46 お前さぁ……
既に辺りは暗くなり、家に帰る途中であろう馬車や人がよく通っている中央広場を回り、銀行の前まで行く。
重い木の扉を押し開け、後ろ手で閉めた瞬間、さっきまで耳に入っていた賑やかな声や街の人々の音が聞こえなくなった。
ランプが点いていても薄暗い銀行内は、相変わらずひっそりとしており、鉄格子付きの受け付けの奥から、僅かにパチパチと算盤を弾く様な音だけが響く。
「あのー。まだやってますか?」
俺は小さな声でそう言いながら、凛と一緒に受け付けに歩み寄る。
「ええ。まだ大丈夫ですよ」
そう言いながら机で作業をしていた、前に来たときと同じ、白髪のおじいさんが受け付けにやってくる。……昼よりは職員が少ないな……夜だからか。沢山ある机には殆ど人がいない。
「もうすぐ閉まる所でしたか?」
「いえいえ、まだ時間はありますよ。それで、今晩は何の御用で?」
この職員の少なさを見ると、十中八九もうすぐ終業時刻なのだろうが、おじいさんは笑顔でそう言う。職員の鏡か。
「その、住民税に関する書類を貰いに来ました。この街に住む事になったので」
「そうでございますか。それなら住民登録をされると。少々お待ちを」
そう言うと、おじいさんは奥の扉の向こうに行き、すぐに紙を二枚持って帰ってきた。そして、その二枚の上質な羊皮紙を大理石のカウンターに並べる。
「こちらに必要事項をご記入頂いて、身分証を提示すると共に、ここに提出頂ければ完了でございます」
「分かりました……」
羊皮紙を手にとって内容を見てみる。凛も「なにそれ?」と覗きこんでくる。
……名前、年齢、職業……うわ、出生地なんてのもある……どうしよ……後でそこら辺も、じいさんと相談するか……
すると、おじいさんがカウンターに羽ペンとインクを並べる。……ん?
「良ければ、ここで書いていかれますか?」
もう終業時刻だろうに……やっぱり鏡だ。
「いや、宿の人に書いて貰う所もあるので、後日持ってきますよ」
今夜、家主さんに来てくれと言われてるからな。
「そうでございますか。では、お待ちしてりおります」
おじいさんはそう言って頭を下げる。俺も軽く頭を下げ
「じゃ、また……」
そう言って、静かな銀行を後にした。
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人通りがあまり無くなり、道沿いの家から漏れる光に、所々照らされた大通りを、凛と並んでタオレ荘に向かう。
相変わらず途中途中に横切る、明るい横路からは愉快な笑い声などが聞こえてくる。
すると、凛が俺の右袖をチョイチョイと引っ張ってきた。
「ん、どうした?」
「風吹。その紙って何なの?名前とか住所とか書いてあったけど……」
そう言って、俺が右手に持った羊皮紙を指差す。
「ああ、これか……これは住民登録に使う紙でな。この紙に個人情報とかを書き込んで、銀行に提出すれば住民登録が出来るんだとさ」
元いた世界では市役所の役割だった筈だが、どうやらこの世界では銀行の役割らしい。
「それを元にして、税金を取るんだよ」
「へぇ~……税金って何?」
ズリっ!! 思わず転けそうになった。……り、凛ッ!お前!!引きこもる前は学校行ってた上に、大体日本に住んでたら、そんなの知ってるだろ!?
