10.立石姉弟
週が明けて月曜日。退屈な一時間目の現国の授業のなか翔太はスマホをいじり出した。先週末に、根岸の事務所の中山から株の取引き口座手続きが完了したと連絡があった。金曜日の取引きはもう終わっていたので、月曜日の今日から早速始める事にしたのだ。当たり馬券は先週のうちに全額現金化して振り込んである。
九時になってすぐ翔太は目を閉じた。
色々な銘柄を見ながら操作の練習をする。そうこうするうちに三十分くらいが経った。上昇率ランキングの画面を開き手頃な銘柄を確認する。とある銘柄が現在値4,013円、始値は3,805円だった。なかなかの値動きだ。銘柄と金額を覚えて翔太は意識を戻した。
少しの頭痛に顔を顰めてスマホの時間を確認した。秒表示がなかったのでまだ九時丁度を表示している。
翔太はすぐに先程の銘柄に千株の成行で現物買いの注文を出した。すぐに3,807円で約定した。
次に翔太は指値で4,013円の売り注文を出した。後は三十分待つだけだ。
その間他の銘柄や全体の値動きなどをぼんやり見ていると九時十五分くらいにアプリ内で通知が出た。
先程の売り注文が約定したのだ。不思議に思い確認すると確かに4,013円で約定している。そのままその銘柄の値動きを見ていると4,018円まであがり、徐々に下がり始めた。なんの事は無い。予知の時はピークを過ぎて下りだしたところを見たのだ。九時半になり案の定4,013円になった。
ちゃんとチャートを見ておくべきだったな。でもこれで、二十万円ほど稼いだ。簡単だ。これなら一日一回の取引でも、月に数千万にはなる。
いつの間にか二時間目が始まっていた。
翔太はまた目を瞑り、やはり三十分程で目を開けた。今度は別の銘柄で6,231円二千株の信用売りが約定した。すぐに4,085円で買戻しの注文を入れた。
今度はきっちり三十分後、約定を知らせる通知が出た。四百万を越す儲けが出たのだ。のちに分かったが、どうやらこの銘柄は役員の不祥事が発覚し、大きく値を下げた様だ。まだまだ下がる気配だが翔太の知るところではなかった。すでに興味を失っていた。
ちまちま稼いでも頭痛が辛いだけだな。征子さんは取り敢えず数億で良いって言ってたし、まぁ五億くらいまでは頑張って稼ぐか。
分かりきっている結果に興奮も無い。翔太はすぐに飽きてしまっていた。次の取り引きで信用取引の限度額いっぱいで取引きし、更に利益を七百万ほど出した。
その日から翔太の昼ごはんは購買部のパンから食堂のA定食に変わった。
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株取引を始めて一週間。既に七千万円ほどになっていた。しかしそれ以外はなにも変わらない日々だった。学校へ行って、バイトして寝る。バイトが無ければ美空園に行くか、やっぱり寝るかのどちらかだ。合間に洋輔やさやかが遊びに来る。勝手に上がり込んでいるだけだが。
そんな毎日を更に一週間過ごした金曜日の放課後。いつもの様に件の裏道に出たところで女に出くわした。
仁王立ちしたその女は近づいてくる翔太を待っているようだった。
なんだあいつ。邪魔…。
裏道いっぱいに厄介事の匂いが立ち込めていた。その発生源である女からは、その濃密な臭気のせいで蜃気楼のように空気が揺らいでいるように見えた。
翔太は数秒立ち止って思案し、百八十度方向転換し、そして歩き出した。商業科の門までここから五分、更に裏道の先の通りに戻るまで十分程か。十五分程のロスに女へ腹立たしい気持ちが湧いたが、それをぶつける訳にはいかない。災厄が裏道に鎮座ましましているのだ。遠回りせずに避けて通れるようなものではないのだ。
過去それをすり抜けようと挑戦し失敗した愚者がいた。しかし、一度の過ちで十分理解したのだ。そう、翔太は学んだのだ。
だというのに翔太が引き返して数歩歩いたところで声をかけて来た。
「ち、ちょっと待ちなさいよ!」
翔太は反射的に速度を落とす。しかし、絶対振り返ってはならない。強くそう思った。
「待って下さい。お願いします。」
そこで男の必死な声がした。予想外の男の声に翔太は振り返った。
しまった…。
翔太は苦渋の表情を浮かべた。男は翔太の顔を見ながら土下座していた。蜃気楼の後ろに男もいたのだ。
女が声を震わせながら懇願の声を出す。
「お願いします。助けて下さい…」
言いながら涙がこぼれる。
俺は情に流される様な軽い男では無い。
翔太は自分に言い聞かせる様に心で呟いた。
ん、男は見た事があるぞ…。
カツヤの下っ端か。そうだ、立石とか言う奴だ。ってか女は姉のあのケバい女か。ケバくしろよ! 分かんねーんだよ!
「お願いします。兄を助けて下さい。」
頭を下げて涙をアスファルトに落とした。
翔太はやっとの思いで、弱々しくつぶやいた。
「いやだ…。」
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なんで二人共ここにいる?
なんでもう食ってんだ?
ファミレスの六人がけのテーブルで、通路側に翔太が座っている。翔太の右にさやかが、正面に立石弟、その隣が姉、さらに右に洋輔がいた。なんで洋輔がそっち側かは置いておいて、すでにさやかと洋輔はハンバーグ定食を食べ始めていた。
そんな様子も気にせず姉は話し続ける。
「それから兄は帰って来なくなったんです…」
俺は食べてない。こいつらは関係ない!
