バレバレでしたぜ、お嬢さん
放課後、蓉介が音楽室の前までたどり着くと、一人の少女が入り口のドアの前に立ち、中から聴こえてくる真琴が弾いてるであろうピアノの演奏に耳を傾けていた。
声をかけようとした時、蓉介は彼女の表情を見た瞬間、出そうになった第一声を飲み込んだ。
彼女はとても穏やかな表情をしており、真琴の演奏を聴くことによって癒されているように見えた。瞳には涙をたくさんためて、溢れ出た雫は彼女の桃色に染まったやわらかそうな頬をつたい、ただ静かに耳を傾けている様子だった。
その様子はとても印象的で、一度目に焼き付けるとなかなか頭からはなれそうにないように思われた。しばらく声をかけるのもはばかられた。
さてどうしたものかと蓉介はしばらく彼女を少し離れた場所から見守っていた。もしや彼女も自分と同じように真琴のつむぎだす音楽に心惹かれるものがあって今この場におり、目に涙を浮かべているのではないのかと蓉介は漠然と考えた。
結局その日は声をかけずに彼女が立っている入り口のドアの反対側にある開いていた後ろの入り口からそっと音楽室に入った。蓉介が裏口から入る時、彼女は真琴の演奏に夢中で気づくことはなかった。
それだけ彼女は真琴のピアノにひきこまれているという事なのだろうか。その日からいくらか日を空けて彼女は放課後、音楽室に来るようになった。真琴はまだ気づいていないようだったが、蓉介は音楽室の入り口で彼女が真琴の演奏を聴く為に隠れるように立っているのを知っていた。
ある日、いつものように授業を終えて音楽室に向かうと真琴は既にピアノを弾いていたようで廊下までメロディが聴こえていた。そして入り口のドアには彼女が立っていた。そこで蓉介は立ち止まり、彼女の様子を見つめた。
突然流れてくる音楽が止んで、ドアにいた彼女が身を隠すようにその場にしゃがみこんだ。真琴に見つかってしまったのだろうかと思ったのか、ピアノが再開して、彼女はほっとした表情をした。彼女は気を取り直したように再び、ピアノに耳を傾けた。
蓉介は彼女にゆっくりと近づいていった。声をかけるまで彼女は蓉介には気づくことはなかった。
「君。確か前もここから僕らのこと見てたよね?」
彼女は体を幾分か跳びあがらせてこちらを振り返った。まるで悪いことをしてるところ見つかってしまった子供のように見え、ひどく狼狽した様子だった。そんな彼女に構わず蓉介は話し出した。
◆
「彼女の弾くピアノ、とてもいいでしょう?」
加奈が動揺していることを気にした様子もなく、音楽室でピアノを弾いている彼女といつも一緒にいる彼は話を続けた。
その口調からは加奈に対する怒りの色は感じられなかったがむしろ物腰が柔らかく、それがかえって不気味に思え警戒した。見つかってしまって気が気でない加奈はおずおずとたずねた。
「あ、あの・・・・・もしかして今まで私がここで何度か覗いていたこと知ってたんですか?」
「ん?ああ、知っていたよ。」
彼は天井に目をやってからなんて事はないと言うような口調で言った。加奈の知らない間に、演奏に夢中になっている時に加奈のことはばれていたのだろうか。いつ気づかれたのか検討もつかなかった。
「す、すみませんでした・・・・!覗き見みたいな真似してしまって・・・つい素敵な演奏だなって聴きいってしまって・・あの・・ごめんなさい・・!」
加奈は顔をサーっと青ざめさせて低く頭を下げて謝った。きつく咎められても仕方ないと覚悟していると、彼はきょとんとしてから、笑い出した。
「くくく・・・謝ることはないよ。僕は気にしてないし。中にいる彼女はまだ君のこと気づいていないようだし、その様子だとばれるのがまずいみたいだからこのまま黙っているよ。」
加奈はどうして彼が怒りもせず、初対面であり、しかも盗み聞きしていた自分に愛想よく接してくれるのか、不思議に思い逆に戸惑いが増した。目の前にいる彼は音楽室で気持ちよさそうに自由にピアノを弾く少女の方へ目を細めた。とても優しいまなざしだった。
「彼女のピアノ・・・好き?」
「・・・え・・?」
少女から視線を加奈に向けて彼は唐突に聞いてきた。加奈が答えるまで彼はじっと加奈を見つめ続けた。まっすぐに見られ加奈はどう言ったらいいか頭が真っ白になった。加奈は何も言えず、ただ赤くなって頷いた。彼は微笑んで言った。
「僕も彼女が弾くピアノがとっても大好きなんだ。だから君がここに通いつめてまで彼女の演奏を聴きに来ていた気持ち、わからなくもないよ。」
本当にごめんなさい、と再度頭を下げて言うと彼はいいからいいからとにこにこして言った。
「僕、絵を描くんだけれど、彼女の演奏を聴きながら描くととてもはかどるんだ。」
彼は加奈から音楽室の方に視線を向けて笑顔のまま加奈に話しかけた。
「ああ、だからいつも彼女の側で絵を描いてらしたんですか。」
彼がすっと加奈を見つめたので、加奈は盗み見の罪を感じてすみませんと肩をすぼませた。居心地の悪さを感じていると彼が突然手のひらをぽんと叩いて提案しだした。
「そうだ。どう?彼女に会って話してみるかい?」
「ええっ!そ、そんな。」
加奈はびっくりして思わず、大きな声を上げてからすぐに両手で口を塞いだ。そっと窓から中を覗くと彼女は変わらず演奏を続けている。
「いつも彼女の演奏を聴いていたということは彼女に興味があるでしょう?僕が紹介してあげるよ。」
「いえ、とんでもない、結構です。」
「どうして?」
「ああ、もうこんな時間、私帰らないと・・・し、失礼します!」
加奈は腕時計にわざとらしく目をやって、振り切るように踵を返して駆け出した。あ、君ちょっと待ってと背後から彼の声が追いかけてきたが振り返らなかった。
「また、ここにいつでもここにおいでよ!待ってるから。」
彼の言葉にピタリと足を止めて、振り返ると彼は最初に対面した時と同じ笑みを浮かべて手を振っていた。
◇
音楽室で放課後蓉介と共に過ごすようになって少しした頃、真琴は以前には感じなかった違和感を覚えていた。その正体は誰かがどこかから真琴を見つめる視線のようであり、誰かが真琴に向けて強い思念を向けているようでもあった。
演奏を中断しあたりを見回すともちろん周囲には真琴以外に誰もおらず、窓から夕陽に照らされて赤く染め上げられた机と椅子が整然と並んでいるだけである。入り口のドアの窓ガラスに目をやるが誰かが覗いているような人影は見当たらない。
特に不快には感じられなかったので、真琴は自分の思い過ごしか、音楽室の前を通った誰かが一瞬、中を覗いて通り過ぎていったのか、裕子か蓉介が真琴をからかうためにどこかからいたずらしているのかのどれかだろうと結論づけ、あまり深く考えないようにし、演奏を再開した。
蓉介にこのことを話してみようかと思ったが、それ程たいしたことでもないと思ったので話さなかった。




