第2章「ドレスの勇者」⑤
「がっはっはっ! おめぇ、あんときの勇者か!」
「あ、はい。その節はどうも……」
シモンから全員に改めてわたしの紹介がされると、わたしの向かいの席の大男はわたしを殴るでなく殺すでなく、ただ馬鹿笑いをしているだけだった。
「あんときは悪かったな、姫っ子。俺はガルムってんだ。ガルム・ガルガント・シルバー。よろしくな!」
「香澄です。井上香澄……よろしくおねがいします」
「全く気付かなかったぜ、存外似合ってんじゃねぇか! 首無し騎士にも呪いの仮面とはよく言ったもんだぜ!」
……それはもしかして『馬子にも衣装』の類の諺なのだろうか?
それとわたしの記憶では、それは褒め言葉ではなかった気もするのだが。
けれどとりあえず、ガルムにわたしに対する敵意はないようだ。
こうして敵味方という立場でなくなると、良い兄貴分のような印象を受ける。明るく豪快な、裏表の無い真っ直ぐな人物なのだろう。
「おめぇも災難だったな、姫っ子! まぁ俺が言えたことじゃねぇけどな!」
そう言いながらガルムはわたしの頭に手を置くと、ぐわしぐわしと頭を撫でてくれる。
……うん、たぶんそのつもりのはず。あ、いま首がポキッって言った……
そんなガルムを見て、ミハエルが言う。
「ガルム。雑菌がうつりますよ?」
またか、この陰湿エセ紳士はっ!
しかしわたしよりも先に、ガルムがミハエルに言い返してくれた。
「馬鹿か。俺はトイレ行ったときに毎回手を洗うような、潔癖症のおめぇとは違うんだよ!」
……え?
ってことは、わたしの頭を撫でてくれているこの手って……
「「馬鹿はおまえだ!」」
満場一致で、全員がガルムにツッコんだ。
サービスワゴンがガラガラと押され、料理が運ばれてくる。
料理を運んできたのは、さっき以上に背筋を伸ばしたイチゴと、頭に大きなたんこぶを作ったミルクだった。
聞けば、この城内で最も料理が上手なのが、この二人とのことだった。
「いただきます」
手を合わせ、わたしはフォークとナイフを手に取る。
「何だ、その『いただきます』ってのは?」
「わたしの国の、食事前の挨拶みたいなものよ」
わたしはガルムに答える。
皿の上には、パンにスープにハンバーグ。それからミニトマトが三つ添えられていた。
パンをかじる……もそっ。うん、まぁギリ普通。
スープを啜る……えぐみ。味もちょっと物足りない。
ハンバーグ……外が硬いと思ったら中は水っぽい。
うん。一言で言うと……
「ミニトマトがおいしいわ」
『一番』という言葉は吞み込んだ。
見ると、わたし以外は普通に黙々と食べている。
日本の食の文化レベルって高かったんだなぁ……
「さて。香澄さん、あなたを呼んだ本題に入ってもいいかな」
「ん? ……もぐもぐ」
シモンの言葉に、わたしは顔を上げる。
「まずは事の経緯と、あなたと置かれている状況を確認しておきたい。ミハエルからどの程度聞いているんだい?」
「えっと……わたしが勇者だって誤解が解けたことと、この城から出すわけに行かないから客人として扱ってくれてるってことぐらいね」
「じゃぁそこから詳しく話そう。ジョン、あれを」
「はい、魔王様」
ジョンが取り出し、こちらに差し出してきたのは、一枚の白黒写真――いや、そう間違うほどに精巧に描かれた絵だった。
そこにはわたしと同い年ぐらいの、がたいの良い少年が映っている。顔つきはどことなくサッカー部っぽかった。
「これ、誰なの?」
「彼はクロウ・ストラディバリ。この私を討ち取ろうとした人間だ。聖剣を携え、人間達から『勇者』と呼ばれていた男さ。
ここからは推測でしかないのだが、彼は香澄さん、あなたの次元同位個体だったのだろう」
「……次元同位個体?」
「あ、それについては僕が説明しますね」
ジョンが透明な板を見せて言う。
「僕達の国では昔から……えっと、この世界は本当は二つの世界が重なってできていると言われてきました。このパンタグリュエル王国がある世界と、香澄さんが元々いた世界です。
それぞれの世界の人は、もう一つの世界に自分の次元同位個体を持ちます……えっと、つまり、ペアになる人がいるということなんです」
「じゃぁわたしは、そのクロウって人と入れ替わりであの場に現れたってこと?」
「はい、おそらくは」
それからジョンは透明な板にうずまきのような模様を書いて、裏返して見せた。
「基本的に、男性の次元同位個体は女性、女性の次元同位個体は男性と言われています。
入れ替わりが起こったと推測されるのは、魔王様が勇者クロウを攻撃したときです。魔王様には勇者クロウに深手を負わせるぐらいの手応えがあったにもかかわらず、香澄さんは無傷でした。深手を負った状態で、勇者クロウは香澄さんの世界に転移したのだと思われます……えっと、たぶん、きっと」
