会いにいくよ、この世界にあなたはいないから・・
真琴は学校を休んだ。
施設職員のおばさんには気分が悪いからと言って休ませてもらった。
特に体調が悪いとうわけではなかったが、精神をどうしようもない無気力感が襲い、
学校にいようが施設にいようがどこにいたとしても
たいして変わらないし何もする気が起きなかった。
蓉介が死んで、そのことを心の深い部分で受け入れてから、
真琴はもう何もかもがどうでもいいような
投げやりで自暴自棄な気持ちになっていた。
午後には誰にも行き先を告げず、施設をふらついた足取りで出て、
ピアノの恩師だったあの人のお墓にお参りに行った。
墓の前で線香をあげながら、真琴はぼんやりとした頭で、
この墓に眠るあの人を失った時のことを思い出していた。
両親を失って深い傷を負っていた真琴のことを受け止めてくれた人。
今でも彼女のことを思い出せる。優しくて素敵な女性だったなぁと当時を回想した。
しかしその幸福もつかの間、死別という形で彼女とは永遠の別れとなった。
あれからは心を閉ざして生きてきた。そして蓉介と出会い、再び幸福を知った。
彼女を失った時と蓉介を失った時の気持ちは同じものなんだろうか。
それは確かに似ていた。
大好きになった人を失い、身を切られるようなショックを受けたのだ。
しかし同じ部分はあるのだが何かが決定的に違う。
彼女を失った時は心に大きなダメージを負ったといえ、
今のような気持ちにはならなかった。
あの時は無気力な状態になったが、月日が過ぎると後ろ向きであっても、
これからは誰にも心を許さす、一人孤独にひっそりと死ぬまで生きていこう・・・
そう、かろうじて生きることを真琴は選んだのだ、
悲観的な考えであったとしても生きることだけは・・・。
しかし蓉介を亡くして、真琴はもうこの先、
そんな風に曲がった考えでやっていくことでさえ、
生きていくことでさえもう自信がなかった。
それ程に真琴の心は疲れ果てていた。
もう何もかもが煩わしい。どうしてこんな気持ちになるのだろうか。
もちろん彼女より蓉介の方が好きだからという事ではない。
決して好意の度合いを比べるような話ではないのだ。
ピアノの恩師も蓉介のことも大好きだったが、
蓉介に対してだけ彼女とは違うもう一つの感情があったのだ。
それは普遍的なことで、人類が誕生してから今日に至るまで
繰返されてきておそらくこの先の未来にも変わらないことだった。
それがあったからこそ、
人々は未来に自分達の子孫を残せたのではないか。
人が自分とは違う異性を心から深く愛するということ。
真琴は蓉介を一人の異性として愛していた。
失ってこんな風にぼろぼろになるくらいに。生きる意味を無くしてしまう程に。
蓉介と出会う以前一人だった頃、仲がよさそうに腕を組んで街を歩いていたり、
人気のないところで熱い口付けをしていたり、
できる限りの時間一緒にいたいと思っていたり、
電話代を惜しまず、一秒でも声を聞いていたいと長電話したり、
必死に合わない予定をやりくりして時間を作り
わずかな時間でも貴重なことのように会って共に過ごしたりする
世の中の恋人達を軽蔑していた。
中には常に恋人がいないと駄目だと、恋に恋している人間がいて、
彼らを本物の馬鹿だと思っていた。
自分というものを持っていない暇人以外の何者でもないと。
もちろん運命的な出会いを得て、
好きになり真剣に付き合っている人間もいるだろう。
だが一人で過ごすことに慣れきっていた真琴にとっては
そんなにべたべたしてどうするのよ、
一人の時間が作れないじゃないと理解できなかった。
恋を最優先にする生き方自体同意できなかった。
だが、今なら彼らの気持ちが理解できる。
何故そこまで人を愛するのか、人を愛するとはどういうことなのか。
蓉介がそのことを真琴に教えてくれた。
理屈じゃなく気がつけば蓉介のことを好きになっていたのだ。
真に人を愛せば、失った時こんな気持ちになるのだということを。
本当に一人の人間を愛してしまえば、
もうその気持ちをごまかしたり自分に嘘をつくことはできなくなり
止めることもなくす事もできない。
真琴はもやついた心内を明確に確かめた後、お墓を後にした。
どこに行こうかと、このまま施設に戻る気にはなれず、
白を埋葬した公園に足を向けた。
簡単な餌を買って供え、お線香をあげた。
白、無邪気にじゃれついてきて可愛かったなあと、昔を思い出した。
そうしている内に蓉介とここにきたことなども思い出して、懐かしさに浸った。
それは昨日のことのようだった。
それをきっかけに蓉介との色々な幸福のつまった
光輝く思い出が真琴の脳裏を流れていった。涙は流さなかった。
不思議と何故か幸福感に包まれ、微笑さえ浮かべた。
しかしその笑みは正常なものではなかった。
どこかずれて現実からはみ出たようにすでに真琴の心は今ここにはなく、
未来へも向いておらず、
過去という蓉介との幸せな思い出のある日々にのみ向けられていた。
それは現在、未来に背を背けた、幸せだった過去への逃避だった。
この瞬間から真琴の心は平常心を失った。
傷つき疲れ果てた真琴の心はもうこの時から、
この瞬間からこの世になかったのかもしれない。
公園を出てからの真琴の記憶は曖昧だった。
瞳に映る場面が連続したものにならず、
まるで各々の場面がバラバラに切り取られて
前後のつながらない映像のようだった。
電車に乗ったのは覚えている。
気がつくと電車に乗って北上し日本海に来ていたようで、
真っ暗な夜の海から激しく吹き荒れてくる風を受けて
真琴は崖の上に立っていた。
そこまで真琴の心は壊れきっていた。
崖の先端に立ち真下をゆっくりと見下ろした。
激しく大きな荒波が幾重にも重なり断崖絶壁の壁面にぶつかって、
砕けては消えていく。
あたりは夜の闇に沈み、吹き付ける潮風が真琴の髪を乱し躍らせた。
遠くで光を放つ灯台の光が時々こちらを照らし移動していく。
真琴は一歩また一歩、眼下に暗黒の海が広がるのが見える崖の端に足を進める。
先端の方まで来た時、静かに瞳を閉じる・・・
まぶたの中の闇と夜の闇が重なりあたり一面が
真の暗闇に包まれたように感じられた。
全身に感じられる潮風が心地よい。
蓉介に会いたい、会いたいよ・・・。
会ってこの冷え切った孤独な心を暖めるように真琴を抱きしめて欲しい。
もう素直になれなくて照れてそっぽを向いたりしない。
まっすぐに蓉介の胸の中に飛びこんでいきたい。
そして真琴を安心させるように言って欲しい。
大丈夫だよって、
これからもずっと一緒にいようって・・・・。
約束して欲しい・・・
ずっと側にいると・・・・。
この世界にいては蓉介には会えない。
世界中を探しても蓉介はどこにも存在しない。
蓉介の代わりになれる人間もいない。
真琴の幸福はもうこの世に存在はしない。
この先生きていてもそんなものあるはずない。
だって蓉介はもういないんだもの。
そうだ、
ここからこの身を海に投げれば悲しみや苦しみから
解放されて楽になれるのかな?
蓉介のいるところに真琴も行くことができるのかもしれない。
真琴は薄っすらと微笑を浮かべた。
灯台の眩い光が再び真琴の体を包む。
今、会いに行くよ・・・蓉介・・・・。
真琴は崖の最先端から足を踏み出しその身を海へ投じた。