俺が転びかけ、唖然とした顔をしたのを見た凛は、少し頬を膨らませ、ムッとする。
「そ、存在くらい知ってるもん!!……仕組みとか……何に使うとか知らないだけで……」
使い道が分からないまま税金払ってきたのか。しかも中学……いや、小学生でも仕組み知ってる奴は、沢山いると思うぞ。習う筈だし。
……しょうがないか、俺と一緒で、勉強時間を軽くゲーム時間の方が超えていたのだから。俺は知ってるけどな。
「ね、ネットニュースでも見たもん!!何に使うか疑問だったけど、上がったとか下がったとかは知ってる!!」
疑問だったらググりなよ……大体、上がりはしたが、下がってはいない。
「あのなぁ……まぁいいや。とにかく、税金ってのは皆がちょっとづつ国とか街とかに払うお金で、それは……国の管理と国の為に働いておる人給料とかに使われるたりするんだ」
「へぇ~……」
凛が「知らなかった……」と言いながら顎に手を当てる。……他の基本常識も欠如してないか心配だ。さっきの大雑把な説明は、あえて公共事業と公務員という言葉は使わないでおいた。もし知らなかったらかわいそうだし………凛のゲーム依存を放っておいた、そして途中でいなくなった。俺の責任なのかもしれないな……
そんな事を考えていると、俺のポケットから声が
「その通りだ風狙君!この街の住民から集められた税金は、貴族とかの懐に収まったり、ギルドとか流通省とか回収班の給料にも、当てられているぞ」
「へー」
平坦な声で返す。
今更出てきてなんだよ。住民登録の説明しなかったくせに。というか、ミュートしてたのにどうして……
懐中時計を取り出すと、引いていた筈の摘まみが押し込まれている。……ポケットの中で圧迫されたからな……固定する術を見つけておこう。
「……で、なんだ今頃。もうちょい早く教えてくれても、良かったんじゃないのか?」
行く手間が増えた事ではなく、ガイドをするとか言いつつ、殆ど現地人任せなジジイにムカついているのだ。
「あ、いや……すまなかった。その……言うタイミングが、良く分からなくて……だな……」
じいさんは、どんどん声を細くしていく。……お前はコミュ障か。
「ったく……お前、やっぱりいらないんじゃ……」
「そ、それは言わない約束だろう!?」
「約束なんかいつした!?」
そんな言い争いをしている内に、タオレ荘に到着した
すぐさま懐中時計の摘まみを引いて黙らせ、中に入る。しかし、タオレ荘の受け付けに家主さんの姿はない。
………ま、いいか。どうせすぐに風呂に行くんだし。この書類を書いて貰うのは、帰ってきてからにしよう……
さっさと3階の部屋に入り、装備類を外して、服と一緒に買ったバックに着替えを入れる。書類は引き出しに入れておく。
先の経験から、あらかじめ銃もバックの底に入れておく。この謎の拳銃を置いていく訳には、いかないからな。
斯くして、風呂に行く準備ができた俺と凛はタオレ荘を出て、風呂屋へと向かう。
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「お、丁度だな」
俺と凛が風呂屋に着くと丁度、向こうからカイトが右手を振りながら歩いてくる。そしてその後ろには、少し距離を置いてイリーナさんも歩いてくる。
相変わらずレイミーの姿は無い。
合流した俺達は暖簾をくぐって、どことなく和風な風呂屋に靴を脱いで入る。
そして、真ん中のおばあちゃんに代金を払って籠を貰い、男女に別れて脱衣場へと入った。てきぱきと服を脱いでもわっとした空気の、湯気が漂う風呂場へと入った。
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俺とカイトは並んで頭を洗って、体を洗い流し、湯船へと浸かった……
はぁ…………やっぱり湯船はいいな……ふぅーっと息を吐きながら肩まで湯でつかり、少しすると、壁沿いの真ん中にいるカイトが、不意に話し掛けてきた。
「なぁ、俺。なんかイリーナを怒らしちまったみたいなんだけど。原因分かるか?」
「はぁ?」
なんで俺に聞いてくるんだよ……
「俺自身、良くわかんないし……レイミーに聞いても。『自分で解決した方が。今後の為にも良いですよ』とか言いやがってさ……」
レイミーのサポートを、自分で見事に粉砕したからだろうな……
カイトとイリーナさんが、一体どんな関係なのかは良く分からないが……
まぁイリーナさんが怒っているのは、おそらく。カイトが他の女性に「可愛い」とか言っているのが原因だろう。
実際、カイトが凛の事をそう言った時に怒ってたし……まぁ凛をそそのかしたから。という線もあるが。さっきの酒場での反応を見た限りだと、やはり他の女性への言動が原因だろう。
そうなると、少なくともイリーナさんは、カイトの事を思っている………筈。
残念ながら俺は恋とか、そういうヤツのエキスパートでも何でもないから確証は無いが……
まぁ仮にそうだとしたら、カイトがイリーナさんをどう思っているかを、訪ねる必要はある。
「じゃ、先に聞くけど。お前はイリーナさんとは、どんな関係だと思っているんだ?」
「………仲間、幼馴染み、いつも一緒、仲良し………あとは………」
カイトは顔を赤くしてうつむく。……なんとなくは分かった。
「はぁ……だったら、先ずは自分で考えろ。主に他の女性に関して言動でも改めて考えとけ」
ここまでヒントを出せば分かってくれるか…………
俺に女心だとかそういうのは良く分からないが………イリーナさんが怒る……というか不快に思うのは、凛が他の男をカッコいいと言ったときに、俺が少しムッとしてしまった時と、同じような感じなのだろうか……
カイトは横に頭をひねって「う~ん……」と言ってから……パッと顔を上げる。カイトの髪についた水滴が俺にかかる。……勢い良すぎ。
カイトは真剣な顔をして、俺の目を見つめる。
とうとう答えを出したようだ。
「やっぱりわからん」
ダメだコイツ。




