担当重役は代々、君と僕の母校出身者で引き継がれているからね。鈴木理事はこの不文律を破らなければならないんで必死だ」
「逆に、東亜クラブは国立大学閥で固められています」
「そうだよね。君はよく、東亜クラブに入れたね」
「岩槻先生のおかげです」
「でも、岩槻先生は僕らと同窓じゃないの?」
「ええ、でも国際開発学会で、金井さんと知り合って、その関係で・・・」
「へえー、そうだったの」
土岐はころあいを見計らって、そこを辞した。
三 差出人不明
土岐の借家は八王子駅からバスで北西方向に行った東京都のゴミ焼却場の近くにある。父が膵臓癌でなくなってから、ここに引っ越した。
生前の父は日ごろから、
「お母さんにはすこし財産を遺すが、息子のお前には一文も遺さない」
と宣言していた通り、それまで貯め込んでいた預貯金を町内会活動につぎ込んだ。盛り上がらなかった町内会の秋のお祭りで、無料の綿あめや金魚すくいやパチンコを子どもたちに提供した。寂しい葬儀ではあったが、父のボランティア活動でさびれてしまったお祭りの屋台の復活を楽しんだ多くの子どもたちが、線香をあげに来てくれた。生前、父のために一度も涙を流したことのなかった土岐ではあったが、ことのときばかりは涙が止まらなかった。焼香台の傍らに座り、弔問客に挨拶をしながら、数珠を握り締め、涙を拭うことすらできなかった。
母が父の入院治療費や借金などを清算し、葬式代を支払い、墓地と墓石を買ったら、自宅を処分しても、百数十万円しか残らなかった。
借家は平屋の一戸建てで、杉林の中にあった。杉花粉の飛ぶ季節になると窓の桟や家の周りの路地が真っ白になった。さまざまな種類の蜘蛛やナナフシやムカデがなんの違和感もなく顔を出す小高い丘の麓の日陰で、隣は節税を画策する農家の栗林になっていた。
片側一車線のバス通りに面して十台あまりのスペースの駐車場があり、その隣に、同じ造りの借家があり、そこには若い夫婦と三人の子どもが住んでいた。土岐の借家は、その家とゴルフ場の砲台グリーン後方に広がる松林のラフとの間にあった。8畳と6畳の二間で、2畳の玄関と3畳の台所と4畳半ほどの風呂場と脱衣所があり、トイレは汲み取りだった。家の周囲には一間ほどの幅で帯状に空き地があり、隣の借家の影であまり陽の射さない南側には物干し場があった。敷地は四十坪ほどあった。
奥の8畳が土岐の寝室と勉強部屋で、手前の6畳が母の寝室兼居間になっていた。家賃は5万円だったので、母の年金と土岐の月給は生活費でほぼ全額が消えた。不意の出費があるときは、父の遺産の預金を引き出さざるを得なかった。それでも、ボーナス時の補填で、昨年までは当初の残高をなんとか維持していた。今年になって、母の糖尿病が悪化し、軽い脳血栓も見つかり、それらの検査代や診察代や通院費や薬代、白内障の検査代や通院費などで、その残高も残っていない。母の白内障については、一度手術することが求められている。母にとってはテレビ鑑賞が唯一の趣味だが、それも手術をしないと見づらいという。早く手術させたいと土岐は思っているが、カネがなかった。借金しても早く手術を受けるように母に言ったが、母は「借金は嫌いだ」
と言って、土岐の説得を受け入れない。手術代は七、八十万円かかるとの眼科医の話だった。家計は収支ぎりぎりなので、余裕ができるのはボーナスの時期しかない。そのボーナスも冬が四〇万円足らず、夏が三〇万円足らずだから、借金をしないで手術を受けるとしたら来年の夏以降になる。それまでも白内障は悪化してゆく。
「生き死にの問題じゃないから借金までして手術をすることはない」
と母は言うが、土岐は気が気ではない。
父と母は五十年ほど前に集団就職で北陸の片田舎から別々に上京し、その後職場結婚してから独立し、八王子郊外で工業用ミシン糸の加工で生計を立てた。原糸のかせを発注元から預かり、それを染色し、天日に干してからゼンマイで木枠に巻き取ったり蝋を引いたりして、その木枠からワインダーで円錐形のコーンに巻き取ったり、ボール紙のカードに巻きつけたりする賃仕事だった。繊維関係の国際競争力が低下し始めた四十年ほど前から仕事は真綿で首を絞めるように徐々に減り始め、高齢出産で土岐が生まれた頃には最盛期十人近くいた社員も創業以来から従業してきて職場結婚した一組の夫婦だけになっていた。
土岐は家業を継ぐ気はまったくなかったが、わずかばかりの賃仕事を量でこなし、納期を守るために、ときどき徹夜する母を見かねて、小学校高学年から自転車やバスに乗って小口の配達の仕事を手伝っていた。それでも家業がまだ順調だった高校入学時は、大学進学を当然のことと考えて、私立の進学校に入学した。しかし、大学に入学する頃から仕事がほとんどなくなり、廃業同然となった。高校三年生の夏休みに、十八歳になると同時に普通自動車運転免許を取得したが、家業に役立つことはあまりなかった。
その頃、叔母と結婚した義理の叔父は建設器機のリース会社を経営していた。その叔父が不渡り手形を掴まされて借金の肩代わりを父にお願いしに自宅に来たとき、
「糸ヘンはもう駄目だってね」
と同情してくれたのが記憶に残っている。
国公立大学はすべて不合格となり、滑り止めで合格した私立大学で学んだ国際経済学では、比較優位を失った産業の労働や資本などの生産要素はすみやかに比較優位のある産業に移動して行くことになっていた。その結果、生産要素は常に比較優位のある効率的な産業で雇用されることになり、そうした効率的な生産が世界的に行われることによって、世界中の人々が世界で最も生産効率の高い国で生産された商品をもっとも安価に手にいれることができるので、自由貿易がもっともすぐれた国際経済体制であることを主張する。しかし、モノである資本はともかく、生身の労働は容易には移動できない。とくに中卒の父と母には比較優位のある産業へ転職して行くだけの才覚はなかった。公共事業が予算削減の対象となることは理解していても、その業界から転出できないでいる土建業者のように、父も母も繊維産業が衰退して行くことは分かってはいても、その業界にすがりつくほかに生活の手立てがなかった。その頃、最大手の発注元の工業用ミシン糸の卸売業者のA社から、父の工業用ミシン糸の加工工場を、
「自社の専属工場にしたい」
との申し出があった。そのA社も国内の市場が縮小して行く中で、合理化を余儀なくされ、生き残りのために川下から川上への垂直統合を検討していた。父は迷い悩んだ末、その申し出を断った。断りの理由は、発注元はそのA社だけではなく、零細ではあるが、自転車やオートバイで小売をしている業者もあり、彼らを切り捨てられないからということだった。申し出てきたA社の専属工場になればそれ以外の卸売業者や小売業者を切り捨てることになると父は読んでいた。A社の狙いも中小零細の業者を根こそぎ葬り去り、市場を独占することにあった。確かに、いまでこそA社が最大の取引先ではあるが、それ以前に世話になった多くの零細な取引先があった。A社が最大の取引先になった理由は、A社の強引な商売にあったと父は同業者から聞いていた。他の取引先からもA社に泣かされた話を父は聞かされていた。A社の専属工場になれば、他の業者の注文を法外な料金で請け負わされるか、一方的に断ることを強要されるであろうことを父は憂慮していた。A社の申し出を断った後、A社からの受注は激減した。午前中で、作業が終了する日が、何日も続いた。やがて、創業時から従事していた最後の社員が、父が考案した製造工程に関するノウハウとともにA社に引き抜かれた。父も母もその社員の将来の生活を思いはかり、引き止めることはしなかった。それから父の会社は赤字経営となった。わずかばかりの賃仕事ではあったが、あまりにも手取りが少ないので、出入りの税理士に帳簿を見せてもらったら、税理士の毎月の顧問料と会計年度末の税務申告代行手数料が、累積赤字の元凶であることが分かった。その赤字分は会社の銀行口座から引き出され、帳簿上は父の給与分が会社の短期借入金でそっくり消えていた。短期借入金の増加分が、税理士の手取りにほぼみあっていた。税理士にとってはそれが業務であるから相手が赤字会社であろうとなかろうと、規定の報酬を受取るのは正当な行為であろうが、会社がそのために債務超過に陥っていることの説明はなかった。それ以降、税務申告は土岐の無報酬の仕事になった。税務会計の知識がなかったので、税務署に頻繁に呼び出され、申告書類の不備を指摘され、ささいなことで、追徴金の支払いを要求された。そのことを母に言うと、
「書類に税理士のはんこがあったときは、一度もそういうことはなかったのに、税務署と税理士はグルになっているみたいだね」
と嘆息した。
自らが起業した事業が傾くのと並行して頑健を自負していた父も健康を害し、膵臓癌で死ぬまで入退院を繰り返した。大学時代の土岐は授業料を捻出するため、新聞配達やクリーニング店の店員や家庭教師や運送の助手など、さまざまなアルバイトに明け暮れた。
「どうせ先のない仕事だ」
というのが父の遺言のようになった。大学3年のとき、父が死んでから、会社を清算し、母は近所の割烹料理屋にパートに出た。そんな母を助けるために、卒業と同時に就職することを考えたが、大学院への進学を迷っていると告白したら、
「迷ったら、しないと後で後悔するから、大学院へ行け」
と母は言ってくれた。大学院へ行きたい理由は聞かなかった。
「いまの仕事は好きだから、まったく苦にしていない」
とも言って、土岐に気を遣わせないようにしてくれた。土岐が大学院へ進学したのは、研究をしたいということよりも、就職することによって一企業の利益追求に自らの心身を拘束されたくなかったからだった。就職すれば当然、企業の営利活動に貢献せざるを得ない。その活動が自らの良心や社会規範と反目することがないとは言えない。物心ついて以来、ニュース報道で多くの企業の不祥事が耳目に触れてきた。事件が発覚すると、企業関係者は一様に、
「世間をおさわがせして申し訳ありません」
といいながら頭を下げる。下に向けられた顔で、
「ばれなければ、世間をさわがせることにはならなかった」
とうそぶいていると思えてならなかった。一企業の利益が社会全体の利益と完全に合致するとは考えられない。そういう精神状況で定年退職まで悶々としてサラリーマン生活を送るかもしれない人生を想像しただけで、自分には耐えられないだろうと思った。いま考えれば、贅沢な言い分だと思う。しかし、特定の集団の利益のためにのみ働くよりも、より大きな集団の利益のために働きたいという気持ちはいまも変わらない。できれば、人類全体の利益のために働くというのが究極の願いだった。そう考えるに至ったのには、
「つまらない生き方をするな」
「どうでもいいような生き方をするな」
「自分のためにだけというような生き方をするな」
という母の口癖があったと思う。母がそういい続けたのは、母の目には父の生き方がそう見えたからだろうと思う。父は会社の景気が良かったとき、仕事が終ると飲み歩き、週末には近所の商店街の店主たちとマージャンに打ち興じたり競輪や競馬や競艇に賭け興じた。
余命数週間を医者から告げられた頃、病室に父を見舞うと、
「おれは自分の生きたいように生きた。自分のためにだけ生きた。おまえも自分の生きたいように生きろ」
と枕元の土岐に遺言のように言ったのが最後だった。
授業料をすこしでも捻出するため、工場兼自宅だった百坪足らずの土地を不動産バブル崩壊後の冷え切った地価で売却し、現在の借家に移った。母の体調が思わしくなくなって、パートをやめたのは大学院の博士課程後期課程に入った頃だった。そのときもすぐ一般企業に就職することを考えたが、社会科学系の大学院卒には、めぼしい就職先はなかった。言い訳になるが、さまざまなアルバイトに手を出し、物理的にいい論文を書く時間がなかった。そのせいもあって、教員公募に積極的に応募はしてみたものの、ことごとく不合格となった。指導教授の岩槻は、同情とも侮蔑ともつかない調子で、
「論文業績が少ないからなあ」
と嘆息してくれた。大学院修了後には貸与された奨学金が一千万円近くになり、返済を迫られていた。この返済も教職につけば、免除される。研究には興味があっても、教育にはあまり興味も自信もないが、奨学金返済免除のためには、どうしても教職かシンクタンクなどの研究職につく必要があった。教職か研究職につきさえすれば、借金の重圧から開放される。
週明けの朝、いつもは七時過ぎには家を出ていたのに、八時を過ぎても家にいる息子に母は不安を抱いたようだった。白内障で見づらくなった眼で、テレビにかじりつくようにして番組を見ている。画面に目を近付ければ見えるというものではないはずだが、少しでも良く見ようとする心がそうさせているようだった。
「おまえ、まだ行かなくても大丈夫なのかい?」
「今日は、市役所に戸籍抄本を取りに行く。いま行っても窓口が開いていないでしょ」
と母の心配には感謝しつつも、どうしても返答がぞんざいになる。そういう親不孝も大学専任教員の就職の吉報で解消されると勝手に思い込んでいた。
「それは、そうだけど、お母さんに、ちゃんと説明してくれよ。まさか、首になったんじゃないだろうね」
母に非はないのだが、的のはずれた会話に苛立つ自分を抑えられない。母への甘えがなせるわざだと土岐は自覚している。
「まさか。・・・こんど外国で調査をするんでパスポートが必要なんだ。それで、立川で申請するために戸籍抄本がいる」
いま新設学科の専任教員として文部科学省に申請していることは、母にはまだ話していない。うっかり口に出そうになったことは幾度もあったが、そのつど、こらえた。岩槻は、
「大丈夫だ」
と太鼓判を押してくれているが、まだ確定はしていない。確定してから母に伝えることを楽しみにしている。母が喜んでくれることが、何よりも嬉しい。息子のわがままを許してくれた母の長年の労苦にいかばかりかでも報いることができると思うからだ。
パスポートの発給まで数日を要した。パスポートを手にしてすぐ、扶桑総合研究所の鈴村のメールアドレスにスキャナで取り込んだパスポートのコピーを添付ファイルで送信した。翌日、チケットを受け取りに扶桑総合研究所に立ち寄ると、砂田が待ち受けていた。第3応接室でお茶なしで、簡単なブリーフィングを受けた。
「あんたの専門だから、私からアドバイスする必要もないとは思うけど、・・・滞在は一週間の予定で、最後にたぶん、現地の国鉄総裁にプレゼンテーションすることになると思う。フィージビリティ・スタディで、・・・プ、プロジェクト本体を受注したのはACIで・・・」
とすこしどもり気味に話す。せっかちのせいなのかもしれない。頭の回転が速すぎて、舌と口が付いて行かないようだった。滑舌の悪さが、一流国立大学卒業にもかかわらず、話をしていても優秀な人であるという印象をいだかせない。説明も聞き手の立場で話さないので、質問する必要がある。
「すいません。ACIってなんの略ですか?」
「エイジアン・コンサルタンツ・インターナショナルだ。知っているでしょ?」
英語の発音が舌足らずに聞こえる。頬骨が異様に高いという口蓋の構造に原因があるのかもしれない。
「聞いたことがあるような気がします」
「そのACIが元請けで、われわれは下請けだ。もっともACIはほとんど丸投げで、自前で現地に出向いているのは、プロジェクト・マネージャーとシビル・エンジニアだけだ。このシビル・エンジニアがあんたを現地の空港で出迎えてくれるはずだ。丸山という人だ。ちなみに、プロジェクト・マネージャーは王谷という人で、王様の王に谷と書く。台湾出身の人で帰化したらしい。たぶん、もとの名前は王さんだったんじゃないかな。でもこの人、ぼくの同窓生を異様によく知っている人で・・・探偵みたいな人で、・・・てっきり、おなじ国立大学の卒業かと思ったら、外務省のノンキャリの天下りなんだよね」
かつて土岐が扶桑総合研究所でアルバイトをしていたのは、鈴村の下だった。砂田は、部下を一人も持たないが、課長待遇だった。いつ来ても、たった一人で忙しそうに表計算ソフトに数字を打ち込んで、エンターキーを激しく叩いていた。他の人と共同作業をしているところを見たことがなかった。鈴村の配下にいたということ以外には砂田と土岐との接点はこれまでなかった。
