やっと会えましたぜ、姉御
天気は快晴、校庭に満開の桜が咲き乱れ、春の風が吹くごとに桜の花びらを舞い上げ散らしていく。ピンク一色に彩られた景色は不安と期待の入り混じった予感をあらわしているかのようだった。
長い冬を耐えた植物たちがその生命の輝きを放つべくして訪れた季節。あたりは何かが起こりそうな期待と予感に満ち足りていた。
知的な印象を受ける新しいブレザーの制服を身にまとい、加奈は和泉高校の入学式に出席していた。加奈も他の生徒と同様、例外なく不安と期待に胸を膨らましていた。初めて目にする講堂では新入生たちが椅子に腰掛けて校長の入学祝の賛辞を緊張した面持ちで聞いている。
高校ともなるとやはり知っている顔を捜すことは出来ないくらい、見知らぬ人間たちばかりだった。学年におけるクラス数も中学は四組しかなかったが、高校になると倍以上に増え、一学年だけで十二組あった。加奈が通っていた中学からは和泉高校に数人しか進学しておらず、偶然同じクラスになったのは一人だけで、しかもその生徒とは中学の時に顔を知っている程度で面識がほとんどない。
加奈は、加奈の過去を知らないこの生徒たちの中で、中学校の地獄のような生活から一新して、うまくやっていくことが出来るだろうかと不安だった。それから裕子さんに会えるだろうか、お礼と共に約束を果たしたいし、早く会いたいと思った。
入学式を終えて、加奈たち新入生はクラスごとに教室に集められた。出席番号順に着席し初めてクラスメイトたちと顔を合わすことになった。皆、落ち着かないようでそわそわしたぎこちない空気が教室に満ちている。
入り口のドアが開いて、ひげを顎にたくさんこしらえた年齢は三十代くらいだろうか、スーツで身をかためた線の細いひょろひょろっとした男性教師が入ってきた。何故か最高に胡散臭く見えた。長細い怪しい帽子を被れば、ペテン師みたいに見えなくもなかった。
「皆、入学おめでとう。今日から君たちの担任を受け持つことになった上野厳造よ。これから一年間よろしくね。」
体を奇妙にくねらして、おかまっぽい口調で自己紹介した。何人かの生徒が笑いを堪えるように机に突っ伏して両肩を小刻みに震わしていた。上野はそんな様子には気づいた様子もなく話を続けた。
出欠を取り生徒たち一人ひとりを確認した。必要な連絡事項を終えて、その日は開放された。帰り道、校門をくぐる前に校舎を見上げた。裕子さんは今日は授業がこの後まだあるだろうから、会うのは無理だろうか。仕方ないな、また今度にしようと校門を抜けた。
入学式の翌日から授業は六時間きっちりと行われた。クラスメイトたちは硬い雰囲気をまだ引きずりながらも、ポツリポツリと話し掛け合う生徒たちの姿が見られた。
加奈のように初対面の人間と話すのがそんなに得意じゃない生徒もいて、休み時間を一人で過ごしていた。しかしそれも時間の問題で生徒たちの交流が盛んになれば、自然とグループが出来上がっていくだろう。加奈はとりあえず、自分の席の周りの生徒たちと二,三言葉を交わしただけだった。
中学時代、いじめられたことで会話がぎこちなくてうまく打ち解けることが出来なかったかもしれない。元々そんな社交的な人間ではなかったのにいじめられたことで心にトラウマを負ってしまっていた。
こんなことではいけないと思ったが、人に対して警戒心が働いてしまって、なかなかうまくいかなかった。加奈はあせらずに時間をかけて皆と打ち解けていこうと思った。日がたつにつれ仲良くなる生徒同士が増え、加奈は微妙に浮いた感じになってしまった。
特に誰かと仲良くなるわけでもなく、かといって全くクラスメイトたちと接しないということはないという微妙な状態になった。表面上の付き合いと言われればそうかもしれない。
ある日、加奈には珍しく寝坊して学校に持っていくためのお弁当を作る時間がなく、学校の購買部で何か買ってお昼を済ます羽目になってしまった。毎朝、加奈はおばや愛よりも早くに起きて、朝食の用意をしなくてはならない。
それから自分と愛の分のお弁当を作っていた。料理にものすごく自信があるわけではないがまずくはないと思う。昔、母が生きていた時いつもおいしいご飯を作る母を手伝いがてら、料理を覚えた。亜沙子やおばあちゃんも加奈の料理をとてもおいしいといってくれたことがある。
