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8.稼ぎの違い

 バイト先に着いたのは六時半頃だった。施設の晩御飯は五時半からと早いため、食べ終えて一駅電車で揺られても六時半には着いていた。いつもは五時頃から始めるが、今日は六時半だ。勝手に行って勝手に始める。最初の頃はきっちり決められていたが、慣れた頃から自由になった。出勤日だけが決められている。希望も聞かれるがよっぽどの事が無い限り、休みの希望は出さなかった。

 高級クラブが軒を連ねる繁華街の中に、誰もが気がつかないほど小さく、わざと存在感を消したかのような酒屋が翔太のバイト先だった。何故そんな小さな酒屋が大型ディスカウント店に負けずやっていけるかと言うと、特別な役割があるからだ。客のほぼ全てが高級クラブで、一般客が購入できるような陳列はしていない。まるで倉庫のような様相だ。契約店のクラブが開店する前に定番のウィスキーや水、氷、トニックなどを補充する。契約店から鍵を預かっているので、鍵が閉まってても勝手に入る。当日の朝に注文されたものと合わせて、減っているものを勝手に補充するのだ。開店後は足りなくなった注文が入ったり、高級シャンパンやウィスキーの注文が入ると大事に持って走っていく。クラブ側には高額な酒はあまり在庫していない。客からの注文のたびに酒屋から持ってきて貰う事で在庫リスクを抑えているのだ。よって酒屋は近く無ければならない。更にそういった場所の土地は高く、新規参入しようものなら高い家賃ですぐに回らなくなる。既にある酒屋は代々の受け継がれた土地持ちなのだ。

 このバイトは根岸の紹介だった。時給千五百円でだいたい夕方五時から十二時まで、週四回くらい入っている。高校生が働いて良い時間でも環境でも無いが、この辺の人間は気にしない。どう見ても中学生が皿洗いしてる事もある。


