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加奈のお父さん

母の話を聞くうちに加奈は目に涙をためて泣き出しそうになっていた。


「お父さんが死んでしまう二日前、こん睡状態になる前だったわ。お父さん加奈に逢えずに死ぬのをとても残念がってね。残りの人生を長く生きれないことより、加奈に会えずに死ぬことだけを本当に悔やんでたわ。加奈を一目見るまでは生きていたかったってお母さんのお腹を悲しみと優しさの混じった表情で触って撫でたの。


お母さんはお父さんに言ったのよ。加奈が生まれるのはもうすぐなのよ、頑張ってそれまで生きて、あんなに加奈をその手の中に抱くのを楽しみにしてたじゃない、悲しくなること言わないでってね。でもお父さんにはもうわかっていたのね、もう残された時間は長くないって・・・・。お父さんのことはやっぱりお父さん自身が一番よくわかってたのよ。お母さんを見つめるお父さんの瞳がはっきりそう言っていたのよ。


どこか焦点がぼやけてこの世ではない、どこかはるかお母さんの手の届かない遠いところを見つめているみたいだったわ。最後にお父さんがね、加奈が生まれて物心付くようになったらきっと伝えてほしいっていってね、お父さんは加奈に逢いたかった、加奈と美味しいものを食べたり、一緒に遊んだり、笑顔を交わしあって楽しくお話をしたり、家族三人で旅行に行ったりして楽しい時間を共に過ごしたかった、加奈が生まれてくる最初の出会い、加奈をこの腕の中で抱く喜び、加奈が言葉を覚えて初めてお父さんって呼んでくれる一瞬、だんだん大きくなって幼稚園に入って、小学校中学高校、大学を卒業して立派な社会人になり綺麗な大人の女性になって・・・時期がくれば加奈も愛する人と結婚式を挙げるだろう。


加奈の綺麗な花嫁姿を泣きながらお父さんとお母さんが見守る祝福の日・・・。でもお父さんはそんな加奈の数々の貴重な瞬間に出会えないんだな。そんな時まで生きるのがお父さんの夢だった、叶わなくて残念だけれども、でも忘れないでほしい、お父さんは加奈のことが大好きだって、とても愛しているって、天国からずっと加奈とお母さんを見守っているからって。」


父のその言葉は加奈の心に深く響き、まるで後に残される者に対して真剣に遺言を残したのだと、加奈は子供心にそう感じた。自分が死んでいく不安や恐怖より何よりも、加奈のことをそして母のことを気にかけていた父がいた。とても優しいお父さんだったに違いない。


もし今父が生きていれば、親子三人で幸せな家族として生活していたのだろう。家族を一番に大切にして母を愛し、加奈を愛しささやかな家庭を守ってくれただろう。加奈の左右に父と母がいて片方ずつ手をつないで晴れた日の街の中を歩いている映像が頭に浮かんだ。父に、母に微笑みかける加奈、微笑み返してくれる母、そして父。加奈は実現しなかった、

これからも実現することはないその幸せな光景を夢のようにぼんやりと想像した。


「加奈もお父さんに逢いたかったな。もし生きてたら、私の御誕生日をお父さんお母さんで祝ってくれたのに、そうすればもっと幸せな気持ちになれたのに。」

加奈は父の写真を見つめて呟いた。

「そうね。お父さんがいたらもっと幸せだったでしょうね。」


そう母が言うと加奈と共にしばらく父の写真を見つめた。優しそうな笑みを浮かべた父が映っている。

「加奈という名前はね、お父さんがつけてくれたのよ。」

愛おしい人が残してくれた大切なものを愛でるように母が加奈を見つめていった。母の顔はどこか悲しみを含んでいたがいつもの微笑をたたえていた。


「私、嬉しい・・・。私もお父さんに逢えなかったけれど・・とっても大好きだよ。」

加奈は父の写真を手にとって母に告げた。母はフフと微笑んで加奈の頭を撫で抱き寄せた。母のぬくもりが温かい。その時母の目にうっすらと涙が滲んでいたような気がした。


「加奈はお父さんがお母さんに遺してくれた大切な大切な宝物よ。お父さんが死んじゃってとっても悲しかったけれど、加奈がいてくれたからお母さん今日まで生きてこれたんだよ。お父さんとお母さんの子供に生まれてきてくれてありがとうね。」