「S国の首都近郊を走っているディーゼル鉄道を電化するというプロジェクトのフィージビリティ・スタディなんだが、一応、結論は、フィージブルということで、お願いされている」
と砂田は、エイジアン・コンサルタンツ・インターナショナルから送られてきた書類を見ながら説明している。書類のタイトルは、
“THE CONSULTING ENGINEERING SERVICES FOR THE ELECTRIFICATION OF THE CAPITAL SUBURBAN RAILWAY NETWORK”
と読めた。内容は熟知しているはずだが、砂田はその書類の上に目を落としたままで、土岐の顔を見ることをしない。それでも時折、目線を上げるが、視線の先は土岐の額あたりに向けられていて、土岐と目を合わせることをしない。砂田の上方に外れた目線と出会うと、目の前にいるのにテレビの画面の中に砂田がいるような変な気分になる。
「ちょっと待ってください。財務分析もしない前から、フィージブルという結論がもう出ているんですか?」
という土岐の疑問は完全に無視された。土岐は先日、東亜クラブのサロンで扶桑総合研究所の財務理事の鈴木から同じような話を聞いたことを思い出した。自由を拘束されているようで土岐には面白くなかった。
「今回は、発電所建設、変電所建設、中央管制所建設、操車場建設、狭軌から広軌へのトラックの変更、それに伴う鉄橋の補強、架線の敷設、信号系統の設置、そしてなによりも電車車両、ダイヤの作成、運転講習、プラットフォームの改修、エトセトラ、エトセトラ・・・かなりの金額のプロジェクトになるらしい。まあ、うちの研究所にころがってくるカネはたいしたことはないが、・・・ODAがらみで、商社や外務省や経産省がすでに画を描いているようだ」
と言う砂田の話し方は、ニュース原稿を棒読みしている新人アナウンサーのようだった。
「話ができあがっているプロジェクトの財務分析にどういう意味があるんですか?」
と土岐は訳ありげに、目尻に皺を寄せにやにや話す砂田に食って掛かりたくなった。
「結論が分かっていても、それなりの手続きは踏まないとね。民主主義と同じだよ。国会と同じだよ。今回うちに財務分析を依頼してきたというのは、それなりの手続きということだ。だから、あんたは一応、うちの嘱託という身分でお願いしたい」
と言いながら、砂田はテーブルの隅に置いてあった名刺カードの入ったブルーの半透明のプラスティックの箱を土岐の前に置いた。
「現地ではこの名刺でやってもらいたい。できれば、東亜クラブの名刺は持っていかないで欲しい。はっきり言えば、東亜クラブの研究員という肩書きは使わないで欲しい。このプロジェクトの財務分析は、ACIにとっては、シンクタンク業界第2位の扶桑総合研究所が請けたということに意味があるんで・・・」
砂田の言う通り、扶桑総合研究所は業界第2位の売上規模ではある。しかし、第1位の半分程度の規模で、しかも第3位以下とはそれほど差はない。シンクタンクはどこも、証券会社を親会社とするところが多い。扶桑総合研究所だけは、独立系のシンクタンクで、親会社を持たない。収益源は扶桑グループ企業の会費収入になっている点もユニークだった。同時に毎期の経常利益が損益分岐点のあたりを上下しているという特徴も持っていた。
土岐は自分の名前が印刷された名刺をブルーのプラスチックケースから一枚取り出し、じっくりと眺めた。
〈Mr. Akira TOKI Financial Analysis Specialist〉
と英語で綴られた氏名と肩書きの下に、
〈FUSO RESEARCH INSTITUTE CO. LTD〉
とロゴ入りの社名が入っていた。住所と電話番号とメールアドレスは小文字で小さく刻まれていた。上質紙ではあるが、ぺらぺらのその名刺になんとなく違和感があって、自分の名刺としてしっくり来るものがなかった。受取った名刺は軽かったが、その名刺の社名で粉飾しなければならないかもしれない作業に得体のしれない重さを感じた。
最後に砂田は、脇に置いてあった紙袋をテーブルの上に置き、
「これをね、お土産で持って行くといいよ。たぶん、あの国には、こうした上質紙やカラー印刷のカレンダーはないはずだから、絶対喜ばれるよ。カルチャーも違うしね」
と言い添えた。中の一本を取り出してみると、今年のカレンダーだった。紙が厚く、ずっしりと重い。四季折々の日本を代表する風景を背に、季節の着物を着た女優が嫣然とたたずんでいる。他のカレンダーもいずれも扶桑総合研究所の東京証券取引所第一部上場の会員企業が作ったものだった。
「あのう」
と土岐が言うと、打ち合わせを切り上げるように砂田が言った。
「そういうことで、よろしく」
その週末の金曜日の午後、事務所の土岐宛に配送物があった。一階のメールボックスから戻った福原が、
「あら、珍しい」
というような表情で、土岐の手許に宅配便を置いた。滅多にないことだった。厚さ二センチ足らずだった。差出人の名前が書かれてなかった。角封筒には千代田区に本社のある竹内工務店の住所と電話番号が印刷されていたが、土岐には全く心当たりのない会社だった。自席の机の上で、早速角封筒を開けてみた。角封筒の中には手紙と茶封筒が入っていた。茶封筒は封印されていなかったので、すぐ中を覗いた。壱万円札が何枚か入っていた。思わず、大きい封筒に落としこんで、事務室の金井と福原を見た。二人とも知らぬ気に作業をしている。土岐は改めて手紙を取り出した。手紙には次のように書かれていた。
〈この手紙は読んだ後、必ずシュレッダーにかけてください。同封の茶封筒には調査依頼金の手付金一〇%が入っています。領収書は不要です。後日、調査報告書受領を確認したあと、しかるべき方法で残金九〇%を支払います。ただし残金は成功報酬で、今回のACIのプロジェクトが不首尾に終わった場合とさせていただきます。また調査に掛った諸経費は別途請求してください。これも領収書は不要です。ただし、調査依頼の手付金と同額の範囲内でお願いします。依頼内容は、今回のODAに関するすべての関係者の役割と行動や発言の報告です。とくに、お金の流れやその金額の決定に関する情報について日時・場所・氏名などの記録をお願いします。プロジェクトが頓挫する方向に誘導し、最終的にはプロジェクトを破綻させてください。調査の性格上、極秘を旨としますので、当方の所属・身分等について明かすことはできませんが、受け取った情報は、一企業や一個人のために使用するのではなく、天下国家のために使用するとだけ申し述べておきます。調査報告書は日付ごとに詳細にまとめて、現地から逐次、以下のメールアドレスに隠し添付ファイルで送信してください。このアドレスは現地からの調査報告の送信に使ってください。調査報告は対面した人の氏名とその内容についてのメモ程度で結構です。また、諸経費はまとめて残金と一緒に支払います。このメールアドレスはメモをしないようにお願いします。なお、プロジェクトにODAがついて、着手されるようになる場合には、残金を支払えなくなりますので、あらかじめご了承ください。ただし、同封の手付金に関してはどのような場合でも返金には及びません。以上、よろしくお願いします〉
土岐は改めてメールアドレスを見た。ドメインはフリーメールになっていた。登録名は、
〈Kakusifile〉
となっていた。土岐は何回か口の中で繰り返した。暗記できそうだったが、万一のことを考えて手帳の住所録の空きスペースに書き込んだ。
土岐はもう一度、金井と福原の目が自分に向けられていないことを確認した。それから平生を装って、茶封筒の現金を眼で数えた。十万円あった。しかも非課税だ。報告書提出後に残額の九十万円もらえる。土岐にとっては大金だった。それだけあれば、母の白内障の手術費用が工面できる。眼科医から七十万円ほどかかると言われている。手術さえすれば、母のただ一つの楽しみであるテレビが良く見えるようになるはずだ。そのくらいのことは息子として、してあげたいと土岐はいつも思っていた。土岐の胸の鼓動が速くなった。
土岐は改めて大きい角封筒を見た。千代田区内幸町に本社のある竹内工務店の住所と電話番号が印刷されている。封筒の左上には、
〈ゆうメール〉
という文字も印刷されている。封筒の上部は切り取った跡があり、宛名の土岐の住所と氏名は、ワープロで印字されたものが封筒のハトロン紙の宛先窓口の上に貼り付けられていた。封筒は二次利用されていることは明らかだった。かりに、竹内工務店が差出人であれば、一度、何かで使用した封筒を再利用することは考えにくい。使い回しでない封筒が社内にいくらでもあるはずだ。
(使い古しの封筒を二次利用しているのは、差出人を知られないためか。竹内工務店の封筒を利用したのは、発送時にあたかも、竹内工務店が差出人であるかのように装うためか)
土岐はその十万円をその日のうちに自分名義の銀行口座に振り込んだ。それから事務所のパソコンで、くだんのアドレスにメールを送信した。
@手付金確かに受領しました。提出する調査報告書の内容についてはだいたい理解しましたが、どういう視点から描くべきかということについて、もう少し説明をいただければ幸甚です。土岐明@
送信してから、果たして返信があるものかどうか半信半疑だった。返信があるとしてもいつになるのか皆目見当がつかなかった。返信は夕方、帰り仕度をしていた頃にあった。
@あまり、詳細を述べると当方の身元が明らかになる恐れがあるので、簡潔に調査報告書の書くべき視点について説明します。日本は第二次大戦後、東南アジア諸国に対して、莫大な戦後賠償を行いました。アメリカが日本に対して終戦直後行った食糧援助が日本人のパン食を習慣づけ、その後の対米小麦輸入依存を定着させたのと同じように、日本政府も戦後賠償をその後の東南アジア諸国との経済関係を構築する方向で行いました。戦後賠償で東南アジア諸国に蒔かれた種はODAに引き継がれました。純粋に経済的な観点からの援助ではなく、政治がらみの案件が常識になっていました。ODAは現地政治家の私腹を肥やし、同時にODA関連企業を経由して日本の政治家の政治資金にキックバックされ、今日まで黙認されてきました。高度経済成長期は税収も増え、そうした不効率な資金の使われ方も容認されてきましたが、昨今の膨大な国債発行残高を背景として最早見過ごされなくなったというのが背景にあります。しかし、現在でもODAは交換公文等を介して、高度に政治的な判断で行われているのが実情で、その実態を調査することは内政干渉につながることもあり、同時に行政当局からも政治的な圧力がかかるのが一般的です。国内法規と対象国の法規、日本の政治家と相手国の政治家などが絡み合って、単純な調査を行えないのが実情です。以上より、調査報告書に求める視点は、あくまでも経済合理性と税金の節約ということで、政治的な視点は求めません。かりに政治的に問題があったとしても、経済合理性にかなうものであれば問題とはしないというのが当方のスタンスです。できれば、誰がどのような無駄使いを画策しているか、首謀者は誰か、組織ぐるみであるとすれば、どのような組織か、証拠に基づいて調査し、プロジェクトを破綻の方向に誘導していただければ結構です。以上@
メールを読み終えて、送信者の息遣いがなんとなく感じられたような気がした。送信者が誰であるか、土岐には想像できなかった。土岐の知る限りでは、扶桑総合研究所の調査依頼を知っているのは、扶桑総合研究所の人間では、産業経済部長の鈴村、ACI担当の砂田、財務理事の鈴木、それに契約書を管理している部署の人たちとその同僚達、東亜クラブの人間では、事務局長の金井、経理担当の福原、専務理事の萩本、理事長の篠塚など、ごく少数だ。コックの中村は知らないだろう。砂田が、ACIに土岐の名前を伝えている可能性もある。ACIの関係者だとしたら、自社のプロジェクトを破綻させようとしている意図は何か。どう考えても、土岐の知る人間でこのプロジェクトの破綻で利益を得られる者が思い浮かばない。扶桑総合研究所の内部で、鈴村、砂田、鈴木と対立する人間がいるとしても土岐は知る由もない。ACI関係者となると更に分らない。東亜クラブ関係の人間はどう考えてもこのプロジェクトに対しては中立的だと思われた。
土岐は送信者の正体については、残金の九十万円を受け取るまでは詮索しないことにした。カネの出所がどうであれ土岐はとにかく母の白内障の手術代として九十万円がほしかった。
その日の夕方、土岐は金井から、理事長の篠塚名で海外出張の辞令をもらった。同時に、経理の福原から支度金として十万円を受け取った。
四 現地第1日目
成田空港からの出発は、砂田からのブリーフィングがあってから最初の日曜日のことだった。生まれて初めての海外旅行だった。それも支度金と日給と渡航費を受取って行くという夢のような話しだった。おまけに研究業績にもなるかも知れない。なんとなく、自分の人生にも運が向いてきたような気がした。大学のゼミの同期の中には、すでに海外駐在している者や社内研修で国外留学している者もいる。これまでは、ただ羨ましく遠くから垂涎のまなざしで眺めていたが、やっと自分にも順番がまわってきという思いが強かった。その上、あれほど求職活動で難渋を極めていたのに、新設学科の専任教員として文部科学省の審査を受ける段階にあるし、東亜クラブの金井からは来年度の給与方式についての打診もあったし、扶桑総合研究所の鈴村からはODAがらみの財務分析についてACI経由で継続的な仕事のオファーを匂わせる話もあった。どの話でもいいから、実現したときに母に伝え、それを聞いた母の喜ぶ顔を見るのが楽しみだった。それに、大学教員の職に就いても、扶桑総合研究所の所員になっても、これまで大学4年間と大学院5年の間、受けて来た一千万円近くの奨学金も免除になる。
扶桑総合研究所で手配した安いチケットは成田からの直行便ではないので、バンコク経由で、まる1日がかりで現地入りする予定だった。
勝手が分からないので、そわそわした気分のまま出発2時間前の午前中に成田空港に着き、出発ロビーをうろうろして、チェックインのアナウンスをカウンターで確認して、出国審査を受けた。一挙手一投足をまわりの旅慣れていそうな人々の行動を真似て、不安な心持のまま夢見心地で飛行機に搭乗した。まごまごしている間に機内の頭上の収納棚がいっぱいになり、機内持ち込みの手荷物のショルダーバックは座席の下に置くことになった。離陸時は重い機体が猛スピードで走る騒音と座席に伝わってくる激しい振動に驚いた。そのとてつもなく重そうな機体が、振動が消えると同時に、ふわりと空中に浮きあがるのが不思議だった。
座席は客室中ほどのエコノミークラスで、窓から眼下を見ることはできなかったが、空港上空で旋回するときに機体がかなり傾いて、下がった銀色の翼の脇の遠くの丸い小窓から、首都の埃にまみれたIC基盤のような町並みが垣間見えた。
バンコクまでの上空数千メートルの飛行で、ときどき乱気流に巻き込まれ、機体が激しく揺れたときは、墜落の恐怖に駆られた。しかし、土岐以外の旅慣れた乗客は、なにごともないかのように、雑誌を読んだり、イヤホンで音楽を聴いたり、上映されている映画を鑑賞していた。そういう人々の落ち着きを見て、こうした土岐にとっての初体験の揺曳が、よくあることらしいと推察できた。
機内食のコンパクトさは新鮮だった。飲み物や新聞・雑誌のおかわりも、他の乗客が要求しているのを確認して真似た。
バンコクに着陸するときも、叩き落とされるような経験のない衝撃を受けたが、逆噴射の騒音にも悲鳴を上げる乗客は一人もいなかった。海外旅行が初めてというのは土岐一人のような印象を受けた。
その飛行機を降りてから、乗り継ぎをする人々のあとについて、トランジットの待合室にたどり着いた。伝染病の保菌者のように、タイへの入国を拒否されて隔離されているような不安な心持で、トイレに行ったり、離発着の予定表を電光掲示板で確認したりしながら、搭乗のアナウンスを待った。