 「あ、翔太君来たか。今日は八時迄にこんだけ回っといて。あ、エンペラーは専用ボトル一ケース追加でお願い。」

 三十過ぎの冴えない男が店に入るなりリストを渡して言った。

 「げ、こんなに? 今日暇なはずだったよね。」

 「あぁ、親父がまた腰やっちゃって…」

 「引退させてもう一人雇えば?」

 げんなりした顔をした。このバイトを始めて約半年で既に三回目だ。

 「おー、翔坊すまんなー。まぁ若者は身を粉にして働け。ガハハハ。痛ッつつつ。」

 店の奥から六十半ばの男が大声で翔太に声を掛けた。コタツで寝転びながらテレビを見て腰をさすっている。

 「翔太君いつも悪いねー。」

 事務処理担当の快活な奥さんがコタツの上で、ノートパソコンから顔を上げて言った。

 「うちは翔太君雇うだけで精一杯だよ。」

 「・・・」

 店の横に置いてある高級車を睨んだ。

 この店は現役と言い張る親父とその息子夫婦だけでやっていた。

 ちなみにその息子は昨年、高級住宅街に高級住宅を建てた。結婚祝いにと親父が全額払ったらしい。毎日そこからこれまた高級車に乗ってやって来るのだ。

 「あれはほら、こんな商売だから見栄も必要なんだよ。」

 悪びれる事もなくしれっと笑顔で(のたま)った。

 「時間が無いから行ってくる。」

 翔太は既に満載された二段の台車を押して走り出した。台車は保冷庫付き、鍵付きの特別製だ。


 近場から順番に五、六件回ったところである一軒のクラブに入った。

 「あ、翔太君。精が出るわね。」

 高級クラブの雇われママが開店前の店でパソコンを開いていた。

 「詩織さん、今日は早いですね。」

 「ええ、ちょっとね…」

 パソコンに顔を戻して渋い顔をした。

 邪魔してはいけないと業務に戻る事にした。在庫を確認して補充するものをメモに書いていく。台車は店内に入れず店の外に置いてある。

 詩織はふと仕事中の翔太を見た。

 「あなたここらへんのいろんな店を見てるわよね。なにかよそと比べておかしいところないかしら?」

 この店は出来て一年ほど経ったが、売り上げが伸び悩んでいた。まだ三十前後の若いママは、ある意味で目の肥えた翔太に助けを求めた。

 「…そうですね。内装も良いし調度品もセンスがいいと思います。」

 翔太は店をぐるりと眺めた。

 「開店時と同様に照明点けてもらえます?」

 「え? ええ、良いわよ。」

 ママは素直に照明を点けた。

 「強いて言うなら、少し明る過ぎる気がします。白色系の照明だけを落として、間接照明を少し強めにしてみてもらえます?」

 言われるがまま詩織は照明の調光パネルをいじった。

 「うん。このくらいの方が良いように思います。あと、失礼ですけど席が埋まらないならもっとゆったりテーブルを配置して、客同士の間隔を広げても良いかもしれません。」

 詩織は驚いた顔で翔太を見た。

 「なかなか的確なアドバイスね。雰囲気が落ち着いた感じになったわ。」

 「この界隈の客は年配の金持ちが多くてあまり賑やかなのを好まないようですから。女の子もすぐには無理でしょうけどそういった感じの人を揃えた方が良いかもしれませんね。」

 「ありがとう。すごく参考になったわ。私、前の店の成功体験だけでやってきて、この界隈の客層の事考えてなかった…」


 この子なかなか良く見てるわね。たまたま目に付いたから聞いてみただけなのに。目から鱗だわ。


 「まぁ僕のアドバイスは全部即効性が無いものばかりなんですけど…」

 「いいえ。そもそもの考え方が違ってた事に気付かされたわ。本当にありがとう。」

 「いいえ。お役に立てたなら嬉しいです。あ、何か足りないものありますか?」

 話題を変えて仕事に戻る事にした。まだまだ八時迄に回らなければならない店がある。

 「いつもどおりでいいわよ。」


 ちょっと投資しておこうかしら。


 詩織は事務所の金庫から三万円が入ったポチ袋を取ってきた。こんな店では日々様々な事が起きる。それに迅速に対応できるように常に一万円から十万円が入ったポチ袋や封筒が準備してある。頑張っている女の子に渡す事もある。

 「これ、お小遣いにして。」

 せわしなく動く翔太の前掛けのポケットにスッとポチ袋を差し込んだ。何気に腕へのタッチも忘れない。このあたりはもう身に染み付いている。

 翔太はきっちり手を止めてお辞儀をした。断るなんて無粋な事はしない。

 「ありがとうございます。」

 「良いのよ。」

 詩織は笑みで受け取った。


 ひと通り配達が終わって、注文が入るまで待機という名の休憩をしていた。

 コタツに入って缶コーヒーを飲んでいたら、腰をさすっていたジジイが腹巻きからくしゃくしゃの千円出してコタツの上に投げた。子供みたいな屈託のない笑顔が張り付いている。

 「翔坊、駄賃だ。これでビフテキでも食えや。」

 翔太は千円を取って何気に広げた。人肌に温まっている事に顔を少し顰めた。

 「なんだよ、少ねえかよ?」

 「いや、ビフテキって…。サンキュー」

 そんなやり取りでさっきポチ袋を貰った事を思い出した。開けてみると三万円も入っている。

 合わせて三万円と千円。


 やっぱりバイトは辞められ無いな。


 鞄には二百万円近く入っているが、それとこの三万千円とは何か違う気がした。翔太は大事に財布に仕舞った。

 それから何度か注文が入って配達と待機を繰り返し、今日は十一時半で上がった。



----



 翌日、昼前に目が覚めた翔太は、朝ごはんと昼ごはんを兼ねた弁当を買ってイートインコーナーで食べた。そのまま駅に向かい、市内行きの電車に乗って15分程揺られる。車内はカップルや家族連れで程々に混んでいた。大型ショッピングモールや百貨店、通りにはオシャレなカフェが並ぶ街の駅でその殆どが降りて行ったが、翔太の目的地はもう一駅向こうだ。

