教会での再会、あなたに惹かれた理由
真琴は分厚い扉を押し開いて中に足を踏み入れた。
それまで肌に感じていた外気が一変するのがはっきり感じられた。
瞳に映ったものは教会の光景だった。
神聖な空気が静かにゆったりと流れている。
お花畑で出会った少女と別れてから真琴は教えてもらった通り、
河に架かる橋を渡りここまで息を弾ませ胸を高鳴らせて駆けて来た。
途中河の水の色はとても淡く清らかに澄んでいた。
この教会に近づくにつれ現世から遠ざかり
あの世に近づいていることが何となく直感で感じられた。
そして今この場所はまさしくあの世の終着点である
天国や地獄の一歩手前なのだろう。
どこからともなくオルガンから奏でられる音色が鳴り響き、
あたりを荘厳に包み込んでおり、心が洗われるような
教会の雰囲気をより一層高め上げていた。
正面につづいている道の先には祭壇があり、
その背後には十字架にはりつけにされたイエスキリストの像が伺える。
祭壇の左端にはオルガンがあり神の使いであることを
示すような真っ白な白衣を身にまとった女性が演奏している。
右端には聖母マリア像が優しい微笑をたたえていた。
ステンドグラスからは神々しい光のベールが差し込みあたりを包んでいる。
祭壇の上にはすべてを見透かされてしまうような
奥の深い瞳をした牧師が立っている。
祭壇の前から真琴の立つ教会の入り口まで続く道の上には
ここまで辿り着いたであろう死者達が数人並び、列をなしている。
道の左右に並べられた長椅子には幾人かの人々が
礼拝を受けているかのように牧師のほうを向いて静かに座っている。
その中でふと真琴がよく知っている、何があっても忘れるはずのない、
絶対に見間違うこともない見慣れた後姿を見つけた。
死んだはずの、さよならも言えずに現世を去って、
もう二度と会えないとあきらめていた蓉介が座っていた。
「蓉介!」
真琴は気がつけば無我夢中に彼の名を叫んで駆けていた。
名を呼ばれた蓉介は半身だけをゆっくりと後ろに向け真琴の方を見た。
足早に彼の元に歩み寄ると側に立って本当に久しぶりに見たような、
すごく懐かしい気持ちで蓉介の顔を捉え見つめた。
弾んだ息を整えながら真琴は蓉介と見つめ合った。
間違いない、何度もこの目で見た蓉介のまなざしだ。
優しい色をその瞳にたたずませている。
「やっと貴方に会えた。蓉介・・・・。」
真琴の胸に熱いものが急速に広がり、
みるみる顔を歪めて涙が頬を伝い落ちるのもかまわずに真琴は蓉介に抱きついた。
蓉介の体温が温かく、そして懐かしい匂い。
彼は最初少し驚いていたようだが、すぐに真琴を優しく抱きしめてくれた。
「久しぶりだね・・・もう真琴さんには会うことはないと思ってた・・。」
体を離し彼の顔を覗き込むといつも見慣れた優しい笑顔がそこにあった。
真琴の心に安心感が広がる、嬉しさがこみ上げる。
現世にはもうなかったもの、
真琴が求めた人は今、目の前に・・・やっと辿り着くことが出来た。
「私、あなたに会いたくてここまで来たんだよ。」
真琴は涙を流しながらも笑顔で言った。
彼は真琴の頭をそっと撫でた。
「あの世であったとしてもこうして再び真琴さんに会えて僕もうれしいよ。
それに君に伝えておきたいことがあったんだ。
僕の肉体はもう現世では存在しないから
本当はすぐにでもここから立ち去らなくては行けないんだけれども・・・・・
神様はほんの少し貴重な時間を僕たちにくれたのかもしれないね。」
真琴は何度も首を横に振り蓉介の手を両手で包み込んで言った。
「もうそんなこと気にする必要なんてない、
これからはずっと二人一緒だよ。私もう蓉介から離れない。」
蓉介は嬉しさと困惑が交じり合ったような複雑な表情を真琴に向けた。
「君にあえて僕はとても幸せだった。
突然の死だったからそれだけ伝えれなくて、いえなくてずっと心残りだったんだ。
君と一緒の時間をもう過ごせないのは残念だけれども・・・・。
これでもう悔いは無いよ。安心してあの世にいける。」
蓉介の言葉に真琴は心に何か黒いものが
重くのしかかり沈んでくようだった。
「・・・・何を言い出すの?私はあなたとこれからもずっと
一緒にいたいからここに来たのよ?まだ生き返ることの出来る
可能性が残っているらしいけれど私、もう現世に戻る気なんかない・・・・。」
真琴は動揺と混乱を隠せずに彼から目を離す事が出来ず声も震えた。
「君はまだこちらの世界に来るべきじゃない・・・・。」