長時間待たされた。アナウンスはひっきりなしに流されていたが、ほとんど聞き取れなかった。英語のヒアリングは中学校時代から、あらゆる教科の中でもっとも不得意だった。時間が経過するにつれて、取り残されるのではないかという不安に駆られた。やがて、成田から同乗して来た人々が、椅子から立ち上がって動き出した。土岐は、訳も分からずに、ショルダーバックを肩に掛け、彼らに付き従った。搭乗口で、愛想笑いをつくると、乗務員の笑顔が返ってきた。土岐は一言も話すことなく、目的地までの飛行機に搭乗することができた。
飛行機はバンコクのねっとりとした夕闇の滑走路を轟音と共に疾駆し、再び上空に舞い上がった。飛行機が一回り小さくなっていた。成田を離陸したときに感じた驚きは失せていた。飛行機は漆黒の闇の中をひたすら飛び続けた。昼間は喧しく感じたジェットエンジンの騒音も、それほど気にならなくなっていた。
すこし、うとうとしかけたときに、聞き覚えのあるS国の首都の名がアナウンスされた。たった一人の初めての海外旅行で、ひとまず無事に目的地に着けそうだという安堵感で、長旅の疲れが癒された思いがした。ずっと水平だった機体が着陸する前に大きく旋回し、傾いた翼の方の丸い小窓の外に、S国の首都の街明かりのきらめきが見えたが、またたく光源は薄曇の夜空のように滲んでぼんやりとしていて、しかもまばらだった。写真で見たことのある香港や熱海や函館の夜景のきらびやかさと比べると、地方都市の場末のようなさびしさだった。
着陸すると、薄暗い照明の中をタラップがにじるように寄ってきて、重そうなドアが軋む音とともに開けられた。次の目的地に継続して搭乗する乗客が多く、降りる乗客は十数名ほどだった。タラップの上に立つと、濃密な湿気を含んだ熱気が圧するように体を取り囲んだ。火を落とした後のサウナのように稠密な湿気が顔面や腕の剥き出しの体表にまつわりついた。あたりは真っ暗で、空港の建物だけが漆黒の闇の中に孤島のように浮かび上がっていた。タラップを降りると、窓もドアもない巨大なゴルフカートのような平たい車が、到着客を待ちうけていた。全員がそれに乗り込むと、車は電気モーターの音と共に急発進して、平屋建ての到着ターミナルに向かった。
入国審査の窓口には、やや黄味がかった白目を褐色の額と頬で際立たせた小柄な男が座っていた。若いのか、そうでないのか、年齢が推し量れなかった。パスポートを提示して、聞かれもしないのに、
「サイトシーイング」
と土岐は申し出た。英語のヒアリングに自信がないので、ガイドブックのアドバイス通りに先に言うことにした。本来の入国目的は、ビジネスだが、そう答えると、何か聞かれそうな気がしたので、嘘の申告をした。それが功奏したのか、入国審査は無事終えた。それから、手荷物を受取り、税関に向かった。入国審査の窓口にいた男に良く似た若者が、スーツケースを開けるように要求してきた。言葉は聞き取れなかったが、身ぶりでそう言っていると判断した。スーツケースを開けると、コンパクトに詰め込んだ衣類や、洗面用具や、書類、筆記用具などをほじくり返し、お土産用のカレンダーの包装をとき、一枚一枚めくり始めた。もう一人いる税関吏の方は、簡単な審査で、入国する人々がスムースに流れていた。土岐の後ろに並んだ人々は次々と隣の列に移って行った。現地人らしい褐色の肌の男が、隣の列を無検査で通るとき、税関吏に何かを手渡しているのが見えた。タバコのパッケージのように見えた。そのとき、土岐の目の前の男が何かを欲しがっているのであろうことに気付いたが適当なものがなかった。カレンダーを欲しがっているのは何となく察知したが、砂田からの預かり物をあげるわけにはいかなかった。結局、土岐は最後まで検査を受け、スーツケースの中の荷物をすべて外に出されて、開放された。再び、荷物をスーツケースの中に要領よく詰め込むのに十数分を要した。あたりに人影はなくなっていた。
プレハブのような安普請の税関の部屋の外に出ると、上半身裸で裸足の少年が擦り寄ってきた。土岐の手からスーツケースを奪い取ろうとした。泥棒にしては強引さがない。
(持たせてくれ)
と言いたげに哀願するような目つきをしている。土岐は立ち往生した。そこにTシャツを着たソラマメのような丸顔の東洋人がやってきた。人懐っこそうな腫れぼったい一重瞼の目尻を少し下げながらほほえみ、その少年を土岐から手の甲で遠ざけた。
「土岐さんですね?」
とその男はなごやかな口調で言う。
「ええ、・・・丸山さんですか?」
と言いながら土岐は名刺を出した。交換した名刺に、
〈丸山憲一・ACI・土木エンジニアリング主任〉
とあった。
「丸山と言います。お疲れ様です。どうでしたか、フライトは?」
と同じ台詞を幾度も言い続けているような話し方をする。
「いやあ、わたし、海外旅行は今回がはじめてなもんで・・・」
「それじゃ、大変だったでしょ・・・とりあえず、ホテルに案内します」
と言いながら丸山は手を差し出して、土岐のスーツケースを持とうとした。
「いや、いいですよ、大きい荷物はこれだけですから・・・」
と土岐はスーツケースを左手から右手に持ち替えた。
「両替は明日でいいですね?空港の銀行はもう閉まっているんで・・・」
と丸山が顎でしゃくりあげる方角を見ると、シャッターの降りた両替銀行の看板が見えた。丸山と二人で、地方の鄙びたスーパーマーケットのようなガラス張りの建物の外に出た。丸山はそこに停車していたタクシーの後部座席のドアを開け、
「どうぞ」
と言いながら、車の後ろに回って、黄ばんだ開襟シャツの運転手にトランクを開けるように命じた。丸山と土岐の二人で、トランクにスーツケースを納めると、丸山は助手席に座った。丸山がホテル名を告げると、タクシーは奈落のような闇に向かって吸い込まれるように走り出した。窓を開け放つと、ほのかな潮の香りが車内に飛び込んできた。耳を澄ませたが波の音は聞こえてこなかった。
「いま、現地時間で十一時五分です。まだでしたら、時計を合わせてください」
と丸山がのけぞるように後部座席の土岐を振り返りながら言った。土岐は言われたままに、腕時計の時刻を合わせた。三時間程度の時差があった。
小刻みな板ばねの振動と小山を上り下りするような硬い衝撃が車の床から継続的に伝わってきた。あたりに街路灯がなく、墨で塗りつぶしたような沈黙の湿っぽい夜景が車窓の外を墨汁のように流れていた。フロントライトに半円形に照らし出された白茶けた道路だけが、飛び込むように視界に入ってきた。
「詳しい話は明日にして、とりあえず、今夜の夕食はどうしますか?」
と丸山が穏やかな口調で聞いてきた。
「機内食で済ませたので、結構です」
「そうですか・・・明日の朝食はホテルの一階のレストランでお願いします。8時前に他のメンバーとタクシーの相乗りで事務所に行くんで、それまでに済ませておいてください」
と落ち着いた口調で丸山は指示してきた。
「分かりました」
「それから、朝は水の出があまりよくないんで、シャワーを浴びるなら、今夜にしてください。いろいろ、日本では当たり前のことが、ここでは当たり前でないことが多いので、分からないことがあったら、ぼくに聞いてください。ちなみに、ぼくのルームナンバーは714です。土岐さんの部屋は715になっています」
「いろいろとありがとうございます」
丸山の口調から、彼が現地の庶務を担当しているような感触を得た。いろいろと気働きに長けた男のような印象を受けた。
「あれが、ぼくらのホテルです。メンバー全員が逗留しています」
と丸山が指差す右ななめ前方に、薄ぼんやりと闇夜に屹立する不夜城のような高楼が見えてきた。客室の明かりが虫食いのクロスワードパズルのように漆黒の中空に点在していた。
タクシーはもぐり込むように、天井の低いホテルの車寄せに滑り込んだ。玄関はめくるめくような黄ばんだ電飾にあふれていた。ベルボーイがトランクの後ろに駆け寄り、トランクの蓋があがると、土岐のスーツケースを取り出して、エントランスからフロントまで運んだ。丸山がタクシー料金を支払い、領収書を受取っている間に土岐は自力でタクシーのドアを開けて外に出た。タクシーが走り去り、土岐の傍らに来た丸山に礼を言った。
「どうも、すいません」
「交通費を含めて、必要経費はすべてACIで負担しますので、できるだけ領収書をもらってください」
彼が現地の総務を所掌しているとすれば、土岐の略歴は知っているものと思う。風貌からもそう見えたが、言葉遣いからも、土岐と同年輩のように見えた。
丸山は先にフロントに向かい、土岐の部屋の鍵を要求した。
「715で、ぼくの隣の部屋です。ぼくらは一応全員7階の部屋を借りています。もしよかったら、明日の朝食、一緒にどうですか?8時まえにノックしますけど・・・」
「お願いします」
と応えながら、土岐は丸山という男の存在に安堵感を抱いた。
土岐と丸山とベルボーイの三人で、エレベーターに乗った。フレームが真鍮でガラス張りだった。天井まで吹き抜けの空間が見渡せた。ホテルの一階の中央には熱帯雨林のこんもりとした植栽があり、その周囲を白い大理石の丸テーブルが取り囲んでいた。その上方はガラス張りで、屋上までの吹き抜けになっていた。その吹き抜けを各階の回廊が方形に取り囲み、その回廊に面して客室の入り口のドアがあった。方形の一辺に部屋が5室ずつあり、7階が最上階だった。
ベルボーイが鍵を開け、部屋の照明のスイッチを入れ、設備を簡単に説明してくれた。訛りのきつい英語で、単語は良く聞き取れなかったが、言いたいことは大体想像がついた。説明が終わってもすぐに出て行こうとしないので、丸山が気付いたように、ポケットから小銭をとり出して渡した。
「さすがにチップは領収書を取れないんで、最少額にしといた方がいいでしょう」
と笑いながら、部屋から出て行こうとした。
「すいません。明日両替したらチップはお返ししますので・・・」
とすまなそうに土岐が言うと、
「いや、わずかなものだからいいですよ」
と予想していた応えが返ってきた。
「いえ、そうはいかないです。・・・それから、プロジェクト・マネージャーにご挨拶をしたいんですが・・・」
と土岐が言いかけると、丸山はすこし逡巡したように、
「・・・まあ・・・明日でいいんじゃないですかね。もう、おそいし・・・720が部屋ですけどね・・・このフロアで一番広い部屋です」
とばつの悪いような笑い方をする。なんとなく、丸山の物言いに含みを感じたので、
「そうですか、それじゃ、ご挨拶は明日にします」
と土岐は従うことにした。
「それじゃ、おやすみなさい。あっ、それから、ぼくのほうでまとめて帰りの飛行機のコンファームをしますので、あす、エアチケットをお預かりします」
と丸山が別れを惜しむようにドアを閉めて消えた。
土岐はその後をすぐ追った。
「すいません、丸山さん」
丸山は自室のカギを開けようとしていた。
「プロジェクト・メンバーの一覧表があったら、見せてもらえませんか?」
一瞬、丸山は、
(なんで?)
というような顔をした。すぐ破顔して、
「まあ、あした、ご紹介しますが、名前だけでも先に知っておいた方がいいかもしれませんね」
と言って、土岐を自室に招じ入れた。丸山の部屋は土岐の部屋と全く同じ造りだった。丸山は、ベッドサイドの小テーブルに積み上げてある書類の中から、英文と和文のメンバー一覧表を抜き出した。
「とりあえず、これでよろしいですか?」
土岐はそれを受け取ると自室に戻った。メンバーは土岐を含めて十一名だった。メンバー表は、
プロジェクト・マネージャー=王谷恵一
副プロジェクト・マネージャー=吉川和夫
電化エンジニア主任=松山幸一
電化エンジニア=川野文雄
運行エンジニア=山田光三
軌道エンジニア=高橋紘
電信エンジニア=浜田誠一
信号エンジニア=畠山孝雄
輸送エコノミスト=中井富士夫
土木エンジニア=丸山憲一
となっていた。名前と肩書以上のことはその一覧表からは何も分からなかった。それからノートパソコンをスーツケースから取り出して、LANケーブルの差し込み口を探した。どこにも見当たらなかったので、机の上の館内サービス案内を見た。インターネット接続サービスは1階ロビーのコンシェルジュデスクにあった。土岐はノートパソコンを抱えて、1階ロビーに降りた。コンシェルジュデスクはフロントデスクの隣にあった。型式の古そうなノートパソコンが置かれていたが、土岐はLANケーブルだけ抜き取って自分のノートパソコンに接続した。背後にベルボーイの気配を感じたが、日本語のメールを読めるはずがないと思って気にしなかった。土岐は、
〈Kakusifile〉
というメールアドレスだけを知っている相手にメールを送信した。
@土岐明調査報告書・現地第1日目・現地時間午後十一時・ACIの土木エンジニアリング主任の丸山憲一が空港に出迎えてくれました。ホテルにてプロジェクト・メンバー表を受け取りました。メンバーは私を含めて十一名です。メンバー表は添付ファイルにして送信します。以上@
用件のみを送信するのが土岐の流儀だった。東亜クラブの事務室では挨拶も前文も書かないのは無礼だという声も聞こえてきたが、土岐は頓着しなかった。手紙と電子メールは違うというのが土岐の考え方だった。
送信した後、土岐の関心から、
〈Kakusifile〉
の人物が何者かという疑問は消えかけていた。初めての海外旅行の興奮が、土岐の神経を高ぶらせ、その関心を頭の隅に押しやっていた。 それから部屋に戻ってシャワーを浴び、短パンとTシャツでベッドの上に横たわった。荷物を最小限にするため、寝巻きは持参してこなかった。
初めての空の旅で興奮していたせいか、時差のせいか、機内で多少睡眠をとったせいか、なかなか寝付けなかった。5千キロ以上も離れた八王子の郊外で、母が一人で無事でいるかどうか心配だった。
(急に倒れたとき、周りには誰もいない。119に電話できるか、隣家に助けを求められればいいが、そうでなければ孤独死を迎える。母の労苦に何一つ応えることなく、母に死なれたら、後悔の思いは死ぬまで続くに違いない)
そんなことを考えていると、ますます寝付けなくなった。空調の微調整が利かないことも一因だったかもしれない。目盛り一つを下げればやや肌寒く、一つ上げれば首の周りにすこし蒸し暑さを感じた。
五 現地第2日目
ドアをためらいがちにノックする音で、土岐はいつの間にか自分が寝入っていたことを知った。
「丸山です。お早う御座います。起きてますか?」
と内部をうかがうような声がする。ベッドから跳ね起きて、ドアをすこし開けた。丸山が吹き抜けのガラス天井から溢れる陽光の中に腫れぼったい細い目をして、にこやかに立っていた。
「あ、おはようございます。昨晩はいろいろありがとうございました」
と土岐は昨夜の礼を言いながら、彼の目が土岐の短パンと裸足を捉えたことに気付いた。
「これから朝食を取るところですが・・・よろしかったら一緒にどうですか?いまさっき、プロジェクト・マネージャーもレストランに降りていったところです」
「すぐ、うかがいます」
と土岐が答えると、丸山はエレベーターホールの方へ向かって行った。土岐は急いで歯を磨いて顔を洗うと、チノパンツと開襟シャツに着替え、帰りのエアチケットをポケットに入れて、一階のレストランに降りて行った。
白い円形のテーブル席を見渡すと、すぐ近くに特徴のあるウエーブのかかった丸山の頭髪が見つかった。土岐は、近寄って改めて挨拶をした。
「おはようございます」
丸山の隣に紳士然とした小柄な初老の男が座っていた。丸山が座ったままで、紹介してくれた。
「こちら、プロジェクト・マネージャーの王谷さんです」
と言いながら、隣の籐の椅子を土岐に勧める。土岐は、座りながら名刺を差し出して自己紹介した。
「扶桑総合研究所の土岐です。宜しくお願いします」
「はい、よろしく」
と王谷は眼を細めて土岐の名刺を見ながら言う。際立った特徴のない顔をしている。グレーがかったゴマ塩頭が朝陽にきらめいている。それなりに端正ではあるが、人ごみにまぎれたら探し出せそうにない。偉そうな肩書を持っているような雰囲気があった。その王谷の前にパンケーキとポーチドエッグがある。長袖のワイシャツの袖の宝石入りのカフスボタンに朝陽が光っている。
