会ってみてもいいのかもしれない
毎日乗る通学バスに乗り込み空いてる席に座ろうとした時、加奈は知っている顔の男子学生を見つけた。彼も加奈に気づいたようでお互いに目があった。
音楽室で出会った彼は真ん中より少し前の二人掛けの席の窓際に一人で座っていた。加奈は軽くぎこちない会釈をし、彼の座ってる席の二つ前の二人掛けの席に腰掛けた。
バス内には同じ学校の生徒が数人の他、一般客が少ししかいなかった。
バスが発進してすぐ後ろから声をかけられ後ろを振り返ると彼がつり革につかまり立っていた。
「隣座っていいかな?」
「ええ・・・どうぞ・・。」
少し気後れしながら加奈は俯いた。彼は、嫌でなければ窓際に座ってもいいかと申し出たので席を入れ替えた。景色を見たいというだけのきまぐれらしい。
「一体どうしたんだい?その顔は。何かあったの?」
座りなおして二人落ち着いた後、彼が加奈の顔を間近で見て初めて加奈の顔、口元に出来た痣に気がついて驚いた。この痣は昨日おじに暴行された時に出来たものだった。
昨夜、殴られた所に痕が残らないように応急処置したが駄目だった。
どういえばいいか加奈は動揺し嘘の理由を思案した。
「親戚の子と昨日喧嘩しちゃって。その時叩かれて出来た傷なんです。」
ぎこちない笑顔を作って加奈は言ったが彼は、目を細めて思案顔になった。
「女の子なんだから、気をつけないと駄目だよ。せっかくの可愛い顔が台無しじゃないか。御嫁さんにいけなくなるよ。」
「ふふ・・そうですね。気をつけます。でも私そんな可愛くないですよ?」
彼の心配そうな真剣な口調と台詞の中身がアンバランスでおかしくなり加奈は笑って頷いた。
昨日から続いていた重い気持ちが少し軽くなったような気がした。
「痣も心配だけど、暗い顔してひどく落ち込んでるように見えるね、何かショックなことでもあったの?ここ数日音楽室に顔を見せに来てなかったようだし、どうしたんだろうかって気になってたんだ。」
おばあちゃんのことは正直に言っても大丈夫だと考えて加奈は話した。
「ええ・・実は祖母、といっても血の繋がりはないんですけど、私には大事な家族同然の人で・・先日亡くなったんです。御通夜と御葬式に出席したんで学校自体休んでましたから。」
そうだったのかと納得するように彼は頷いた。
「そうだったんだ。ごめんよ。悪いことを聞いてしまったね。」
彼が悲しげな顔をして俯いたので、加奈は慌てて手を振って、気にしないで下さい、私大丈夫ですからと言った。
「でも君のその落ち込んだ表情を見てると、おばあちゃんのことが本当に大好きだったのが良くわかるよ。」
加奈は顔を紅く染めて笑顔で言った。
「はい、誰にでも自慢できる優しいおばあちゃんでしたよ。」
話しているうちに窓から見える景色が次々に過ぎていき、もう少しすれば学校にたどり着くというところまで来ていた。話がしばらく途切れてから、彼は窓の景色を目を細めて見ていた。
加奈も前を向いて黙って座っていた。唐突に彼が窓に目を向けたままつぶやくように言った。
「彼女に会ってみなよ。」
加奈ははっとするように、過ぎゆく景色に目を向けたままの彼の横顔を見つめた。彼の言う彼女とは誰のことだか言われなくても加奈にはすぐにわかった。彼が加奈に会わせようとする人は一人しか思いつかない。
音楽室で彼と共に放課後を共にしている、あのピアノを弾く彼女のことだろう。
前にも彼に直接会って話をしてみてはどうかといわれたが、加奈は断っていた。
「いえ・・・いいんです。私彼女と面識を持つ気はありません。遠くからただ彼女のピアノを聴いてるだけで私、それだけで満足なんです。」
加奈は彼から目を離して言った。膝の上で強く結んだ手を見つめていた。
彼はため息を一つついて、景色から目を離して加奈に向けた。