彼は落ち着いた口調で静かに首を振った。
「そんなこと言わないで・・・。私、あなたについていくわ。
あなたのいない世界なんて生きてても仕方がないもの。
もうあなたがいなければ私生きていけない。
こんな辛くて苦しくて耐え難いくらいに悲しい気持ちになったのは初めて・・・。
昔にも同じような気持ちになったことはあるけれど・・・
死にたいとまでは思わなかったわ。蓉介がいなくなって気がついたのよ。
世界中の何もかもが色褪せてしまうくらいに・・
世の中に絶望してしまうくらいにあなたのことを愛していたって・・・
これが本当に人を愛するということなんだって・・・・。」
蓉介は真琴の頬につたった涙を指先で優しくぬぐい微笑んだ。
「僕も君のことが大好きだよ・・・心から愛している・・・。」
「だったら・・・・!」
蓉介はしばらく真琴を見つめた後、天井を見上げた。
笑みが薄れ無表情になり遠い目になった。
「死んでここにたどり着いた人間はね、
あそこに立つ牧師の導きによって天に舞い上がって消えていき
どこかはるか遠いところに連れて行かれるんだ。
そこはここからとても、とても遠いところで
行けば二度と戻ってくることはできない。
人が俗に言う天国というところかもしれないし地獄かもしれない・・・
それは僕にもわからない。誰にもわからない。
僕はもう君に伝えたかったことを言うことができたし、
現世に思い残すことは無い。後悔もない。もうここにいてはいけないんだ。」
「私も一緒に行くから!天国であっても、たとえ地獄であっても・・
どんな所でも私は蓉介と一緒なら怖くないわ。
それとも・・・・・・・・
後悔はないという事はもう私と一緒にいたくないってことなの・・・?」
真琴は目に大粒の涙をためて蓉介の顔を見つめた。
「そうじゃない、そうじゃないんだ。
出来ることなら僕も君とずっと一緒にいたい、許されるのならば・・。」
蓉介は真琴に優しくさとすような口調で話を続けた。
「真琴さんと初めて出会った頃の話を少ししようか。」
「・・・?どうして今そんな話をするの・・・?」
真琴は戸惑い、突然昔話をしようとする蓉介を見つめた。
「聞いて。音楽室で出会ったあの日、
君の演奏には足りないものがあるって言ったのを覚えている?」
「・・・ええ、覚えてる。あの時は初対面なのに
なんて失礼な奴かしらって思ったわ。」
真琴は当時を思い出しながら、そう答えた。
彼はフフと笑いを漏らした後、続けた。
「僕は高校二年生になり真琴さんと出会うまで、
自分の人生についてずっと疑問を抱いて生きてきた。
これは前に君に話したと思うけれど・・・
僕をよく理解してくれていた母親を失った時から、
父親とはまともな絆をつくることができなかった。
お互いの価値観が交わることはなく平行線を
辿るばかりで分かり合えることはひとつもなかった。
物理的な距離はものすごく近いのに精神的な距離は絶望的に遠かった。
世間一般に広がっている常識っていうのかな・・・
家族とは仲がよくて当然という観念は正直、僕を苦しめたことは確かだ。
そんなものは幻想に過ぎないと自分に言い聞かせてきたけれど、
僕の心のどこかでは腐敗して消えることなく付いてまわっていたと思う。
僕は孤独を好んでいた。
誰にも干渉されることなく父親に道具のように
支配されることもない孤独に強く憧れた。
僕という人間は元々集団でいることが嫌いだったし、
父親の影響で余計にその傾向に拍車がかかったと言えるね。
来る日も来る日も大きな真っ白なキャンバスに向かい絵を描き続けた。
最初は自由に翼を目いっぱい広げて
大空を飛ぶ鳥になったような気分で好きなように自分の時間を過ごした。
でも時がたつにつれそんな生き方に疑問を抱くようになったんだ。
それは心という真っ白な紙に落ちた一滴のしみが
日に日に大きく広がっていくようだった。
本当にこれでよかったんだろうかと。
このままずっと一人で時を過ごし生涯を終えてもいいのかと。
一人でいる時間は気楽だったし、満足だった。
だけどそれと同時に胸に虚しさを抱いたのも事実なんだ。
この気持ちは何なんだろう、どうしてこんな
憂鬱な気分になるんだろうと僕は考え続けていた。
そんな時僕はあの日の音楽室で真琴さんに、君の音楽に出会ったんだ。
僕は特に他人の演奏する音楽なんてよほど
上手だとかでない限り興味がなかったから
普通なら気にもとめずに通り過ぎていただろう。