丸山が右手を上げると、ボーイが小走りにやってきた。小脇に抱えてきたメニューを丸山に渡す。丸山はメニューを開き、体を傾けて、隣席の土岐にも見せた。
「喫茶店のモーニング・サービスに毛の生えたようなメニューしかありませんが、・・・ぼくはアメリカン・ブレックファストで、スクランブル・エッグとベーコンとトーストにします。飲み物はコーヒー・・・土岐さんは、何にします」
「同じでいいです」
土岐は食べ物にはあまり執着がない。お腹が膨れればそれでいい。両親がそうであったからかもしれない。
丸山が同じメニューを二つ注文した。土岐にも良く分かる発音で、彼のジャパングリッシュに安堵感を覚えた。自分の英語の舌足らずな発音に、土岐は払拭しきれない劣等感を抱いていたからだ。
「丸山君ね」
と王谷が異様に大きなワイシャツの襟を直しながら話しかけた。
「帰りのエアチケットだけど・・・ファースト・クラスとれた?」
「はい、きのう確認しました」
「大丈夫だろうね。君は、来るときもそう言ってたけど・・・」
と言われて、丸山は椅子に腰掛けなおして背筋を伸ばした。
「すいません。来るときはどうも、こちらの航空会社がダブルブッキングしていたようで・・・」
「来る時はビジネスだったじゃないの。わしはファースト・クラスでなければいやだというわがままを言っているんじゃないんだよ。いやしくも日本のコンサルティング・チームのマネージャーとしてきているんだから、それなりの待遇でないと、君たちも立場がないだろうという意味なんだ。まあ、たとえはよくないかもしれんが、日本の代表として日本の総理大臣が外国で粗末な扱いを受ければ、それは日本国民全員が粗末な扱いを受けるのと同じだということなんだ。実際、ファースト・クラスで移動すると、現地の重要人物と同席する確率が高くって、それが営業に繋がることもよくある。ビジネス・クラスで、現地のビジネスマンと知り合いになっても、ACIの利益にはならんだろうが・・・」
王谷の口調は、聞き流せば慇懃のようではあるが、押し殺したような怒気が込められていた。
「承知しています。帰りの便は大丈夫です。なんどもコンファームしましたから・・・」
と丸山は幾度も頭を下げ、王谷に見えないように土岐のほうを向いてすこし舌を出した。王谷に甘えているようにも見えた。その丸山に土岐は帰りのエアチケットを手渡した。
朝食の間、王谷から土岐に話しかけてくることはなかった。王谷はチームをマネージするよりも、隠然としてチームにマネージャーとして担ぎ上げられようとしているように見えた。土岐が王谷に当たり障りのない質問をすると、丸山がそれを横取りして答えた。王谷はその返答を補足することもなかった。小者は無視するという風情があった。
食事を終えると、勘定書きに丸山が部屋番号を記入して、サインした。
朝食を終えてすぐ、現地国有鉄道の作業所にタクシーで向かうことになった。土岐は一旦自室にもどり、ノートパソコンや筆記用具や電卓の入ったショルダーバッグを持ってホテルのエントランスに引き返した。フロントで日本円を現地通貨に両替しているとき、王谷と丸山はすでに、タクシーに乗り込んでいた。丸山は後部座席の左側に、王谷は助手席に座っていた。土岐が乗り込んで、ぐらつくドアを引き寄せるとタクシーは急発進した。
「ここでは、助手席が上座なんですよ。日本ではわたしの席が上座なんですけどね・・・」
と丸山が言い訳のように言う。
土岐は他のメンバーが気になっていた。
「他の方は、もう事務所に行かれたんですか?」
丸山はドアの上の把手にしがみついている。車の振動に声が震えている。
「この国の始業時刻は8時なんですよ。ほかの方は毎朝7時ごろ事務所に向かっています。国鉄の連中には、日本人は噂どおり勤勉だという評価を得ていますが、・・・ただ、朝早く目が覚めるというだけのことなんですがね。ホテルの部屋にテレビはあるけれど、衛星放送がなくって、地元の番組だけだから、見ても分からないし・・・なんせ、メンバーの平均年齢は、ぼくを含めても六十近いですから・・・」
「そう、経験豊富なベテランばかりだ・・・あんたらを除けば・・・」
と王谷が唐突に会話に割り込んできた。あまりにも不意だったので、王谷の言辞の真意を理解するのにすこし時間を要した。頬に深い縦皺の走る王谷の横顔を盗み見ると澄ました顔をしていた。
タクシーは5分すこし走って、小高い丘の麓に停車した。丘の上にはモルタル造りの古びた3階建てのビルが立っていた。
「この坂を上ってくれ」
という王谷の要求で、タクシーはすこしバックしてから左折し、息を切らせるようにして急な坂をやっと登った。その坂のアスファルトには太い亀裂が走り、裂け目に陥ったタイヤが一瞬空回りした。いき絶え絶えに上り詰めた丘の上には平らな空間が広がり、国鉄省の正門の前に巨木が聳えていた。三人はそこで降りた。土岐が国鉄省の建物の正面玄関に歩き出したとき、丸山がうしろから声を掛けてきた。
「あ、土岐さん、こっちです」
見ると、王谷は土岐に頓着することなく、国鉄省の蒼然とした建物とは反対方向に歩いていた。その先に、プレハブ小屋のような建付けの悪そうな灰白色の平屋があった。一辺が十五メートルほどの方形に見えた。出入り口は引き戸で、先に王谷がそれを軋ませて入って行った。その後に、丸山と土岐が続いた。内部は薄暗い作業場のような空間だった。大工の手造りのような方形の大きなテーブルが四つあり、それを取り囲むようにして、四つずつ籐製の椅子が配してあった。三つの机の周りに初老や中年の人々が、計算尺やノートパソコンや参考書や計算用紙を取り散らかして、立ったり座ったりして作業をしていた。一瞬、老人ホームを連想したが、良く見ると半分近くは初老か中年の男だった。皆一様に、半袖の白いワイシャツを着用し、カーキ色やベージュ色や鼠色の長パンに細めのベルトを巻きつけていた。
「メンバーを紹介しましょう」
と丸山が、出入り口から近い机に座っている中年の男の傍らに立った。
「こちらは、トランスポート・エコノミストの中井さんです」
と丸山に紹介された男は、ノートパソコンで英文を打っていた。両手を窮屈そうに蟹の足のようにキーボードに這わせ、せわしなくカチャカチャと音を立てている。見事なタッチタイピングだった。その手が切りのいいところで宙に浮いた。
「中井です。土岐さんですね。待ってました。これを書き上げたら、私、東ヨーロッパに飛ばなきゃならないんで、これを読んでいただければ、分かると思うんですが、乗客予想については、午後にでも説明させてください」
と言いおえると、時間を惜しむように、再びキーボードを叩き始めた。額の毛がかなり後退しているが、もともと額が広いせいもあって頭髪の薄いほどには年齢が行っていないように見えた。地味な顔立ちから、ひなびた地方公務員のような印象を受けた。土岐は、キーボードの脇に扶桑総合研究所でもらった名刺を置いた。すると中井はワイシャツの胸ポケットから名刺を取り出した。
〈中井富士夫・輸送コンサルタント〉
とあった。
「とりあえず、机は中井さんと共用してください」
と丸山が言う。そのテーブルに荷物を置いた。その隣のテーブルには四人が中腰で大きな図面を広げてなにやら協議していた。
「みなさん、こちら土岐さんです。財務分析のスペシャリストです」
と丸山が、4人の協議を中断させて、右回りに一人一人紹介を始めた。
「こちらは電気関係の責任者で、松山さんです。その隣が、電信関係の浜田さん。次が、信号関係の畠山さん。最後が、電化エンジニアの川野さんです」
丸山に紹介されるごとに、皆が土岐に小さく頭を下げた。松山は小柄で華奢な体躯から公家のような印象がある。浜田はカマキリのように細面で顎が尖り、眼鏡の奥の眼光が鋭く、理系の学者のような雰囲気を持っている。畠山は肩幅が広く、顔の造作も大雑把でえらがはり、頭髪も逆立っていて、豪放磊落な豪傑のように見えた。川野は顔の造りがのっぺりとしていて、純朴そうな表情から第1次産業の従業者のような感じを受けた。
土岐は一人一人に名刺を手渡した。声音は聞こえてこないが、みな口の中で、
「よろしく」
と言っているようだった。4人を代表して、度の強い遠視眼鏡を掛けたうりざね顔の松山が関西なまりでおだやかに言った。
「水曜日中には何とか、電気関係の見積もりを出しますんで・・・」
「よろしくおねがいします」
と土岐は頭頂部が見えるようにゆっくりと頭を下げた。
三つ目のテーブルに張り付いている三人はいずれも、定年かあるいは定年間近に見えた。みな肩が落ち、背中がすこし丸まっていた。股上の長いズボンをはいているという共通点もあった。丸山が最初に紹介したのは、ロイド眼鏡の小柄な老人だった。黒い眼鏡の太い縁と、透き通るように細い白髪が対蹠的だった。
「こちら、副プロジェクト・マネージャーの吉川さん」
「吉川です。あたしゃ、副マネージャーと言われるよりは、ステーション・エンジニアと言われたい」
と言いながら顎の潰れたその小柄な老人は、相好を崩しながら無骨な両手で握手を求めてきた。その手に、土岐は名刺を握らせた。
「まあ、駅舎の専門家なんですけどね。あの新幹線を造ったメンバーの一人なんですよ」
と丸山が頭を掻きながら笑う。
「それから、こちらがオペレーション・エンジニアの山田さん。そして、最後が、トラック・エンジニアの高橋さん。・・・以上です。これで全員です」
山田はフケだらけの頭を少し下げた。良く見るとワイシャツの肩の上に綺羅のようなフケが散布されていた。高橋は子供のように小さな頭と童顔をくしゃくしゃにして土岐に微笑みかけた。入れ歯のようで、挨拶の言葉がうまく聞き取れない。三人の老人はいずれも160センチ前後の体躯だった。多少腹は出ているが、肩幅も狭く、貧相に見えた。
丸山が全員の紹介を終えると、吉川は王谷がひとりで陣取っている一番奥のテーブルに移動した。何か相談ごとがあるようだった。
全員に名刺を手渡したが、中井以外は名刺交換をしなかった。名刺がないのか、ホテルにおいてきたのか、誰も釈明しないので土岐には分からない。
作業所の奥に、別の部屋があるようで、ドアノブの取れかかった扉があった。かすかにアンモニアの匂いがしたので、何の部屋かは想像がついた。
「この奥がトイレです。あまり清潔でないので、極力ホテルで用を足した方がいいと思います。のぞいてみますか?」
と丸山が鼻の頭に小皺を寄せて言う。
「いえ、いまはいいです」
と答えて、土岐は出入り口に一番近い中井のいるテーブルに戻って、文房具とノートパソコンをショルダーバッグから取り出した。すると、丸山が擦り寄ってきて、
「ぼくら、三人はこのテーブルです。仲良くやっていきましょう」
と言う。そらまめのような形の顔で愛嬌をふりまく丸山に円転滑脱という4文字熟語が土岐の頭に浮かんだ。
「それから、土岐さんの国鉄側のカウンターパートの財務副部長を紹介しておきましょう。さっきの国鉄省の建物の二階にいます」
丸山に導かれるまま、作業所の外に出た。先刻、作業所を薄暗く感じたのは、外があまりにも明るいせいだと分かった。一瞬、あまりの眩しさに軽いめまいを感じた。強い陽光に物のいろどりが脱色しかけているように見えた。
陋屋のような作業所から国鉄省の建物まで三十メートルもなかった。スコールに襲われても、走り抜ければ何とかなりそうな距離だった。
廊下に照明がないせいで、国鉄省の建物の中も薄暗く感じた。コンクリートの廊下は狭く、おまけに通路一杯に、赤い紐でくくった書類の山が連なっていた。二階に続く階段も狭く、降りてきた国鉄省の役人とすれ違うとき、肩が触れ合い、強烈な体臭が鼻先をかすめた。丸山が、その男にほほ笑みながら、
「ハーイ」
と声を掛けた。
財務副部長の部屋は、狭隘な階段を上がったすぐ左側にあった。出入り口に扉がなく、書類は部屋の中にも溢れていた。細長い部屋の奥から床面に玄関前の巨木の枝葉越しに鹿の子まだらの灼熱の陽光が差し込んでいた。外に開かれた窓から吹き込む風もなく、エアコンのない部屋は息苦しいほどの暑さだった。
丸山は部屋の一番奥の壁際に、陽光を避けるようにして座っている男の前に進み出た。
「グッモーニン」
と声を掛け、土岐をその男に紹介した。二人の話していることは大体分かったが、土岐は、
「ハウ、ドゥユゥドゥ」
と言いながら、握手を求めただけだった。
小顔のその男は机の引き出しの鍵をあけて、国鉄省の財務副部長の名刺を出した。土岐も扶桑総合研究所の名刺を渡した。不等価交換と思われるほど彼の名刺の紙質も印刷も悪かった。年齢は土岐よりやや上か同じぐらいに見えた。痩身で、黒褐色のくすんだ肌をしていた。握手を求めた手のひらが異様に白かった。名前はカッシー・シュトゥーバという。カッシーが名で、シュトゥーバが姓だと自己紹介した。姓の方は名刺を見ると語尾がBAとなっていたが、シュトゥーパとも聞こえた。パとバの中間のような発音だった。彼の英語は現地人の訛りがあまり強くないのが救いだった。なんとか、英語で意思の疎通ができそうな気がした。
「今日のところは表敬訪問ということで・・・」
と丸山はその場を去ることを申し出た。帰り際に、シュトゥーバが、
「今夜の夕食に自宅に招待したい」
と土岐を誘ってきた。速答する前に、丸山に意見を聞こうとすると、
「ミスター・マルヤマも一緒にどう?」
とそれを察知したかのように、シュトゥーバが言う。今度は、丸山が土岐の意見を聞こうとしてきた。そのまえに、
「一緒にいいですか?」
と土岐のほうから丸山を誘った。この街は不案内なので土岐はそのほうが安心だ。
「それじゃ、今夜7時に」
と言うシュトゥーバの声を半身になって聞きながら、二人はその部屋を出た。
土岐はプレハブのような作業所に戻ると、入り口に一番近いテーブルの上のノートパソコンにコードをセットし、コンセントを探した。正面に座った丸山が心配そうに声を掛けてきた。
「コンバーターもって来ましたか?」
周波数の違うことは、日本を出発する前に調べ、家電量販店で買い求めて来ていた。
「メモリーはUSBにしておいた方がいいと思います。電力事情が悪くて、停電がしょっちゅうあるのと、雷が良く落ちるので、ゴロゴロっときたらすぐ上書き保存して、USBを抜いた方がいいですよ」
世話女房のような響きのある丸山の忠告は一つ一つ快く聞くことにした。隣では中井があいかわらず、英文ワープロを打ち続けている。彼の作業が一区切りしたところで、土岐は中井に声を掛けた。
「あのう、原稿はもう大体できているんですか?」
「ええ、いま清書しているところなんで、下書きの方は、コピーをとってもいいですよ。質問があれば、今日中にもらえるとありがたい」
と中井が下書きの原稿を差し出した。
「そうですか、それじゃコピーをとらせてもらいます」
と言いながら丸山の方を見ると、腰を浮かして、複写機に向かおうとしていた。土岐は丸山を制して、
「大丈夫です。一人で取りますから・・・」
と言ったが、丸山は首を左右に振る。
「年代物のコピー機で、ちょっとコツがいるんで、最初だけお手伝いします」
複写機は、トイレのドアの脇にあった。確かに、二、三十年ほど前の複写機のように見えた。一枚取るたびに、蓋の開け閉めが必要で、一枚の複写に十秒近くを要した。用紙も黄ばんだわら半紙のようで、紙質が均一でなかった。ドラムが古いせいか印字もところどころ虫食い状態に潰れていた。
中井の乗客需要予測の文書は五十枚程度あったが、すべての複写をとるのに十分以上かかった。紙詰まりはしなかったが、時々、軋んだような音を立てるたびに不安にかられた。大丈夫と言いたげに丸山は頷いて見せるが、不安は去らなかった。土岐が一枚ずつ紙を上に乗せ、丸山がその都度、スタートボタンを押した。最後の一枚を取り終えたとき、安堵の思いで、思わず丸山の背中を叩いていた。
