優しい約束は果たされてほっとした
放課後、待ち合わせてから向かったイタリア料理店は店内に入るなりとてもおいしそうな匂いがまず最初に鼻をくすぐった。照明のトーンは暗めのオレンジ色で店の外観もそうだが内装の造りもいかにもイタリアというようにアンティーク調で西洋風になっていた。
こげ茶色の木材でテーブルや椅子、壁の下半分が造られていて、暗めの明かりが店内の全体のトーンを落ち着いたものに見せていた。照明の加減によってオレンジっぽく染まった元々白い壁の上半分には等間隔に西洋美術品である額に入れられた絵画が飾られていた。
どの絵も濃厚な油絵で店の雰囲気にマッチしていて目をひかれた。平日というのに店内には結構人が入っていて、人気があり盛況しているのだということがわかった。
「あー、部活休みなのにお腹減ったわ~。やっぱり育ち盛りの食欲には勝てないわね。」
裕子が二人がけのテーブルの一方に座るなり一息ついてから言った。
「奢りだからっていっぱい注文しないで下さいね。」
加奈が冗談めかして笑顔で言うと裕子は笑って頷いた。
「わかってるって、このお店のメニューで私のおススメはツナとアサリのパスタ、明太子風シチリアナピッツァでしょ、それからペペロンチーノ、カルボナーラもおいしいわよ。」
まあ、何でもおいしいけどねと裕子が付け足した。
裕子はアサリのパスタと一番小さいシチリアナピッツァ、加奈はキノコのパスタと裕子に習って同じピッツァを注文した。品々の値段は高くも安くもなく普通だったが、いくらでも食べれそうな気がしたくらいにおいしかった。
お腹がすいていておいしかったものだからしばらく食べるのに夢中で二人とも無言だった。お互い半分以上食べ終えた頃、ピッツァをかじりながら裕子が聞いてきた。
「そういえば、和泉高校を目指すきっかけになった夢のこと何かわかった?」
「それが今のところは何も・・・。それらしいことに何も出会わなくて。やっぱりただの夢だったのかなって思ってるんです。」
苦笑いを交え肩を落として加奈が言うと亜沙子が励ますように明るく言った。
「まあ、まだ入学して間もないもの。無理ないわよ。高校生活は三年もあるんだから。あせらずに気を長く持って待ってればいいんじゃない?」
加奈はそうですねと裕子の笑顔に触発されるように笑って言った。店内の入り口が開いて見やると、小さな女の子二人を連れた、おそらく夫婦と思われる家族連れの四人の客が入ってきた。
ウェイトレスに促されてその家族客はちょうど加奈たちが座っている隣のボックス席に通された。女の子たちは姉妹だろうかとても仲よさそうにはしゃいでお喋りして、両親に甘えている。見返す両親も笑顔でその光景を見ていると自然と心が温かくなって微笑ましい気持ちになった。
いいなあ、自分も父と母がもし生きていたらあんな風に家族そろっておいしいものを食べに来れたんだろうかと、どんなに望んだとしても自分にはこの先絶対にありえないことを想像して加奈は胸が切なくなった。
しばらくその家族たちを目を細めて眺めてから裕子に目を移した。どうしたことだろうか、裕子もその家族たちを見ていたが、いつの間にか昼に見せたさびしそうな表情になっていた。
「あの・・・裕子さん・・・?」
大丈夫ですか、という言葉を加奈は飲み込んだ。
「仲がよさそうよね、あの子達・・・。私のお姉ちゃんを思い出すわ。」
小さな少女達を見たままポツリとつぶやくように裕子が言った。
「お姉さん?裕子さんお姉さんがいるんですか?」
「ええ、去年、亡くなったけどね。」
「え・・・。」
加奈は目を見開いて絶句して、裕子の突然の重大な告白にかたまった。どんな言葉を使えばいいのかわからなかった。
「あの、ごめんなさい、裕子さんが悲しくなること聞いてしまって・・・。」
俯いて加奈が言うと、ゆっくりと首を横に振って裕子がまだ悲しさを残した笑顔で言った。
「いいのよ。平気、気にしないで。そんな顔しないでよ。お願いだから。それより加奈ちゃんこそ今、あの子達を見てて悲しそうだったわよ。」
「・・私、両親いないんです。父は私が生まれる前に亡くなったから写真でしか顔を知らないし、母は小学生の時、事故で亡くしました。だからあの人達を見てたら、なんか家族っていいなあって思っちゃって。」
まあ、そうだったの、と今度は裕子が暗い表情になった。加奈はあわてて話しの方向を変えた。
「お姉さんのことお嫌じゃなければ、聞いてもいいですか?」
いいわよ、と裕子は笑みを浮かべた。
「裕子さんもあの子達みたいにお姉さんと仲がよかったんですね。」
「うん、小さい頃からいつも一緒にいて何でも一緒にしてたわ。学校では勉強もスポーツも出来て生徒会長もやって優秀な学生の見本みたいで皆から好かれていた自慢の姉だったわ。でも・・・。」
でも?と加奈は聞き返した。しばらくためらったようなしぐさを見せてから裕子は語りだした。
「自ら命を絶ってしてしまったの。」