 数十年前は賑わっていたであろう駅で降りて、ややくたびれた、それでも近所のご年配方が行き交う商店街を抜けて雑居ビルに入った。

 狭くて暗い廊下を通って古いエレベーターの前を抜け、屋外の非常階段に出た。錆びた非常階段をコツコツと登って二階の鉄扉を開いた。

 二階のフロアは三件のテナントが入れるつくりになっているが、現在は法律事務所とスナックだけで一件は空きになっていた。

 翔太は「根岸法律事務所」と書かれた扉を開いた。

 「だれや?」

 入ってすぐ正面にはすりガラスの仕切りがあり、事務所全体が見えないようになっていた。翔太が入ってすぐに奥からドスの効いた声がかけられた。

 「ちわーす。」

 軽い挨拶をしながら仕切りを回り込んだ。

 事務所には二人の職員がいた。一人は恰幅のいい体系にスキンヘッドの五十がらみの男。もう一人は二十台後半で、身長は百九十センチ近くあり、背広を綺麗に着こなしオールバックにしている。二人は自らをパラリーガルと謳っている。しかし、二人とも元暴力団員。醸す雰囲気はそのままである。

 「お、ぼっちゃん。久しぶりですな。」

 「ご苦労様です。」

 一人はソファーに鷹揚に座ったまま、もう一人は立って深く腰を曲げて挨拶した。

 「ぼっちゃんはやめてください、斉藤さん。それに中山さんも高校生にそんなに深く頭を下げないでください。」

 「いえ、自分の立場はわきまえております。」

 さらに女性が奥の事務机から振り返った。和装の女性は老眼鏡を少し下げ翔太を確認し、上品な笑顔を作った。

 「こんにちは、翔ちゃん。いつも祠の掃除をありがとうね。」

 「征子さん、こんにちは。俺がやってるのは掃き掃除だけです。あれくらいはついでみたいなものですから。」

 アパートの敷地の隅にある祠には、週に何度かお供えがある。それを持ってくるのは征子だ。

 翔太は軽く会釈し、中山に聞いた。

 「オヤジは居ますか?」

 少し困った顔をして、数瞬考え答えた。

 「はい。ややお疲れのようでして、中にこもって仕事をなさってますが…」

 いつもの事なのに中山は丁寧にオブラートに包んで答える。

 「二日酔いでしょ?」

 「ガハハハっ!その通りでさぁ。」

 斉藤があっさりバラす。そのまま奥の部屋に向かって大声で呼びかけた。

 「先生。ぼっちゃんが見えてますよ。」

 すると少し間を置いて答えが返ってきた。

 「…今日は日が悪い。帰してください。」

 「・・・」

 「もうバレてます。」

 「…中山か?」

 中の人物は二日酔いをバラしたのは中山かと聞いた。

 「ハイッ!申し訳ございません!」

 またも深々と腰を折ってドアの向こうの人物に謝った。

 ドアには所長室と書かれてる。

 翔太はそのドアを開けて中に入った。中山もそれに続き中に入りドアの横に控えた。斉藤と征子は開いたままのドア越しに中の様子をうかがっている。

 「おう、翔太。久しぶりだな。悪いが聞いた通り今日は日が悪い。またにしてくれ。」

 根岸は革張りのデスクチェアを最大限にリクライニングさせて、机を背にして足を窓のサッシに置いた状態で寝ていたようだ。

 「何が日が悪いだよ。いつもじゃねえか。」

 「いつも日が悪いんだよ。」

 「…株を始めたいから口座開設の手続きをしてくれ。」

 根岸は足を下ろしてリクライニングを戻し、翔太の方に向き直った。

 「誰が要件を話して良いなんて言った。」

 デスクに肘をついて頭を支え、翔太を覗き込んだ。

 「まぁいい。株ときたか。お前は馬鹿じゃないと思っていたが、違ってたか…。どっかの広告の必勝法なんぞに釣られたか?」

 「いいや、合法的に未成年が大金を稼ぐ方法を考えただけだ。」

 根岸は訝しむ目を翔太に向けた。

 「……インサイダーか?」

 「合法的にって言っただろ。そんな知り合いも情報網もねえよ。株は俺にとって博打みたいなもんだ。場の流れと勘さえあれば稼げる。謂わば政府公認世界規模の賭博場だ。」