「えっ? ……ってことは、わたしの家のリビングが今、血の海になってるってこと?」
「……まぁ、確かにそうですが」
「さすがに、こう来るとは私も読んでいなかったな……」
「もっと別に心配する点がいくらでもあるのではないですか?」
「怪我を気に掛けるぐらいはしてやれよ、もう一人の自分みてぇなモンなんだからよ」
「えーっ! だってそんなことがあったらわたしの家族が驚いちゃうじゃない! カーペットもこのまえ家族で買い物に行って、みんなで選んできた新品だったのに!」
「ご家族を大事にされているのはわかるのですが……」
「まず、自分の娘がいなくなった事のほうが一大事だろうな」
「頑張って説明をしたジョン君がかわいそうになってきました。死んで詫びなさい雌豚」
「姫っ子。混乱してるのは分かっけど、もっと自分を大事にしろ。な?」
「えー……」
なんて。別に、指摘されたことを考えていなかったわけではない。
今朝から夕方まで、ずっとそのことばかりを考えてきたのだ。
日本に残してきてしまった家族のことは気掛かりだし、心配もさせてしまっていると思う。
本当に帰れなかったら?なんて考えたら、不安で堪らなくなった。
考えても考えても、自分にできることなんて無くて。
けれど考えずにはいられなくて、気付けば夕食の時間になっていた。
でも一日中考えていたお陰で、多少のことには動じなくなった。こうして空元気ぐらいはできるようになったというわけだ。
確かに、顔を見たことが無い人が家族と接触することは不安ではあるけれど……
「それに勇者なんだし、クロウって人も悪い奴じゃないんでしょ?」
「それは、命を狙われた俺達に聞かれてもなぁ……」
まぁ、そりゃそうか……今の質問はさすがに間抜けだったかも。
「ごちそうさま」
「お、それも食後の挨拶か?」
「そうよ。食事を作ってくれた人とか、海や山の恵みとか、そういったいろいろなものに感謝をするの」
「なるほどな、ゴチソウサマ……こうか?」
わたしはガルムに頷く。
夕食が終わると、シモンがわたしの席の後ろまで来て、ポンと肩を叩く。
「先ほどのことでひとつ訂正がある。香澄さん、あとガルムもついてきてほしい」
シモンに案内された先は、見覚えのある大広間。
つまりは、わたしが最初にこの世界に転生(?)してきた場所だった。
「砕けたところはすべて、私とガルムの力で修復した。けれど唯一手が付けられなかったものがあれだ」
シモンが指差した先には、金色の装飾が着いた一振りの両刃剣。それが床に刺さったままになっていた。
「聖剣『ブレイブキャリバー』。勇者選定の剣と言われている。ガルム、それを抜いてみてくれ」
「だから、あれから何度も試したじゃねぇか。ふんぬっ、ぐぎぎぐるぁぁぁぁっ!」
ガルムが顔を真っ赤にして引っ張るが、聖剣はびくともしない。
「では次。香澄さん、試してみて」
「いや、だからわたしも抜けないって……」
「いいから」
仕方なくわたしは、聖剣の握りに手を掛ける。
全力で引っ張っているにも関わらず、全くもって聖剣はびくともしない。
当然だ。わたしは勇者なんかじゃないのだから……
すぽんっ!
「えっ?」
突然、剣が床から抜ける。
見ると、ガルムがわたしと一緒に剣を引いてくれていたようだ。
バランスを崩して倒れそうになるわたしを、ガルムが支えてくれる。
そして何より驚いていたのは、その聖剣が黄金色の光を放っていることだった。
「決まりだね」
シモンが呟く。
「香澄さん、君は紛れも無く勇者だ。そしてもうひとつ、クロウの光は銀色だった。けれど君は聖剣の本来の輝きを放つことができている。
クロウではない。君こそが本当の勇者なんだ」
「………………」
魔王からその宣告を受けている今を、かなり斬新だと思うのはわたしだけでしょうか?
それともうひとつ……いや、まぁ自分でも分かってるんだけどさ……
「じゃぁわたしがあのとき聖剣を抜けなかったのって……」
「ただの筋力不足だね。ガルムに鍛えてもらうといい」
「やっぱりそうかぁ……って、えぇぇぇぇっ!」
予想していなかった一言が添えられていて、わたしは驚く。
「運動、苦手なのに……」
「おう、そりゃぁいけねぇ! じゃぁ好きになるまで汗を流すしかねぇな!」
ガルムの馬鹿笑いが大広間に響いた。
そして当然のことながら、聖剣は没収された。
※設定裏話※
ガルムは体が丈夫なので、お腹を壊すとかはありません。
現場で叩き上げのマッチョ軍人なので、汚れとかも気にしません。
3秒ルールどころか、落ちてるものも平気で食べます。
魔族の国は軍部主導の軍事国家で、「階級イコール政治的な発言権の強さ」です。
過去の慣習の名残で貴族もいますが、「市民に対する生活の模範」という感じです。