落涙
ぞくっと背中に寒気を感じた。彼女は目が笑っていない出来損ないの笑顔のまま、ナイフを私に向けている。
「私はあなたを殺そうとしたの、荻原を使って。本当は直接私が手を下したかったのに、変にあなたに近づくと危ないと思ったから渋々そうしたの。なのに、どうして生きてるのよ」
彼女の表情から笑顔が消えていく。顔が歪んで、本当に鬼の様に見えてきた。怒りのせいでナイフの刃先も揺れていた。それを危険と感じた父がまた動こうとするが、無駄だった。
「動くなっつてんだよっ、聞こえなかったのっ!」
それまでの声とはうってかわった怒声が響く。またしても父が動けなくなった。
「じっとしないとここの誰かが死ぬことになるからな、分かったか」
そもそも凶器を持った彼女がこれだけの人間の前にいる時点で、有利なのは彼女なんだ。こういうときこそトップがしっかりしないといけない。
「父上、動かないでね。ちゃんと答えるから、落ち着いてくれるかい」
「さっさと答えろ」
よほど私が生きていたことが気に食わないらしい。そんなに死んでほしかったのか。そりゃ生きてる甲斐がある。
「君は香月君が疑われてから学校から遠のいたと言ったね」
「ああ。でも事件が終わってからまた戻ってきたんだよ。特に今日は学園長が集会開くって言っていたから。犯人が被害者面で何を語るのか興味あったから」
「そうかい。けど、それが痛かった」
彼女が首を傾げるので、私は頭の包帯をまた指さした。
「危ないところだったよ。医者が言うには、頭をもっと強く打っていたら助からなかったらしい」
けどあの日、私はある物を被っていた。
「君だって事前に調べてはいたんだろうね。私がヘルメットをしてなかったことぐらいさ」
けど、そのデータは古くなっていた。まさに香月麻由美が疑われたその日に。なぜなら、私はその日の午前中にそれこそ私を殺そうとした荻原治からある忠告を受けていたから。
「あの日、私は荻原治からヘルメットを勧められてね」
彼女の顔色が変わっていく。どう形容したらふさわしいか、そんなのもわからないほどに。
「……彼に助けられたよ」
「小野夏希も防犯ベルなんてもってやがった。だから殺しそこねた。そしてあんたも……ああ、もう、ああっ!」
猛獣の咆哮みたいだった。そして叫び終えると、彼女は刃先をまっすぐしたまま私に向かって突進してきた。感情的になっているからよけるのはたやすいだろうとたかをくくっていたが、いざ体を動かそうとすると、ここにきて全身に激痛が走ってしまい、あっと思った時には、もう目の前に彼女が迫っていて、私は死を覚悟した。
しかしそんな私の視界から瞬時に彼女の姿が消える。彼女の横から父が体当たりをして、彼女はそのまま吹っ飛ばされた。そしてしょせんは女子高生と現役の刑事、場数が違った。
彼女は勢いで落としてしまったナイフを拾うとしたが、そんな彼女の上に父がのしかかり、ナイフへのばしていた手を捕まえて押さえ込む。
「はなせっ!」
彼女は足掻くが大人と子供だ。敵うはずもない。
するとばたばたと体育館に数名の男たちが入ってきた。どうやら応援の警察の方々らしい。入ってきた彼らは現場がどういう状況かは完全に理解していなかったが、とにかく父が彼女を押さえ込んでいるのを見ると素早く父の手助けをした。彼女は最後まで抵抗していたが、複数名の警官に押さえられたらすべては無駄に終わった。
父が彼女から離れる。言葉にならない暴言を吐き続けていた彼女を、応援の警官たちが両腕をがっちりと捕らえて引きずるように連行していく。
「蓮見っ、おいっ!」
しばらく彼女は私の名前を連呼していたが、私は無視をし続けた。あんな殺人鬼にかける言葉などもうなかった。私が答えないとわかると、彼女は体育館から出ていく間際、突然笑い始めた。
「まあいいよ、殺したからっ、三人もねっ。あははは」
あはははははははと、壊れたような体育館全体を揺らすような、そんな耳の奥に永遠に残りそうな高笑いを残して、彼女は姿を消した。
そして彼女の次は体育館の隅で捕まっていた有華ちゃんが二人の警官につれられて、静かに退場していった。
ようやく正気に戻った須藤が父と目を合わせて、壇上へあがっていく。そしてそこで一人、呆然と佇んでいた婆さんを挟み込む。彼女は二人の刑事を見ることもなく、ただ私を見下ろしていた。
「春日学園長、ご同行願います」
父がそう告げても彼女は何一つリアクションを示さなかった。そんな彼女の腕を二人で捕まえると、ゆっくりと連行していく。婆さんはもうなすがままにいうように、抵抗も何もしないで、ただ足を動かしていた。
ただ壇上から降りてきて、私とすれ違うときようやく口を開いた。
「"cube"の定義は優秀であること。私は過去に失敗をしたわ。けど、それを補おうとしたの。本当に優秀な人間は、失敗を補おうするものなの」
それが彼女を凶行に走らせた私論か、聞いていて吐き気しかしない。
「そうかい。けど私は思うよ。優秀な人間ならたとえ失敗しても、正しい方法でそれを直していく。失敗を失敗で埋め合わせるのは簡単だ。嘘を嘘でごまかすのと変わりない」