複写し終えて、自席に戻り、乗客予測の報告書に目を通した。全体は3つのセクションからなっていた。第1セクションが方法論、第2セクションが需要予測、第3セクションが結論になっていた。第1セクションでは、日本で行われている需要予測の方法が説明されていた。その方法はアメリカで考案されたものだという紹介がある。イントロダクションで、需要予測はさまざまな経済指標の推計にはじまり、それに基づいて全体の交通量を予測し、その交通量をさまざまな交通手段に仕訳すると書いてあった。A4で4ページほどの内容だったが、序文として交通関係の世界中のどのプロジェクトにも使えそうな説明だった。中井はどこに行ってもこの序文を使いまわしているのだろうと推察した。序文の次は、このモデルをこの国の国鉄にどのように当てはめるのかが解説されていた。良く読むと、首都から延びる三路線の各駅の区間乗降客数マトリックスは現在の数値に改められているものの、全体の予測はEUのある国のコンサルタント会社が数年前に実施した予測を単純に将来に延長しただけのものだった。さらに、首都から海岸線を北上する路線、南下する路線、内陸に向かう路線ごとに、主要駅間の双方向の現在の乗客数が棒グラフで描かれていた。次に、沿線の人口予測に紙数が費やされていた。首都を中心としてスプロール状に人口が増加して行くことがもっともらしく説明されている。さらに、電化により時刻表通りの運行が可能となり、現在よりも運行速度が高まることから、並行して走行しているバス路線からの乗客の転換が期待されている。この予測については、日本における経験を援用したことが注記されていた。
ざっと目を通したところで、昼休みになった。丸山の音頭で全員で中華レストランに向かうことになった。移動はタクシーだった。総勢十一人が三台のタクシーに分乗して、十分近く揺られた。中華レストランに到着すると、丸山がすべてのタクシーの料金を支払っていた。土岐は彼が領収書を取り終えるまで、店の中に入らずに、入り口で彼の所作を見守っていた。彼の周りには昨夜空港で見た少年に良く似た男の子が二人いて、彼がタクシー料金を支払うのを凝視していた。
土岐一人が、店の外で待っていたことに気付いて、
「すいません、お待たせしました。ここのタクシーは電車並みの料金なんですよ。日本のタクシー料金がいかに人件費の塊であるかが分かりますよ」
と丸山は小走りにやって来た。土岐が薄汚れた腰巻だけの二人の少年に見とれていると、
「彼らはつり銭を無心するんですよ。あげてもいいんですけどね・・・たいした金額じゃないから・・・でも、きりがないんでね」
と言い訳のようなことを言う。
店の中は、蛍光灯の照明があるが、五十平米ほどの広さに4本しかなく、薄暗かった。窓がなく、手前と奥の外廊下を越えて外気がそのまま店の中を通り過ぎていた。天井からぶら下がった巨大な黒塗りの扇風機が気だるそうに回転軸で弧を描きながら回っていた。
十一人が三つのテーブルに分かれた。電気関係の松山、浜田、畠山、川野のテーブルの奥に、高齢者の王谷、吉川、山田、高橋のテーブルがあり、出入り口に一番近いテーブルに土岐と中井と丸山が着いた。注文は丸山が取りまとめていた。土岐も彼に注文を任せた。馴染みらしく、白衣のウエイターも他のテーブルに注文を取りに行かない。他の客は見当たらなかった。
料理が来るまで、土岐は中井に簡単な質問をした。
「乗客予測はEUのコンサルタント会社がやった過去の予測を同率の増加率で延長していますが、EUの予測も、GDPの増加とか産業構造の変化を考慮していないんですか?」
中井はその質問ににやりと苦笑した。
「それをやるとなるとマクロ経済モデルを構築しなければならないでしょう。膨大なデータが必要になって、出てきた結果は、鉛筆を舐めて出した予測と大差ないというのが実情で・・・まあ、コスト・ベネフィットを考えれば、あの報告書程度で十分だと思いますよ」
そのあとを丸山が補足した。
「それにもう、中井さんの予測をベースにして、時刻表やオペレーション・システムの構築が動いているんで・・・担当は山田さんですけど・・・」
土岐は丸山の誤解にすぐ気付いた。
「いえ、わたしは、乗客予測を変更すべきと思っているんではないんです。ただ、交通経済学では、マクロ経済分析はしないのかという疑問を聞いただけで・・・」
丸山も自分の誤解に気付いたようだった。昨夜からの柔和な表情に戻った。
「でも、乗客予測はきわめて重要で、例えば車両台数は、朝のラッシュ時の乗客のピークに合わせて発注しなければならないし、時刻表も含めて、運行スケジュールや車両編成や人員の配置も、それで決まってしまう」
と言いながら、丸山は一番奥のテーブルで現地のタバコをふかしている山田を指差した。
「あの目尻の下がった縁なし眼鏡の人、あの山田さんがその担当なんですが、・・・この国の8時始業の制度を、会社と学校で1時間ずらすだけで、必要な車両数が随分違うとぼやいていました。まあ、受注予定の日本の車両製造会社は、ずらさないほうが商売になるでしょうけど・・・」
「そうですか。プロジェクトの採算があやしくなったら、わたしのほうでコメントすることにします」
と中井が言う。
その指摘は土岐にとっては発見だった。乗客が一日中均等に流れれば、全体の乗客数が同一であったとしても、必要となる車両台数も運転手の人数も最少となる。しかし、同数の乗客が朝と晩の一定の時間帯に集中すれば、それに合わせて車両台数も乗務員も用意する必要がある。ラッシュの程度がきつければ、かなり増加させなければならない。
「あと、乗車運賃の変化による乗客数の変化や、経済発展によるモータリゼーションの効果についての話がなかったように思ったんですが・・・」
この質問には中井は苦虫をつぶしたような顔をした。
「それは分かっているんだけど、それをやるときりがないんでね。並行して走っているバスの運賃の問題もあるし・・・どこかで捨象しないと、報告書がエンドレスになる」
そこに丸山が待っていたように口をはさんだ。
「いやむしろ、運賃の問題は財務分析に残しておいた方がいいんじゃないですか。運賃設定を工夫すれば、いろんな画を描けるでしょう」
「それは、確かにそうですが・・・ベースとなる計量分析資料がないと、単なる作文になってしまうので、せっかく皆さんが積み上げてきたコスト見積もりが、画餅になってしまうことを恐れます」
と土岐は大学院生のような心持で主張した。数年前までの大学院の教室で学友たちと論議していたときの心象風景がよみがえってきた。
「いやあ、そこまで、厳密に考えなくても・・・」
と中井は手のひらを振って否定した。眼がへの字になっている。これ以上余計な作業はしたくないという中井の想いが見て取れた。それを受けて、丸山があたりをはばかるように小声で状況を説明した。
「今回はあくまでもフィージビリティ・スタディです。これでODA予算がつけば、本調査に入ります。こっちのほうが、うちの会社としても売上が十倍くらいあるんで、おいしい仕事なんですが、どっちにしても、フィージビリティ・スタディが通ってプロジェクトがゴーということにならないと、始まらない。その本調査の段階でいろんな問題が出てきて、プロジェクト・コストが増加するのが一般的で、・・・まあ、フィージビリティ・スタディは目安のようなもので、・・・儀式のようなもので・・・しかし、採算が合うように報告書で帳尻を合わせて、ODAの対象にならなければ、もとも子もない」
そこに丸山が注文したチャーハンと焼きそばと八宝菜がそれぞれ一皿ずつ、卵スープがひと丼、それぞれのテーブルに出てきた。どのテーブルも同じボリュームだった。
老齢のテーブルと中年のテーブルは4人ずつで、土岐を含めた若手は三人だったので、かなり満腹になった。離散集合を繰り返す蝿たちを追い払いながら、食後のデザートに杏仁豆腐を食べ、ジャスミンティーを飲みながら、土岐は丸山と今夜の打ち合わせをした。
「シュトゥーバの家はホテルからどのくらいですか」
丸山は飲みかけた湯飲み茶碗を黒檀のテーブルに置いて答えた。
「十五分程度だと思いますけど・・・」
「それじゃあ、6時半ごろにホテルのロビーで待ち合わせますか?」
「6時半じゃ、ちょいと早いと思いますよ。この国では、バスや国鉄の時刻表もそうだけど、7時に約束するというのは、それ以前には絶対に来ないという意味なんで、待ち合わせは7時すこし前でいいと思いますよ。どっちにしても、僕たちの部屋は隣同士ですから、そのころにノックします」
隣に座っていた中井がすこし顔をしかめたので、丸山が彼に説明した。
「実は今夜、財務副部長のシュトゥーバに夕食に自宅へ招待されていまして、土岐さんはきのう来たばかりで、ここは不案内だろうってんで、ぼくがエスコートすることになったんです」
「そう。私も先週来て早々に営業部長の自宅に招待されたけど、・・・彼らはどうも、われわれの日本からのお土産を期待しているようで、・・・空港で自分用に買ったスコッチを持っていたら、あまり嬉しくなさそうな顔をされたよ。それにしても、あの営業部長は、
『乗客予測をまったくやっていない』
と言うのには驚いた。彼に限らないけど、この国の人は基本的に行き当たりばったりなんだよね。あらかじめ、とか、事前に、とか、前もって、とかいう概念がないんだよね。それが発展途上のキーワードかもしれないね」
「この国の人は人種的に、アルコールを分解する酵素を肝臓に持っていない人が多いんです。だから、晩酌という習慣もないし、パーティーをやっても、彼らほとんど呑まないでしょ。だからスコッチをもらってもね・・・」
と丸山が得意げに薀蓄をたれた。中井はなるほどというふうに肯いている。
「わたしは日本のカレンダーを持ってきました。来年のものが間に合わなかったので、今年のカレンダーなんですが、・・・あと数ヶ月しかありませんが・・・」
と言いながら、土岐は中井の反応をうかがった。
「それはいい。絶対喜ばれますよ。コピー用紙を見て、分かったと思いますが、この国は紙がよくないんですよ。紙がよくなければ、当然、印刷もよくない。日本の写真印刷は、3Dで、裸眼でも彼らにとって、現物そのものに見えるんだと思いますよ」
と言う中井の表情を追いながら土岐は、この男なら多少きつい質問をしても真面目に答えてくれそうな気がした。
午後は中井の英文の報告書を精読した。疑問点があるとその都度質問した。中井はいやな顔もせずに、真摯に返答してくれた。土岐も、中井の作業を妨げないように、彼の指先が休止するのを待って声を掛けた。その間、丸山は作業所のテーブルの間を行ったり来たりして、情報を集めていた。三時ごろ、作業所の外に出て行って飲み物を調達してきた。現地生産の真黄色の分厚い瓶のジュースだった。あまり冷えていなかったので、甘味を強く感じた。かえって、喉の渇きが増したような気がした。
午後五時が終業時刻だった。どこかで間延びした気だるいサイレンが鳴っていた。鳴り止むと同時に作業所の照明が一斉に消え、窓の外が急に明るさを増した。
中井は五時すこし前に、ノートパソコンの電源をオフにしていた。丸山が帰り支度をしながら、
「この国は電力不足なんですよ。石油がまったく採れないもんで、それに国土も狭く山岳らしい山岳もないんで、水力も乏しく、原子力発電に頼る技術も金もないんで、もっぱら輸入の化石燃料に頼っているんです。最近の投機筋の思惑買いの値上がりで、貿易収支の赤字がふくらみ、為替管理が厳しくなっています」
と解説する。中井が、
「ディーゼル機関の熱効率の悪いのを、電気モーターに変えて、石油輸入を節約するというのが、今回のプロジェクトの謳い文句のひとつでもあるんだけどね。巨額の電化投資で、かえって金銭的には節約にならないような気もしないではないが・・・その辺は財務分析次第だろうけど・・・」
と丸山の終わり仕度を待ちながら補足説明する。同じようなことは、すでに東京で砂田から土岐は聞いていた。
作業所の外に出ると少し眼がくらむ。呼びもしないのにタクシーが3台たむろしていた。土岐たちが歩き始めると巨木の下に細い足をむき出しにしてしゃがみこんでタバコを吸っていた三人のタクシー運転手が上目使いに擦り寄ってきた。朝と同じように、土岐と王谷と丸山で一台、松山、浜田、畠山、川野の電化グループで一台、残りの一台は中井、吉川、山田、高橋が相乗りした。
宿舎のホテルに着くと、丸山が3台のタクシーの領収書を集め終わるまで、土岐はエントランスロビーで待っていた。丸山の黒い財布は領収書で溢れていた。
「大変ですね。あなたがプロジェクト・マネージャーみたいですね」
と言う土岐の言葉に、丸山は警戒するような目つきであたりを見回した。
「王谷さんはもう行かれましたか?」
と王谷のことを気にしているらしい。
「その言葉は禁句にしてもらえますか?土岐さんに他意はないとは思うんですが、ぼくがそうした態度をとっていると王谷さんに思われたくないんで・・・一応、ぼくの上司にあたるんで・・・」
「すいません」
と謝りながら、女のように随分と気を遣う男だと思ったが、お世話になっているので、とりあえず、土岐はそう言った。
スケルトンのエレベーターの中で二人きりになると、丸山は謝るまでもないと言いたげに、語り始めた。
「あの人、外務省からの天下りなんですよ。ご両親か父親が台湾出身で、外務省に入るために帰化したとも言われています。いわゆる内省人で、台湾では上流の家庭だったようです。戦後も、日本に留学するまでは、家庭内は日本語だったそうで、若い頃はずいぶんと苦労されたそうです。あの人のおかげで多少、ODAが取り易くなったと評価する人も社内にいますけど・・・ノンキャリのトップまで上り詰めた人なんですけど、家が貧しくなって、入省前に通信教育でしか大学を出られなかったことを悔しがっていて、わが社に来てからはつねにキャリアなみの待遇を要求してきた人です。まあ、仕事もできるけど、それ以上に要求の多い人です。また、相手によって態度がころりと変わるのが特徴で、利用できそうな人や上司には媚びへつらいますが、そうでない人には、けんもほろろ、横柄な態度をとるという噂です。上司の信頼は厚いのですが、目をかけられていない部下からの人望はほとんどない人です。それから、人脈がすごいんです。まめなひとで、これぞと思う人とは積極的に関係作りをするひとです。年賀状を何百枚も書いたり、お中元やお歳暮を何十万円も贈るという噂です。今回も、大使館の一等書記官の白石さんや経産省からの出向の西原さんには随分と気をつかっています。気づかいばかりでなくて、お金も、ですけど・・・お金は当然、接待交際費で落とすんですけど・・・」
と丸山に言われても、頭髪につねに櫛を入れ、紳士然とした王谷の穏やかそうな表情からは想像できなかった。土岐に人を見る目がないということなのかもしれない。
丸山の話は続いた。
「まめな付き合いのせいなんでしょうか、社内で対立することがあっても、不思議と王谷さんのかたを持つ取締役が多いんですよね。若手の間では王谷さんは不人気なんで、みんな取締役がどうして王谷さんに味方するのか不思議がっているんですよ。でも、いろいろ気遣いを受ければ人情で、なんとなくいけすかない奴とは思っていても、かたを持ってしまうということなんでしょうね。ぼくだって、盆暮れに付け届けを受取ってしまえば、何かのときに王谷さんの味方をしてしまうかもしれないですね。ただ王谷さんのすごいところは、社内外や官公庁のネットワークのキーマンを適切に押さえているところです」
土岐は、7時前にホテルの車寄せで待ち合わせることにして715号室の前で、丸山と別れた。自室に入ってすぐ、シャワーを浴びた。お湯の出が悪く、温度も一定していなかった。突然熱くなったときは、裸のままおもわずバスタブから飛び出した。
シャワーを出てから、母のことが心配になった。連絡先として、扶桑総合研究所の鈴村と砂田の直通電話の番号をメモしてきたが、たとえ何かがあったとしても、母が電話をかけるとは思えなかった。こちらから国際電話することも考えたが、時差の問題とお金の節約のことが頭にあって、掛ける気になれなかった。かりに掛けたとしても電話代のことを気にして、決して喜ばないことは分かっていた。一階ラウンジのコンシェルジェのデスクでインターネットを利用できると館内案内のパンフレットにあったが、母は電子メールをやらない。自宅の8畳間のデスクトップ・パソコンで幾度かやり方を教えたが、聞く耳を持たず、キーボードには触ろうともしなかった。
