9.おみまい
月曜日。学校に行くとカツヤが事故って入院した事が話題になっていた。カツヤはそれなりに有名人だったようだ。
翔太の通う私立高校は生徒数千五百人以上いるマンモス校だ。翔太はその商業科に通っている。元々難関大学への近道として名が通っていた進学校だったが、広大な敷地を利用して商業科と工業科を順次作り、進学クラスは普通科とした。
各科の敷地は明確に区分けされ、グランドも体育館も別になっている。敷地全体は正方形を真十文字に区切り北東部分が欠けたような形になっている。北西に工業科区画があり、職員棟を挟んで南西が商業科区画、南東が普通科区画になっている。それぞれの教室棟は職員棟に繋がっているが、他の科から他の科へ行くには職員棟を通らなければならない。普通科と商業科のグランドは接しているがフェンスで仕切られている。
商業科と工業科のグランドは職員棟と焼却炉を囲うフェンスに阻まれて接していない。少なくとも意図的には。
つまり工業科のガラの悪い生徒が、品行方正な特進クラスの普通科に行くには、職員棟を通るしか方法が無く、また遠い。しかも工業科の校門は北側、普通科と商業科の校門はそれぞれ南側にあり、最寄りの駅が一駅離れているという念の入れようだ。同じ学校でもまず接点がない。
それぐらい大きな学校で工業科のカツヤが事故った噂が、商業科にまで伝わって来るくらい、カツヤは有名人だったのだ。普通科までは知らないが。
工業科には少人数の不良グループが多数あるが、基本的に他のグループには無関心だ。古き良き昭和の時代の番長はいない。その中でも素行が悪いグループとしてカツヤのグループが有名だった。
「ねぇ、翔太君は何か知ってるんじゃない?」
昼休み、購買で買ったパンを平らげて、残りの甘いコーヒー牛乳を飲んでいたら、机の前に回り込んできた新聞部の佐知子が声をかけてきた。
整った顔立ちをしており艶やかな髪をしている。しかしショートカットが伸びて中途半端な長さになり、寝癖もそのままだ。目に隈も出来ている。制服は着崩したと言うよりは乱暴に羽織っただけのようだった。
翔太は普段から学校でも一人で過ごしており、極力他人に関わらないようにしていた。また、それを苦痛に思った事はない。周りも翔太の近寄りがたい雰囲気に好んで声を掛けるものは居なかった。
だが、どのクラスでも一人はその雰囲気を気にも留めない者がいる。その「気にも留ない者」と言うのは、誰もが見えているはずの壁をやすやすと突破するのだ。
翔太の冷めた返事にも無視にも、挫けないのではない。気付かないのだ。佐知子はそんな者の一人だった。
「何の事だよ?」
翔太は薄く目を細めて、不機嫌に、極力冷たく返事をした。だが彼女には伝わらない。
「三年の加賀カツヤのこと。あんた目つけられてたでしょ?」
「・・・」
今度は無視してみた。
「わたし絶対ただの事故じゃ無いと思うんだよね! 車が燃えてもいないのに火傷してたらしいの。それにカツヤのグループ全員が口を揃えて一部始終見てたみたいに同じ事を言ってたらしいの。おかしいよね?! あと、近所の人がうちの制服を着た誰かと数人が去って行ったのを見てるの。それなのにカツヤとメンバーの奴らはそんな奴いなかったの一点張り。警察も怪しいとは思いつつ、不良達の小競り合いに付き合ってられないと証言通り事故ですましたようなの。」
彼女は一気にまくし立てる。翔太の机に手をついてかなり前のめりだ。翔太は徐々にのけぞるような体制になった。
「・・・」
「あんたでしょ?」
「なんで俺なんだよ。」
「全ての情報があんただって言ってるわ。あとは勘よ!」
「…今言った情報のどこに俺が出てきた。全て勘だろ。」
翔太はイライラしつつも彼女のペースに飲まれまいと、努めて冷静に返した。
全て勘だが当たっている。
「あんたよね?」
「なんでそんなに詳しいんだよ。」
「私の父さんはエリート官僚悪徳警官よ! 父さんの名前を出せば警察の情報なら簡単に手に入るんだから。半日あればこのくらい調べらがつく。わたし将来はフリーの記者になって、あのエリート官僚悪徳警官のシッポを掴んで引きずり下ろしてやるの!」
「・・・」
そこで不意に佐知子は机についていた手を腰にあてて、翔太を上から下まで目で舐めた。
「あんた一緒にご飯食べる友だちもいないの? 私しか友だち居ないんじゃない?」
「お前も友だちじゃねえよ!」
イライラが限界を突破し、遂に声を荒げてしまった。教室内の談笑が一瞬止まり、翔太に注目が集まる。
佐知子はニヤっと厭らしい笑みを翔太に向けたあと去って行った。それとともに談笑が元に戻る。
