7.園長と悪徳弁護士
なんだかんだで十四時位になった。待ち合わせ時間から既に一時間ほど経っている。遅れる事は伝えているが、急ぐ様子もなく翔太は気怠げにファミレスに入った。
店員が案内に来る前にモヤシを見つけ席に向かった。
「おう、待たせた。」
「いいえ、ゲームしてたので退屈はしませんでした。」
翔太は昼ご飯がまだなので、とりあえずお腹に溜まる肉料理の中から海老フライとハンバーグがワンプレートに乗っているランチセットを注文した。
「これがそのパソコンです。二年前に買ったやつでそれ程スペックは高くありませんが、株取引ぐらいであれば問題無く使えます。そのうちやり込んで行けばデスクトップでマルチモニターにした方が良いと思います。」
「…日本語を話せ。それよりこの携帯でパソコンのテザリングとやらにしてくれ。」
翔太はテーブルに滑らせて携帯を渡した。
「はい。パソコンを携帯のテザリング機能で接続してインターネットが使えるように設定しますね。」
「・・・」
なんかちょいちょいイラつくな。
その後、ランチセットを食べている間にモヤシが一通りの設定を終えて、操作方法などの説明を受けた。翔太も機械音痴と言うわけでは無い。パソコンの授業もついて行けている。ただ、あまり触れる機会が無かっただけで、特に苦労する事なく習得出来た。
「後は証券会社の口座と資金ですが…」
「そっちは大丈夫だ。お前に頼る事でもないしな。助かったよ。パソコンもありがとな。」
「いいえ。」
モヤシは感謝の言葉を聞き慣れていないのか、どうした表情をすれば良いのかわからない様で、変な感じに顔を歪めた。
「あ、それとこれ、頼まれてた本と今月分です。二万五千円。」
モヤシが薄い本と封筒を差し出した。
「おう、それはパソコン代にしといてくれ。このパソコンがどのくらいの価値があるか知らねえが…」
翔太は軽い声で本だけ受け取った。
「じゃあな。また連絡する。」
ここまでは順調に準備が進んだ。あとは口座だな。
口座の件は後見人の弁護士に頼ることになる。明日悪徳弁護士の事務所に行くことにして、児童養護施設「美空園」へ行くことにした。
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美空園は、元は私設保育園だった。当時の園児の何人かが親と離れて暮らす事になったのを切っ掛けに、今後はそんな園児も引き取れるようと園長が思い切って増築、改装して養護施設にしたものだ。乳児から高校生まで大体多い時で八十人程度が暮らしていた。保育園も継続して区画を分けて運営していた。
「おう。翔太。何しにきたよ。」
美空園にいる同い年の稔が、玄関に入った所で声をかけてきた。
「お前、もう卒園した身だろ。なに我が物顔で来てんだよ。」
稔と翔太は常に対立して来た。
園では喧嘩は日常茶飯事だった。人は三人寄れば派閥が出来るという。園でも上級生の人間関係に巻き込まれる形で、常に二、三の派閥が形成され、複雑に絡み合っていた。
しかし、どの派閥にも属さない者がどうしても何人か出てくる。自由人で集団行動が苦手な、もしくは出来ない者達だ。翔太もその一人で、その無所属派を率いるような存在だった。
無所属なのに率いるとはどこかちぐはぐだが、無所属派の心の寄りどころといった存在だ。全員基本的に自由人なので普段はバラバラなのだが、泣いている者がいれば声をかけたり、派閥の人間と揉め事になれば味方したりと、お互いが無所属である事に仲間意識があった。
翔太は相手がどこの派閥の人間であっても関係なく接していた。むしろ興味が無かった。弱い者苛めされていれば何気に助けたり、派閥内で孤立した者を支えてやったりしていた。なのでどこの派閥にも、一定数以上翔太を慕っている者がいた。派閥のリーダー達にとっては目の上のたんこぶだが、妙に喧嘩が強い翔太に一目置いていた。中には仲のいいリーダーもいて、派閥に誘われたりする事もあったが、翔太は派閥が理解出来ず興味も無かった。
対して稔は常時最大派閥に属しており、同年代ではリーダー的存在だ。そして翔太に対してあからさまな敵対心を持っていた。
「おう、稔。すまんな、すぐ帰るよ。」
翔太は中学生になった頃から喧嘩で勝っても厄介ごとが増えるだけだと気付き、出来るだけ喧嘩を避け、喧嘩になっても負けず勝たずを意識してきた。
「チッ。」
そんな翔太の態度にも稔は不満だった。
翔太は稔の横を通って園長室に向かった。
毎週律儀に通う卒園生は翔太くらいだ。美空園では基本的に高校卒業まで面倒を見る事になっている。もちろん里親に引き取られて卒園する者も居るが、それ以外の場合は基本的に高校卒業まで美空園で過ごす事になる。