「で、俺に何を助けて欲しいんだ?」
話を聞いているのか聞いていないのか、ひたすら口を動かし続けているさやかと洋輔の事が気になりチラチラ見つつ続けた。
「俺を襲った奴の彼女が俺に何をお願いしに来たんだ? 見返りは?」
女は立石加奈子と言った。
水商売の母親と三人兄弟の四人家族だ。
加奈子の兄の斗真は三カ月程前に絡まれている女性を助け、男二人と喧嘩になった。空手有段者の斗真は簡単に二人を追い払ったが、その日から家に嫌がらせが始まった。
壁への落書きからはじまり、どんどんエスカレートした。窓が破られたり、車のタイヤをパンクさせられたり。母親は被害届けを出したが犯人は特定出来ず、怯えて過ごしていた。
そしてある日、弟の和也がボコボコに殴られて救急車で運ばれた。和也を襲った数人の男ははっきりと告げた。この辺り一帯の不良やチンピラが集まったチーマーの一員だと。そして次は加奈子の番だと。
斗真はすぐにそのチーマーの拠点へ行った。そして帰って来なかった。それ以来嫌がらせは全くなくなった。
母親は警察に掛け合って必死に救出を求めたが、殆ど進展がなかった。
「大変だったな。」
翔太は軽い口調で声を掛けた。
「でも俺には関係無い。しかもカツヤの彼女だ。恨みしかない。」
「違う!カツヤはそのチーマーに入ってて、あいつに近づいたら何かわかるかと思って!」
加奈子は立ち上がって乗り出し必死に否定した。
「ふーん。でも入ったばかりの下っ端だったんだろう? 何かわかったのかよ。」
ストンと椅子に座り、俯いて小さくなった。
「何も…」
「で、見返りは?」
そこで急に弟の和也が床に這って土下座をした。
「お願いします。何も無いけど助けて下さい!」
加奈子は下を向いたままボロボロと涙を流し始めた。
「ヒック…。お願いします。何でもしますから。お願いします。ズズッ…」
「・・・。話しになんねーな…。その程度のお涙頂戴は俺たちにとっちゃ聞き飽きてる。情に訴えるならもっと悲惨な話しをもってこい。それに俺は悲劇のヒロインが大嫌いなんだ。」
「ひぐッ…」
なおも加奈子は涙を流し、和也は土下座を続ける。
食事中の他の客や店員から注目を集めている。しかし、翔太達は全く気にしてなかった。
さやかと洋輔はとっくに食べ終わり、その光景を平然と見ながら食後のジュースを楽しんでいた。
「・・・。便所行ってくる。」
動かなくなった場に嫌気が差し翔太が席をたった。
さやかが二人を見ながら口を開いた。
「あんた達さ、翔兄は優しいよ。でもヒーローじゃ無いのよ。それじゃダメだよ。特に土下座なんか興ざめも良いとこ。」
それを聞いた和也がスゴスゴと席に戻った。
「翔兄今頃こんな話を聞いて後悔してるんだろうな。でも助ける義理が無い。翔兄はあんなんだから何も無いのに動けないよ。」
「・・・。」
二人は黙り込むしかなかった。
見かねた洋輔が助け舟を出した。
「お前達今のうちにここの支払い済ませてこいよ。それで俺達が何とかしてやるよ。」
二人が揃って期待の目を洋輔に注いだ。
「でもあんな様子じゃ…」
それでも否定的な言葉が漏れる。
「あんた達翔兄の優しさがわかって無いのね。こんな話聞いてる時点でもう助ける気でいるのよ。自分でも気づいてないだろうけどね。」
「早く払って来いよ!戻ってくるだろ。」
和也が急いでレジに駆けて行った。
翔太は用もないのに用をたしながら心の中で文句を言った。
なんだよあいつら。タダで助けてもらえると思いやがって。そんなのは幼稚園児までだ。誰か教えてやれよ。
つってもどうすっかな…。チーマー相手じゃ分が悪すぎる。どんな相手かも分からなければ話しになんねーな。
もう助ける気でいる自分に気づかず席に戻った。
「おい。帰るぞ。」
翔太の口からは意思とは関係なくそんな言葉がもれた。
困った顔をしている翔太を嬉しそうに見ながら、さやかが話しかけた。
「ねえ。助けてあげようよ。」
翔太はすぐに呆れた顔を作った。
「何言ってんだ。なんで俺がタダ働きしなきゃなんねーんだよ。」
「でも俺たち飯食ったよ。」
「俺は食ってねえよ。助けたいならお前達だけでするんだな。」
「そんなー。俺たち家族じゃん。涙流しながら将来のこと話し合った仲じゃん!」
「え、そんな事あったの? 良いなぁ。」
さやかが羨ましそうに呟いた。
「ねえよ!そんな事。」
「無かったかな…」惚けた口調で答えた。
「俺が払ってやるよ! お前達は俺に恩を返せ!」
「すみません。もう払いました。」
何故か申し訳無さそうに和也が謝った。
「だからお願い。私達を手伝って! 私達バカだから何をすればいいか分かんないの。お願い!」
さやかは頭を下げてひたいの前で手を合わせ懇願した。
「…ったく。」
翔太はホッとした自分に気づかず席に座りなおした。
立石姉弟はそんな翔太を見て瞳に安堵の色を滲ませた。
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