浴室の洗面台に洗濯用の粉石鹸があったので、ワイシャツと下着と靴下を簡単に洗い、ハンガーに吊るして干した。ランドリー・サービスの案内があったが、時間をもてあましていたので、節約の意味もあって、利用するつもりはなかった。
6時半をだいぶまわってから、土岐は1階に降りて行った。丸山は玄関で待機していた。鼻の穴に小指を突っ込んで、背の高いベルキャプテンとなにやら話していた。土岐と異なり、誰とでも打ち解けられる社交的な性格に見えた。
ベルキャプテンが指笛を吹くと、タクシーが車寄せに飛び込むようにして入ってきた。
ようやく夜の帳が降りはじめ、外気も幾分涼やかな夜気に代わりはじめていた。タクシーにエアコンはない。汗臭いタクシーに丸山とともに乗り込むと、土岐はウインドウ・ハンドルを回して窓をいっぱいに開け放った。タクシーは転がるようにして、首都の郊外に向けて国道を南下した。ほのかに潮の香りがした。
闇が黒煙のように広がってきていた。道路には歩道も街路灯もないので、ヘッドライトの中に突然、闇に溶け込んだような褐色の現地人が現れることがあった。
視界がヘッドライトの届く範囲に限定されているせいか、スピードメーター以上の速度を感じた。目隠しをして走っているような恐怖を覚えた。対向車とすれ違うこともほとんどなかった。
丸山が言う。
「シュトゥーバは国鉄きってのエリートなんですよ。国費で留学して、アメリカの指導教授に大学に残らないかと誘いを受けても、それを蹴って、戻ってきたという逸話のある人です。まあ、この国の人は、優秀であればあるほど、この国には戻ってこない。ブレイン・ドレインってやつですよ。結局経済は人が運営するものだから、優秀な人が流出することが、この国の発展途上の一因にもなっていると思うんですよ。華僑や印僑ほどではないとは思うんですが・・・」
丸山は土木が専門の理系だが、経済についても良く話す。ときどき、感心させられることもあった。根がおしゃべりなようで、耳学問は豊富なようだった。
丸山が言った通り、十五分程度で目的地に着いた。丸山はまた領収書を財布にしまった。
「すごい領収書ですね」
と丸山の手元をのぞき込み、土岐は労うように声を掛けた。
「いやあ、業務命令で、とにかく領収書をかき集めろと言われています。国税庁や税務署がうんざりして集計間違えを繰り返し、二度と査察したくなくなるほどたくさん集めるようにと言われています。・・・まあ、半分冗談だとは思うんですがね」
タクシーが去ると、二人は暗闇の中に取り残された。足元に草や小石の凹凸があり、一瞬、自分の存在位置が分からなくなって、平衡感覚を失った。上映途中の映画館に入ったばかりのときのように闇に慣れるのに時間を要した。雲が月明かりや星明りを遮蔽しているようで、遠い首都中心部の夜光が低い雲の底をぼんやりと照明しているのが、目を凝らして見るとようやく確認できた。
「こっち、こっち」
と丸山の声がした。かろうじて彼の立ち姿が見えるような気がした。彼のおぼろげな頭部が揺れた瞬間、そのあたりに小さな窓明かりのようなものが見えた。
「たぶん、あの家だと思います。ぼく、昼間、一度来たことがあるんです」
そういう丸山の声のする方に近づいて行くと、ようやく事物の輪郭がこんもりとした塊として認識できるようになった。不意に、縦長の長方形の扉の灯りがドアを開く音とともに目に飛び込んできた。その中に真っ黒な人影が影絵のように立っていた。
「グッイブニン」
と丸山が大声で快活に言うと、痩身の黒い影は、
「ウェルカム」
と答えた。黒い影に招じられるままに、丸山と土岐は扉の中に入った。家の中も薄暗かったが、物の輪郭は鮮明に見えた。陰影に刻まれた笑顔はシュトゥーバだった。
家の中は蒸し暑かった。漆喰の壁はひんやりとしていて、電気の配線が剥き出しだった。土岐と丸山は玄関を入って右の居間に通された。中央に事務机のような方形のテーブルがあり、真っ赤な香辛料がまぶされた鶏の丸焼きと山盛りのサラダとぷくっとふくれた平焼きパンが乗っていた。天井から小ぶりの扇風機がゆっくりと回転し、黄ばんだ白熱灯の下で大きな影のゆらぎが狭い部屋を徘徊していた。
土岐と丸山が木の丸椅子に腰掛けると、シュトゥーバが鶏の足先を掴み、いくつかに裂き、それぞれの皿に取り分けた。
「どうぞ」
とシュトゥーバが言う。彼の英語は、訛りがきつくなく、込み入った話でなければ容易に聞き取ることができた。それもあってか、土岐は彼の言ったことをいちいち日本語に訳すことをやめていた。丸山は土岐のヒアリングに問題のあることに気付いたようで、土岐が理解していないと察知すると、それとなくシュトゥーバの言ったことを日本語で独り言のように繰り返してくれた。
「ミスター・マルヤマ、フィジビィティ・スタディは予定通り終わりそうですか?」
とシュトゥーバが骨張った両肘をテーブルにつき、両手で持った鶏肉にかぶりつきながら首をかしげて言う。
「いまのところ、順調です」
と丸山がジャパングリッシュで答える。土岐には彼の英語はほぼ100パーセント聞き取れた。
「ミスター・トキのほうはどうですか?」
とシュトゥーバが土岐のほうにすこしむき出した丸い目を向けてきた。
「たぶん大丈夫だとおもいます」
と土岐はどもりながら答えた。この答えで、土岐の英語のおぼつかないことをシュトゥーバが理解したようだった。
「留学されて帰ってきたのはいつごろなんですか?」
と丸山が話題を変えてくれた。丸山の英語は発音ばかりでなく、構文も日本語をそのまま直訳したようで、きわめて聞き取りやすかった。
「もう、五年ぐらいになるでしょう。祖国のためにと考えて帰ってきたけれど、なかなか思うようにいかない。あとからアメリカに来た後輩はそのままアメリカに残ってしまった。彼の気持ちも分からないことはない。彼を責める気にはならない。いずれは、帰ってきて祖国のために働いてくれると信じている。・・・でもアメリカという国はあわれな国だと思っている」
「どうして?」
と丸山がすかさず聞いた。シュトゥーバはそう聞かれることを待っていたようだった。
「アメリカに初めて着いたとき、空港から大学のゲストハウスまで、タクシーに乗った。夜だったし、初めての土地だから、どこをどう走ったのか、皆目分からなかった。空港で乗るときの口約束では50ドルだったので、到着したときに50ドル札を出して、降りようとした。すると運転手は、
『5ドル札だ』
と言って、渡した紙幣を突き返してきた。見ると確かに5ドル札だった。そこで財布を確認すると、50ドル札はあと一枚しかなかった。空港で50ドル札を二枚両替していたので、わたくしが5ドル札を渡すことはありえない。空港で、50ドル札二枚あるのを確認していたので、運転手の嘘であることに気づいた。気づいたときに、その運転手に対して深い哀れみの感情を抱いた。人を欺いてまでして、50ドルが欲しいというさもしい行為に哀れみを覚えた。わたくしの国では、逆のことが起こる。つまり、5ドルでいいところを50ドル支払って、タクシーを降りようとすれば、運転手は追いかけてきて釣りの45ドルを持ってくる」
黙って聞いていた丸山が確認するように訊ねた。
「そういうさもしい心しかもっていない運転手に同情したということですか?」
丸山の半袖が扇風機の生暖かい風に時折、思い出したかのようにひらめいている。
「まあ、そういうことです。わたくしの国の人々が最大の喜びとすることはひとから感謝されるということなんです。・・・それから、アメリカに留学していたとき、スーパーマーケットの入り口のコルク・ボードに貼り付けてあったチラシを見て、そこから電話番号をちぎりとって、他の学生から中古車を買ったことがある。ボディ中が赤錆びだらけで、雨が降ると雨漏りがした。あるときドミトリィの自室の中古のデスクトップ・パソコンが壊れたので、修理に出そうとその車のトランクに入れといた。修理代次第では新品を買ってもいいと思っていた。夕方だったので、とりあえず翌日修理店に持ち込もうと考えていた。翌朝、車をみるとトランクの鍵が壊されていて、デスクトップ・パソコンが盗まれていた。犯人はたぶん、ドミトリィの駐車場でパソコンをトランクに入れているところを見ていたのだろう。夜中に盗み出して、どこかで売ったのかもしれないが、故障していたから10ドルにもならなかったかもしれない。それによって犯人は何を得たのだろうか。・・・そういうアメリカ社会には哀れみしか感じない。わたくしの国では、逆のことが起きる。もし、学生のパソコンが壊れていたとしたら、無料で修理することを他の人々は考える。自分に修理できなければ、修理できそうな人を探してくれる。アメリカで起きたようなことは、わたくしの国では絶対に起こらない。・・・たしかに、貨幣経済は便利なものではあるが、自分の心の空隙を貨幣イコール商品で埋めることを人々になれさせるものだ。自分の心の隙間はひとの心でなければ絶対に埋めることはできない。自給自足経済から貨幣経済に移行すれば、たしかに自分が生産していたものを他人から購入し、購入するための資金を得るために他人にものを売るのだから、所得水準は上昇する。しかし、そのことは同時に貨幣の絶対性を人々に錯覚させる。つまり、貨幣を得るために生産するという苦痛のリンクよりも、貨幣でものを得てこころを満たすというリンクのみが太くなってゆく。それが所得水準の高い経済の特徴だと思う」
鶏の丸焼きは香辛料がきつく、土岐の口にはあまり合わなかった。時差の関係もあり睡眠不足から、疲労が多少蓄積されていることもあって、食欲があまりなかった。シュトゥーバはしきりにちぎったサラダと黒焦げの平焼きパンを勧めてくれるのだが、丸山のように片っ端から平らげることは土岐にはできなかった。テーブルの上の料理が遠来の客をもてなす晩餐であるとするならば、日常の粗餐が想像された。こういう食餌なら、メタボリック・シンドロームに脅かされる心配もないだろうとも土岐は思った。
「ミスター・トキ、必要な資料があれば、いつでも言ってもらいたい」
とシュトゥーバが土岐の目を射るように見つめながらゆっくりと話しかけてきた。
「直接欲しい資料ではないんですが、この国の財政状態はどうなんですか?」
「たぶん、日本の千分の一の規模もないと思う。生活最低水準にある大半の国民から所得税を徴収することはできない。一般消費税は徴収モラルが低くて、賦課できる状態ではない。結局取りやすいところから物品税を取るしかない。この国は島国だから、輸出入関税がもっとも徴収しやすいが、輸出税だと国内業者から徴収しなければならないので、結局、輸入関税に財政を依拠せざるを得ない。したがって恒常的に財政赤字に見舞われている。赤字国債を発行しても中央銀行以外に引き受け手がないので、この国の経済はつねにインフレ気味だ。中国やインドほど人口もないから、経済規模も小さく、義務教育の6年すら十分に浸透していない状態では、外資を導入することもままならない。現状ではアジアの他の諸国の経済成長のおこぼれを頂戴する以外に経済成長のとっかかりがつかめない」
発展途上国の経済社会開発は土岐の専門ではあるが、実態と学問の間には埋めきれない懸隔があった。土岐はそのことを話さないではいられなかった。
「発展途上国の経済発展については多くの学者がいろいろな説を展開したんですが、アジア諸国の経済成長はつまるところ外資の導入とそれに伴う技術導入に依存しています。資本と技術と初等教育を受けた労働があれば、あと必要なのはマーケットだけで、マーケットを欧米諸国と内需が引き受ければ、投資が投資を呼んで、かつての日本の高度経済成長のように、経済は自動的に成長してゆきます。結局、学者の処方箋はまったく役に立たなかったと言えます。・・・でも、この国がBRICsのような新興国の仲間入りをするのは困難なことだと思います」
と日頃考えていることを言ってしまったが、隣の丸山は、何を言い出すかと、はらはらしているようだった。土岐の顔とシュトゥーバの顔色を交互にうかがいながら、心配そうに眉根に皺を寄せていた。
「だからといって、何もしないでいるということは、わたくしにはできない。わたくしはこの国の自然と人々を愛している。BRICsのような経済成長は望んでいない。ただ、乏しい資源を乏しいなりに有効に使う算段をしたいだけだ」
とシュトゥーバは細い肩をすぼめた。そこで丸山が待っていたかのように口を挟んだ。
「今回の国鉄の首都近郊の電化計画は、うまく行けばこの国の省エネルギーに貢献します。それに、人と物の輸送システムの効率化に役立つと思います」
「ミスター・マルヤマの言うことは正しい。わたくしが心配しているのは、このプロジェクトに便乗して、多くの不効率が生まれることだ。その不効率はこの国にとって将来の負担になる。将来の資本蓄積を食いつぶし、この国を低開発の泥沼におとしめることになる」
「そうならないように、ぼくたちは頑張ります。それに鉄道インフラがある程度整えば、物流と人的移動のボトルネックが多少解消されるので、外資導入も楽になるんじゃないでしょうか」
と丸山が急に立ち上がって、テーブル越しに右手を出して、シュトゥーバに握手を求めた。空いた左手を土岐の顔の前に差し出して、
「土岐さん、がんばりましょう」
と土岐の左手を握った。シュトゥーバは白い歯を剥き出しにして苦笑している。
「日本人はひとりひとりは高いモラルを持っていて素晴らしい国民だと思う。問題は、組織の一員として行動するときだ。個人のモラルが、組織の論理に押しつぶされるのを幾度か見たことがある。とくに、わが国の官庁に跳梁跋扈し、接待で歓楽街に百鬼夜行している商社マンがそうだ。何度か一緒に食事をしたことがあるが、個人的にはいい男だが、組織の代理人としてやっていることは、決してこの国の利益にはならない。つまり、ウイン・ウインの関係にならないのだ」
丸山は思い当たる節があるような目つきで、
「南田さんのことですか・・・商社マンなんて、あんなもんなんですけどね。・・・と言うぼくの感覚が世界標準ではないのかな」
と中腰になって自嘲気味に言う。土岐は、南田という名前を記憶に留めた。
シュトゥーバは土岐の目をのぞき込むようにして話し出した。
「無償援助はあなたの国が一番多い。無償だから、文句はつけたくないが、物品はいつもあなたの国では廃棄寸前の在庫品ばかりだ。だから、故障しても部品もないし、代替品もない。たまに、新製品を援助してくれると思えば、援助の対象でない消耗品や交換部品がばか高い。ODAもディマンド・ベースとはいうが、そのディマンドは商社マンと大使館のコマーシャルアタッシェの合作で、それにわが国の官僚や大臣が賄賂で乗っかるという構図になっている。プロジェクトの発注は入札にはなっているが、仕様が日本仕様だから、当然のように日本の業者が落札する。
『日本の納税者のお金が援助になっているから、日本の業者が受注しても問題はない』
というのが日本大使館の見解だが、償還の負担はかさむことになる。日本の業者が世界中で一番安いと言うのなら、文句のつけようがないが、必ずしもそうでないから、援助されながらも割り切れなさが残る」
「いわゆる、ひもつき、というやつですね」
と土岐は同情気味に合いの手を入れた。
「でもそれは、瑣末なことに過ぎない。わたくしが重要だと考えるのは、この国の人々にとっての経済成長とはどういうものかということだ」
次第にシュトゥーバの口角に微細な唾液の白濁が溜まり始めた。丸山は頷きながら話に加わろうとしているが、自分の専門外なのか、幾度も話し出そうとしては、言葉を呑み込んでいる。話が終わりそうにないのを確認するように丸山は座りなおした。
「経済成長は人々が抱く身の丈にあったバブルで実現する。いまよりもよりよい生活を求めて人々が描くつつましやかなバブルが経済成長に繋がる。いま中国の人々は、山間や西部の農村から沿海部に出てきて、液晶テレビや冷蔵庫や洗濯機やエアコンに囲まれた新築の家に住み、自動車を乗り回したいというバブルを夢見て働いているに違いない。それが、社会主義的市場経済に長期にわたる高度成長を可能ならしめた。インドやブラジルやロシアの人々もそうだろう。そうした、アメリカ人や日本人の平均的な生活をバブルとして抱くのであれば、そのバブルが原動力になって、資本と技術さえあれば、バブルからいずれ現実となる。だがこの国の人々は物質的なバブルを抱かないという国民性を持っている。自然そのものが自分の家だ。これほど広大な美しい家はない。季節風がエアコンだ。スイッチも電気もいらない。食料だって、道端にバナナもあれば、ドリアンもある。海に入れば魚もある。採取に多少の労働を要するから、必要以上には摂取はしない。だから、先進国のように肥満が国民病とはならないし、天然資源が枯渇することもない」