しかし、翔太は普通とは言えない引き取られ方をし、一人暮らしをしていた。そんな翔太を心配して、園長は定期報告を強要していた。明言はしていないが、定期的に来ないと電話責めに合うのだ。翔太は週一回、土曜日か日曜日のどちらかは顔を出すことにしていた。
だいたい夕方前に来て、近況報告のあと夕食を一緒にとって帰るのが定例だ。夕飯代は五百円。卒園生や親子関係が円満でも引き取ることが出来ないといった親が、子供に面会に来た時に食べて行く事がある。そんな時、夕飯代を払って食べるのだ。
「よう。」
翔太が園長室を覗くと机に向かって書き物をしている園長がいた。
「おう、翔太か。どうだ?」
「別に…」
「そうか。」
最近はいつもこんな調子だ。園長も必要以上にべたべたしない。
「根岸とは最近会ってるか?」
根岸というのは翔太の後見人の弁護士だ。
「いや、電話ではちょくちょく話すが、ここ一か月会ってないな。明日ちょっとした用事で会いに行く予定だが。」
「そうか、やっぱりあいつはお前の事ほったらかしか。」
「あぁ。俺にとってはそれぐらいがちょうどいい。最初からそういう約束だからな。」
「…まぁしょうがないか。晩飯食って行けよ。」
「あぁ。じゃあ。」
毎回そんなに報告する事もなく同じような会話であっさり終わる。園長も翔太があまり干渉すると嫌がることを理解している。
根岸という弁護士は、園長の幼馴染だ。園長と根岸は小中高と同じ学校で、高校時代は一緒に暴走族に入って悪さをした仲だ。ともに大学に行ってからまじめに勉強し、根岸は弁護士になった。しかし、まともな弁護士とは言えない。小さい個人事務所に数人のアシスタントを雇い、暴力団関連会社の顧問弁護士などをやっている。雇われるアシスタントはいずれも頭の切れる強面ばかりだ。
また、根岸は暴力団とのトラブルなどで問題のある家庭から子供を保護し、美空園に連れてくることもあった。そんな事情からか美空園に毎年多額の寄付を行っている。
根岸と翔太が会ったのは翔太が小学校六年生の頃だった。根岸の第一印象は、目がギラついた危なっかしい奴だった。中学に入ってなぜかギラつきは影を潜めたが、それでも頭が良くて聡い。そしてやはりどこか危うさは抜けない。そんな翔太の事が妙に気にかかった。
ある時、翔太について園長と何気に話した事があった。園長も根岸が感じていた翔太の危なげな雰囲気を気にしており、いつか突然出て行くのではと危惧していた。それなら美空園から離れて、落ち着いた環境においた方が良いと考えていた。
そして翔太が中学三年の時、里親になってくれないかと根岸に投げかけた。あまり落ち着いた環境とは言えないが、翔太の事を気にかけて性格も理解し、信用の置ける幼馴染に頼んだのだ。根岸も少しそのことについて考えていたようで快諾した。引き取って弁護士にでもして自分の跡取りにでもするかと、人助けのような気持ちだった。
翔太が中学三年生の三学期、正月気分がまだ抜けきらない頃、ついに翔太に話を持ちかけた。二人は翔太が喜ぶものと疑わなかった。翔太の性格から素直に喜びを表現するとは思っていなかったが、断わると言う選択肢があるとは思ってなかった。しかし、翔太はあっさり断った。二人は耳を疑った。
施設にいる全てといって良い児童たちは施設を離れることを夢見ている筈だった。
翔太は何より束縛されることが嫌だった。家に帰ると親がいて、勉強しろだの学校はどうだっただのと聞いて、毎日顔を付き合わせる他人がいる事に忌避感があった。親の事をしっかり覚えていて、また愛情を持って育てられた翔太にとって、実の親以外を親と思えなかったのだ。
根岸と園長は数日間考えた後、譲歩案を出した。まず里親というよりはただの後見人となり、親権は園長が引き続き持つ事で分業化し一定の自由と監督の目を置く。そして根岸が所有しているアパートの管理人となって一人暮らしをすること。これで翔太の嫌がる「他人との家庭」とは違う環境を用意した。
翔太は更に条件を付けた。生活費は自分で稼ぐと言い出したのだ。生活費を出して貰っていたら、当然自由など無いと思ったからだ。それでも翔太は高校生が一人で生活して行く上で、親権者や後見人に頼らなければならない事は理解していていたし、全てが自分一人でやっていけるとは思ってなかった。つまりその最低限の依存が、園長と根岸が用意した枠に収まる事の譲歩だった。
根岸は人助けのつもりが、何故か頼みこんで、やっと後見人になれたような気分になった。ただ、この男のこれからを見ていられると思うと、それ程嫌な気持ちではなかった。