おじやおばはおいしいと思っても褒めるのしゃくなのか黙って食べていた。褒めると調子にのりだすとでも思っているのだろう。愛は以前、学校から帰ってくると、おかずを残した弁当箱を加奈に放り投げて文句を言ったことがある。
「こんなまずいもん私に食わせるなんて嫌がらせ?まったく役に立たないんだから。」
おそらく料理が不味かったのではなく、愛の嫌いなものがお弁当のおかずに入っていたのだ。今朝は朝食の用意だけはしたもののお弁当を作れなくて愛に散々言われた。
それは明らかに、通う学校が離れて出来ない分の嫌がらせに思える。愛の態度を思い出して気が沈みそうになるのを堪えながら加奈はお昼休みの廊下を購買部に向かうべく歩いていた。早くに行かないと購買部の人気商品は売り切れになってしまう。
校舎の一階の大きく廊下が丸い形に広がった場所があり、中央付近にコンクリートの背もたれがない椅子がいくつか設置され、お昼ご飯を友人たちと過ごしている生徒達で賑わっている。購買部はその奥に存在していた。
既に生徒達が群がって大きな山が出来ていた。加奈は初めて購買部に買いにきたのでこの光景を見て戸惑い、この中に入っていっていくことに気後れした。皆強引に割り込んでいってるが、加奈にはとてもそんな気力はない。困惑気味に躊躇っていると後ろから急に声を掛けられた。
「あれ、加奈ちゃん?」
振り返るとそこには裕子が立っていた。その側に友人らしい女子生徒が二人いた。
「裕子さん!よかった。ずっと会いたいって思ってたんです。嬉しい。やっと会えましたね。」
加奈は顔を輝かせて裕子に駆け寄った。裕子は心底喜んでいる加奈を見つめ、指を顎にあてて満足そうに笑った。
「やっぱり合格したのね。うんうん、私の目に狂いはなかったわけだ。遅ればせながら加奈ちゃん合格おめでとう。」
「ありがとうございます!合格できたのは裕子さんのおかげです。これでやっとご飯を奢る約束が果たせますね。」
「ふふ、そうね。ところで加奈ちゃん、お昼買いに来たの?」
加奈が苦笑い気味に頷くと裕子が言った。
「さっき購買部の混みようにひるんでたでしょ?」
「え、どうしてわかったんですか?」
「だってさっき加奈ちゃん不安そうな顔して購買部に生徒が群がるの見てたから。」
実はいつもお弁当で、今日購買に買いに来たのが初めてなんです、と白状する。
「よし、わかった。何が食べたいの?私が買ってきたげる。」
え、でもと加奈が困惑しているといいからいいからと裕子は言った。じゃあ、お任せしますと言うと、加奈が差し出したお札を受け取るなり、さっそうと混雑の中に入っていった。少しも立たないうちに裕子は戻ってきてはい、と加奈にサンドイッチ、クリームぱん、紙パックのコーヒー牛乳とおつりを渡した。
自分の分も買ってきたらしくいくつかパンを抱えていた。加奈は裕子のそのてきぱきした身軽さに羨望のまなざしを向けた。
「このサンドイッチすごく人気あってすぐ売りくれちゃうくらいだからおススメよ。」
「そうなんですか。ありがとうございます。助かりました。」
本当に裕子は面倒見がいい人だなあと改めて加奈は思った。そういえば亜沙子も不器用な人の世話をするのが得意だったなあと、愛とおなじ学校に通っている亜沙子に思いをはせた。まあ、ぶっきらぼうな亜沙子と違って裕子は誰にでも人当たりがよさそうで、そこが亜沙子と似てないけど。
裕子は一緒にいた友人たちに先に教室に帰っていていいからと伝えた後、加奈を校庭の隅にあるベンチに誘い出した。校庭を囲むように桜の木が植えられて、ピンクの花びらが午後のまどろんだ景色の中でゆっくりと散っていた。
満開を少し過ぎたとはいえとても綺麗で眺めているとうっとりとした気持ちになれた。二人で木で作られたベンチに腰掛けて、お昼ご飯を一緒に過ごした。
「高校生活はどう?もう慣れた?」
「初めてのことが多くて、気後れしちゃって。中学とは違うから戸惑うことが多いです。」
そうよね、まだ入学して日が浅いものね、と裕子はパンをかじりながら桜に目を細めて言った。
「受験のお礼ですけど、裕子さんに用事がなければ早速今日はどうですか?どこかご飯食べにいくっていうのは。」
