トムサムソンの旅
トムサムソンは、一人、大きな山の峠を越えて、大草原の見える町のはずれにやってきていた。この国の未来を考えるためのトムサムソンの旅であった。
トムサムソンには、秘めた野望をもっていたが、その顔は、幼い感じ、自信のなさ、どこか、不安の症状が見え隠れしていた。アメシアスタンの男としては、少し、小柄の方であった。子供成長期時代に、お腹いっぱいご飯を食べたことがなく、大きくなるチャンスを逃してしまったかもしれない。
アメシアスタンの農村には、牛やヤギがいて、その乳から、チーズやヨーグルトを作って食べていたので、この国の男も女も骨太で、力もちだった。特に、農家は、力自慢のものだらけだった。力のないものは、生きていけないそんな世界の雰囲気だった。
トムサムソンは、力自慢の粗々しさはなく、といって、都会育ちのインテリの香りもしなかった。
トムサムソンには、あまりはっきりした記憶がないが、両親は、ロシアとの独立戦争の戦いに巻き込まれたと、孤児院で聞かされて育った。トムサムソンの育った町が、戦争の激戦地になり、ロシア軍と独立抵抗戦線の主戦場になり、多くの独立抵抗戦線の兵士は死んだという。まだ、しっかりとも歩くことのできないトムサムソンは、戦闘のさなか、一人はぐれて、基督教教会の孤児院に置き去りにされた。
自分のルーツにも、自分の出生にも、なにか、自信がない。自分の誕生日さえ知らないのだ。孤児院に引き取られた時に、2歳ぐらいだろうという神父の判断で、その2年前に生まれたことになった。
大きくなってから、そう聞かされた。
神父たちが、聖書や本を読ませてくれたので、教会にあった、本は、全部読んだ。もちろん、神父様しか触れない本もあったが、触っていいという本が、みんな読んだ。
そこには、古代モンゴル語、古代楔形文字、古代ギリシャ文字、中国語、日本語の本まであって、神父たちもそれらを全部読めるわけではないのだが、見てもいいといったので、読んでみた。
今は、インターネットの時代だから、いろいろ調べてみると、なんとか、読めるようになるんだ。不思議なもので、始め見る字なのに、なぜか、なんとなく意味がぼんやりわかるようになる。
そこで、チベットの不思議な本にであったのだ。神父さんのだれも、この本が読めないのだ。当たり前なことだが、古代チベットの言葉だ。だれも読めるわけがない。しかし、私には読めるのだった。読めるというのか、なんとなく、わかるのだ。
どうやってわかるのかというと、文字は、誰かが書いたものだ。
最初の書きだしから、最後の留めまで、誰かが書いたものだ。
その書き順をゆっくり辿り、感じるのだ。その文字の意味というのか、流れを感じるのだ。その人が、その文字を書いているのを感じ、そして、その人の心の中に、思いを忍ばせていくと、その人がこの紙に、羊の皮に、粘土の板に、なにを書こうとしたのかが、伝わってくるのだ。
不思議なことに、その人が、この字を、泣きながら書いたのか、心穏やかにして書いたのか、怒ってかいたのか、その感情まで、わかるようになってきたのだ。
判るといっても、書いた人はそこにいるわけではないので、そう感じるだけで、違うかもしれないが、
そう感じるのだ。すると、意味も自然に伝わってくるんだ。しかも音も聞こえるようになるんだ。
知らない国の言葉が、聞こえてくるんだ。
活字になった本では、あまり感じることができないのだが、写本や手書きの本は、確かに感じることができたのだった。
そのチベットの本、始めは、どこの本ともわからなかったが、インターネットで、探りを入れながら、いろいろ調べてみると、673年前に書かれたチベット仏教の秘密であった。
チベット仏教の高僧は、生まれ変わりながら、その高僧の地位を引き継いでいく。そのため、高僧が死ぬと生まれ変わりの子を探す必要があった。
しかし、そのとき、生まれ変わりの子をとうとう探し出すことができずに、生き人形を作成し、凌いだことが書かれているのであった。
そんなことが本当にあったのだろうかと、不審に思って読み進めると、それは、当時の出来事ではなく、未来の出来事を書いた本と書かれているのであった。なぜ、673年前に、未来の出来事として、生き人形 現代の言葉になおせば、ロボットが、人の替わりに、仏教の奥義を会得した高僧して登場することを意味しているのであった。
また、その未来の書は、チベットの苦難と新しい政治体制、経済体制も書いているのあった。
トムサムソンは、その未来の書に書かれていることは、空想の出来事かもしれないとも思ったが、中国に支配されているチベットの苦難、そして、それ以降にはじまる新しい政治体制、経済体制は、チベットだけの問題ではなく、この星の未来の予言のように思われたのだった。