でも・・・気づけば僕はいつの間にか音楽室の入り口のドアに立ち
君がピアノを弾く姿をじっと見ていたんだ。
君の音楽を聴いて僕は確信した。
自分が疑問を持ち悩んでいたことの答えがやっとその時、導き出せたんだ。
人の描き出す絵や、人の映し出す写真、人のつむぎだす音楽、
それらはどれも扱う人間によって全く違うものを創りだす。
優しい人なら優しいものが、
残酷な人なら目を背けたくなるようなものを生み出すだろう。
それらは話す言葉なんかより
ずっと正確に人柄をあらわすんだ。
君の演奏はまるで僕の心の内をそっくりそのまま表現したような、
僕の心の叫びを、抱き続けていた疑問の答えを
言葉ではなくピアノ演奏という形ではっきりと
見せつけられたような感覚にしたんだ。
まるで自分の内面が見事にうつしだされた鏡のようだった。
僕が君の演奏に欠けているものがあると言ったように、
僕の絵を見て君も何かが欠けていると言った。
やっとわかったんだ。
僕も君も心に同じ疑問を持ち生き方を思い悩んでいたということを。」
真琴は当時を思い出していた。
真琴が彼の絵の欠点を指摘すると怒るでもなく納得して受け入れていた。
逆に真琴の反応を予想していたかのような振る舞いだった。
そのことを問い詰めてもあの時は全く答えてくれなかったが、
彼が今言ったことで何となくわかりかけてきた。
真琴の演奏も蓉介の絵も欠けた部分があって、
それは酷似しておりおそらく同じ種類のものなのだ。
二人の心模様が絵を、ピアノを手段として本人の気づかない
無意識のうちに表現されていたのだ。
真琴も蓉介もお互いにそれを感じ取っていたのだ。
だからこそ、求めたものが同じだからこそ
二人は出会い惹かれあったのかもしれない。
「僕は他人と深い関係を築かないように他人を避けてきたけれど、
本当は孤独で平気な人間じゃなかった。
心の中で孤独が好きだと言っていたが
本当は心のどこかが虚しさに悲鳴を上げていた。
自分以外の他人を、自分の存在を認めてくれる存在を強く求めていたんだ。
もしかすれば普通の人以上に。
僕は一人でいることの気楽さを楽しむと同時に、
溢れる寂しさを絵を描き没頭することで気を紛らわせていたんだ。
君も口では人は信じないといって他人を避けていたけど、
心の深い深い底の方では他人を強く求めていたはずだ。
例え人を好きになって大切な存在となり、失ってしまったとしても・・
もう人を愛したりなどしないとかたく誓ったとしても・・・
やはり人を求めたはずだ。
だからこそ僕といることを選んだんでしょう?
初めて僕も自分から他人を求めた。君に出会って、君の演奏を聴いて・・。
柿本蓉介という一人の人間は他の誰でもない、
来栖真琴という一人の女性を求めたんだ。」
蓉介のまっすぐな言葉に加奈は思わず胸が熱くなった。
彼がそんな想いの末に真琴のことを愛するようになったなんて・・・・。
ただの興味本位で近づいてきたのではなかったのだ。
何だろう、この気持ち・・・。
嬉しいのにどこか切なく胸が苦しい。
「人を求めたといっても誰でもよかったわけじゃない。
多くの人を求めたんじゃない。
柿本蓉介という人間のことを理解してくれる、
心の底から受け入れてくれる人間を、
僕だけのパートナーを探していたんだ。
そんな存在が一人僕の側にいてくれたらそれでよかったんだ。
大袈裟にいうなら世界中の他の人間全てに拒絶されたとしても、
たった一人僕のことを愛してくれる・・・
そんな存在が側にいてくれたならば、この心は満たされると思えた。
事実君と同じ時間を共に過ごすようになって
僕は孤独という暗闇の深い沼から出ることが出来たんだ。
それまで考えていた疑問も何もかもが消し飛んだ。
あの日放課後の音楽室で君と触れあうまで、
孤独に取り囲まれ死にゆくだけだった僕の心は
君に出会った瞬間から救われていたんだ。
君に近づいたのはいいが果たして君は最終的に
僕を受け入れてくれるのだろうかと不安にもなったが、
こうしてわかりあうことが出来て本当に良かったと思ってる。」
蓉介はピアノ演奏に欠けていたものや、
ピアノの印象が変わった理由を本当は言うつもりはなかったのではないか。
実際、二人現世にいた頃、真琴がいくら問うても彼は答えてくれなかった。
でもこうして蓉介が死に真琴が彼を追おうとしたことで、
彼は話すことを決意したのだ。
おそらく真琴に生きる道を選択させるために。