裕子の告白に加奈は言葉を失って裕子を見つめるしかなかった。事故や病気ではなく・・・自殺・・・・・。
裕子の姉は優秀がゆえに周囲からの信頼や期待も熱く、そのプレッシャーが裕子の姉を追い詰めてしまったこと、もともとそんなに強い人間ではない裕子の姉は、亡くなる数日前に裕子に弱音を吐いていたこと、そいて変わらない日常の朝に亡くなってしまったことを、裕子は教えてくれた。
裕子はどうして姉の助けを求めるサインを出していたのに気づいてあげられなかったんだろうと自分のことを責め悔いていた。本人が助けを直接求めてなくても、気づいてやれなければ、家族なんて体裁だけで無意味なものだと裕子は断言した。
両親も姉の死を未然に防げなかったことを責めて抜け殻のようになったという。
「人生の大部分を占められていた娘っていう大切な存在をなくしんだもん、当然よね」
裕子の姉がこの世を去ってからは、家族との仲も暗く家の中は絶望的で冷たい日々だったらしい。
「姉が死んで数ヶ月たったから当初よりはだいぶ家の中も落ち着いたけどね。でも暗い雰囲気は相変わらず家の中に漂ってて息苦しくなるのよ。だからこうして加奈ちゃんと外でのびのび食事することは気分転換になって本当救われてるのよ。」
裕子は弱々しい笑みを加奈に向けた。
「お姉さんは去年のいつ頃亡くなられたんですか?」
「去年の九月に、その後ちょうど加奈ちゃんに出会ったのね。」
「ええ!そんな大変な時期だったのに私に親切にしてくれたんですか。私何にも知らなかったとはいえなんて無神経なことしたんだろう・・・。」
今更ながらだが加奈は悔やんだ。当時仲の良い最愛の姉を失って間もなかっただろうから、心中は平穏ではなかったであろうことを想像した。そんな気持ちの沈んでいた時期にまったく見ず知らずの他人の加奈の面倒を見てくれただなんて。
加奈が裕子の立場ならば、そんな余裕もなく相手にしていないに違いない。
「いいのよ。私が勝手にしたかったからしたことだし。加奈ちゃんが気にすることじゃないわ。あのね、お姉ちゃんが生きてたらきっと必死になってた加奈ちゃんをほっといたりしたら怒るだろうなってあの時ふと思ったのよ。それにあの時は私自身ショックで逆に何かしていないとおかしくなりそうだったしとにかく動いていたかったの。立ちとまれば死んでしまうんじゃないかって。
部活にも力を入れていたわ。他の誰よりも学校に遅くまで残って練習して、何もかも頭から追い出して無心になれるまでね。家の中に充満する闇に両親と一緒に飲み込まれたくなかったの。
もしかしたら両親が放心していたからその分私がしっかりしなくちゃって思ったのかもしれない。私もお姉ちゃんも基本的に人の世話するの好きなのよ。お母さんが子供みたいに頼りなげな人なせいかしらね、しっかりしなきゃって。困ってる人とか見ると放っておけない性分なの。」
「裕子さんって強い人なんですね。」
加奈は尊敬のまなざしで裕子を見上げた。
「そうでもないわよ。でも、そうね・・、お姉ちゃんが死んでしまって初めは悲しくてすごくショックだったけど、もういないんだからいつまでも悔やんでも生き返るわけでもないし仕方ないって思ったの。姉もそんなことは望んでいないんじゃないかな。
私に出来るのは姉のことを忘れずに、姉の死を無駄にしないように姉の生きれなかった分も胸を張って生きていくこと、姉のように苦しんでいる人がいれば私のできる限りで力になってあげることだけよ。だからこうして加奈ちゃんとも巡り会えたわけでしょう?あなたと出会った時、姉ならどうするかって考えたから話を聞こうって思ったの。」
加奈は力強くよく前向きに話す裕子にただ頷いていたが、ふと思った。本当はものすごく心が疲れているのではないかと。時折見せる悲しげな表情がそのことを全て語っているような気がした。
辛くても弱音を吐かず弱みを見せようとしないところは裕子のお姉さんと似ているのではないだろうかと加奈は心配になった。
「ごめんね、こんなしんみりする話しちゃって。加奈ちゃんの入学祝いみたいな食事なのに。」
「いえそんな、私裕子さんが自分の家族のこと話してくれてうれしいです。」
「加奈ちゃんと接してると何故だかわからないけど話したくなっちゃって。こんなこと滅多に人に話さないんだけどね。」
裕子はおかしそうに笑って言った。
店を出たら外はもう真っ暗で街灯が所々でぽつぽつと光っていた。かなりの時間店の中で話し込んだことになる。
「どうもご馳走様でした。加奈様。」
行儀よさそうに両手を合わせて拝むように裕子が言った。どういたしましてと加奈は笑った。約束どうりこの日は加奈が全てお会計を支払った。
「また機会があればどこか行きましょうね。」
裕子が後ろ向きに歩きながらそう言って加奈はそうですね、是非行きましょうと返した。
駅まで行って二人は別れた。別々の電車に乗るべくそれぞれの方向に歩いていった。お店の中では一時しんみりしたけど、お互い別れ際は笑顔で手を振りあった。