現在の国家運営は、その国民や会社などの利益を税収として、国家を賄うことを前提にしているが、税収で、国家が健全に運営して、国など、皆無の状態である。ほとんどの国は、未来に借金をして生き延びているにすぎないのだ。アメリカも、イギリスも、フランスも、イタリアも、そして、日本もだ。この税を徴収して国家を運営するという経済モデルに、なにか、重大な欠陥があるに違いなかった。それは、今後、大きな変動や大規模な戦争を引き起こす可能性も秘めていた。
国家は、統治する政治システムが存在する。その統治をゆだねるために、民主主義のという数の論理で支配をゆだねている。けれども、統治の形は、どう考えても、ピラミッド構造でないと安定しない。多数が小数を支配することは、非常に不安定になってしまう。すると、小数は多数を支配する構造を無理やり、民主主義という構造で、作りあげているが、常に多数が、小数に支配されるという不安定な構造をもっている。その多数による少数の支配とは、多数の利益を優先することで、富の再配分も、多数で分けることになるので、恩恵はほとんどなく、支配のメリットがないという矛盾をもたらす。絶対君主制より、優れているには違ないが、多くの無駄と無理な構造が存在していることは確かだった。
現在の経済構造、政治構造、そして、統治構造は、破綻する運命にあり、その方向につき進んでいる。そして、突き進んで、その先の何かに出会う必要がある。
未来の書は、現在の構造の破綻とその未来の世界を表しているのだった。たぶん、そうなのだ。
その未来の世界を表している概念や言葉が、現代のトムサムソンの理解を超えるものなので、何を表現しているのかが、さっぱりわからないのだ。
たとえば、江戸時代の人に、電気や自動車のことを話しても、それが、いったい、どんなものなのか、さっぱり、想像もできないのと同じだ。音として、デンキ という音や文字をみても、なんのことか、さっぱり理解できない。どんなに、説明をされても、理解不能なのだ。自動車についても、牛や馬が引く牛車や馬車はわかっても、機械の自動車を見たこともない人に言葉のみで表現することは不可能と同じであった。
未来の書は、後半は、どんなに、トムサムソンが想像力豊かに読み解こうとしても、まったく、歯が立たないのであった。
しかし、どうやら、未来の歴史は、なにか、今までと違うなにかの存在を予言し、そちらの方向に進もうとしていると言いたいのだけが解った。
トムサムソンが、大統領になりたいと漠然に思っていたのは、この世界が窮地に陥り、そして、この愛すべき アメシアスタンも同時に窮地に陥ることが解っているからに違いなかった。この本を読んでしまった故の宿命を背負いこんだのかもしれない。
ほんとうは、大統領などには、なりたくないのかもしれない。しかし、旧約聖書に登場する、いやいやながら、予言者の役をさせられて、王様に苦情を言いのべる預言者のように、その仕事、大統領の仕事を、背負い込むことになったようなものかもしれなかった。
その時がいつなのかわからない。もしかすると、トムサムソンが生きている間にそれが起きるのかも不明だった。
しかし、来るべき未来に、備えなければならない。
そうだ。予言者ノアのように、未来の方舟をつくり、アメシアスタンの国の人々をその未来の方舟に乗せなければならないのだ。
トムサムソンがそこまで、考えて、顔をあげると、そこには、子供ころ、教会で、ご飯を食べさせてもらうために、聖書の話を聞かなければならなったが、その時、見聞きした ノアの方舟がたどり着いたと聞かされ、絵を見せられた場面と、まったく、そっくりな山が、目の前に立っていたのだ。
あの幼き日にみた山の絵は、ここから見た山の絵だったのだろうか。それとも、他にも、この山とそっくりな山が他にもあるのだろうか?
トムサムソンは、アメシアスタンを、窮地から救う 方舟の設計図、未来ビジョンを求めて、この旅の目的だったこことをようやく確信し始めていた。
そして、ノアが方舟を作ったように、トムサムソンも方舟を作るのだと、目の前の山が、巨大化して、神のような力をもって、自分に告げたような気がした。その方舟の設計図は、トムサムソンお前の中に隠されているのだ。この旅によって、その隠された設計図を一端を探し当てることだ、と、巨大化した山がトムサムソンに告げたような気がしたのだった。
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トムサムソンからポーラへ
ポーラ。僕がなぜ、大統領に成りたいと言い出したのか、ようやく解ったよ。
僕は、元気です。
ポーラも、僕が帰るまで、絶対に元気で待っていてください。