「今日?そうね、都合のいい事に部活が休みだし、いいわよ。」
どうせならおいしいもの食べに行きましょうと提案する亜沙子に加奈はうれしくなった。じゃあ放課後校門の前で待ち合わせしましょうと話がまとまった。
「おいしいイタリア料理のお店があるんだけどそこにしない?」
「あ、あまり高い店はやめてくださいね。」
「ぷぷ、わかってるわよ。後輩捕まえて高級料理奢らせるほど私、非常識じゃないわよ。」
華やかに笑う裕子に加奈は胸を撫で下ろし笑った。おじやおばが加奈におこずかいをくれることは滅多に無い。
資金源といえばおばあちゃんが家に来てくれたときにくれるおこずかいとお正月に親類にもらったお年玉だけである。お年玉も加奈と血縁がつながっていないという事で、一応あげるという建前だけの金額で少々しかなかった。
またお年玉はおばに見つかると全て没収されたので、もらった分の二、三割は奪われないように隠した。別に贅沢したいからではなく、全て没収されたら生活に必要な最低限のものまで買えなくなるからである。
加奈はわずかな臨時収入で何とかやりくりしていた。昼休みも後数分で予鈴が鳴る頃になっていた。たわいの無いおしゃべりをしているとどこからか子猫の鳴く声が聞こえてきた。
話を中断して、お互いを見合ってから、どこから鳴いているのかしらと辺りを見回しているとベンチの下からいつの間にいたんだろうかと黒い小さな子猫がひょっこりと顔を表した。
「ニャー。」
可愛らしい声で鳴いて加奈の足に頬を摺り寄せてきた。怖がる様子はなく、人を見ても逃げ出したりしない人馴れした猫のようだった。加奈は子猫を抱き上げて胸の中で抱っこした。大人しくじっとして、黒くつぶらな茶色いまん丸の瞳が加奈を見つめてくる。
「初めて見ました。高校に猫いたんですね。可愛い・・・。」
顎の下を指で撫でてやると黒猫は気持ちよさそうに目を閉じて体に見合った、小さなゴロゴロとした音を鳴らした。
「この子、雄かな?親猫も学校にいるのかしら、ねえ裕子さん。」
子猫から顔を上げると亜沙子が悲しげな表情で加奈を見つめていた。悲しさの中にも弱々しい笑みを含んでいてた。気のせいか、裕子の目尻が涙で滲んでいたように見えた。加奈はびっくりし、おろおろして話しかけた。
「裕子さん、どうしたんですか?私何かいけないこと言いましたか。」
「ううん、ごめんなさい、何でもないの。」
取り繕うように笑顔を向けて裕子は両手を左右に振った。加奈はひどく狼狽した。あんな悲しげな表情を見せられて何もないなんてとても思えなかった。加奈が猫を抱っこしたことと何か関係あるのだろうか。
そういえば初めて会ったときもこんな表情を一瞬見せた気がする。何か追及してはいけない気がして裕子に聞くことはできなかった。心配で気になったが、事情があるなら裕子のほうから教えてくれるだろうから、それまでは加奈からは何も聞かない方がいいだろう。
「めずらしいわね。この子の親猫は人馴れしてて餌もらおうとよく生徒に近寄っていくけど、この子は人見るとすぐ逃げてたのよ。」
「え、そうなんですか?じゃあどうして・・お腹すいてて仕方なく私たちのところに寄ってきたのかしら。」
そう思って試しにサンドイッチの切れ端を差し出すと小さな口を差し出してかじりついたが、少し食べただけで加奈の膝の上で、丸まって寝始めた。両目を閉じて気持ちよさそうな顔をしている。
「動物は人の心がわかるっていうからこの子、加奈ちゃんが危害を加えるような悪い人間じゃないってすぐに見抜いたんじゃないのかな。」
言いながら裕子が手を伸ばして黒猫の体を撫でてやっても目を閉じたままで逃げ出したりしなかった。予鈴が鳴ってグランドにいた生徒たちが校舎に向かうべく、加奈たちのベンチの前を通り過ぎようとして子猫がいるのに気がついた。
数人の女子生徒があ、あの子猫人になついてるの珍しいわねと加奈たちのところに駆け寄ってきた。耳をピンと立てるとぱちくりと目を開けて子猫は立ち上がり、加奈の膝の上から飛び降りて駆け寄ってくる生徒たちから逃げるように駆けていった。
生徒たちががっかりしたよう表情になり追うのをやめた。その一部始終を見ていた加奈と裕子は顔を見合し、しばらくしてから声を出して笑いあった。




