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宣戦

春川からの電話で茜の家に急行する蓮見だが。

 ようやく何かの音が聞こえた。鈍った、それでいて速い、小さくも大きくもない音。それが自分の手から滑り落ちた携帯が、無駄に綺麗に掃除された床に落ちた音だと気がついた時には、素早くそれを拾い上げ玄関へ向かって駆けだしていた。

 最悪とか、そんな次元の話じゃなくなってしまった。



 こういう時のために改造しておいた原付で、どう考えても交通違反のスピードを出しながら茜ちゃんのマンションに向かった。前方にあった車のほとんどを追い越し、信号も無視して、ただひたすら原付を飛ばして現場に向かいながらも、頭の中ではずっと後悔の言葉が浮べていた。

 どうしてこんなことも考えれなかった。危ないと分かっていたのに、どうしてもっとちゃんとした対策を練らなかった。相手がまともじゃないことくらい、分かっていたのに……。事態はいつも最悪だって、自分で言っておいてどうしてこんなことにしてしまっているんだ……。

 何度もクラクションを鳴らされながら、ようやくマンションに着いたとき、私はその場に膝をつきそうになった。今朝訪ねた部屋が、赤く激しい炎とどす黒い煙に覆われていて、辺りには消防車やパトカーなどが止まって、近隣やマンションの住民が灼熱のその部屋を見上げて息を飲んでいた。

 原付をその場に停め、人だかりの中を進んでマンションの入り口を目指していると、その場に座り込んでいる有華ちゃんと、彼女を優しく抱いている春川を見つけた。

「春川……」

 私が声をかけると彼女は緊張して堅くなった顔を向けたが、私だと分かると少し安心したのか、ほっとした表情になる。

「来てくれたのね」

「そりゃ来るよ。それで状況は?」

 質問に春川は首を小さく横に振った。

「分からないわ。私が来たときにはもうこんな状況で、有華ちゃんは私より遅れてきたから……」

 その有華ちゃんはその場に崩れおちていて、肩を揺らしていた。親友の家が目の前で炎に包まれているんじゃ仕方ない。ここは春川に任せた方が良い。

「情報を集めてくる」

 春川は私の言葉に頷き返すと、有華ちゃんの背中をさすりながら宥めだした。その姿を横目にしながら、マンションの玄関口へと向かう。徐々に人が多くなっていき、かき分けるのに疲れてきた頃、ようやくガラスの扉の玄関へとたどり着いた。

「レイ、お前どうしてここにいるんだ」

 玄関口には警察の制服を着た兄が押し寄せる人々を"KEEP OUT"と書かれた黄色いテープと共に足止めしていた。予想外の事に驚きを隠せなかったが、驚いてる暇はなかった。

「兄さんか。ちょうどいい。どうなってるんだ。今、あそこはどうなってるんだ」

 兄に詰め寄りながら訊くと兄は首を振った。

「まだ状況があんまり分かってない。ただ、あそこには一人女の子がいるらしい。母親は買い物に出かけてて、帰ってきたら家が燃えてたそうだ。今消防が中に入って……」

 兄が言葉を続けようとしたときに辺りが騒がしくなり、ついには悲鳴まで聞こえだしたので訳が分からないと思いながらも、あの部屋を見上げると、火だるまの人間が部屋の前に立っていた。

 炎に包まれて熱くて苦しんでいる。頭を抱えて、何か必死に叫んでいるように見えたる。正視し続けていたが、思わず目を背けたくなる。あれが人か。あの赤い炎に包まれた、黒い影が本当に人なのか。

「茜っ」

 遠くから有華ちゃんの声が聞こえた。あれはやはり茜ちゃんなのか。なんとかして助け出さないといけないと駆け出そうとしたとき、今度は彼女の絶叫が耳をつんざいた。

 火だるまの人間が自分の体にまとわりついた炎を払いのけようと暴れているうちに、力尽きたのか単にバランスを失ったのか分からないが、そのまま手すりを超えて頭を地表に向けて真っ逆さまに落ちていった。

 何かが潰れる鈍く、重い音。続けて今まで聞いたこともないような茜ちゃんの絶叫。

「茜っ、茜っ」

 地に落ちたそれに駆け寄ろうとする有華ちゃんを春川や、周りの人間が止めにかかる。彼女は彼らの手を何とか振りほどこうとするが、そのか弱いうえに震えた手では、どうすることもできなくてただ親友の名前を呼び続けることしかできなくなった。

 警官や消防士たちが急いで未だに燃えるあの影に駆け寄って、すばやく消化器をかけていく。兄は一瞬、絶望に打ちひしがれている妹に付き添うべきか、同僚や先輩たちに従うべきかを迷っていたが、私が首を左右に振ると影の元へ走っていった。

 そこでようやく情けなく、膝を地面につけた。全身に力が入らないうえ、手の震えが止まらない。さすがにここまでアル中になった覚えはないのに、震えはやまずそれどこか大きくなっているように思えた。それだけじゃなくて呼吸が明らかに激しくなってきている。

 落ち着けと自分に言い聞かせてると、逆に何か落ち着かなくなる。胸の内、何かがこみ上げてきたとき、ポケットの中で携帯が震えだした。こんな時に誰だと、思って見ると、液晶には非通知表示がされている。

「……もしもし」

 なんとか絞り出した声でそう出ると、ふふという笑い声が最初に聞こえた。

『ザーンネーン。間に合わなかったねぇ』

 馬鹿みたいに明るい声で、心底楽しそう。そんな陽気な空気が電話口から伝わってきた。けどその声は機械か何かでぼかされていて、はっきりとはしてない。ビデオを早送りにしたときみたいな、異様に滑りのいい声。そして時々テレビの砂嵐みたいな音も聞こえてくる。

『犯罪者は芸術家で、探偵は批評家。誰の台詞か知らないけど、よく言えてると思うよ。けど惜しいなぁ、あなたは批評家にもなれてない』

 携帯を握る手に自然と力が入っていく。震えは止まっていないが、震えてる理由が明らかに変わっていた。今、これ以上はないと言うほど明確に私を支配している感情は怒り。それが手だけじゃなく心とか、そういうものまで震え上がらせている。

「……誰だ、お前は」

 素直に答えるわけもないのに、そう訊くと相手は甲高い笑い声をあげた。

『もう、なに言ってんのかな。名前は教えないけど、私が誰かは知ってるでしょ』

 奥歯を強く、強くかみしめる。

「お前が『主』かっ」

『さて、どうだろうね。というかさ、それを特定するのがあなたの仕事でしょ、探偵さん』

 ぶつりと無愛想に電話が切れると同時に、携帯電話を地面にたたきつけた。

 顔を空に向けて、口を思いっきり開いて叫んだ。何を叫んだのかは自分でも分からない。ただこの胸の中に広がって、充満して、溢れかえった感情を咆哮することではき出そうとした。けど、ちっとも気分は変わらない。

 ぽつりと、一滴の雨が落ちてきた。

これでよやく1章が終わりです。

あ、昨日から一日二回更新にしてます。

今後は毎日0時と16時に更新します。

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