 「何夢見てやがる。資金はどうするんだ? お前の稼ぎ程度ではスタート地点にも立てねえぞ。」

 「競馬で稼いだ。俺の勘は馬でも通用するんだ。だが学生が稼ぐには目立ち過ぎる。」

 「おめえ学校は?」

 「結構暇な授業は多い。スマホさえあればいつでも出来る。心配しなくても三年で卒業するさ。」

 「…具体的に幾らくらいあるんだ?」

 「言えねえな。まぁスタート地点に立てるくらいにはあるってとこだ。」

 「俺はお前の後見人だぞ? 金銭管理をする義務がある。言わないとこの件は無しだ。それとも園長に頼むか? それが出来ないから俺んとこに来たんだろう?」

 翔太は悔しそうに顔を顰めた。

 「……足下見やがって。一千には届かないくらいだ。」

 

 なんだこいつ。競馬で一千万稼いでも浮かれもせずに次の稼ぎ場所を探してやがる。本当にまだ十六歳かよ。

 

 驚きを顔にはせずにやや()をとった。

 「わかった。その一千万は全て証券取引口座に預金しろ。残高は常に確認する。五百万損したら終わりだ。足を洗え。」

 「わかった。」

 根岸は少し口の端を上げた。

 「あと俺の取り分は?」

 翔太は目を見開いた。

 「子供から金巻き上げるのかよ!」

 「当然じゃねえか。口座が増えると後見人としての事務作業も増えるんだぞ。大人の世界に足を突っ込むんだ。タダで何でもしてもらえると思うな。一割だ。」

 翔太は汚物を見るような目で根岸をみた。

 「五パーだ。」

 「じゃあ無しだ。帰れ。」


 クソ野郎……。


 「…わかった。だが上限を月三十万にしろ。」

 一瞬驚いた顔をした根岸だが、すぐに愉快そうに笑った。

 「ワハハハッ。お前月三百も稼ぐ気かよ! 取らぬ狸のなんとやらだな。」

 

 流石にこいつでも三百は無理だ。


 そう思いながらも何処か期待している自分を笑い、丸い笑顔を作った。

 「なら、最低五万だ。毎月の収支がマイナスでも月五万はもらう。」

 「どこまで腐ってやがる。わかったよ!」


 まぁ世の中そんなに上手くは行かねえよ。


 翌週には上限を設けた事に深く後悔する事も知らず、根岸はそんな事を思っていた。

 「中山、手続きしてやれ。」

 「ハイッ!」

 「征子(まさこ)さん、すまんが口座の管理を頼んます。こいつがちょろまかさんか見張ってやって下さい。」

 「はい、承りました。」

 「用はそれだけか?」

 「ああ。そうだ。じゃあ、後は中山さんに聞く。」

 翔太が言い終わる前に根岸は元の体勢に戻っていた。

 

 根岸は背を向けたまま出て行こうとする翔太に、思い出したかのように付け加えた。

 「あと、バイトは辞めるなよ。」

 ノブに手をかけていた翔太は振り返った。

 「もとよりそのつもりだ。」

 「管理人もだ。」

 翔太はその意味を少し考えた。

 「…。あの場所に住んで土地を守れって事だな?」

 「ん、あぁ、そうだ。」

 含みのある言い回しに根岸はどこか引っかかった。

 「わかった。」

 翔太が出て行くと中山はそっとドアを閉めた。


 中山は所謂(いわゆる)元インテリやくざだ。株の取り引きはもちろん、パソコンの扱いも堪能だった。

 証券会社の事など何も知らない翔太に説明しながら、未成年の取引きに制限が少なくて、翔太のやり方に合った手数料の低い証券会社を選んだ。

 初期登録がさくさく終わり、後は申し込み用紙が届いて、押印、返送すれば良いだけになった。

 「後の事は私がやっておきます。口座が開設されたら連絡します。」

 「ありがとうございます。中山さん。よろしくお願いします。」

 お礼を言って事務所を後にした。

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