「どうしてそんなに彼女に会うことを拒むんだい?彼女の演奏に感じるものがあったんだろう?これは僕の考えだけれど楽器の演奏とか歌とか絵画、
他には小説などに心ひかれたり共鳴することがあれば、その奏者、歌手、創作者とかなりの高い確率でフィーリングが合うと思うんだ。気が合うっていうか気持ちが通じ合うとでもいうのか。
それとも何か会いたくない理由でもあるのかい?」
彼はわからないという顔で言った。加奈がだんまりと下を向いていると彼が続けた。
「僕の話を少ししようか。僕も彼女に出会ったのは二年生になって同じクラスになって初めてだったんだ。君と同じように放課後、音楽室でピアノを弾いている彼女にね。」
加奈は驚いて目を見開き彼の顔を見た。初めて音楽室で彼らを見た時、以前見た夢と重なったが、まさか出会い方まで夢と同じなのには驚いた。加奈が初めて見た夢と重なった。
夢の中では古くなった校舎や、少年が彼のように絵を描いていないなど違う点は所々にあるが、一人の少年が放課後の音楽室でピアノを弾いている少女にひかれて、出会う場面があり、目の前にいる彼が今話してくれた、彼女に会った場面と酷似していた。
過去に何度も見た夢に出てきたのは、やはり彼と彼女だったんだろうか。
顔には白いもやがかかってどんな顔をしていたかわからないので断定はできない。
「初めて彼女に会った時・・・彼女はどんな感じでしたか・・?」
「最初の出会い?ふふ、そうだね。彼女すごく無愛想だったかな?ピアノの演奏について僕が意見したから彼女、むっとしていたね。初対面の人間に失礼じゃないかってね。」
夢と彼らの類似性を確かめるように聞く加奈に彼は、当時を思い出すようにして笑った。
夢の中では初めて少年に出会った少女は微笑んで少年を迎えていたので、最初の出会いがあまり好ましいものではなかったらしい彼らと違っている。
加奈が見た音楽室での穏やかな空間など共通しているところはあるが、
彼らは夢の中の二人とは違う別人なのではないだろうかと考えた。
では一体夢に出てきた二人は誰なんだろう。もしかしたら夢の人物は実際には存在しないのかもしれなかった。加奈の無意識が作りだした夢の産物に過ぎないのかもしれない。
ではどうして意味深に何度も同じ夢を見たのだろうか。彼はひらめいたような表情で加奈に言った。
「あ、もしかして彼女、人を寄せ付けないオーラ出してるから、会うのが怖いのかい?」
「それもあるんですけど・・・・」
音楽室で聖母マリア様のように穏やかで優しい笑みを浮かべる彼女と、以前休み時間に廊下で偶然彼女と何度かすれ違ったことがあるが、まるで別人なのではないかと思えるくらいに人を寄せ付けない厳しい表情をしていた。
「大丈夫だと思うよ。彼女以前は本当に人を避けてたけど、昔に比べたら今は大分丸くなったみたいだから。それに見た目はああでも根は優しい娘だしね。」
「私怖いんです・・・彼女に会って拒絶されたらどうしようかって・・・。」
「どうしてそう思うの?何か特別な理由があるんじゃないか。そうでなければこんなに会うことを拒否しないと思うんだけど。」
彼は鋭い。何もかも見透かされて御見通しなのかもしれない。
加奈は夢のことを話すべきかどうか迷った。
「あの、今から話すこと笑ったりしませんか?」
「何、面白くて笑いを堪えないといけない話なの?」
彼はおどけていったがすぐに真剣な顔になって笑わないと誓った。加奈は要約して夢の内容を彼に話した。彼は意外そうな顔をして聞いていた。
「そんなことがこの世にあるんだ。同じ夢を何度も見て、夢に出てくる少女の着ていた制服を頼りに偶然その高校が存在することを中学生だった君が突き止めた。頑張って勉強して入った高校の音楽室で同じような光景を見たと・・・。」