そんなのは優秀なんて言わない。
「言っておくけどね、事件を解決したのは私かもしれない。けどね、鴻池有華の正体に気づけたのは小林陸の証言のおかげで、小野君や私が生きて安藤茜の殺人を阻止できたのは荻原君の優しさがあったからだ。そしてあなたの目的を見抜けたのは、小野君の聡明さがあったからだ。分かるかい、あなたたちはあなたたちが駒のように使った生徒たちに追い詰められたんだよ。優秀なのはあなたたちじゃない、事件を解決に導いた彼らだ」
私と婆さんはしばらく見つめあった。そして、再会したときと同じく異口同音で言葉を選んだ。
「やはり、あなたとは相容れない」
父と須藤が彼女を連行していく。連行されていく彼女の背中を見つめながら、私は自分の私論が間違っていたことを知った。私は優秀じゃない人間なんていないと思っていたが、違った。少なくともあの三人は、救いようのない愚者だ。
彼女の姿が見えなくなると、自然と体から力が抜けていった。そのまま頼りない足取りで壁まで寄っていき、倒れるようにそこに背中を預けた。全身が痛くて、体が言うことをきかない。それに精神的にも限界だった。
そんな私に海野先生と仁志が駆け寄ってくる。
「バカ、無茶するからだろう」
そう叱責しながら仁志が手を差し出してきてくれる。それを掴んで、なんとか立ち上がろうとするがなんと力が入らない。困っていると、海野先生がひっぱってくれて何とか立ち上がれた。
その後は二人の肩を借りて、体育館を出ていく。ようやく役目を終えられた。遅すぎたが。出ていく寸前、一人の女子生徒が目の前に飛び込んできた。
「わ、私、野球部のマネジャーです」
野球部ということは小林陸の……。
「ありがとうございます。彼、きっと喜んでます」
それだけ言ってぺこりと頭を下げると、彼女は生徒の中に戻っていった。彼女が小林陸とどういう関係にあったのか、どういう気持ちを抱いていたのかは知らないが、少なくとも遅すぎた解決にも救いはあったらしい。
体育館を出てすぐに海野先生が携帯で救急車を呼び出そうとしたが、私がそれをやめさせた。
「多分だけど校門まで行ってくれれば何とかなると思うんだ」
二人はよくわかってなかったがとりあえずそうしてくれた。そして私の予想通り、校門を出てすぐのところに一台のタクシーがあり、そしてそのすぐ近くに春川が立っていた。
「お疲れさま」
それが彼女の第一声。けど実を言うと、今一番欲しかった言葉。
「さあ早く病院へ帰りましょう。看護師さん、カンカンだったわよ」
それはそれは帰るのが嫌になる情報だ。
タクシーの後部座席に二人に手伝ってもらい、なんとか座った。怒られるのは仕方ないから、早く病院のベッドで寝たい。
「蓮見、感謝してる」
扉を閉める前に海野先生がそう言ってくれた。
「いいよ、結局だれも救えなかったしね」
「それでも感謝している」
有無を言わない感謝だ。先生らしい。
「今度こそじっとしてろよ。また暇があったら見舞いに行ってやるから」
「ああ、待ってるよ」
そんなこと言いつつ、私のために時間を作ってくれるんだろうとは言わなかった。
扉が閉められて、車が静かに発進する。それと同時に私は隣に座っていた春川の膝の上に頭を預けるように倒れた。
「ちょっと」
「けが人なんだ。いや本当にこっちの方が楽でいい。できるならこのまま一生いたいね。この暖かさがなんともいえない」
「落とすわよ」
そんな怖い脅しをしなくても。
しばらくはなにも言わなかった。春川も文句を言っていたが、結局膝を貸すことを許してくれた。彼女はまだ事件の真相は知らない。ただ、もしかしたら連行されていった三人の姿は見たかもしれない。彼女ならそこから真相をたどるのは容易だろう。
彼女だって事件に無関係というわけではないのに、私に何の質問もしてこないのは優しさだろう。
だから私はその優しさに甘えることにした。
「一生のお願いがあるんだ」
「それ、今日だけで二回目よ」
「そうだったかな。いや、じゃあこれで最後だ。病院に着くまででいいからさ、目を瞑って、耳を塞いでてくれないかな」
彼女は最初きょとんとしていたが、すぐに私がなにをしたいのかを察して返事もせず、言うとおりにしてくれた。やっぱり優しいな。手の甲を目の上にのせると、少し濡れた。そしてそれは止まらない。
一体どこからこれを我慢していたんだろう。そんなことさえ忘れてしまっている自分がいる。ちゃんと病院に着くまでに止められるだろうか。いくら春川といえど、一九歳にもなったら見られると恥ずかしい顔だ。
目や喉の奥が熱くなっていく。痛みのせいだって言い訳は通用しないだろうな。
溢れた涙が頬を伝っていった。
これで長かった解決編も終了です。
次回で最終回。よければ、最後までお付き合いください。
また最終回更新と同時に新作の連載を開始します。
主人公はこの作品と同様に蓮見レイ。この話から1年後の話で、彼女がまた別の事件に巻き込まれていく物語となっています。