佐知子は数人の女生徒グループの輪に入って行った。
「みんなおはよー。」
「お早うって、さっちー午前中何してたの?」
「いやー、頭痛が痛くて、腹痛も痛くて警察に行ってた。」
「アハハッ、何言ってるかわかんない。」
「それより、よく上原君に話しかけられるよね。大丈夫?」
一人が声を潜めて言った。しかし翔太には全て聞こえている。だいたい内緒話が他に聞こえていないと思っているのは当人達だけだ。
「大丈夫って何に対して?」
「彼、絶対悪の総帥よ。」
何だよそれ。仮面を被ったライダー界の話かよ。
翔太は聞きたくないが聞こえてくる声に内心突っ込んだ。
「フフフ。私にかかればあの根暗クールも手のひらで転がるわ!」
「・・・」
近いうちにカツヤの見舞いに行かないとな。
コーヒー牛乳を飲み切り残りの休み時間を睡眠に費やすことにした。
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数日後の放課後、翔太はカツヤが入院している病院を訪ねた。
受付で病室を聞いて、七階に上がった。病室は個室の様だった。開いたままの扉を前に中を覗くとベッドで雑誌を読んでいるカツヤがいた。傍らには母親らしき人物が椅子に座り、一点を見つめてじっとしている。
「入るぞ。」
カツヤは雑誌から目だけをチラリとこちらに向けたがすぐに雑誌に戻した。かと思いきや顔を上げ翔太を確認し目を見開いた。
数秒固まってたがぽつりと呟いた。
「なんで病院にまで来るんだよ…」
カツヤの顔から血の気が失せた。
「よう。調子はどうだ?」
「オイッ! ババア! こいつを追い出せ! 早くッ!」
その声でやっと気付いた母親が翔太の方を向いた。
「あらあら、カッちゃんのお友達かしら? まぁまぁ、こんにちは。」
翔太に目を合わせず、顔にも視線は来ていない。どこを見ているかわからないような目で無表情に翔太に挨拶をした。目が悪い訳ではない。来客に喜んでいるような言葉だが全く感情が抜けている。定型文を読み上げているようだ。
更にカツヤが大声を上げた。
「友達じゃねえよ! ヤバい奴なんだよ! 誰か読んでくれ!」
「まぁ、カッちゃんたら。そんな汚い言葉を使っちゃダメよ。お友達の方、座ってください。私はジュースでも買って来るわね。」
会話が成り立っていない。母親は椅子から立ち上がり、ふらふらと病室から出て行った。
「よう。元気そうじゃねえか。まだまだ活躍出来そうだな?」
母親が空けた椅子に座りつつ話しかけた。
両足の膝から下はギプスで固定され、右足は腰の辺りまで包帯が巻いてあることが確認できた。
「見舞いに来てやったぞ。」
「頼んでねえよ!」
間髪いれず言葉を返した。
そんな様子に翔太はひと呼吸置いた。
「俺はな、怖いんだよ。お前が元気になって学校に戻って来るのが。」
翔太は静かにカツヤの目をみた。
カツヤは目をそらして口を開いた。
「お前のせいでまともに歩ける様になるかまだわかんねえんだ。歩けたとしても大した運動は出来そうに無い。そんな体でお前に復讐なんかできるかよ。」
「何もお前自身が動かなくても良いだろう。仲間もいるじゃねえか。」
「あいつらはもう関係ねえよ。元々仲が良かった訳じゃねえ。キレやすい俺の顔色を見ながらついて来てただけだ。俺の様子を知ったら一度も面会に来ねえ。メッセージにも既読スルーだ。見捨てられたよ。まぁ自業自得だな。」
そして寂しそうな顔を落とした。
「もうしねえよ。お前とは関わらねえ。絶対だ。」
カツヤの様子に翔太は落胆と少しの喪失感を感じた。
「ふーん…。お前の母親はなんなんだあれ? 病んでんな。」
少し嗾けるように言った。
「あいつにとって俺は小学生くらいに巻き戻ったんだ。俺が高校に入って、グレて問題を起こすようになった頃に親父の単身赴任が重なった。その頃はまだ気丈に振る舞ってたが、親父が愛人と住んでる事が分かって一月後にはあんなになってた。ずっと夢の中で過ごしてやがる。晩飯は必ず親父の分も用意してあって、俺のハンバーグには旗が立ってるよ。」
自嘲気味に少し笑いながら話した。
「興味ねえよ。辛気臭え。」
面白くなさそうに翔太は椅子から立ち上がった。病室を出る前に背中越しに言った。
「じゃあな。今度は笑えるネタを用意しておけ。お大事に。」
「お前が言うな! そしてもう来るな!」
「いや、また来るよ。」
病室から何かを叫ぶ声が聞こえた。
廊下を歩いていると、目的地が無いような頼りなげな足取りの、カツヤの母親とすれ違った。やはり目は何処も見ていなかった。