そこで、丸山が満を持して、話したいという欲求を解き放った。
「でも、先進国のように経済成長をしなければ、乳児死亡率は低下しないし、平均寿命も延びないでしょう。病気の治療もままならないんじゃないですか」
シュトゥーバはうれしそうにほほえんだ。そういう批判を予想していたようだった。
「ミスター・マルヤマ、その通りです。でも人は一回しか死なない。だから、その人の死が悲しいのは誰でも一回かぎりです。病気は本人もつらいし、家族もつらいものです。先進国のように医学が進歩していなければ、寿命も短いでしょう。でも人は誰でもいずれ死んで、生まれる前に戻るのです。誰だって、生まれる前は影も形もなかったんだから、元に戻るだけのことです。誰だって、自らの意志で生まれてきた人はいない。自分という個体に執着する限り、自分という存在が唯一無二で絶対であると信じる限り、生きていることは苦しみの連続です。この国には、我に執着しないという文化があるんです。生にも富にも執着しない。だから、たとえそれが身の丈にあったものであったとしても、いまの生活よりもいい生活をしたいというバブルを抱かないのです」
「ということは、経済成長はしたくないということですか」
と土岐は確認するように聞いた。シュトゥーバは丸山に向けていた目線を土岐に振ってきた。
「それは極端な意見で、国際情報はどんどん入ってくるので、多少いい生活をしたいというバブルを完全に否定するのは困難です。欲望は無限大です。考えるだけなら誰だって世界中の富を自分だけのものにしたいとバブルを膨らませるだけ膨らませることは可能です。問題は、そのバブルを実現するための努力をする覚悟があるか、どうかということです。身の丈に合わないバブルを抱けば、いずれ崩壊するだろうし、一人当たり所得が千ドルにも満たないようなこの国の国民に子どもに巨額の教育投資をほどこすことは親にとって困難です。もし先進国が好意で援助をしてくれると言うのなら、教育だけで十分です。でも、日本のODAの40%以上が道路やダムや電話関連の経済インフラで、農業や鉱工業や建設業の生産セクターが20%以上・・・教育や保健衛生などの社会インフラは20%以下です。日本のODAの特徴はほかの先進国と違って、日本にとって目先の利益に繋がりそうなものばかりです」
土岐も丸山もすでに食事を終えていた。おかわりが欲しくなるほど美味というわけではなかったので、いく切れかの鶏肉とサラダと2枚の平焼きパンで十分だった。シュトゥーバは話すことに夢中で、ちぎった平焼きパンを指に挟んだままで、自分で取り分けた鶏肉すらも食べきっていなかった。シュトゥーバの話は止まなかった。
「この国のデット・サービス・レシオは50%近い水準です。こんな国に直接投資をしようという国はないでしょう。だから外資による経済成長はとても望めない」
そこで丸山のこめかみがピクリと動き、土岐の方を振り向いた。なにかを聞きたいのだと分かったが、彼の質問を待った。
「デット・サービス・レシオってなんですか?」
土岐の推測は当たった。即座に解説した。
「債務返済比率のことです。輸出額に占める返済すべき元利合計の割合です。これが大きいと、通貨安の要因になるんで、直接投資をしてもその収益が目減りしてしまうんで、人件費が安いといっても投資国は躊躇するでしょう。二十世紀末以降、中国が巨額の外資を呼び込んだのは、人件費の安さだけではなく人民元がドルにリンクされていたことも大きな要因です」
土岐は丸山に目配せして、そろそろ帰ることを提案した。丸山は土岐が視線に込めた合図に合意した。
「今夜はどうもご馳走さまでした。だいぶ夜も遅くなってきたので・・・」
と言いながら丸山が音を立てて椅子を引くと、シュトゥーバは傷だらけのアナログの腕時計を見て、驚いたように目を剥いた。
「こんな時間か。食事はもういいですか?」
「充分いただきました」
と答えながら土岐も椅子を軋ませながら引いた。
「今晩話したことは、あくまでもわたくしの個人的な見解です。政府も国鉄総裁も国鉄の電化を望んでいます。ただ、わたくしは立場上、可能な限りコストを抑制したいのです。ミスター・トキには、そのことを強調しておきたかったのです」
「そのことは、財務分析の基本です。コストとベネフィットが見合うのでなければ、そのように報告するだけのことです」
と言う土岐の背中を左手のひらで押すようにして、丸山が立ち上がった。丸山の手のひらの湿り気が手形のように土岐の背中に残った。
シュトゥーバの家族は最後まで姿を現さなかった。南北に走る国道に出る途中でそのことを丸山に問うと、
「この国では、自宅に招待しても家族は姿を見せないのが習慣なんです。ぼくも、今日で2度目ですが、彼の家族を見かけたことがないんです」
と手探りで歩きながら言う。薄暗い土壁の隣の部屋で息を潜めていたと思われるシュトゥーバの家族の気配が、いまごろになって背中に感じられた。彼の家のほうを振り返ってみたが、黒い塊のような闇以外には何も見えなかった。
ホテルに帰るタクシーの中で、お土産のカレンダーを忘れたことを土岐は思い出した。
「お土産のカレンダーをシュトゥーバの国鉄の部屋に持って行っていいですかね?」
「いくつ持ってきたんですか?」
と丸山は答える前に聞いてきた。
「3本ですけど・・・」
「全部あげられますか?」
「他にあげた方がいいような人はいますか?」
と土岐が答える前に聞いた。
「カウンターパートだけでいいとおもうんですが・・・数が少ないと事務室で露骨にいやな顔をする人もいますから・・・」
「どうしてですか?」
「この国では人前で何か貰ったら関係者に分けなければならないという文化があるんです。だから、独り占めしたいような貴重なものは、事務室ではなくて、自宅かどこかで、こっそりとあげなければならないんです。三本あげれば、彼はそのうちの二本を部下にあげて、部下たちは一枚ずつ切り離して分けるでしょう」
「わかりました。明日、三本彼にあげることにします」
土岐はタクシーに揺られながら手付金十万円で依頼された密偵のことを丸山に言いだしそうになった。丸山がODAを食い物にしている首謀者のようには土岐には思われなかった。しかし丸山にそのことを相談すれば、彼の口を通して、首謀者の耳に入り、密偵の使命を果たせなくなる可能性がある。丸山は悪い人間のようには見えないが、おしゃべりだ。土岐が電化プロジェクトを否定するような報告書を書かなければ、成功報酬としての残りの九十万円はもらえなくなるかもしれない。土岐はその九十万円に強い執着を覚えていた。
タクシーからホテルの明かりが見え始めたとき、土岐はシュトゥーバのポジションについて丸山に確認した。
「かれは、・・・シュトゥーバは今回のプロジェクトでどういう位置にあるんでしょうか?」
「位置って、・・・?」
「ようするに、かれの・・・プロジェクトへのかかわりかたというか、許認可権というか、姿勢というか、賛否と言うか、利害関係と言うか」
「まあ、かれとはまだ突っ込んだ議論はしていないんですが、・・・ぼくの印象としては、ニュートラルというか、是々非々というか、・・・まあ、政治家ではないですね。利権をあさるという素振りもないし、・・・いうなれば、学究肌なのかな・・・清廉潔白というよりも真実に忠実な・・・頭が固いというか、まあ、日本の官僚にはいないタイプですね」
と丸山にしては確信がないような口ぶりだった。
土岐はホテルに戻ってから、深夜、報告と問い合わせのメールを、
〈Kakusifile〉
あてに送信した。
@土岐明調査報告書・現地第2日目、午前8時過ぎ、プロジェクト・メンバー全員と顔合わせしました。プロジェクト・マネージャー・王谷恵一、副プロジェクト・マネージャー・吉川和夫、電化エンジニア主任・松山幸一、その部下の電化エンジニア・川野文雄、運行エンジニア・山田光三、軌道エンジニア・高橋紘、電信エンジニア・浜田誠一、信号エンジニア・畠山孝雄、輸送エコノミスト・中井富士夫、土木エンジニア・丸山憲一、私のカウンターパートである国鉄財務部副部長・カッシー・シュトゥーバ。ODAを食い物にしている首謀者に関する報告は特にありません。確証はありませんが、印象としては、プロジェクト・マネージャーの王谷が怪しいように思えます。午後7時過ぎ、シュトゥーバ宅にて夕飯をごちそうになりました。ところでミッションには、首謀者を密偵するようなことがありましたが、それには日本人以外も含まれるのでしょうか?@
翌朝、
〈Kakusifile〉
から返信があった。
@首謀者の調査に外国人も含まれるかどうかというお問い合わせですが、日本人に限定して調査をお願いします。特に、プロジェクト・マネージャーの動向に注意してください。今回のプロジェクトは、日本の高度経済成長時代に成功をおさめ、バブル経済崩壊以降、我が国の累積債務を膨張させてきた公共投資産業をそのまま輸出する形になっています。こうしたプロジェクトがBRICsなどの新興経済に対するものであれば、それなりの意義はあると思われますが、いまだ低位の発展途上段階にある国に対しては、対外累積債務を膨らませるだけになるものと思われます。財務分析の結果、プロジェクトがフィージブルではないという結論を導出するように検討することを祈念します。以上@
六 現地第3日目
作業所へは前日と同じように、タクシーに分乗して行った。着くなり、トランスポート・エコノミストの中井が湿っぽい手で別れの握手を求めてきた。
「午後いちの便で帰ります。やっと、無罪放免です」
と広い額を脂汗でてかつかせて、目尻を下げて、晴れやかな顔をしている。
「きのういただいた名刺のメールアドレスで連絡が取れますか?」
と土岐は確認した。彼の報告書にはまだ疑問と思われる箇所がいくつかあった。
「大丈夫です。こんどは東欧なので、インターネットの使用には問題ないでしょう。この国ではディジタル・ディバイドを体感しました。まあ、日本でも依然としてディジタル・ディバイドは解消されていないですけどね」
と中井は端正な顔と同じような滑舌のいい話し方をする。
「お疲れ様でした。今度は本調査でお会いしましょう」
と丸山が握手の手を差し伸べた。
「交通予測は本調査では用なしだと思いますよ。円借款がついてプロジェクトが動き始めれば、乗客予想なんか必要ないでしょう」
と中井はそっけなく言った。
「それもそうですね」
と言いながら丸山は歯をむき出しにして笑い転げた。土岐には笑っている意味が良く理解できなかった。
中井が他のメンバーに一通り挨拶を終えて、作業所を出ようとしたとき、新顔が現れた。
「南田さんだ」
と丸山が小さく叫んだ。ブルーの波打ち際に緑の椰子がお辞儀をしているアロハ・シャツにバミューダ・パンツをはいている。裸足に革のサンダルを引っ掛けて、レーザー・プリンターでプリント・アウトしたA4用紙を小脇に束にして持っていた。
「南田さん、こちら土岐さん。財務分析担当です」
と丸山が紹介してくれた。その脇を中井が別れの挨拶をしながらうれしそうに出て行った。
「扶桑物産の南田です」
と落花生のような頭をした馬面の男が自己紹介した。薄いパープルのファッション・グラスの奥で小ずるそうな目が目元に皺をつくって笑っている。
「扶桑総研からきた土岐です」
と土岐も砂田に言われたとおりに自己紹介し、名刺を差し出した。
「同じ企業グループのシンクタンクですね。昔、なにかの調べ物で行ったことがありますよ。ただ、有楽町の本社の方じゃなくて、世田谷かどこかの資料室でしたが・・・」
「ああ、砧ですね」
「そうそう、砧・・・むかし、狸と間違えちゃって、えらい恥を掻きました」
傍らで丸山が大声を出して笑っている。どちらがつられたのか、南田も息を吸い込みながら笑っている。笑い方もそうだが、脱色したような南国の貧しい彩りの風景になじんだ土岐の目には、南田のカラフルないでたちは際立っていた。
「けさは高橋さんにデータを持ってきたんです」
と明るい声で言いながら、南田は初老グループのテーブルに向かった。滑らかなコンクリート床を歩きながらサンダルの底が足の裏を叩く音がペタペタとする。そのとき、丸山が土岐に囁いた。
「たぶん、軌道の価格のデータだから、一緒に聴いといたほうがいいですよ」
そう言われて、土岐は南田のあとに続いた。南田は高橋の隣に籐椅子を持っていって腰掛けた。土岐はその二人の後ろから立ったままやり取りをうかがった。
「高橋さん、いまさっき、本社から軌道の見積りが届きましたんで・・・」
「あっそう」
と高橋は抑揚のない返事をした。頭が逆三角形に近く、顎が尖っている。肩幅と比べて頭が大きい。両耳の上に大きな目でもあればカマキリそっくりな顔をしている。
「バラスト軌道で見積もりを、という要望でしたが、本社の方ではスラブの方がいいんじゃないかということで、・・・これがその見積もりです。ちなみに、これは製品見積もりだけで、敷設作業費用は含まれていませんので・・・」
と南田が差し出した見積書を高橋は頭に右手の五本の指を立てて掻きながら見入っている。微細なキラのようなフケが窓から零れ入る一条の日差しを横切って、ラメのように輝いている。
不意に土岐の耳元で丸山が囁く。
「スラブとバラストの違いは、バラストというのは現在のディーゼル用の軌道で、道床が枕木と砂利で出来ていて、その上にレールを敷く。スラブというのは新幹線で採用されている軌道で、道床がスラブと呼ばれるコンクリートで出来ていて、その上に線路を敷く。この国にスラブ軌道はないから、新工法ということになるでしょうね。メンテナンスはスラブ軌道の方が楽ですが、現在のバラスト軌道をスラブ軌道に変えるとなると、初期費用はけっこう嵩むでしょうね」
土岐は高橋と南田のやり取りを見ながら、丸山の情報にうなずいた。
「うーん」
と唸ったまま、高橋は長い鼻の下にボールペンを挟んで、腕組みをしている。
「いかがです?」
と南田が高橋の尖った顎をななめ下からなめるようにして見上げる。
「たしかに、スラブ軌道であれば、軌道の狂いも少ないし、点検作業の手間が大幅に省力化できるけど・・・」
「そうでしょ」
と南田が同意を強要するような口調で言う。高橋の声はか細いので、押し切られそうな雰囲気が漂っている。
「でも・・・財務副部長のシュトゥーバのブリーフィングでは、できるだけコストを押さえてくれということだったんで、バラスト軌道の設計にしたんですよ。バラストであれば、枕木も砂利も現地調達ができるんで、かなり安くあがるでしょ。道床も現在のディーゼル機関車のものをそのまま使えるし・・・スラブ軌道だと、・・・この見積もりだと、路盤コンクリートと軌道スラブを輸入することになっているけど、輸送費を考えると現地生産したほうが安上がりじゃないですか?」
そこで南田は必要以上に首を捻って腕組みをした。
「さあ、その辺がどうですかね。庭先にコンクリートを打つのと、訳が違いますからね。路盤コンクリートには軌道スラブを固定するための突起が必要ですよね。現地の業者をあたってみたんですが、そんな技術のありそうなのはなかったですよ」
そのとき土岐の右肩が指先で突っつかれた。振り向くとニ三歩後ろで丸山が指招きをしている。何事かと目で訊ねると、土岐の腕を引っ張って後ずさりさせ、右耳に口を寄せてきた。
「業者をあたったなんて、はったりですよ」
とかすかに聞こえるようなかすれ声で丸山が言う。
土岐はあらためて高橋と南田の会話に耳を向けた。
「んーん、だから、そのへんの調整をモルタルでやるわけでしょ」