彼は一人納得するようにつぶやいた。加奈は笑われても仕方ないと思っていたのに真剣に話を聞いてくれる彼が以外だった。
「なら、なおのこと、彼女に会うべきではないのかい?夢の中のその女の子は君を温かく迎えてくれたんだろう?そうしないと夢を頼りにここまで頑張ってきたことが無駄になるんじゃないのか?」
「そうなんですけど・・。彼女が夢と同じように私を受け入れてくれるのかとても怖いんです。もし相性が合わなかったりして、拒絶されたらと思うと・・・
それこそこの高校に努力してやってきたことが無駄になるような、無意味なものになるような気がして・・・。だから私、このまま離れて遠くから見てるだけで今は満足なんです。」
おばあちゃんが亡くなって暗く沈んでいた加奈にとって彼女のピアノを遠くから聴けることは心の支えだと感じていた。まるで遠い昔に死んだ母親が加奈の傷ついた悲しみに打ちひしがれている心を癒してくれるような存在だった。
それが拒まれることにより失われるのが怖い。残された最後の生きる希望の光りを一瞬で吹き消されてしまうようで恐ろしかった。彼は頷いて言った。
「なるほど・・・それでここまで会うことを躊躇っていたのか・・・。」
あの音楽室の空間は彼ら二人の特別な空間で加奈の様な部外者が入っていってもいいのかと躊躇われたのだ。
「でも、それでも僕は君が彼女に会うことをすすめるよ。後になって後悔しないようにね。さっきも言ったけど彼女、本当はとても心の優しい人間なんだよ。
ピアノを弾いてる時の彼女が本当の彼女だと思ってもらっていい。僕だって最初は彼女に煙たがられていたけど、今はこうして仲良く?付き合っているわけだから。
それに君を見てるとおばあちゃんが亡くなって元気がないみたいだし、彼女に会ってみなよ。君達はきっと気が合うと思うよ。これは僕の直感だけれど、結構当たるんだよ?」
ピアノ演奏にも通じるものがあると彼は言った。
ここまで親身になって加奈のことを心配してくれて嬉しいのと同時に、何故だろうと思った。
どうしてなのかと彼に聞いてみると彼は笑顔でさらりと言った。
「音楽室で彼女を見ていた君は、彼女にひかれた昔の僕を見ているようだったからだよ。」
加奈は彼にすすめられて、彼女に会ってみようかと思い始めていた。
もうすぐバスは学校前の停留所に着く。加奈は前方に広がる道路を見つめた。
信号は青、まっすぐにバスが交差点に進入して、彼の姿越しに窓を見た時、加奈はそれを見た。
交差するもう一方の道路から猛スピードで突っ込んでくる一台の大型トラック。
うなだれる運転手が見えた。
うとうととした様子でまともにハンドル握っていない。
加奈の異様なあっと驚く表情を見て彼も窓に視線を向ける。
その時には既に接近してくるトラックとバスとの距離は絶望的だった。
一瞬の出来事だった。
窓の外、目前に容赦のない速度で迫り来る物体を認識した瞬間、
彼が加奈の体をものすごい力で窓と反対の通路側に押しやった。
次の瞬間激しい衝撃がバス全体に走る。ものすごい轟音と共に車体が跳ね上がり横倒しになったバスは道路を転がる振動に翻弄された。窓ガラスが粉々に砕け散り加奈は体の至る所を打ちつけた。
激しい破壊が起こった後、一切の動きが止み加奈は体中に走る激痛を感じながら、重い首を上げあたりを見回すと衝撃を受けた側の反対側の窓が体の下にあるのに気づきバスが横転したのだと悟った。
薄く舞い上がるほこりの中、乗客たちが同じように横たわっているのが見えたが、彼がどうなったのかは加奈のいる位置から見えずわからなかった。
次第に加奈の視界が闇の膜を被せられたように薄暗くなり、意識が遠ざかっていき光の閉ざされた真の暗闇に包まれて途切れていった。