抱き寄せたまま加奈の額にそっと母が口付けした。母の唇のぬくもりが温かく少しくすぐったくて加奈を幸せな気分にさせた。


父の話をする時の母が加奈はとても好きだった。父のことを語る母は貴重な思い出をとても大切に大事そうに、壊れやすいものが壊れないような丁寧さで扱った。時折涙を見せるけれどとても幸福そうに見えた。それはおそらく加奈がまだ生まれる以前から、


母が父と出会ってから幸せな一緒の時をたくさん過ごしたからだろう。加奈の知らない楽しかった思い出がいっぱいあるに違いない。思い出を語る時悲しむより、幸せそうに嬉しそうにする母を見ていればそのことがよく加奈にもわかった。母は父のことを本当に心から愛していて、父から心から愛されていたのだということが加奈にもよくわかった。


父が亡くなった当時は本当に辛かったのだろうが、今では母は父と出会えたこと、結婚して加奈を生んだこと、父を愛いしていたこと、愛されていたことを強く誇りに思っているのだ。悔いることなく、自分の歩んできた道は間違ってなかったのだと。加奈もそんな母の子供に生まれて来れたことを誇りに思う。母が幸せな気持ちになれば加奈も自分のことのように嬉しくなった。



日曜日、加奈は学校が休みで家にいた。母は加奈と共に少し早目の昼食をとるとピアノ教室に出かけていった。母は幼い頃から通っていたピアノ教室に大人になってから今度は講師として、お仕事がお休みの土曜日と日曜日に、子供達を教えに行っていた。


加奈は家で一人退屈だったので外に遊びに行き、近所で仲の良い女の子を誘って遊んだ。加奈は大人しい性格で友達が少なかった。付き合う女の子も加奈のように控えめな子供達が多かった。陽が沈みそうになって暗くなってきたので、ひとしきり遊んで家に帰ってくると加奈は一人でピアノを弾いて時間を過ごし母の帰りを待った。


ただいま、と母が玄関のドアを開けて帰ってくると、加奈は飛んで行き、お帰りなさい、と母の懐に飛び込んだ。母は加奈の頭を撫でて言った。

「お腹すいたでしょ。すぐご飯にするわね。今日はカレーを作るから。」

手に提げられたスーパーの袋にはにんじんやジャガイモ、たまねぎなどカレーの材料が入っている。やったっーと加奈は無邪気にはしゃいで、夕飯の手伝いをした。加奈がジャガイモの皮をむき、隣で母がたまねぎを切っていた。


「今日ね、ピアノ教室に女の子が来てたのよ。加奈と同じくらいの年頃かな。教室に興味があるみたいだったから、声をかけたの。お母さんピアノに興味を持った子供にはもっと音楽を好きになって欲しいからね。その子のピアノの演奏を聴かせてもらったんだけれどとっても上手でね。」


加奈は目を輝かせて母の顔を見上げた。

「へぇ、その子私より上手なの?」

「うん、そうね。同じぐらいかな。」

母はその子のことを思い出しながら話を続けた。


「その子明るい感じの曲を弾くのが苦手だっていうからお母さんがあの曲を教えてあげたの。お母さんと加奈が一番好きな曲ね。」

加奈と同じでピアノが好きで、年頃が同じ。加奈は母の話す女の子に強く興味を持った。何故かというと加奈の数少ない友達の中にはピアノを弾く子がいないのだ。


皆英会話、そろばん、スイミングスクール、クラシックバレエなどを習っていた。ピアノを習っている子もいるにはいたが、その子達とは特に仲が良くはなかった。


「それでどうなったの?好きになってくれたの?」

「とっても喜んでくれて気に入ってくれたわ。教えてあげたお母さんまで嬉しくなっちゃった。」

母はそう言って加奈に微笑んだ。加奈まで何だか嬉しくなった。母と加奈が大好きなあの曲をその子も気に入ってくれるなんて。それにその子も加奈同様、母の演奏を好きになってくれたに違いない。


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