と高橋は承服しかねるように言う。南田と高橋の会話にはオブラートに包まれたような棘が聞き取れた。南田は高橋の決断を促すように机の上に指を立て、苛立ったように爪の先で小刻みに叩いている。それを聞きつけて、プロジェクト・マネージャーの王谷が神妙な面持ちでおもむろにやってきた。先刻からタバコをすいながら窓の外を茫然と眺めていたようだったが、二人のやり取りをずっと聞いていたらしい。
「どうしたの?高橋さん」
と言う王谷の慇懃な話し方にはかすかな威圧と尊大さが感じられる。
「いやあ、軌道をスラブにするか、バラストにするか、・・・わたしはコスト面ではバラストのほうがいいと思うんですが・・・点検の手間はかかりますが、この国の人件費は知れてますし、失業者も多いようなので・・・」
と高橋は年のワリには豊かな頭髪を指で掻き揚げながら、申し訳なさそうに言う。その技術者の良心に迫力がない。
「それは、それ。このプロジェクトはACIの責任でやるので、子々孫々まで恥ずかしくない工法にしてもらえませんか。確かに、現在この国の人件費は安いでしょう。しかし、中国だってインドだって、経済成長と共に人件費が上がっているでしょう。いまじゃ、日本の現地工場が中国からベトナムあたりに移転しているって言うじゃないですか。まだ、財務分析もやっていないし、・・・スラブでやっても、十分ペイするかもしれないでしょ。それに点検の指導は日本人がやらなきゃならないんで、ソフトも含めて考えれば、ソフトのいらない、いいハードを入れた方がかえって安くつくかもしれないでしょ。・・・まあ、安けりゃいいってもんでもないし・・・」
「それは、まあ、そうですが・・・」
と高橋が渋面を作る傍らで、南田が密かにほくそえんでいる。高橋は短い腕を組んで、考え込んでいる。その思考を急かせるようにコンクリートの床をぺたぺたと叩く音がする。南田の右足のサンダルが、小刻みに上下する踵と床面の間を往復しながら音を立てていた。
王谷は、
「これでいいですね」
というように湛然とした目で南田に合図した。
「まあ、財務分析によっちゃあ、値引きに応じますから・・・なんてったって、日本製が世界一ですよ。新幹線なんか人身事故ゼロですからね。世界に冠たるモノですよ」
と南田は籐椅子を軋ませて、そっくり返って同意を求めるように後ろに立っている土岐を見上げた。
王谷は自分の机に戻ったが、高橋のぼやきは止まらなかった。
「丸山さん、現在の狭軌を広軌にすることは決定済みだから、バラストをやめて、スラブにするとなると大変な土木工事になりますよ」
「まあ、そうでしょうね。道床をあらたに敷設しなきゃならないですからね」
と言いながら丸山が歩み寄ってきた。南田は丸山が何を言い出すのかとなんとなく恐々としているように見える。
「でも、スラブの方が軽いので路盤に掛かる重量負担が小さいので、橋や盛り土の補強をそれほどしなくてもすむと思いますよ。スラブに決定するということであれば、ぼくの方も、補強見積もりをすこし削ることにします。もっとも、スラブにしたコストアップをカバーし切れないとは思いますが・・・」
と言う丸山の話の前半で南田は口をM字に歪めてにんまりしていたが、話の後半で元に戻った。百面相のように表情の豊かな男だった。
「まあ、スラブでお願いしますよ。レールはどっちでも同じですから・・・」
と言いながら、ころあいを見計らって南田は席を立った。高橋は南田から受取った見積もりに項垂れるようにして見入っている。正直な心根の男のようで、眉が八の字になっている。高橋の筋張った首筋から下のなで肩に悄然とした思いが漂っていた。定年間際のトラック・エンジニアが素人の商社マンに屈した瞬間だった。同席していた吉川と山田は専門外なので、一切口を挟まなかった。二人とも各人の言うことにいちいち頷いていた。どちらかの言い分に与するわけでもなく、傍観者を装うっていた。
南田は初老グループのテーブルが終わると隣の中年グループのテーブルに移動していた。
「電線、電信、信号関係の見積もりは明日になると思いますが、全品日本製でよろしかったんですよね」
と言う南田の念を押すような問いかけに、電化エンジニア主任の松山が答えた。
「ええ、この国は高温多湿だから、日本製でなければ信頼性に欠けます」
「でも、値段の高いのが玉にきず」
と信号エンジニアの畠山が間髪を入れずに補足した。松山は欧米の漫画に登場する日本人そっくりで、七三に分けた髪の下の度の強い眼鏡の、そのまた下の前歯がすこし出ていた。畠山は顔の面積が松山の二倍ぐらいあり、こんもりとしたリーゼントともみ上げの下に張り出したえらが、その頭をさらに大きく見せていた。電化エンジニアの川野は一重瞼の細長い顔をした男で、唖かと思うほど無口だった。必要なこと以外はまったくしゃべらなかった。その男が冗談めいたことを話したので土岐の印象に残った。
「南田さんの会社は高額であればあるほど口銭収入が多くなるんでしょ」
予想もしていなかった人間から声が掛かったので、南田は一瞬怯んだように見えた。
「まあ、それはそうですが、・・・高額であればあるほど輸送や梱包に手間隙かかるんで、金額が二倍になれば、口銭が二倍になるという単純なものでもないんですよ。マーケット・シェアの高い高性能の商品の場合、メーカーが強気で、利幅が少ないというのも珍しくないし・・・」
四角い顔の畠山が話す前から笑い出して、
「でもね、あんまり、ふっかけて見積もると、コスト高でプロジェクトそのものが、フィージブルでない、なんてことになりかねない。そうしたら、全部おじゃんでしょ」
と甲高い声で南田をからかうようにして言う。
「いえ、大丈夫です。一等書記官の白石さんの話では、外務大臣の訪問スケジュールがもう決まっていて、大臣の手土産で、このプロジェクトがODAの対象となることが、交換公文で謳われるそうですよ」
「いつものばらまき外交ですね」
と川野が表情を変えず寸鉄で人を刺すようにして言うと、
「ばらまき外交さまさまです」
と松山がおどけたように川野のその言葉を受けて揶揄すると、そのテーブルのメンバー全員が押し殺すように静かに笑った。そうやってメンバー各々が報告書を英文で作成するストレスをささやかに解消しているようにも見えた。
「それじゃ、またあした」
と南田は王谷の方に目礼して、サンダルをペタつかせて、作業所をあわただしく出て行った。胡散臭い奴というのが南田についての土岐の印象だった。
昼食はチャイニーズとフレンチの二手に分かれた。初老組はフレンチ・レストランへ、残りのメンバーはきのうと同じチャイニーズ・レストランに向かった。初老組は王谷がタクシーの助手席に座り、あとの吉川、山田、高橋の三人が後部座席に納まった。後部座席は窮屈そうだったが、三人とも小柄なので、すんなり一台のタクシーに乗り込めた。中華レストラン組は一台に中年組の浜田、畠山、川野が乗り、もう一台に土岐と丸山と松山が乗り込んだ。丸山が助手席を取ったので、土岐と松山が後部座席になった。至近距離で松山と接するのは初めてだった。頭髪には白髪は見られなかったが、鬢は別物のように真っ白だった。
「みなさん、ACIの関係者なんですか?」
と土岐は、話しかけてくるようすがなかったので、とりあえず、そんな質問をしてみた。
「皆さん出向ですよ。わたしの本籍は民間の電線会社で、現在は一時的に外務省の外郭団体に籍を置いています。そこのお偉いさんたちは、みんな外務官僚の天下りだから、生え抜きの皆さんの士気は低いですね。にもかかわらず、ODAの一人当たりの取り扱い金額は世界一らしいですよ」
と松山の話し方はどことなくそっけない。抑揚も愛想もないようなしゃべり方だった。営業では務まらないが、技術者ならこれでいいのかもしれない。如才ない丸山の話し方とは対蹠的だった。すこし間があって、丸山が前を向いたまま言った。
「土岐さん、このプロジェクト・チームは寄せ集めなんですよ。みなさん、民間企業に本籍をお持ちで、今回は、外務省の外郭団体のそれぞれの部署から来ていただいています。こういう編成は特殊なケースでなくって、フィージビリティ・スタディはうちの会社が元請けなんですが、うちの会社にはジェネラリストしかいないので、いつも専門の方は、こんな感じで外部にお願いしています」
「まあ、わたしら、派遣社員みたいなもんですよ。・・・いやあ、プロジェクト単位の仕事請負だから、フリーターみたいなもんかな」
と言いながら、松山は自嘲気味に鼻先で淡白に笑った。笑い方がどこかぎこちなかった。しかし技術者の朴訥さがじかに伝わってきた。人を見る目のない土岐でも、松山という人間に裏表のないらしいことが、なんとなく分かった。
昼食後、土岐は作業所に戻ってから、中井の予測データと国鉄の運賃データをもとにして、運賃収入予測を行った。作業自体は、中井の乗客数の予測データに距離別の現行運賃を掛け合わせるだけで、表計算ソフトを用いた至極単純な作業だった。
中井のデータに運賃を掛けると、乗客運賃収入が全体の7割で、残りの3割は貨物輸送収入になった。この比率は開業から三十年後の最後の予測時まで維持されている。中井の予測では、乗客数も貨物輸送量も年率3%の定率で増加していた。これに、現行運賃をそのまま掛ければ、運賃収入も定率の3%で増加することになる。最後の年には現在の二倍半程度になった。日本の戦後の高度経済成長を含めた経験を考えれば、それほど無理な数値ではないように思われる。むしろ、保守的な予測という評価ができる。しかし、中井の予測に関する説明からは成長率3%の根拠は読み取れなかった。だからといって、中井を責めることはできない。この種の長期予想については、どのような場合でも明確な根拠を示すことは難しい。しいて、根拠を示すとすれば、先進国の経験以外にはない。ある国にできたこと、または起こったことは、他の国でもやろうと思えばできる、または起こるはずだという考え方だ。もちろん、マクロ経済モデルを構築し、労働力や資本量や技術水準を長期的に予測し、マクロ経済の規模を推計した上で、乗客数を予測するという方法も考えられる。しかし、手間隙の掛かるわりにその精度は直感によるものと比較してもそれほど高くはない。
(プレゼンテーションのときに、予測額の増加率についての質問が出ればそのように答えるしかない)
とそんなようなことを自問自答しながら、土岐は作業を進めた。
四時を過ぎたころに、三十年間のキャッシュ・インフローの予測が出たので、その金額を3%の割引率で割り引いてみた。運賃収入が3%で増加することを想定しているので、その金額を3%で割り引けば、複利計算で、各年の運賃収入は初年度と同額になる。各年について割引計算するまでもなく、初年度の金額を三十倍したものが、このプロジェクトの三十年間の収入の現在価値になる。とりあえずは、この金額がベンチマークとなる。この金額をどのような理由をつけて増加させるかがフィナンシャル・アナリシス・スペシャリストとしての土岐の腕の見せ所になる。しかし、プロジェクトを破綻させるためには収入予測を減らすことも視野に入れなければならない。
その作業を終えて、あくびをしながら大きく伸びをしていると、丸山が土岐のワークシートをのぞき込んできた。数字の意味を聞かれたので、ひとつひとつ丁寧に答えた。
「割引率ってなんですか?」
その概念をシビル・エンジニアの丸山が知らないことは、土岐にとっては新鮮な驚きだった。
「このベンチマークでは、割引率を3%にしてあるんですが、例えば市場金利が3%で現在の百万円を1年間運用すれば、1年後には元利合計で百三万円になるでしょ」
と土岐が言うと、丸山は、だからなんだと言いたげに土岐の顔をのぞき込む。
「だから、現在の百万円は市場金利3%の時には、1年後の百三万円に価値的に等しいと考えるんです。だから、逆に1年後の百三万円を現在の時点で評価すると百万円ということになる。このとき、百三万円を百万円に割引く率を割引率というんです。さらに、一年後の百三万円の現在価値は百万円だと言うんです」
と説明をしながら、手付金十万円と残額九十万円、総額百万円の報酬が土岐の脳裏に浮かんだ。
丸山が頷く。
「なるほど、そう言われれば、いま百万円くれると言うのと、一年後百万円くれると言うのであれば、誰でも、
『いまくれ』
と言うわけだ。それが、いまの百万円と一年後の百三万円なら、金利が3%なら、同じということか」
同じようなことを、土岐は数年前に文系の大学に通う甥に説明したことがあったが、彼は最後まで理解しなかった。どうもこの種の話は、理解できる人とそうでない人がいるようで、しかもその能力は先天的なもののような気がしてならない。丸山は理系だから、数字に関しては先天的に理解が容易なのかもしれない。
丸山は、ワークシートの数字を見ながらさらに質問してきた。
「なんで、割引率は三十年間もずっと3%なんですか?」
「本当は、各年の市場金利で割引かないといけないんですが、まあ、これはベンチマークなんで・・・たとえば、5年後の金額を割引くときは、5年ものの債券の支配的な金利で割引くのが一般的で、・・・」
「支配的な金利?」
「まあ、中心的な金利と言うか、もっとも市場に大量に出回っている債券の金利で、いまのところ、アメリカの財務省証券が、長期資本市場を支配しているようです。この金利は、満期が何年かによって、若干違います。インターネットで、その金利を知ることは簡単なんですが、今日のところは大体の目安の金額を求めるのが目的なんで・・・それに、長期金利でも毎日多少変化するし・・・」
このへんの説明から、丸山の目線が泳ぎ始めた。土岐もそれ以上詳述するのをやめた。電化プロジェクトの財務分析の特徴は、多額の初期投資とその後の長期にわたる運賃収入の比較なので、いま求めた将来収入の現在価値の合計金額は明日からの作業として計画している財務分析でひとつの目安となる。
終業時刻の五時近くになった頃、電気関係の中年組が土岐の傍らにやってきて、代表の松山がぽっこりとした小腹をせり出すようにして口を開いた。
「明日の午前中に、扶桑物産の南田さんが部品の見積もりを持ってくると思うんで、昼までには電気関係の見積もりが出ます」
それを補足するように、細面でうらなりのような浜田が言った。
「われわれのほうは、英文報告書は大体書き終えて、金額だけがいま空欄になっているんです」
柔術家のようないかつい相貌の畠山が土岐のワークシートをのぞき込みながら、
「そういうわけで、ぼくらは明日の夕方は打ち上げで、プレゼン資料が完成次第、他に何もなければ、木曜日は観光ツアーに出かけてきます」
と嬉しそうに、しかも哀れみのまなざしで、なんとなく嫌味のある口調で言う。
「それでは、お先に・・・」
と川野が女のようにしなやかな手で、土岐の肩を軽く叩いた。それを合図に、中年組の彼らは作業所を出て行った。それに続いて、童顔の副プロジェクト・マネージャーの吉川がガニ股で体を左右に揺らしながらやってきた。
「私の方も、午前中に南田さんから車両の見積もりを貰うので、午後にはプロジェクト全体の費用の見積もりが出ると思います。あとは、よろしく・・・」
と潰れかけた顎をくしゃくしゃにしながら言う。
O脚の吉川の後姿を見送ってから、土岐は五時まえに帰り支度を始めた。
ホテルに戻り、深夜、寝る前に報告のメールを送信した。送信文を打ち込みながら、南田の胡散臭さを報告すべきかどうか、思案したが、それが自分の主観でしかないことに気づいて、文章にすることを止めた。
@土岐明調査報告書・現地第3日目、8時過ぎ、作業所に到着しました。午前9時ごろ、扶桑物産の現地駐在員である南田に会いました。軌道設計の専門技術者である高橋はコストが安く、この国で資材が調達できるバラスト軌道を採用しようとしていたが、南田はコストが高く、日本からの輸入資材に頼るスラブ軌道を強要しようしました。最終的には、王谷の裁定で、スラブ道床に決定しました。王谷と南田の間には、何らかの共通の利害関係があるような印象を抱きました。プロジェクトの資材は扶桑物産が一手に扱うようで、口銭収入も巨額になるものと予想されます。中井は午後から東欧に向かいました。午後5時すぎ、ホテルに帰着しました。王谷をを除く技術者はずれも単に業務を消化しているような印象があります。以上@